3月11日
あの日あの時から早くも4年半が経った。もうすぐ5年。私はまだあのときのことを乗り越えられていない。
思い立ったが吉日ということで、私は私のために地震発生の日からライフラインが復旧した日までの記憶を、少しずつ書いていくことにした。
不快になるかもしれない。お前が被災者面するなと言われるかもしれない。それでも私には私なりの傷である。私のための記録である。
中学一年生だった2011年3月11日は先輩の卒業式があった。
式中に貧血を起こした私は、部活を休みさっさと帰宅。
14時頃。貧血も回復し始め、学校に持っていった弁当を食べた。
14時半過ぎ。普段より遅い時間にパートの仕事に行った母を見送って、テレビを観ながらバナナを食べた。そう、バナナ。
そして14時46分。なんだかすごい揺れだった気がする。よく覚えていない。テレビから緊急地震速報の音が聞こえて、すぐに消えた。停電の始まり。
動けずにいた私の近くにあった棚が倒れるように動いたのを覚えている。あとは、気付いたら出窓から外にいた。外でも揺れていて、ただただ放心だった。遠くの家でも母娘が外にいるのが見えた。
しばらくしてようやく揺れが収まった。家の中に戻ると物が散乱していた。
呆然と開けっ放しの出窓から外を見ていると、雪が降ってきた。隣の家のおばちゃんが声をかけてくれて、そのままおばちゃん家に。
余震が続く中、おばちゃん家の玄関先でおんちゃんに肩を抱かれながら並んで座った。そこで自分が震えてることに気付いて、ちょっと泣きそうだった。
寒いね、とかすごいね、とか言ってると母が帰ってきた。会社で地震に遭い、慌てて帰ってきてくれたらしい。流石に抱きついた。
母と家に戻って、物に埋まった私の携帯電話を発掘。寒かったのでホッカイロを何枚か出した。
あのとき何時だったのか、わからない。
ただ、怖かった。
今回はこの辺で。
続きはまた。