わたし孤独になります

ぐるぐるです。27歳都内女性会社員。

共依存?

 前記事の関連で、共依存って、そういう相手もいないし自分には関係ないと思ってたけど、依存相手を配偶者や人間じゃなくて、社会にするとすごく自分に当てはまる気がする。

 それとも、相手が人間じゃなければ共依存という概念は成立しないんだろうか?


 たとえば、「必要とされることを必要とする」とか「自分のことは後回しにする」とか「救済したがる」とか「より問題のある相手を求める」とか、すごく当てはまるんだけど。


 

なぜ恋をしてきたか

 私は、一度誰かを好きになると、平気で2年とか3年とかのスパンで片思いを続けるタイプの人間だ。もちろんその間にお付き合いに発展すれば、その時点で片思いは終了なのだが、たとえば相手が既婚者だったり、脈なしだったりした場合、数年単位で、好きでい続ける。

 そして、好きになるのは大抵ものすごく年上かつものすごくスペックの高い人だったりするから、うまくいかないことの方が多い。


 この前、そんな自分の恋愛傾向について他人に話したとき、相手に「あなたは、その人が好きなのか?もしかして、生活に刺激を与える必要性から恋愛しているのでは?」という内容の指摘を受け、あぁそうかもな、と思った。


 だが、私が必要としているのは多分刺激ではなく、「生きる理由」「現実世界に留まる理由」ぐらい切実なものなような気がしている。

 思い返すと、誰かに恋をしていない期間、私は空想の世界に傾倒することが多かった。本や漫画を読んだり、自分で作ってみたり、他には歴史上の人物に傾倒して、その時代や人物について徹底的に調べてみたり、その人の信念や発言を内面化しようとしてみたり。

 同時代の生きてる相手ではないが、擬似的に恋をしているような状態だったような気がする。


 そう考えると、私には恋をしていなかった時期が無い。

 恋と言うとすこし意味が狭いが、要は常に、実在であれ非実在であれ、誰か自分のガイドとなるような人を必要とし、実在であればその人と一緒にいられることに価値を、非実在であればその人に少しでも近づくことに価値を感じながら生きてきた。

 私がこれまでの人生で立てた目標や、こっちに進もうと決断した方向性で、ガイドとなるべき人物無しに決められたものはない。

 いつも「先生に恋をして勉強する」「歴史上の人物に恋をして進路を決める」「同僚に恋をして仕事を頑張る」という傾向があった気がする。


 もしかしたら現実というのは、私にとってあまり好ましくないものなのかもしれない。それを自覚すると辛いので、現実を率先して生きていくために恋とか、傾倒が必要なのかもしれない。

はじめに5

そう考えると、もしかしたら、自分の思想を因果関係を辿るようなやり方で、過去から現在へ辿ったところで、意味はないのかもしれない。

思想が物事を規定するのではなく、わたしが持っている能力が物事と思想を規定しているのかもしれない。

マルクス唯物史観じゃないけれど。


そうして、文転したわたしが進んだ大学は、第一志望ではなかった。

行きたい大学は私立だったのだが、親の、わたしの学費よりも自分の老後によりお金を回したいという意向が強く、奨学金とバイトで学費と生活費を稼ぐことも考えたが、どう計算してもこれ勉強とかする時間なくなるんじゃない?と思い、第一志望の私立は諦めた。

こうして客観的に考えると、その時こそ影響を受けた中国のドキュメンタリー「若者たち」を思い出して頑張る時だったのかもしれない。我が身の安寧より未来の何かに向かって邁進することを本当に望むなら。

でも結局わたしは第一志望の私立は諦め、家から近い国公立に進んだ。

勉強して、頑張れば、この大学卒でも何とかなるんじゃないかと思っていた記憶がある。

(これも)今から思えば、卒業した大学名がその後の人生に与える影響は、ほぼ不可逆的なもので、そこを社会に出てから、もしくは出るタイミングで逆転するなんて、その手前で逆転することの何十倍も難しい。そのことをよく理解していなかった。


けど、今の職場が自分にとって役不足だとか、そんな状況でさえもないので、つまり、今わたしは職場の上の下におり、わたしより頭の良い人達はわんさといるので、あの時第一志望の大学にさえ行っていれば自分の人生は違っただろう…と思う気にはなれない。

はじめに4 注釈

そして、進路選択をする高校生になるのだが、ここで注釈…ではないが、書いておかなければ、事実からこのブログの内容が乖離してしまいそうなことがある。

ここまでまるで一つのストーリーに因果関係がすっぽり収まるかのように話を進めて来たが、事実はそうでもない。

進路選択の時点で、わたしはまだ迷っていた。

ケネディの演説に影響を受けたことも事実だが、同時にNASAとかJAXAでロケット作りたいなぁなんて大それたことも思っていて、一旦は理系に進んだ。

だが、どうも自分は数学と物理が壊滅的に苦手らしいと気付き、文転したのだ。

あのまま、もし理系科目も悠々と得点する能力があったら、ケネディとか何とか関係なく、エンジニアになっていたかもしれない。

はじめに4

なんか、ひとつ前の記事。「はじめに3」の最後の一文が、自動的に太文字で表示される病にかかってしまったようだ。

強調する意図とか全然無いんだが…。

なにかの自己啓発本みたいで恥ずかしい。


今回は、前回までの流れと少し離れて、もう一つ、わたしの人格形成に影響を与えたんじゃないかなと思うことについて書きたい。


わたしが小学生の頃、テレビの単発特集で、中国人の監督やスタッフが在日中国人の様子を何年かかけて撮影した、ドキュメンタリーが放送された。

日本のみならず中国でもすごい反響だったようだから、ご存知の方も多いだろう。

シリーズ物で、父親の仕事の都合で来日して日本の小学校に通う女の子を撮った「小さな留学生」と、日本の大学進学を目指して来日した若者2人を撮った「若者たち」、あと、日本の大学院博士課程で博士号の取得を目指す中年男性とその家族を撮った「私の太陽」、いちばん最後に放送されたのが「泣きながら生きて」の、あのシリーズだ。


小学生だったわたしは、中国とはあんなにガッツのある人達が13億人もいる国なのかと畏敬の念を覚えた。

まぁ、後に、13億人全員あんなではないよ、それは無理だよ、と思い直したが、今もなおどこか、中国と中国人に畏敬の念を抱いているのは、間違いなくこのドキュメンタリーの影響だ。


それから、今が苦しくて辛くても、どこかに向かって脇目も振らずに進むんだ、という価値観は当時のわたしにとても響いた。

そういう姿勢、つまり、割と我が身の安寧とか幸福を省みず、未来の何か、どこかに向かって邁進したいというメンタリティは今もわたしの根幹にあると思う。


ちなみに、わたしはその時からずっと、いつか中国に行ってみたいと思い続け、10年後、大学一年生の時北京に初上陸を果たした。

はじめに3

はじめに、がいくつ続くのだろう。

ケストナー飛ぶ教室は、延々続く「はじめに」が秀逸で、北杜夫もそれを真似てなにかの小説(さびしい王様、だったかな…?)で壮大な「はじめに」を書いていて笑えたが、(ちなみに北杜夫の小説では、怪盗ジバコが一番好き)、わたしは小説家じゃないので早めにまとめたい。


小学生の頃夢中になった本の話をしたので、ついでに中学生で夢中になった本の話から入る。

ちなみに、今まで列挙したなかに漫画類が一切入っていないが、それはべつにわざと省いた訳ではない。

小中学生の頃は、本でないと親に買ってもらえなかったので、本当に、手塚治虫ドラえもんぐらいしか漫画は読んでいなかった。昭和の少年か。

大学生になって初めてジャンプ系の漫画を読んだときは、速やかにハマった。デスノートとか銀魂とか、そのあたりをはじめに読んだと思うが、遅れて来た中二という感じだった。


さて、中学生の時夢中になった本だが、太宰治とか中島敦とか、当時好きだった、語りたい小説はたくさんあるが、ここではやめておく。この頃は、小説だけでなく、ノンフィクションもたまに読むようになった。

アメリカの超エリート高校に留学した日本人高校生(あれ、中学生だったかな…)の体験記とか、歴史解説モノとか。

そして、わたしの進路に影響を与えたのが、落合信彦ケネディからの伝言だった。

…ちょっとドラマティックに書いてしまったが、本についての詳細は、その割に覚えていない。

ただ、ケネディ大統領の演説のなかでも有名な大統領就任式での演説と、平和のための…なんちゃら…とか言う演説が(どこかの大学の卒業式で行った、平和は理想主義者の空想などではない…みたいなやつ)、衝撃的だった。あのスピーチを書いた人はすごいが、何よりアメリカの大統領がそれを言ってることが衝撃的だった。

理想を掲げながら現実に道すじを探してくれる人がリーダーの座に居ることが、あまねく社会の末端にまで希望をもたらすのかと感動した覚えがある。

政治家というと汚職ぐらいしか浮かばなかったイメージもがらりと変えられた。

そこで初めて、小説の中ではない、現実の社会に興味を強く持ったような気がする。


はじめに2

自分について、書かなくてはならないことが多すぎて何から書けば良いのか整理がつかない。


とりあえず、暗い話題を先に片付けよう。それから今の業界を目指したきっかけについて書いてみよう。


暗い話題というのは、よくある話で、家庭のこと。

私の家庭はサザエさんみたいな普通の家庭ではなかった。(サザエさんは普通の家庭なのか…?)

キーワードを並べる感じで説明すると、母子家庭・保護者が精神病・でも入院するほどでもなかったので傍から見れば普通の家庭。

最近、親が統合失調だった人の漫画が流行っていた気もするが、私の家はあそこまで重度のめちゃくちゃではなかった。

たしかあの漫画では、日常的に子供は殺されそうになってたが、私はせいぜい10年に1回か2回くらい。

ご飯は、夕飯だけは毎日出てきた。

夕飯の団欒がどんなものかについては、太宰治の「人間失格」の団欒シーンを参照してもらえるとピッタリかもしれない。

太宰治はさすが小説家だけあって、あのなんとも言えない重苦しさとやり切れなさと虚しさを素晴らしく表現してくれている。


家庭については、今までいろいろあった気がするんだが、いかんせん全部覚えていては絶望感で身がもたないので、ほとんど忘れてしまっている。ほぼ記憶がない。


とにもかくにも、現実世界がそんな感じだったので、必然的に私は、小さい頃から本を読んだりして空想の世界に逃避することが多かった。

小さい頃の楽しかった思い出はなにも思い出せないが、読んで面白かった本については、当時のワクワク感も含めてありありと思い出せる。

もしかしたら私にとっては、現実が非現実で、非現実が現実だったのかもしれない。

どんな本が面白かったかというと、まずミヒャエル・エンデのモモ。これは単純にストーリーがハラハラした。同じ要領でストーリーが好きだったのが、ヴェルヌの海底二万マイルとか、地底旅行。気球で世界一周するヤツは残念ながら読んでいない。

あと、ケストナー飛ぶ教室。これは、登場人物のベク先生が大好きすぎて、その暖かい人柄に憧れを感じながら何度も読んでいた。

あと、私の世代だとみんながハマった、ハリーポッター。これも、私は温厚なルーピン先生が大好きだった。

あとは青い鳥文庫で出ている探偵のシリーズ物(夢水清志郎シリーズとか、三つ子がワイワイしてて好きだった)とか、シャーロックホームズも大好きだった。

あしながおじさんは1より2の続編の方が好きで、というのは、続編に出てくる気難しいアイスランド人医師(名前を忘れた…)が好きだったからだ。


小学生の時好きだった本を並べていたら、長くなってしまったので、この仕事を目指したきっかけについてはまた今度にする。