うーん、話を受けて一晩考えたけども、
やはり心に聞くまでもなくどうしたいかは決まっているな。
あの人、多分かわい子ちゃんに俺はちゃんと実行力のある人だぞって、見せつけたいんだろう。というかまあそれが仕事だからそうもなるだろう。
多分、そういう方向に舵を取ってあなたは嫌だと感じるかもしれません。でもやめない覚悟ありますか?の確認だろう。
実際にそこで自分に何か今後の行動にものすごく期待しているわけではないはず。
でもまぁよく動こうという風になれるなぁ。とシンプルに尊敬します。
さらに上が決めたことかもしれませんが。
本心ではその人もそこまで和気藹々なんて求めてないのだろう。
ただこれ以上いなくなる人を増やさないように。良い方向になりますように。と。
自分はやはり馴れ合いも個人間での繋がりもいらない。っていうかやめて。の方向なんだよね。どうしても。繋がりたい人間がいる一方でやっぱり心乱されたり引っ張られるのがものすごく苦手な人種がいることも理解して欲しい。
決して近くの人を嫌ったり恨んだりしているわけじゃないし、むしろ親しみを抱いてすらいる。無理やり表面上をつくろうのが苦手ですごく消耗してしまうから、いっそのことそのカロリー消費を避けているっていうのも、自分にとっては生きる術だったりするんです。
多分それはもう承知の上だろう。あとはあなた孤立しちゃっていづらくなってダメになりませんか?というヒアリングの意味もあるのかもしれない。親しくなるここがチャンスですよ。と
正直、大きなお世話じゃボケと思ってしまう最低最悪な自分もいたりする。もうこんな救いようのないやつはほっといていただいて大丈夫です。やることはきちんと誠実にやりますので。気味が悪いかもしれませんがほっといて欲しいです。聞かれたら答えます。うん、やっぱりこのスタンスだよ。あと最低限の礼儀を持つこと。
うん、やっぱそれだ。そして一分一秒でも早く立ち去るスタイル。一人でこそ心が休まる人種なのだ。それって悪いことじゃない。自立している立派な生きるスタイル。悲観的になるのはよそう。もちろん一人で生きれると思っているわけではない。ここまでやって来れたのも他の人たちがいたからこそであり、また自分含め一人一人の力のおかげもある。
自分のやるべきことを放置してまで向いていない部分に消費していく余裕はない、っていうのを前提に少しでもまた自分も誰かの助けに慣れたらそれは自己肯定感が上がる、いわゆる情けは人の為ならず精神だとは思う。
これまでよりもそういう場面があればちっとは朗らかに、だけど自分のスタイルは貫く。不器用な人間であることを認める。そしてうまくいかないと思うけど、それもそれでしゃあない
なるようにしかならん。