ありがとうゴジエヴァ交響楽、本当にありがとう。(22日昼/ネタバレあり)
天野正道さん、東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団、山木秀夫さん高水健司さん今剛さんエリック宮城さん宮城純子さん、和田薫さん、高橋洋子さん、林原めぐみさん、松尾諭さん。そして東海大学吹奏楽研究会の皆さん!全スタッフの皆さん、ありがとうございました!#ゴジエヴァ交響楽 pic.twitter.com/ncIPxjw6IJ
— 株式会社カラー (@khara_inc) 2017年3月24日
公式パンフレットに鷺巣詩郎氏はこう書いていた。
この『ゴジエヴァ交響楽』(庵野監督の会社のスタッフがこう呼んだのが気に入った)に書いているのは、以下「4パターン」の譜面である。
・第一に「横線に忠実な曲」
サイズがCDもしくは劇伴使用尺と同じ。
・第二に「縦線に忠実な曲」
楽器編成が録音時と同じ。
・第三に「縦横ともに忠実な曲」
第一第二どちらも同じ。いわゆる完コピ。
・第四に「縦横ナナメとも自由な曲」
特製アレンジ、秘密の工夫などが施されている。
これだけ豪華な面々が、これだけ大きな編成で奏でるのだ。一から四まで、いずれにせよ非常に意義あるチャレンジ、かつ最高のエンタテイメントになって然るべし。その願いをこめてずっと譜面を書いている。
『ゴジエヴァ交響楽』はゴジラ対エヴァだけではなく、上記で言うところの第一~第三「アレンジ/完コピ:原曲準拠」と第四「リミックス:原曲破壊」の対決(?)であるようにも感じられた。原曲準拠の部分ではモニターに映された劇中シーンと音楽がピッタリ合わさり、まるで映画そのものを見ているような感覚にも満たされた。(エヴァ破やQの音などはオーケストラを何重にも重ねて作られていたし、シン・ゴジラの音楽もレコーディング前提で作られたものであるはずなのに、それをステージ上で出会う事を可能とさせるということは途方も無いチャレンジだったろう……。)
一方原曲破壊の部分では正に驚きの連続、予想だにしていなかった「ゴジラとエヴァの曲がミックスされる状況」も何度かあり、林原めぐみ氏がMCで言うところの「ゴジラなのかエヴァなのか」という状況が正に「ゴジラ対エヴァである」と感じられた。次の展開を予測できてしまう気持ちよさと、次の展開が予測できない気持ちよさが交互に訪れ、それが信じられないコトに現地で、生の音で体験できたという状況が幸せ過ぎた。正に最高の体験だった。正直最近ロクな事がねえなと思っていたけど、生きてて良かったと思えた。
自分はエヴァもヱヴァもゴジラも、鷺巣さんの音楽も(ヱヴァQの音楽をほぼファミコンアレンジしてしまったほど)大好きだから、企画を聞いた時から、自分のサイフの方など見向きもせずに、これは行く以外の選択肢がねえええええなどと考えていました。それでも九州という遠隔地から参加できたのは色々なことが丁度恵まれていたと言う他ない。幸せ過ぎた僕の頭はもう東京に行く一週間前くらいから若干おかしくなっていて、逆に東京に行く前日や当日になるとひどく落ち着いていた。公演前夜、渋谷のXギャラリーでゴジラ三人展を見ている時も、素晴らしいゴジラの絵に胸を打たれつつも、どこか夢の中にいるようなぼうっとした気持ちでいた。
本当は二日くらい行きたかったものだけど、大事な予定があったためギリギリ一日目の昼公演のみ行く事が叶った。オーチャードホールに着いてみると人がいっぱいいるし、ホールの中も綺麗でデカいし、クロークに荷物を預けた事も初めてだったため普通にテンションが上がった。
取れたのはA席で、二階席。前の方に居る鷺巣さん(というか、現実感がなさすぎて本当に鷺巣さんかな?と思った。メッチャ服派手だし)や指揮者の天野さんから新国立劇場合唱団の皆さんまで見渡せたし、距離も近かったので大満足。しかし、演奏者どうしのコンタクトが意外と多く感じたので、オペラグラスを用意しておけばよかったと思った。天井の関係でモニターだけが少し見切れてはいたが、流れるのは見た事のある劇中シーンのみだし、それほど気になる程度ではなかった。入場時に確保しておいたパンフレットには以下の様に曲目が提示されてはいたが、ここは1頁も開かずに、何が来るのか楽しみにしていようと思った。
1.Persecution of the masses(1172)/シン・ゴジラ
楽器のチューニングから、会場がゆっくりと暗くなり、鷺巣氏がピアノを弾き始めた時にスクリーンが明るくなる……徐々に作品の世界へと没入していく感覚は、シン・ゴジラの鑑賞体験の時とはまるで違っていた。鷺巣氏のピアノからオーケストラと徐々に広がっていく状況は、まるで、鷺巣氏がこの音楽を生み出した瞬間に立ち会っているかのようであった。コーラスが加わってパワフルな神聖さが会場に満ち満ちた後は、出る言葉もない。息すらずっと止めていたような気がする。
2.メドレー Contre Les Agressions (EM04_A)~Showdown (EM05_A)/ヱヴァ序
ゴジラの襲来からガラリと雰囲気を変え、初号機が勇ましく出撃する。あっそうか! ゴジラが出たから初号機を出撃させるんだ!! ゴジラ対エヴァはこの瞬間から始まっていた!! というのもあながち間違っておらず、この曲から「ゴジラなのかエヴァなのか」と言いたくなるような、やりたい放題ミックスがひょっこり顔を出す。それに加えて、早くもドラムやギターが入り乱れ交響楽とは一体……なカオスな盛り上がりに発展していくさまに、僕のテンションは早くも最高点に到達した。って、この勢いで盛り上がってしまえば確実に死んでしまう!! 早くも死の危険を悟る怒涛の展開が『ゴジラのテーマ』と共に荘厳に終わりを迎えた時、MCであるお二方が登壇。林原めぐみ氏、松尾諭氏。現実に存在していたのですね。びっくりです。(林原めぐみ氏は初号機カラーのドレスを着ていた。)
3.Angel of Doom(EM21)/ヱヴァ序
威厳に満ちたヱヴァ序の名曲。PVも何も見ないで序を見た時に衝撃を受けた事を思い出した。終わり方が非常に好きだ。ノリノリでアツい曲にサンドされているがために比較的気持ちは穏やかになるポイントではあるが、それでも静かに熱くなれた。全体的に、エヴァTV版発の曲ははっちゃけたアレンジ大爆発、それ以外の新劇やシン・ゴジラの音楽はオリジナルを大事にしている印象を受ける。TV版エヴァやシン・ゴジラ一部曲の自由度は、オーケストラ主体ではないからこそだと感じる。まあ、聴いている時はそんな事考えてらんないんですけどね!!
4.メドレー Les Bêtes(EM05_B~2EM29_E5)/ヱヴァ破
バンドとオケが生でこんなにも同調するなんて、体験したことが無い!! 破で「一番速い曲」と言われていた『Les Bêtes』がこれほど縦横無尽に演奏されるとは思わんかった。それも、ゴリゴリ特濃版で。途中ではエリック宮城さんが生トランペットのソロを披露。トランペットがホール中に響き渡って、鼓膜をびりびり震わすんです。この人の肺の作りマジでどうなってんの……って感じやった。
散々暴れ狂った後で、曲目に無い『Instabilite』オーケストラ版が演奏され、浄化される思いがした。
5.メドレー 1174_rhythm~Black Angels (Fob_10_1211)/シン・ゴジラ
6.タバ作戦(Fob_01)/シン・ゴジラ
7.Defeat is no option (1197)/シン・ゴジラ
何故か「『タバ作戦』や『Defeat is no option』は演奏されないんじゃあ……」という気がしていたので、それどころかタバ作戦から内閣総辞職ビームまでノンストップで突っ走るとか、ちょっと待て最高かよと思った。完全に覚えているわけではないけど、台詞が自然と脳内再生されて楽しかった。『THE BEAST』を大胆に取り込んだ『1174_rhythm』以外は、原曲を緻密に再現している様であったがために、原曲との細かな違い、アレンジが面白いと感じた。原曲より速く畳みかけるような『タバ作戦』のイントロが印象的。というか『タバ作戦』、コーラスやバンド無しでのあの音の圧力はスゴイ!!
8.Who will know OST/シン・ゴジラ
OSTと冠する通り、劇中と同じ始まり方。高橋洋子氏がするりと登場、原曲と印象を変えた情緒的なソプラノが胸に刺さる。というか、高橋洋子氏に対して思い込んでいた声域のイメージと実際の声が違い過ぎて、「えっホントに高橋洋子?」ってなった。面と向かって聴いてみても美しく悲しさを煽る様な曲であるはずなのに、そこはかとなく恐ろしい感情に駆られるのが不思議だ。演奏中は「うわあ……やめろお……」となるのに終わりに近づくにつれて「えっ……まだ聴きたい(見たい)終わらないで……」ってなるところも映画を見てる時と同じやん!!
9.おまけメドレー/シン・ゴジラ
休憩の途中で(!) 『early morning from Tokyo』が演奏されるのだが、「うわーーーーーーーー今かよ」と心の中で叫んだ。早めにお手洗いを済ませて席についておいて心底良かったと思った。続いて『EM20_CH_alterna_01』『EM20_CH_alterna_03』『EM20_CH_alterna_04』の『巨災対テーマメドレー』が演奏される。この時壇上には『おまけメドレー』を演奏する、スペシャルゲストで構成されたメンバーしかいないのだが、曲が進むにつれ残りの交響楽団の皆さんが入場してくる時、『巨災対テーマメドレー』はその入場曲のように感じられた。胸が熱い。
10.伊福部昭トリビュート その1
ゲストの和田薫氏の素晴らしい指揮による、伊福部音楽大進撃!!『ゴジラ上陸』(初代ゴジラ)~『ゴジラ復活す』(キングコング対ゴジラ)~『ゴジラ登場』(メカゴジラの逆襲)まで休みなく、じっとりと走り切る。『ゴジラ上陸』などは原曲でも驚くほど沢山のコントラバスを使用していると聞いた記憶があるが、今回の演奏でもコントラバスがずらりと並んでいた。腹に響く低音、迫ってくる感じが恐ろしくてたまらない!(途中でモニターが操作ミス?で一瞬切り替わってしまったために、次の曲目がわかってしまった!)
この後のMCで松尾さんがアメリカで会った特撮好きの人が「ゴジラ」とかじゃなくて漢字の「伊福部昭」っていうタトゥーを腕に入れていたという話が面白すぎた。
11.The Final Decision We All Must Take(0902)/ヱヴァ破
『Keep Your Heads Above The Mayhem』を彷彿とさせるパーカッションから、この曲へ。この曲に限らず、合唱の入る曲が演奏される時は毎回そうだったけど、演奏中、この後は確かコーラスが……と思った数秒前に合唱隊が一斉に立ち上がる瞬間にいちいちゾクッとしていた。そして、この曲での「合唱隊が立ち上がる瞬間」が一番ゾクッとした。理由はわからんけども。メイキングか何かでこの曲の録音風景を見たような気がするが、その時から「やべえコレ生で聴きてなあ」と思っていた音楽が目の前で再現されている喜び!それにしても、こんなにストレートに熱くなれる曲だったろうか。益々原曲が好きになった。
12.メドレー Cruel Dilemme(EM09A)~Des Cordes(KK_C01)/ヱヴァ序・破
前半は宮城純子氏のピアノが印象的な『ヤマアラシのジレンマ』のアレンジ。そして今剛氏の軽やかなギターが刺さる『Des Cordes』。そして最後に、曲目に無かった『thanatos』が穏やかにシメる。激しい曲では理性を保ち切れていなかった僕でも、ゆっくりしっとりした音楽を聴いているとそれを聴いていた時の事を思い出したりして、懐かしい気持ちにもなった。激しい曲では前面から強いパワーで押されるような気持ちになるが、穏やかな曲は自分の後ろまで空間を取り巻き、包まれている様な感覚になる。この点も、生で体験するに心地良い違いであると感じた。
13.メドレー Gods Message(C17)~Dark Defender(C16)~The Anthem(C15)/ヱヴァQ
ゴジラ対エヴァの渦中、突然のレッドノア、そしてNノーチラス号が乱入!!(ちがう)僕の中でテンションが最高潮に達し始めたのはこの曲からである。エヴァQの曲は「これとこれは演奏してくれるのだろうか……」という好きな音楽ばかりだったので、好きな音楽の演奏が始まる度にもう心の中で「ああ……ありがとう!!ありがとう!!」と脳内爆発しまくっていた。サントラ収録版の激しいイントロやワンダバまで演奏してくれる時点でテンションメーターはギュンと上がるし、ただでさえ『起死回生』から『Nノーチラス号』という最強のメドレーは底抜けに盛り上がるのだと再認識。しかし、改めてナディア版の原曲から滅茶苦茶カッコイイアレンジだよなあ。『バベルの光』の原曲に無いパートなんかは絵にすげえ合うし天才かよ……ってなる。コーラスは勿論のこと、ブラスのパワーを感じるメドレーだった。
14.メドレー It will mean Victory(SD2_01)~The Wrath of God in All its Fury(Nu09)/ヱヴァQ
ヱヴァ破の『L'Agresseur』に戻った!?と思わせて僕がヱヴァQでトップクラスに大好きな曲である『It will mean Victory』が流れ出す。バンドアレンジ→オーケストラの移り変わりが原曲の様でそうでなくて、カッコイイ!!それから間髪入れずにQのクライマックス曲である『The Wrath of God in All its Fury』。原曲に存在しない「コーラスメインでない主旋律」で溜めてから、2ループ目でやってくる、地獄の底から響き渡る様なコーラス、め、滅茶苦茶カッコいい!!涙腺的にはここが最高点だった。この時、情けない事にいつの間にか涙が溢れていた。
15.Under a Burning Sky(1174)/シン・ゴジラ
16.終局(Omni_00)/シン・ゴジラ
もうここまで来ると極限まで盛り上がるしかない、と言わんばかりの選曲。音楽集のボーストラックにすらないコーラスも盛りで演奏された!!『終局』が流れた時に、もう終わるのか……という寂しさを少しばかり感じたけど、実際そんなことはなかった。
17.メドレー EM20~EM10_Q~EM20/ヱヴァ
『THE BEASTⅡ』~『DECISIVE BATTLE』~ヱヴァQ版『EM10』怒涛のエヴァ曲三連撃。ああ、もう終わるのだな……といよいよ寂しさを感じ始めていた頃、一階客席の通路にマーチングバンドの一団が現れた——二階客席からその様子はすぐに分かり、僕の近くに座っていた人達も体を伸ばしてその様子を気にし始めた。まさか……の予想通り、突如現れた東海大学吹奏楽研究会の一団は、『DECISIVE BATTLE』を通路から演奏し始めたのだ!! 僕にとってはこの時こそ今回の演奏会最高のサプライズ。正に、会場全体が音が包まれる幸せは最上のものだった。マーチングバンドの物量に一人で対抗するエリック宮城さんのトランペットソロもヤバかった。
18.伊福部昭トリビュート その2
だが、この「会場全体に音が響き渡る幸せ」はこれで終わりではなく、まだもうひと形態進化を残していた。和田薫さんの入場と共に演奏される溜めに溜めての『宇宙大戦争マーチ』!! その時、客席から手拍子が!! ああ、僕の手も勝手に手拍子を!! 会場のありとあらゆる全ての場所から音が鳴り響き、正に会場はこの時一体となった。人類補完計画と簡単に喩えたくはないけれど、この体験を「補完された」と呼ばずしてなんと呼ぶのか!?
この少し前にMCの林原めぐみ氏が「息を潜め、ある時は大きな息をつきながらこの時を楽しんでほしい」という風に言っていたのが心に残っていた。静かに脳内爆発させながら、息を殺してこの時を楽しむという経験は映画やコンサートならではだと思う。感動、感謝の気持ちを外に爆発させる時があるとすれば曲の終わりなどに拍手する瞬間だけだ。しかしこの時、僕は声をあげたくなるほど爆発した。「好きな音楽に合わせて手拍子をする」という体験がこれほどに楽しいとは思わんかった。壇上のフルオーケストラ+通路上のマーチングバンドという時点で猛烈にヤバイのに、観客も全てがヤシオリ作戦で一緒になってゴジラを倒したのだ!!!という感じ。とにかく最高に楽しかった。
19.シークレット その1
20.シークレット その2
高橋洋子氏登壇、この日発売されたWho will knowの日本語バージョンを披露する。うわあ……浄化されてしまう…… 生歌は初めて拝聴したけれど、本当に長年経ってもその力強さは変わらないのだなあと思う。衣装も神々し過ぎた。
続いて、オーケストラの穏やかな旋律が「まさか……?」と思わせた時、半分無いだろうと思っていた『残酷な天使のテーゼ』が!! スクリーンには今迄一切出てこなかったTV版エヴァのシーンが映るし、なんか物凄く色々な事を思い出してしまった。感慨に浸りながら手拍子しまくった。猛烈にパシャりかけた。客席の熱量もさすがに物凄かった。フィナーレではゴジラのテーマと「神話になれ」の応酬に「そうか、これゴジラ対エヴァだったわ!」と思った。ゴジラとエヴァがエールの交換をしているとも感じられたし、なんだもうコレ訳分かんねえなってなって笑ってしまった。
最後の最後には、庵野監督がサプライズ登壇!客席からも「ウオオオオオオオ」という声が聞こえた。「アンノオオオオオオオ」という声は流石に聞こえなかったけど。林原さんに花束を渡す姿に、「ああ……存在しないのではと半分思っていた方が、存在しないのではと半分思っていた方に花束を渡している……」と、メッチャ胸が熱くなった。なんかもう……本当にこの会場が俺の中で神話になったな、という感じがした。
こうして書いていると滅茶苦茶モノスゴイ体験を自分はしたのではないかという気がしてきた。しかし、僕の貧相な言葉で表現しきれないほど豪華で、濃厚で、贅沢すぎる体験だった。ゴジラに関しては本当に、近年にかけて多くの「贅沢すぎる体験」との出会いがあった。熊本や宮埼や福岡の美術館でゴジラ・怪獣関連の展覧会があり、長い間モニターの向こうの存在であると信じていた本当の着ぐるみをこの目で見るという経験が短い間で何度もあった。シン・ゴジラやギャレス版ゴジラが存在しない時期では考えられないことだ。近年起こったこの目まぐるしいゴジラ体験のフィナーレと言える体験ができたと、ゴジラ好きの目線からは思う。シン・ゴジラでは聴けなかった『ゴジラのテーマ』の大胆な鷺巣アレンジが聴けたのも最高だった。エヴァ/ヱヴァ好きの目線からしてみても、序~Qを生の音で回顧するという素晴らしい体験ができた。「生の音」と「生の人の声」のコラボレーション、パワーを改めて感じ、その上で「生の自分」が参加する喜びをもたらされた、本当に幸せな時間だった。
それにしても、これほどまでにアニメや、ゲーム音楽の演奏会が行われるようになったのは、奇跡のようなものなのであろう。今回のパンフレットには鷺巣詩郎氏と片山杜秀氏の対談が収録されているが、前回の『エヴァンゲリオン交響楽』のいきさつを知った時、大変驚いた。このパンフレットも読み応えがあり、鷺巣詩郎氏を始めとした多くの方々の今回のコンサートや、劇伴に対する思いに胸が熱くなれる物であるので、多くの人に触れてほしい。
しかし、ここまでやって頂いて何であるが、ここまでやっておいて次回が無いとは言わせないというのも本当の気持ちである。シン・ゴジラに関しては完全に「実際の映画を流しながらスクリーンに合わせて演奏する」という事が可能であると思ったし、エヴァに関しても、まだ演奏されていない曲で素晴らしいと思う曲は多い!『空しき流れ』『閉塞の拡大』『Carnage』『GodsGift』など——勿論今回の演奏会でもこの上ない程のサービス選曲に頭を垂れたが、エヴァに絞ればあの曲もこの曲も——と、帰路につく時考えてしまったのも正直な話である。『シン・エヴァ』が上映された時、『エヴァンゲリオン交響楽・完全版』をやってほしい!この素晴らしい体験を地方の人にも、海外の人にも聞いてもらえるように、公演地の幅を広げて欲しいという気持ちもある。
このコンサートの思い出を幾度と無くリフレインしそうにもなるし、Blu-rayソフトやCD(出るよね?)を買って何度も見返す事になるのだろうが、こうして文章に残すことでひとまずの決別としたい。鷺巣詩郎さん、庵野監督、演奏された方々、司会のお二人、関係者、そしてオーチャードホールのスタッフのみなさん、本当にありがとうございました!!!
「シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽」全公演が終了致しました。御来場いただき、誠にありがとうございました!お客様が暖かく、出演の皆さんも喜んでいました。総監督としてこのコンサートの全てを創り上げて下さった鷺巣さんに最大限の感謝を! #ゴジエヴァ交響楽 pic.twitter.com/9tTveRW3YM
— 株式会社カラー (@khara_inc) 2017年3月24日
「シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽」の編集版がBSプレミアムにて4月30日(日)22時50分〜24時放送予定です!
— 株式会社カラー (@khara_inc) 2017年3月24日
昨日のニコ生中継はタイムシフト公開中です。 #ゴジエヴァ交響楽 https://t.co/lVtt7sMi0h
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— ゴジラ公式通販サイト ゴジラ・ストア (@godzilla_st) 2017年3月24日
2017年3月22日(水)~3月23日(木) Bunkamuraオーチャードホールにて公演された「シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽」コンサートの記念パンフレットを数量限定で取り扱っています。お一人様2冊までです。https://t.co/EbgjVOw094 pic.twitter.com/rSgv6Q3AGm
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蛇足(過去作品紹介)
『シン・ゴジラ』 Persecution of the masses /上陸(予告1音楽) 8bitファミコン風 - Shin Godzilla music 8bit remix
エヴァQファミコン音色化計画:FINAL 1/2 Evangelion 3.33 8-bit remix 1.0+2.0
エヴァQファミコン音色化計画:FINAL 2/2 Evangelion 3.33 8-bit remix 3.0+4.0
『ゴジラ』について考えてた事を書き留める
以下の文章は一昨年僕がレポートの課題で提出したものに加筆した物です。
自分が怪獣映画に対してどういう考えをもっていたか確認したくなったので見直した次第です。
『ゴジラ』という映画に、派手なヒーローやスピード感溢れるアクションは存在しない。唐突にして現れた巨大な怪獣が、暗い音楽と共に東京の建物群を破壊しながら歩き回り、海に帰っていくというのがこの作品の山場である。だがこの映画は長くにして語られ、ついには米国の映画会社レジェンダリー・ピクチャーズ*1より、ストーリーこそ違えども初代のスピリットを受け継いだ形でのリメイク作品が公開された。何故一つの映画作品がここまでの人気を呼び2004年までに20作品以上にものぼる続編作品の制作を可能とさせ、そして何故今にしてこの映画は再び作られたのか。その理由の一つとして、言うまでも無くゴジラという存在が当時の空気とに恐るべき反応を示していた、という事が挙げられる。映画は元々「世相」を映し、時代の尺度となる面があるだろう。「世相」というものについては、時代の雰囲気といった曖昧な物から、その問題そのものをトレースしたような物までと幅広い。『ゴジラ』の場合は後者で、さらに公開された時期は特別注目されるべき時期であった。
水爆実験で覚醒した太古の巨獣ゴジラが東京を襲撃して都心を火の海に化すという……(略) (注2)
即ち、ビキニ岩礁と第五福竜丸。広島と長崎、原爆。東京を同じように襲った大空襲。これらは戦争経験という一つの名の元に束ねられる。日本の中でそれは限定的な地区で行われた物ではない、日本全体を痛ましさに満たした時であった。『ゴジラ』という作品はこの問題と向き合った。「ゴジラ」という怪獣はこの問題を背負う宿命を与えられた。重すぎるほどのこのテーマを背負った怪獣はしかし、スクリーンの向こうの私達に対しては何かを語り掛けるという事をしないで、黙していた。無論動物は語る事をしない。否、動物は人間と意思疎通を取る事があっても、「通過するだけの災害」が人間に言葉で語り掛ける事などしない。だが、ゴジラは確実に、言葉では無い何かを残してはいった。それはスクリーンの内においても外においても同じ事であった。言葉で何かを残す事とは明らかに異なっている部分がある。それは、一人一人が受け取るメッセージは同じ物では無い、という事だ。「反核の象徴」という意見が確かに多くはあったが、客観的に見れば一つの自然災害であり、それでもある人はそれをまだ愛嬌の残留する破壊動物と見た事だろう。後の映画にて語られる散り散りばらばらの「ゴジラ像」からも、それは見受けられる事だ。例えば2001年に作られた『ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃』では、
金子(この作品の監督)はゴジラを戦争の亡霊と解釈した。(注3)』
ゴジラという存在に様々な意味があったからこそ、この作品は語り継がれた物であると言わねばなるまい。多くの意見が交わされ、確かな答えは絶対に提示されていなくとも、それを作った人の心の中には何か答えに似た物が存在していて、少なくともそれは何も考えずにつくられた意見では無い。一人の人間に生まれる答えが一つとも限らず、もしかしたら今その人間がはらんでいる問題全てを、その作品は包み込んでしまうやもしれない。そうした多義性を含んだ映像が後の世代にまで答えも出ないのに議論され続けているというパターンは多い。それは、間接的な言葉で語られる様な作品においてもそうだ。『ゴジラ』については、「黙せども語っていた」。それは鮮烈なグラフィティによる訴えである。巨大な怪物が我らの知る風景を破壊していく――それだけでも十分鮮烈なはずであるのに、その怪物にはキャラクター性を感じさせる存在感があった。それは、着ぐるみを通してゴジラを演じる役者の存在があったからである。見えている物は一つの怪獣スーツでしかない。だが、その中から動きを通して人格にも等しい生物感が伝わってくるのだ。その訴えにはとてつもない力が備わっている。授業においても「絵」の持つ情報の優位性は非常に高く、私達の生活の上でもイメージは溢れているという話題は出た。例えば、一つの小説を読む時に、私達は文章で見たそのままで意味を受け取ろうとするだろうか。確かにそうであるという人もいるだろうが、その文面から感じ取ったイメージをあたかも映画の様に脳内再生する、という人も多くいるだろう。小説からグラフィティに変換するという事はあれど、映像から文章に脳内変換する事など、作家志望でも無い限りあまりしないはずだ。イメージが持つ力は強大である。2014年のゴジラでも視覚的に語る場面は多く、監督であるギャレン・エドワースも、そのために目だけで感情表現が出来る俳優を主人公に抜擢したと語っている。(注4)
1954年の『ゴジラ』は現実を留保させるような娯楽作品では無かった。極めて社会と結びつき、人々の心と共鳴した作品であった。ところで映画とは芸術作品であるが、社会と結びついた芸術作品と言えば興味深い物がある。「社会や誠意運動にアート的方法や表現を積極的に活用した活動一般、過激な制作表現とも言えるそれ」をある人は「アーティヴィズム」と呼ぶ。情報の波に飲み込まれそうになるような混沌で、本当の事を知りたいとは誰もが思う事だ。しかし、世界のカタチは「隠蔽」「監視」様々な形で塗り潰され書き加えられ、参考文献の言葉を借りれば『善も悪も似たような面構えで目の前に現れる』。(注5)つまり、人そのものの感性を頼りにして生きなければならないのだ。鋭敏な感性を持った存在は、社会の中の本質を取り出す事が叶うかも知れない。だが、それ以外の人間は、何を感じれば良いのか。鋭敏な感性を持った人間が本質を伝達する、という方法が一つあるだろう。言葉でそれを試みる人は多くいる。だがそれは危険な面もある。強大な力を持った人間がそれをやれば抑圧を招く恐れもあるし、言葉の連なりだけでそれを受け取ってしまう人も多いだろう。だから、ある程度からは個々の感性に委ねる必要がある。人々にその状況を気付かせた上で、それをどのように受け取るのか見届ける……つまり、伝わるように、ミニチュアのように俯瞰でそれを観察する事ができるように加工されたような、現実の鏡の如き存在が必要なのである。前述したグラフィティの鮮烈さは、それを実現するのに十分ではないだろうか。例えば、『Ztohben』という事件。
2007年、6人組のアーティストがチェコの公共放送の番組中、田園風景で核爆発が起こる合成映像を流したという事件である。これも一つのアーティヴィズムであるが、「テレビが伝えれば真実なのかという懐疑の提議と、メディアへの侵入は可能だという実践」が意図されたという。リアルタイムでこの様な物を見せられた人々は、もう一時でも何かを感じ、また考えずにはいられないだろう。
『ゴジラ』もリアルタイムを映した作品であった。だから後世に渡って受け継がれるゴジラも、時代の問題から目を背ける事無く映す作品が多くあった。戦後の歴史についてさほど詳しく無い私が、「こんな事がこれくらいの時期に問題化されていたのだな」と知るきっかけになったのは、ゴジラシリーズであった。「ゴジラ」というキャラクターが社会の問題を、また前述した様な存在の多義を包み込み得た理由とは何か。幾ら鮮烈なグラフィティがそこにあったとしても、人々が過去と同じ解釈でそれを見るとは思えない。例えば「ゴジラ」の場合その鮮烈さは薄れていき、CGによる映像が普及した今では着ぐるみが滑稽にすら感じられる。ゴジラという存在が未だ持つ価値とは何か。それを知るためにはリアルタイムでは無い、ずっと過去を意識せねばなるまい。即ち、神話などが息づいていた過去の話である。事実1954年の「ゴジラ」も、初めてその姿を現したのは神話の息づく島で、その島の伝説の神になぞらえて「ゴジラ」という名前が付けられたのだ。単なる生物では無く、この世ならざる物という解釈。全てを包み込む様な巨大さは、目に見えるそのままというわけでもない。日本人は台風、地震を真に受ける度に「自然には勝てない」という事を思い知らされた事だろう。だから日本人はある時自然を神と見立てたりする事を覚えた。その様な感覚は日本人にしか存在しないと思われるかも知れないが米国の方が名付けたゴジラの英語表記は、「GOJIRA」では無く、「``GOD``ZILLA」である。この世の問題全てを諌めるような神の力、日本人の、あるいはヒトと名の付く物全ての感覚そのものに訴えかける様な存在感はいつまで経っても変わる事無く、ゴジラにはあるのだ。
社会の本質を映した鏡、映画もやはり同じ様な物である。戦争体験の失せた今でも、3.14、津波、原発――向き合わねばならない要素は山の様にある。中でも「原発」の問題は、ゴジラが再び立ち上がるには十分過ぎる問題だ。2014年のゴジラもその問題とは逃げずに向き合っていた。それに、長年プロデューサーとしてゴジラシリーズに携わってきた富山省吾プロデューサーはこう語っている。
原発の問題はまさにいまですが、ゴジラで伝えられることは常にあります。人類への警鐘だったり、時代が抱える漠然とした不安の象徴だったり。……(注6)
全てを包み込む事が出来る存在。意外と自分の内部にその答えと行かずとも手がかりがあったりするかも知れない。問題を起こすそのものの人間に内部があり、その内部がまだ吐き出していない物、大切な物は守られろうとするものだから、その中に真理があったりするかも分からない。「リアルタイム」と過去からある感覚、人間の根底にある感性に訴えかける様な要素を足す事で、起こりうる化学反応。少し利用してやるだけで「美徳の学校」足りうる作品を生み、語り継がれる作品を生み、多くの人の心の共感を呼び起こす作品を生むだろう。これは映画というジャンルのみの話では無いように思えるのだ。精神の「本性」、それだけではなく外界のもの全て、外的な自然、それだけではなく内的な自然。2つの物と向き合う事で私達は、感性の世界で社会に働きかける事すら叶うのではないだろうか。
参考資料:
映画『GODZILLA』パンフレット
(注2):『ゴジラ映画の歴史』の項の初代ゴジラ説明文より抜粋
(注3):『ゴジラ映画の歴史』の項の同名映画説明文より抜粋
(注4):監督の発言より抜粋
(注5)美術手帖 2012年 3月号特集『REAL TIMES』、美術出版社、p10-11,p40,p80
(注6)Pen 2014年7/15号特集 『ゴジラ完全復活!』、阪急コミュニケーションズ、p22-p23,p30-31(注釈箇所は雑誌Pen No.363より抜粋)
『ゴジラ』1954年
ゴジラ (1954年) ~GOZILLA~ (Blu-ray) (PS3再生・日本語音声可) (北米版)
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『GODZIILA』2014年
↓同じ時期に耳コピしたやつ
TNGパトレイバー『首都決戦』もとい『GRAY GHOST』サントラの感想 その2+本編の感想
※ネタバレ注意
※『感想』です
その1はこれ↓
見えない戦闘ヘリ東京に現る
劇中後半、『決起』が始動した後の活劇BGMも全て、『突入 вторжение』に負けず劣らずな、状況に合わせてシームレスに変化するロングスコアだ。Tr.12『決起1』はこれまた違う意味で振り切れた曲である。どう振り切れているのかを簡潔に言うとすれば「これはおかしい」の一言で表せよう。
ストリングスを主体とした『ごっごっごっごっ』をバックに、東京へ『決起』に向かうグレイゴースト。灰原の台詞は『状況を開始する』。劇パト2を見たならこれから何が起こるのか予想できるだろう。そしてこの後画面が切り替わり、二課棟の外にヘリの音が響いているのを聴いて、全てを察するだろう。破壊されていく二課棟の絵が切り替わると、例の『グレイゴーストのフレーズ』をバックに、グレイゴーストが廃墟となった二課棟の上空を飛びまわっている。視点の切り替えと同調する曲展開が美しいと感じるが、問題はここからである。シゲさんががっくりと肩を落とすところでシリアス調の曲は変貌、べんべべん、といったシゲさん悲しみのテーマが流れ始めるのだ。しかし、悲しみに暮れている場合じゃない!とシートに隠されたイングラムの姿が顕わになる!と共に勇ましい曲調に変わったかと思うと――警視庁の、会議室の暗がりへ絵が切り替わると共に、曲はやはり展開と同調するかのように抑えられる。この勇ましく盛り上がる旋律から急激に静まっていく瞬間が川井さんの音楽ではたまらないポイントなのだが――それにしてもこの曲の展開、心情表現から状況に至るまで一つに繋げてしまう事に関しては伝統芸能級だろう。別の曲と曲が繋がった感じでなく、これは一つの曲の一部だと抵抗なく受け入れられる。この繋ぎは最後の活劇BGM『第二小隊始動』でも効果的に感じられるだろう。
曲自体が待ってました、な『ごっごっごっごっ』から始まる様は劇パト2の『Outbreak』。ストリングスの区切りからなる『ごっごっごっごっ』というのは川井さんの様々な曲に使われているが、ヘリや戦闘機――とにかく、重たい何かが飛ぶ情景と本当によく一致している気がする。『ごっ』単体は確かに重く、すぐに落ちてしまいそうなものだが、『ごっ』と『ごっ』の間にあるその空白ちゃんが絶妙で、『ごっ』が落ちてしまわないような作用をもたらしているのだろう。(何を言っているのかわからんでしょう)この空白が長ければ浮いて沈む浮いて沈むという、足の動きのような、つまり行進曲のようになってしまうだろうし、逆に短くても浮いた先の地面を感じさせず、逆に『ごっ』の存在する先を独立した平面のように感じてしまうため、浮いているとは思えないだろう。(首の据わっていない人間が語っている事だと思ってください)
さて、画面は会議室の暗がりである。会議室で後藤田隊長のドラマにおける一番の盛り上がりがあるが、音楽は抑えめになっているため、場の緊張と裏での事態の進行というものが、淡々さと共に感じられる。ただただ連続する沈み込むようなバスドラがとてもクール。この特徴的な、沈みこむようなバスドラの音はいつから使われるようになったのだろうか?ここで途中から控えめに流れる『グレイゴーストのフレーズ』らしき物が、バスドラの連続と相まって、絵だけでは絶対に推察できない、近づきつつあるグレイゴーストの足音に思えてくる。そして――沈み込むようなバスドラの音がすっと消え、ヘリのローター音と軋む様な音と不穏な音の上昇が極まったところで、見えない襲撃に包まれる会議室。そして視線が切り替わった時、キーが高くアレンジされた『グレイゴーストのフレーズ』が開けた東京の上空に響き渡っている!この開放感と高揚感!『グレイゴーストのフレーズ』というのは不思議な旋律である。特徴的である包み込むようなコーラスは、覆いかぶさる恐怖を彷彿とさせるのに、不思議な高揚感を得ることすらある。『決起1』でグレイゴーストが首都を蹂躙するシーンでのこのフレーズは高揚感に重きを置いたアレンジがなされていて、ますますグレイゴーストから攻撃されている感覚と、グレイゴーストに乗って首都を蹂躙する感覚、心持次第でどちらの側にもつく事ができる。
インビジブル・モンスター対陸自ヘリ 世紀の大決斗
Tr.13『決起2』首都を背景にして戦うグレイゴーストとコブラに当てられたBGM。事態の『転』を表すような上がり下がりを繰り返す旋律のウネリが例によって『ごっごっごっ』をベースに流れる。それがコーラスと共に広がって収束したところですっと止む。それから大事な会話シーンをまたぎ、再び浮き上がる『ごっごっ』から展開する、はち切れんばかりの重たさがグレイゴーストを後方から狙うコブラを執拗なほどに見せつける。派手な交わしの無い緊張さには、以外にもこの激しいとも言える旋律の重たさがよく似合うように感じられる。曲が高まり、攻撃!という瞬間でグレイゴーストが消え、都庁舎の上空から現れたところで最初流れていた旋律のウネリが再び、『グレイゴーストのフレーズ』で余りにも使われたコーラスにより、グレイゴーストの意味を纏いつつ再び現れ、それから一気にコブラは食われてしまう。このグレイゴーストが都庁舎の上空から現れる場面も、絵と音楽の一致による快さを感じるシーンであると思う。この直後のコーラスのウネリは、非日常の勃発する東京の風景に完全に同調し、染み渡っている。
Tr.15『第二小隊始動』いつまでやってんだ早くイングラムを出せ!が限界にまで溜まったのを一気に解き放つような勇ましいデッキアップが行わる。そこからの音楽はひたすら、ただただ緊迫さと勝利に至るまで(そう、正直なところこの安心感に満ちたイントロには少し抵抗があった。勿論すぐに緊張さにシフトするから良いのだが、前までの緊迫感に満ちたBGMと併せて、この曲で急にスイッチが切り替わるような感じは、どうにももうワンクッション欲しい、という感じを覚えた)『決起2』での旋律のウネリが盛り上げの主な担当。明が音響センサーを作動させ、ヘリの位置を耳を頼りに探すシーンでは、しっとりとしたシンセがヘリの音に興味を向けさせる。このしっとりとしたシンセをきっかけに、しばらくは明の、対象への集中が描かれる――など、やはり状況の一瞬一瞬に合わせた旋律を経て、最後の盛り上がりへと移行するのだ。バスドラを基調として淡々と盛り上がっていたのにスネアが組み合わさり、結末への着陸を予感させた所で、情景はスローになり、シンセに包まれる。そうして一気に高まった所で、長らくこのサントラの傍にあったバスドラと風切り音が沈黙の代わりに間を作り――そこから先は一気に解放、上昇。鳥肌が立たない訳がない。川井さんの手掛けた某他映画の某長尺音楽のようになるとわかっていても、あんなこんな風に締まるとわかっていても、新しい、少し予想を裏切った終着点に誘われる。不思議である。何か別の期待や思惑を生む前に戦いの終わりを的確に語るTr.15『別離と再会』へと移行したのも良かった。
一つ漏れた物があった。Tr.07『追想の河』である。情緒系で個人的TNGシリーズのトップ。旋律を大事にしながらも、漂う空気感はパト2と同じく東京の風景との適合性を大事にしている様に感じる。だが、当てられた絵と高畑の『天の声』に私は距離を感じた。勿論、それを比喩するものは散りばめられているのだろう。しかし、何か突きつけられるものが欲しかった。(勿論押井節の到来に、舞い上がったのも確かだ。それにしても、である)
どうしてもパト2のあのシーンと比較してしまうのは仕方ない事だと思うのだが、あのシーンにおいては絵も、台詞も、音楽も、全てのモノが同調していて、初めて見た時の私にも分からないなりに、何かを突きつけていった。灰原零やテロリストの希薄さも、後半の盛り上がりを何か後引かれる事なく盛り上がれるという点で良く作用したが、そうではなく何かを突き付けて欲しかった。勿論この映画を見た後歩み寄って考える事はできる。しかしただただこの映画を見て残る事とは何だろうか。何か心に引っ掛かるものを作るためには、人間のストーリーが必要だと思う。しかし、この映画だけでそれが成り立つものはあまり前に出ていないか、抽象的な物だった。90分版では言わずもがな、特車二課の中でのやり取りが大幅に補われたDC版ですら、直接的なダイアログが足りない様に思えた。特に押井氏も言っていた『女性同士の戦い』という点で。明が密かに遊馬に印象を残していった灰原に対抗心を燃やし、彼女のバスケットボールでシュートを繰り返していたというのは分かるが、それも『そうじゃないのかな』と察せられる程度で、本当にそうなのかは分からないのだ。その構図を何か決定づける様な対話が見たかった。
しかし、この映画は日本という慣れ親しんだ環境での、実際の都市でのリアルな状況を描いたという点でものすごいのだ。東京上空であんな事が起これば、という緊迫感を美しいBGMと共にリアルに体感できる。また、灰原零やグレイゴーストという存在も、象徴という点ではある種の現代の問題を、ぼんやりとではあるが感じられる。見えない戦闘ヘリは見えない脅威と変換できるだろう。即ち、サイバー戦争という形の新たな戦争。見えないので脅威として未だうまく人々に伝わっていない、知ろうと思っても専門用語ばかりで何が何やらよくわからない(それは私の不勉強のことです)この見えない戦争の象徴、またはドローンなど。
そして、戦うために大義を持たない、そして他人に印象を残さず成長したテロリスト、灰原零という存在はそのサイバー戦争やドローンにより、特別な意思を持たない私達でも簡単にテロの加害者になりうると見る事ができる。グレイゴーストの旋律については先に述べたばかりだが、それと繋げる事も可能だろう。何か重い物を背負っている様で、遊び半分でもある、明確でない『革命者』の形。そう考えれば、灰原零に明確な物語を持たせなかったのは適当だったのだろうか?だとすれば、灰原零という強く触れてはいけない、しかし存在感を持たせなければならないキャラクターを形作るのはとても難しい事だっただろう。
なんのブログだったかという感じではあるが、ともあれ『首都決戦/GRAY GHOST』のサントラは情緒と美しさと高揚に満ちた、気持ちを高めてくれるCDである。しかし、それは映画を見た人にとっての話だ。映画を見ていない方がこのサントラを手に取ったらば、きっと『なんじゃこりゃ』と思うだろう。本編を見る事で、映画のパーツとしての音楽を楽しんで欲しい。
それにしても、グレイゴーストが光学迷彩を張る時のSEが素晴らしい。怪獣の鳴き声のような高い音が心地良く、鳥の鳴き声と共に何度も音楽との同調を示している。ドラマシリーズのサントラ入りしなかった曲と併せて、iTunesなどの市場に並んではくれないだろうか……
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↓耳コピしたものです。良ければ
TNGパトレイバー『首都決戦』もとい『GRAY GHOST』サントラの感想 その1
本編(90分版)の印象
・予告で結構イングラム動いてるなって思ったんです、それが全てだったんです
・SEたぎる
・カーシャかっこいい
・耳たたんでるグレイゴーストかわいい
・吉田鋼太郎さんの無駄遣い
本編(DC版)の印象
・一度グレイゴーストが出たらノンストップな感じ、怪獣映画っぽい→正式タイトルの方にすべきだった
・隊長の無言の演技は大事なところだった
・カーシャと太田原さんかっこいい
・吉田鋼太郎さん無駄遣い
↓うち(大分)にもデッキアップにきてくれたよ(アップだからその雰囲気が伝わらねえ)
パト2と『GRAY GHOST』
パトレイバー2 the movie(以下劇パト2)で描かれた物は極めて現実のものに感じられた。実写映画ともドキュメンタリーとも言えない雰囲気、かつ、アニメにしても仕方ない事を考慮しながら構築された、現実に近い何か……の雰囲気を作るのに、音楽の力が深く関わっていた事は言うまでもない。パト2での音楽が『情景に水の様に染み渡る音楽』であるとは、よく言われている事だろう。同じフレーズが繰り返し使われ、過度な盛り上がりをしない。かの有名なストリングスの『ごっごっごっごっ』(僕はずっと『でっでっでっ』だと思っていたが、川井さんがそう認定してしまっているので仕方ない)を始めとした淡々とした繰り返しや特徴的な音は、絵で表現しきれない東京のテクスチャを形作る、『Outbreak』という曲で淡々とした流れから爆撃シーンと共に大きく形を崩すというカタルシスを落とし込むなどの効能を生んだ。
さて、首都決戦、もとい『GRAY GHOST』の音楽はどうか。
Tr.01『凶兆』は「予感」から「発生」までをたった1分(!)で説明するドラマチックな曲である。の落差。タイトルバックも無く、緩やかに始まった映画だが、緩やかに続きそうな感じから一転、の落差をもたらしてくれる。このシーンを最初に見た方の大半は気付くだろう。これはパト2の最初、ベイブリッジの爆撃に似せたものである、と。その際に流れるBGM『portent』と合致している訳でも無いが、『でっでっでっでっ』や乾いた『カーッ』という音(時代劇の『カーッ』じゃないの)、そしてミサイル着弾か、の瞬間響き渡る鳥の鳴き声、これらが最早全てを説明している。90分版の冒頭、明確なパト2の音楽を背景にした東京の空撮で全てを語るよりは、DC版で『凶兆』を最初のBGMに持ってきた、の方がショックは大きい気がする。90分版が「あ、パト2だ」ならDC版は「あ!パト2だ!!」みたいな?それにしても、『凶兆』は『portent』を連想はするも、決定的に違う部分がある。それは旋律がドラマチックに展開されている、という点だ。この映画がパト2で描かれていた「現実」とは違うエンターテインメント、ドラマチックであるという点がこのシーンで既に示唆されているようないないような。
ミサイル着弾、の瞬間で時間は分断され、特車二課の面々のシチュエーションに切り替わる。彼らが熱海にいる間、音楽は流れない。音楽が流れないといえば、後藤田隊長が無言で思案するシーンが印象深かった。あれも忘れられないシーンの一つだ。最初高畑警部を見送ったあとの部屋の誰もいない残響が強い。
灰原零が誰なのか
最後までこの映画の中心にあるのが自衛隊の戦闘ヘリ:グレイゴーストと灰原零であるが、灰原のテーマは正に中心に据えられた存在だという印象が、DC版では特に強く残る。Tr.03『探索1』では、灰原の不気味な笑顔が見えるタイミングと併せて、「灰原のフレーズ』が顔を出す。Tr.05『嗤う女1』では、『灰原のフレーズ』が『灰原』のフレーズである事が更に結び付けられると共に、同じフレーズが流れる事で、データ上では顔を見せない灰原の顔と名前がわかりやすく一致する。ミステリアスな女性の存在をわかりやすく説明する役割を担っているようだ。馬頭琴の尖った音と、最初の笑顔の鮮烈さが完全に合致する。そうして曲の断片として灰原が音楽と共に印象付けられていく先で、Tr.11『嗤う女2』では情緒がかったアレンジで彼女の過去が示唆されると共に、そのミステリアスさが極まっていく。彼女の子供時代の映像は実際にテープにダビングしてテープをくしゃくしゃにしてノイズを出したものらしいが、無BGMでテープをそのまま差し込むのではなく、それを追憶の一部として音楽をつけ、強く残さずすぐに過ぎ去ったものにしてしまうのが実に『らしい』。ともあれ、そのようにして築きあげられた灰原のイメージは、Tr.14『嗤う女3』で破壊される。僕はこのシーンでの後藤田隊長の反応が90分版では中々大袈裟に感じられた。しかし、90分版で除かれた『嗤う女2』のシーン(『嗤う女2』自体は別のシーンに当てられた音楽として残ってはいたが)は、この破壊のカタルシスを生むに必要だった……のではないでしょうか。多分。DC版ではもう、そういうものだとしてしか見れなかったからどうだとも言えないのですけど……だが、この連なりを知ったあとのTr.17『GrayGhost』は明らかに違う曲に感じられた。
活劇のBGM
トラックの別れ方や使い方から、灰原のフレーズは耳に残った。それにしても耳を引くのは、活劇のBGMである。活劇シーンやそのBGMはドラマ版の名スコア群に負けず劣らず、否、それ以上に実に振り切れていた。
さて、活劇のBGMで最たるものは、グレイゴーストが整備されている工場跡地への突入時に流れるTr.10『突入 вторжение』である。川井憲次氏が作るロングスコアは本当にいつだって裏切らない。川井さんはブックレットで『多分すさまじいSEでほぼ聞こえなかったのではないか~じゃあいらないじゃん、と思った』と語っているがとんでもない。その凄まじいSEの間に見え隠れする旋律こそが美しいんじゃないか。カーシャの『突入!』の合図で畳みかけるようなストリングスの連続が解き放たれる。銃撃のSEの中で、かっこいいタイミングで浮き沈みを繰り返すBGMは、長尺の戦闘シーンを容赦なく盛り立てていく。
カーシャの戦闘パートでBGMの白熱するシーンは銃剣術での戦闘シーンなので、銃声も無く、BGMがきっちり目立っている。その中で言えば、カーシャのトレードマークだった『キィン!キィン!』という音に近い旋律、カーシャが活躍する場面には必要不可欠なこの尖った音が、ストリングスによって雄大にな物に変貌していたのに興奮する。『タイムドカン』のフレーズも使われ、メドレー的な雰囲気でもある。曲自体にも大きな浮き沈みがある。
迫りくる決起部隊をカーシャが蹴散らしたところで、音楽的に一つの盛り上がりとなっていたギターとストリングスとコーラスの波がすっと止み、鼓動のようなバスドラの音が緊張感を誘う。そしてグレイゴーストのハンガー内に辿り着く、という場面で曲調はそのままのテンポでガラッと変わる。この少し前、パンを左右に振るようなパーカッションの音が少しだけチラつくのがとても良い。転調を繰り返すストリングスの大波に乗った、点滅するコーラスの圧力がものすごい。所謂『最高に燃えるところ』という奴だ。これまでSEと共にあった曲の流れが、灰原がグレイゴーストに乗り込む時になって一気に前に出る。ここで『灰原のフレーズ』を流さずして何を流す。音量の調整も絶妙。絵と音楽がぴったり同調する喜びの波はここが一番高くなるところだろう。ここでまた沈黙、緊張感を誘うバスドラの音が。川井さんの音楽ではお馴染みなこの音が、シームレスに変化していく状況をうまく繋ぐ。この曲は最初三つに分かれていたようだが、頷ける。
軽さすら感じられた曲はグレイゴーストのプロペラが回りだす瞬間で大きく形を変え、飛翔する様なうねり――『グレイゴースト』を象徴するフレーズ、つまり『グレイゴーストのフレーズ』が姿を見せる。と思えばすぐに、軍靴の音が聞こえてきそうな重たさが現れる。ここでもハンガーのシャッターを破壊して重たい身体を擡げるように飛び始めるグレイゴーストの音との同調が、快さを生む。それからはもうグレイゴーストの独壇場である。
この『グレイゴーストのフレーズ』が最初に現れるのが、Tr.06『灰色の幽霊』である。これも幻想への移行を音と絵で表現した美しいシーンだが、ここでグレイゴーストそのものはあたかも怪獣映画の怪獣のように姿を現しそうで現さない。そして、『グレイゴーストのフレーズ』の主張も控えめで、ヘリのプロペラの音の影から沸き上がる様に低めのそれが沸き上がるといった感じである。しかし、印象には強く刻まれ、『突入 вторжение』でこれが流れる時、もうこのフレーズはこのグレイゴーストのモノである、という事がすぐに分かる。この前後数十秒で立て続けに流れる『灰原のフレーズ』も『グレイゴーストのフレーズ』も、本来の曲展開ではない抑えめというのが抑揚があって面白い。だれたのでつづきます。
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↓耳コピしてるので良ければ
音楽知識の無さが本文と合わせて伺えることでしょう