2019/02/05~ 6泊8日中欧旅行日記

1日目

 

5時起きで成田へ。

 

9時55分集合なのだが二子玉川発のちょうどいいバスは9時50分着予定で心配で一本早くした結果6時半発のバスに乗らねばならず、となるとバスもないのでタクシーを予約するわけだがどのタクシーアプリでもだめで、最後の望みを託した一日前から予約可の東京無線のアプリで前日0時過ぎに予約したら6時だとダメだったがダメ元で5時55分にしたら行けたのでそれに乗った。

 

10分もしないうちに二子玉川駅に着いたのでまずコンビニで車内用にコーヒーを買ったが、まだ15分はあるので24時間OPENのマクドナルドに行きプレミアムローストコーヒーを飲んだらもうお腹がタプタプで車内ではコーヒーが飲めなかった。次回からは車内用のコーヒーは要らないな、機内持ち込みできないから飲み干すの大変だし。

 

バスに揺られて2時間ちょっとで予定通り成田着。ラウンジで休憩。やっぱりラウンジはいい。一枚ゴールドカード持っておくべき。アルコール一杯サービスだったが飲む気はなかったので断った。ここでもコーヒーはあるしやっぱりコンビニで買う必要ないな(確信)。

 

親と合流して集合場所に行きeチケットの控えを受け取り。とっととチェックインして両替。行く国的にはフォリントとコルナとユーロにそれぞれ変えないといけないし添乗員もそれを勧めていて親も心配していたが、調べたところ旅行者ならユーロで大丈夫ってブログ記事を見かけたのでそれを信じてユーロだけ手に入れて中へ。今回は日本旅行だったがJTBのときはロビーで集合して更に中に入ったらまた集合して、という感じだったのだが、日本旅行は現地までは集合なし。割と放任だな。

 

出国審査が自動チェックインになっていてパスポートを向きに合わせて入れたら終わりだった、すげー楽。一昨年の秋にSF行ったときにはなかったから去年作られた設備だな。

 

フィンエアーでトランジット先のヘルシンキへ10時間半の旅。飛行機が新しくて座席がきれい。シートピッチもそこまで悪くはない。前SF行ったときのノースウェストだかユナイテッドだかの方が狭かった気がする。また機体が新しいためか寒冷地の航空うがい者だからなのか機内が高空でも寒くなく快適だった。KLMのときはもっと寒かった。

 

この空の旅は順調に行き過ぎて40分早く到着。トランジットまでの時間が2時間40分に延びた。ここでの入国審査も前半分が自動。時代を感じる。審査官に日本語で「ヨーロッパイツマデイル?」と訊かれた。前の子は日本語だとわからなくて戸惑っていた。

 

 

流石にフィンランドだけあって外は寒そう、雪も降ってる。今年初めて雪を見たな多分。空港はスキポールほど広くはなくて待ち時間で大体ぐるっと見て回れた。ムーミンショップは大したことがない。マリメッコイッタラとか眺めるのは楽しい。reindeerの毛皮が無造作に売られててすげー惹かれた。130ユーロくらい。いつもスキポールで買ってるチーズ4個セットも30ユーロで売ってたので帰り買ってもいいかも。

 

 

定刻(確か17時50分)が来てブダペスト行きの飛行機に。今度は3-3の狭いやつ。これが順調に飛ぶかと思ったら水がかかる音がしたら窓を見たら茶色い水が上からたれてきてビビった。どうも機体についた雪を落とすのに溶融剤かけられてた様子。30分ほど遅延。遅延中にもってきたトラベルSIM(amazonで1450円、2GBで30日)をスマホに入れてアクティベート。

 

この遅延のままブダペストに到着。現地ガイドと合流し、バスでホテルに移動。このときはベンツのバスだった。思ったほど寒くはない。タバコ吸ってる人が多くてそういやこっちはこんなだったなと思い出す。

 

そういや春節の影響か2年前イタリアに比べても中国人が少なかった。

 

 

ホテルはやは事前に調べて思ってたとおりショボい。全ホテルSクラス!って旅だったのに。まぁこのSクラスは日本人基準で普通のホテルがAの一つ上でsuperiorの意味だから実はそこまでよくもないのだが。なにせ一泊8000円(booking.com)の宿である。バスタブがないしベッドもシングル。まぁ清潔だしお湯は出るしポットもあるからいいけど。

 

 

疲れていたがホテルの裏がスーパーなので早速見に行って、パプリカやらトカイワインやらフォワグラやらの値段を確認し、水だけ買って戻った。クレジットカードは普通に使える。水はガス入りとガスなしがあり、ハンガリーではピンクのキャップがガスなしとのこと。500mlで110フォリントくらいのがあったのでそれを買った。

 

帰ったらシャワー浴びて着替えて10時には就寝。

 

2日目

 

4時起き。睡眠の質自体は良かったのだが、どうも年のせいか長く寝られないこのところ。さておき。

 

6時から朝食とのことだったのでスマホ見たり当日の準備やらお茶飲んだりやらダラダラして過ごしてレストランに行くとまだ開いていなく6時半からと言われ、仕方なく6時から開いているスーパーに今度は親と向かう。チョコやらガムやら買って戻ったところで朝食。よくあるアメリカンブレックファストだがチーズとハムがうまいからこれで良い。朝からガッツリ食べるのはアジア旅行だけである。

食べたら8時半から観光開始。王宮の丘に行ってマーチャーシュ教会や聖イシュトヴァン大聖堂を見る。人が少なくて快適。やはり季節的な問題らしく添乗員さんいわく夏は混んでいるそうだ。

 

提携のお土産屋に行ってフォワグラとトカイワインを試食。トカイワインは使っているぶどうの種類によって番号がついていて6番が一番高級品らしい。レーズンみたいな風味があるのがアイスワインとは違うところか。

 

 

昼食にグヤーシュをいただく。どんなもんかと思っていたが牛肉のワイン煮込みにパプリカ足したような感じ。ニョッキが山盛りでザウアークラウトが添えてあった。ニョッキ、食べてみたらジャガイモっぽいから調べてみたらやっぱり半分はジャガイモなのな。

 

 

午後はエステルゴムに移動して大聖堂見学。人気がなくて本当に観光地なのかと思うほど。わりかし地味。ここで音声ガイドを亡くしたかと思って焦る。さっきの店に置き忘れたか?と思って添乗員さんに言ったけどなかったらしい。もう一度よくボディバッグ見たら出てきた。焦った。

 

 

 

大聖堂を見たらすぐセンテンドレへ移動。軽井沢みたいに丘の坂道に沿ってお土産屋が並んでるような街。コバーチ美術館に行きたかったが改装のため閉館中だったので散策と買い物だけ。マジパン使ったチョコレートの店でバラマキ土産を買い、革製品の店で義弟の手袋を買った。ばらまき土産といいつつ一個150円くらいしたからあまりバラマキ気分でもないが。一口大のチョコレートケーキっぽいものの味が超濃いのでコーヒーブレイクにはちょうどよさそう。革製品の店は実にセンスが良く、1万円とか2万円くらいで大きなセンスのいいバッグが買えてとても良さそうだった。

 

 

バスに乗ってまた移動して今度は桟橋からドナウ川クルーズ。貸し切り船で日本語音声案内を聞きながらドナウ両岸の建物の話を聞く。ライトアップが派手すぎない程度にされていて夜景がとても綺麗な街。建物の調和が取れていて良い。

 

 

その後ディナーへ。これが民族音楽と踊りの店で食べ終わってるのに音楽と踊りが終わらず食傷気味だった。とりあえず礼儀として5ユーロのチップねじ込んできた。

 

ディナーの店のワインがサービスだったので飲みすぎたためとっとと就寝。

 

3日目

 

 

5時起き。9時出発なので余裕があるので朝の散歩へ。ホテルの前が公園なので小一時間歩き回る。植生が日本と全然違うので面白い。運動器具とかあるけど霜がかかってるくらいだから誰もいないのも良かった。

 

朝食を取り、スーパーで今日の分の水を手に入れたらチェックアウトしてバスでスロヴァキアに出発。

 

途中一度の休憩を挟んで三時間。ブラチスラヴァに着。現地ガイドと合流。Lubomira さん。まだ共産国だった頃に民族舞踊の踊り手として来日したこともあるそうだ。モスクワに飛行機で飛んでナホトカに電車で行って船で横浜に行ったと言っていた(後一個くらい挟んでた気もする)。お名前の意味は愛と平和。スロバキア人の名前はシンボリックなものになるそうで、地名もストリート名もそんな感じに組み合わさっていた。ウラジオストークみたいでスラヴ感ある。

 

 

まずはブラチスラバ城の外観を見学しつつ解説を聞く。本日はメルケル首相が来てるとかで警備があって正面が封鎖されていたため周囲を回った。

 

城は4つの塔が四隅にあるのでテーブルをひっくり返した城、みたいなあだ名があるそうな。13世紀にタタール人、15世紀にモンゴル人、17世紀にナポレオンに壊されたので何度も建て直されてるそうな。一次大戦のときにも壊されたと言っていたような。火事があって中身が焼けて壁だけ残ったと言っていた。

 

 

敷地内にあるレストランに移動して昼食。クライダというクリームスープを頂いた。昨日のスープより美味しい。モノはただのホワイトシチューに思えた。頼んで出てきたビールはチェコビールだった

 

 

午後は旧市街観光。町並みが綺麗。30分ほどの自由時間があったため、スロバキアははちみつが名産とのことで(これはチェコハンガリーもだけど)、調べておいたはちみつ屋に行ってミードを購入。750ccで10ユーロ。下手なワイン買うより良さげ。

 

まだ時間があったので集合場所の日本大使館の隣りにあるお土産屋を見ていたらガイドさんが人形を指さして「これが民族衣装。私これ着て踊ってた」みたいなことを言っていた。白地にところどころ赤い実があしらってあるような服。かわいい。

 

それからバスまでを観光名所を眺めながら移動。街に入る3つの門の跡や藤子ヘミングが演奏したホールやら音楽大学やらがあった。あとペスト記念柱。スペインでもイタリアでも見なかったなこれ。

 

とにかくガイドさんが言っていたのはスロバキア人は長らくハンガリーの一部で自分の国がなかったという話。93年にチェコスロバキアが別れて国になって2004年に国連に加盟したという話を何度かしていた。モラヴィアの話もしていたが25年ぶりくらいに聞いた気がするその名前。

 

バスに戻ったら一路ウィーンを目指す。1時間位で着いた。近い。順調に来たのでホテルにチェックインして荷物を置く時間があった。今度はブダペストより良い部屋で(booking.comで1.5倍くらいしたから当然な気もするが物価が違うのでなんとも言い難いところがある)、バスタブがある。ただ電気ポットがない!ガイドさんに聞いたらもしかしたら受付で貸してくれるかもとのことだったので訊いてみたら(電気ポットの英語がわからなかったからelectrical potと言ったが受付の人はteapotと言っていた。お互い間違ってる気がする)貸し出してるとのことだったのでデポジット払って借りた。20ユーロ也。

 

 

一休みしたらまたバスでウィーンの居酒屋ホイリゲに移動。なんか店の前に松葉を飾ってあるとワインの新酒を出してるよって意味らしい。杉玉みたいだな。山盛りのチキンとポークとソーセージを肴にワインを頂いた。

 

オーストリアはどうやら法律なんだろうけどスーパーが20時に閉まるのでこの後することがなくさっさと就寝。

 

4日目

 

 

やっぱり5時くらいには起きてた。8時出発なのであんまり余裕がないと思いきや早起きなので結構余裕がある。朝食は6時半から。

 

なんかやったら空いてて快適。何故かおかゆがあった。アジア人が多いのかな?

 

 

曇天で地面も湿っているからちょっと嫌な感じがする中シェーンブルン宮殿へ。毎回現地ガイドさん一回くらいは日本人なのにねー、なんて話てたら本当に日本人の方が来た。誠子さん。国家試験受けてガイドの資格を取った人。国家試験パスしてないと中入れないそうだ。

 

朝一番なのと冬なのでものすごく空いていて快適に見学できた。誠子さん曰く、「ヨーロッパ観光は冬に限る。」同感である。

 

大理石の床を歩いているだけでも楽しい。調度品もさすがの絢爛豪華さ。崩壊したのによく残ってたなこんなに。担保に取られたけどそのまま保存したのかね。

 

シェーンブルン宮殿は夏の宮殿だそうで、冬はホーフブルク、市街にある。これの上はアパートになっているそうで、92平米で600ユーロの家賃だとか。これはマリアテレジア法の名残で直系の子孫ならその額のまま借り続けられるそうな。窓際にプランターを置いてはならないそうだ、景観の問題で。

 

 

見学を終えたら市街へ移動。美術史美術館へ。クリムトの絵やらラファエロの絵やら見られて良かったが、やっぱり絵より建物や調度品のほうが気になる。雰囲気がいいんだな。10時ぴったりに開いて入場。この辺ドイツ的正確さを感じる。フランツヨーゼフが23年もかけて作ったのにクリムトのフラスコ画が派手すぎて気に入らず保守的な人だったので憤慨してオープニングセレモニーにしか来なかったそうな。

 

 

見学後は徒歩で拠点となる市街の端のWaltzという免税店に移動。なにか買えば荷物を預けられるとのことで小さいザッハトルテのパッケージを買って荷物を預け、レストランに移動して昼食。

 

 

ミラノ風カツレツみたいのが出てきた。2年前のイタリア旅行時に出てきたミラノ風カツレツより美味い。このあとフリータイムなのでビールは自重してノンアルコール。ノンアルコールビールでもちゃんと泡立つし結構美味いのが流石。

 

 

食事が早めに終わってフリータイム。年の近い親子連れの方と途中までご一緒することに。とりあえず15時に聖ペーター教会でコンサートがあるのでそれまでにオペラ座見学ツアーの時間を調べるのとカフェザッハーを覗いてみるタスクを消化することにしてまずはカフェに向かったら丁度空いていたので聞いてみると五分待ちとの事でとっとと入ることに。この辺スペイン旅行以来機会主義者。

 

二階の角の窓際の席に案内してもらえてなんかラッキー。赤い布張りの椅子に落ち着いた調度でとても良い雰囲気。

 

絶対一人一つじゃ食べきれないからとケーキセットとカプチーノを頼んで各々二人で分け合ったが正解だった。事前に脅されていたほど甘くもなく、アプリコットジャムがアクセントになっていていい味。砂糖の入っていないホイップクリームが添えてあってこれと一緒に食べるとまたさっぱりした感じで良い。胃が良ければ寧ろカプチーノよりはウィンナーコーヒーが良かった。次にどこ行くか話してたらあっという間に一時間ほど経って会計。チップなしの明朗会計だった。

 

 

コンサートまでにツアーがあるか確かめようとオペラ座に行くとチケット売ってる男たちがたくさん。どうせボッタクリだと思って相手にしなかったが後で調べてみるとどうやら何処かでクラシックコンサートがあってその正規のチケット売りらしい。ただ39ユーロとか49ユーロとかって話だからどちらにせよ行かなかったが。

 

受付らしきものがなく入り口に行くとチケットブースは裏手に回って道を挟んだ向かいだということで行ってみたら垂れ幕があるわけでなくオペラ座と書いてあるわけでなく本当にここかと思うようなオフィスだったが意を決して入って聞いてみるとあってた。すげーわかりづらいな!ただ訪ねたら今日はツアーはないとのことで諦めて聖ペーター教会へ。

 

なんとなく牧場みたいな臭いがしてなんだろうと思っていた疑問を馬車が走っていくことで解消しつつ徒歩で教会につきペスト記念柱見てから入るとだいたい15時。こぢんまりながら立派なフレスコ画にパイプオルガンに色々あって割と豪華な雰囲気の教会。コンサートは30分ほど。久々にパイプオルガン聞いたな。これが無料とは素晴らしいね。終わる頃になると丁度正面玄関の上の窓から西日が差してキリストの絵に光が当たるようになっていて美しくて感心。考えて作られている。一応少々の喜捨をして次は聖シュテファン大聖堂へ。

 

こちらは正面より側面の外観のほうがタイル張りが見えるし南塔も見えるしで映える。中に入ると先ほどとは変わって暗い雰囲気。暖房もあまり効いてなくひんやりしていた。多分こういうのがフランツヨーゼフ1世の好みだったんだろうな。カタコンベツアーがあるとのことだったので行ってみたかったのだが16時半からと40分後だったので断念。ここで親子連れとはお別れして市内散策へ。

 

この時期は欧州はセール中なのでデパートに入ってみたら他はともかくベビー服が安かったので姪と母の友達用に購入。姪はともかく何で母の友人のぶんまで買っているやら。

 

 

それからホーフブルクに行ってみたらもう大体閉まりかけだった。開いてるところもあったが絵画はなさそうだったので止めて移動。ベルヴェデーレ宮殿にも行きたかったがもう母が疲れていたので止めてザッハーに再び行ってお土産のザッハトルテを買い込みWaltzで荷物を回収してナッシュマルクト市場見ながらホテルに戻った。途中スーパーによってサンドイッチとバナナを夕飯に買い、ついでに安かったからリンツのチョコレート買って水買って戻って早めに就寝。

 

5日目

 

やっぱり5時起き。そういえばこのホテルはNHKが映るので日本のニュースなど見ながらパッキング。同じ番組何回もやるのねNHK Internationalは。

 

 

またパンにたっぷりのハムとチーズを乗せたのとカットフルーツにコーヒーで朝食毎日これでいいんだよなー。次の職場は朝ご飯も無料なのでこんなならいいなあ。

 

バスでチェスキー・クルムロフへ。これは結構遠い。三時間くらいか。

 

 

山に向かっているので雪景色になってくる。大体東京から長野とか新潟に移動している感覚か。

 

着いたらガイドさんと合流。ミハエルさん。日本語割とカタコト。13000人くらいしかいないこの街の出身だそう。アンチョコ見て何回も同じこと言うから覚えてしまった。

 

 

13世紀に作られてそれから改築してるからゴシック様式だったりバロック様式だったりルネッサンス様式だったりがある。壁が漆喰で塗ってあったのが印象的。フレスコ画。スグフィート。イタリアから来たそうだがイタリアで聞いた覚えがない。僅かなフリータイムの間にお土産屋やら何やら眺めてたらチェコの靴ブランドBATAの店があってセール中で499コルナとかで売っていたので長居したかったが時間がなくて断念

 

 

昼はマス料理とあったがつまりはグリルだ。ビールは昔城内にあった醸造所が移設された街の中の醸造所で作っているものだそう。土地柄何飲んでもうまいね。

 

街を離れたらプラハに移動。これは1時間くらい。どの都市もそうだが明かりが少なくて夜は暗い。光害対策なのかな?雰囲気あっていいけど。一見したところ人が少なそうでやはりシーズンオフは最高だ。

 

 

一旦ホテルにチェックイン。この日はヒルトンホテル、中が吹き抜けになっていてやったら豪華!部屋は電気ポットもあってバス・トイレ別。ただやっぱりベッドは狭めでセミダブル程度。この旅で何度か床で寝たしな、なんか寝心地悪くて。

 

なんかエレベータのシステムが特殊で完全予約制で内部には階数指定ボタンがなく呼ぶときに行き先をタブレットに入力すると最適なエレベータを案内されるシステムだった。分かりづらい。

 

 

夕食に行くバスの集合まで1時間半ほどあったので目の前にあるスーパーに偵察へ。チーズが安い!あとチョコレートウェハースも安い!キャビアもある!物価が全体的に安い!バラマキ土産は全部ここで買えばよかったな。

 

眼の前のスーパーのあるビルを抜けると駅に出る。この駅の隣がまたスーパー。こっちの方が広い感じ。こっちはキャビア100gが売っていたが赤い方しかなかった。セール中のも次第でさっきのスーパーと使い分けると良さげだがそこまで気にしなくてもいいか、安いし。

 

カジノがあったので覗いてみたが狭いし掛け金安くはなさそうだったから見るだけにした。

 

 

この日の夕食もビアパブ的なところ。旧市街の方。大きいバスは止められないらしいが2,3分で下ろすからと停車させてもらった。ビール3種類の試飲付きとのことだが一つが300mlはあったので3つ飲むと900ml。メインは4つから選ぶ形で牛肉の煮込みのベリーソースにクロケットがついてるものをチョイス。これが量が多くて多くて大変。まぁ日本以外どこも多いんだよな量。

 

だいぶ飲んで酔いが回っていたのと観光で14000歩も歩いてて疲れたためスーパーでお土産は買わずに就寝。

 

6日目

 

いよいよ観光最終日。

 

 

やっぱり5時起きで。ここはコーヒーポットでコーヒーがもらえる。エッグスタンドもあるしそこら中に人がいるしやっぱり少しグレード高い感じ。フルーツも美味しかった。

 

8時半にバスに乗り込みアール・デコパレスにアップグレードした人たちを迎えに行ってツアー開始。

 

この日の案内はハーフの方。日本語は流暢。お名前がこちらの名前で聞き取れず。

 

先週は-20度だったとか言っていた。この日は5度とかある。この旅行中はずっと暖かくてホッカイロとかウィンタースポーツ用タイツとインナーは結果的には必要なかった。

 

バスで旧市街へ向かい天文時計など眺めながらカレル橋へ。触ると願いが叶うというお后様の告解を教えろと王に命令されたが話さなかった神父の銅像に触れたりしながら渡り切る。結構長い。その後城の見学に移るが登るのが大変なのでバス移動。

 

 

プラハ城デカい。チェスキー・クルムロフの城が2番目と言っていたが1番との差付きすぎだ。赤いパンツ事件のなど聞きつつセキュリティ検査を抜けて中へ。

 

この日は日曜のため大聖堂はミサ中とのことで先に他を回る。まずは大聖堂隣の旧王宮へ。撮影はチケットが必要。国の持ち物はこういう感じと言っていた。中に王冠と杖のレプリカが。すげー立派。

 

建物はバロック様式だっけか、アーチ状の柱で天井を支えるから壁際以外に柱が無くて見通しがよくダンスパーティーから馬術競技にまで使えるとか。この構造は60mを超えるのは無理と言われていて60mを超えたのはここが初めてとか言っていた。

 

次は聖イジー教会。イジーは聖ジョージだそう。ドラゴン退治!確かに外壁にSGと刻まれてた。こちらはまっすぐの壁で支えて天井は木の蓋みたいになってる小さい教会。ただ壁が分厚いため音響効果が良いそうで備え付けの小さなパイプオルガンで十分なのだそう。

 

サクサク進んで次は黄金の小道。フランツカフカが下宿していた家とかあった。錬金術師が住んでたからこの名前らしい。フリータイムがあったが母が疲れてたのでカフェでお茶していた。

 

ここでミサが終わる頃の時間になったのでいよいよ聖ヴィート大聖堂に向かい列に並ぶ。城外周の魔除けのガーゴイル像が雨樋にもなっていて屋根の雪が溶けた水を口から吐き出すのに気をつけながら並ぶ。

 

順調に中に入るとそこは多分ミサ中に香油が焚かれていたらしく煙い。ミュシャのステンドグラスも見られた!真ん中下に文字があるのはスポンサーだそう、世知辛いというかなんというかw

 

本物の王冠がしまわれている宝物庫に続く7つの鍵のかかった扉も見られた。ルパンが盗みに来そうだな。

 

殉教した神父の棺もあってこれが銀を2トン使っているとか。その関連でチェコは銀河算出されて当時ヨーロッパの銀の9割がチェコ産だったと言っていた。教会内にも銀を掘っていた人の彫刻があった。

 

 

ここで城見学を終えてバスに乗り込み旧市街へ戻って共産主義の頃から政府公認だったというボヘミアングラスやガーネットを扱っているお土産屋へ。ガーネットは2000円くらいからあるとのことで女性陣が夢中。チェコのガーネットは深い赤で血のようだと言われていて、十字軍に従軍した若者が自分の流す血の代わりとして身につけていたとかガイドさんが言っていた。

 

 

徒歩で昼食会場へ。これが最後の集団での食事。もう最終日なので散策前というのにチェコビールを頂いていた。ピルスナーウルケル!

 

ここでフリータイムとなるため一緒に行動することにした親子連れと行き先を相談。とりあえずはさっきの店に戻ってガーネットを買うそうな。その間に行こうと思っていた陶器屋がgoogleマップは休みと言っていてるるぶはやってるとあったので一応見てきたらやっぱりやってなかった。

 

陶器屋は諦めてカフェルーブルに向かう。ハヴェル市場を通るのでちょうど良いからちょっと覗く事に。元が青果市場だったそうで今も果物が売っている。山盛りイチゴが250円とか。安い。

 

途中絵を売っていてプラハの街の水彩画が良さげだったので眺めていると450コルナだったのが350でいいと言い出したのでもう少し値切れそうだと先に一行を行かせて12ユーロなら買うと言っていたと言ったら交渉成立。多分10ユーロでもいけたな。

 

 

たらたら歩いてルーブルへ。同じグループの日本人団体が来てて苦笑。とりあえず入ってみる。アール・デコのおしゃれ店内だが居酒屋みたいにガヤガヤしている。どうもおしゃべりしに来る店らしい。ケーキはまだお腹が空いていないので避けてグランドカプチーノルーブルをチョイス。すぐ出てくる。味は普通。会計してみたら4人で1250円だった、安すぎ。

 

この時点で16:40くらい。ミュシャ美術館が六時までなので一時間は見られるようにと向かったが途中にあったアウトレットがあまりに安いので寄り道。800円で靴を買っていた。

 

 

寄り道したのでミュシャ美術館の到着が17:05くらい。最後の一回のミュシャの生涯の紹介ビデオ放映があるとのことでまずはそちらを鑑賞。20歳下の嫁もらったとか言っててワラタ。英語なので半分以下しかわからなかったが楽しかったのだけど30分もあるので鑑賞の時間がなくなると途中で切り上げて鑑賞に移る。後期の油絵よりも中期のポスターの図版のほうが好み。閉館間際なんて他の人誰もいなくなって貸切状態で見られて超贅沢だった。

 

残り五分くらいで出てお土産屋覗いてたらそろそろ閉店の声がかかった。1分の猶予もない。この辺スーパーも一緒。素晴らしいね、日本もこうするべき。

 

もうこの時点で行くべきところは行ったのであとはショッピングと洒落込んだ。まずは道すがらにあったBATAへ行きアウトレットの靴を購入。5000円くらい。43サイズがぴったり。これ履いて帰って履いてきた靴は捨てる。46ならもっと安くていいデザインもあったのだが。チェスキー・クルムロフで見とけばよかった。

 

次いでPALLADIUMへ。デカいショッピングセンター。もう何も買わないなんて女性陣が言ってたのに入って直ぐのTATUUMって店が元が安いのにセールで更に安くて見事に色々買っていた。その間僕は2つ前のQuickSilverでアウターを購入。Lサイズがなかったが言ったら出てきた。2095CZKだったから10000円ちょい。免税される額だったが言うの忘れてた。

 

二階と三階もあったが荷物が増えたのとこのままだと際限なく買いそうだったのでホテルに帰ることに。隣の建物前にタクシーがいたので乗り込んでヒルトンに戻る。ただこのタクシー途中で気づいたがクレジットカードが使えなさそう且つCZKしかも使えなさそうで焦る。着いてみたらやっぱりコルナしか使えなさげ。最悪クロークで作ろうと思いつつ300コルナ位だったのでちょい多めに20ユーロでどうだって言ったらOKだったので事なきを得た。

 

 

一旦荷物をおいたら再び集合し食事へ。ここで同ツアーのご夫妻と廊下で会い、スカイラウンジで飲んでて一杯9ユーロくらいだったと聞いたのでそれでもいいなぁと思ったがお互い老親連れてくのも違うかと駅方面へ。チェコ料理のレストランを目指したが、途中で誰も客が入ってないイタリアンがあってこの際だからビールさえチェコ産なら料理はチェコ料理じゃなくていいやんということになりそのまま入って最後の晩餐。そしたら意外と美味いでやんの。愛想は悪いけどチェコ産じゃないビール頼もうとしたら教えてくれるし店員いい人。ビール大を3、小を2とマルゲリータ1枚に肉料理一皿頼んで4人で5000円くらいだった。ベトナムの次くらいに安いな。

 

それから駅横のスーパーに寄ってお土産購入。モラビア産ワインが500円からあるすげえ。自分は蒸留酒一本とワイン一本をチョイス。母もワインを2本。これでスロヴァキアで買った蜂蜜酒含めてピッタリ3本ずつ計6本。あとはやったら安いのでチーズとウエハースを大量に買い込み。それとキャビア

 

部屋に戻ったらガムテープを買ってなかったことを思い出して閉店まで15分だったが急いで行くもテープはなく瞬間接着剤しか売っていない。一応買って戻ってスーツケースのファスナー部分と布の修理を試みるもくっつかずどうしようかと思っていたがホテル備え付けのソーイングセットがあったので縫うことにした。白と黒の糸を使い切ってかがり縫い。とりあえずこれで下から溢れることはなさそう。明日手前のスーパーに朝イチで行ってガムテープを探そうと心に決め、大体のパッキングをしたところで重さが不安になりレセプションに行って秤を借りたら20.5kg。大丈夫だったので就寝。

 

7日目

 

帰国日。名残惜しい。

 

5時起きで風呂を済ませて着替えて最終パッキング。

 

靴を履き替えたら箱が余ったので割れないように手荷物にしていたウエハースを箱に詰めてスーツケースへ。これでもまだ容積に余裕がある。

 

 

最後の朝食を食べに行き七時を過ぎたので近い方のスーパーヘ。太いセロハンテープを発見!喜び勇んでついでにチーズとキャビア足してレジに持っていくとVISAが使えない!2枚めも使えない!最後の望みを託してMASTER入れたら通じた!胃が痛かった。

 

部屋に戻ってスーツケース上部の割れたところをテープで補修。あとは空港に秤があったら重さ計って23kg以内だったらグルグル巻きにする。

 

八時にバスが来て空港へ向かう。昨日のガイドさんと合流。今日は免税手続き等のアシスタントだそう。去り際に「ガイド熱心に聞いてくださってうれしかったです」みたいなこと言われてうれしかった。写真撮るばかりで背景に興味のない参加者もいるからな。

 

空港ついたら無料の秤はなかったので事前に計るのは諦めて多分大丈夫だろうとスーツケースをセロハンテープでグルグル巻きに。最終的に預ける時に見たら16kgだったので余裕だった。

 

 

手続き終えてゲート内に入って一応免税店を物色。最早買う物はないと思われたがチェコウイスキーHammerHeadを発見。事前に調べてたがスーパーでは見当たらなかった物だが免税店にあったか。これは確保せずにはいられず購入。こうなるとボヘミアングラスのウイスキーグラスも一つ用意しておけば良かったな。

 

ヘルシンキまでは3時間ほど。あんまり寝てないしうつらうつらしていたらすぐ着いた。ヘルシンキで出国審査を済ませ、今度は2時間ほどの待ち時間。だが本当にこのときはすることもないのでそこら中うろうろ見て回ったくらいで後は座ってこの旅日記書いたりしていた。

 

最後の飛行機は定刻通りに出発。行きより更に機材が新しい。心なしかシートピッチも広い気がする。A350-900らしい。スタッフにも日本人が多い気がする。日本行きの便の方が日本人スタッフ多いのかな、グラウンド業務とかあるし。行ったら帰るんだから同じ気もするのだが。

 

横にデブが乗るわけでなくシートピッチもそこそこあって割と快適だったのだが、横で母親が体調を崩して大変だった。吐きそうとか言うし。FA呼ばないし。なんか年代なのか世代なのかギリギリまで我慢してどうしようもなくなるんだよね。

一旦ギャレーに運ばれてって床で寝ていたがそのうち帰されたとかで帰ってきて、そしたらまた2時間後くらいに気持ち悪いだって!んでまたFA呼ばないの。なんなんだろうね。また床で寝かされて酸素吸引してたけどもう着陸が近いから最終的にはビジネスに連れてかれてそのまま着陸。成田では車椅子に乗せ替えられてクリニックまで通常とは違うルートで向かう。耳がおかしいそうだが耳鼻科の設備がないとかで酔い止めだけ持たされて診察終了だったらしい。

取りあえず動けそうだからNEXで横浜まで行って妹に迎えに来てもらって実家で荷ほどきの後どうせ理由つけて行かないだろうから妹に予約入れてもらって医者に引っ張っていった。なんだかんだ理由を付けては医者に行かないんだよなー。結局中耳炎だったらしい。少なくとも咳出てたら出国させられんな、ビジネスでも一緒だもん。

 

お土産

 

ワイン
トカイワインはワインの味わからんし高いから買わない。
行った国はどこもワイン有名なので最後のチェコモラヴィアワインを買ってきた。600円とかだし。
荷物に余裕があればもっと買って税関申告していいと思う、1Lあたり税金200円だから。
蜂蜜酒
スロバキアで買った。アカシアともう一つはよく分からん
コロナーダ
プラハのスーパーで買ったウエハース。100円。美味い。コスパ最高。バラマキに最適
チーズ各種
プラハのスーパーで買った。一個150円しないものばかり、20個くらい買ったがもっと買っても良かったかも。
多分ブルーチーズと思しき物を4つ買った
LINZのチョコ
多分ベルギーのだけど母親が安いからとまとめ買いしていた
モーツァルトクーゲル
ウィーンのスーパーで一番安いヤツにした。2.8ユーロくらいだったかな?バラマキ用
パプリカ粉
ブダペストのスーパーで購入。各種12個くらい買った。
グヤーシュスープの素
クノールのヤツ。ブダペストのスーパーで購入。
フォワグラ
コース内で連れてかれたブダペストのお土産屋で母親が購入。ハンガリーフォワグラ安いらしいが缶詰はたとえスーパーでも高い。
マジパンチョコ
センテンドレのチョコレート屋Szamosで母親がバラマキ用に購入。箱のヤツ。500円くらいする。僕的には高い。スーパーに同じ物もっと安く売ってた気がする
一口チョコケーキ
センテンドレのチョコレート屋Szamosで購入。一個125円くらい。これはいい味でコーヒータイムにちょうど良いのでおすすめ
Waltzのザッハトルテ
Waltzの一口ザッハトルテ、8個入りで12.5ユーロだから一個200円くらいする。たっけぇw
オレンジピールっぽい風味が付いてて味は美味い
ホテルザッハーのザッハトルテ
一個5.5ユーロくらいだっけな
アプリコットジャム入っててとても良い味
ただもっとチョコレートチョコレートしたのを期待すると裏切られる
舌の肥えた大人向け
キャビア
カペリンって書いてあるから多分ししゃも
ピンクっぽい赤ともっと赤いのと黒いの
50gで150円くらいだったかな
HammerHead
チェコウイスキー
空港で売ってる。23年で9000円くらい。
ベヘロフカ
薬草リキュール
スーパーで買った方が安い。500mlで1000円くらい
2月はヨーロッパはバーゲン中なのでどこもかしこもセールやってる
BATAってチェコのブランドの靴のアウトレットを購入。33サイズ

持って行って良かったもの

 

トラベルウォシュレット
台湾とベトナム以外ウォシュレットは見たことが無いので必須
トラベルSIM
繋がらないところもあるが町中なら4Gでイケる。GoogleMap使えるし無いとフリータイム過ごせない
タイプCの変換ソケット
一応持って行っておいて良かった、これがないと充電出来ない
クレジットカード数枚
VISAとMASTER両方が安心
下着やらシャツやら
ヨーロッパだとスーパーに意外と無い。アメリカとアジアは手に入れられるのだが。そもそもコンビニが無かったなそういえば。

 

持って行けば良かったもの

スリッパ
ホテルに無いのは誤算だった。飛行機でも使えるし持って行くのが良い
肩掛け鞄もう一つ
ボディバッグじゃ足りなくてリュックサックじゃ多い時用にあるとベネ
旅行はかり
amazonで1200円くらいで売ってる
ホテルに秤が置いてない。言えば計らせてくれるけど面倒だし態々ロビーまでスーツケース持って行くのも大変

 

持って行かなくて良かったもの

パジャマ
下はタイツはいて寝りゃ良かったし部屋暖かいから上着も要らん
歯ブラシ
ひげ剃り
スーパーに売ってる

ヤフー株式会社に入社しました(2013年2月に)

ハイパーテキストマークアップエンジニアの@hadakadenkyuです。

表題のとおりですが、2/1からヤフー株式会社に入社しました。
前職の最終出社日は10月で、それから3ヶ月くらいプラプラしていて、先週までスペイン旅行していました。

なんで書いたのか

入社エントリ一回書いてみたかったんですが、直近の職について書くと色々と角が立つので次の転職を待っていましたらこのほど2019年1月31日付けで丁度丸6年奉職したヤフー株式会社を退職しましたのでもういいかなと。

なんで転職したのか

前職はジンガジャパン株式会社という所に務めていたのですが、ある日出社すると緊急オールハンズミーティングということで全員が大部屋に集められ、突然日本撤退が決まったことを知らされました。

このことはかなりの衝撃で、未だに突発的にみんなが集められるとすわ解散かと身構えます。(※ 入社後にも一度似たようなことアリ)

さて、そんなわけで会社都合退職とあいなったところ、当時の社長の東奔西走のおかげで転職先候補複数による会社説明会があり、いくつか応募したところ一番いい条件を出してきたのがヤフーでした。

ただ、これにはカラクリがあり、

- たまたま先方が欲しがっていた人材像に合っていた
- 時代が良かった
- 先に別の会社に内定を貰っていたので強気な交渉が出来た
- 日本企業は前年の年収ベースで転職先の給与が決まるが、前職は会社都合なので退職金が出ていた

ソシャゲブームでWebエンジニアの給与が高等していた時期であり、総じて運が良かったと言えます。具体的には前職から3割上がりました。

ちなみにジンガジャパンに入ったときは確か残業代含まず月給33万6000円でした(定期ボーナス無し)。更にその前の職はヒドいときは150時間残業とかやらされてましたが月給27万円固定定額働かせ放題でしたので感激した記憶があります。実際のところ、28歳社会人歴4年目、高卒で社会人になる前は3年引きこもっていた人間に対する処遇としてはかなりいい方だったんじゃないかと。

 ※ 当時のスペック

- Flasher(死語)
- cocos2d書いた事あり
- Backbone.jsにハマってた(確か)

ヤフーで何をやるか

リリースされるまで言えないPJに配属されます。(※ リリースされなかったので言えません)

おわりに

ヤフー株式会社では一緒に働く仲間を募集中です。
社員紹介制度もありますので興味のある方はご連絡ください!(※ まだ中にいる人につなぐことは出来ます)

 

前回なぜ僕は転職したのか

諸事情により絶賛転職活動中な昨今。
履歴書、職務経歴書の更新やらエントリーやら面接やらしていると、懐かしい感覚と共に前回の転職活動時の記憶が蘇って来ました。
あの頃何を考えていたかを久々に思い出したので、現在転職中の、あるいは将来転職する人に向けて、差し障りの無い範囲で書き留めておこうと思います。
今回の事を書くと色々とアレでしょうが、前回の事なら問題ないでしょう、多分。


僕はそれまで割りと零細なWeb制作会社を渡り歩いていました。
最初は殆ど徒弟といった感覚で個人経営の会社に入ったのが1社目。
出向してた先に引き取られたのが2社目。
その会社が改組して移転したのが3社目。
現職は4社目の会社になります。


現職の前までは自分から転職活動をしたことはありませんでした。
それが何が自分から転職しようと決意させたかといえば、簡単に言うと先詰まり感でした。
前職は前前職の同僚が集まって「利益は分配する」だの「1年で成功したと思えなければ成功とは言えない」だのと気炎を上げて作った会社だったのですが、その1年が経ったときは凡そ

  • 通勤時間も惜しい程の仕事量になっていたので申し出て自宅作業にしたらその月は交通費引かれた
  • それだけ働いても固定給で残業代とか出さない
  • そこまでやらせといて業績悪くなったから給料3万円下げると言い出す

といった、まぁハッキリ言えばブラックな状況に陥っていました。
これでまだ技術的に面白いことをやっていればまだ耐えられたのですが、手っ取り早く資金繰りを改善させるためにWeb制作の受託を増やすなどと言い出す始末。
ここで僕は先述の「1年で成功したと思えなければ成功とは言えない」を持ちだして、今明らかに成功してないんだから解散するか自分をクビにするかどっちかにしろ、と上司に迫ったのですが、この上司が3ヶ月以上のらりくらりと回答を避けつづけるに至り、愛想も義理も尽きて転職活動を始めました。


さて、いざ転職活動をするあたって、最初に行ったのは業界/会社選びです。
当時は確かiPadが出た辺り。世の中はまだまだガラケーが主流で、釣りゲーが流行っていた頃でした。
とは言え、次代はスマートフォンになるだろう、という事も分かりきっていました。
僕はFlashLite 1.1が書けたので、ソーシャルゲームを作っている会社で、且つ直近ではFlashLiteだけどスマートフォン対応も考えている会社に行こう、と決めました。
また、会社規模と業種については経験から、

  • Web制作の受託だけをやっている会社はNG
  • 零細は避けて最低50人は社員がいるところにする

と条件を付けました。

そうしていくつか求人をピックアップし、次に以下のような応募戦略を建てました。

  • 企業規模別にプラットフォーマー、大手SAP、中小SAPの3グループに分ける
  • 大きな会社は選考に時間がかかるだろうから、規模順に2週間ずつずらしてエントリーする
  • 面白そうな会社は別枠で第一陣で一緒に応募する

こうして実際に10社ほどに応募し、幸いなことに書類で落とされた会社はなかったのですが、持ち前の人見知りが発揮されたのか面接では落ちまくり、大量のお祈りメールを頂いて凹んだりしながら8月から11月くらいまで活動を続け、結局内定が出たのは3社でした。



これだけ色々と考えて活動したのに、最終的に現職を選んだのは「うち英語レッスン無料だよ」という一言に惹かれてだった事を付記して終わります。どっとはらい

最初からクライマックスだった話

一部方面で話題の某Z社に勤めるid:hadakadenkyuです。
思えばZ社に入社したのは2010年の12月1日。
その前の前の週に内定し前の週の金曜日に内定を受諾したら翌週には社員でした。
その日出社すると会議室の一室に通され、同期となる3人の元同僚と共にいくつかのオリエンを受けた後、オフィスのドアをくぐると、大会議室に大量の人が。
なんだろうとよくよく見てみると、前社長ロバートとソフトバンク孫正義氏とmixi笠原氏が野菜のかぶりものをして肩を組んでおりました。

4Gamer.net ― 「ジンガを得た者が勝つ」,ジンガジャパンの「ファームビレッジ」はソーシャルゲーム界の黒船となるか?
http://www.4gamer.net/games/125/G012519/20101201078/

それまで十人居ない規模のWeb制作会社に居た自分としては「なんてすごい会社だ!」とわくわくしたのを覚えています。

さて、この後自分は件のファームビレッジの開発にFlashエンジニアとしてジョインすることになったのですが、その後の展開は御存知の通り。
最初の名刺にはFlashエンジニアとありましたが二回目からはFlashの文字がなくなり。
今はAndroidWebkit死ねと叫びながらHTML/CSS3を書きまくっていたりするのです。