こっそりブログ

誰にも見られてない想定で、自分の思考や感情の整理のために文字を書いています。

コロナと育児と仕事

私は、創業1年生。35歳二児の母。

 

心につかえたモヤモヤをどうやったら

取り払えるのか思いつく限りの事は色々試した

それでも、胸は窮屈で脳は熱く

ただただ不安の中で希望が見出せれず

寝れない夜が長く感じるので文章を書いてみる事にした。

 

この3週間本当に良く頑張った

本当はそう思ってないが

そう言い聞かせる事が

今の自分にとっては

もっとも必要なことのように思う

 

家庭では

・保育園に行けない子どもたちが家庭でも充実した時間を過ごせるよう試行錯誤した

・家族の時間割を作った

・お散歩に出かける時は、手を口や鼻に入れよう注意をした

・お外に出るときはこまめにアルコール除菌した

・帰ってきたら服を着替えて手洗いうがいをした

・こどもと勉強や体操をした

・極力テレビを減らした

・テレワークになった主人が仕事に専念出来るようサポートした

 

仕事では

・新規営業を2件した

・マーケ戦略2件提案した

・1件受注して制作がスタートした

・2アイテムの入稿をした

・オンライン受注できる体制を模索した

・サイトMAを模索した

・除菌ブランドの開発をシュレーションした

・covid19アートプロジェクトを立ち上げた

 

脳内は常に忙しい状態

それでも希望があればそれは苦ではない

 

それなのに今、何故こんなに不安で苦しいのかと

言語化すると

 

ダブルテレワークで家事育児を両立しようとすると

仕事に専念できる時間が大幅に減る

 

育児の合間に仕事をしようとすると

非効率で普段の4番の労力がかかり

脳内の切り替えが上手くいかず

結果、子どもが寝静まった深夜作業になる

平然と寝ている主人に対しての

イライラがおさえられないようになり

子供にも影響を及ぼしている

 

その中で考えるのは

子どもや主人に悪影響を及ぼしてまで

仕事をする必要があるのかという事で

私が仕事を辞めれば

平和な暮らしになるのではないかという思い

そこから来期会社を休眠させるという可能性を考えるようになった。

 

今1番悲しいのはそれ

 

私にとって、この会社は妊娠8ヶ月くらい

お腹の中にいる赤ちゃんのような存在で

 

実の子と同じくらい大切。

この子はすごく手間がかかって、気難しい。

不器用で、モロくて、繊細で、

それでもこの子がいるから強くなるし、苦しい事も乗り越えられた。私に沢山の気づきや学びを与えてくれる。

 

失うかもしれないと思う、失った先の事を考える

全身の力が抜け希望や気力が一気にひいてゆき

切なくて涙が溢れてくる。

 

ここまで書いて私は我にかえる

私はまだ会社を失っていない

まだ想像妊娠のような想像倒産の状態である事。

出来ることはまだまだあるあるはず。

 

主人にSOSを出した。

家族の時間割を見直した。

主人の有休を使って、私が仕事に専念出来る日を確保してくれると言ってくれた。

 

きっとどこかに

コロナと育児と仕事のバランスが

キレイに整うやり方があるはず

もちろん問題は働く時間だけではない

 

それは重々承知でだからこそ

 

諦めるのはまだ早い

心折れるのはまだ早い

 

熱くなった脳内が少しヒートダウンした。

少しの希望を見つけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嵐の中で

生後10カ月の子どもを連れて
仕事の打ち合わせに向かう。
 
エルゴで子どもを抱っこして、
片方の肩には大きなマザーバックにオムツや哺乳瓶をつめて、もう一方の手には取引先にへの手土産を持って。
 
独身時代に毎日通った表参道に来た事が嬉しくて
足取りも少し軽い。外苑前の得意先で打ち合わせをして、そのまま表参道の得意先にご挨拶に立ち寄る。
 
その後、表参道ヒルズでオムツ替えをして授乳をして、さらに徒歩で原宿駅前での市場調査。
 
ついつい熱中して新作のパッケージデザイン、競合の動向、VMDやSPツールをくまなく観察。
独身時代は本当何時間も店舗にいても飽きなかった。商品を買うお客さんの表情や会話をずっと観察していたかった。
 
子どもがいるとそうゆう訳にはいかず
早めに切り上げ、
自宅のある代々木の駅にむかった。
 
それでも、ちょっとご挨拶にと出かけたわりには
いろいろと寄り道をしてしまい
想定していた時間を大幅に上回ってしまった。
 
家の近くまで帰ってきたころで
夕立にあった。
 
強い嵐に雷。
流石にこのまま歩くとは出来ず
近くのコンビニで雨宿りをした。
 
しばらくしても雨は止まず
濡れた服をきて
このまま子供を抱き続け
いつ止むか分からない雨を待ちながら
 
仕事の事でしばらく頭がいっぱいになってしまった事に後悔をした
 
あと、数百メートルまでの道を
濡れながら強行突破するかしばらく考えた。
 
日も暮れだし
雨も強まり
心細くなり
 
早く家に帰って安心したい。
そう思った。
 
少し強引だと思ったが、
嵐の中で傘をさして
強行突破することにした。
 
少しでも子供が濡れないようにと
気にかけながら
 
なんとか家に辿り着いたものの
私が寄り道をしてしまったが為に
こんな嵐の中で
長い間抱っこ紐にくくられ
子供に可哀想な事をしたと
申し訳ないでいっぱいになった。
 
抱っこ紐の中の子供を恐る恐る見ると。
私と目が合うや否や
ニコニコ笑ってるではないか。
 
 
部屋につき子供を安全な場所に寝かせ
濡れた髪を乾かす為に
タオルをとりに洗面所へむかった
 
すると子供は大きな声で鳴きだした。
 
あんな嵐の中でも母親に抱かれていると
安心してニコニコ笑い
家の中でも、姿が見えなくなると
不安で泣きだす娘
 
母と子の関係について
改めて考えさせられる出来事となった。
 
 
乳飲み子と言われる0歳児
二、三時間に1度は授乳を必要とする時期。
母と子は、生存維持の為ににも
ひとときも離れず一緒にいる
 
子を愛しく思うと、胸はチクッと締め付けられ
乳で張った胸はカチカチになり
母乳がポタポタと垂れてくる。

そこはとても動物的で、昔と変わらず
子供は生きる為に本能的に母親を必要としているし
母親も心も体も全てを使って、子どもを生存させようと必死になって生きている。
 
 
それなのに仕事をするのかと
 
 
それだから仕事をするのかと
 
その答えはまだ出ない。
ずっとこれから
自問自答は繰り返してゆくのだと思う。
 
 

美しい人


主人の実家のある山形に帰ると
お義母さんは、はりきって
料理を振舞ってくれる。

作っては洗い物して拭いて片付けて
ひと段落したかと思えば
お茶入れてお茶菓子を出して
フルーツを切って

美味しいケーキがあるから
食べさせたいのって

夏にとれた野菜もサクランボも
食べさせたくて、冷凍しておいたの

前に来た時美味しいって言ってたから
用意しといたの

早朝起きて
机に乗りきれないほどの朝ごはんを作って
机に乗りきれないほどの昼ご飯を作って
机に乗りきらないほどの夜ご飯を作って

お風呂上がりには
私の髪までドライヤーで乾かしてくれる

こんなにも濃縮された愛情表情は
自分の親にもしてもらった覚えはないし
これだけの気持ちに私は応えられないし
そんな事をしてもらえる程の人間でもないから
して貰えばもらうほど苦しくもなる

孫を連れて帰れば
オムツからお風呂用の椅子、
赤ちゃん用の洗剤、石鹸
ボディソープに、ご飯用の椅子、
お皿、スプーン、哺乳瓶の洗剤、

たった2泊3日の滞在の為に
なにからなにまで用意して

私やるんで座ってて下さいと言っても
皆んなが帰ってからいつも
あれも食べさせてやりたかった
これもしてやりたかったって思うから
ひとつでも多くしてあげたいんだとか

全部用意するんで
何も買わなくて大丈夫ですと言っても
準備しながら思うのも楽しいからとか

お義母さん大変だから
来年は旅館でゆっくりしましょうと言っても
田舎のおばさんだから
そんなのは性に合わないんだとか

2日目、帰り間際に作る最後の夕食
献立は山形の郷土料理の芋煮と餃子
一見ミスマッチなこの2つは
主人の1番の好物だった。

お義母さんは主人がまだ小さい頃
この大好物の餃子を
ひとつひとつ手作りしては
夕食にお弁当にもたせていたそうだ
餃子なんて面倒で手間のかかる料理なのに

私は生涯かけても
お義母さん以上に主人を愛する事は出来ないと思う。
真似しようと思っても到底叶わない。

帰りの準備をする頃
お母さんは口数も減って行き
洗い物をしようと台所に立つ私に
皆んなが帰ってから
やる事が無かったら
静かになった家に耐えられないから
置いておいてと静かに言った。

駅の改札まで見送ってくれる時
孫を自分のコートに包んで
寒くない場所までと駅の待合室まで
抱っこするお義母さんは
どこか必死になっていて
孫を守るように抱えこんでいた

私に孫を渡すと
あったかこくして寝ろよと言って
手を振りそそくさと帰って行った

お義母さんの背中を見送りながら
振り返るのを待った
結局1度も振り返らなかった


泣いていたんだと思う。


母と子、家族の絆。
改めて考えさせられた。