「一緒にいて楽しい人がタイプです」

好きなタイプは?って聞かれて「一緒にいて楽しい人」って答える女が嫌いでした。好きな人と一緒にいるとつらいし、気を張るから疲れるし、それって本当に好きなの?って思ってた。

違った。やっっと意味がわかった。

一緒にいて楽しい、は愛だ!

一緒にいるとなにもかも飛び越えてしまうのが愛なんだった。今までわたしが好きな人と一緒にいてつらかったのは恋で、ただの執着だ。きみが笑えばぜんぶどうでもいいって思えること、汚い執着をどこかへ飛ばせるようなパワー、あーなんで今まで気づけなかった!今までこんなこと全然思わなかったけど、わたしはきみの特別になりたいとばかり思っていたけど、今はただただきみと一緒にいたいです

機嫌が悪い、とは

機嫌が悪そうと言われた!えっ?髪長いだけじゃない?

文化祭の劇、怖い役が似合いそうと言われた!「魔女とか!」えっ?髪長いだけじゃない?

髪切ったろと思ったけどもしかして髪長いのが原因ではない?もっと別の理由?まあ確かに表情が豊かな方ではないけど!

でも全然知らない人とか親しくない人にニコニコしたりはできるんですよ、しかも多分結構うまくできてるんすよ!その上かなり親しい人には楽しいとき自然とニコニコできるんですよ、意識してないけど!めっちゃ笑ってるなっておもう!機嫌が悪そうってなに?誰とも喋っていないときもニコニコしていればいいのか?どういうこと?言っとくけどわたし機嫌悪いときとかあんまりないからな!ちょっとどうにかしたいなと思った!顔かな!顔なのかな!明るく朗らかなキュートなひとになりてえ!

愛について書こうとしていたのに全然別の話になった

憎しみは身を焼くというのはわたしの人生のモットー?どこかで聞いたのか自分で思ったのかわからないけど、なんというか、よく自分に言い聞かせる言葉のひとつで、憎しみとか怒りとかは外側に向かった感情のように見えて、実は自分の中身をえぐっている部分の方が大きい。外側に4向かっていたら自分には6向かっている。他の人は知らないけど、わたしはいつもそうだから、誰かを憎んだりとか本当に、本当に嘘くさいのは分かっているんだけど、本当にしたくない。楽しいとか嬉しいとかかわいいとか、ピースフルな生活がしたい。 でも生きるのってそういうものだけじゃないじゃないですか。自分の好きな人に近づく女は全員媚びて見えてムカつくし、成績よくないくせに教師を馬鹿にする同級生はどうしても見下してしまうし。それでも自分は好きな人に好きだとも言えないしたぶん結構媚びているし、満点取れるわけでもないのに授業もきいてない。そういう矛盾をわたしは受け入れて生きていくしかないわけで、憎いと思ってしまう自分のことを愛しいとさえ思わなければいけない。人間らしさだ、とか思って。だって人間きれいなだけじゃないじゃないですか。きれいなだけじゃなくて汚いことも含めて人間でしょ、自分の汚いところ否定してしまったら、それってわたしを否定することとイコールじゃない? なるべく憎しみから遠ざかるにはどうすればいいんだろう?人とあまり関わらなかった時期が昔あったけれど、その時は全員死ねって思ってたし別にわたしもいつでも死んでやるよと思ってた。関わりが増えてきたら、全員死ねとかはあまり思わなくなったけれど、憎しみはやっぱりなくならなかった。好きな人がいるときは憎しみが倍増する。なんでだろうね、好きな人のことも憎くなってくるし(でも好きなんだけどね)、少しでもなにかあるとイラッとするしムカつく。こう思うと憎しみは執着から生まれるのか?でも執着なしで生きていくなんて無理だ、人間いっぱいいるしひとりでは物理的にも生きていけないし。 とかそんなことを考えてバレンタイン、愛について書こうと思っていたのに、全然違う話になった、生きることはままならないし、それでもきみは今日もかわいかった。

はじめた

はてなブログをやっている人の書く文章があまりに面白いので衝動的にはじめてしまった。


わたしはJKです。ほんとうです。田舎であることを誇りに思う地元人とそれを見たがる観光客でなりたつクソ田舎で元気にくらしています。


ここを出ていくまでの時間が2年をきりました。わたしは将来ピアノでごはんを食べていけるようにと今いろいろしています。


このブログでなにを書くかはきめていません。自分だけの公開にしてただのグチ日記にするかもしれない。そもそも続かない気もする。わたし日記とか続かないしな。そしたらわたしが死んだときの遺書にしかならないのかあ。関係者の皆さん、あんまりジロジロ見ないでね。