Teraimachi

0118_デリヘルの話

僕には(一人称が僕なのをうっかり忘れていた)幼馴染がいる。特に仲の良い幼馴染が5人くらいいて、そのうちの1人が最近プー太郎になったのでよく遊ぶ。鬱病から心機一転なったデリヘル店長を辞めて次の仕事につくまでぶらぶらしていたいと言っている。もうデリヘルじゃないけどそいつのことを便宜上デリヘルと呼ぶ。

デリヘルは昔からぽやぽやした性格で、ノリはいいし話しても面白いんだけどなんか独特というかマイペースというか、天然と呼ぶと微妙にニュアンスが変わってくる感じのやつ。チューバ顔じゃないのにチューバをやってる、わりと童顔でぽちゃっとしてて女の先輩に可愛がられる感じなのにめっちゃ洋モノAVに詳しいみたいな、裏表があるわけではないけど一貫性が妙にない、やや不思議でおもしろいやつだった。

小中一貫校で一緒に育ち、高校になると別々の自治体にある学校に通ったけど、たまに会ってた。デリヘルは工業高校のバドミントン部に入ってタバコも吸って、なんか若干怖い感じになった。工業高校では普通だと言っていたが僕はオタクだから結構怖いと思っていた。専門に進むと全身をディーゼルで固め出してピアスが増え出して更に怖い感じになった。専門では普通だと言っていたが僕はオタクだから結構怖いと思っていた。僕が東京の大学に行ってからも年に数回は研修だなんだと東京で飲んだりした。1回極端に潰れたとき僕が道端で死んだので、おんぶで連れ帰ってもらったりした。

彼が教えてくれたげんしけんが面白くて自分でも全巻揃えて最近完結を迎えるまで愛読し続けた僕は、彼がとっくにげんしけんを読んでいないことを知ったときちょっと悲しかった。見た目とか喋りが年々厳つい文化圏(わかるやろ。少なくともオタクとは絶対違う感じの)になっていくんだけど、いざ話すと依然とぽやぽやしているデリヘルがやっぱり不思議だった。

最近(とは言っても一昨年くらいだっけ)、ある日唐突に「俺鬱病らしいんだよね」というLINEが来た。冗談だろと思ったけどちょっと本気度が読めなくて「おそろじゃん」と返した。鬱病ブラザーズバンド組むか?という方向に話がまとまり、「デパスおねだり」というデビュー曲名まで決めたところでいまいちマジなのかどうか読めずに会話が終わった。

あとで聞いたらだいぶ参っていた時期だったらしく、酒で無理やり薬を流し込みつつ嫁にバブりつつ僕にもバブりに来ていたのだという。それ僕もっと真面目にやった方が良かったやつでは?と思いつつも、デリヘル嫁が「ヒヨコはそれでいい」「ヒヨコはそういうやつだからいいんだよ」みたいな内容を情緒クラッシュにより泣きながら酒に酔いながらうんうん語っていたということを教えてくれた。

これは他の幼馴染でもそうだけど「お前はそうだよな」「ヒヨコそういうとこある」みたいなことをことあるごとに言ってくるし、幼馴染の配偶者もことあるごとにそういうなんかエモい感じになってうとうとしてる幼馴染にそっと毛布をかけながら「ヒヨコさんのこと酔っ払うとすぐ話してくるんですよ」みたいな耳打ちをくれて、なんで君らはそんなBL漫画のさっさと結婚しちゃっていつまでも受けに片思われてる方とその嫁みたいな振る舞いが現実でドシドシできるんだ?すげーなと思った。

ちゃんと人間として人生を送り変わっていくデリヘルが、どんどん根暗になったりまめに連絡も取れなくなったりよくわからんオタク文化で生きてなんか一般的な人間とは違う感じに見えるであろう、社会とあまり関わらず成長のない僕のことをどういうふうに思ってるか構ってくれてるかわからなかったんだけど、向こうも僕のことを喋ると案外変わらんな、くらいに思ってたのかもしれなくて、そうだとすればそれは結構安心する。

僕は自分は中学生とかそのへんの年からはめちゃくちゃ変わったと思ってたし、高校から根暗になって卑屈になってむしろ悪い方に転がったと思ってるんだけど、こういうのを聞く度に「僕は楽しかった時代を美化してるだけでずっと僕自体の性格は根暗で卑屈なままだったのでは?」と思い、マジかよという気持ちになる。いやでも絶対変わってるだろ性格とも思う。

デリヘルには年始に「借りたDVD返すの忘れたまま5日過ぎちゃって勇気出ないから一緒に返しに行こうぜ」と誘われて車で2時間弱のTSUTAYA(なぜ借りた?)までデリヘルの車で行った。最近買ったという乗り心地がとてもいいでかい黒い車は乗り心地がとても良くて、快晴だったから北アルプスが綺麗に見えて、デリヘルは穴場だという道を100kmくらいで飛ばしたので正味1時間半ほどで着いた。

延滞金が8000円くらいかかって爆笑したけど「実はパチンコで13万勝ったんだよ」とデリヘルが調子づいていたので(じゃあ勇気出なくなくね?)と思いながら帰りにラーメン奢ってもらって、農業やってる幼馴染と土木やってる幼馴染の仕事場にそれぞれちょっかい出しに行ってから帰った。

幼馴染全員に会う度「お前は絶対仕事やめる」「農業の枠が空いてる」と言われてるので絶対半年は続けてやろうと思っている。ブログもなんとか3日は続けてやろうと思っている。

0117_いわゆる一つの知見

ブログの存在を完璧に忘れていた。

思い出したときに書けばいいかな~では続かないことがよくよくわかった。今までの人生も全てがそうだった。とりあえず一週間毎日続けることを目標にやっていく。やるぞ

 

CHIKENに来てる。

鶏ではない。漢字で表記しないのは検索避けのためで、一応、一応CHIKENには守秘義務がある。別に詳しい薬の内容を書こうとか特定の病院の悪口を書こうってわけじゃないんだから別にいいだろうとは思うけど、まあ一応避けておく。検索避けは大切。こういう細かいことを大したことじゃないだろうと徹底しなかったせいで昨年痛い目に遭った実績がある。CHIKENって打つのめんどくさいので以下Cにする。

俺はたぶん10回くらいCをやってる。理由は楽にお金が入るから。

Cに行くって人に言うとかなり珍しがられるし、実験動物にされるとか、甚大な副作用が出る可能性が~とか、そういう心配をされることも多い。せっかく人様に珍しがられるようなことをしているのだから、暇な学生/適当なフリーター/無職などにしか役に立たないだろう情報なんだけど、実際に何回もやってみてのCについての所感を書いてみようと思う。

健康な人間を対象としたCは、どこの病院で募集をかけていても大筋で日程のパターンが決まってる。たとえば一番スタンダード(?)な2泊3日×2の日程は、

1日目:午後13~15時くらいに来院。軽く検査をするときもあるし、しないときもある。それ以外は自由時間、シャワー、夕食、就寝。就寝時間は23時のところが多い。

2日目:7時頃起床。身長体重/尿/体温/血圧/心電図/血など一通りの検査。9時頃にCの薬を服用することが多い。C薬服用後は1~2時間はベッドの上で大人しくしていなければならない&こまめに採血。7~8回は抜かれるので注射が苦手な人はキツそう。

昼食後は時折採血があり、自由時間、シャワー、夕食、就寝。

3日目:7~8時頃起床。これまでと同じような検査をしたのち10時~11時頃退院。朝食は出ないことが多い。 

みたいな流れが多い。日程が長く(5泊6日×2とか、14泊15日×1とか)なったとしても、2日目までの流れはだいたい変わらない。2日目にメインの日があって、あとはデータを取るためにちょこちょこ検査しつつ莫大な自由時間がある。

 

<Cのメリット>

・楽

普通に労働するよりも遥かに楽。体力を消費しないし、検査の都合上食べてはいけない場面以外では食事が出てくるし、自由時間が多い。室内で出来る娯楽(本、CD、DVD、ゲーム、PC、書き物etc)は持ち込み自由。

・報酬が高い

2泊3日×2で8~10万くらい。普通の労働で稼げる額より多いと思うけど、長時間拘束されることを考えるとどうだろう。検査以外の暇な時間や寝てる時間を実質労働時間と捉えるかどうかによって変わる。一応食費・インフラ費の節約にもなる。

・生活リズムがよくなる

空調の効いた清潔な室内で過ごし食事と着替えは自動的に出てきて起床就寝もバッチリ管理されるので気分は健康な豚。

<Cのデメリット>

・拘束時間が長い

C中は泊りがけで自由に外にも出られないので、ストレスを感じる人もいるかもしれない。

・採血が多い

上にも書いたけど、1日だけやたら抜かれるメインの日がある。血を見るのが苦手な人とか血管が細い人とかはキツそう。

・食事の内容が制限される

キツい人は本当にキツそう。俺もすごく酒が飲みたくなる日がある。

・暇人しかできない

めちゃくちゃ時間に融通の効く自営とかでも出来るかもしれないけど結局それは暇人ということになるのかもしれない

 

Cの長短について思ったところはこういう感じ。

実験動物が~副作用が~系の話については、日本のCはまあたぶん大丈夫だろうと感じている。今のところ俺が出会えてる健康な人間向けの案件は、もう既に市販で使ってる薬の形を変える際の確認とか、ジェネリックの検証とか、海外では認証されてる薬の検証とか、そういう「まあ大丈夫なことは知ってるんだけど法律でルールが決まってるので一応健康な人間でチェックしなければならないのでおざなりにやる」みたいなものしかなかった。というか、少なくともその辺の金のない暇人が金目当てに辿りつけるような案件に関しては、そういうのしか目につかないようになってるんだろうなという感触が正しい。

俺は暇なのに大学に行かない学生で、しかも働いて人間関係になったり疲れるのも嫌な芯から使えない人間だったので、どうせ何もせずに時間をドブに捨てるんなら同じだけドブに捨てた上で金が発生したほうがいいなと思ってCに行ってた。そんでCの広大な自由時間でひたすら寝たり本を読んだりアニメを観たり、つまりドブに浸かってた。

とはいえインドアでなんらかの作業をして膨大な時間を潰さなければならない+金がない種族、なんらかの試験勉強を余儀なくされている人、なんらかの創作を生業にしている人なんかにはめちゃくちゃいい環境なのでは…?と思うし、そういう人たちにリーチするように積極的に勧めたい。んだけど、いかんせんCって響きと内容自体がうさんくさすぎてどうしようもないのでした。

今だって暇すぎて何もする気が起きないから久々にブログを思い出すくらい自由時間がある。でも23時には寝なければならなくて、だから日中はなるべく起きていて夜眠くならないとよくない。何かしたくなる。時間を端からドブに捨てているはずなのに、そのドブ時間にもドブ賃金が発生していると思うと罪悪感や自己嫌悪が薄れる。強制健康収容所である。

人間とあまり接さないでドブをばちゃばちゃやってるとお金がニョキッと出てくるこの仕組みはやっぱり画期的だと思うので、これで自由に酒が飲めたら完璧なのになあと、Cをやってる最中にいつも思う。

だいぶ時間が潰れた。あしたもがんばってドブブログを書く。

0901_独り言が怖い

綺麗さっぱりブログの存在を忘れてた。

無理してもどうせ続かないだろうし、思い立ったときに思い立ったことを思い立ったように書こうというゆるい気持ちで始めたはいいけど、3ヶ月は流石に間が空きすぎだった。せっかく思い出したのでがんばって週1くらいでやっていきたい。

 

独り言を言う人間がけっこう怖い。

うるさいとかむかつくとか、そういう反発ではなくて、単純に不気味に感じる。

なぜそう感じるのかについて考えてみたけど、たぶん「素のままの感情」みたいなものに対して気持ち悪さを覚えてるんじゃないかなあと思った。

感情の表明って、基本的にはコミュニケーションの手段というか、道具みたいなものだと考えている。誰かの言動に「嬉しい(ような反応をする)」とか「怒る(ような反応をする)」ことで、自分がその相手とどういうふうにコミュニケーションを進めていきたいのか、その相手の言動をどういうふうに捉えたのか、そういうことを暗に伝える。真意はどうあれ、そのとき表明した感情こそが、コミュニケーションにおけるその人の意思になる。もちろんその表し方が下手だったら、自分が想定した通りの意思を伝えられないか、あるいは真意とは別の感情を表明していると捉えられることになる。

社会的な場(というか、他者と接する場)での感情の表明はかなり儀礼的な意味を持つ。多くの人間の中である程度共有されている「こうしたらこう思われるだろう」っていう前提を元に、コミュニケーションを円滑に流すための道具。

「感情の表明」と「感情」は違う。「こういう意図であると伝えたい」「こういうふうに考えてると思われたい」を地盤にして、それらを表に出してみせる行為と、たとえば音楽や創作物、綺麗な景色やらを見て内に何かを感じるような現象とだったら、なんかなんとなく違う気がする。

そういうふうに考えていたみたいなので、それらが何の意図もなしに一緒くたに表出しているのを見ると混乱するんだと思う。ここで独り言の話に戻る。

不特定多数の多者がいる場所で突然、断続的に独り言を言う人が若干怖いし不思議だった。なんでこの人は唐突に意図を持つでも装飾したわけでもない言葉を他者がいる場所で発しているのか。その場にいる誰かに何かを伝えたいのか?独り言を言うことによって「思われたい自分」があるのか?

たぶん違う。独り言の多くは無意識で、単なる癖か、あるいは精神安定のためのものらしい。(ググっただけなので正しい知識かどうかはまったくわからない)

精神安定というのは、典型的なものでいえばストレスを言葉として発散したり、行う予定の作業を口に出すことで確認して、自分に再認識させたりといったことらしい。子供が一人遊びのときに大人の気を引くために言うようなわざとらしい独り言とは違って、素のままの感情を吐き出すことで安心するための作業。

つまり僕は、誰かに示すためでもない素のままの感情が、受け取り手不在のままその場に放り出されることに不気味さを覚えていたんじゃないかと思う。とはいってもこれは「他人の迷惑を考えろ」とか「公共の場でどうなの?」みたいな話じゃなくて、もっとシンプルな、自分の理解の及ばない存在への純粋な畏怖みたいな…そんな気持ちなので、一方で興味も湧いてしまう。怖いもの見たさです。

24にもなってこんなことを改まって言い出すのは自分でもグロいなと思うんだけど、そもそも僕はいわゆる感情表現があまり得意ではない。特に他者が介在する場では、ある感情がその場や他者にとってどういう意味を持つのかと考えてしまって身動きが制限されることが多い。だから、他者に対する手段としての感情の表明でもなく、一人でいるときに他者の存在を介さず扱える感情表出現象でもなく、ごく自然な姿でぽろっと感情を放り出すことができるそのさまが異様に思えるし、目を引かれてしまう。そういう人はきっと生まれつき感受性が強かったり、感情が人より大きかったり、感情用の蛇口が緩かったりするんじゃないかと思う。

つまり、僕は感情が大きい人が受け入れ難いと同時に、羨ましい。いやもちろん当然人並みの感情はあるし、2016年にもなって無感情無感動マウントチキチキ暗黒微笑レースをしたいわけでもなくて、感情を感情としてありのまま扱える時間が多い人は、そのぶん人生も楽しいだろうなと思うわけ。

楽しい人生を送りたい。近頃こればかりを考えているせいで全ての思考の帰り道が「楽しい人生を送りたい」に集約されてしまっている気がする。

 

久しぶりにまとまった長さの文章を書いた。本も読まず、文章も書かず活字に一切触れない生活を続けていると日本語能力が減りまくってるのを如実に実感して、うへ~という気持ちになる。文章上の何かに気を遣う余裕がなく、文章にするだけで精一杯って感じだし、書いてるうちに何がなんだかわからなくなってくる。これ本当に母国語か?

そういえば一人称をどうしてたっけ、と前回の日記を見返したら、5月の僕はMCバトルにハマったことを書こうとしていたらしかった(一人称は僕だった)。ので、次こそはMCバトルのことか、もしくはせっかく卒業が決まったので、長かった大学生活のことを書こうと思う。

0517_新しいメモ帳

なんでも忘れていく。

先週誰といたかも、今週何を食べたかも何も思い出せない。放っておくと何もかも簡単に忘れていく。

ので、なんとなく書き残していきたい。無理のないように、義務にならないように、体裁も考えず、人の視線を気にせず、何も思いつかなければ箇条書きで終わるくらいの気持ちで。こういうふうに前もってぼんやりした意識を書いておくのはややエクスキューズじみた面もあるけど、一種の内面化とか条件付けみたいな意味合いを持ったもので、僕にとっては何気に大切なことだと思っている。

 

就職活動をしている。

今年の新卒は17卒と呼ばれる。3月説明会、6月面接解禁という決まりが今年から始まっていて、とはいっても、どこも普通にやっている。すごくまじめな大手か、すごく経団連となかよしな大手くらいしか守らないのだと思う。なので、僕も普通にやっている。

普通にと書いてはみたが、だいぶつらい。気合を入れてやっているから疲れる、とか前々から入念な準備をして臨んだがどうにも思うようにいかない、とかそんな苦労ではまったくないんだけど、つらい。

今回は就活がなぜつらいのか自分なりにまとめてみようとふと思い立って、やるべきことがたくさんあるのにインターネットにおすすめのブログを聴いて、はてブロが良いらしいので登録して、センスのある先達のデザインをパクってしまうくらいにはつらかった。こういう無駄な(本当に無駄な)逃避をこの2ヶ月でどうしようもなく繰り返して、その度に反動で憂鬱になった。非効率性の塊だった。

僕が就活がつらい原因はざっとわけて3つある。1つは素直に精神がつらい。2つは単純に能力的につらい。3つは純粋にお金がつらい。

僕は大学生なのにまったく大学に行かなかった。どんなに興味があった授業でも半期に5回行ければいいほうで、だから単位もバカみたいに落とした。なぜそんなことになっていたのかはまた別のときにまとめるとして、とにかく本当に大学に行かなかった。行かなかったし、辞めなかったし、休学もしなかった。なので留年した。当たり前すぎるくらいに留年した。

なので当然大学のあらゆる組織・団体にコミットしていなかったし、専門的に学んだ分野なんてものは一切なく、自分が大学に在籍しているという意識すら薄かった。何度キャンパスに足を踏み入れても“慣れ親しんでる感”的なものがなかった。とうとう5年生になっても新鮮な気持ちで毎回キャンパスに足を踏み入れていた。

そんな無能が就活を始めた瞬間にしゃかりき動けるはずもないので、SPIの勉強はしていない、自己分析はしていない、スーツのベルトも革靴もない、ぐらいな感じでずどんと3月に突入して、やっとの思いでひとまず説明会に行ってみたら無限にいる就活生がみんな自分より遥かに出来ている人間ばかりに見えて、(というか、ほとんどの学生は大学にも行っているしサークルにも入っているし他人と交流しているので、実際に出来ている)またひどく気持ちが落ち込んだ。

書き出してみると相当ひどいことがあらためてわかるんだけど、どう考えても気持ちが落ち込みすぎている。些細なことですぐに劣等感や無力感を覚えて落ち込んで、どうしようもなく無気力になって、1日の半分以上を寝て過ごして、鬱々と寝たり起きたりして、やや気分が上向いてきたらようやく起きる。それでまたどうにかこうにか人生を始める。今度の今度こそ誠心誠意ちゃんとするぞ、24年目の真人間デビューだ、とn回目の決意をして突入した3月も、大学生活中ずっと変わらずに引きずり続けてきたスタイルにまんまとハマっていた。

4月は主にESが書けずに憂鬱になっていた。いざ取り組めばなんだかんだ形にはなるものの、取り組むまでが異常に長い。自己分析も業界研究もしてない人間がどうせ大したものを書けるはずがないのだからさっさと〆切に間に合わせるだけ間に合わせてしまえばいいのに、それをしない。というかできない。

「自己PRと志望動機に一貫性を持たせて説得力を演出しなければいけないのでは…?」「ガクチカには面接官が質問しやすいような情報のフックをいくつか仕込んでおかなければならないのでは…?」とか、きちんと意味を理解しているわけでもないのにどこかで聞いた就活お役立ち情報みたいなものの一文がやたらと囁いてきて、自分の稚拙なESがひどくみじめなものに思えてたまらなくなった。「ゼミに入っていないのでゼミ欄に何も書けない。死にたい」「大学に行っていないので得意科目が何もない。死にたい」というふうに頭の悪さへのコンプレックスを引き出すトリガーがあちこちにあったことでもう頻繁に憂鬱になった。頻繁に20時間寝た。夢のなかでESを書けない夢を見た。

提出できた全てのESは期限当日に出した。今日まででOpenESを含めて合計23社。通ったのが17社、落ちたのが4社、まだ結果が出てないのが2社。あともう少し出そうと思ってはいるが、たぶん3~4社くらい。

たぶんこれは文系の就活としてはかなり出してない方だと思う。しかしそれは危機感が足りてないとか身の程を知らないせいとかではなくて、単純にこれが精一杯だったという気持ちがある。1通出す度に気力を削がれる。書けない書けないと嘆いて気分が落ち込む。正直もう書きたくない。(今日中にどうしても1社出さなければならない)

大した作業でもないはずなのにどうして自分でもここまでESが苦手なのかわからない。ただESに取り組んでいるだけですぐに「書けない」「自分は頭が悪い」「やりたいことなんてない」「誰にも怒られたくない」という気持ちがぐるぐる回り始め、とにかくいっぱいになり、つらくなる。“自分と向き合う”という作業が鬼門なのかもしれない。

5月は面接でつらかった。現在進行形でつらい。これに関してはもう後がないというか、大してES出してもないくせに面接で落ち持ち弾が尽きていく流れを想像してしまう、一般的なつらさだった。内定がないまま全て撃ち終えたらあとはもう銃を捨てて旅に出るしかない、というようなことばかり考えて憂鬱になっていた。

グループディスカッションを3回、個人面接を4回、グループ面接を2回やった。今週はあとグループディスカッションが3回、グループ面接が1回ある。

グループ面接が本当につらい。他人と比較して自分が劣ってることをリアルタイムで実感して採点されていく工程があまりにも耐えがたい。失望されることと関心をなくされることが人間とのコミュニケーションにおいて一番つらい。はじめから自分と隔たりのあるような存在に対して自らを下に置いて接するのはむしろ楽で好きなんだけど、一列にならんでよーいどんを評価されるのが苦手すぎるのだということを改めて感じた。

1回1回の面接を気にしないこと。切り替えが大事。という通り一遍っぽい就活アドバイスはかなり本当だった。それがオフ会の会話ですらあれもだめだったこれもだめだったと意味もなく振り返ってしまうたちなので、面接で反応が芳しくなかった一連の流れを脳内リピートしてどんどん気分を落ち込ませてしまい、やばい。

2つ目の能力的なつらさ。スケジューリング、事務手続き、所定のことを所定どおりにこなす能力がない。予約を忘れる。ESを出し損ねる。忘れ物をする。集中力が続かない。普通に社会生活を営んでいればできるはずのあれこれがどうしてもできなくて困惑するとき、心底の不適合感を覚えて気分が落ち込む。手帳を活用することは諦めた。バシッと一発大逆転劇と息巻いていたのが遠い昔のことのように思える。

3つ目のお金のなさ。半期分の学費を自分で稼いだはずが、既にボーダーラインぎりぎりまで使い込んでいる。ものすごい速さで交通費が飛んで行く。僕でこれならマジで就活をやっている文系のみんなたちはいったい毎月何万チャージしてるのかわからない。バイトを入れられない。(よしんばスケジュール的には入れられても、メンタルが安定しないので入れないのが吉としか言いようがない)すなわち生活費を稼げない。まかないで食費をごまかせない。口座残高が増えることがない。本当にやばい。

手遅れになる前に就活を終わらせることができるのか、そもそも学費引き落とし日に残高が足りるのか、考えると不安と焦燥感が増す一方なので最近はもう考えるのをやめた。いざとなれば借りるしかない。どうにかなるかは別としてそういうふうに不安に蓋をする理屈が必要で、不安になったときは常に自己暗示をかけている。金を借りる。僕は絶対金を借りるぞ。本気で金を借りる。金を借りるしかない。毎夜毎晩悩んでいるはずのことが文字に書き出してみるとめちゃくちゃ面白い。

 

どうにかなんとかなって、就活の鬱を酒の肴に出来る日が来るのだろうか。僕の見てきたインターネットの大人たちはみんなそうしてきているが、出来る気がしない。きっとみんなもそうだった。でも僕は特別出来る気がしない。ビジョンが見えない。友達がいない。2留してる。そもそも働きたくない。全然社会に出たくない。いつまでもふわふわしていたい。

でも苦しいのは嫌だし、未確定で不安定で帰属意識を求めてしんどくなるのももう嫌だ。早く確定してしまって定められて埋没して楽になりたいという気持ちが非常に強い。この文章を書き始めて1時間強が経過している。どうしてこんなことをしているのか自分でもわからない。

とにかく不安だった。不安だ。良心の呵責を感じてるときと緊張してるときのお腹の感じを足して2で割ったようなぐるぐる感がここ最近ずっと続いてる。何をやっても「就活もせずに何やってんだろ」という意識が追いかけてきて10割で楽しめない。そのわりに就活に本腰を入れようとしても劣等感でつらくなって20時間とか寝る。

だんだんtwitterと内容が変わらなくなってきてしまってきたので終わりたい。

何も考えずにだらだら書いてたら初っ端から長くなっちゃったけど、長い文章を書くつもりではないので軽い気持ちで日々の感情の備忘録をなるべく続けたい。

次は(そろそろ面接の連絡ラッシュになるはずなので、心が死んでなければ)MCバトル文化にハマっていることを書きたい。

今週末はたのしいお酒を飲みたい。