「小唄らぼ」をブログでご紹介いただきました
こんにちは、花枝です。
2019年9月26日に開催した「小唄らぼ〜秋・虫の音を〜」をブログでご紹介いただきました。
ありがとうございます!
高知市内で「きもの遊び茶房ことり」をひらかれている、ことりさんのブログ記事でした。「きもの遊び茶房ことり」では、着付け教室や和裁教室などもされています。また、着物でお出かけされたり御食事されたり、着物を楽しむイベントもされています。
この日は着物で来られているお客様が多く、客席がとても華やかでした。
お天気も良かったのですが、なにせこの日…暑くて…暑くて…(2回言いました)9月下旬と思えない暑さだったのですが、そんな中素敵な着姿でお越しいただき心の底から感謝感激です!
ご紹介ありがとうございました!
よさこいで10年間同じ仕事をいただくということ
こんにちは、花枝です。
思ったことを徒然と、備忘録程度のメモ書きです。
10年前、私は本当にひょんなことから旭食品のよさこいで地方車のメンバーになりました。2019年で、旭食品のよさこい祭りに参加して10年になります。
当時の私は20代そこそこで、昼間の仕事をしながら三味線教室を細々と続けていました。
その頃の私のよさこいの知識や参加数といえば、学生時代に3回ほど踊り子として参加したぐらい。よさこい祭りを見にいくのも、行けたら行くけど、それほど熱狂的なよさこいファンでもありませんでした。
初めて旭食品の地方の仕事の打診を頂いたのは、直接の知り合いのインストラクターの先生からでした。
「三味線ができるやったら、ぜひ地方メンバーに来て!」
と誘っていただいたときは、正直なところ
「ええ?!?!よさこい祭りに出るなんてそんなそんな…!!」
という恐れ多い気持ちでいっぱいでした。
しかも、録音だけならいざ知らず、当日は衣装を着て地方に乗るというではありませんか。なんて恐れ多いんだ!旭食品の地方車に?!
お祭りの前日まで
「ビートクルセイダーズみたいにお面かぶって出たい!」
と思って、せっせとお面を作っていました。(もちろん、一緒に地方に乗る方に「それはダメです」と言われ断念しました。)
当時の私はいつも「自分は足りていない」と思っていました。
それは三味線に対する姿勢や自分自身に対してもずっと思っていました。足りていない自分が人様の前で、それもこんな大きなチームで恐れ多いと思っていました。
「きっと最初で最後になる!」
そう思って出場したのは2010年の旭食品「花鳥風月〜風〜」の年でした。(旭食品HPに出場した時の写真が載っています。)
気がつけば、翌年の2011年「花鳥風月〜月〜」にも声をかけていただいていました。
2012年と2013年には、伊野商業三味線部の生徒も連れて地方車に乗りました。
よさこいに関わると、一年が本当に早く感じました。毎年の8月9〜12日の予定が「よさこい」という文字で埋まっていくことが本当にありがたく感じました。
2015年はアメリカのディズニーで働いていたので、その年は休みました。受賞結果を聞くために、アメリカのキャンプロッジで家族に連絡したことを今でも思い出します。
帰国後、2016年に初めてMCをさせていただき、口から心臓が飛び出そうなほどドキドキしました。
今でもMCを始めるときは心が落ち着きません。踊り子さんは後列まで揃っているのか、スタートのキーは出ているのか、MCの長さはどうか、間違えないか、噛まないか、前のチームとの距離はどうか、競演場のバスの通過、アクシデントが起きたらどうしよう?
とにかく最初の
「こんにちは、旭食品です!」
を声に出すまで、直前まで緊張しています。
10年間はあっという間で、1年目の旭食品の仕事を受けた時の私より幾分度胸もついて、神経も何もかもが図太くなりました。もし1年目の自分に会えたとして、「そのうちアンタ、MCもするようになるよ。」と伝えても、絶対に信じないと思います。絶対に信じないと思います!
当時はあんなに思っていた、自分自身に対する「何かが足りていない」と思いも、ずいぶんと少なくなったように感じます。「自分はこれでいいのだ」「自分はこれが好きなのだ」「自分が必要だと思うことをするのだ」と、バカボンのパパよろしく心で呟いています。
一つだけ言えることは、「自分はこれでいいのだ」と思えるきっかけの一つになった出来事は、間違いなく旭食品のよさこいの仕事だったということです。
素晴らしい機会を下さったインストラクターの先生方、作曲の先生方、旭食品のみなさま、本当にありがとうございます。