『にいちゃん』
はらださんの『にいちゃん』を読んだ。
ネタバレとかあるから注意。
この漫画、読む人をものすごく選ぶ漫画だ。
性犯罪とか、小児性愛とか、そもそもBLだし(Boys Loveなのかと言われればわからないけども)。
でも、確かにものすごく読む人を選ぶけど、色んな人に読んでほしい。
というのは、その根底に、きっとみんな一度は思った事がある疑問があるから。
それが、普通ってなんだ?っていう疑問。
普通って難しくない?
小学校と中学校は地元の学校に行って、高校と大学は受験して、大学3年生の終わりに就活して就職して、28歳位で結婚して子供も2人くらい設けて、40手前でマイホームを購入して子供育てて老後は夫婦2人で幸せに暮らす、みたいな?
でも、この「普通」に則って生きれる人間って何人くらいいるの?
少なくとも、私は小学校から受験したし、反対に高校と大学は受験してない。
兄も小学校も中学校も地元じゃないし、大学には浪人して入った。
父と母は離婚してるし、私の家族は誰一人として「普通」に則れてない。
でも、私は自分も自分の家族も「普通じゃない」なんて思わない。
じゃあ、普通ってなんだ?
『にいちゃん』 では、誰一人として「普通」の人はいない。
主人公であるゆいは、小学生の頃、仲良くしてくれてた「にいちゃん」にレイプされかける。結局ゆいの母親にバレて未遂だったけど、どうしても「にいちゃん」を忘れられず、再会してからもまるで復讐みたいな形の関係で「にいちゃん」との関係を続ける。
その後、ゆいの母親はゆいに対して異常に過保護になり、ゆいを縛り付ける。
ゆいに告白してきた舞子は、清楚で誰からも憧れられる存在だったけど、実は女の子が好きで、父親は前科者。
「にいちゃん」は舞子の父親と幼い頃愛し合ってたけど、周りから引き離され、精神が歪んでしまった。
「にいちゃん」の母親は、自身の子供が幼い頃に変態に唆されたせいで真っ当な人間に育ってないと思って、矯正しようと躍起になってる。
全員、「普通」じゃない。
「にいちゃん」のセリフの一つに、「誰からも祝福されないと愛って認められないんだ」ってのがある。
多分、「普通」の愛なら、誰からも祝福されるって事なんだろうな。
でもさ〜、と思う。
何度も言うけど、「普通」って難しくない?
ていうかそもそも「普通」って誰が決めてんの?
『にいちゃん』では、結局全てを捨ててゆいに会いに来た「にいちゃん」に、ゆいが公衆の面前でキスを強請るシーンがある。
周りは当然ザワつくし、携帯で写真を撮ろうとすると人もいる。
これが「普通じゃない」って事なんだろうか?
でも、これが同性愛が一般的に認められてる世界ならそんな事ないんだと思う(公衆の場でイチャイチャすんなよ、っていうのは置いといて)
そう思うと、社会が認める認めないで「普通」の定義が変わることになる。
「にいちゃん」の母親は、正にこの社会が認める「普通」を望む典型的な人間だと思う。
同性愛は病気だと思っていて、矯正する為に高い金を払って人を雇う。
舞子の父親のせいで「普通」を逸脱してしまってるだけで、自分の子供が悪いわけじゃない、正しい道に戻せると本気で思ってる。
多分この母親は自分を「普通」だと思ってるんだけど、正直、私はこの母親が一番「普通じゃない」と思うんだよね。
確かに、自分の子供が同性愛者、しかも小児性愛者だってなった時、一般的な母親はショックだとは思う。
やっぱり社会が認める「普通」じゃないって思うからね。
でも、それを矯正できると思うのってすごくない?
乱暴な言い方をするけれど、じゃあお前は同性愛者になれるの?っていう話じゃん。両性愛者じゃない限り、同性あるいは異性のどちらかは恋愛対象外、もっと直接的な言い方をすると、セックスはできないわけじゃん。
特に「にいちゃん」は、母親が雇った女性の矯正行為に毎回嘔吐するわけ。
嘔吐ってつまり、どうしようもなく受け入れられないって事で、女性を対象に勃起もしなければ嫌悪感しか湧いてこないってことでしょ?
そんな人に無理やり女性を宛がって、自分の、社会の思う「普通」に矯正することは、果たして「普通」なの?と思う
結局、みんな「普通」に囚われて生きてる
今私は就活生なわけなのだけど(そして全然上手くいってない)、友達が、「みんなが普通に出来ている事をできないのが嫌」と言っていた
まぁ気持ちはわかるし、私だって今すぐ内定が欲しい
でも、それってやっぱり社会が認める「普通」に迎合できない自分が嫌だって事で、そんな「普通」に囚われて生きてるのって、変な言い方をするけど面倒くさいなと思う
他人にどう思われようと、自分が納得のいくものを選択できればいいのに、と思うけど、それができないのも「普通」なんだろう(訳が分からなくなってきた)
『にいちゃん』は、最終的に全てを捨てた「にいちゃん」とそれを受け入れたゆい という形で終わるんだけど、最後の描き下ろしが凄い
それでハッピーエンドじゃなくて、結局「普通」に囚われてるゆいが描かれている
「普通」じゃない自分と、どうしようもなくて薬に逃げる「にいちゃん」、受け入れてくれないであろう両親
ゆいも「にいちゃん」も両親も、みんな「普通」に囚われていて、みんなすっごい生きづらい
「普通」ってそんな生きづらいものなんだろうか
「普通」を乗り越えた先には、何があるんだろう
生きやすいのか、はたまた「普通」よりも生きづらいのか
誰しもきっとどこかしら「普通」じゃないのに、誰もが「普通」に囚われている
BLで題材としてもかなり人を選ぶけど、誰しもが囚われ続ける「普通」について、少し考えさせられる漫画なので、耐性がある人には是非オススメしたい
ヴィクトルから見たユーリ!!! on ICE
「ユーリ!!! on ICEを見る」ここ最近で一番泣いた出来事である。
12話を見終わったあとの感想は「全員とハグしてキスして握手してありがとうって言いたい……」だった。
とにかく感動をありがとう……。
一通り泣いて、かみしめて、もう一回12話見て、もう一回泣いて、やっと落ち着いたときにふと思った。
「フィギュアスケートの平均競技年齢って24~28歳くらい? だとしたら、27歳のヴィクトルすごくね?」
「てか、そんな27歳の貴重な一年をコーチに使ったって、実はすごい事なんじゃない?」
そんなわけで、「短い競技人生の中の、27歳という貴重な一年をコーチに費やしたヴィクトル」から見たユーリ!!! on ICE(以下YOI)について考えたことを書きたいと思う。
最初に言っとくが、これは考察じゃない。私が漠然と考えたことだし、当たってるとか当たってないとかは度外視した、ただの萌え語りに近いものなので、それでも良ければ見てほしい。
私はフィギュアスケートについてはど素人もいいところだし、全く詳しくないことと、ネタバレも大いにあることと、吐き出したいことを吐き出し続けたらものすごく長くなってしまったことを理解いただいた上で読んでほしい。
●フィギュアスケートの平均競技年齢と27歳
羽生結弦(22)
ネイサン・チェン(17)
宇野昌磨(19)
パトリック・チャン(26)
ジェイソン・ブラウン(22)
2016年12月17日現在の男子シングル世界ランク上位5人の生年月日を調べて年齢を計算してみた。平均21.2歳。
誕生日を迎えていたりするので+1歳の誤差はあるとしても、若い……。
調べてみて思ったより若くてショックを受けている……。
私より年上3人しかいねぇ……。
ちなみに、最高齢金メダリストは1928年サンモリッツオリンピックでのギリス・グレーフストレーム(34)。
最高齢でも30代前半。いかに競技年齢が低いかわかる。
フィギュアスケートの平均引退年齢は、大体24~28歳くらいだと思う。
厳密に計算したわけではないが、多分そのくらいなんじゃないだろうか。
となると、ヴィクトルの27歳という年齢が、引退か否か、というギリギリの年齢であることがわかる。
実際、YOIでは最初からずっとヴィクトルの引退については話に上がっていたし、ヴィクトルは引退するのか? というのが一つのキーになっていた。
選手としてでなく、コーチとして27歳を過ごすということは、ただでさえ短い競技人生の中の、引退を考える1年を、自分ではない他者のために過ごすっていうことで、それってヤコフ曰く「自分が一番好き」なヴィクトルにとっては凄いことなんじゃないだろうか。
しかも、ヴィクトルの27歳は、世界選手権6連覇がかかってる。
そんな貴重な1年(厳密には8か月)を、他者のためにフィギュアスケートを見つめるために使うことができたのは凄いことだと思う。
ライフもラブもほったらかしにして、20年間自分のフィギュアスケートしか見つめてこなかったヴィクトルが、27歳という年齢で、おそらく初めて他者のためにフィギュアスケートを見つめて、他者のために与えられるものを模索できたのは、思ってるよりもすごく良いことだったんではないだろうか。
●勝生勇利から見たYOIと、ヴィクトルから見たYOI
さて、本題に入ろうと思う。
YOIは、ほとんどが主人公である勝生勇利視点で物語が語られていく。
勝生勇利は自尊感情が低くて、かつとても頑固な人間で、視聴者は偏った視点で展開される物語を見ていくことになる。
これは10話で初めてヴィクトル視点で語られたとき、おそらくほぼ全視聴者が、「マジかよ……!!」となったことにつながる。
いろんな漫画やアニメの中で、主人公視点の物語が正しいとされているものは少なくない。
だが、10話で、YOIの世界はそうではないことを示してくれた。
限りなく現実に近い世界なのだなぁと感心したのだが、つまり何が言いたいかというと、勝生勇利には勝生勇利のYOIがあり、そしてヴィクトルにはヴィクトルのYOIがある、ということだ。
勝生勇利にとってのYOIの物語は、「引退か続行かを悩むときに、憧れに憧れた生きる伝説、ヴィクトル・ニキフォロフが突然家に現れ、コーチになってもらい、GPFで金メダルを目指す」というまるで夢のような物語だ。
だがこれはあくまで勝生勇利視点であり、ヴィクトル・ニキフォロフ視点のYOIは全く違う。
私は、ヴィクトルにとってのYOIは、「もう一度純粋にフィギュアスケートを好きになるまでの物語」なのではないか、と思った。
ヴィクトルは世界を驚かせることをモットーにしているが、リビングレジェンドとなってしまった彼が何をしようと、最早世界は驚かない。
バンケットでのビーマイコーチがあったとはいえ、おそらくヴィクトルは、最初、世界を驚かせる一手段のために勇利のコーチをしようとしたのだろう。
そこには、「自分が何をしたところで世界はもう驚かない」という諦観もあったんじゃないかと思う。
だが、8か月間勇利のコーチをして、「世界を驚かせるため」ではなく、「純粋に自分が踊りたい」がためにフィギュアスケートをしたいと思えるようになったんじゃないかと思う。
それは、他者に教える喜びから出たものなのか、勇利やユーリが自分を追い越そうとしているために出た闘争心からなのかはわからないが、とにかく、もう一度純粋にフィギュアスケートを好きになれたんじゃないだろうか。
そう考えれば、現役選手兼コーチという、一見突拍子もないようなことに思えるヴィクトルの選択も、結構納得がいくような気がする。
コーチとして他人のためにフィギュアスケートについて考える一年によって、もう一度純粋に踊りたいという気持ちを得ることができたから、コーチをしつつ選手という選択なんじゃないだろうか。
また、ヴィクトルは勇利のコーチをしたことによって、「負ける覚悟」ができたんだと思う。
今までリビングレジェンドとして王者に君臨しづけてきたヴィクトルは、久しく敗北を知らない。
しかし、彼は勇利のコーチをしたことによって、勇利を勝たせたい、って思うことができて、それは、自分が負ける覚悟を決めれたんじゃないだろうか。
あと、これにはやっぱり2人のユーリがヴィクトルの記録を超えたことも関係すると思う。
総合得点としてはまだ超えられてないにしても、新しい世代が、もうすぐそこまで来てるっていうことをヴィクトルはGPFで確信して、やっと、「敗北」っていうものが久しぶりに身近に感じれたんじゃないかな、と思う。
ヴィクトルは、絶対的王者だった輝かしい記録を持ったまま、引退することもできたけれど、「負ける覚悟」ができたからこそ、ヴィクトルは選手に戻ったんじゃないかな。
久しく感じていなかった「敗北」の影を2人のユーリから感じたヴィクトルは、そういった意味でもスケートを始めた頃の純粋な気持ちを思い出して、おかげでもう一度、純粋にフィギュアスケートをしたいと思えるようになったんじゃないかな、と思う。
そして、ヴィクトルがもう一度フィギュアスケートを好きになるには、「勝生勇利のコーチをする」という方法以外では無理なような気がする。例え、2人のユーリがヴィクトルの記録に迫ったとしても、勇利のコーチをするということは必須項目だと思う。
それは、勇利がヴィクトルを唯一選手としてではなくコーチとして求めた人間だから。
ヴィクトルのコーチであるヤコフにはコーチをやることを止められ続けているし、ユーリはどちらかというと選手としてのヴィクトルに勝つことを求めているように思う。クリスだって早く復帰してくれ、と言っているし、ヴィクトルは選手としての自分以外に求められたことがなかった。
しかし、勝生勇利という選手ではないヴィクトルを求める人間に出会うことで、初めて自分のためでなく、他者のためにフィギュアスケートを見つめる機会ができた。
他者のためにフィギュアスケートを見つめて、他者のために与えられるものを探すことによって、彼はきっと、「世界を驚かせたい」だとか、「世界選手権6連覇のため」だとか、そういうことを抜きにして、純粋にフィギュアスケートをしたいと思えるようになったのではないだろうか。
だから、「勝生勇利に求められてコーチをして、GPFでの金メダルを目指す」というYOIは、ヴィクトルにとって、「もう一度純粋にフィギュアスケートを好きになる」物語なように思う。
きっと、ヴィクトルは自分のためにフィギュアスケートをしている限りずっと何かのために滑り続けていたんだろう。そしておそらく、何かのために踊ることに疲れた彼は、引退していただろう。
ヴィクトルは誰かのために選手ではない一歩離れた場所からフィギュアスケートを見つめる事でしか、自分のためにフィギュアスケートをすることができなくなってしまっていた。
勇利はヴィクトルを氷上に戻さなきゃ、と言っていたが、きっとヴィクトルは勇利のおかげでもう一度純粋にフィギュアスケートを好きになることができて、もう一度純粋にフィギュアスケートをしたいと思わせることができたのではないか、と私は思う。
ところで、YOIは勝生勇利とユーリだけではなく、ヴィクトル自身も成長する物語なんだ、とよく聞くけど、私はそれに違和感を覚えた。
で、私なりにその違和感を分析した結果、ヴィクトルは成長したんじゃなくて、「戻った」のではないか、と思った。
ヴィクトルだって元々、フィギュアスケートが好きで始めたのだろう。
フィギュアスケートが好きで選手になり、フィギュアスケートが好きだから沢山勝つことができたのだろう。
だがいつしか、「好き」が見えなくなって、戦歴や、外部からの目や評価のためにフィギュアスケートをするようになってしまったのではないだろうか。
そんなヴィクトルは、YOIの物語を通して、「フィギュアスケートが純粋に好きで滑っていた」頃に戻ることができた。
成長というよりは、こっちの言い方の方が合っている気がする。
反対に、勇利とユーリは氷の上で成長をした。
だから題名は、「ユーリオンアイス」なのかなぁ、と思ったり。
『おやすみプンプン』という話
【チェンクロ】無課金で最大ダメージ系ミッションを攻略しよう
人間の身体の神秘
例えば、4月の最初にお母さんが今話題の腹腔鏡手術をした。
その時、家族の付き添いが私で、手術終わったあと、人生で初めて人間の臓器を見た。
お母さんの病気は所謂胆石で、胆嚢ってところに石みたいなのが溜まってる。胆嚢自体いらない臓器らしくて、そのまま摘出した。しかも、ご丁寧に胆石を見せようと臓器切って、中身を開いてくれた。
鋏の先がちょっと丸まってるみたいなやつで、もうあと一動作で切れるって時に、医者が
「あ、中身見る?」
って言ってきた。
いや、もうその状態まで来たら「はい」としか言えへんでそれ。
ってなりながら、臓器を切って、中から真っ黒な液体と共に石が出てきた所を見せられた。
正直こんなもんかって思ったけど、かなりの数の石が入ってた。よくよく考えれば、よくあんなもん体に入れて人間の身体って生きてれるもんだ。まぁよく痛がってたけど。神秘。
あと意外と臓器ってグロくない。
ちなみにこの時、心臓の絵が描かれたトレーナーを着てたら、医者に「手術だからそれなの?」って言われた。そんなわけない。あと「医学生?」とも聞かれた。医学生なら心臓のトレーナー着ても納得してもらえる?
あとは、この手術のあと、かなりお腹が出る。なんか手術の時にガスを入れて膨らますらしい。つまり臭くないオナラをよく出す。
そりゃもう妊娠かな?ってくらいの出方。47歳にして妊婦体験再び。
ちょっと動いたら痛がるし大変なんやけど、ここ2日、お腹でなく背中が痛いと言う。
ちょっと調べたら、溜まったガスが、背中から出るらしい。
待ってくれ。
まだお尻から出るならわかる。オナラだ。百歩譲ってお腹からもわかる。なんか臍とかから出るんかもしれへん。臍が穴なんか知らんけど、まぁ理解しろって言われたらできる。
背中?背中からどうやって出るん?
お母さんは腰が痛いらしいけど、人によっては肩甲骨辺りが痛む人もいるらしい。
つまり肩甲骨からガス出てる。
なんで肩甲骨選んだん?出るところ他にもいっぱいあるやん?穴とか身体の随所にあんのに、なんで全く穴のない肩甲骨なん?
身体の神秘っていうか、人間の身体って意味わからん。っていう話でした。