や別の仕事が待ってい

プロジェクトX
一昨日、前回の再放送(深夜)と、昨夜、今回分放送(19:30〜20:15   45分)を見た。
第1回は、「東京スカイツリー」編。(23:45〜1:08   1時間23分)。
これは痺れた。じーんと痺れた。
まさに昭和の男たちだと思った。
感動した。胸が熱くなった。
時代は昭和ではなく、平成だったが。

とび職、超絶スゴイ。
設計、超絶スゴイ。
総監督、超絶スゴイ。
チーム一丸となって全力で挑む。
緊張、達成感たるや、スゴイ。
闘魂の男たち。

あれで、家に帰って皿洗いや育児、今日の報告連絡相談をやっていたとしたら、どんな感じなのか???
全神経を集中させる大事な仕事中は別居のほうがいいかも?
「じゃあ、アナタ、育児は? 介護は?」
と妻に詰め寄られたとすると、、、
あら、どうしましょ。
仕事で心身共に毎秒毎秒、燃焼しきって、家に帰ると、またもや別の仕事が待っている。
気配りもして、気が休まる時がない。
では、家庭を持てないということか。
しかし、家庭を持っても持たなくても、親はいる。
プライベートな私生活や環境と仕事は、別次元の話である。
ではあるものの、仕事に打ち込める環境は、ある意味、恵まれているのか。

とは言え、わたしは、やはり昭和人間だとつくづく自覚する。
熱い男たちの仕事に心底、敬意を抱く。
が、仕事を離れて家庭での役割を考えてみた時、自分でもよく解決できないモヤモヤがある。
子供の自立を妨げてしまうような過保護な親に通じる気持ちがまだある。
それは、、、仕事を、雑念に囚われず一生懸命して欲しいがために、家庭での役割をおろそかにしてもいいという甘い過保護傾向がある。
だがしかし、仕事を終えた後は、気持ちや役割を切り替え、家庭人になる器用さも求められている。
必要不可欠である。

オトコは黙って◯◯ビール。
キミ作る人、ボク食べる人。
というコマーシャルは隔世の感。
今ではハラスメントになる。

が、わたしは昔のロマンは消えない。
生まれ育った時代の背景の影響だろう。
それと、わたし自身が男性と対等に能力的にやっていけないこと、また、女性とも対等に能力的にやっていけないことに原因がある。
これは、なぜかというと、先日、占ってもらった、「わたし」自身の中身にすっぽり当てはまる。
自分の持って生まれたキャラクターの特徴である。
蝶ブログを貫く、自分評である「サボり=省エネ」。
占いでは、「最低限の努力しかしない」と出ていた。
ぴったり、そのもの。
どこで、見てたの? 隠しカメラ?
「既存の既得権益を手放さない」らしい。
しかし、ほとんどの人はそうなのではないだろうか。
一握りの立身出世する人や、とてつもなく不幸な人を除いて、現状維持を望むのでは。
ある意味、占いはやはり誰にでも当たると感じる。
深層心理を探るには、生まれ育った時代背景は要ポイントとなる。
わたしは、豊かになりつつある高度成長期の日本で生まれ育ったわけで、同じ時期、同世代の人々とは共通点があるはず。
だが、この占いは日本に限定してないから、アフリカや中国なら、同時代を過ごしたとしてもそれぞれの国は同じ背景状況ではない。
どうなんだろう?

停められていた下に

書きたいことが思い浮かばない時は、、、他のブロガーさんの記事を読む。

ちなみに、わたしのブログに開設間もない頃からよく訪れていただくブロガーさんがいる。
その人が住んでおられる地域にはなんとなく懐かしい思いがあるct檢查

わたしは40年ぐらい前に東京に2年間暮らしていた。
結婚したばかりで、東京で第一子(長女)を妊娠、出産し、彼女が1歳になるまでいた。
(出産は、里帰り出産)
世田谷区の静寂な住宅街にあるマンション。
立地は芦花公園駅から徒歩5分ぐらい?
成城も近くにあり、付近の神社や公園にも行った。
(上記ブロガーさんの記事内にも懐かしい地名が時々出てくる)

夕方になると、芦花公園駅から隣の千歳烏山駅の途中まで、ベビーカーを押して散歩した。
夕暮れの、静かな住宅街のなんとも言えない静寂を感じていた。
ごく近所には漢方製剤老舗T会社の創業者一族のお宅と蔵があった牙齒矯正
(行ったことはないけれど、敷地が広いから隣接する場所も多い?)
わたしが駐車場で住居の鍵をなくして途方に暮れていたところ、そこに駐車していた誰かの車が移動して出て行ったら、その車の停められていた下に、鍵があった。
やれやれ、、、という思い出がある。
その困り果てた駐車場から見上げた場所が、創業者宅の蔵だったような、、、。
おぼろげな記憶だが。
また、学生時代の同級生(実家も婚家も大阪)が、目黒に住んでいて、遊びに行ったことがある。

わたしの結婚が決まった時、夫のいとこが住んでいる芦花公園にあるマンションに空きが出たと知らせてくれ、そのマンションに住むことになった。
いとことは別の階だったが、毎日、いとこの家に遊びに行っていた。
当時3歳と幼稚園児だった、いとこの子供たちはもう立派な大人になっている。
何年か前に、いきなりTV番組で(当時3歳だった)彼の大人になった顔を見た時にはびっくりした。
画面を見て、こんな顔になったんだ、、、と、想像は出来た。
名前もテロップで出ていたが、彼の名前だった。
大きくなるものだ。
後日、親戚のお葬式(お互い、親戚は共通)で会った時、幼い頃の話が出た。
彼は3歳だったにもかかわらず、わたしと部屋で遊んだ、マッチ棒を使った立体図面の遊びの様子を覚えていた。
これには、またまた驚いた。
幼児といっても覚えているものだ證婚套餐

いる疑惑が頭をもたげ

長年の知人Aさんは、気心は知れているが、話が面白くない。
圧倒的に、わたしが知りたい知識に欠ける。
だが、それは望みすぎだ。
わたしだって、ひどいものだ減 皮下脂肪
先生になるわけでもないから、生きていくのに十分なだけの知識でよい。
のではあるが、やはり義務教育程度の知識は欲しい。
必要ないことは、脳の断捨離で忘れたにしても、最初から脳を素通りしている疑惑が頭をもたげる。
わたしにとって、その人と共感する面はないのだが、悪い人ではない。

自分も完璧ではないのだから、人に、気に入らない点があっても、致し方ない。
人から見れば、わたしも気に入られていない可能性は十分ある。
なので、人は気に入っている同士で付き合う。

だが、嫌いな人と接しなければならないことは、多々ある。
まあしかたない。
全てなんでも思い通りにはならない。
一つか二つ、良いことがあればよい。
気に入っている点が、気に入らない点を上回れば上々だ。

そもそも、気に入らない人がいても、無意識に視界から遮断している。
深掘りしない。
近寄らない。
逆に、気に入った人には近寄っていく醫生脫疣
ただし、接近しすぎは良くない。
嫌な面が必ず見える。
だから、見えない程度の距離にとどめておくと、火傷しない。
嫌な面を含めて、その人なので、嫌な面だけ無かったことにして封じ込めるのも、正しい理解が出来ない。
人には悪い面は必ずあり、存在を認識するが、あえて触らない。
どうしても耐えられなくなれば、去ればよい。

頭から全てを盲信するのは、自分の妄想の押し付けである。
誰にでもマイナス面はあるのだから、それを承知で接する。
そのマイナス面が、表面に大きく出てくる場合もあるし、あんまり出てこないで水面下で大人しく静かにしている場合もある。
自分では気づかない眠っている潜在意識のこともある。
どういう状況に置かれるか、それぞれの立場で、人の特性の発露が変わってくる。 

嘆き過ぎると病気になる。
なので、鈍感になることも悪くない。
無病息災よりも、一病息災のほうが力強いと思う。
何ごとも知らない天真爛漫さは良いが、知らないだけに途方もなく不安にもなる。
だが、恐れすぎも本末転倒なので、ちょっとだけ気にかけるぐらいでいいのでは泌尿科 價錢

なんて結局、当たり前のことを綴っている。
当たり前の幸せを当たり前と感じるのか、有難いと思うのかでは、随分違う。
当たり前のことは、退屈だと思うだろう。
退屈ぐらいが丁度良い。
退屈の有り難み、である。

活動経験がないと思

裕さん!
ブログ開設50周年記念、ぜひ、やりましょう。
その中にはブーツさんあたりも入っていて。
みんな、(歯が無くて)ふがふが、車椅子か、寝たり起きたり。
わたしはほとんどブーツさんとは、やり取りをしたことがないけれど。
別のブロガーさん、、、ブログ村・年代別「60代」カテゴリーで一時期ご一緒した、赤いアイコンの方とは、とても長い腎癌局部切除
わたしは当時50代だったが、気持ちとしては60代だったので「60代」カテゴリーに登録していた。
年齢詐称、サバ読み(ただし、若いほうにではなく、歳を取っているほうに)。
そのブロガーさんは「60代」カテゴリーにおられたが、やがて「70代」カテゴリーへと移られた。
もうじき「80代」カテゴリーに移行されると予想する。
裕さんより長いかも??
わたしは、ずーっと同じブログタイトルで愚直にブログを続けているが、10年ひと昔、いや、10年も1年もそう変わらない。
ブログの内容はほぼほぼ一緒で変わらない。
よくまあ飽きもせず。たいしたネタもなく。
変化がないということは、成長も退化もないということにしておこう。


さて。
話は相変わらずころっと変わる。
わたしが娘家族とのイベント行動を軸として、生活が回っているというのに対し、
子供が独立した今では、家族がらみイベントはなく、何もすることがないというAさん。
(男親と息子家庭。女親と娘家庭。この関係性にも大きな違いがあるが)
女性は家族やご近所さんと密接に関わることがあるけれど、男性はそういうわけにはいかない、とAさんが言う。
仕事一本槍で、(ただし、仕事関係の人や地でアフター・ワークも過ごす)、家に居る時間が短い分、子供との関わりや、地縁を活かすほど、地域での活動経験がないと思われるMRI價錢
子供はやがて独立するが、家庭のつながりは主に「食」「子育て」を担当していた母親との距離が近い。

仕事で家庭にいない、昔の父親は、影が薄い。
更にもっともっと昔の父親は、頑固親父、カミナリ親父で手に負えない。
今のシニアは、男女役割、ジェンダー意識の移行期、時代の移り変わり、狭間にある。
というか、意識は昔のまんまで、時代の推移には全く付いていけない。
女性は、喜んで時代の波を受け入れるが、男性は、嫌がる。
男性は仕事、女性は家庭。
この動かない絶対的固定役割を手放さない。
ではあるものの、家庭外で働いた経験のない女性の中には、女性が稼いで家庭経済を担うことを期待されると困る人もいるだろう。
しかしもうリタイアしたら、男性も女性も収入は年金などで、夫も妻も一緒くた合算になっている。

男性の意識は、昔のまま。オトコは家の外、オンナは家の中。
だが、介護、看護が必要になると、オトコだオンナだ、と、そんなことは言えなくなって来る。
元気な側と、サポートする側。
でも、老老介護。大変。

わたしは、今は、その老老介護の時期の一つ手前である。
男性も女性も身体が動く間に、そして相方の介護をしなくていい間に、好きなことをしておかねば、、、
焦る人もいるが。
その介護されない、介護しない、黄金の時期をAさんは、スポーツ三昧。
家の中では何もすることがないと言う。
Aさんの奥さんはインドア派だから、夫が外出好きであれば喜ばしいと思われる。
2人別々に外出もオッケー。
2人がそれぞれ同時に家に居る時が重苦しい空気になることがある。
夫殿は、家庭関係やご近所関係の人付き合いがないから余計に自宅やその周辺ではすることがない。
インドア派ではないから尚更。
奥さんは、家庭がらみの関係で色々することがある。
さらに、インドア派なら家の中は最高の寛ぎ自由時間。
趣味の時間でもある。
家では何もすることがないのは、たまたまAさんが、スポーツ好きだったからか?
そうとも言えない。
家事を嫌い、家の用事も好きではないか、家庭内を牛耳っている奥さんに、煙たがられているのかも中一派位
家といっても色々あり、一概に言えない。
なんか、結論がスッキリしない。

たまた生きる知恵な

男性を立てる女性など、今時シーラカンスかも知れない。
自分に力がないから、奥の手を使っているのかも知れない。
わたしは、超超超、時代遅れの女性である。
たまたま生まれつきの性質なのか、環境のせいなのか、はたまた生きる知恵なのか訂製月曆
いずれにしても、時代錯誤感があるのは否めない。
男性というものは立ててこそ力を発揮する。
が、踏みつけられても力を発揮する。
どっちみち、力を発揮する。

と同様に、女性も褒められて伸びる。
けなされても、悔しさをバネに頑張る。
どちらにしても、頑張る。

みんな頑張っている。
それにしても、、、優しそうで柔軟性のありそうな男性でも、必ず立てなければならない、、、と、わたしは思っている。
なぜなら、立てると、力以上の力が出てくるように思う。
(逆に、ジェンダー価値観を押し付けられ、役割期待感に耐え切れず押しつぶされる人もいるが)
男性が女性に対して優越感を感じている部分が、 DNAにまだ残存しているように感じる。
(今の若い人はさておき)
歴史の流れから見ると、女性解放運動、ウーマンリブからまだ50年ぐらいしか経っていない。
女性の参政権が認められたのは昭和21年だということを今、調べてみて知って驚いた。
明治時代後半ぐらいかとタカを括っていた。
そんな最近だったとは冷凍溶脂、、、!!!

男女雇用機会均等法は1987年施行、、、というと、まだ35年しか経っていない。
意外や意外、ほんの少し前のことだったのか。
そうなると、男女平等、女性の自立、社会での活躍は、長い歴史の時間の中では最後ラストのちょっと期間。
原始時代から生きている人間の DNAは、そうそう短時間に急激に書き換えられない。
しかし、直近の出来事で全てがオセロゲームのようにひっくり返ることもある。

ちなみに、高齢少子化の波は、もはや波などというものではなく現実である。
中国やインドなどの人口が多い国は、強い。
マンパワーは有力な資源である。
円安で日本買いが進み、不安を抱いている。
バブル時、外国の土地やビルを買い漁っていた日本が、、、変われば変わるものだ。
日本は先進国だと安心している人に警告。
発展途上国ではなく、衰退途上国だと表現する人もいる。

時代の移り変わりに着いていけなくても、崖っぷちの草にしがみついても、btl 眼袋槍

で、男性を立てる話しは?
忙しくてまとまらなくなってきた。
お互いに協力し合わないと、ピンチを切り抜けられない。
どっちが上とか下とか小さいことを言っている場合ではなく、力を合わせて頑張らなければ。

修同級生との間にバリアを

わたしは、努力してそうなったわけではないのだが、たまたま結果的に、ドロドロ沼にはまらない。

30代前半のある日。
語学研修という大義名分(笑ってしまう中身、実力)で、アメリカに単身、2週間滞在したことがある。
そこでは、日本語をシャットアウトするために日本人とは絶対に仲良しにはならないゾ!と固く決め、語学研修同級生との間にバリアを張っていたBB腸絞痛
クラスでは誰とも話さず、ホームステイ先の女性と話していた。
授業は午前中に終わり、午後は周辺をうろうろ。日本人ではないようにも見えたようだ。
スーパーマーケットのコットン衣料などをちょこちょこ買ったりして、帰国時にはスーツケースの荷物は明らかに増えていた。

それは良いとして。
ホームステイ先の女性は独身キャリアウーマンだったため、どこかに連れて行ってもらうのは、週末だけ。
恋人の家や、家族で住むお友達の家でのパーティなどに、同行させてもらった。
それは良いとして。
研修クラスでは、後半になると、バリアに異変が起きた。
わたしが疲れてきたのか??

緊張の糸を張り続けられなくなったのか、よくわからないが、日本企業に在籍する、企業から研修に派遣されている日本人男性と言葉を交わすようになった。
アフターレッスンに、一緒に行動したりした。
急激な接近、展開ではなかった。
帰国後にも、グリーティングカードをもらった。
お互い、悪い印象は持っていなかった。
が、今思えば、明らかに行動や気持ちをセーブしていた照CT

わたしは、日本に残した家族のことを思って頑張って自制したわけではない。
自然体。
先方の男性もおそらく自然体だろう。
外国での一時のアバンチュールを楽しもうと思えば出来たのかも知れないが、そんなことは思いつかなかった。
相手も、企業から派遣された研修の身、日本での家族もある。
お互い、薄っすら、その先には何かがあったかも知れないが、二人の繋がりは淡い思い出として残った。
どちらかが、ほんの少しでも動くと何かが起こったとしても、その時のタイミングは、そういう時の縁ではなかった。
ああ、良かった。
ドロドロにならなくて。

情熱家の人や、日常を離れた異国での精神高揚から海外で知り合って結婚する人もいる。
お互い独身なら何の問題もない。
離婚して再婚したり、山あり谷ありの人もいる。
わたしには、自然体で、その道はない。
ドロドロは無意識に避けているのだろうか。
→ドロドロ回避本能。
が、偶然、ひょんなことでドロドロに、なんてこともない。

わたし自身に関する考察。
自分のエネルギーはプラスに向けて使う傾向にある。
仮にマイナス時期があったとしても、次のプラスに向けての逆噴射チャージ期銅鑼灣牙醫推薦
飛び上がるために、身体を屈める(かがめる)、それと同じ。
あえてマイナスの海には飛び込まない。

しの要望を満たしている

元・長女の部屋も、元・次女の部屋も空いているが、2部屋ともベッドのため、床から少し高い状態で横になることになる。
第一、エアコンは同じく故障。
すでに選択肢に並べるには条件を満たしていない低敏奶粉
さらに、向きも、ベッドの頭側に窓があったり、ベッドが窓から離れていたりする。
それに対して、窓に面して身体全体を横たえることが出来る元・長男の部屋は、わたしの要望を満たしている。
微妙な好みがある。

この長い長い説明、動画なら一瞬。
写真や絵なら一瞬。
なんでこんなに文字を割いてわたしは書いているのだろう。
要約すると、
「エアコンが壊れている部屋で、開口部が床まである窓際に布団を敷いて寝ている」。
おしまいBB無便便

ちなみに、ここ2〜3日、涼しくなって大喜び。
また暑くなるにしても、あの酷暑、真っ只中ほどではないだろう。
と、本のことを書こうと思ったのに、延々と部屋の説明をしてしまった。

子供が、言いたいことの前に、そのことが起きる直前の話をずっと話し続けているようなもの。
買い物を言いつけられた子供が、道中で水たまりをまたいだ途端に、買い物の内容がアタマから飛ぶ。
いつも脇道に逸れる。
道草に夢中。
本題に取り掛かる頃には、すっかり日が暮れている種牙推介