半平のきまぐれ日記

ADHD(注意欠陥多動障害)の会社員が本を読んで、映画を見て、あるいはその他諸々について思ったことを気まぐれに綴ります。(※本ブログはAmazonアソシエイトを利用しています。また、記事中の画像は、断りのない限りWikipediaからの引用、もしくはフリー素材を使用しています)

俺はこの男が好きなんだ!

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新型コロナウイルスの第7波の流行や猛暑が凄まじいですが、皆様お元気でしょうか?

 

私も接触通知アプリのCOCOAから初めて接触通知が来たり、職場の上司が濃厚接触者になったりしています。

 

今のところは私は無事ですが、今回ばかりは逃げきれないような気がして1週間分の食料を備蓄しました。

 

今回逃げ切ったとしても、いずれは感染するでしょうしね。

 

さて今日は、今まで何度も挫折しながら、ついに先日読み終えた小説の話をします。

今回ご紹介するのはこちら、山本周五郎『樅ノ木は残った』。

 

 

 

江戸時代の仙台伊達家で起きた御家騒動伊達騒動」に材を採った歴史小説で、大河ドラマになったのをはじめ、これまでに何度も映像化されてきた、山本周五郎の代表作の1つです。

伊達騒動は歌舞伎や講談の題材にもなってきましたが、巷間では御家乗っ取りを企む伊達一門の重臣・伊達兵部宗勝の下で暗躍したとされる家老・原田甲斐宗輔を、その評価を逆転させて実は伊達兵部の陰謀を阻止すべく尽力した忠臣だった、としていることにその最大の特徴があります。

 

例によってストーリー紹介から。

江戸時代初期、4代将軍・家綱の時代、外様の名門・仙台伊達藩では若き3代目藩主・綱宗が放蕩を咎められ、幕府より隠居を命じられました。

しかしそれは、綱宗の叔父にあたる伊達兵部と幕府老中・酒井雅楽頭忠清が結託した陰謀でした。

雅楽頭は伊達家にあえて内紛の種をまくことで取り潰しの口実とすることを狙っており、兵部は伊達本家が取り潰された後に、その60万石の領地の少なくとも半分を手中に収めることを企んでいました。

これを察知した伊達家重臣原田甲斐は、内部から陰謀を阻止すべくあえて兵部に取り入ります。

これは圧倒的な幕府権力を相手に孤独に戦った原田甲斐と、権力の暗闘に翻弄される人々の群像を描いた物語です。

 


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1970年のNHK大河ドラマになったときのテーマ曲です。歴代の大河のテーマ曲の中でも出色だと思いますが、重厚でなんとなくおどろおどろしさを感じさせるメロディーは、権力に渦巻く人間の欲望や愛憎、そこで孤独な闘いを強いられる甲斐の厳しい生き様を象徴しているようです。

 

さて、先にも述べたように私はこの小説を3、4回くらい途中で投げ出しました。

その主な理由は、原田甲斐を好きになり過ぎたことでした。

甲斐が周囲を欺いて兵部に接近したことで、長年の友人も含め彼の元からは多くの人が去っていきます。

 

また、家士たちに心ならずも危険な任務を与えなければなりませんでした。

圧倒的な幕府権力を相手にして戦い、徐々に追い詰められ、孤立していく甲斐を見るに忍びなく、途中で読むことができなくなりました。

まあ、山本周五郎の小説は登場人物にこれでもかとばかりに艱難辛苦が降り注ぐものが多いんですが、甲斐の場合はその先に悲惨な末路が待ち受けていることが分かっているので、なおのこと辛い。

 

山本周五郎の作品には「人はいかに困難な場合であっても生きるべき」という哲学が流れていて、『樅の木は残った』では甲斐がそれを体現する役目を負っています。

主君のためにあえて死地に向かおうとする若い家臣に生きるように諭したり、モノローグで何度も「人は生きるべき」と語っている。

 

その甲斐があえて主家のために命をかけようとするところに矛盾があり、その矛盾こそが原田甲斐という人物の魅力であり、この物語の主題であると思うのです。

甲斐は本来、自邸で朝食会を開いて様々な人々と気さくに語らうのが好きで、権力を求めて政争に身を投じるより、野山を歩き回って狩猟をするのを愛する人物です。

そんな彼が友人たちに去られ、あえて陰謀の渦中に身を投じるのはさぞ辛かったであろうと思います。

現に劇中の甲斐は内心で何度も弱音を吐いています。

 

甲斐は歴史に名を残すべき人ではなく、伊達家の家臣として平穏に一生を終えるべき人であったと思います。

そういう人間が歴史に名を残すような立場になったことは、やはり悲劇であったと思うのです。

 

しかし、甲斐はそういう運命を従容として受け容れました。

私は命より尊いものがある、という価値観には安易に同意したくはありません。

甲斐もそうであったように人は最後まで生きることを希求すべきであると思う。

一方で命を賭けて伊達家家臣としての責務を果たそうとした甲斐の決断を間違っているとも思えません。

 

甲斐は最終的にその命と後世への汚名とを引き換えに、伊達家を守りました。

甲斐に共感しながらどうにかこうにか『樅の木は残った』を読み終えた私としては、彼が死の間際に主家が守られたことに満足し、微笑んで死んでいったことをせめてもの慰めとして、その生き様を受け止めることしかできません。

 

我ながら少々感情移入し過ぎてしまいましたが(笑)、それぐらい『樅の木は残った』には心を揺さぶられました(元々歴史上の人物とか、創作の登場人物に感情移入しやすいところはありますが(笑))。

結局のところ甲斐が史実で言われるような悪人だったのか、それとも忠臣だったのか、分からないのでしょうが、私はどちらでも構わないと思っています。

少なくとも私の中の原田甲斐は、伊達家家臣としての責務を果たして、満足して死んで行った。

私にはそれで十分です。

 

今日はこんなところです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呉越同舟inソマリア

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今日は先日見に行ってきた映画の話をします。

 

モガディシュ 脱出までの14日」


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1990年のソマリア内戦でソマリアの首都モガディシュに取り残された韓国と北朝鮮の大使館員が協力して脱出したという実話に基づいた映画です。

 

この映画は珍しく人と一緒に見に行きました。

今月中に公開予定の映画3作品の中から一緒に行った人に選んでもらったんですが、正直私の中ではいちばん見たい映画は別にありました。

しかし、この映画を見終わる頃には一緒に見に行った人のセンスを称賛したい気持ちでいっぱいでした(笑)

 

いやあ、よかったです。

今年見た映画の中では「シン・ウルトラマン」の次くらいによかった。

 

まずは恒例のストーリー紹介。

1990年、韓国と北朝鮮の間では国連加盟をめぐって熾烈な外交戦が繰り広げられていました。

鍵を握るのは大票田のアフリカで、その中の1国ソマリアにも両国が大使館を開設し、ロビー活動を展開していました。

何とかソマリアの支援をとりつけようと韓国大使のハン(キム・ユンソク)は奔走しますが、元々ソマリア社会主義国であったことや北朝鮮の妨害もあり、芳しい成果を上げられずにいました。

 

1990年12月、かねてより勢力を拡大していたソマリア反政府軍が首都モガディシュに突入してきたことで、そんな日々は終わりを告げます。

モガディシュの街は戦場となり、政府幹部は逃亡。

おまけに反政府軍が在外公館の即時撤退を要求したことで、ソマリアに残された各国の大使館や在留外国人たちが危機にさらされます。

韓国大使館は政府軍に賄賂を渡すことで辛うじて安全を確保していましたが、そこに自国の大使館を反政府軍に襲われた北朝鮮大使のリム(ホン・ジュノ)、大使館員たちとその家族が助けを求めてやってきます。

ハンが渋々彼らを受け容れたことで、国外脱出に向けた奇妙な協力関係が始まるのでした。

 

私はこの映画で見るべきシーンが2つあると思っています。

1つ目は中盤の韓国大使館が現地の群衆に取り囲まれるという状況で、そこで群衆をなだめるために対外放送のテープを流すというシーンがあるんですが、そのテープから流れる文言と繰り広げられる情景の対比が、強烈な皮肉になっている。

この演出は見ていて鳥肌が立つぐらいゾワッとしました。

 

2つ目は終盤、無事にソマリアからケニアに脱出した一行が韓国と北朝鮮から、それぞれ出迎えを受けるんですが、その前後の流れが彼らが個人として共感し、分かり合えたことを示唆すると同時に、それでも互いの立場の違いから決して交わることが許されないことを象徴的に示している。

イデオロギーや国を超えて人と人が親愛や友情を抱き得るのだという希望と、それでもイデオロギーや国のちがいによって対立せざるを得ないという絶望を同時に突き付けられるような、胸が苦しくなるような葛藤を味わえます。

 

この2つのシーンを見るだけでもこの映画を見る価値はあると断言できます(あと、終盤のカーアクションも迫力があります)。

 

 

 

ソマリア内戦と言えばこの映画。時系列的には「モガディシュ」の2~3年後の時代になります。アメリカ軍が国連派遣の多国籍軍の名の下にソマリアに「人道的介入」を行った顛末を描いた映画ですが、政治外交に理想主義を持ち込むことの是非について激しく考えさせられます。「モガディシュ」を見た後に久しぶりにこの映画を見たくなりました。

 

 

ソマリアという国はアフリカには珍しく、国民の大多数がソマリ人で構成されているんですが、その点同じ民族同士で対立し続ける韓国と北朝鮮と似ていると言えるかもしれません。

おそらくこの映画の作り手もそこは意識していると思います。

だからここそ、韓国にとっても遠い国であるソマリアの内戦を、あそこまで生々しく描けたのだろうと思います。

そのあたりのメンタリティーは所詮4つの島の中で、比較的均質な民族構成でぬくぬくと暮らす日本人にはわかり得ないものなのかもしれません。

 

それでも私はこの映画を1人でも多くの日本人に見てほしいと思います。

感じ方は人それぞれあるにせよ、見た人の中にきっと何かを残す映画であると思うから。

 

今日はこんなところです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

安倍元首相の訃報に接して

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昨日、とても衝撃的で悲しいニュースが日本中を震撼させました。

 

1936年の二・二六事件以来となる首相経験者の殺害。

 

青天の霹靂のようなこの事件に私も非常なショックを受けている者の1人です。

 

今日は自分の気持ちに整理をつける意味と、私なりに呼びかけたいこともあり、記事を書くことにしました。

 

 

まず記事を書き始めるにあたり、安倍元首相のご冥福を心からお祈りするとともに、ご遺族と関係者の皆様に心からお悔やみを申し上げます。

 

8年の長きにわたり首相の重責を担われ、時に病身をおして内外の困難な政治課題に立ち向かわれた姿は、間違いなく日本の政治史上に残る偉大な政治家のそれでした。

 

謹んで哀悼の意を捧げます。

 

 

さて、今回の事件に関して容疑者の動機や背景がまだつまびらかではありませんが、政治家に対する暴力行為は、一個人に対する犯罪であると同時に民主主義に対する重大な脅威であり、理由のいかんを問わず決して擁護されるべきものではありません。

 

しかし一方で、日本の憲政史をつぶさに見ていくと、日本が政治的テロと無縁ではなかったことに気づかされます。

 

たとえば戦前においては6人の現職首相や首相経験者が暗殺の憂き目に遭っています。

 

戦後も浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件や伊藤一長長崎市長射殺事件など、政治家に対するテロ事件は枚挙にいとまがありません。

 

また、70年代の赤軍派によるテロ事件や、90年代のオウム真理教のテロ事件も暴力による政治体制の変革を目指した政治テロでした。

 

 

人類の歴史上の大部分において政治権力の移行や政治体制の変化は、暴力と流血をともなうものでしたが、近代民主主義はそれを言論活動と選挙による穏当な方法によってなそうというものでした。

 

しかしながら、民主的な手続を踏んで行われた決定にどうしても納得しない人間は、必ず一定数いるものです。

 

その中の「使命感過剰、思慮過少」な連中が愚かにも実力行使に及び、不幸にもその凶刃が実際にだれかを傷つけ、殺してしまう可能性は常にある。

 

その意味で、民主主義とは常に潜在的な暴力の脅威にさらされ続けているといえるでしょう。

 

だからこそ、国民一人ひとり、有権者一人ひとりが民主主義を守るべきであると思うのです。

 

 

戦前の日本にも議会制民主主義が存在していた時代がありました。

 

しかし、それは機能不全におちいり、やがて軍部主導の独裁的な政治体制に取って代わられました。

 

その理由の1つは、1920年末から30年代にかけての一連の政治テロ(先に述べた6人の首相らの暗殺のうち、4人はこの時期に殺害されています)によって多くの政治家が凶刃に倒れ、残った政治家(だけではなく言論人や一般大衆も)は暴力への恐怖から口をつぐんでいったことにあるでしょう。

 

議会政治が死んだ後に取って代わったのは軍部主導の独裁的な政治体制で、その体制の下で国民の自由は大幅に制限され、やがてその政府は国家と国民を戦争による破局へと導きました。

 

 

その過ちを繰り返さないためにも私たちは、戦前以来86年ぶりに首相経験者がテロの凶弾に倒れたこのタイミングで、民主主義を守るための行動をする必要があると思うのです。

 

それは決して大げさなことでも難しいことでもありません。

 

いつもと変わらぬ生活を送り、明日に控えた選挙を粛々と行う、ただこれだけです。

 

暴力によって社会は1ミリたりとも変えられないということを示すのです。

 

他にもいるかもしれない、よからぬ企みを抱いている連中に自分たちの無力を悟らせなければなりません。

 

 

私は様々な問題はあるとしても(いま私がしているように)、だれもが自由に発言でき、自由に表現でき、自由に行動でき、自由に生きることができる、今の日本が大好きです。

 

そして未来にこの国を生きる人々にも、そういう日本を残したいと思う。

 

 

何度も繰り返しになりますが、自由な言論活動と民主的な選挙、その他の自由が保障されている今の日本において、暴力によって政治を変えようとする人間は(いかなる思想信条、理想を持っていたとしても)、愚か者であり卑怯者以外の何者でもありません。

 

たとえば将棋に勝てないからといって、盤をひっくり返すような―その程度の人間に負けないためにも明日からもいつもと変わらぬ生活を送り、人生を楽しみ、そして胸を張って投票をしましょう。

 

私ももちろん、選挙に行きます。

 

 

今日はこんなところです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

初恋はいつだって美しい

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一瞬梅雨らしくなったと思ったら、すぐに真夏のような猛暑が来ましたね。

 

まだ6月なのにこの暑さで、おまけに今年は電力不足が懸念されるというので先が思いやられますが、自分の力の及ばないことを気に病んでも仕方ないので、できる範囲で節電にこれ努めたいと思います。

 

 

さて、最近は「人生の10冊」シリーズを書いてきましたがそれも半ばに差し掛かり、残るのは重い本ばかりということで、休憩を挟みながらやっていきたいと思います。

 

今日は私の思い出話を交えながら、映画の紹介をしたいと思います。

 

 

今日紹介したい映画は「ラストレター」(岩井俊二監督、2020)。

 

 

 


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高校時代の初恋の思い出と邂逅することになった中年の男女を描いた映画です。

 

44歳の若さで亡くなった姉・遠野未咲(広瀬すず)の葬儀に参列するため実家に戻っていた岸辺野裕里(松たか子)の元に姉の高校の同窓会の知らせが届きます。

 

姉の死去を知らせるため同窓会に向かった裕里でしたが、姉と間違われ訂正することもできず、姉のふりをしてスピーチまでさせられます。

 

同窓会の帰途、高校時代に未咲に片思いしていた乙坂鏡史郎と再会します。

 

実は裕里にとっても乙坂は初恋の人でもありました。

 

色々あって裕理は未咲のふりをして音坂と文通することになり、その文通を通じて裕里と音坂は高校時代の互いの初恋と向かい合うことになる・・・という話です。

 

 

この映画を見終わったときの印象は、とにかく「美しい」の一言でした。

 

この映画のことは劇場公開の時から気になっていましたが、結局劇場には見に行かず、先日配信で初めて見ました。

 

公開当時に同じ職場に勤めていた、ラブストーリーとか見なさそうな60過ぎのおじさんが「いい映画だった」と言っていたのが印象に残っていましたが、自分で見てその理由が分かった気がします。

 

初恋はたいていの場合実らないし、格好よくもなくて、何だったら無様ですらあるとしても、そういうことは都合よく忘れて(あるいはそういうところもひっくるめて)美しく結晶化して残り続けるようなところがあると思います。

 

そういうだれの中にもある「美しいままの初恋」を見せてくれるような映画でした。

 

あるいは初恋にまつわる苦さや後悔というところも含めて肯定して、その上で明日からも生きることに背中を押してくれるような、そんな映画でした。

 

一生忘れられない恋があってもいいし、それを胸に抱いたまま生きてもいいじゃないかという。

 

見終わった後に素直に「見てよかった」と思えました。

 

 

岩井俊二監督による原作本です。

 

 

さて、なんでそんな映画を急に見ることを思い立ったかというと、ひとつの夢がきっかけでした。

 

私、今までの人生で一度だけ女性からラブレターをもらったことがありまして、その子が夢に出てきました。

 

彼女は中学の同級生で卒業間際にラブレターを渡されました。

 

今よりはるかに初心だった中学生の私は、他に好きな人がいるという理由で、結局断ってしまいました。

 

彼女とは別々の高校に進学したので卒業以来、今にいたるまで一度も会っていません。

 

それが15年以上経って初めて夢に出てきたのが懐かしくて、彼女にもらったラブレターを読み返したり、1枚だけ一緒に撮った写真を眺めたりして、初恋にまつわる映画まで見てしまいました(笑)

 

 

当時断ったのは真面目さ故だったのかもしれませんが、今から考えれば、彼女がどれだけ勇気を出して私に手紙をくれたのかということも想像できるし、ひとりの人から好意を寄せられることがどれだけ貴重かということも分かる。

 

 

こんな私のことを好きになってくれたんだから、その思いに応えてあげればよかったと思ったりもします。

 

まあ、今さら悔やんでもしょうがないんですが。

 

 

彼女とはもう一度会ってみたい気もするし、きれいな思い出のままでいてくれた方が幸せなような気もする。

 

いずれにしても私に恋をしてくれた経験や、そのことを伝えたという経験が彼女の人生にとって、少しでもよい影響を与えてくれてたらいいと思います。

 

そして私も、たぶんすごく純粋で、混じり気のない「好き」をくれた1人の女の子のことを忘れないようにしたい。

 

 

思いがけず初恋の思い出を思い出すことになりましたが、いい映画に出会えたことも含めて、素敵な経験でした。

 

自分もそんな齢になったのだという感慨も嚙み締めつつ。

 

 

今日はこんなところです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

【人生の10冊】それでも「現実」と戦い続けるということ

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

 

もうすっかり夏の陽気で、季節は突然変わるということを実感させられますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 

私は今の会社に入って1か月が過ぎ、馴染んできたように思います。

 

通勤経路にある商店街においしい和菓子屋さんがあり、顔を覚えられるほどに通っていますが、そこが最近売り出した「コーヒー大福」というのが絶品で最近は毎日のように仕事帰りに買っています。

 

 

さて、おいしい和菓子の話はこのくらいにして今日も張り切っていきましょう。

 

今日紹介するのは「人生の10冊」の4冊目にして初の漫画、坂口尚『石の花』です。

 

 

 

 

 

 

 

坂口尚は1970年代から90年代に活躍した漫画家で、手塚治虫の創設した「虫プロダクション」に勤務するアニメーターでもありました。

 

漫画家としては哲学的で詩的な作風が特徴で手塚の後継者と目する向きもありましたが、96年に49歳の若さで急逝しました。

 

 

今日紹介する『石の花』はこれまでに5回版を変えて出版された坂口の代表作で、第2次世界大戦下、枢軸国軍の侵攻と占領を受けたユーゴスラビアを舞台にした長編漫画ですが、本題に入る前にユーゴスラビアという国について簡単に説明したいと思います。

 

ユーゴスラビアは1918年から2003年までヨーロッパのバルカン半島に存在した多民族国家でした。

 

有名な「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国」という言葉がユーゴという国の持つ多様性を象徴しています。

 

 

ユーゴスラビアバルカン半島にあったセルビア王国を中心に周囲の諸民族(「南スラブ人」と総称されます)が合同する形で建国され、国号も「ユーゴスラビア王国」で旧セルビア王家を推戴する立憲君主国でした。

 

政治・軍事・経済上の実権は事実上セルビア人が独占したため、他の民族からの不満が高まりましたが、とりわけ国内でセルビア人に次ぐ多数派であったクロアチア人との対立は、その後のユーゴの歴史に重大な影響を及ぼしました。

 

 

第2次世界大戦勃発後の1941年、クーデターによりユーゴに親英・反枢軸政権が成立すると独伊軍を中心とした枢軸国軍が侵攻し、その占領下に置かれます。

 

占領下のユーゴでは、枢軸国側についたクロアチア系のファシスト政党であるウスタシャと、セルビア系抵抗組織であるチェトニクの抗争(互いの民族への虐殺をふくむ)を軸に解放戦争が展開されましたが、最終的に民族を超える支持を集めることに成功した、社会主義を掲げるチトー率いるパルチザンがほぼ独力でユーゴ解放に成功します。

 

戦後に王制は廃止され、チトーを首班とする社会主義連邦共和国となりますが、社会主義国でありながらソ連と対立。

 

「チトー主義」と呼ばれる独自のイデオロギーを掲げて独自外交を展開し、国際社会で存在感を発揮します。

 

国内的にもチトーの指導力により比較的安定を保ちますが、80年のチトーの死や冷戦終結、経済格差の拡大などにより民族対立が高まり、92年に内戦が勃発。

 

歴史上稀に見る凄惨な内戦の末にユーゴは7つの国に分裂し今に至ります。

 

 

 


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ユーゴスラビアの歴史については昨年死去した柴宣弘氏の著書がよくまとまっているのと、下のYouTubeの解説動画がわかりやすいと思われます。

 

 

さて、そんなユーゴを舞台に物語が展開される『石の花』ですが、端的にいうと「暗い」、そして「重い」(笑)。

 

なにしろ開始早々に枢軸軍の侵攻があり、主人公の少年クリロはクラスメイトを全員殺され、故郷の村を焼かれます。

 

家族とも離れ離れになり、山中でさまよっているところを反枢軸のゲリラに助けられ、否応なしに解放戦争に身を投じていくことになります。

 

物語はクリロとドイツ軍の収容所に入れられた幼馴染の少女フィー、そしてクリロの兄でパルチザンとドイツ軍の二重スパイとなったイヴァンの3人を軸に展開されますが、三者三様それぞれに戦争の陰惨さと人間の醜悪さをこれでもかと見せつけられ、葛藤することになります。

 

善人だろうが悪人だろうが次々人が死んでいって、読むほどに眉間にしわが寄り顔がくもっていくんですが、それでもページをめくらずにはいられないだけの力がこの作品にはあると思います。

 

 

クリロ、フィー、イヴァンのそれぞれの物語についてひとつひとつ語ると長くなりすぎるので詳しくは本編を読んでいただくことにして、ここではクリロの物語について話したいと思います。

 

パルチザンに加わったクリロは最初、故郷を焼き払い、友人たちを殺した枢軸軍への復讐に燃えますが、戦いの過程で敵の兵士たちにも自分たちと同じように家族がいることを知り、イデオロギーや民族のちがいで同じユーゴ人同士で相争う様を見るなどの経験をして、次第に戦うことへの疑問を感じていくことになります。

 

もちろん枢軸軍への憎しみはあるし、故郷を取り戻すには戦うしかないことも頭では理解している。

 

しかし、敵とはいえ自分たちと同じ人間である兵士たちに銃を向けることへの割り切れなさも感じていて、そこでクリロは迷い、葛藤することになります。

 

そして物語のラスト、戦争が終わり解放されたユーゴで、勲章が授与されることになったクリロが上官に語った下のセリフが、この戦争でクリロが見て、聞いて、考えたことを凝縮しているといっていい(この引用部分を読んで、少しでも心がざわついた人はぜひこの漫画を読んでみてください)。

 

 

 

坂口尚『石の花』(潮出版社)、第6巻、電子書籍版、239~244頁

 

この上官が言う、「多少の矛盾があろうと現在の平和を築き保つ」という視点も大事ではあると思います。

 

現実を無視した理想が時に大きな悲劇を生んだ例も歴史上いくつもある(例えば現実を無視して暴力でそれを変えようとした人々が50年ほど前にもいて、先日その一人が釈放されましたが)。

 

しかし、だからといって「現実」を際限なく受け入れていいということにもならないと思うのです。

 

 

人間には所詮完全な平和も、矛盾もなくすべての人が幸せな社会も実現不可能なのかもしれません。

 

しかし、だからこそ少なくとも現実を少しでも「マシ」にしていく努力をするべきなのだと思う。

 

それは負けそうになっている将棋を少しでも勝ちに近づけるために指し続けるような、現実との果てない戦いであるのでしょう。

 

あきらめるのでも怒って盤をひっくり返すのでもなく。

 

理想というのはその時にひとつの道しるべにするような、道具というか手段として必要になるのだと思うのです。

 

 

かく言う私もとある企業で日々の仕事をつつがなくこなすことに汲々としている、しがないサラリーマンに過ぎません。

 

でも自分なりに現実と戦って、現実を少しでもマシにするためにささやかでも自分なりにできることはやり続けたい(このブログもその一つであるつもりですが)。

 

みんながそうすれば、それでみんなが幸せな世界がくる―世の中そんなに単純ではないけれど、それでも悩み続け、歩み続ける強さが人間のもっとも善い部分の一つだと思うから、そうし続けようと思うのです。

 

 

今日はこんなところです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【人生の10冊】正しく生きられるだけじゃない、人生だから

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

 

先日、職場で健診があったのですが、1年以上ぶりに体重を計ったら1キロ以上太っていました。

 

BMI値を計算してみたら肥満度1でしたので多少心を入れ替えてダイエットしようとおもっています。

 

けれど通勤経路においしい和菓子屋さんがあってついつい帰りに買い食いしてしまうのですが(苦笑)

 

 

さあ、気を取り直していきましょう、人生の10冊シリーズの3冊目。

 

今日は10冊の中で唯一の古典にして宗教書、唯円歎異抄』です。

 

 

 

 

 

 

浄土真宗の開祖・親鸞の弟子の唯円が師の教えを正しく伝えるべく著した、親鸞の言行録&親鸞の教えの解説書です。

 

 

作家の司馬遼太郎の愛読書としても有名で、彼は「無人島に1冊持っていくなら歎異抄を持っていく」と語っていたとされ、若き日に出征した際にも歎異抄を携えていったといわれています。

 

 

学生時代に親鸞唯円を題材にした倉田百三の『出家とその弟子』を読んだことが、私が『歎異抄』を読むきっかけでした(『出家とその弟子』にも色々思い出があるのでいつか書きたい)。

唯円親鸞の言ったことをかなり細かく覚えていて、彼の師に対する思いの程が伺えます。

 

歎異抄といえば善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや(善人でさえ救われるというのに悪人が救われないということがあるでしょうか)(※引用文は適宜現代仮名遣いに改める。また、訳文は筆者による。以下同じ)という一節が有名ですが、他にも私が好きなのをいくつか拾ってみましょう。

 

悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆえに(いかなる悪であっても阿弥陀仏の「すべての生きとしいけるものを救う」という誓願を妨げるほどのものではないのですから、恐れる必要はありません)

 

苦悩の旧里は捨てがたく、いまだ生まれざる安養浄土は恋しからず(苦しみに満ちたこの世は去りがたく、安らぎに満ちた浄土に行きたいとは思われないのです)

 

わがこころのよくてころさぬにはあらず、また害せじとおもうとも、百人・千人を殺すこともあるべし(私の心が善であるから人を殺さなかったのではなく、それをするだけの縁がなかったからです。また、いくら殺すまいと思っても縁さえあれば100人でも1000人でも殺すでしょう)。

 

 

私は歎異抄を通読したのは最初に読んだときを除けば、今回記事を書く前に読んだくらいですが、時々上記のような好きな一節を拾い読みしたり、思い出したりしていて、その度に救われたような気分になっています。

 

 

私は数ある仏教の教えの中でも親鸞の教えがいちばん好きなんですが、その理由は「信じようが信じまいが、善だろうが悪だろうがすべての命あるものを等しく救う」と説いていることです。

 

たとえば不幸にして罪を犯してしまったような人も(それこそ連続殺人犯のような人でも)少なくとも最初から罪を犯すべくして生まれてきたわけではない。

 

その行為は正当化できないとしても、そこに至るまでには無数のターニングポイントがあったはずだし、中には本人の責任に帰せられないようなこともあったでしょう(私は大切な人をだれかに殺されたこともないからこのようなことが言えるのかもしれませんし、自分がその立場になっても同じことを言える自信はありません。けれども私は自分なりに考えたうえであえて言おうと思います)。

 

 

そこまで極端な例を持ち出さなくても、正しいことをしたい、善いことをしたいと思っていたとしても、結果的にそうでないことをしてしまうことはだれにでもある。

 

その度に後悔したり、自己嫌悪したり・・・歎異抄に書かれていることというのは、そういう人間に寄り添ってくれる言葉であると、私は思います。

 

だからこそ、1000年近くこの本が読み継がれているのでしょう。

 

 

私はこれからも歎異抄に書かれている言葉に何度も救われるでしょう。

 

正しいことだけできるわけでもなく、善いことだけできるわけでもない、この人生において。

 

 

今日はこんなところです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

三千院阿弥陀三尊像。阿弥陀如来の脇に控える観音、勢至の両菩薩の姿勢が前かがみになっているのは、衆生に「そこでお待ちなさい。救いに行ってあげますよ」という意味だそうです。

 

 

蛇足:先日映画の「シン・ウルトラマン」を見てきましたが、理屈抜きで人間を好きになって、献身的に守ろうとするウルトラマンの姿を見て阿弥陀仏を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【人生の10冊】打たれ強く生きたい  

いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。


今年は久しぶりに緊急事態宣言も蔓延防止重点措置も出されていない中でのGWとなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

海外に出国する人も多いようですが、私は自分の住む街から1歩も出ない予定です(笑)

このブログもGWだから多く更新するということもさらさらなく(むしろ1本でも更新したことがすごい)、平常運転でやってまいりたいと思います。


さて今日は「人生の10冊」の2冊目。

城山三郎『打たれ強く生きる』。



城山三郎といえば経済小説、企業小説の先駆的作家の1人で、後年には歴史小説を多く手がけました。

若い頃に戦争末期の海軍に志願して入隊し、特攻部隊として訓練を受けているうちに終戦を迎えたという経歴を持つだけに「組織(国家)と個人との関係はどうあるべきか」という問題意識が根本にあるような作品が多いように思います。

また、逆境に立ち向かっていく人間や、組織によって理不尽な目に遭わされても挫けない人間を描かせたらこの人の右に出る者はいないと、個人的には思っています。


そういう小説ももちろんいいんですが、それに勝るとも劣らずこの人の書くエッセイが私は好きです。


城山三郎の小説でいちばん好きなのがこれ。昭和初期に金解禁に果敢に挑んだ首相・濱口雄幸と蔵相・井上準之助の半生を描く。長い左遷生活に耐える濱口の姿が胸に沁みる。


なんならこのブログをやっているのも「城山三郎のエッセイのような文章を書いて人に読んでもらいたい」という思いが、多少なりともあると思います。

多くの企業家や歴史上の人物たちを小説に描くことを通じて培われた人物観察もおもしろいんですが、根本的にこの人が人間の強さや賢明さ、善性といったものを信じていることが行間からにじみ出るようで、(前回紹介した山本周五郎とは別の意味で)読んだ後に元気をもらえます。

巷に溢れる自己啓発本やビジネス書を10冊読むより、城山三郎のエッセイ集を1冊読む方がためになるんじゃないかと、私は思います(笑)


今回紹介する『打たれ強く生きる』を最初に読んだのはたぶん学生時代か、社会人になりたての頃、あるいは就職浪人をしてる頃だったかもしれません。

もう何年も開いてなくて、今回の記事を書くにあたり久しぶりに読んでみたんですが、驚きました。

「ボクシングでチャンピオンになるのはだれよりも打たれ強いボクサー」とか、「毛利元就が相手の好みに合わせて、酒を出したり饅頭を出したりしていた話」とか、私が心がけていることや気をつけていること多くが、この本に書いてありました。

もうどこで知ったのかも忘れていましたが、最初に読んだのはこの本だったと思いだしました。

それについて書いていってもいいのですが、せっかくなので10年近く社会人をやって、三十路になった私が読んで、改めて印象に残ったエッセイについて、いくつか書いていこうと思います。


まずは「初心安心」、「左遷のなかから」、「配転ははじまり」。いずれも自分の意にそまぬ場所に置かれたとき、左遷されたときにどうするかとい話。

特にサラリーマンをしていると望むような仕事ができる方がむしろ稀で、必ずしも希望に適わない部署に配属されることもあるし、左遷されることもある。

例えば後に日本化薬の社長になった原安三郎は、学卒で入社して炊事係に配属されました。

原はそこで腐らずに「どこの米がうまいか」、「米の味や価格の差はなぜ出るのか」といったことを追究していった。

そうやって自分なりにその部署でやるべきことを見出していけば、どんな仕事をしていても得るものは必ずある―私も人事職ということで今の会社に入社しましたが、いざ蓋を開けてみると仕事の半分以上は社内の古い書類の電子化。

けれど、スキャンニングひとつ取ってみても、原稿に応じた最適な設定や手際のよい取り方など、なかなかに奥が深い。

今は「社内でいちばんスキャニングが上手い男」になるのが密かな野望です(笑)

それに空いた時間を使って、会社の製品について図書館で借りた入門書から読んで勉強するのも知らない事実、意外な事実を知れておもしろいものです。


まあ、今の時代は必ずしも一つの会社で働き続けるわけではないし、私自身3回転職した経験からすると、自分の中に「どうしても」という理由があれば転職したりするのもありだとは思います。

私の判断基準は「そこでがんばることで自分や周りが将来的に幸せになる可能性があるか」ということと、「忍耐のための忍耐」になっていないかということ、この2つの基準をクリアしなければ、職場自体を変える。

ただ、どこに行こうと思い通りにならないことは必ずある。

その「思い通りにならなさ」から自分がどれだけ前向きな意味を見つけられるかが大事だと思うのです。


城山作品では『男子の本懐』と並んで好きなのがこの小説。史上唯一、民間から国鉄総裁となった石田礼助の生涯を描いた痛快作。自らの信念を貫き、だれに対しても同じ態度で接する石田の姿が格好いい。


十年で勝負」と「自分だけの時計」はいい意味でマイペースであることの大切さの話。

「自分だけの時計」はすでにこのブログで紹介しましたので(人生の時計 - 半平のきまぐれ日記)そちらに譲りますが、「十年で勝負」もなかなかおもしろい。

蛇の目ミシンの経営再建を託された嶋田卓弥社長、就任会見で居並ぶ記者たちに「10年かけて再建する」と言い放つ。

その真意は早いばかりが能ではない、会社という、人が集まった組織には時間をじっくりかけて取り組んだ方がいい部分もある。

何やら常に急かされているような気がする今の世の中ですが、そうした時代だからこそ「いい意味でのマイペースさ」が必要な気がします。

ちなみに実際は、嶋田社長は4年で再建の目途をつけ、「社長と帽子は軽い方がいい」という名言を残してさっさと社長を退任しました。

長く居過ぎてむしろ弊害の方が大きくなる「創業社長」や「中興社長」も少なくない中、鮮やかと言うしかない身の処し方です。

ちなみに嶋田社長は2時間半の長距離通勤をしていたそうで、私も2時間かけて通勤しているので親近感が湧きます(笑)


どんな人にも丁寧に接することが大切と説くのが「味方をつくる」。

昭和電工などを創業した森矗テル(漢字が出ない)は面接で不合格にした応募者の元にも自ら出向き、丁寧に頭を下げたといいます。

その人たちを「未来のお客」にするという気持ちで。


私自身、転職活動をしていて思いましたが、たとえ不合格になっても面接官に丁寧な対応をされるとその会社に悪い印象は抱かないし、むしろ応援したくなる。

反対にとても横柄な面接官もいて、そういう面接官(ある会社は社長自身がそういう面接官でした)の会社は割と冗談抜きで「潰れたらいいのに」くらい思う。

人は自分がしたことは簡単に忘れますが、されたことは覚えているもですし、人の縁はどこでどうつながるか分かりません。

自戒を込めて「味方を一人でも多く、敵を一人でも少なくする」つもりで人に対してはなるべく丁寧に接したいものです。


まだまだ取り上げたいエッセイはありますが、あまり長くなってもいけないのでこの辺で。


今日本で働く人のほとんどはだれかに雇われて働く人、つまりサラリーマンです。

昔歌にあったような「気楽な稼業」ではなくて、人間関係やらなにやら苦労の多い稼業かもしれません。

けれども嫌な上司や気の進まない仕事からこそ学べることもあるし、やってよかったと思える仕事や出会えてよかったと思える上司や同僚もいる、苦労もそれなりにありますが、この稼業のおもしろさがようやく分かりだしてきたところです。


軽やかになんてとても生きられないけれど、代わりに私は何度打たれても立ち直る、打たれ強さを携えて、明日からもサラリーマン人生を生きていこうと思うのです。


今日はこんなところです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。