実家でIT革命
1ヶ月に一回の更新てどんなんよ、って感じだが今年も終わるし更新しておくか。
船便で荷物も送り、夫も出国し、家もなんとなく片付き、割とのんびりしている。
タイの不動産屋に紹介してもらったアパートのひとつを「君に決めた!」と言って夫がラインで送って来たが、間取りを眺めながら不安しかない。
取り敢えず決めて、気に入らなかったらまた引越しすればいいじゃない、などと気楽に考えていたがやっぱり不安だ。あっちの家はなんだって2ベッドルームとか3ベッドルームとか、無駄にベッドやトイレがたくさんあるのかねぇ。二世帯住宅やシェアハウスじゃないっつーの。
夫の自転車や工具、私の手芸用品や資材を置く場所が、その間取りの中に配置できずにいる。
キッチンも狭いし。
はー、使えないのに、なんかいらんものをたくさん送ってしまった気がするよ。
実家が近くなのでひとり身の今、夕飯をご馳走になりに行っている。
あまり実家に行くのもなあ、と思っていたが、ご飯がとても美味しい。
行くたびに写真を撮っている。
いつかこれも懐かしくなるんだろう、なんて考えている。
これ、ボクの悪いクセ。
と、右京さんのように苦笑してしまう。
今の時間、目の前の人たち、空気、写真を撮るたびに「記録している」自分を強く意識してしまうのだ。
一緒に時間を過ごすことで両親の日常を垣間見ることも出来た。
父はコタツに入り、ソファにもたれ、テレビばかり見ている。
地元のケーブルテレビのスポーツチャンネルの他に、韓国ドラマがお気に入り。
Facebookのメッセンジャーでボランティアで知り合ったベトナム人の子たちとよくやり取りをしている。海外技能実習制度で日本に来ている子たちだ。
私がラインでやり取りをしようと言ったらメッセンジャーを提案された。
Facebookをやっていない私は知らない機能だった。ベトナム人の子たちが父に教えてくれたのだ。
75を過ぎて、父がiPadやスマホを恐れず使ってくれるのは彼らのおかげと言える。
私がノートパソコンからiPadに買い替えたのを期に、父にも新しいiPadをプレゼントした。
Apple IDをすでに使用していないメールアドレスにしていたので設定には苦労した。根本的なことはわかっていないのだ。
母はこうした便利な機械に触れることはない。
頑なに避けている。
「私は古い人間なの!」
と言ってこういう時だけ年寄りぶる。
もちろんケータイも持っていない。
が、WAONや交通系icカードは使えるようになったので慣れればどってことないと思うんだけどなあ。
寒い台所でCDをかけて聴いているのを知った。
新聞広告にあったよくわからない歌手のCDを通販で買おうとしていた。
「ひとまずこの人がどんな歌を歌っているのかネットで検索して聴いてみようよ」
と言って押しとどめた。
新聞の煽り文句だけで衝動買いとか冒険すぎるでしょ。
母が案外音楽を日常聴いていることが分かったので、昨日AmazonでEchodotを注文した。
ほぼ半額でお買い得だったからだ。
思いついた昨日の今日届くのもありがたい話だ。
amazon music unlimitedにお金を払って好きな音楽を聴いてもらおうと思う。
アレクサに話しかけるの、楽しいしね。
欲張らない
転勤が決まって以来、ツキイチで友だちの家に行っている。
同じ県内ではあるが一時間以上かかるところなのでプチ旅行かよ!とめんどくさがっていたのだが、県外、いや海外に比べたらと考えたら途端に「近く」なった。
朝は早めに出た。
フリマアプリで売れたものを発送するため24時間営業の名駅の郵便局へ寄ったのだ。
24時間営業とかすごすぎるでしょ。
腹ごしらえに高島屋の美味しいパン屋さんに寄ってパンとコーヒーを。
さすがお値段も高い。
どれも美味しそう。
焼きたてのクロワッサンとか最高じゃね?
いやいや、甘いクリームのはさんであるやつとか。
いやいや、滅多にここで食べてくとかないんだから温め直してくれる惣菜系とか。
…いっそのこと、二個食べちゃう?
と無駄に悩みつつ、もう、悩んでる場合かよ!時間ないよ!と脳内で自分に突っ込んできざんだオリーブとベシャメルソースの乗ったパンにした。
こんなんで足りるかなと心配になったが食べてみたら充分だった。めっちゃ満足感。
もうトシなのに。若くないのに。変わらず欲張ってしまうんだよなぁ。
ついついとね。
お昼だって友だちと美味しいランチを食べるのにさ、「滅多にないよ!こんな機会」とか自分で限定枠作って欲張っちゃうんだよねぇ。
買い過ぎ、食べ過ぎ、良くないね。
足るを知りたいよねぇ。
今の自分に見合っただけのさ。
後から苦しくならないだけの足るをすっと、無意識に判断して生きたいもんだよ。
ゴミとお宝
なんともまあ、ほんとに物にかこまれて生きているよね。
夫の海外転勤が決まったので家の中の片付けをはじめた。結婚して以来引っ越しをしたことがないので約23年もの間に蓄積された物たちがこの家に詰め込まれているというわけだ。
子どもはいないが二人とも趣味を持っているのでそれぞれが物を買い込んでいる。
夫はバイク用品や自転車用品。私は手芸用品。
ほんとにもう、どうしたらいいのかわからない。
ひとまず本やCDから手をつけてフリマアプリに出品している。
安く出せばすぐ片付くんだろうけど、ついつい相場価格なんてものを調べてしまう。好きだったミュージシャンの昔のCDが今ではamazonプライム会員だったら無料で聴き放題になっているのを知ってびっくりする。勢いでゴミ袋につっこんだ。
なんでこんなにCD買っていたんだろ。
エレクターシェルフに並べて悦にいっていた時期があったんだよ。
ああ、嫌だ。
今じゃ埃をかぶっていてさ、フリマアプリに出品する前にめっちゃ頑張ってふいた。セスキ炭酸ソーダをしゅっしゅって含ませた古タオルでさ。CDのプラスチックケースの溝をね、そこに埃がたまって汚くなってたからさ、最後のご奉公みたいな気持ちできれいにしたの。
みんなエレクターシェルフがいけないんだよ。
これがカッコよかった時代があったんだよ。
限定で買ったぬいぐるみ人形もあってね、部屋の天袋から出てきたの。
段ボールの外箱ごとね。
開けてみたら飾ってもいないのにシミが浮き出ていてね。
ああ~嫌だ。
大きいから飾るところに困って、あと汚れるのもイヤでしまいっぱなしにしていたのね。限定品を買ったことで満足してしまったのね。そうして天袋なんて、めったに開けないところにしまい込んで忘れていたのね。
忘れたくてそこに入れたのかもしれないね。
こわいわ。
しまうところがあるってこわいわ。
今、引っ越すにあたって闇の封印を解いているところよ。
この家を売るわけでもないし、貸すわけでもないからそのまんまにしておいても別にいいんだけどさ、新しい場所に持って行かないものって言うなれば「必要ないもの」なんだよね。
ヤバいわ。
うちは「必要ないもの」だらけなんじゃね?
って気持ちが湧き上がってくる。
見てると「この本は捨てられない!」って思うんだけどそれを海外の引っ越し先にまで持って行くかって言ったら「……」ってなっちゃうんだよね。
私が今死んだら片づける人たちにほんと申し訳ないわ。
手芸用品は友達に譲るように夫に伝えてある。
もしも私が死んだら。
これはよく手芸友だちと話してることで、「アンティークレースとかフィードサックのはぎれなんて知らない人からすればゴミだよね。私が死んだら絶対家族に捨てられる」
死んだ後のことなんて心配してもしょうがないんだけど私たちにとっては「お宝」なの。
そんなお宝もため込みすぎて生きているうちに使い切れるのか、という状況になってしまっているが。
だってもう50を過ぎたんだよ。
あと生きて何年なの?って年になっちゃったんだよ。
ほんとヤバイの。
今回の引っ越しは元気なうちに片づけをすませておけっていう、いいタイミングでもあるんだよね。
と言いつつ、趣味のものにあふれた自分の部屋の中に入るともうどうしていいのかどこから手を付けたらいいのか呆然とする。
大切なものばかりのはずなのにありすぎていっそのこと全部なくてもいいんじゃない?ってどこか思っていて、もう買わない、絶対買わないって反省しきりよ。
さようなら!
私の宝物、大切な、大事にしてきた物たち。
さようなら!
ゴミ袋へ。
さようなら!
……。
親と買い物に行く
私はペーパードライバーなので運転が出来ない。
今、頼りの夫は長期出張でいないので父に頼んだ。カインズホームに行くときには声をかけてと。それが今日。父と母と三人でカインズホームまで父の運転で行った。
近所の家が壊されているのを見て母が言った。
「あそこのおじさん、死んだんだね」
「そうなの?」
「長いこと入院してたから。一人暮らしだったし。家を壊してるってことは死んだんだよ」
「娘がいたんじゃなかったっけ?」と父。
「別に住んでるところがあったらいらんでしょ」と母。
ついうちの近い将来を想像してしまう。どうせあんたも壊すんでしょ、と言われている気がする。
車中ではお姑さんの話をした。
昨日電話がかかってきて今度の土曜日、甥っ子の誕生日会を開くんだけどナナちゃんも来る?という話。
いや、それ月曜日したじゃん、私が電話したときに。うっそ!あんた電話なんかかけてきたっけ?かけましたー。そんでケーキはお母さんが買うから買ってこんでいいよって言われましたー。うそー。ほんとー。それどこのケーキ屋さんて私が聞いたら名前は忘れたけど絶対おいしいとこって言いましたー。えー。
なんてやり取り。
「月曜日の電話の話を忘れちゃうなんて、大丈夫なの?」と母。
お姑さんと母は確かひとつ違い。
「さあ?酔っぱらっとったかもって言ってた」
年老いた人たちとの会話は常にふんわりとした不安感が漂っている。
「私も昨日歯医者行くの忘れてたし!ヤバいかも。平謝りで電話したよ」
なんてよくあることみたいにごまかしたりして、不穏な空気を打ち消してしまう。それがいいことなのか悪いことなのか。
高速道路の下の曲がり角で
「こっち行くとスミヤさんちだったな」
と父が言う。
スミヤさんちももうない。
父の叔父にあたる人だった。スミヤさん夫婦に私たちはとても世話になった。スミヤさんが元気だったころはここを曲がってよく家族で遊びに行ったものだ。スミヤさんが亡くなってから叔母さんは家を修理したり、最新式のトイレを設置したりした。スミヤさんは締り屋だったから叔母さんはお金のおろし方も知らない人だった。一人息子は家を嫌って全然近寄らなくて、叔母さんの電話も無視。一時期、父が叔母さんの足代わりをしていた。結局叔母さんは一人で住むのがつらくて県外の、自分の妹の住んでいる街へ引っ越してしまうんだけどマンションを買ってそれからすぐ亡くなった。
「俺もあと三年で80だしな」
と父が言う。
「え、そんな年だったっけ?」
と私。
スミヤさんが亡くなったのが80なのでそれを意識しているのだろう。
「やり残したこととか、これやっとけば良かったとかあるの?」
と聞くと
「ない」
と言った。
カインズホームのあと、カレー屋さんでランチを食べた。
スプーンを渡したら「ナンに付けて食べるからいい」と言われた。結果カレーがたくさん残ってしまい、つい「スプーン使わないから。も~もったいないな~」と言ってしまった。
「ノブさん(父の名)、少食になったからね」
と母に言われ、ああ、私はどこか時が止まっているなと思った。
ごめん。
よみかえし
久々の投稿である。
日常をブログに書き留めることで読み返す楽しさを、と始めたこのブログではあるが、猥雑な日常を思うがままに書き留める、なんてことは出来ないのである。
ウィンドウズが発売されて「ネットってすげー!」と感動して「ホームページビルダー」でホームページを作ったころは「ネットの世界」と「リアルな世界」が分かれていた。
私の中では。
なんというか「ネットの世界」って頭の中にある世界のような気がどこかにあって混乱していたんだな。
だってそれまでネットなんてない世界にいたんだもん。
そんなうかつな人間だったので幾度か痛い目にも合い、学んだがゆえに、早々気軽にキーボードを打つ、ということが出来なくなってしまった。
しかし文章を書くという楽しさを覚えたのはそのころホームページを作ったおかげ。
いろんな人とネット上で文章という形でコミュニケーションをとったおかげで。
先日退職したが、パート先の同年代の奥様方は文章なんて書かないのである。
伝言メモすら嫌がるのである。
(それでつじつまの合わないその場限りの発言ばかりしていたのかなあ)
思うことはいろいろあれど、記録するのは楽しくて、その時その時の気持ちを書き留めるのに結局今ではブログではなく手書きのノートにぶつけるようになった。
これはもう人に見せるものではなく自分だけが読みかえすためのもの。
以前は、人に見せるという意識があるからこそ「書くことが出来る」のだと考えていたのだが、自分が読みかえすだけで十分と思うようになってしまった。
人に読んでもらいたいというのも一種の承認欲求の表れだったのかもしれない。
感情供養
6月のイベントも終わり、7月の旅行も楽しい思い出となった。
もやもやとした気持ちを抱えて現状維持でいるよりも、すっぱりと断ち切って環境を変えるべきではないかと思い立ち、今の職場に退職届を出した。
急に辞められても迷惑だろうと、キリのいいところで11月までは働くことになっている。
自分を長年苦しめていた、苦しめていた?いや、楽しかったこともあったのでこのように書くことに躊躇してしまうのだが、そんな人間関係の悩みからも解き放たれて、さあ新しい自己実現に励もうではないかと行きたいところなのにずっとぼんやりだらだらと過ごしている。
言うなればやる気がない。
スマホゲームに夢中になって頭が働かなくなっているのかな。
はまっているのはこのゲーム。
絵の中に散りばめられたアイテムを見つけ出すという単純なゲームなのだが、絵の美しさもさることながら隠されたアイテムの「見慣れなさ」も楽しいのだった。
例えばここで覚えたアイテムの単語の数々「マチェテ」「ジェズベ」「バスブーサ」「ゴブレットドラム」
聞いたことも見たことのないこれらのアイテムを絵から探せと言われてもわからんし!ととまどいつつもてきとうに画面をクリックして、偶然該当アイテムをタッチし、それを知るという世界ふしぎ発見的な面白さ。
スマホで単語を検索して、へーとなる。
いやいや、別にこんなゲームの紹介がしたいわけではない。
夏の暑さのせいだろうか。
単純に年のせいとか。
このやる気のなさを何かのせいにしたくてあれこれ理由を探しているだけなのかもしれないし、パートとはいえ10年通い続けた職場から離れることに未練がないわけではなく、別のもやもやした感情を持て余しているともいえる。
朝、BSでドラマ『おそろし~三島屋変調百物語』を見た。波留が主演の宮部みゆき原作の時代劇だ。連続5回の今日が最終回だった。サイトを見たら2014年の作品だった。当時は「ながら見」でてきとうに鑑賞していたのでよくわからないままだったが、今日は集中して観たこともあってか、物語の人物たちの語る言葉が身に染みて入ってきた。
以下はネタバレになってしまうのだが、
波留演じる、傷心の少女おちかは百物語として様々な人から不思議な話を聞くことで、そこで語られる人々に心を寄せ、境遇を理解し、涙する。それが死してからもこの世をさまよっていた彼らの魂を救い、供養することになったのだった。
誰かにわかってほしい。
そういう気持ちって誰にでもあると思うんだよね。
私も10年間ため込んでいた鬱屈した気持ちを持て余しているのかな。
ノートに書き留めることで気持ちを整理してきたつもりでいたし、人に話すことで一時的に気持ちをすっきりさせてはきたが「供養」にはなっていないんだろうなあ。
自分を傷つけた人たちを傷つけ返したいわけではないのだ。
ただただ「なんでなの?」という疑問。人に対する疑問。
悩んで、考えて、本を読んだりして、見えてきた答えはきっとそこら中に転がっている理由で。「よくあること」なんだろうなあ。
書いてまとめることで私自身の供養になる気がする。
そう。
語ることに意味があることはわかっているのだが、ネットの怖さを知りすぎて昔のようには踏み出せずにいる。でもきっと私は語りたいんだろうなあ。
何やってんだか
明日からちょっとフィンランドに行ってくる。
3月から予定を立ててようやくだ。
恒例の人形イベントの後はずっとその準備をしていてブログが書けなかった、と言いたいところだが実際はパート先の人間関係にもやもやしていてスマホのゲームに逃げ込んでいたというのが実情である。
楽しいことを考えようぜ!
楽しいことに目を向けようぜ!
と意識をそらそうとしてみたが、常に「なんだかなあ」という気持ちを拭い去ることが出来ず、ただ時間を消費することが目的みたいなスマホゲームに没頭していた。
夫に「もう準備はできた?」と聞かれても「・・・まだ」
「早く準備しないと!」と言われても「今、そういう気分じゃないの!」
などと反抗期の中学生女子のような返事をして「ありえねぇ!」と大笑いされていた。
そして渡航前の前日になって、かねてから気に入らなかったカメラバッグのロゴテープをお気に入りのリボンに縫いかえるという作業に没頭。
一応ロゴテープははずしてあったし、使われているのと同じ色の厚地用の糸は買ってあったんだけどね(´・ω・`)
リボンはたぶん30年くらい前に買ったジャンポールゴルチェのものですよ。
というわけでさらなる準備に戻ります。