ささやかな終末

小説がすきです。

文学フリマ東京38(2024/5/19)寄稿お知らせなどなど

みなさんこんばんは、菅谷理瑚です。今日はお知らせブログなので敬体です!

5月19日㈰に開催される文学フリマ東京38で頒布される2冊の本に寄稿しています! 1冊はレプリカ編集委員会『レプリカ vol.2』、もう1冊は型月伝奇研究センター『型伝研通信Vol.2』です。それぞれ簡単に概要をまとめましたので、気になっている方はぜひぜひご覧ください! 前者は通販があり、後者はWebでの無料公開が予定されているので、文フリに来られない方もチェックしていただけたらものすごくうれしいです。

 

①レプリカ編集委員会(俺ガイル研究会)『レプリカ vol.2』(第一展示場K-18)

 

ご縁があり参加させていただいている俺ガイル研究会の『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』考察集に寄稿しています。こちらは昨年末のコミックマーケット103でも頒布された同人誌で、文学フリマでは初頒布となります。

私が寄稿した文章はこちら。

 

『俺ガイル』を含め4作品を扱っており、かなり長めの論考になっています。関心のある章だけ読んでいただいても、結論だけ読んでいただいても、お好きな読み方をしていただいてほんとうに構いません! 読んでくださった方が『俺ガイル』や雪ノ下雪乃について、あるいは好きなキャラクターについて考えたり、〈物語〉シリーズや『はがない』や〈古典部〉シリーズに触れたり読み返したりするきっかけになればいいなと思って書きました。私の寄稿文以外も、寄稿者の方々の俺ガイルへの愛と魂がこもった文章ぞろいの本になっています。ブースで頒布される『レプリカ vol.1』や他の本とともにぜひよろしくお願いいたします!

 

 

こぼれ話。最初は「ちょっと多く書きすぎちゃったかな……?」と様子を窺いながら提出したところ、他の寄稿者の方々はもっと長かったため安心し、完成稿は初稿の1.5倍の分量になった、という経緯があります。たくさん文章を書くのは楽しかったです。楽しんでいるところが伝わったらいいなと思います!

通販はこちら。

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2274973

 

 

②型月伝奇研究センター『型伝研通信Vol.2』(第一展示場J-36)

 

こちらもご縁があり参加させていただいている型月伝奇研究センターの『型伝研通信 Vol.2』にエッセイを寄稿しています。こちらは会場限定頒布の小冊子で、文フリ後にWebで無料公開の予定となっております。

私は「他の誰でもなく私が書く意味、あるいは型月伝奇研究センター加入レポートvol.2」と題しまして、書くことについてのエッセイを寄稿しています。昨年『型伝研通信vol.1』へ寄稿した「批評ぎらいだった昔の私へ、あるいは型月伝奇研究センター加入レポート」の続編を意識しましたが、もちろん単体で読んでいただけます。どこまで行っても私が考えていることの話ではあるのですが、それでも誰かにとっての何かになればいいなと願いながら書きました。少しでも楽しんでいただけますように!

 

ブースのお品書きはこちら。

 

今回は型月伝奇研究センターと少女書類偽造詐欺事件の合同スペースになっております。奈須きのこTYPE-MOON評論誌『Binder. 創刊号』も、ダンガンロンパシリーズ二次創作犯人当て小説本『ダンガンロンパFF 雨の記号、そしてハッピィ・バースデイ』も、どちらもとても素敵な本です! 併せてチェックお願いいたします。

 

ひそひそ話。『型伝研通信Vol.2』はワンコインでの頒布となるそうなのですが、どの寄稿者の文章もすさまじいものがあり、またかなりしっかりしたつくりの小冊子なので、自分で10部買って「最近こんなことしてるんだよ~」と言いながら友人・知人に配り歩きたい気持ちでいっぱいです。それくらい好きってことです。

 

ちなみに私の寄稿した『Binder.第二号』の通販ページはこちら。今回は文フリでは頒布されませんので、気になる方は通販を利用していただければと思います。

https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2142288

 

以上2冊でした。文学フリマ東京38当日はどうやら暑くなるようですので、参加される方はどうかお気をつけて! 私も気をつけます。一部の時間ですが(詳細未定)、K-18ブースで店番をさせていただくため、声を掛けてくださったら非常によろこびます。

 

などなどの部分。最近Xのスペースでフォロワーさんと『備忘録音』という本の話をするラジオをやっているのですが、お知らせの一環ということでアーカイブを貼っておきます!

 

なんとSpotifyでも聴けます!

open.spotify.com

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こちら『備忘録音』に関しては近日中に何かあったりなかったりするかも……? 楽しみな方はお楽しみに! ちなみにちなみに、私はお喋りするのとっても楽しいです。

 

ではみなさんよい週末を! 菅谷理瑚でした!

『冬期限定ボンボンショコラ事件』を読み終えて(この時代を忘れないための短い記録)

ああ、終わってしまった。夢にまで見た冬期限定。喉から手が出るほど読みたくて、何度もページを閉じてしまうくらい読みたくなかった冬の物語を、とうとう読み終えてしまった。余韻に浸りながら感想を書いていたら完結がほんとうにつらくなってきて、三時間ばかり不貞寝してしまった。素晴らしい小説だったこととは無関係に、心のどこかが受け入れたくないと叫んでいる。

 

いろいろ予想はしていた。秋はあんな風に終わったけれど、小佐内さんと小鳩くんの関係性は冬が始まる頃にはどうなっているのかな。中学時代に二人が小市民を志すきっかけになった事件は触れられるのかな。小鳩くんは大丈夫かな。小佐内さんや健吾が小鳩くんに情報を持ってくるのかな。でも受験だしな。最後に二人はどんな選択を下すのかな。今の米澤穂信が書く冬は、秋を書き上げたときの米澤穂信が想定していた冬とどれほど違うのかな。何が来ても耐えられる覚悟をしていた、とまでは言わないものの、ある程度までは考えていたのに! やはり本物の『冬期限定』の衝撃は想像よりも遥かに大きかった。それは(こんなことはいまさらわざわざ一読者が言うものでもないがあえて言おう)、米澤穂信の作家としての力量の凄まじさを示すものであるとともに、己の弱さの発露でもあったように思う。

 

どこかで終わらない気がしていた。『冬期限定ボンボンショコラ事件』の刊行予定が発表された2023年12月15日。〈小市民〉シリーズのアニメ化が発表された2024年1月12日(午後6時だったことすら覚えている)。そして冬が終わり春になってもなお、心のどこかで完結の日は、冬がくる日は一生こないと信じたがっていた。その結果がこれだ。いつかは受け止められるだろう、けれど今はまだちょっと難しい。これから何度も何度も読み返して、自分の中でこの冬の物語の形が定まるとき、私はどんな人間になっているのだろう。

 

小佐内さんと小鳩くんは高校三年生で、今の私とはだいたい七歳ほどの開きがあるのだけれど、この小説は間違いなく今・このときの私のための物語だった。もしも七年早く刊行されていればどうなっていただろう、いろいろな決断が違ったかもしれない、と少しだけ悔しくて、その仮定には夢しかないと首を振る。あのときの私が読んでも、今の私ほどには響かなかった。なんせ今よりさらに未熟なので。だからやっぱり、今・このときでよかったのだ。

 

これは完全に余談だが、『冬期限定ボンボンショコラ事件』のクライマックスで米澤穂信が小鳩くんに与えたようなことを、これから私は自分に与えなければいけない。できるかな。とてもとても心配だけれど、幸い七年多く生きてきて、いろいろなおまもりも宝物も側にあるので、なんとかなるにちがいない。時間はかかるだろうけど。一段ずつ、焦らず。

 

さて、心のどこかが受け入れたくないと叫んでいても、区切りはつけなければいけない、ということで! 米澤先生、素敵な物語をありがとうございました。小佐内さん、小鳩くん、高校生活ほんとうにお疲れさまでした。さよならではあるけれど、でもページを開けば私はいつでもあなたたちに会いに行けます。読みながら感じていたすべてを思い出すことができます。だからどうか、これからも生きて行ってください。いつか出るであろう最後の短編集が、今はとても楽しみです。

 

(2024年4月27日 菅谷理瑚)

 

 

ネタバレ込みの感想はまたそのうち。

『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』『秋期限定栗きんとん事件』再読感想、そして冬がくる前に刻みたい現在地

『冬期限定ボンボンショコラ事件』の刊行に向けて、〈小市民〉シリーズの長編三作を再読した。どれも以前読んだときとは異なる味わいがあり、様々な点に気づかされた。数日後の私はもう、小鳩くんと小佐内さんの冬の物語を知ってしまっている。つまり秋までしか知らない段階で感想を書けるのは今だけなのだ。このことに気づいたとき、私は居ても立っても居られない気持ちになった。冬の感想は書く、冬を読んで改めて春夏秋を振り返る感想もおそらくそのときに記す。だからまずは、冬期未読の私が三作を読んで感じたこと、おもったことを、ここに刻んでおきたい。自分の現在地を忘れないように。

 

〈小市民〉シリーズアニメ化発表直後に書いた文章はこちら。

happyend-prologue.hatenablog.com

この記事とは異なり、本記事は『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』『秋期限定栗きんとん事件』のネタバレを多分に含む。結末の展開が書いてあれば、重要な台詞も引用されているほか、各作品のミステリ部分のネタバレも、やはり避けることはできなかった。シリーズ未読者はブラウザバックして書店に走り、/ネット書店で注文し、/電子書籍で購入し、読了後に先へ進むことを強くおすすめする。

 

 

 

 

 

 

未読者はもういませんね?

 

 

 

シリーズ第一長編『春期限定いちごタルト事件』(2004)

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連作短編集の向きが強いだろうか。「羊の着ぐるみ」「For your eyes only」「おいしいココアの作り方」「はらふくるるわざ」「狐狼の心」の5編をプロローグとエピローグで挟む形になっているが、夏期や秋期とは異なり章立てはされていない。入学早々隠された女子生徒のポシェットの謎、美術室に何年も置かれている奇妙な絵の謎、作れるはずのなかったココアの謎、割れた花瓶の謎(小佐内さんの胃袋のサイズの謎も含む)、そしてメインの謎。どれもすでに答えを熟知して読んでいるので細かいところに目が行く。全編を通して推理の筋道が通るようかなり気を配って書かれているのだが、それを自然に見えるようにやってのけているのがすごい。

 

「羊の着ぐるみ」では昇降口で待っていた小佐内さんが意図せずして最後のピースをはめるところが好きだ。小鳩くんがポシェットを捜索するところで「One more time, One more chance」のパロディめいた文章が出てくることに気づき、しばらく二人の別離エンドしか考えられなくなってしまった。「For your eyes only」では小佐内さんと小鳩くんの冒頭のやり取りが何を意味しているのか初読時はまったく分からなかったことを思い出す。絵の謎については、アニメ化されたらさっと気づくひともいそう。「おいしいココアの作り方」は小鳩くんが覚醒していく推理パートの疾走感がたまらない。場をつなごうとけなげな小佐内さんがかわいかった。謎が解けたときに健吾の性格が浮かび上がり、しかも納得もできるのが何度読んでもおもしろい。「はらふくるるわざ」はごく短いなかに小佐内さんのケーキの食べっぷりのよさと小鳩くんの頭のキレのよさが感じられ完成度の高さに驚かされる。「狐狼の心」では健吾の人間としての気持ちよさ、素直さ、まっすぐさにノックアウトされた。初読時は小佐内さんの最後の嘘の意味すら分からなくて健吾と一緒に混乱していたなあと懐かしくなる。なお、今回読み直すまで15年近く「サカガミ」のことを「ササガミ」と勘違いしていたのに気づかされた。このひとほんとにだいじょうぶかな、と自分のことが心配になった瞬間であった。

 

先の記事では二人の関係性の絶妙さがよいと熱弁した私だが、改めて読み返すとなかなかどうして距離が近くて戸惑った。こんなに仲良しだったかしら。とはいえ春期はまだ顔見せの色が濃く、小佐内さんのこともよく分からない。それでもとてもおもしろい青春ミステリであることには変わりなく、いつ読んでも続きもぜひ読みたいと思わされる、非常にかわいらしくてウェルメイドな一作目である。ちなみに私には、初読時、春期を読んですぐ夏期を買いに行ったら夏期が売っていなくて、せめてと買って帰ってきた秋期の冒頭を我慢しきれずに読んでしまったという前科がある。それくらい当時から、よく分からない部分も多いなりに魅力を感じていたということだろう。

 

シリーズ第二長編『夏期限定トロピカルパフェ事件』(2006)

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もともとオールタイムベスト級の一冊に入ると記憶していたが、記憶以上の強度を持つ作品で痺れた。二人でいることに互いが慣れ甘えが生じることで当初の目的がほぼ無効化されてしまう。それでも側にいる理由はあると言えない小鳩くんがもどかしい。しかしそれは小佐内さんとて同じこと。最後の言葉を、彼女はどんなトーンで口にしたのだろう? アニメでの演技が楽しみになると共に、いま自分の耳に聴こえている声の響きを繋ぎ留めておきたくもなった。

 

「シャルロットだけはぼくのもの」は人気の高い短編で私も大好きだが、論理も内容もこんなに濃密な話だったのかと再読して驚かされた。いつかシャルロットを食べてみたい。いまだにこのシャルロットの想像がうまくついていないのでアニメで映像化されるのを楽しみにしている。「シェイク・ハーフ」は春期の絵の謎と同様にピンと来るひとは来そう。比類のない神々しいような瞬間、は有栖川有栖の『白い兎が逃げる』という作品集に同タイトルの火村ものの短編が収録されており、そのときに「エラリー・クイーンだったのか!」と知った覚えがある。「激辛大盛」は、「箱の中の欠落」(『いまさら翼といわれても』所収)でも奉太郎と里志を見ながら思った記憶があるが、やはり高校生男子二人の食事をしながらの会話を書かせたら米澤穂信の右に出るものはいない。謎があるわけではない小休止回だがお気に入りの話。「おいで、キャンディーをあげる」は小佐内さんの真意を知って読むと小鳩くんが道化に見える切なさよ。しかし小佐内さんからの小鳩くんへの信頼は本物だったから、だから……。それにしてもこれもすっきりしていて余分なところがまったくない章だ。そして終章「スイート・メモリー」の素晴らしさと言ったらもう筆舌に尽くしがたい。推理、自白、糾弾、別れ話。やがて食べかけのパフェと小鳩くんだけが残される。なんて美しい締めなのだろう。どうやったらこんなものが書けるのだろう。何度目かの再読だったが、またしてもしばらく余韻から抜け出せなかった。

 

ぼくたちは「小市民」を目指している。そんなことを言葉にしてしまうぐらいなので、もちろんぼくたちは自意識過剰だ。小さな種を大きく膨らませて、これは大変何とかしないとと慌ててみせる。針小棒大、どうにも地に足がついていないそれは、まるで綿菓子のよう。(『夏期限定トロピカルパフェ事件』P22~P23)

 

と小鳩くんは独白しているが、本シリーズは小佐内さんと小鳩くんが過剰になりがちな自意識とどう向き合っていくかの物語と言えるようにも思う。過去の失敗のせいで周りからどう見られているか気になってしまう。「小市民」なんてスローガンを掲げて無理やり自分を押し込めても我慢が効かずにまた失敗してしまう。変わりたいのに変われないジレンマ。それはやはり青春の物語で、折り合いがついたときに二人は大人になるのかもしれない。そんなことをつらつらと考えさせられた。

 

この『夏期限定トロピカルパフェ事件』は思いのほか分厚くない。一ミリの無駄もない小説だからだろう。再読する前は、アニメをやるのだからアニメから入るひとがいてもいいと思っていたが、今回再読して、小説が好きなひとにはぜひ小説で読んでこの衝撃をまっさらな状態で味わってほしいなと思い直した。終章の小佐内さんと小鳩くんの一進一退の攻防、その小説ならではの張り詰めた空気に酔い痴れてほしい。そしてもちろん、アニメでどういった演出・表現がなされるのか、とても楽しみだ。

 

シリーズ長編第三作『秋期限定栗きんとん事件』(2009)

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上下巻からなるシリーズ最長の長編だが、わりと淡々と進んでいき、外連味はない。しかしとにかく読みやすいし読ませる。二組のカップルが誕生し、小鳩くんのひっそりとした知恵試しや瓜野くんの奮闘が描かれ、徐々に小鳩くんは小佐内さんが連続放火に関わっているのではないかと疑い始める。氷谷くんと小佐内さんの心理を知って読んでいるので、「結構きわどいこと言ってる⁉」と何度も冷や冷やした。

 

今回気づいたことは、「でもカラメリゼを割る瞬間って、いつも禁断の喜びを連想するの」(P143)という小佐内さんの言葉の、物語に対して持つ意味だ。その前段階で瓜野くんは小佐内さんとの間にある距離を「透明で薄いけれど破れない殻のようなもの」と表現し、「無理強いするとぱりんと割れて」しまいそうで恋人らしい行為に踏み出せないと零しているが、どうも瓜野くんのこの捉え方は正しかったらしいとのちのち分かる。だからこそキスしようとしたときに殻のようなカラメリゼは割れ、小佐内さんの禁断の喜び=復讐が解禁されてしまうのである。マロングラッセと栗きんとんのたとえは秀逸だったが、このさりげない小佐内さんの自白もなかなかハッとさせられた。

 

いつか叩きつぶされるべき傲慢とも呼べる自意識を、それでも分かってくれるひとがそばにいたなら、きっと重要な瞬間にグッと我慢することができる。だから一緒にいよう、と。小佐内さんと小鳩くんが一年離れたのちに出した結論は、昔読んだときにはひかえめな甘さの、しかしたしかなハッピーエンドに読めた。しかし今になって、できる限り曇りなき目で向き合おうとすると(15年近くの思い入れが邪魔して非常に困難なことではあるのだが)、この後やはり二人の自意識は完膚なきまでに叩きつぶされるべきなのかもしれないという気がしてくる。そのための秋のこの結末なのではないか、と。まだ半年残っていること、の意味がそこにあるのだとすれば、小佐内・小鳩両名の成長譚として冬の物語は書かれるだろう。そのとき二人は隣に居続けたいと感じるのか、あるいは過去の自分と完璧に決別するために別れを選ぶのか。とても気になるところである。

 

自分(たち)は特別ではないと受け入れること、には何が必要なのだろう。「わかってくれるひとがそばにいれば充分」は一つの真理ではあると思うけれど、たぶんまだ足りないものがある。時間が解決してくれる? きっとそれでは間に合わないものもある。自分で自分を受け入れ、信じ、失敗した過去をも許せるようなきっかけが、より早い段階で訪れればいい。米澤穂信は冬の物語で小佐内ゆきと小鳩常悟朗にその機会を与えるのではないか。今の私にはそんな予感がしている。

 

記事を書いているうちに『冬期限定ボンボンショコラ事件』が東京近郊で早期発売されてしまい、すでに読んだひとも出てきている中、予感を記すべきかは大いに迷ったが、自分の現在地を忘れないように、ここに刻んでおく。数年後、数十年後の私はきっと、これを読んで懐かしく思い出に浸るにちがいない。

 

今は春の終わり。いよいよ待ちに待った冬がくる。

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「新海誠好きの元彼」同人誌企画への3つのモヤモヤ、あるいはごく個人的な悲しみについてのこと

 

はじめに

 

今、巷で“みなさんの「新海誠好きの元彼」の思い出を語った同人誌を出そう!”という企画が進行している。企画者の方は文芸評論家で、約10冊の単著を刊行しているほか、YouTubeでも活動したり、大学で講師を務めたりと、様々な場所で活躍されている。SNSで「新海誠が好きだった元彼を持つ文化系女子が多い」という主旨のつぶやきを行った結果、彼女の元に「私にも新海誠が好きだった元彼がいます!」とのおたよりがたくさん集まるようになったらしい。また、彼女のその投稿を受けて誕生したこちらのnote(https://note.com/hummm09/n/n71120bcb127c)も大きな話題となり、新海誠本人が反応を示すまでに至った。今回の同人誌制作は、それから約2年、満を持しての企画というわけだ。

 

私はこの企画に、大きく分けて3つのモヤモヤを感じている。

 

そもそも企画者はどのような意図で同人誌を作ろうと思ったのだろう。思い出エピソードの投稿フォームには、建前として“「新海誠好きの元彼」は案外日本のカルチャー史において忘れ去られそうな2010年代の記憶をアーカイブするひとつの重要な要素”であるとの考えを持っていること、そして“私としてはこの同人誌の売り上げで資金をつくり、いつか「新海誠好きの元彼がいる女たちでオフ会をしたい」というのが私のインターネットの夢です……。実現可能性は置いといて、私のサイン会や質問箱におたよりをくださったみんなで、集まりたくない……?”という本音があることの2つが書かれている。

 

投稿フォームの文章は、おそらく気軽に投稿してもらうためであろう、かなり砕けた調子で書かれている。ここにはまったく書かれていない思いが企画者の胸の内に秘められている可能性だって、当然ある。私がこの先書くことは、まったく的外れなのかもしれない。実はそうであってほしいと、心の底から願っている。

 

この件についての私の、モヤモヤをできる限りオブラートに包んだSNS投稿がこちら。自己紹介も兼ねて示しておく。

 

 

①見知らぬ誰かを笑いものにする態度およびそのことで資金を稼ごうとする姿勢にモヤモヤ

 

投稿フォームに置かれたエピソードの例を見る限り、企画者が求めているのは「新海誠好きの元彼」と新海作品を一緒に観たとか、聖地巡礼に一緒に行ったとか、そういう楽しい思い出ではない。「新海誠好きの元彼」のこんなところが嫌で別れた、こんなところがまるで理解できなかった、という経験談である。そして企画者はそれを「素敵なエピソードは同人誌のなかで紹介させていただきます」と募る。

 

投稿フォームの例や前述のnoteのQ1やQ5の回答を見る限り、企画者は回答の多くが「新海誠好きの元彼」をばかにしたり、笑い飛ばしたりするものになることを理解している。つまり企画者は、単純な言葉にしてしまえば、回答者から「新海誠好きの元彼」への悪口や嘲笑を集めて同人誌にしようと試み、あまつさえオフ会をして楽しむためのお金を稼ごうとしている、という風にしか、私には読み取れないのである。

 

回答者の中にはもしかしたら「新海誠好きの元彼」にひどく傷つけられて、彼をばかにしたり笑い飛ばしたりすることでしか精神を保てない人もいるかもしれない。そういった切実さも、なかにはあるのではないかと想像する。だからこの同人誌企画が、たとえ企画者の本音のみで作られたとしても、完全に悪いものである、とは私には言い切れない。

 

また企画者は、建前とはあるものの、「アーカイブ」という目的を書いている。私はこれはとても大切な行為であると考える。研究目的と書いてしまっては集まらない貴重なエピソードが、こういったややふざけた姿勢で募ることで集積されるのかもしれない、とも。しかし、企画者のそういった誠実さは、少なくともこの投稿フォームからは、やはり読み取れなかった。

 

②企画者の立場にモヤモヤ

 

前掲のnoteは、文中の言葉を借りれば「当事者研究」である。新海誠が好きな大学生が、自分たちのことをより深く理解するために、「新海誠好きの元彼」がいる人々にアンケートを回答してもらった。なかには明らかに「元彼」をばかにしている、そしてそんな自分に酔っている、ものすごく嫌な気分になる回答もある。けれどそれを募って紹介している執筆者が「当事者」なのだから、note企画自体に嫌悪感を覚えることはない。その「研究」が彼らなりの、自身の傷や、傷にもならなかったものたちへの向き合い方なのではないだろうか。

 

ひるがえって今回の同人誌企画は、目的を大きく異にするものだ。投稿フォームを読む限りでは、「新海誠好きの元彼」エピソードの収集およびその話をして盛り上がるための資金調達が主たる目的である。そしてそれをしているのは、気鋭の文芸評論家なのだ。いち大学生が行うのとは意味合いが違う。

 

私はその、暴力性のようなもの、に危機感を覚える。これを読んだ誰かが傷つくのではないか、という危惧だ。ただし企画者は、おそらく傷つかないだろう。当事者ではない彼女は安全圏の高いところから悲鳴を聞いて楽しんでいる。そういったイメージがぬぐえないことも、私がこの企画にモヤモヤしている理由の1つである。

 

③他者を傷つける可能性を考慮していないことにモヤモヤ

 

傷、傷、と何度か書いた。企画者はもちろん、誰かを傷つけたり、攻撃したくてこの同人誌を作りたいわけではない。でも傷つく人はたしかにいる。それはたとえばここで笑われた「新海誠好きの元彼」であり、今新海誠を好きな誰かでもある。

 

そもそも、と思う。「新海誠好きの元彼」ってひどい言い方だ。「新海誠が好き」は人間の一側面でしかなく、その人にはこれまでの人生も、他の好きなものもある。たしかにその人はちょっとおかしな言動をして「新海誠好きの元彼」がいるあなたを困惑させたかもしれない。あなたはそのことでひょっとしたらものすごく嫌な目に遭ったのかもしれない。しかしそれはその人が「新海誠が好きだから」、だけではないだろう。新海誠作品にも、新海誠本人にも失礼であるように感じる。

 

「こんな新海誠好きの元彼がいてさぁ」とラベルを貼って括るとき、あなたとその人の、一人の人間と人間としてのかかわり、たしかにそこにあった大切なもの、がごっそりと抜け落ちる。もう別れたから大切なものなんてない? 笑い話にするくらいでいい? それはあまりにあんまりな考え方だと、私は思ってしまう。ねえ、あなたはいつもそんな軽い気持ちで人と付き合ってるんですか? ひょっとして付き合っている最中でさえ笑っていたんですか?

 

今、この文章をこうして書いている私は、きっと現在進行形で誰かを傷つけている。この同人誌の完成を心待ちにしているあなたを。回答したあなたを。「新海誠好きの元彼」その人でさえ。それを傷である、と無邪気に呼ぶことすら、傷になるのかもしれない。けれど私はせめて、そのことを自覚していたい。罪悪感を覚えていたい。それが誰かの傷に触れるときの、私なりの矜持だ。

 

おわりに

 

書きながらずっと、モヤモヤの正体について考えていた。

 

最初は怒りだと思っていた。自分にとって大切なものを踏みにじられている気がして、どうしても見逃せなくて、だから私は、私のために怒るのだと。

 

でも、最後まで書いて分かった。これは悲しみだ。モヤモヤが悲しみであると受け止めてしまえばとてもつらいから、私は怒ったのだ。

 

みんなそうなのかもしれない、と思う。SNSを見ていると毎日誰かが何かに怒っている。人々は怒ることでなんとか自分を保とうとしているのではないだろうか。だって彼らには生活があり、人生がある。いちいち悲しんでいてはいられないのだ。怒って発散したほうが、たぶんちょっとだけ生きやすい。

 

ぐるぐると考えている。たとえば、悲しみと認識したその気持ちについて「私は悲しいです」と書くことは、「私は怒っています」と書くことよりもよくないのではないか。慰められたり、謝られたりすることを期待しているみたいに読めるからだ。でも違うのかもしれない。そう読んでしまうということは、私が本当は慰められたり謝られたりしたいだけなのかもしれない。だったらいっそ「悲しいので慰めてください!」と言ってしまったほうがいいような気がする。でも私は慰めてほしいわけでも、謝ってほしいわけでもない。自分が何を求めているのか分からなくて、ほとほと困っている。

 

まだずっと考えている。たとえば、この文章は私が、私の矜持を守るために書いた。他の誰のためでもなく、私のためだけに。途中までそう思っていた。けれど書きながら、「この文章を読んだ誰かの気が、少し楽になればいいな」と願い始めた。それはなんだかとてもずるい気がする。自分の戦いに他者を巻き込もうとしているからだ。そろそろ私は自分のずるさを認めるべきなのかもしれない。でもできればずるくなく生きていたい。そんな自分に呆れてもいる。

 

このモヤモヤを、怒りではなく悲しみだと気づけた自分のことは、結構好きだ。文章にしてよかったなと思った瞬間でもある。「新海誠好きの元彼」同人誌企画の思い出エピソード投稿フォームを見るとまだ悲しくなるけれど、企画自体に潰れてほしいわけではまったくない。アーカイブする価値のある同人誌が生まれることを、私は心から願っている。

 

filmaga.filmarks.com

 

追記(企画者からの応答を受けて)

企画者の三宅香帆さんに、とても真摯な姿勢での応答を、それも迅速にいただけたので、ここに記しておきます。企画の意図や、同人誌で出そうと思った理由、考えていた目次構成なども丁寧に説明してくださっています。時間を割いて寄り添ってくださり、ありがとうございました。

 

note.com

 

気になった部分が1つだけあるので、今の私の考えを書きます。自分に都合のいいところだけ引用してしまってすみません。ここを読んでいる皆様には、上記のnoteを全文読んだ上で、この先に進んでいただけたらな、と思っています。

 

そもそも私は「新海誠好きの元彼」といった時点で「そんな彼と付き合っていた自分」を自虐する視線も含まれるものだと考えていました。

 

私は「新海誠好きの男性と交際していた」ことも「そんな彼と付き合っていた自分」のことも、まったく自虐する必要のないことなのではないか、と捉えていたので、投稿フォームの文章を読んだときにこの含みがまったく理解できていませんでした。その「自虐しなければどうしようもない気持ち」は、当事者にしか分からないものなのかもしれませんが、理解しようと試みることはやめたくないなと思います。また、自虐そのものについても理解が浅く、そのせいで三宅さんや、読んだ方を傷つけてしまったかもしれません。どちらも、申し訳ございませんでした。今後の勉強や書く文章を通じて向き合っていきたいです。

 

いつか三宅さんの新海誠作品批評や、新海誠作品受容史のアーカイブが読めることを楽しみにしています。真摯に対応してくださり、本当にありがとうございました。

〈小市民〉シリーズと私

米澤穂信の〈小市民〉シリーズのアニメ化が決定した。なんでも半年後の2024年7月から放送開始するらしい。とてもはやい。アニメ化の報と同時にPVが公開され、主人公二人の声優も発表された。私の観測している範囲では異例のはやさである。まだこのはやさに理解が付いていけていないので、毎朝PVを見てはアニメ化が現実であるとたしかめている。そのたびに「素晴らしいPVだな」とおもう。アニメの放送が非常に楽しみである。

 

youtu.be

 

そもそも今年は、アニメ化発表以前から〈小市民〉シリーズ読者にとって記念すべき一年になることが約束されていた。〈小市民〉シリーズは、『春期限定いちごタルト事件』(2004)、『夏期限定トロピカルパフェ事件』(2006)、『秋期限定栗きんとん事件』(2009、上下巻からなる)の長編三作と、短編集の『巴里マカロンの謎』(2020)の計五冊が刊行されているシリーズである。冬期限定のタイトルが付いた長編四作目にして最終作は、予告されてはいるもののずっと刊行されず、〈小市民〉シリーズファンは首を長くしたり内容を妄想したりじっと耐えたりと思い思いのやり方で冬がくるのを(=『冬期限定○○事件』が刊行されるのを)待っていた。そして昨年12月、『冬期限定ボンボンショコラ事件』が2024年4月下旬に刊行されることがついに発表され、読者はたちまち歓喜の渦に巻き込まれた。

 

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私も実は、かなり長く待った身である。〈小市民〉シリーズと出会ったのは2010年頃のことであり、そのときにはもう『秋期限定~』が刊行されていた。いつか冬がくることを、疑ったことはなかったけれど、『冬期限定~』が長編最終作になるであろうことは覚悟していたので、終わってしまうならばずっとこのまま、宙ぶらりんのままでもいいと、どこかでそう思っていた。だから刊行決定の発表から実際の刊行まで四ヶ月あるとわかったとき、そのことに安堵した。一年の三分の一あればきっと、どんな話が来ても大丈夫なように心の準備ができるから。嘘、もしかしたらできないかもしれない。でも少なくとも、高校3年生の秋までの小佐内さんと小鳩くんしか知らない私にさよならを言うことはできる。

 

小佐内さんと小鳩くん、と名前を出したので、主人公二人の紹介をここでしておこう。少女の名前は小佐内ゆき。小佐内は「おさない」と読む。おさない、は通常「小山内」と変換されるので、「小山内さん」「小山内ゆき」という誤記が多発するが、ここはぜひ一手間加えて「小佐内さん」と正しく呼んでみてほしい。小佐内さんはスイーツが好きな高校1年生(『春期限定~』当時)の女の子で、しばしば小鳩くんをスイーツ巡りに誘う。かなり小柄だが、ときにとてもたくさんケーキを食べて、小鳩くんや私たち読者を驚かせる。クラスでは大人しいタイプらしい。とても愛らしいひとであると私は思っている。

 

少年は小鳩常悟朗。小佐内さんと同級生の、〈小市民〉シリーズの語り手である。クラスでは常にニコニコしており、温和なイメージ。しかしそれは中学生の頃にある失敗をした経験を持つからで、彼のほんとうの性格は少しちがう。それは小佐内さんにしても同じこと。だからこそ二人は声をそろえて「小市民たるもの、決して出しゃばらず、日々を平穏に過ごすべし」と唱えるのである。

 

小佐内さんと小鳩くんは、恋愛関係にも依存関係にもない、「互恵関係」にある。都合が悪くなったとき、つまり「ほんとうの性格」が出そうになって平穏が守られなくなりそうなときに、お互いをフォローし合ったり言い訳に使ったりしていい、というものである。二人はかつて恋人同士だったわけでも、今好き合っているわけでも、どちらかがどちらかを好きなわけでもない。日々を穏やかに生き抜くための共闘・共犯関係、とでも表現すればよいのだろうか。この二人の関係性の絶妙さは、数々の読者のハートを撃ち抜いており、もちろん私も撃ち抜かれた一人である。

 

小佐内さんと小鳩くんは、平穏に生きたいと願っているにもかかわらず、よく不思議なことに直面する。それは最初は「同級生の女の子のポシェットがなくなった」であったり「部室においてあったよく分からない絵の意味を解いてほしい」であったり、いわば日常の謎の範疇に収まるものであるのだが、徐々に暗雲が立ち込めはじめ、気が付けば警察沙汰になるような大事件に遭遇してしまうのである。それは果たして偶然なのか、それとも小佐内さんと小鳩くんの小市民的ではない「ほんとうの性格」のせいなのか? シリーズを読み進めるにつれスリリングな展開が増え、手に汗握ってしまうのである。

 

〈小市民〉シリーズを読んだとき、私はほんの11歳とか12歳とか、そんなものであった。今となってはたいへん恥ずかしいことであるが、自分はまわりのクラスメイトとは違うと心のどこかで確実に思っていたし、それなりにいろいろな自信もあった(その後もちろん、さまざまな理由でボキボキと折れていくのだけれど)。そんな私の自意識は、小佐内さんと小鳩くんの自意識に共鳴したのだろう。一読では理解できない部分も多々あったが、だからこそ中学生、高校生になってからも幾度となく読み返し、そのたびに新しい発見があることをよろこんだ。だから私は、早くに〈小市民〉シリーズと出会えてすごくよかったと思っている。とりわけ『夏期限定~』の結末をあの頃に目の当たりにしたことは、読書の趣味にも人生にも、多大な影響を与えている、気がする。

 

〈小市民〉シリーズは私の青春の一冊でも、人生のバイブルでもあり、振り返ってみれば、ミステリのおもしろさを確信するきっかけになった作品群でもある。少ない言葉で言えば、私にとってとても大切なシリーズです、ということである。アニメがすごく楽しみで、きっと素敵なものになるからこそ、私は今の私が持つ〈小市民〉シリーズへの思い入れを、きちんと書き記しておかなければならないのである。そろそろひさしぶりに、一冊ずつじっくり読み返していきたい。あんまりにいろいろなことを思い出しすぎて、うっかり泣いてしまうかもしれないけれど、それでも。

 

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石川博品『後宮楽園球場 ハレムリーグ・ベースボール』のここがおもしろい! ネタバレなし感想&紹介

 

はじめに

 

後宮楽園球場 ハレムリーグ・ベースボール』を読んだ。全体的に評価の高い石川博品作品の中で、このシリーズに関しては評価を濁す読者も多かったため、読む前は不安だったのだけれど、いざ読み始めてみればすぐに夢中になった。これもまた傑作だとおもう。

 

一方で「楽しみどころが分からなかった」という意見も理解できる。あまりに多くのシンプルではない要素が絡み合っていて、結局どういった話だったのか、短く言葉にしようとすれば迷ってしまうからだ。

 

そこで本ブログでは、『後宮楽園球場 ハレムリーグ・ベースボール』のおもしろかったポイントを私なりにまとめてみた。気になっていた人が読むきっかけになったり、既読の人がもう一度読んでみようと考えるきっかけになったりすれば幸いである。


後宮楽園球場 ハレムリーグ・ベースボール』あらすじ

一族を皆殺しにされた復讐のため、皇帝(スルタン)の冥滅(メイフメツ)を暗殺する。そんな使命を果たすべく女装して入内した海功(カユク)は、香燻(カユク)という女名を与えられ、後宮でいちばん身分の低い下臈(げろう)として働くことになる。二千人余りいる女たちの中で、皇帝と夜を共にできるのは選ばれた女君のみ。皇帝に目を付けてもらい出世するには、後宮で行われている野球リーグで活躍することが重要らしい。野球なら多少腕に覚えがある香燻は張り切るが、一筋縄ではいかない。同じ下臈所(げろうどころ)のチームメイトたちと励まし合い、時には喧嘩しながら、香燻は後宮での日々に慣れていくのであった。


①前代未聞⁉ 女装して入内!

この作品はまず、主人公・香燻の設定がとても濃い。女装して入内し皇帝に選ばれて閨での暗殺を目指すラノベ主人公なんて、勉強不足のせいもあるだろうが、あまり聞いたことがない。とはいえ「女装して女子高に入学しドキドキの学園生活を送る」ようなものと考えればそう珍しくもないかもしれないが、大きな違いが2つある。

 

1つは、学園ではなく後宮が舞台なので、出てくる女子は全員皇帝という主人公ではない男のものである、という点である。香燻が誰を好きになろうと、恋が決して実ることはなく、全員が皇帝の元に行くことを夢見ているのだから、やるせない。転じて、シンプルなラブコメとは違ったおもしろさを堪能することができるとも言える。

 

もう1つの違いは、これも後宮が舞台ということに起因するのだが、香燻は四六時中女子に囲まれていなければならず、息つく暇もない。お風呂も寝る部屋も同じである。香燻は宗教上の理由と偽って大事なところを隠して入浴するのだが、他の女たちは素っ裸である。香燻はまだ14歳。まわりを見て悶々とする場面はやたらと具体的で生々しい。石川博品の濃密な描写の魅力を思う存分味わえる部分にもなっている。

 

私がこの作品を読んで、女装主人公をもっとも巧みに活用していると思った点は、声が出せないふりをして筆談でコミュニケーションをとる香燻が、いちばん好きになってしまった相手は文字を読むことができない、という部分である。大切な相手に直接言葉を伝えることができないもどかしさがひどく切ない。香燻の苦悩を具体的に象徴するポイントであると同時に、2人の言葉ではないコミュニケーションも描くことができるのだから、天才的な活かし方である。

 

②皇帝のハートを掴みたいなら強くなれ⁉ 野球で勝負!

タイトルからも明らかなように、本作は野球小説である。宮女たちの最高位にある女御・更衣の12人がそれぞれの厩舎に野球チームを持ち競い合っている、という驚きの世界観だ。私は野球にはまったく詳しくないので分からなかったのだが、作中には数々の小ネタが仕込まれているらしい。野球ファンには垂涎の設定だろう。元ネタをまとめている方がいるのでこちらで確認してみてほしい。

 

togetter.com

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けれど野球で勝てば見初められる可能性が高くなるという設定は、野球ファンだけがおもしろいものではない。女たちの陰湿な争いや皇帝の心の移り変わりは一切描かれず、終始爽やかな話が続くのは、読んでいてとても心地よい部分であった。野球勝負という単純な設定でなければ、これほどの爽やかさを出すことはできなかったにちがいない。

 

野球を扱うことで生まれるさらなるおもしろさは、チーム内での結束を描けたことだろう。日々同じ仕事をしているメンバーでチームを組み、青空の下で汗を流す。時には協力的でないメンバーがいたり、活躍できないメンバーがいたりする。いざござが起きることもあれば、負けが込んで士気が下がることもある。そんな彼女たちがアイデアを出し合い危機を乗り越える様子は、最高に気持ちいい。彼女らが生むチーム感は、スポーツ小説としての魅力を溢れさせている。

 

③香燻、次第に苦悩⁉ とびきりの青春小説!

1巻では使命と仲間の間で板挟みになる香燻が、2巻では自分が何者なのか思い悩む香燻が見られるところもまた、本シリーズの魅力であろう。何せ香燻はまだ14歳で、まわりの宮女たちもみな若い。青春小説として読んでもおもしろいのである。

 

後宮での生活に慣れてきて、優しくしてくれる下臈所のチームメイトと仕事や野球をすることに居心地の良さを感じる香燻。しかし彼の目的はあくまで皇帝の暗殺である。自分が事に及べばこの平穏は崩れるだろう。自分は間違いなく捕らえられるだろうし、この後宮も存続が危うくなるかもしれない。しかし一族の復讐は、外に置いてきた従兄は。揺れる香燻の心理描写も、1巻の見どころである。

 

2巻では違った苦悩が描かれる。長打を放ち華々しく活躍するメンバーもいる中で、香燻のポジションは地味で確実なプレーが求められ、注目してくれる観客も少ない。このままでは皇帝の目に留まるなんて夢のまた夢。自分はどう生きていけばいいのか……。悩む香燻が最終的にどのような道を取るのか、ぜひ確かめてほしい。

 

おわりに

 

以上3点以外にも『後宮楽園球場 ハレムリーグ・ベースボール』は様々な魅力に溢れている。今回はキャラクターにはほとんど触れなかったが、勝気な蜜勺(ミシャ)や不思議ちゃんの花刺(フワーリ)、怪しい目で宮女たちを見る幢幡(マニ・ハイ)など濃い女ばかりでおもしろいし、後宮の外、香燻の従兄の話も詳しく書かれていて先が気になる。

 

刊行されいるのは2巻までだがまだまだ続けられそうな布石がところどころに置かれていた。あわよくば人気が復活して続刊が出ないだろうか。かすかな希望を込めて、今日はここで筆を措くことにする。

 

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石川博品先生の最新作も未読の方はぜひ!

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私の読書スタイル ~社会人なりたて編~

実は先月下旬から社会人になって暦通りに働いているのだけれど、読書スタイルに大きく変化が起きた。Twitterで「ブログで読んでみたい記事はありますか?」とお題を募集してみたところ、「読書環境について知りたいです」「読書スタイルが気になります!」と言ってくださった方がいらっしゃったので、変化を記録する意味も込めて、今日は読書についていろいろなことを書いてみる。

 

 

ある日の読書 ~平日編~

朝、もっと寝ていたい気持ちを我慢して最寄りの駅に向かう。電車の中は空いてこそいないが身動きが取れないほど混んでいるというわけでもない。なので私は本を読むことにしている。紙の本を読むことも、電子書籍を読むこともある。今は2か月99円のセールを利用してkindleunlimitedに加入していて、電子書籍の割合が高い。

 

平日に読む本の選び方には、主に2点のこだわりがある。1つはできるだけ読みやすそうな本を選ぶこと。ライトノベルライト文芸は、理解に時間を要する文章が使われていなかったり、キャッチーな登場人物に癒されることができたりするため、多少疲れていても読むことができる。また、一般文芸の作品を読む場合は、短編集や連作集を選ぶということも意識している。そう長く電車に乗っているわけではないので、読書はどうしても途中で中断されてしまうのだけれど、その場合に「今いいところなのに!」と思わされる回数が、長編でないものを選ぶと格段に減る。以上2つにこだわることで、今のところ平日にも楽しく読書ができている。

 

会社に着いてからも、始業までの時間や昼休みに読書をしている。移動時間や隙間時間にも読書ができるようになったということが、社会人になってからの最大の変化である。それまでの私はとにかく本に没頭したいと思っていて、自分のベッドの上で長く時間の取れるときしか読書をしていなかったのだけれど、読書時間を確保するために工夫してみたら、平日にも案外長く本が読めるようになった。時には長い信号の待ち時間にまで本を読み進めることもある(歩きながらは絶対にしないので安心してほしい)。

 

毎日駅前の書店の前を通ることができるようになったのも大きい。楽しみにしている本の発売日にはふらっと書店に入り、並びたてほやほやの新刊を購入できるようになった。「情報収集から実際に購入し読んで感想を記録するまでが読書である」とは私の持論を即興でまとめたものであるが、書店で新刊の台や棚を眺めるのは本当に心が落ち着く時間である。ほしいと思っている新刊がなくても寄ることもある。

 

行きの電車で20分、昼休みに40分、帰りの電車で20分、帰宅してからも寝るまでの時間に少し。こうすることで平日でも1時間半~2時間の読書タイムが取れるようになった。これは社会人になる前よりも極めて長い時間であり、そのことに私はとても満足している。働かなくても生きていけるようになりたいと常に思ってはいるものの、社会人として生きていくのもこれなら悪くないかなと考えている次第である。

 

ある日の読書 ~休日編~

朝、だいたい場合は寝すぎたことを後悔しながら起きる。長く寝ないと何もできない私は、常にショートスリーパーをうらやんでいる。午前中は布団の中でゴロゴロしたり平日にできなかった家のことをやったりしているので、読書はできない。朝食兼昼食を食べた後、13時くらいからがようやく読書の時間である。

 

休日には平日になかなか読めない本を読む。ロジックを理解するのに頭を使う本格ミステリであったり、とにかく分厚い小説だったり、あとは重要なところをメモしながら読みたいような本だったりする。楽しみにしていた新刊でもどうしても一気読みしたい本は、泣く泣く休日に回す。1日1冊では追い付かないので、2~3冊は読みたいと思っている。

 

実際には予定に沿って出かけることもあるため、「土日で6冊読めました!」とはなかなか行かない。だが基本的には2日の休みのうちどちらかは読書のために空けておきたい。楽しみな新刊は毎週のように発売され、物理的な本棚でも電子的な本棚でも、大量の未読本が私を待っているからである(待っていてくれている、よね?)。

 

ブログのお題は「お題箱」という匿名サービスで募集したのだが、読書スタイルの質問の中に「好きな飲み物が知りたい」という一文が入っていた。これを入れてくれた方はおそらく、読書中に私が何を飲んでいるか知りたいと思ってくださったのだと思う。期待に沿えず申し訳ないのだけれど、飲まず食わずでするのが私の読書である。布団の上に寝っ転がり、ひたすらページを追いかけていく。最長集中時間は『蜜蜂と遠雷』一気読みの5時間強である。

 

嗚呼、紅茶を片手にクッキーでもつまみながら優雅な読書タイムを送る人間であれば、もっと充実した回答ができたのだけれど……。読書時間関係なく好きな飲み物ということであれば、果物系の炭酸や甘いコーヒー系飲料が好きである。この情報要ったかな?

 

ある日の読書 ~読み始める前の選書編~

お題の中には「読む本の選び方を知りたい!」というものもあったので、ここにまとめてみる。まずは好きな作家さんの新刊を買って読む。以前はこれでかなりの読書スケジュールが埋まってしまっていたが、最近はそうでもない。次に、購入した積読の中から読みたい本を選ぶ。すべて読みたい本を買っているのに、その日の気分によっては読みたい本が本棚にないこともある。これは由々しき事態である。気分に合わない本を無理に読み進めてもよくないので、その場合は新たに本を購入する。電子書籍は家に居ながらにしてワンクリックで買い物ができるのでお財布に本当に優しくない。

 

普段はどんな本に興味を持っているか。ミステリの新作は気になることが多い。ただしすべてを読んでいるとさすがに破産してしまうので、Twitterのフォロワーさんが複数名読んでいてすごくおもしろそうな本や、おすすめしていただいた本を優先して読む。ライトノベルの新作もチェックしている。青春群像劇に弱く、その一語が宣伝文句に入っているとつい買ってしまうことが多い。

 

非ミステリの一般文芸は、読みたい本が多いのにまったく読めていない範囲だ。綺麗な表紙の本や、話題になっている本は読みたい本だらけである。本屋大賞のノミネート作品は絶対におもしろいのだからすべて読みたいのだけれど、毎年1~2冊しか読めていないことが多い。今年は『方舟』だけになってしまっている。

 

ずっと紙の本派だったのだけれど、収納場所と懐事情の問題から、電子書籍もよく読むようになった。たまに図書館に行って、気になっていた単行本を借りて読むこともある。電子で買ったときも図書館で借りたときも、とても気に入った本は紙で買うことにしている。去年だと『ナイフを胸に抱きしめて』や『青春ノ帝国』はそうした。

 

新作ばかりを読んでいるわけではなく、ずっと前に出た本も気になっているものをどんどん読む。気にしているうちに文庫化してしまったその本、Twitterのフォロワーさんが偏愛しているこの本、好きな作家さんが影響を受けていると思しきあの本。読みたい本は数えきれない。たとえ今このときに時間が止まって私だけが動ける状態になったとしても、10年は読む本に困らないだろう。それくらいこの世界は魅力的な本で溢れている。

 

質問の中には「併読する?」というものもあった。ついこの間まではまったくしなかったのだが、最近は結構するようになった。併読するときに気を付けていることは今のところあまり思い出せない。ただ1冊の本を読んでいる途中に他の本を読み始めるときは、そのジャンルを読む気分ではないが読書はしたいという気持ちになっているときなので、ジャンルは被らない。よって頭の中で登場人物やストーリーがごちゃまぜになってしまうことはほぼない。

 

ある日の読書 ~読んだ後の感想編~

最後は感想の書き方についてもまとめておく。私は1冊の本を読み終わった後、手書きの読書ノートに感想を書いていて、これは9年近く続けている習慣である。読み終わった瞬間の感情と思考をそのまま残しておけるように気を付けている。シャーペンで紙に文字を刻むことで、永遠になる気がする。

 

その後、Twitterに140字で感想を投稿する。言い足りなかったことを1~3個付け加えることが多い。読書メーターでもInstagramでも感想を書きたいのだが、現状あまり書けていない。そんな私が今年度力を入れていきたいと思っているのは、ブログでの長文感想だ。

 

最近思うようになったのだけれど、Twitterの140字も読書メーターの250文字も、言い表したいことを過不足なく書き込むには短すぎる。時代には逆行しているかもしれないけれど、私は自分だけにしか書けないことを長い文章をじっくりと書いていくことで見つけていきたい。誰にとっての意味がなくても、そんなものは願望が見せるまやかしだとしても、それが好きだから、楽しいから、胸を張って書いていきたい。

 

今回の記事では募集したお題をもとに自分の読書スタイルについて書いてみた。お題箱には他にも様々なお題が届き、「これはすぐにでも書こうと思っていた!」というものから「これは時間が必要だな」と思わされるものまで幅広く、大変うれしかった。時間はかかってもすべてのお題で記事を書きたいと思っているので、気長に待っていていただければ幸いである。この文章が誰かの参考や希望や、もしかしたらちょっとした楽しみになることを願って、ここで筆をおく。

 

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