透明な言葉の露光

おしゃれなタイトルのブログですが雑記です。

 

自分は一生結婚というものを経験できないだろうなと思っていたが、一発逆転ホームラン。運命とも呼べる人と出会い、入籍に向けて少しずつ準備をしていかねばという今日この頃。結婚指輪も届き、他にやることは彼女の引越しや住所変更、入籍にあたっての書類手配、フォトウエディングの業者やロケーションの検討…羅列していくと大変そうに見える。しかし、大変なのは自分ではなくむしろ彼女のほう。名前と住所が変わるため変更手続きなど大変なことだらけだ。自分が変わってあげたい気持ちだが、本人でないとダメなことだらけだ。これから彼女に待ち受ける、手続きの面倒さを考えると、本当に頭が下がる。

 

結婚を意識するようになり、変わった点がいくつかある。

 

・貯金ができるようになった。(これはいいこと)

・タバコの本数が減った。(ひとりで家にいるときは多い)

・性欲が減った。(加齢もあるだろう)

・守りにはいるようになった。(体が第一)

 

貯金は前々からできていたが、切り崩しそうになる心に歯止めをかけられるようになった。タバコは職場でほぼ吸わなくなった。彼女といるときもせいぜい3日に1〜2本になった。酒を飲んだら別だが…よくなっていると思いたい。そしていい意味で、女性を人で見れるようになった。仕事を俯瞰して見れるようになった。自分の人生には「仕事しかない」わけではなくなった。

 

この人のためにも、ちゃんとしなきゃダメなんだ=自意識の抑圧。相手ありき。

この人のために何かしてあげたい=無意識の思いやり。自発的な感謝。

 

この2点を時と場所に応じて、出し入れをスムーズにできるようになるのが理想。そしてなーんにも考えないで「できちゃう」ことが理想。

 

今までは追いかけることしかなかった。初めから愛してくれた人のために、受け止めて追いかけて、人生を終わりまで彼女と歩けるように頑張ります。

サイレント・マイノリティー

俺は友達を作ることが下手くそだ。頭も回る方ではなく、相手がどう思うか?という思慮、配慮に欠けている。そこを補おうと相手の話を理解しようとすると、相手が望む答えしか返せず「都合のいいときだけ頼ればいいかと思われる人間」に成り下がる。そして元来の交友関係リセット癖。合わせ技で1本、人間関係構築が下手すぎる。本音を出しすぎると角がたつ。相手の要望に応えすぎると追い詰められる。自分なりの答えが見つからず悶々とする日々を送っている。

 

東京を離れて5年あまりたったのだろうか。離れた土地ということもあり下手さは加齢とともに拍車がかかり、今ではすっかり「人間関係恐怖症」になってしまった。入り込みすぎると他人に流されすぎて自分がなくなりそうで怖く、離れていると周りが楽しそうに見えてしまう「思い込みの疎外感」で寂しくなり、どうやって関係を構築するのかが分からなくなってしまった。今は他人と話す際に、いったん距離を取ることで対話の体裁をギリギリ保っている状態である。そもそも俺の本質というのは「キョロ充」なのだと思う。そのことに30を過ぎて自覚してしまい悲しくなっている。今はそのキョロ充体質と向き合うために、必死に自分を貶め、ときにはナルシストの如く甘やかしている。

 

コミュニティや界隈にうまく馴染めず、馴染もうとして無自覚のキョロ充になり、キョロ充のレッテルを貼られ爪弾きにされるくらいなら、黙々と「登場人物が自分しかいない物語の主人公」になっているほうが楽だなと思うこともある。こういうところが拗らせているということと自覚はしているが、まぁ治らない。嫌になる。

 

今年は36歳になる。結婚もする。この拗らせがこれを機に少しは緩和されて、おおらかな人間になれるといいな。なれないかな。俺だもんな。

成人式の思い出

今日は20歳の皆さんに年上の有名人や文化人が「新成人、おめでとうございます」と式典やテレビ、SNSで言う日ですね。

 

わたくしが20歳のときは、成人式、でませんでした。

 

というのも地元に帰るのが嫌で、孤独感や疎外感にあてられたり同級生の近況と自分を重ね合わせるのがしんどくて、帰らずにバイトを入れていた。16年前の今日の社員との会話は以下の通り

 

社員「お前今日、成人式じゃないの?!なんで仕事出てるんだよ!」

俺「うえっへっへ…サーセン。」

 

鮮明に覚えている。今みても気持ちがわるい。

 

今だから、思う。

 

出ておけばよかった。

 

35をすぎた今、改めてそう思う。

 

この後悔は何も「思い出だから」ではない。「成人式に出ないことで、他の人間とはちょっと違う感があってなんかいいよね」という斜に構えた気持ちが、当時あったことを深く恥ずかしく思い、悔いている。

 

俺から言えることはただひとつ。

「成人式には行きな」

です。

 

同窓会は行かなくていい。隠れるようにでいい。少なからず出るだけで、歳を重ねたときにこっぱずかしい思いをしなくて済む。そして何より、出てみて「案の定つまんねぇな。くだらねえな」と思えただけで、その話で1つエピソードトークができるから。

 

側から見て憶測で物事を語るのと、実際に体験したことを語るのは大きく違う。「これはどうせ、こういうことなんだろうな」が先行して、何もしてないのに口だけ達者…なんて若者はざらにいる。もちろん、自分の射程距離の世界しか見ることができないんだから、そういう思考になるのは当たり前で責めたり批判したりしたいわけではない。一番言いたいことは「一回飛び込んでみて経験してから、同じことを言ってくれよな」ということ。

 

成人式に出席していたらもしかしたら今よりもFacebookは同級生でいっぱいでフィードするごとに同級生から無機質な「いいね」がもらえたのかなと思うと、そのパラレルワールドに行ってみたくなる。いや、行きたくないか。でも、成人式はいったほうがいいと思う。これは本心。

 

成人式とゴルフは、経験してみたほうがいいかもしれないの2大巨頭です。

大切なことはすべてAVから学んできた。

昨日悟ったことをひとつ書き綴りたいと思います。

 

よくセックスについて煽る際に使われる「そんなわけないじゃん笑AVの見過ぎ笑」という言葉について、言いたいことがあります。

 

男性も女性もセックスを学ぶ入り口はAVだろうが!?!?!?!?!??!?!?

 

つまり、こういうことです。

最初から前戯がうまい人なんていません。オギャアとこの世に生を受け、性技を授かる人なんているわけがない!女性の場合年上にリードされてきたとて、その人もAVを見て「あんなこといいな。できたらいいな。」とセックスに想いを巡らせていた時代があったはず。そのまた昔はVHSのAV、自販機エロ本、春画…どんな時代でも性は人から人へ受け継がれていくもの。それを「AVの見過ぎ」という言葉があるせいで、あたかも「AVから得た情報はダサい」みたいな風潮になっているのが許せない。

 

AVから得た知識だけで選ぶるやつは論外として、逆張りで「AVみたいなセックスなんてあるわけないじゃん」的なことをしたり顔でいうやつも嫌い!あー嫌い!別にいいじゃんよ!!AVみたいなシチュエーションが楽しいときだってあるだろうが!!なんだ君は!!セックスに対して一家言持ちのような顔で偉そうに能書き垂れやがって!垂らしていいのは〇〇○だけにしろ!!!(○にあてはまる言葉は各々で考えてください。そしてあとで僕にそっと教えてください)

 

みなさんに言いたい。AVのようなセックスもたまにはいいんですよ。ただし!自分本位なのはダメ。セックスは体でするのでなく頭と心でするから気持ちがいいんです。BOYS&GIRLSおぼっちゃんおじょうちゃんたち、出し入れだけがすべてじゃないの。気心知れた相手と安全かつ楽しい性生活をお過ごしください。

 

お昼に書くような内容じゃなくてすみません。

俺は生きている。金を稼いでいる。

仕事が回り始めて2〜3ヶ月が経とうとしています。今のわたくしの状況としては「金を稼いで生きている」といったところです。今年3月から、自分の仕事は様変わりしております。やりたいことをやってきたツケが回ったのだと思います。多分、かなりの苦境。

 

そんな苦境の中で悟ったことがあります。

 

「稼げるやつは強い。稼げないやつは過去の栄光に縋る。」

 

どんな状況であれ時流を見定めて、その時にどうやってお金を稼ごうかを考えて結果を出す人間が、この現状を生き残っている気がします。過去の栄光にしがみついていても稼ぐことはできない。プライドを持ち続けても役には立たないんだなということを、しみじみと感じさせてくれる機会でした。

 

ここで難しいのが「お金」が先なのか、「自分」が先なのか。ということだと思います。お金を稼いで幸せを掴みたい人は、何が何でも稼いだらいいと思います。自分の心が健やかでありたい場合は「やりたいことに妥協せず頑張るしかない」と思います。

 

やりたいことやりたいなら、自分の思っている倍以上頑張らないと、人並みの幸せは得られないことを思い知らされました。

 

おまんまを食べさせてくれるのは自分。

35周年

 先日ツイッターにも書きましたが、以前から付き合っている恋人と別れました。わたしからお別れを告げた形です。自分から好きになって自分から別れるという、ひどい別れかただと自分でも思います。しかしそれを経て、今自分はあるひとつの決意を固めております。

 

決意を語る前に、現状をお話しさせていただきます。

 

 自分には、新しい恋人がいます。境遇や考え方が自分と似ており、非常に居心地のいいかたです。しかし自分は行動、態度、嘘で彼女を随分泣かせ、傷つけました。はっきり言います。自分は二股をかけていたのです。そのことについて書くとなると言葉が整理できないので、またいつか触れたいと思います。

(はっきり言いますが、自分はいい人でもなんでもありません。)

 

 話を戻します。はっきり言います。わたくし今の恋人と遅くとも2年以内に結婚をします。その決意表明のため、自分を戒めるためにこのブログを書いています。もう20代〜今までのようなだらしない女性関係を断ち、お金を貯め、相手に辛い思いをさせないような人間になることを誓います。

 

 今の恋人は「何があっても離れないし、あなたに付いていく」と言ってくれました。今まで言われたことがなかった言葉でした。それが何よりも嬉しく、幸せにしなければいけないなと強く決意させてくれました。それに気づくまで、随分と時間がかかってしまいました。情けないです。

 

 来月でわたくし35になります。これを機にではないですが、仕事と恋人の幸せに、精を出してまいります。もう相手の信用はなくしてしまったので、今からまた積み上げていきます。どうしようもない人間ですが、温かくも厳しく、見守っていただければ幸いです。

感覚的にクズ

裏垢界隈の変遷と光と闇。

 

自分も裏垢男子として活発に活動してきた時分があった。その経験を踏まえ現在の裏垢事情をまじまじと目にすることがある。人ややり方は違えど、根本は昔から変わっていないのだなぁと思いながら見ている。

 

裏垢をやっている人の種類は、以下のように分類される

 

①承認欲求を満たしたい

②現実の自分との乖離

③あわよくばセックスがしたい

④楽しいことがしたい

⑤出来れば出会いたい

 

もしかしたらもっと細分化できるかもしれないけれど、まぁだいたいこんなところかなと。かくいう自分も裏垢やりはじめのころは③〜⑤だけを考えながら裏垢を始めたようなものなのだけれど…何年もやっていると色々な人と出会い、色々な人と別れていき、わかったことがいくつかある。それを書くことによって、自分の裏垢人生とある種の決別を図りたいと思っている。「お前に講釈垂れられても気分が悪いわ!」という人は黙ってブラウザの戻るを押していただきたい。

 

①人の話を聞き、話は急に変えない。

・一回、人の話を飲み込んだ上で共感できるポイントと、そのポイントの中で自分の考えてることを織り交ぜながら話そうね。

 

②自分も魅力的に感じてもらえるような文章力を身に着ける

・人の話ばかり聞いてる人、同意しかしない人はつまらないよ。自分の考え方を人にわかりやすく伝えれらたら、いいねもつけてもらえるよ。

 

③あなたに対して興味があります、という気持ちを明確に示す

・他の裏垢女子にリプライしまくっている人に魅力は感じません。逆もまた然り。

 

④2人きりのほうが面白いと思わせる。

・みんなが見て感じている通りの人で終わらせたらいけない。2人きりで深く話したいと思わせるような②のエッセンスをくわえる。

 

⑤エロい話が始まったらリードする

・相手が1エロとしたら、その人の性癖に刺さる5エロくらいの物量の話を常に頭に用意しておく。

 

上記ふまえ、あとはフィーリングなどが深く関わってくるのでなんとも言えませんが…裏垢でモテてる人はこのようなところを押さえているなぁと、非常に感心しております。そういう人がモテる世の中で、俺は「わかる人にわかればいい」を貫き通していきたいと思っております。

 

俺はこういう話をしながら、こういう話を聞きながら朝まで飲みたいよ。