写真のない旅行記

カメラを持たずに旅した記録です。雑記も載せています。

44  4日目夜 ブンボーフエの店に入る(2024年1月8日)

   夜20時頃、夕食を食べに外に出ます。バイクがむやみに多い町です。車はほとんど走っていませんので、余計バイクの洪水のように見えるのです。後でわかったのですが、どうもサイゴン駅周辺の地区は「下町」という風情の地区で、翌日、中心部に行くと、車も走っていました。

 

 まず、サイゴン駅の反対側に向かって少し歩きました。その後、もう一度、サイゴンに行ってみます。インフォメーションデスクがあったので、駅から空港に行くバスのことを聞いてみました。すると、駅から空港へ行くバスは運休中とのこと。ホテルのフロントの話よりも、こっちの情報の方が正確そうです。駅前には07番バスの乗り場しかありませんでした。

 

 またホテルの前に戻りましたが、ホテルの向かいのお店が、ちょうど入りやすい雰囲気の店だったので、そこに入ります。ただ、向かいに渡るだけでも一苦労。

 

 「お勧めは何ですか」とスマホ翻訳で聞いてみます。すると、「ここは麺の店です。」と言う返事でした。若い男の子が応対してくれます。ベトナムに来てから店で食べるものは麺類ばかりですが、仕方ありません。それともベトナムの食生活は麺の比率か高いのか、と思ってしまいます。

 

 「DAC BTET」と書いてある骨付き牛肉麺を食べました。かまぼこや肉のパテらしきものも入っています。どうやらこれは「BUN BO HUE」という牛肉ビーフンで、はじめ食べたときは、エスニックな味で、大丈夫かと思ったのですが、横に添えてあるもやしや葉っぱを入れて 混ぜたら、これで中和されたようで、おいしく完食できました。これは中部のフエの名物で、ブンとはビーフンです。ボーが牛とのこと。

 

 後で調べてわかったのですが、「DAC BTET」とメモに書いていたものの、どうもこれは料理名ではなく、「ĐẶC BIỆT 」というのが正しいようで、翻訳にかけると、「特別」という意味でした。要するにメニューに「ブンボーフエがおすすめ、スペシャル」ということだったようですが、それをブンボーフエの一種の料理名と勘違いしてしまったのですね。

 

 5万5千ドンとメニューには書いてありましたが、6万5千ドン取られました。税金かなにかと思ったのですが、ナプキン代と、横に付いていた葉っぱに包まれたかまぼこの代金、これはつけ合せだと、若いメガネの男性店員が電卓機能を使って説明してくれました。意外にも、ホーチミンの人は丁寧だなと思います。

 

 ハノイの時は色が黒い人は要注意、という偏見が生じていました。ですが、ここの店員、若い男性が2人ほど働いていたのですが、色は黒いものの、誠実な感じで、やはり偏見だったか、と思ってしまいます。ハノイで失敗したので、ホーチミンでは警戒していたのですが、おそらくまともな商売のところがほとんどなのだろうと思います。

  

43  4日目夜 ホーチミンのホテルにたどり着く(2024年1月8日)

 緊張していて不安でしたが、あっさりホテルは見つかり、ホテルのフロントには女性がいて、手続きもスムーズで、問題ありませんでした。

 

 ところが、ここでおやおや、と思うことが発生。このホテル、なんとエレベーターがないのです。5階半まで階段を上らなければいけません。ちなみに「VIP5」という部屋で、料金は2983円でした。

 

 ホテルそのものは、小綺麗なホテルで、備品はハノイの二つのホテルとほとんど変わりません。バスタブはなし。南国のホテルはシャワーのみでバスタブなしが多いですね。そして、テレビが例によって映りません。またシャワーのお湯も出ません。 

 

 仕方がないので、1階まで降りて、また階段を5階まで上り、お湯の出し方とテレビの付け方を教えてもらいました。お湯は出るようになりましたが、テレビは戻ってからまたつけ直すと、ネットフリックスしか出てきません。テレビの付け方をかなり研究しましたが、どうもよく分からずじまいでした。ホテルの人はNHKを見られるようにしてくれましたが、戻ったあと操作し直すと、地元のテレビ局を一局見るのが精一杯で、あとは全然見られませんでした。最近のテレビの操作の仕方はどうも難しいです。

 

 放送が映らないので、ベトナム語の画面表示を翻訳アプリで写してみると、「信号が入っていません」と表示されています。またホテルの人を呼びに行くのも億劫なので、そのままにしてしまいました。

 

 下に降りて、フロントの女性に駅から空港へ行くバスを聞いてみると、携帯を調べて 109番のバス に乗れば いいと言うことを 教えてくれました。ただ、後で自分で調べ直したら、このバスはサイゴン駅を通らないようでした。 

42  4日目夕方 ホーチミンはバイクの洪水(2024年1月8日)  

 ホテルは駅から近いところをとってあり、300mぐらいですが、ハノイよりホーチミンの方が治安が悪いという噂ですし、また、近距離とはいえ、ハノイ空港の時には、空港の外に出る道がわからず、結局ぼったくりタクシーを利用せざるを得なかったので、心配でした。列車の中でかなり下調べをしましたが、なんといっても初めての街ですし、緊張します

 

 駅の中売店などは営業しているものの、閑散としています。どうも駅は街の中心部から少し離れているようで、駅前のバス停を覗いてみましたが、1路線しか乗り入れていないようでした。駅が街の中心とは言えないようです。

 

 駅から外に出ると、本当にオートバイの洪水で、これはえらいところに来てしまったと思います。

 

 行きの飛行機の中で一緒だったベトナム人のグンさんが、オートバイの多さにびっくりしますよ、と言っていましたが、ハノイでは先入観があったせいか、そんなに驚かなかったのです。

 

 ところがホーチミンでは本当にオートバイの洪水で度肝を抜かれてしまいました。あとでわかったのですが、駅周辺はいわば下町とでもいうべき地区で、夕方のラッシュ時と重なってびっくりするほどのオートバイの洪水になっていたようです。

 

 初めての街に夜について、ちゃんと予約していたホテルが見つかるか、心配で仕方なかったのですが、迷うこともなく、ホテルは案外簡単に見つかりました。「カクタスランドホテル」いうホテルです。駅からの道を道なりに歩き、途中曲り角を右に曲がるのですが、ここには信号があって助かりました。ハノイよりホーチミンの方が信号が少なく、危ない、という話でしたが、むしろホーチミンの方が多そうでした。やはり空港と違って、駅前はわかりやすく、また外に出やすいですね。  

41  4日目夕方 ついにサイゴン駅に到着(2024年1月8日)  

 ベトナム統一鉄道の列車に乗り続けて35時間経過。17時25分頃、工場が見えます。いよいよホーチミン郊外の都市圏に入ってきたのかな、と思います。外は曇り空、大きな傘をさした屋台も見えました。

 

 18時頃に暗くなります。車内放送からは、また歌が流れてきます。男性の元気な行進曲風の歌で、何度も「ホーチミン」といっています。人物のホーチミンを讃えた歌なのか、都市のホーチミンの歌なのか、ベトナム語がわかりませんので、判断はつきません。

 

 18時28分、終着駅であるサイゴンに到着。本当であれば18時36分に着くのですが、10分ほど早着です。もっと長く乗っていても平気だし、名残惜しい気持ちがあったのですが、終着駅に着いたのですから仕方ありません。降りることになります。

 

 ちなみに36時間、一等寝台に乗って1594000ベトナムドンでした。おおむね10000円ですね。

 

 駅はホーチミン駅ではなく、今でもサイゴンというようです。

 

 のんびり乗っていられる列車の中と違って、ハノイでいろいろあったので、もう一段きつい街なのかなあ、と思い、緊張します。昔読んだ宮脇俊三氏の旅行記では、降りるときにスリに気をつけるように注意されるシーンがありました。大丈夫かなあ、よりはもっと心配な気持ち、ビクビクした感じで駅舎に向かいます。 

40  4日目午後 新しく相客になったドイツ人家族と(2024年1月8日)  

 新しく相客になったドイツ人が スマホで話しかけてきますが、インターネットが通じず翻訳できません。このあたりも電波が悪いようです。

 

 電波の状態が回復したのか、翻訳が使えるようになって、私がハノイから来たと言うと、ドイツ人は 3週間前にハノイに行って、長すぎるので休憩して、この28番BINH THUAHの駅から乗ってきた、ということでした。この街に見るべきものがあるのか、よくわかりませんが、聞きそびれました。

 

 自分は一人でも大変なのに、小さい子供を連れて、西洋人がアジアの国を旅行しているわけですから、よほど旅慣れているのだろうかと思ってしまいます。何をしている人なのか聞きませんでしたが、家族連れで3週間も旅行できるというご身分なのですから、相当の金持ちなのでしょう。

 

 15時頃、山手のバナナ畑を通ります。ずいぶん長い旅ですが、あと3時間でサイゴンホーチミンに着いてしまいます。名残惜しいなあ、と思ってしまいます。

 

 もう30時間以上乗っているのですが、降りたいとは思いません。やっぱり汽車旅が好きなんだなと思います。15時45分頃、ドイツ人からゼリーをもらいます。日本でも見かけたことがある、HARIBOという菓子です。

 

 多少、列車は遅れたり、早着したりしますが、だいたい時刻表通り、順調に走っています。

 

 今度はドイツ人が子供に野菜を食べさせています。どういう旅のスタイルをしているのか興味があります。

 

 北部に比べて南部は大きい川が少ない気がします。16時50分頃、列車は小さい駅で止まってしまいました。でも運転停車だったようで、すぐ出発しました。相客のドイツ人がまたピーナッツをくれます。