鋭利

色々。

『にいちゃん』

 

にいちゃん (Canna Comics)

にいちゃん (Canna Comics)

 

はらださんの『にいちゃん』を読んだ。

ネタバレとかあるから注意。

 

この漫画、読む人をものすごく選ぶ漫画だ。

性犯罪とか、小児性愛とか、そもそもBLだし(Boys Loveなのかと言われればわからないけども)。

でも、確かにものすごく読む人を選ぶけど、色んな人に読んでほしい。

というのは、その根底に、きっとみんな一度は思った事がある疑問があるから。

 

それが、普通ってなんだ?っていう疑問。

普通って難しくない?

小学校と中学校は地元の学校に行って、高校と大学は受験して、大学3年生の終わりに就活して就職して、28歳位で結婚して子供も2人くらい設けて、40手前でマイホームを購入して子供育てて老後は夫婦2人で幸せに暮らす、みたいな?

でも、この「普通」に則って生きれる人間って何人くらいいるの?

少なくとも、私は小学校から受験したし、反対に高校と大学は受験してない。

兄も小学校も中学校も地元じゃないし、大学には浪人して入った。

父と母は離婚してるし、私の家族は誰一人として「普通」に則れてない。

でも、私は自分も自分の家族も「普通じゃない」なんて思わない。

 

じゃあ、普通ってなんだ?

 

『にいちゃん』 では、誰一人として「普通」の人はいない。

主人公であるゆいは、小学生の頃、仲良くしてくれてた「にいちゃん」にレイプされかける。結局ゆいの母親にバレて未遂だったけど、どうしても「にいちゃん」を忘れられず、再会してからもまるで復讐みたいな形の関係で「にいちゃん」との関係を続ける。

その後、ゆいの母親はゆいに対して異常に過保護になり、ゆいを縛り付ける。

ゆいに告白してきた舞子は、清楚で誰からも憧れられる存在だったけど、実は女の子が好きで、父親は前科者。

「にいちゃん」は舞子の父親と幼い頃愛し合ってたけど、周りから引き離され、精神が歪んでしまった。

「にいちゃん」の母親は、自身の子供が幼い頃に変態に唆されたせいで真っ当な人間に育ってないと思って、矯正しようと躍起になってる。

 

全員、「普通」じゃない。

「にいちゃん」のセリフの一つに、「誰からも祝福されないと愛って認められないんだ」ってのがある。

多分、「普通」の愛なら、誰からも祝福されるって事なんだろうな。

でもさ〜、と思う。

何度も言うけど、「普通」って難しくない?

ていうかそもそも「普通」って誰が決めてんの?

 

『にいちゃん』では、結局全てを捨ててゆいに会いに来た「にいちゃん」に、ゆいが公衆の面前でキスを強請るシーンがある。

周りは当然ザワつくし、携帯で写真を撮ろうとすると人もいる。

これが「普通じゃない」って事なんだろうか?

 

でも、これが同性愛が一般的に認められてる世界ならそんな事ないんだと思う(公衆の場でイチャイチャすんなよ、っていうのは置いといて)

そう思うと、社会が認める認めないで「普通」の定義が変わることになる。

 

「にいちゃん」の母親は、正にこの社会が認める「普通」を望む典型的な人間だと思う。

同性愛は病気だと思っていて、矯正する為に高い金を払って人を雇う。

舞子の父親のせいで「普通」を逸脱してしまってるだけで、自分の子供が悪いわけじゃない、正しい道に戻せると本気で思ってる。

多分この母親は自分を「普通」だと思ってるんだけど、正直、私はこの母親が一番「普通じゃない」と思うんだよね。

 

確かに、自分の子供が同性愛者、しかも小児性愛者だってなった時、一般的な母親はショックだとは思う。

やっぱり社会が認める「普通」じゃないって思うからね。

でも、それを矯正できると思うのってすごくない?

乱暴な言い方をするけれど、じゃあお前は同性愛者になれるの?っていう話じゃん。両性愛者じゃない限り、同性あるいは異性のどちらかは恋愛対象外、もっと直接的な言い方をすると、セックスはできないわけじゃん。

特に「にいちゃん」は、母親が雇った女性の矯正行為に毎回嘔吐するわけ。

嘔吐ってつまり、どうしようもなく受け入れられないって事で、女性を対象に勃起もしなければ嫌悪感しか湧いてこないってことでしょ?

 

そんな人に無理やり女性を宛がって、自分の、社会の思う「普通」に矯正することは、果たして「普通」なの?と思う

 

結局、みんな「普通」に囚われて生きてる

今私は就活生なわけなのだけど(そして全然上手くいってない)、友達が、「みんなが普通に出来ている事をできないのが嫌」と言っていた

まぁ気持ちはわかるし、私だって今すぐ内定が欲しい

でも、それってやっぱり社会が認める「普通」に迎合できない自分が嫌だって事で、そんな「普通」に囚われて生きてるのって、変な言い方をするけど面倒くさいなと思う

他人にどう思われようと、自分が納得のいくものを選択できればいいのに、と思うけど、それができないのも「普通」なんだろう(訳が分からなくなってきた)

 

 

『にいちゃん』は、最終的に全てを捨てた「にいちゃん」とそれを受け入れたゆい という形で終わるんだけど、最後の描き下ろしが凄い

それでハッピーエンドじゃなくて、結局「普通」に囚われてるゆいが描かれている

 

「普通」じゃない自分と、どうしようもなくて薬に逃げる「にいちゃん」、受け入れてくれないであろう両親

 

ゆいも「にいちゃん」も両親も、みんな「普通」に囚われていて、みんなすっごい生きづらい

「普通」ってそんな生きづらいものなんだろうか

 

「普通」を乗り越えた先には、何があるんだろう

生きやすいのか、はたまた「普通」よりも生きづらいのか

誰しもきっとどこかしら「普通」じゃないのに、誰もが「普通」に囚われている

BLで題材としてもかなり人を選ぶけど、誰しもが囚われ続ける「普通」について、少し考えさせられる漫画なので、耐性がある人には是非オススメしたい

 

 

ヴィクトルから見たユーリ!!! on ICE

 

「ユーリ!!! on ICEを見る」ここ最近で一番泣いた出来事である。
12話を見終わったあとの感想は「全員とハグしてキスして握手してありがとうって言いたい……」だった。
とにかく感動をありがとう……。

一通り泣いて、かみしめて、もう一回12話見て、もう一回泣いて、やっと落ち着いたときにふと思った。
フィギュアスケートの平均競技年齢って24~28歳くらい? だとしたら、27歳のヴィクトルすごくね?」
「てか、そんな27歳の貴重な一年をコーチに使ったって、実はすごい事なんじゃない?」

そんなわけで、「短い競技人生の中の、27歳という貴重な一年をコーチに費やしたヴィクトル」から見たユーリ!!! on ICE(以下YOI)について考えたことを書きたいと思う。
最初に言っとくが、これは考察じゃない。私が漠然と考えたことだし、当たってるとか当たってないとかは度外視した、ただの萌え語りに近いものなので、それでも良ければ見てほしい。
私はフィギュアスケートについてはど素人もいいところだし、全く詳しくないことと、ネタバレも大いにあることと、吐き出したいことを吐き出し続けたらものすごく長くなってしまったことを理解いただいた上で読んでほしい。

フィギュアスケートの平均競技年齢と27歳
羽生結弦(22)
ネイサン・チェン(17)
宇野昌磨(19)
パトリック・チャン(26)
ジェイソン・ブラウン(22)
2016年12月17日現在の男子シングル世界ランク上位5人の生年月日を調べて年齢を計算してみた。平均21.2歳。
誕生日を迎えていたりするので+1歳の誤差はあるとしても、若い……。
調べてみて思ったより若くてショックを受けている……。
私より年上3人しかいねぇ……。

ちなみに、最高齢金メダリストは1928年サンモリッツオリンピックでのギリス・グレーフストレーム(34)。
最高齢でも30代前半。いかに競技年齢が低いかわかる。

フィギュアスケートの平均引退年齢は、大体24~28歳くらいだと思う。
厳密に計算したわけではないが、多分そのくらいなんじゃないだろうか。
となると、ヴィクトルの27歳という年齢が、引退か否か、というギリギリの年齢であることがわかる。

実際、YOIでは最初からずっとヴィクトルの引退については話に上がっていたし、ヴィクトルは引退するのか? というのが一つのキーになっていた。

選手としてでなく、コーチとして27歳を過ごすということは、ただでさえ短い競技人生の中の、引退を考える1年を、自分ではない他者のために過ごすっていうことで、それってヤコフ曰く「自分が一番好き」なヴィクトルにとっては凄いことなんじゃないだろうか。
しかも、ヴィクトルの27歳は、世界選手権6連覇がかかってる。

そんな貴重な1年(厳密には8か月)を、他者のためにフィギュアスケートを見つめるために使うことができたのは凄いことだと思う。
ライフもラブもほったらかしにして、20年間自分のフィギュアスケートしか見つめてこなかったヴィクトルが、27歳という年齢で、おそらく初めて他者のためにフィギュアスケートを見つめて、他者のために与えられるものを模索できたのは、思ってるよりもすごく良いことだったんではないだろうか。

 

●勝生勇利から見たYOIと、ヴィクトルから見たYOI
さて、本題に入ろうと思う。
YOIは、ほとんどが主人公である勝生勇利視点で物語が語られていく。
勝生勇利は自尊感情が低くて、かつとても頑固な人間で、視聴者は偏った視点で展開される物語を見ていくことになる。

これは10話で初めてヴィクトル視点で語られたとき、おそらくほぼ全視聴者が、「マジかよ……!!」となったことにつながる。

いろんな漫画やアニメの中で、主人公視点の物語が正しいとされているものは少なくない。
だが、10話で、YOIの世界はそうではないことを示してくれた。
限りなく現実に近い世界なのだなぁと感心したのだが、つまり何が言いたいかというと、勝生勇利には勝生勇利のYOIがあり、そしてヴィクトルにはヴィクトルのYOIがある、ということだ。

勝生勇利にとってのYOIの物語は、「引退か続行かを悩むときに、憧れに憧れた生きる伝説、ヴィクトル・ニキフォロフが突然家に現れ、コーチになってもらい、GPFで金メダルを目指す」というまるで夢のような物語だ。

だがこれはあくまで勝生勇利視点であり、ヴィクトル・ニキフォロフ視点のYOIは全く違う。

私は、ヴィクトルにとってのYOIは、「もう一度純粋にフィギュアスケートを好きになるまでの物語」なのではないか、と思った。

ヴィクトルは世界を驚かせることをモットーにしているが、リビングレジェンドとなってしまった彼が何をしようと、最早世界は驚かない。

バンケットでのビーマイコーチがあったとはいえ、おそらくヴィクトルは、最初、世界を驚かせる一手段のために勇利のコーチをしようとしたのだろう。
そこには、「自分が何をしたところで世界はもう驚かない」という諦観もあったんじゃないかと思う。

だが、8か月間勇利のコーチをして、「世界を驚かせるため」ではなく、「純粋に自分が踊りたい」がためにフィギュアスケートをしたいと思えるようになったんじゃないかと思う。

それは、他者に教える喜びから出たものなのか、勇利やユーリが自分を追い越そうとしているために出た闘争心からなのかはわからないが、とにかく、もう一度純粋にフィギュアスケートを好きになれたんじゃないだろうか。

そう考えれば、現役選手兼コーチという、一見突拍子もないようなことに思えるヴィクトルの選択も、結構納得がいくような気がする。

コーチとして他人のためにフィギュアスケートについて考える一年によって、もう一度純粋に踊りたいという気持ちを得ることができたから、コーチをしつつ選手という選択なんじゃないだろうか。

また、ヴィクトルは勇利のコーチをしたことによって、「負ける覚悟」ができたんだと思う。

今までリビングレジェンドとして王者に君臨しづけてきたヴィクトルは、久しく敗北を知らない。

しかし、彼は勇利のコーチをしたことによって、勇利を勝たせたい、って思うことができて、それは、自分が負ける覚悟を決めれたんじゃないだろうか。

あと、これにはやっぱり2人のユーリがヴィクトルの記録を超えたことも関係すると思う。

総合得点としてはまだ超えられてないにしても、新しい世代が、もうすぐそこまで来てるっていうことをヴィクトルはGPFで確信して、やっと、「敗北」っていうものが久しぶりに身近に感じれたんじゃないかな、と思う。

ヴィクトルは、絶対的王者だった輝かしい記録を持ったまま、引退することもできたけれど、「負ける覚悟」ができたからこそ、ヴィクトルは選手に戻ったんじゃないかな。

久しく感じていなかった「敗北」の影を2人のユーリから感じたヴィクトルは、そういった意味でもスケートを始めた頃の純粋な気持ちを思い出して、おかげでもう一度、純粋にフィギュアスケートをしたいと思えるようになったんじゃないかな、と思う。

そして、ヴィクトルがもう一度フィギュアスケートを好きになるには、「勝生勇利のコーチをする」という方法以外では無理なような気がする。例え、2人のユーリがヴィクトルの記録に迫ったとしても、勇利のコーチをするということは必須項目だと思う。

それは、勇利がヴィクトルを唯一選手としてではなくコーチとして求めた人間だから。

ヴィクトルのコーチであるヤコフにはコーチをやることを止められ続けているし、ユーリはどちらかというと選手としてのヴィクトルに勝つことを求めているように思う。クリスだって早く復帰してくれ、と言っているし、ヴィクトルは選手としての自分以外に求められたことがなかった。

しかし、勝生勇利という選手ではないヴィクトルを求める人間に出会うことで、初めて自分のためでなく、他者のためにフィギュアスケートを見つめる機会ができた。

他者のためにフィギュアスケートを見つめて、他者のために与えられるものを探すことによって、彼はきっと、「世界を驚かせたい」だとか、「世界選手権6連覇のため」だとか、そういうことを抜きにして、純粋にフィギュアスケートをしたいと思えるようになったのではないだろうか。

だから、「勝生勇利に求められてコーチをして、GPFでの金メダルを目指す」というYOIは、ヴィクトルにとって、「もう一度純粋にフィギュアスケートを好きになる」物語なように思う。

きっと、ヴィクトルは自分のためにフィギュアスケートをしている限りずっと何かのために滑り続けていたんだろう。そしておそらく、何かのために踊ることに疲れた彼は、引退していただろう。

ヴィクトルは誰かのために選手ではない一歩離れた場所からフィギュアスケートを見つめる事でしか、自分のためにフィギュアスケートをすることができなくなってしまっていた。
勇利はヴィクトルを氷上に戻さなきゃ、と言っていたが、きっとヴィクトルは勇利のおかげでもう一度純粋にフィギュアスケートを好きになることができて、もう一度純粋にフィギュアスケートをしたいと思わせることができたのではないか、と私は思う。

 


ところで、YOIは勝生勇利とユーリだけではなく、ヴィクトル自身も成長する物語なんだ、とよく聞くけど、私はそれに違和感を覚えた。
で、私なりにその違和感を分析した結果、ヴィクトルは成長したんじゃなくて、「戻った」のではないか、と思った。

ヴィクトルだって元々、フィギュアスケートが好きで始めたのだろう。

フィギュアスケートが好きで選手になり、フィギュアスケートが好きだから沢山勝つことができたのだろう。
だがいつしか、「好き」が見えなくなって、戦歴や、外部からの目や評価のためにフィギュアスケートをするようになってしまったのではないだろうか。
そんなヴィクトルは、YOIの物語を通して、「フィギュアスケートが純粋に好きで滑っていた」頃に戻ることができた。
成長というよりは、こっちの言い方の方が合っている気がする。
反対に、勇利とユーリは氷の上で成長をした。
だから題名は、「ユーリオンアイス」なのかなぁ、と思ったり。

 

 

『おやすみプンプン』という話


今日は、浅尾いにおの『おやすみプンプン』についての話。
何故今頃『おやすみプンプン』なのか、と言われれば、単純に部屋を片付けてて、ダンボールに眠った『おやすみプンプン』が出てきたからだ。
長いし本当に暇な人間以外読まない方がいい。

私が『おやすみプンプン』に出会ったのは、多分小学校5、6年。私が人生で一番しんどくて、一番何もかもが嫌だった時期。
所謂タカンナジキというやつだった。

昔から漫画が大好きで、とにかく漫画を沢山読んだ。
で、『おやすみプンプン』に出会った時は、それはそれは衝撃だった。

まぁ多分衝撃だった理由は読んでみてもらえれば分かる。今の私でも、色んな意味で衝撃だった。

で、今回話したいのは、最終巻のこと。
最終巻は確か、高校3年生の時に出た。
小学校5年という人生で一番しんどかった時期に読み始めた漫画が完結する頃には、私もそれなりに考えが大人になってた。

私が思うのは、『おやすみプンプン』では、誰も幸せにはなれなかったこと。だけど、不幸にもなっていないこと。
ちょっと語弊があるかもしれないが、多分プンプンも、愛子も、不幸ではなかった。

は?愛子は不幸でしょ、って思われる人がいるかもしれないが、そういう人はここからの話は私の一意見なので受け流して欲しい。

そして加えて言うと、私は漫画が好きだが考察をする人間ではないので、間違いやミスがあっても生暖かい目で見ていて欲しい。

まず、プンプンだが、彼は幸せでもなければ不幸でもない、のど真ん中にいる人間だと思う。
というか、せめて不幸にならないように自己防衛をしたのではないかと思う。
プンプンは最初から最後まで、幸せにはなれなかった。
多分、幸せになろうとしなかった。
もしかしたら、幸せになる方法がわからなかったのかもしれない。
不幸ではなかった、と思うのは、生きたからだ。そして、生きていく中で共にいる人がいたからだ。

彼は、南條幸に「起きろ」と言われている。
もう明日のことを考えずに寝れる。おやすみ。と思った時に、幸に起こされるのだ。
幸の我が儘で、起こされるのだ。

人に求められて生きるというのは、一般に幸せなことなんじゃないかと思う。
プンプンの場合(というかこの漫画のほとんどの場合)、親はその役割を担ってくれていない。
親というのは、一番自分を求めてくれる可能性がある存在だが、この漫画ではそうじゃない。

そんな中で、他人に、しかも恋人でもない人間に、生きろと、我が儘で求められるのは、幸せというか、生きる価値のようなものになるのではないだろうか。

だが、ここでプンプンは幸せだったとは言えないのは、勿論愛子が死んだからだ。
厳密に言えば、愛子と共にいれないからだ。
プンプンがもしあそこで死んでいて、もし死後の世界があったとしたら、愛子と共にいられたかもしれない。
プンプンは、小学校の時から愛子に縛られて生きてきた。約20年、自分を縛っていた存在が居なくなるというのは、自分の存在価値がなくなったと錯覚してしまうのではないだろうか。

おそらく、プンプンがあそこで一度死を選んだのは、愛子と共に居たかったこと、そして、最早自分に存在価値がなくなったからではないだろうか。
愛子がいなければ、自分の存在価値がなかったのではないだろうか。

そこで、幸の存在に戻る。
幸は、この時、プンプンに新たな存在価値を与えたのではないか。
小学生から今までの、愛子に縛られていたプンプンは死んだ。そして、新たに幸によって命を与えれた。
もしかしたら、プンプンにとって、幸に生きろと求められるのは迷惑なことだったのかもしれない。
だが、彼は幸の手を取った。

幸によって存在価値を得たプンプンは、しかし、愛子のことを忘れることはできなかった。
これが、彼が幸せではない理由のもう一つだ。

幸は、確かに存在価値を与えてくれた、生きることを求めてくれた人だが、愛子という存在とは違う。
愛子はプンプンにとって唯一無二の存在で、代替えなんてない存在だ。
そこで彼は、生きていくために愛子を夢の中の存在にする。そして夢の中で愛子に言うのだ。
「さよなら」と。その後、プンプンは夢から醒める。
その言葉はおそらく、プンプンを夢から目覚めさせる唯一の言葉だ。
愛子を夢の中の存在にする唯一の言葉だ。

プンプンは愛子という存在をあやふやなものにさせるために、愛子を夢の中に置いた。
プンプンは、死のうとした時、やっとゆっくり眠れる、と言っている。眠りは死の世界に繋がると考えている。
愛子を眠った末にある夢の中の存在にすることで、自分は生きていて、愛子は死んでいるという現実を、長い間をかけて、それこそ愛子の夢を見る度に、徐々に受け入れていくのではないだろうか。

縛りつけていたものがなくなったプンプンは、一度死に、そしてもう一度生まれた。
愛子という存在を夢の中の存在にしていくことでしか、前に進めない。

だが、それは一種の呪縛だ。愛子からの、新たな、そして強力な呪縛だ。
この先プンプンはきっと、結婚なんてすることもなく、恋愛すらもせず、子供だって作らない。
存在がなくったとしても、その呪縛は解けない。
縛る存在がなくなったのに、縛られ続けている。いつしか縛られている意味もわからなくなるくらい、長い間、プンプンが生きている間、それはずっと続く。それでも、意味がわからなくなっても、プンプンは縛り続ける。
意味もわからないまま、ずっと。

プンプンは幸せでも不幸でもない。
生きることを求められている、でも生きることには、存在しない愛子からの呪縛がある。
多分プンプンは、それを受け入れて、ただ生きて、いつしか誰からも自分の名を忘れられるように願い続けるのだろう。


さて、プンプンでえらく長くなったが、愛子が幸せでも不幸でもなかった理由だ。
が、これは本当に単純なもので、「プンプンを殺さなかったから」だ。

プンプンは、しきりに愛子に殺されたいと言っている。
だが愛子は、「嘘を付いたら殺す」という、条件付きの言葉を残している。

愛子がプンプンを殺したくなかったのは、もうプンプン以外に誰もいなかったからだ。
母は、愛子自身が殺した。
また、最後に母から向けられたものは、包丁だった。
母親に向けられた刃を、自分の手で母親に突き刺した。
愛子には、もう、プンプン以外に、だれもいなかった。

1人にしないで、という言葉からもわかる。
プンプンがいなくなれば、世界で愛子のことを気にかける人間が、いなくなる。
愛子はそれを恐れた。

自殺をしたのも、そういった気持ちがあるように思う。
先にも述べたが、自殺することによって、愛子はプンプンを縛り付けられる。
今後共に生きていったとして、プンプンが嘘を付いたら、愛子はプンプンを殺さなければならない。
プンプンが嘘をついたとしても、殺さなくていいように。プンプンが自分を忘れないように。
愛子は自分を頃殺した。

実際、プンプンが夢の中で、愛子に、もう君には殺されないこと、嘘をつくことを述べている。

愛子は、1人になるのが極端に怖かったのではないだろうか。
肉親を自分の手で殺し、プンプンしかいなくなった時、愛子にとっての最大の不幸は、プンプンがいなくなることなのではないだろうか。

愛子は自分が死ねば、それも、プンプンの目の前で死ねば、プンプンを殺さなくて済み、自分のことを忘れないと考えたのではないか。

これは、愛子にとって、不幸の回避ではないのか。
と、いうわけで私は、愛子は幸せではなかったが、不幸でもなかったと思うのだ。

愛子はプンプンの夢の中で、忘れられるような兆しが見えている。が、少なくとも愛子の死よって、プンプンはきっと一生縛られ続ける。
愛子の中では、それは、忘れられたとしても不幸ではないのでないかと思う。


まぁ長々と書いてきたが、私は、2人にとってこの終わり方が一番なのだろうな、と思う。
共依存は片方のバランスが崩れたら、その片方にもう片方が飲まれて終わる。
そんな終わり方は、互いに不幸でしかない。
きっと2人は遅かれ早かれ、幸せにはなれない。
永遠の呪縛の中生きていくこと、永遠の呪縛を与えて夢の中で存在すること、そしていずれ忘れられたとしても縛り続けること。
幸せでもなければ不幸でもない。
この2人は、こんな形でしか永遠を手に入れられなかったんだろう。

おやすみ、プンプン

【チェンクロ】無課金で最大ダメージ系ミッションを攻略しよう



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今回はSEGAスマホゲーム、チェインクロニクルユーザーだけが楽しい記事。

意味がわからない人は是非チェンクロをしよう!

最初の頃から推し続けてるゲームなんやけど、あまりやってくれる人がいない。

500万人を突破したらしいけど、私の周りではやってる人がことごとく少ない。

まぁ置いといて。
以下、チェンクロユーザーだけがわかる話。


精霊石がなかなか貯まらない。
みんなが思ってることだと思う。

そんな精霊石難民に優しいのがミッションである。

と、いうわけで最大ダメージ系のミッションを攻略してやることに。

今までミッションのことを何も考えずにやって来たので、50000ダメージすら超えてなかった。

とりあえず全然育ててなかったビエンタとか使って、100000ダメージまではなんとか行けた。

ところがどっこい、150000ダメージがどうにもできない。

というのも、さっき述べた通り、私は今までミッションなんか気にしてなかったので、バフキャラが少ない。

どうにも少ない。

まず、過去二回くらいロクサーナが出てる。
なのに、その度に売った。
何にも気にしなかった愚かな過去の自分。

次に、ムジカ、ユリアナ等に代表される☆5バフをことごとく持ってない。

加えて、大ダメージ系キャラも少ない。
ニンファ、パメラスくらい。
基本無課金なので、ニンファはLv.60止まり。
パメラスは4凸してるけど、Lv.30代。

つまり、フレンドにいくらムジカやユリアナがいても、肝心の大ダメージを与えれるキャラがいない!!!

無課金故の悲しみ!

さらに言えば、大体の大ダメージキャラはマナ3。
バフさせてから大ダメージを与えようにも、マナが!足りない!!!


と、いうわけで。
無課金勢のための、バフキャラや大ダメージキャラがいなくても150000ダメージを超えよう講座!

【準備するもの】
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・フレンドさんのアカツキ(Lv.80)☆5
・エールイ(Lv.15)☆5
・タリビク(Lv.36)☆5
・ローデル(Lv.2)☆1
・ラルダ(Lv.11)☆3

それぞれの役割は以下の通り。

[アカツキ(Lv.80)] 戦マナ3
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大事な大ダメージキャラはフレンドさんのアカツキ
カンスト+キルアップ持ち。

[エールイ(Lv.15)] 魔マナ2
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バフキャラではないが、攻撃を一定時間氷属性にしてくれる。

[タリビク(Lv.36)] 弓マナ1
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貴重なバフキャラ1人目。
マナ1でありながら攻撃力を40%アップさせてくれる。

[ローデル(Lv.2)] 戦マナ1
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貴重なバフキャラ2人目。
このキャラ、ものすごく優秀である。
☆1、マナ1でありながら、ランダムで1人攻撃力を100%アップさせてくれる。
ランダムな分運は試されるが、5分の1で100%アップと思えば、優秀すぎる。

[ラルダ(Lv.11)] 弓マナ2
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貴重なバフキャラ3人目。
☆3なので比較的手に入りやすいながら、攻撃力を25%アップ。素敵。

サブパーティはフィーナとフィリップだけど、覚醒させてない(レベルが足りない)ので、意味はない。

はい、じゃあ手順です!!!
⑴ まず、場所は湖都の「遅き者は的になる」。

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いいところは、ボスが炎属性なのでエールイの氷属性変化にピッタリ。しかも弓ボスなので、ピリカのマナ運搬を待てる!

⑵ボスキャラまではとりあえずアカツキで倒す!
アカツキは倒せば倒す程攻撃力の上がるキルアップを持ってるので、積極的に倒しに行く。

⑶ボス戦までに、できるだけ戦マナ×3、弓マナ×3、魔マナ×2を貯める。

⑷ボス戦では雑魚を倒したら、ピリカが出るまでひたすら逃げ回る。

⑸ピリカが出たら、ラルダの必殺技を始動。その後、ピリカから戦マナを取る。

⑹タリビク→ローデル→エールイの順に必殺技。この時にローデルがアカツキの攻撃力をアップしてくれたら15万超えます。
アカツキ以外のキャラをアップさせたら、多分できません。
つまりここは運!!!運ゲー!!!!!

アカツキでボスを倒します。

私はこの方法でなんと33万ダメージを超えました。
ローデルすげぇ。
スクショは撮り忘れました。興奮しすぎて。

ポイントは、
①雑魚をアカツキで倒すこと
②ボスキャラの属性に強い属性に変化させてくれるキャラをいれること
③ローデルさんにアカツキの攻撃力をあげてもらえるよう神に祈ること
です。

②に関しては、トトを持っている人は賢者の塔にある迷宮山脈の入口の「凍える迷宮」がピッタリです。

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トトは炎属性にしてくれる上に攻撃力アップもあるみたい。
☆3なので比較的手に入りやすい。
1マナだし。
さらに凍える迷宮はwave8まであってボスwaveも2回あるのでマナが貯まりやすい。
なので、エールイをトトに変えて凍える迷宮でやった方が上手くいくかもしれない。

まぁ私は例によってトトを売りさばいていたのでエールイで代用。


というわけで、チェンクロユーザーのチェンクロユーザーによるチェンクロのための最大ダメージ系ミッション攻略でした。

精霊石美味しい。

人間の身体の神秘

最近人間の身体の神秘についてかなりびっくりすることが多い。

例えば、4月の最初にお母さんが今話題の腹腔鏡手術をした。

その時、家族の付き添いが私で、手術終わったあと、人生で初めて人間の臓器を見た。

お母さんの病気は所謂胆石で、胆嚢ってところに石みたいなのが溜まってる。胆嚢自体いらない臓器らしくて、そのまま摘出した。しかも、ご丁寧に胆石を見せようと臓器切って、中身を開いてくれた。

鋏の先がちょっと丸まってるみたいなやつで、もうあと一動作で切れるって時に、医者が

「あ、中身見る?」

って言ってきた。

いや、もうその状態まで来たら「はい」としか言えへんでそれ。

ってなりながら、臓器を切って、中から真っ黒な液体と共に石が出てきた所を見せられた。

正直こんなもんかって思ったけど、かなりの数の石が入ってた。よくよく考えれば、よくあんなもん体に入れて人間の身体って生きてれるもんだ。まぁよく痛がってたけど。神秘。

あと意外と臓器ってグロくない。

ちなみにこの時、心臓の絵が描かれたトレーナーを着てたら、医者に「手術だからそれなの?」って言われた。そんなわけない。あと「医学生?」とも聞かれた。医学生なら心臓のトレーナー着ても納得してもらえる?


あとは、この手術のあと、かなりお腹が出る。なんか手術の時にガスを入れて膨らますらしい。つまり臭くないオナラをよく出す。

そりゃもう妊娠かな?ってくらいの出方。47歳にして妊婦体験再び。

ちょっと動いたら痛がるし大変なんやけど、ここ2日、お腹でなく背中が痛いと言う。

ちょっと調べたら、溜まったガスが、背中から出るらしい。

待ってくれ。

まだお尻から出るならわかる。オナラだ。百歩譲ってお腹からもわかる。なんか臍とかから出るんかもしれへん。臍が穴なんか知らんけど、まぁ理解しろって言われたらできる。

背中?背中からどうやって出るん?

お母さんは腰が痛いらしいけど、人によっては肩甲骨辺りが痛む人もいるらしい。

つまり肩甲骨からガス出てる。

なんで肩甲骨選んだん?出るところ他にもいっぱいあるやん?穴とか身体の随所にあんのに、なんで全く穴のない肩甲骨なん?

身体の神秘っていうか、人間の身体って意味わからん。っていう話でした。