鷹の部屋

中国を中心に、政治外交や社会について勉強中。読書ログ、ホークスのことなど。

丸橋充拓『江南の発展 南宋まで』(岩波書店)

昨年末から岩波新書で刊行されている「シリーズ 中国の歴史」の第2巻。このシリーズの特徴は、時系列に沿って中国史を分割しているのではなく、中国大陸(現在の中華人民共和国の領域にとどまらず、中華帝国接触する周辺世界も含む)の多様な世界の描出を試みている点にある。

本書の主な守備範囲は江南から海域の「海の中国」である。第1巻『中華の成立』と時代的に共有する部分が大きいものの、中原からの視点では見えない中国史の側面に焦点を当てている。

江南の発展: 南宋まで (岩波新書)

江南の発展: 南宋まで (岩波新書)

 

 

王道の王朝政治史からは見えてこない中国社会のありようが最新の研究成果に依拠して描かれており、単純に勉強になった。しかし本書の価値はそこにとどまらない。現代中国にも通底していると思われるような「中国の伝統」にかかわる議論が展開されており、現代の中国社会を考える上でも示唆的であった。

 

現代中国理解において、執政党である共産党の存在は外すことができない。中国にまつわる報道や論説では、共産党独裁国家の強権性がしばしば強調される(今年の新型コロナウイルス感染症の流行における中国政府の対応も記憶に新しい)。しかしそうした強権的なイメージとは裏腹に、中国社会は多元的かつ流動的な側面も持ち合わせている。政治的権威の「厳しさ」と社会生活レベルでの「緩さ」の共存は、どのように理解され得るのだろうか?

著者はこの問いに対して、中国の歴史的伝統の観点からのヒントを提供している。

著者は中華帝国の秩序が持つ特徴を「国が垂直的・一元的な君臣関係を社会の末端まで貫き、横つながりを断ち切ろうとする」ものと説明し、「国づくりの論理」と定義する(ⅹⅲ頁)。「一君万民」という語で表現される、君主を頂点とするトップダウン型の秩序は、それ以外のタテ秩序の存在を容認しない。一方で、民衆は表向きは「国づくりの論理」を受容しながらも、「いざというとき頼りにできる仲間との間に横つながりの連携を暗黙裡に広げる」ことで、ある種のセーフティネットを形成する(ⅹⅲ頁)。この横のつながりは「幇の関係」と称され、「幇の関係」の集合からなる社会各層の互恵関係は「人つなぎの論理」と説明される。

著者はこのタテの「国づくりの論理」とヨコの「人つなぎの論理」が中国社会に併存してきた、と主張する。すなわち、中華帝国が掲げる「国づくりの論理」は「外形的な一元性」が確保されれば足るもので、人々の社会生活に干渉するものではない。したがって、中国では「「専制と放任が併存する」社会」が形成されてきた(179頁)。国家による専制の及ばない領域においては集団秩序は薄く、日本の「イエ」、「ムラ」、あるいは西洋の「ギルド」に相当するような、安定した輪郭を持った「法共同体」は中国には見られない。このような社会において、人々は権力による規制も保護も受けることがないため、激しい流動性が生じる。そして帝国権力はこの民間レベルでの流動には関与しない(165-167頁)。

では中国社会の構成員はみな一匹狼なのかというとそうではなく、個人間の信頼関係、すなわち「幇の関係」を頼りに、その時置かれた状況に応じて保護を求めてきた。この緩やかなネットワークが朋党、郷党、あるいは秘密結社の形となって現れる(167-169頁)。

 

以上の図式は現代中国にも通用するところが多いのではないだろうか。少なくとも著者はそのような意識を持って議論を展開している。

また、現代中国研究の中でも中国の特殊性、特異性を強調した議論では本書が提示した構図に相通じる枠組みが用いられることは少なくない。例えば、加藤弘之『中国経済学入門』では、中国の経済システムは「曖昧な制度」と称される。制度、ルールの曖昧さゆえに生じるリスクは、請負制や暗黙の契約といった中国独自のしくみによって低減されている、との議論である。

中国の特殊性を強調する議論では、ある種の無秩序さや、無秩序な世界を生き抜くための属人的枠組み(中国語でいう「関係」(グアンシー)にあたる概念)がしばしば言及される。直感的に頷けることも多いが、一方でその中国の特殊性がどういった歴史的背景に基づくものなのかは意識されないことも多い。そういった特殊性を「中国の伝統」と呼ぶにもかかわらず、である。

 

本書は中国史を扱う本であり、同時に現代中国理解の手引きともなる一冊である。目前の変化の激しい中国を追いかけるので日々一杯いっぱいになってしまうが、ときには歴史に触れ、変わらない中国と向き合うのも必要であろう。

n度目のブログ開設

久々にブログに手を出す。

 

今年は色んな活動が詰まっている年のはずであったが、新型コロナ禍に巻き込まれる形で思いがけず時間が出来てしまった。これまで何度かブログをやってみたものの、なかなか長続きしなかった。今回も三日坊主に終わる予感がしないでもないが、しばらくは文字通りの「暇つぶし」として書いてみようと思う。