シャインマスカットが眩しすぎて見てられない
大学時代の家政科の教授が、常に前向き・上向き、明るく社交的な性格でした。見た目もボーイッシュで見るからにあっけらかんとして、誰にでも分け隔てなく接しそうな。10年ちょっと前に、肌の弱い友人のために、オリジナルのアクリルたわしを市販化に向けて開発されていました。その傍ら、授業外でも生徒に被服関連の補習を、それはそれは軽快に快活な口調でして下さっていました。
当時、その教授のことを、私の友人が、
「ああいう真っ当に明るい人を私は直視できない。こわくなる」
と、言いました。何てことのない、黄昏時の、雑談の合間に。
随分太陽の見える時間が長くなったな、なんて悠長に思っているところに唐突に暗黒爆弾を投げ込んできた感じ。
おかげさまでその日はいつもより早く日が落ちたような。
しかし、自称・暗黒女子アングラーナ、その子自体は、学生時代から社交的で大変顔の広い人気者でした。私から見ると、それこそ”真っ当に明るい教授”みたいな人生を生きているように思えるのですが、”コミュ症・人というより豆腐に近い”みたいな私(このブログの最初の記事参照)もなんだか図々しく深く頷いた、そんな思い出があります。コミュ症はすぐ流されるから。
友人が感じたことは太陽と影の関係に近いです。太陽がまぶしいほど、落ちる影は濃くなるし、太陽が高い位置にいくほど、影は小さくなる。
友人と私は自分を影だと思っていて、真っ当な太陽のような人を見るほどに、その存在が強ければ強いほどに、自分の中の暗黒に気付き、暗い色は濃くなり、すなわち自分自身を惨めに感じてしまう、ということ。
友人がふとこぼした確固たる感覚、今だに変わりません。私も、友人も。
今日、電話で話しをしました。
電話で、太陽の光のように明るく真っ直ぐな歌を歌う歌手をディスりました。いい大人なアラサーのババアになりましたが、心の底からディスりました。
若い頃ならまだしも、そろそろ老後の話なんかもし始めているのに、なんとも救われない私達です。でも、止められない。ジャックと豆の木の蔓みたいに、ぐるぐると捩れながら伸びる。太い太い蔓。これはひねくれたババア共のたくましい根性です。
空まで伸びて、たどり着いたは天国かと思いきや、怖い顔の閻魔様がお待ちかねで。こう言われるのです。
「ひねくれすぎ、地獄ゆき!」
シャインマスカットがママ友の間で美味しいと話題に上っていたので、奮発して購入したら大変美味しかった。
「美味しかった」
と書きたかっただけなのですが、蔓を想像していたら自分の短所に気付いてしまいました。
蔓にも色々な種類が有る。
シャインマスカットの蔓は、天まで高く高く伸びても、上り詰めた先にはきっと閻魔様はいなくて、濃い青空があり、見下ろす先には美しい雲海が広がっているんだと思います。美しい人生に似た、美しい雲海が。
いいなあ〜。
デトックスウォーターが美味しくない
デトックスウォーターをつくってみました。
インスタグラムのどなたかの投稿を見て、色が綺麗でしたし、来客の際のおもてなしメニューの一つに入れてみようかと思ったからです。私は、意識高い系の人(飲み物は湯冷ましやデトックスウォーター、カレーにレーズンを入れるタイプ)ではありませんが、サッカー観戦中に湯冷ましを飲むタイプの友人がいますので、仕方なくです。
こうやって、”イシキタカイ”は広がっていくのですね。
カタカナにすると、”イシキタカイ”は”ヤシキタカジン”にも似ていると思いました。
イシキタカイは嫌いですが、ヤシキタカジンさんはさっぱりして素敵な方だと思います。温ヨーグルトより爽快な物言いをされる方です。
さて、その画像です。
瓶の内容は、下からキウイ、巨峰、オレンジ、ミント。そこに炭酸水を注いだものです。
これ、見た目は良いのですが、味はさっぱりです。
やしきたかじんさんのさっぱりではなく、「美味しさがさっぱり分からない」の方のさっぱり。
簡単に説明すると、果汁100%のオレンジジュースを水で薄めて果汁1%水にして、そこにミントの強烈な香りを備え付けた感じ。
ふつふつと浮かぶ、何故、美味しいはずの果汁100%オレンジジュースを、敢えて水で薄める必要があるのか、という疑問。
そして、この水から舌で感じるミントの圧倒的生命力。
ミントってとんでもなく繁殖力が強く、庭に一株地植えしたが最後、あっというまに広がって除去もできないそうですね。
簡単にミントを植えてしまったその庭には、キウイも、巨峰も、オレンジも生えていて、井戸には炭酸水が湧いていたかもしれません。
流行りのヨーロッパ風の明るい庭です。小さな場所ですが、持ち主は、愛情をもって植物を、その庭全体を育ててきました。ある日、ふと思いついてハーブ畑に植えたスペアミント。
「新しいお友達よ」
月日が経つにつれ、ハーブ畑の古いお友達のみならず、庭の端にいるブルーベリーの紫や、ジャスミンの花の白色を侵食していくミント。雑貨屋で見つけたお気に入りの小人の置物を覆うようにかさ高く育っていくミント。恐怖におののく持ち主。
「お友達じゃない。これは緑の侵入者よ!」
それがミント。
私の作ったデトックスウォーターは、そういった飲み物でした。
デトックスって、私の体の中の成分を、全部ミントに入れ替えるって意味ではないですよね。
お店で飲むお水は美味しいので配合の問題でしょうけど、どのみち味が薄いので、意識低い系としては物足りなく感じます。
ミントと私の関係も一晩で終わってしまいました。
(前記事ではたくさんの方がボタンを押して下さって、本当にびっくりしました。
ありがとうございます。頑張ります)
専業主婦やフリーターに生きる価値はあるのか
専業主婦11年目の筆者です。
コミュ力も無く、メンタルも弱い、人間というより豆腐に近いタイプの人間です。豆腐風人間。
題目の疑問を、感じさせられる時があります。
姉(結婚して働いている)には、なぜ働かないのだと度々言われます。
夫に万が一のことがあったらどうするのだと心配をしてくれているのはわかるのですが、いかんせん私はメンタルが豆腐ですし、人と話すのも苦手、テキパキもできない。
子育て中ですが、地元からも離れて暮らしているため、もし自分が何かあった時にすぐに頼れる人もいない。
そんな状況で働くことってとてもハードルが高いと感じます。
しかし、それを口頭で言うと、言い訳がましい、そんな人山ほどいるだろうなんて言われるんです。人間風の人間に。
働いている方を含めた主婦同士の会話でも、専業主婦って蔑まれているのかしら、と感じることがあります。
家事なんか仕事のうちに入らないでしょう、と仲良しの兼業主婦の友達にあっさり言われて実はショックを受けたり。
(肩身が狭いわあ〜)
真夏でも、頻繁に冷たい風が専業主婦の周りには吹くのです。
同じようなことを、フリーターやニートの方も感じているのではと思います。
ですが、人間の価値は、働いているか無職かなんてことでは決まらないです。絶対に。そんなことで判断されたら、私の価値はマイナスです。
知り合いの奥様「あの人の奥さん、プラスかマイナスかで言ったら、マイナスよねえ。悲哀」
ああ、可哀想な夫。
一つ、大切なことがあります。
人間は自由だという基本的な認識。
「一番下品な格言って知ってる?」
「働かざるもの食うべからず、ですね?」
「そうだ。いやらしい、卑屈な言葉だよね・・・・・。僕の一番嫌いな言葉だ。もともとは、もっと高尚な意味だったんだよ」
「え?どんな?」
「1日作さざれば、1日食らわず」
「それ、同じじゃありませんか?」
「違うね。これも集合論だ。ド・モルガンの法則かな」
ご飯を食べないという自由が人間にはある。
働かなかったから、ご飯を食べなかった、という選択の自由。つまりは生き方を選択することに価値があるという意味。
ご飯を食べるということにそれほどの価値があるのか、という命題もこの会話から浮かびます。つまり、働きたくないのにご飯を食べる為に働いて、生きる。それほどの価値がその人の”生”あるのか。わざわざ働きたくもないのに働いて、ただ生きるだけならば、”働きたくない”を貫いて静かに死んでゆくのも美しいと思います。もちろん究極の話ですが。
専業主婦やニートの方の中には、一日中ほぼ布団の中や椅子の上で過ごすという方もいらっしゃると思います。
側から見た方がそれを、ぐうたらと感じるか、もしくは修行だと感じるか。
最低限の食べ物と水だけを取り入れ、ほぼ動かずに生きるなんて、霞を喰らう仙人と同じです。
でも、頭の中では無駄なことを考えているはずです。
こんな生き方でいいんだろうか、とか、それこそ自分の価値とか。
私は思います。
それが自分の選択であるならば、さらに、夫や家族が、動かない自分を仙人だと思ってくれていれば何の問題もない、と。
さて、長文で失礼いたしました。私は自由の一端としてこのブログを始めました。
仙人を目指した時期もありましたが、修行には耐えられない身だと気付きました。
少しは動かないと、生きた心地がしないのです。
美味しいお豆腐になるように、丁寧に、自分の生き方に即した記事を書いていこうと思います。
ちなみに、お豆腐って、高栄養で意外と高カロリーなんですって。
やるじゃん。
(仙人を目指す方にもお勧めの、森博嗣著、通称SMシリーズ。)