サッカーおやじの妊活&子育て奮闘記

男が家族のためにできること

娘が教えてくれたゴミ収集車のこと

 

 

 

ある朝

 

娘を幼稚園に送りに行くときのことです。

 

 

コロナ禍をきっかけに、我が家では今、家族全員(息子1歳、妻35歳、私37歳)で年少の娘を車で幼稚園まで送っています。

そんな家庭はないかもしれないけれど、私の帰りが遅いので、家族の時間を午前中に持ってくるようにしています。

 

その日は、燃えるゴミの日だったので、娘と私がゴミを持って先にマンションの駐車場に降りゴミを捨てている間に、妻が息子を連れて降りてきて合流するという方法を採りました。

 

全員で一緒に降りると、玄関やエレベーターの入口でわちゃわちゃするので。

 

うちのマンションは駐車場のすぐそばの道路沿いにゴミ捨て場があります。

 

その日は、ゴミ捨てが終わった直後にちょうどゴミ収集車がやってきました。

 

ゴミ収集車到着

 

娘は女の子ですが、働く乗り物が大好きです。

バスとすれ違えば興奮するし、ショベルカーなどの工事車両なら平気で1時間その場で眺めています。

 

なので、このときも、

 

「ゴミ収集車!!!」

 

と叫び、立ち止まって待っていました。

 

大好きなゴミ収集車が娘の2メートル前に停まると、中から3人のおじさんたちが出てきて、手を振ってくれました。

こういうのは、子どもを介した大人同士のコミュニケーションでもあると思います。

 

「見てていいですよ」

「でもそれ以上は近づかないでくださいね」

 

という2つのメッセージを感じ取った私は、娘の後ろにしゃがんで抱きしめる形でそれ以上近づかないようにしながら、ゴミが車に吸い込まれる様子を、すごいねなどと言いながら一緒に見ていました。

 

想像力

 

おじさんたちは、ゴミの吸い込み口から少し離れ、投げ入れていました。

 

「子どもが見ているのにあんな感じで投げるのはどうかな」

 

と、私は思っていました。

 

すると、回転しているゴミの吸い込み口から、

 

ぶしゅっ!!

 

何かが潰れるような音がして、色のついた水分が噴き出しました。

 

飲み残しのジュースやスープ類だとは思います。

 

おそらく、おじさんたちはこのような何なのか分からない液体がかかる経験を何度もしているのでしょう。

だから、身を守るために、離れた距離からゴミを投げ入れていたのでした。

 

娘が、

 

「パパ、なんで投げてるん?」

 

と聞いてきたので、私は感じたままに

 

「さっきみたいに中身がぶしゅって出てきたらね、おじさんたちにかかってしまうよね。

そうならないように遠くから入れてるんやね。

乱暴に投げてる訳じゃないよ。」

 

数秒前なら、

 

「なんでかな?」

「優しく入れた方がいいよね」

 

と言ってしまっていたと思います。

 

自分自身の想像力が足りなかったなと思いました。

 

追い打ち

 

そうこうしているうちに、私たちが出したゴミ袋の番が近づいてきました。

 

ちなみに、おじさんたちは、私たちが出したゴミがどれなのかは知りません。

 

私たちのゴミの番になったときです。

 

私が朝慌てて追加で押し込んだおむつがこぼれ落ちました。

 

私は、あっ…と思いましたが、何も言わずにやり過ごそうとしました。

 

すると、すかさず娘が、

 

「あれ、わたしのおむつ?」

 

私は恥ずかしくなり、

 

「どうかな…?」 

 

としか言えませんでした。

 

 

しかし、おじさんが私たちのゴミ袋を持ち上げた瞬間でした。

 

「おもっ!!」

 

そして、おじさんが投げ入れようとした私たちの袋は、重すぎて吸い込み口まで届かず、手前でぶちまけられてしまいました。

 

おじさんたちが拾う我が家のゴミを、私は黙って見ていることしかできませんでした。

 

1枚のゴミ袋に少しでも多くのゴミを入れることや、ゴミ捨ての日の朝のゴミも家の中に残さないことなど我が家のことしか考えてなかった私は、浅はかだったと思いました。

 

さらに…

 

話はここで終わりません。

 

我が家のゴミがやっと片付けられ、最後のゴミ袋が投げ入れられた直後でした。

 

ブッシャーー!!

 

先ほどよりも強烈なニブい音がしました。

 

見ると、ゴミ収集車の吸い込み口の内側には、茶色い液体と固体の間のようなものが飛び散りました。

 

食べ残したカレーだとは思います。

 

ただ、先ほどぶちまけられた我が家のおむつの記憶も重なって、あまりにも不快でした。

 

 

気がつくと、娘と私の後ろには、妻と息子がいました。

 

我が家のおむつの場面ぐらいから見ていたようです。

 

娘を幼稚園に送ったあと、妻とこの話になりました。

 

私たちは今まで、ゴミ捨てひとつにここまでのことは想像したことがありませんでした。

 

これからゴミの捨て方が変わると思います。

 

娘が勉強しろと教えてくれたのだと思います。

どんな社会科見学よりも考えさせられました。

 

 

ちなみに、幼稚園から帰宅した娘は、おむつに履き替えてしゃがんで気張りながら、

 

「カレー出た!!」

 

と叫んでいました(笑)

子の成長、親の成長

 

 

今朝の出来事

 

3歳の娘が、8か月の弟を泣かせました。

よくある光景だとは思いますが、親としてすごく発見のある朝になりました。

 

 

妻の膝に座っていた娘。

その近くでハイハイしながら近づき、娘のおもちゃで遊び出す息子。

 

すると娘は、息子を蹴ってしまいました。

 

何か気に入らないことがあったのでしょうが、これはいけません。

 

すかさず、妻が叱ります。

 

娘は甘えて妻にすり寄ります。

「本読んで。」

 

きっと、話をすり替えてしまいたかったんでしょう。

 

しかし、そこは妻も親として譲れません。

 

「あんなことしたらだめ。

ちゃんと謝るまで、お母さんは一緒に遊びません。」

 

娘は泣きながら何度か遊んでもらおうとチャレンジしますが、妻は聞く耳を持ちません。

 

娘も、もうすべてわかっているはずです。

  • 自分のしたことは良くない
  • 弟に謝らないといけない
  • そうしないと、お母さんも取り合ってくれない
  • でも謝りたくない
  • 自分だけが悪いわけじゃない

そんな感じでしょうか。

 

両親の役割分担

 

こんなとき、もうひとりの親の出番です。

 

特に、我が家はそうです。

 

妻がガツンと叱り、私が冷静に話す。

 

 

普通、逆ですか!?(^-^;

 

 

泣き続ける娘を抱き抱えて隣の部屋へ連れて行きます。

 

まずは、ちゃんと会話をするために泣き止ませます。

 

「よしよし、大丈夫。

落ち着いてパパとお話ししよう。」

 

そして、なにも知らないフリをして聞いてみます。

 

「どうしたん?

なんでそんなに泣いてた?」

 

すると、娘は小さな声で、

 

「ママに怒られたくない」

 

私「そっか。そうやね。

怒られたくないよね。ママのこと大好きやもんね。

ママもパパもあなたのことが大好きよ。

じゃあ、ママは大好きなあなたをどうして怒ったんかな?」

 

娘「わからん」

 

私「難しいな。じゃあパパと一緒に考えよう。

じゃあまずは、ママが怒る前に何があったか教えてくれるか?」

 

娘「ママに抱っこしてほしかった。

パパは2人抱っこする。

ママは1人。」

 

これは通訳が要りますね。

私はよく、両腕で姉弟を抱っこして遊ぶことがありますが、妻の力では2人同時には抱っこできません。

娘はきっとそのことが言いたかったのでしょう。

 

私はてっきり、娘のおもちゃで息子が遊んでるのがイヤだったんだと思っていました。

聞いてみるものですね。

 

私「そっか。じゃあ、あのとき、ママにひとりで抱っこしてほしかったのに、弟が近づいてきて、邪魔されると思って、イヤやったんやね。」

 

娘「うん」

 

私「それでキックしてしまったってこと?」

 

娘「うん」

 

私「そっか、イヤやったのはよくわかったよ。

じゃあ、そんなときはどうしたらよさそう?」

 

娘「わからん」

 

私「わからんなあ。

じゃあ、こういうのはどう?

『抱っこは順番ね。

先にわたし、そのあと交代してあげる』

って言ってあげる。

それか、弟に先に譲ってあげて、あとからあなたがママに抱っこしてもらうのもいいよね。」

 

娘「わたしがママ。

弟はパパ。」

 

私「そっか!

そういうのもあるね。

あなたはママに抱っこしてもらって、弟はパパが抱っこすれば2人とも嬉しいね。

じゃあ、それ、ママと弟に言いに行こっか?」

 

娘「うん!」

 

私「よし、じゃあ、そのことと一緒に、もうひとつママと弟にお話ししてほしいこがある。

イヤやったのはよくわかったけど、キックしたのは良いこと?」

 

娘「ううん。」

 

私「そうやね。

痛いし、びっくりするよね。

じゃあ、ごめんねもできる?」

 

娘「うん。」

 

私「よし。

じゃあ、今からママと弟に、抱っこのお話とごめんねしに行こっか。」

 

娘「うん!」

 

そして娘は、

 

ドアを開け、妻と息子のいる部屋へ。

 

娘はまず息子に近づき、照れくさそうに大きな声で、

 

「ごめんね!」

 

そう言って、息子を抱き締めていました。

 

「かわいい(ノ≧▽≦)ノ」 

 

と、言いたいところでしたが、親の務めを果たしてから、と自分に言い聞かせます(^_^;)

 

私「よく言えたね。

でも、もうひとつ言いたいことあったんじゃなかった?」

 

すると、娘は思い出したかのように、

 

「ママ、抱っこ、わたし。

弟はパパ。」

 

私が妻に通訳して、めでたしめでたし。

 

今日のことを振り返る

 

やっぱり、親が1人でも2人でも、ダメなことはダメということと、丁寧に話を聞いてあげることの両方が必要だと改めて思いました。

 

そして、今日ほど集中して、娘の言葉に耳を傾けたことは今までなかったなと反省しました。

 

3歳でも、よく聞いてあげれば、話したいことは十分分かるし、こちらが本気で理解しようとして聞こうとしていることは、子どもにもちゃんと伝わるんだなと実感しました。

 

こういうことをサボり続けると、「どうせ私の話は聞いてもらえない」となって、話してくれなくなっていくんだろうなと思いました。

 

親として、気づきの多い朝でした。

 

サンタさん来た?

 

 

サンタさんはみんなのことろに来るわけじゃない

 

今日、Twitterでたまたまある幼稚園か保育園の先生の投稿を見ました。

その先生のクラスでは、園児30人中7人にサンタさんが来なかったそうです。

 

きっと、こういう情報は本当に貴重です。

私はものごころついてから今日まで、サンタさんはすべての子どもに来るものだと思っていました。

幼稚園の頃のイベントも、小学生の頃の会話も、サンタさんが毎年来る前提で行われていました。

 

なのに、こんなにもサンタさんが来ない家庭があるのが現状だとすると、きっと、我慢したり嘘をついて周りに合わせたりして辛い思いや悲しい思いをしていた子がたくさんいたんだろうなと思いました。

 

大人の悪気のない言葉が子どもを傷つける

 

そう考えると、です。

 

「いい子にしてないとサンタさんが来ないよ」

 

これは、安易に使うべきではないと強く思います。

当たり前にみんなに来ているわけじゃないという前提で考えると、本当に恐ろしい言葉に変わってしまいます。

 

また、どんな関係性であれ、わが子以外の子に

 

「サンタさんになにもらった?」

 

これを聞くのも、簡単にはできないなと思いました。

 

どちらも、小さな子どもを悪い子にしてしまったり、小さな子どもに嘘をつかせてしまったりする言葉です。

 

サンタさんの存在をみんなが信じている中で、必ずいた

 

「サンタさんなんていないよ」

 

っていう子の言葉を、ただのヤンチャで意地悪な子の発言とは決めつけられなくなります。

 

親としてどうする?

 

今日、妻と話した結果、今のところのわが家の方針が決まりました。

 

運がよければサンタさんが来るときもある

 

毎年、24日の夜に必ず来るのが当たり前じゃないと教えます。

 

サンタさんにも都合があるから、ほしいものがもらえるとは限らないし、遅れることもあるし、来れないこともある。

 

それは運次第で、自分の力で決められるものではない。

 

だから、24日の夜に来てしかもほしいものがもらえた年はほんとにラッキーで、みんながみんなそうとは限らない。

 

実際に来ない年も作ろうと思います。

 

モノがもらえなくても、家族で楽しく過ごしたり、お友達とプレゼント交換をしたり、楽しい時間を過ごせたらそれでいいというスタンスでいきます。

 

きっと、子どもたちにも伝わると思います。

 

 

ちなみに、長女は3歳目前、長男は4ヶ月の今年、わが家に初めて来たサンタさんは、26日の朝に来ました。

 

理由は、世界中で一番最後にわが家に来たから、時差などの関係もあり、遅くなったそうです(笑)

 

娘はサンタさんからもらったイチゴのリュックを背負って得意気に言います。

 

「これね、ママが連絡して、サンタさんが買ってきてくれたよ!」

 

まあ、いろんなサンタさんがいていいのではないでしょうか(^_^;)

 

世界にひとつだけの花

 

 

学校に行けない子

 

もし、あなたの子どもが学校に行けない子だったら、あなたはどうしますか?

 

  • 行かなくてもいいと言う
  • 話を聞く
  • 黙って見守る
  • なんとかして行かせる

 

きっと正解はその都度違うと思います。

ただ甘えているだけの場合は、ケツを叩いて送り出せばいいでしょうし、話を聞いてあげるだけでスッキリして行けるようになることもあるでしょう。

 

行けない理由はもしかしたら、朝起きられない病気かもしれないし、過度なストレスでどうしても足が重い場合もあるでしょう。

 

要は、大人が子どもを観察して、変化に気づいてあげたり、認めてあげたりすることだと思います。

 

避けるべきは親の価値観の押し付け

 

私がいろんな人の話を聞いて、本当に子どもが可哀想だと思うのはこのパターンです。

 

「ちゃんと学校に行きなさい」

「先生の言うことを聞きなさい」

「時間は守りなさい」

 

これらの当たり前とされていることは本当に必要なのでしょうか。

また、このようなことを教育する理由はなんでしょうか?

 

それは、親がこれまでそういう教育を受けてきたからです。

そして、世間の正解がそうなっているからです。

 

このような教育は、目上の人の言うことを聞き、決められた時間に決められたことをできる大人を生み出します。

 

これができない子は「社会で通用しないぞ」と言われます。

 

しかし、本当にそうでしょうか?

 

学校の成績や先生の評価によって進学や就職の選択肢が決まり、安定した企業に入って上司の評価によって出世が決まる。

30歳ぐらいまでに結婚して男は仕事、女は家庭、ローンで一軒家とファミリーカーを買い、お金がないと言いながら、自分が受けてきた教育を同じように子どもに受けさせる。

 

この生き方だけが正解でしょうか?

 

これからの社会は、そんなことはないと思います。

 

本人は?

 

よくある光景です。

 

親同士や、親と先生、親とサッカーのコーチなどが子どもの進路について熱心に話している。

怒ったり謝ったりしている。

 

本人そっちのけで。

 

でも一番大切なのは、本人がどうしたいか?この一点に尽きると思います。

 

それも、プレッシャーを受けて言わされた答えでなく、本当に自分で考えて自分の中から出てくる意志です。

 

それが、親の期待や見栄、学校の評判や先生の評価にどう繋がるかなど、関係ないんです。

 

よく大人は言います。

  • 「どれだけの大人が動いていると思っているのか」
  • 「クラスのみんなに迷惑がかかる」
  • 「君の後輩たちの選択肢が狭まる」
  • 「相手方に申し訳ない」
  • 「君のために言っているんだ」

 

すべて、大人が自分を守るためだけの言葉です。

だれかに迷惑をかけるなら、その責任を親や先生、コーチが背負ってあげて、頭を下げるべきところには下げればいいだけの話です。

本人には、そんなしがらみを感じさせずに好きに生きさせてあげてはどうでしょうか?

 

学校に行かなくたって、いい大学に行かなくたって、一般企業で適応できる力が無くたって、その子はその子で世界一愛おしい存在です。

そして、他の人にない魅力が必ずあります。

それを見出だしてあげて、その子だけの人生を歩ませてあげる。

 

そんな大人でありたいといつも思っています。

 

子どもに期待しない

 

 

娘の保育発表会

 

今、娘は2歳10ヶ月。

4年保育の3歳児クラスに通っています。

 

感染対策のため、時間短縮、少人数で保育発表会が行われました。

 

まずは園長先生のご挨拶。

「それぞれ得意不得意がありますし、多くの親御さんの前で普段と同じように表現できる子とそうでない子がいます。どうか温かく見守っていただき、うまく踊れたかどうかにかかわらず、おうちに帰ったらたくさん褒めてあげてください。」

 

同じ時間帯では12人の子どもたちが6人ずつに分かれて、それぞれ違う曲を踊りました。

保護者も12組で距離を取って見守ります。

 

うちの娘は前半の6人の1人。

12組の保護者の半分がビデオカメラやスマホを構えます(笑)

 

うちの娘は超マイペースで内弁慶なので、私たち夫婦の予想はこうでした。

  • 音楽がかかっても1人だけ踊らずに堂々と立っている
  • 周りの子たちが踊っているのを真顔でじっと眺める
  • 帰り際に家族だけになった瞬間、「今日いっぱい踊ったね!」と記憶をすり替えて言ってくる

先ほどの園長先生のお言葉はうちの娘のことを言っていると思います(笑)

 

娘、親の予想を覆す

 

入場のときから私たちを見つけ手を振る娘。

 

調子がいい。

これは音楽と同時に固まるパターン。

 

しかし、なんと、

 

笑顔で軽快に踊る娘!!

 

どうした??

 

ときおり、横をチラチラ見て、覚えていない振り付けをごまかしながらではありましたが、予想外の出来事に親がビックリでした。

 

なにせ、運動会のかけっこではスタートからゴールまで堂々と歩いて得意気に最下位でフィニッシュした娘ですから(笑)

 

決められた退場のルートを守らず先生に引き戻されている娘を見ながら、ほのぼのとした気持ちになっていました。

 

そして急展開

 

めでたしめでたしという感じで後半組の発表を見ます。

 

私たち前半組の保護者は惰性で見ていますが、後半の6組の保護者からすればこれからが本番です。

 

先ほどと違う保護者たちが一斉にカメラを構えます。

 

後半は違う曲でした。

 

そして、幕が開いたとき、場は凍りつきます。

 

両脇の2人だけが明らかにポーズを取っていません。

 

1人はヘラヘラしていましたが、もう1人は顔を押さえてうつむいています。

 

前半組が終わってほのぼのとしていたお遊戯室には一気に緊張感が走りました。

 

これは曲が始まる前のポーズなのではないかという一縷の望みも虚しく、音楽が始まっても、そして終わっても2人は踊ることはありませんでした。

 

園長先生の最初の挨拶はこのことだったんだと私は気づきました。

きっと、これまでの様子や当日の雰囲気から、この2人は踊れない、特に、顔を押さえていた子がどうなるかということは園長先生には手に取るように分かっていたのでしょう。

 

1人の親として

 

これは本当に個人差があるでしょうし、その子の親が誰なのかすら私には分からないので、想像でしかありません。

 

しかし、なんとなくですが、顔を押さえてうつむいていた子は、普段から親のプレッシャーが大きいのではないかと勝手に思ってしまいました。

 

子どもからしたら、2~3歳にして初めての発表会です。

 

いくら練習したとはいえ、20人以上の大人がジロジロ見ている前で、笑顔で数分間踊るのはそんなに簡単なことではないと思います。

 

こんなとき、1人の子どもの親として、どうあるべきなのでしょうか?

 

私は正直、娘の踊りが上手でも下手でも、頑張っていても頑張っていなくても、どうでもいいと思います。

 

園長先生の言葉のとおりそれぞれ得意不得意があるし、なにより好き嫌いがあります。

 

人前で踊ることにワクワクする子もいれば、ドキドキする子もいるでしょうし、ただただイヤでしょうがない子もいるでしょう。

 

すべては個性で、そこには正否も優劣もないと思います。

 

仮に、それをムリヤリ成功させようとしたり、頑張らせようとしたりすると、それはプレッシャーとなり、顔を覆ってしまうのではないかと思ってしまいました。

違ったらごめんなさい。

 

私たち夫婦の考え方がすべてではないと思います。

しかし、私たちは、娘にまったく期待していませんでした。

ただその場を楽しんでくれればそれでいいと思っていました。

 

結果的に、娘は笑顔で踊り、家に帰ってからもずっと同じ踊りを繰り返していました。

 

この発表会をきっかけに踊りが好きになってもいいし、ならなくてもいいです。

 

お好きにどうぞという感じです。

 

冷たく聞こえるかもしれませんが、娘を愛しているこらこそ、親が正解やあるべき姿を決めてしまわずにただ見守ることが何よりも重要なんじゃないかと、今は感じています。

 

最後に…

 

実に95日ぶりの投稿です。

サボりにサボりまくっていました(笑)

またちょくちょく書きたいと思います。

読んでいただいた方に少しでもなにか感じてもらえると嬉しいです。

 

第二子が誕生して

 

 

無事に…

 

第二子となる長男が生まれました。

まあここまでの道のりは、不妊治療からの切迫流産、長女とのドタバタ二人暮らし、バニシングツイン、コロナ禍での里帰り出産不可、誘発分娩など、いろいろいろいろとありましたが、とにかく無事に元気に生まれてきてくれただけで、あざすって感じです。

 

2人目が生まれるまでの苦難や、そこまでの心境、様々な人たちへの感謝をここで綴っても良いのですが、せっかくなので、1人目、つまりお姉ちゃんとなった長女にフォーカスしてみたいと思います。

 

お姉ちゃんになる

 

長男が生まれて4日後、感染予防のため一度も会えなかった妻と長男を迎えに、長女を連れて病院に行きました。

 

その瞬間、長女は一人っ子から、弟を持つお姉ちゃんとなりました。

長女は、初めて見る弟を「かわいい」と言い、初日から可愛がってくれました。

 

実は、私と妻は、2人目が生まれる前から決めていたことがありました。

 

長女への愛情を変わらず注ぎ続ける

 

現実に、4人での生活が始まれば、当然下の子に一番手がかかります。

そんなとき、両親はどうしても上の子にワガママ言わないよう求めたり、放ったらかしになったり、八つ当たりしたりしてしまうものです。

それは、親にとっては仕方のないことかもしれないし、無意識なことかもしれませんが、きっと上の子はとても複雑な気持ちになるでしょう。

  • 弟ができて嬉しい
  • でも、親を取られたような気持ちになる
  • 私はいつも後回し
  • 弟が羨ましい

長女は、弟ができたことでお姉ちゃんになりましたが、それは長女が望んだわけでもなければ、長女がお姉ちゃんになれる条件を何かクリアしたわけでもありません。

親が、2人目がほしいと思って勝手に作った子だし、弟が生まれる前日も生まれた翌日も長女は変わらず2歳半の幼児です。

 

親の都合で勝手にお姉ちゃんにさせておいて、勝手に親自身は忙しくなっておいて、いきなり「お姉ちゃんなんだから」だの「お姉ちゃんなのに」だの言うのはスジ違いだと思います。

 

妻も私も2人きょうだいの上の子なので、今の長女の気持ちはとてもよくわかります。

 

なので、2人目ができて嬉しいけれど、変わらず長女への愛情を注ぎ続けることを強く意識しています。

それこそ、「お姉ちゃんなんだから」は、絶対に言わないと決めています。

 

長女の成長

 

まだ弟が生まれて1ヶ月も経っていないのでなんとも言えませんが、今のところめちゃめちゃ面倒をみてくれます。

先日は、服を脱いでおっぱいをあげようとしていました(笑)

 

これからも、長女には変わらず愛情を注ぎ続けて、ときには下の子以上に甘えさせてあげようと思います。

 

そのことで長女が明るく前向きな子になり、結果的に弟にとっての優しいお姉ちゃんになっていってくれるなら素晴らしいことです。

 

長女が望むなら、弟の面倒見やお母さんのお手伝いもいっぱいしてもらおうと思います。

 

そして、長女をいっぱいだっこしたり、話を聞いたりしてあげようと思います。

 

父と娘

 

弟が生まれてからの私の休日の過ごし方は、長女と2人でドライブに行くことです。

 

公園、プール、買い物など、毎週2人で過ごしています。

今度は2人乗りのサイクリングに連れていこうと思っています。

ママと弟が外出できない間にたくさん長女と遊ぼうと思います。

 

 

あらためて、長男くん、

 

生まれてきてくれて、ありがとう。

 

おなかの子の作戦

 

 

なかなか出てこない息子

 

おなかの子がなかなか出てきません。

 

すでに予定日を3日過ぎましたがウンともスンとも言いません。

このままあと4日が経てば、陣痛を人工的に誘発させて引っ張り出すそうです。

誘発分娩と言うそうです。

 

もともと、予定日の翌々日から私は5日間夏休みと決まっていました。

なかなかいいタイミングだなと思っていました。

どちらかというと、早く出てきた場合には夏休み前に仕事休みづらいなあという方が気がかりでした。

 

予定日ごろに出てきてくれれば、ちょうど出産後の数日の妻の入院中は、私が夏休みなので、娘と2人でゆっくり過ごせるし、妻も安心です。

コロナ禍でもあるので、妻の両親にも負担をかけずに済みます。

 

心配していた、予定日より早い出産はなくなりましたが、今度はあまり遅く出てこられても、私の夏休みが終わってしまいます。

 

それはそれで、せっかく夏休み中に入院時期を消化できると思っていたのに、というふうに思ってしまいます。

 

しかし、今日、妻が言った一言で、「遅いなら遅いでいっか」と思えました。

 

なぜ遅いか

 

このまま出てこなかった場合、誘発分娩になる日は、私の夏休み最終日です。

 

そのことを妻はこんなふうに捉えました。

 

「3人で過ごせる最後の時間を楽しんでってことなんじゃない?」

 

なんて素敵な解釈なんだろうと思いました。

 

私は、自分の仕事が休みのうちに妻の出産と入院が済ませられる、それを過ぎるとちょっと困る、というように、事務的に考えてしまっていました。

 

でも、妻の言うとおり、私と妻と娘の3人家族の時間は、あと数日で終わってしまいます。

もちろんそれからは、家族が増えてもっと楽しい時間が待っていますが、特に娘にとっては両親を独り占めできる最後の時間です。

 

私も妻も第一子だったのでよく分かります。

 

これは、これから両親の愛情を分け合う弟からお姉ちゃんへの人生で最初のプレゼントなんだと思います。

 

しかも、誘発分娩となる日は、私の夏休み最終日です。

あと何日かわからない、家族3人でゆっくり過ごせる時間を娘にいっぱい愛情を注いで満喫したいと思います。

 

そして、いつでもいいから、無事に生まれてきてね。