平日の全てを司る電車神への反旗
なんで終電で帰ってこないのか?
何故いつもタクシーなのか?
全然理由が解らなかったのだが突き詰めればそういうことなんだろう。
電車なるものに自分達の思考を邪魔されることにもっと拒否しても良いのではないか。
きやつがこの平日なる世界の、時間とお金の制約をかなりの部分を司っていることは現実的事実であるが、人間はもっと自由であっても良いのではないか。
彼女はそんなことまを考えてるのだろう。たぶん(遠い目)。
約5文字から約25文字までの表現
部分最適で全体を変えられないがそれしかできない
自由律俳句なるもの
wikiより
自由律俳句(じゆうりつはいく)とは、五七五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句を言う。季題にとらわれず、感情の自由な律動(内在律・自然律などとも言われる)を表現することに重きが置かれる。文語や「や」「かな」「けり」などの切れ字を用いず、口語で作られることが多いのも特徴である。特に短い作品については短律とも言う。定型の意識を保ったまま作られる字あまり・字足らずや句またがり、破調の句などとは区別される。また自由律俳句はあくまで定型から自由になろうとすることによって成立する俳句であり、したがって単なる一行詩がそのまま自由律俳句となるわけではない。
ということで、
「カキフライが無いなら来なかった」
「まさかジープで来るとは」
を購入。
これを目指して本屋に行った訳ではないが良い本に出会えた気がする。 ちょっと嬉しい。早速読むためにカフェに入り、空いた席を探す。
じじいとお姉さんの間にある二席
こんな感じか。
又吉のあいさつ
受賞の挨拶が心に残ったのでメモ
芥川賞の候補になった時から「次、どうすんねん」ってことで「凄いプレッシャーを感じるでしょう?」って言われるんですけど、確かに最初の何日間かはゲー吐きそうだったんですけど、よくよく考えてみたら、そもそも仕事も何もなくて「とにかく舞台立ちたいな」とか「自分に書いたものを人に読んでもらいたいな」という時期が長かったので、どうなろうとも表現する場を与えてもらっているってことが凄くうれしく思います。〜「第153回芥川賞・直木賞」贈呈式 芥川賞受賞の又吉直樹あいさつより
そうだよね。
自分を表現できる場をずっと求めていたのに、そうなると、ゲー吐きたいとか、思ってしまうって、とても変だよね。
どうなろうとも表現する場を与えてもらっているってことが凄くうれしく思います
っていうスタンスが大事。
表現することに責任が伴うからだろうけど、責任を伴わない表現など、ただの独り言だからさ。
気にせず自分の信念を信じて進め!
ブラインドの隙間から見る景色
ホノルルコーヒーのフレーバー
ハワイのフラダンスの音楽
これはウクレレの音か
オペラのように太った女の声がする
ゆったりとゆったりと
天井のファンもゆっくり回る
木のブラインドの隙間から外が見える
強い日差しの中を歩く人、サラリーマン
想像するだけで暑そう
タクシーとトラックが往来し排気ガスを置いていく
店は店の中の熱を室外機で逃す
暑さに耐えられなくなった水蒸気達が上空まで登り雨となる
愛する人は元気だろうか
愛する子供達は元気だろうか
意味なんてない世界でも守りた者があるなんて不思議だ
守りたい者のために戦うそれが意味なのかもしれない
本日より夏休み
今日から日曜まで5連休の夏休み。
5時に起床して昨晩用意した荷物の最終チェックをして奥さんの実家へと帰省するために子供の準備の尻を叩きつつ東京駅に向けて家を出る。
指定席はとっていないので自由席に並ぶわけだが盆でもこの朝の時間なら出発30分前にでも行くと余裕で座れる。車内で食べる朝ご飯やお土産の調達もあるし、出発の10分前には電車は来ることを考えると差分のバッファの20分などは一瞬で無くなる。
とにかく東京駅の始発はとても自由席には便利な訳なのである。あとは偶数番号の車両を選ぶとか、座席に電源がある列車を確認しておくとか、混むことを考えできるだけ車両の中央を選ぶとか(混みだすと車両の端は人が立つのと、ドアの開閉が多くて安定しない)、あと幾つか細かい点はあるが、その辺のポイントを抑えておけば、有意義な時間を過ごすことができるのである。と言いつつ、ほとんどの時間を寝て過ごしてしまった訳だが、同じ金額を払うならば、最高効果をだしたいよねと。同じ金額を払ってトイレの前に立って自由席に座ってトイレ行く人達に煩わしいと思われながらストレスを溜める夏季休暇のスタートなど全くもって相容れないのである。
ということを、まだ20代前半の独り身だった時に二、三度立って帰った時に感じてからは、どんなに盆や正月の自由席だとしても、必ず座っているのである。
本当に細かく新幹線の運賃を分解してみると、決められた時間で体を出発点から到着点までを運ぶ輸送料以外にも、リクライニング料、電源料、荷物棚料、座席料、テーブル料、景色料、温度調節料(カーテンやエアコンの風向き)、電光掲示板のニュース料、上着掛けホック料、座席前の荷物入料、肘掛料が、運賃には含まれているのである。これらを使えない状態で乗り込むことは非常に損をしている、他面から見ると、自由席で座る奴らの分まで、わざわざ払っているという、耐え難い事実にたどり着くのである。
しかしながら新幹線の移動はやはり良い。頭の中を何時間もすすいでいるイメージ。同じとこに留まらない方が、やはり何かと良い。たぶん。
初級ウェブ解析士のレポート提出
1カ月前の7/11に初級ウェブ解析士の試験を受けて合格をした。あと認定を受けるには1ヶ月以内にレポート提出が必要となる。1ヶ月なら時間がまだまだあるやーと思っていたらあれよあれよと言う間にこんな時期になって焦る。しかし1ヶ月以内とは8/10なのか?8/11なのか?と思い悩みつつも8/10の深夜にレポートを進めていたのですが、GAのレスポンスが遅すぎて全然進まず、日が変わって8/11となりようやと先程提出しました。大きな問題は8/11でも大丈夫か?ということだが、これは一般化してみると大丈夫であろうということが解ってくる。例えば7/31に試験があり、仮に期限が1日以内なら8/1が〆切となる。期限が3日以内なら8/1〜数えて8/3が〆切となる筈である。要は試験日は含まずに試験日の次の日から日数は数えるのが普通であるため、1カ月以内の場合は、この例で言えば8/31が〆切となり、自分は8/11となるのである。ということである。つうことで心置きなく寝れます。おやすみん。
サイバー藤田激怒事件
いやーなんて言うか、そんなことこれみよがしに、言うなって感じだよ。
言われた方のことを、全く考えてない。
結局、自己中心的なんだよね。
叱りたいなら、そいつにだけ言うべき。
インターネットはリアルを越えられるか?
大袈裟なタイトルだが答えはもちろんノーだ。
単なる一例だが、色々なインターネット通販サイトを見てそう思ったのだ。
ほとんどのサイトにある「カゴに入れる」という機能で。
インターネットにおいては情報を開示しるだけなので、「カゴ」を使うある必要は全くないのだが、
「会計前で買う予定の商品群」
をわざわさ改めて定義し定着させることはとても効率が悪くわかりづらい。
そのため「カゴ」が使われている。
そしてこれからも使われるだろう。
将来スーパーマーケットからカゴが消える時代が来た時まで。
もちろんそんな時代まで生きてる気はしないが。
カゴが過去の物になるまで。