GW初日、棒ノ嶺(棒ノ折山)登ってクタクタに

 

世間より一日早く、本日よりGWに入った。11連休。

充実させたい気持ちがあった。最終日に今年のGWはいい過ごし方をしたと振り返れるような。

休日は前日の退勤時から始まっている。初日、せっかくの平日休みだから休日に行くと混みそうな場所へ行こうと考え、天気がいいとの予報もあり、久々に山歩きすることにした。

 

何年か前から年に何度か、低山ばかりだが山へ行っている。

最後に行ったのは一年前、長瀞宝登山

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

先だっての熱海旅行の帰りにトレッキングポールと速乾タオルを購入してギアを強化した。

これで今までよりちょっと難易度が高い山でも行けそうな気がしたので飯能にある棒ノ嶺へ。朝5時起き。睡眠時間4時間程度。

車で出発。朝早いのもあり道中はスムーズ。青梅に父方の実家がある。子供の頃から何度も通った。なので途中までは勝手知ったる道だった。

 

さわらびの湯という入浴施設の第三駐車場は営業前から開放されているのでそこに駐車。すでに何台か車が停まっていた。先客か。

 

靴を履き替えYAMAPをオンにして出発。装備は基本的に一年前の長瀞と同じ。キャップ、ドライT、ドライパーカ、アルパインパンツ、登山靴、鎖場用の軍手。今回は標高が969mとこれまで行った山より高いのでリュックの中に500mlペットボトルを2本入れてきた。朝食を食べてこなかったので(山中にはトイレがないので催したくなかった)山頂で食べようとインゼリーとソイジョイを二つずつ。速乾タオルは首に巻いた。トレッキングポール2本。

 

登山道は少し離れている。ちょっと道を登って名栗湖と有馬ダムを経由した先。

ここの坂を登るのに早速トレッキングポールに頼った。初めて使ったが楽ちんでいい。転ばぬ先の杖とはよく言ったものだ。


途中バイカーとすれ違ったが俺以外に登山客と思しき人影は見当たらず。湖に沿って登山口へ。登山口のすぐ近くにも数台停められる駐車スペースがある。

 

ルートに関しては以下のサイトを参照した。

www.yamagirl.net

 

今までいくつか低山を登る…というか歩いてきた。俺は基本的に休憩を挟まず歩き続けるのでサイトに書かれている所要時間より大幅に早く終わるのが常だった。職場で毎日1万歩以上歩き回っているのもあり脚にはちょっと自信がある。体力も46歳にしてはある方だと思う。体重・体組成計では体年齢40歳の判定、フィットボクシング2では25歳の判定(これはユーザーのモチベを上げるためのリップサービスだろうけど)が出ている。

 

そう思ってきたのだが…過信だった。

棒ノ嶺、初心者向けの山と侮っていた。登ったらくっそキツかった。山頂に着く前に足が上がらなくなるし、登り道で息切れするし、下りが急傾斜すぎて何度も心が折れそうに。2回もこけちまった。

 

山に入ってすぐ、7時にもなっていない時点でもう汗ダラダラ。これまでは途中でベンチを見かけてもスルーして歩き続けたのに今回は見かけるたびに座って水分補給して10分程度休んだ。なので当然時間もかかった。

 

沢を渡る箇所がわかりづらくてちょっと迷いかけた。足場になる岩が濡れていて足をかけたら滑って前に転倒してしまった。左手をついた拍子に石に指をしたたかにぶつけて痛かった。こんな山歩きでケガなんかしたら本当にバカらしい。しかしこけたくてこけたわけじゃない。この山の沢歩きは高尾山の6号路を少しハードにした感じ。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 

 

その先にゴルジュ帯。人が写っていないのでサイズがわかりづらいがなかなかの偉容で迫力がある。この切り立った岩と岩の間を登っていく。俺が今回棒ノ嶺に来たかった理由の一つがこのゴルジュ帯を登ってみたかったから。

 

しかしトレッキングポールを両手に持った状態でここを行くのは難儀だった。素手で岩を掴みながら登った方が早いし安全なのでトレッキングポールが完全にお荷物に。

 

ゴルジュ帯を過ぎた先は鎖場。3点支持で登るからここでもトレッキングポールが邪魔に。かと言って都度畳んでリュックにしまうってのも億劫。仕方ないので手首にストラップを通した状態で登った。鎖は汚れていなかったがロープは泥だらけだったので軍手を持ってきて正解だった。

 

沢歩き、ゴルジュ帯、鎖場。ほぼ初めてのシチュエーションにテンションが高まったがその先は急な登りが延々続くばかりで、疲労も蓄積していき、ワイルド過ぎて道もよくわからんし、だんだん嫌になってきた。丸太階段はあるものの一段が高過ぎて足を上げるのがきつい。最後の方は崩れる危険があるからと階段使用禁止との表示がされていた。

 

中間地点の岩茸石。狭いがこの岩の左側をすり抜けて下山ルートに入る。ゴルジェ帯を下るのはかなり危険だろうから登り下りがほぼ一方通行になっている。おかげですれ違いがないのはメリット。ここまで来たら山頂は近いがすでに足がきつくてここで引き返そうかとの考えがチラッと頭を掠めた。

 

こんな感じの歩きやすいだらだら坂ならへっちゃらなんだが飛び出した木の根が入り組んでいたり岩場だったり傾斜がきつかったりで疲弊する。こういう道が目の前に開けたときはボーナスステージだと嬉しくなる。すぐに終わってしまうのだが。

 

途中でルートから外れて茂みの中を突き進んでいたら山頂に着いた。ここまで2時間。これまでの山歩きとは比較にならないくらいきつかった。

 

桜は散ってしまっていたがまだ葉桜にはなっておらず、地面には花びらが絨毯のように敷かれていて綺麗だった。ああ、桜にはこういう綺麗さもあるんだな、と目を開かれた。ベンチに座って水分、インゼリー、ソイジョイを補給。絶景と聞いたが眺望は木に遮られてよく見えなかった。日差しがかなり強かった。今日は最高気温25℃を超えるという。気温がピークに達する昼前には下山していたい。15分ほど休憩。数名が前後して到着。

 

下り途中で何人かとすれ違う。登りが急傾斜ってことは必然的に下りもそうなる。ここでようやくトレッキングポールが役に立った。途中、ぬかるんだ地面に足を取られて本日二度目の転倒。今度は後ろにズルっと。咄嗟に突いた左手が泥塗れになってうんざり。下りは滑らないよう踏ん張るので膝に負担がかかる。岩茸石まで戻ってきたときにはベンチに座ってしばらく立ち上がれなかった。どこでもドアが欲しくなった。

 

そのあと80分くらいかけて下山。途中、林道を3回渡る。下ってるのに登りになるルートが一部ありうんざり。矢印看板に目的地の河又(さわらびの湯)まで1.6キロとかあるのを見て絶望的な気分に。平地ならなんてことはないのに山道の1キロはなかなか距離が稼げず時間ばかりかかる。途中、親指2本分くらいありそうなでかいスズメバチが飛んでるのを見て立ちすくむ。怖かった。飛び去ったのを見計らって早足で通過。この時ばかりは足が軽快に動いた。何箇所かクマバチが飛んでいる箇所もあり、こけたのもあるし、尾根ギリギリを歩けば転落のリスクもあるし、ほんとアウトドアって危険で健康に悪いなあとしみじみ思った。棒ノ嶺は山に入ってしまうとトイレも水場もない。幸いにも催さなかったからいいものの大きい方がしたくなったらどうするんだろう? 藪の中? 考えたくもない。

 

残り600mあたりから車の走行音がかすかに聞こえてきた。民家はまだ見えないものの視界の先が明るくなってくる。もうすぐ終わる、との安堵が湧く。前にも後ろにも人の姿なし。俺も含め皆が同じペースでずっと歩いていたってことか。

 

無事下山。時間かかったとはいえ5時間をきっているから遅くはないのか。

昼前だったがかなりの日差しで暑い。あー疲れたーと大きく声に出した。

 

車で入ってきた道を今度は歩いて上り駐車場まで。俺が来た朝には数台しか停まっていなかった駐車場も半分ほど埋まっていた。半分くらいは県外ナンバーのようだった。

 

汗を拭き、泥まみれの靴を履き替え、着替えとタオルを持ってさわらびの湯へ。体と髪を洗い、露天風呂に浸かり、心身の疲れを癒す。モナカアイスを買い、休憩スペースで置いてあったヤマノススメを読みながら食べる。漫画は読んでいない、アニメはシーズン1だけ視聴した。5巻に棒ノ嶺とさわらびの湯が出てくる。登山初心者の女の子があっさり登ってて苦笑。いやいやいくら10代でもこんな気軽に行って帰ってこられる山じゃないだろ。急傾斜、登るも下るもきつかった。

 

高尾山って素晴らしいんだな、と改めて見直す気持ちに。ケーブルカーでショートカットできるし、道は舗装されているし、6号路を行けば本格的な山歩きが楽しめるし、気軽に山を楽しむのにうってつけ。

 

さっぱりしたところで腹が減った。さわらびの湯には食事がないのですぐ横のノーラ名栗へ。グランピング場らしい。キャンプはワイルド過ぎて不便なので興味ないが*1文明に管理されたグランピングは快適そうなのでいつか一度やってみたいと思っている。夏は虫がやばいから秋がいいのだろうか。ここにカフェ兼お土産屋さんがあったので入った。メニューにフィンランドの料理があって興味を持った。一番上にあるから推しメニューなのだろうか。しかし空腹時によくわからない料理にチャレンジするほどの度胸はなかったのでサバのサルサカレーを注文。盛り付け綺麗で味も美味しかった。皿がル・クルーゼでおしゃれ。お土産に名栗まんじゅうを購入。

 

棒ノ嶺は一度登ればもういいや、という感想だが名栗は自然が豊かでとても俺好みの場所だった。来るまでの道も比較的空いていてスムーズに走れるからストレスがない。GWは混むかもしれないが。フィンランド料理を食べにまた来てもいいかもしれない。

 

いつ行くか未定だが、今度行く山は整備された歩きやすい山がいい。御岳山か、筑波山か、大山か、そのあたり。

 

帰宅して少し寝た。

これを書いている今、足がめちゃくちゃだるい。若干頭痛も。疲労回復にユンケルを飲んだ。

これで体調崩して連休潰したら笑えるな。いや笑えないが。

 

*1:何度か付き合いで体験はしている。向いていないと思った

映画『オッペンハイマー』を見た

見に行くスケジュールの都合がなかなかつかず先週末にようやく見た。

 

通常なら去年のうちに公開されたのだろうが原爆開発者の伝記的映画という内容への「配慮」からか、今年にずれ込んだ。配給会社も変わった。一時は日本公開はないのではと思ったりもしたがアカデミー作品賞受賞の影響が大きかったか、無事公開された。よかったと思う。原爆開発がテーマなだけに色々な意見があるだろうがノーラン監督の新作なら映画としてまず見たい気持ちがあるし、内容については見てみないことには何も言えないわけで。

 

この映画ではオッペンハイマーは化学反応をヴィジョンとして見ることのできる超感覚の持ち主として描かれる。天才的な理論物理学者。一方で個人としては女にだらしなく人格的に未成熟で物事の見通しが甘い人物。第二次大戦当時、ドイツより先に原爆を開発して戦争を終結させるのがロスアラモスに集った研究者たちの使命だった。ユダヤ系の科学者はナチの横暴を体験として知っていたから危機感は強かっただろう。しかし開発途中でソ連によりベルリンが陥落、ヒトラーは自殺する。もはや原爆を作る必要はなくなった。ロスアラモスの研究施設は役目を終えて閉鎖か。ドイツ敗北に歓喜する職員たちに対してオッペンハイマーが言う。「まだ日本がいる」と。

 

どうもアメリカは過去の自国の原爆使用について、戦争を早く終結させて自軍の被害をこれ以上出さないため、「日本のファシズム独裁軍事政権」を打倒して日本国民を解放するため、用いた、という理屈で肯定的に捉えているようだ。この理屈だと、では今プーチンが同じ理由でウクライナに核を撃ち込んだとしてもアメリカは認めるのか、と問いたくなる。原爆投下の候補地を選ぶ会議で、京都は歴史的建造物が多く「素晴らしい街」だからとの理由で除外されるシーンがあるが、これはウォーナー伝説に基づくデマとされている。ここでのやりとりを見ながら歴史的建造物が少ない街なら原爆を落としてもいいのかよ、とムカついた。京都と同じように広島や長崎だって素晴らしい街だろう。何十万人もの命を奪う候補地の選定が軽いノリで決められる。 

 

でもこの映画はオッペンハイマーを批判的に描いている、とは思った。軍縮の署名にサインしない、広島や長崎の映像を映されると下を向いて目を逸らす。後者は、目の前の研究に没頭してその結果まで頭が回らなかった「愚者」としての彼をよく表していた。職業人としてだけでなく家庭人としても、前妻と浮気したり、自分の子供が泣いているのにそっちのけで仕事の話をしたり、落第だろう。トルーマンが、自分の手は血まみれだと嘆いたオッペンハイマーを「泣き虫」と相手にしなかったのは実際の出来事らしい。ハンカチを差し出すのではなく「洗えば落ちる」と言ったそうだが。オッペンハイマーは原爆は抑止力になる、と本気で考えていた。今後の世界は原爆があることによって世界の平和は保たれるはずだと。実際に得られたのは「恐怖の中の平和」だった。

 

オッペンハイマー、ストローズ、二人の視点に加えてそれぞれの視点の時間軸を前後させる複雑な構成は、これぞノーラン映画って感じ。親切なことにオッペンハイマーのパートはカラー、ストローズのパートはモノクロと分けてくれているので混乱することはないのだが、本作の結構な部分を占める聴聞会の内容がよくわからず少し退屈だった。見終わってから調べたらオッペンハイマーに敵対するストローズが相手を陥れようとソ連のスパイ容疑をかけたことをめぐるものらしい。左翼運動に関わっていた過去をもつ彼をグローブス准将はよく最重要国家プロジェクトのリーダーに選んだ。結果的にその判断は正しかった。聴聞会パートは退屈だが原爆開発パートは天才たちによるプロジェクトX的な展開で面白い。ノーベル賞受賞者が多数登場。アインシュタインは枯れた天才扱い。

 

映画としてはトリニティ実験の場面がピークか。悪天候のなか、期限ギリギリでの実験。爆発のあと遅れて爆風がやってくる。基本的に地味なドラマばかりの映画でほぼ唯一の派手な場面。

 

そしてあのラスト。大戦後、ナチの科学者をアメリカとソ連はそれぞれ引き抜いて自国へ連れ帰り兵器開発に従事させた。アメリカが「喉から手が出るほど欲しかった」ナチのV2ロケット技術。あれに核弾頭を搭載して核ミサイルを作りたかったのだ。まったく、狂っている。オッペンハイマーの期待とは裏腹に、戦後は東西冷戦、軍縮どころか軍拡に。でもオッペンハイマーがいなくても原爆の開発は時間の問題であり、彼を「現代のプロメテウス」呼ばわりして貶めるのは違くねえか? と書いているのは物理学者の藤永茂だった。

 

 この、大天才でも大サタンでもないただの一人の孤独な男を、現代のプロメテウス、ファウストメフィストフランケンシュタイン博士、はたまた狡猾な傭兵隊長ハッカー・ネドリーのアイドルに仕立て上げ、貶める必要はどこから生じるのか。そうすることで、誰が満足を覚え、利益を得るのか?

 私が見定めた答は簡単である。私たちは、オッペンハイマーに、私たちが犯した、そして犯しつづけている犯罪をそっくり押しつけることで、アリバイを、無罪証明を手に入れようとするのである。(略)原爆を生んだ母体は私たちである。人間である。

 

藤永茂ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』

 

 

見終わって、この映画が日本でなかなか公開されなかった理由が判然としなかった。原爆開発がテーマといってもアメリカの映画監督が撮ったにしては否定的な内容なので反発を懸念する必要はなかったような。原爆使用に関して肯定的なアメリカでこの映画が支持されてアカデミー作品賞受賞した事実がむしろ不思議なくらい。被曝直後の広島や長崎の映像がないことを批判する向きもあるようだが記録映画ではないのでそれはこの映画の領分ではないだろう。去年8月の公開は感情的に難しいかもしれなかったが秋にはできたはずで、過度な「配慮」だったのでは、と思ってしまう。

 

(俺にしかわからない基準だが)『インターステラー』と比較したら全然及んでいないが『テネット』や『インセプション』よりは面白かった。『ダンケルク』と同じくらい。意外だったのがかなり露骨なセックスシーンがあったこと。ノーラン作品に性的なイメージが全然なかったので驚いた。妻がオッペンハイマーと前妻のセックスを幻視するシーンはこの映画の最恐シーン。モンテーニュだったか、どれほどの偉人であっても裸で腰振ってるところを見たら権威なんて消え失せるだろう、と書いたのは。それと同じでオッペンハイマーの偶像性を暴く意図での性描写だったのだろうか。

 

 

映画を見てオッペンハイマーに興味を持ったので今この本を読んでいる。

 

 

参考 第5集「世界は地獄を見た」 第8集「恐怖の中の平和」

 

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んだ

 

 

一般的な勤め人、週5日フルタイムで働いて、生活もしてってやってると、疲れちゃって読書する意欲がでないのはなぜか? という著者の実体験に基づく疑問からはじまる。読書はできないけどスマホSNS見たりとかはできる不思議。映画『花束みたいな恋をした』の主人公の、本を読んでも頭に入らない、パズドラしかやる気しない、という台詞も引用される。

 

実際俺も、朝起きて、飯食って、会社行って、人間関係に配慮しながらミスが出ないよう労働して、帰宅して、風呂入って、飯食って、何時までには寝ないと…と意識しつつ自由時間の息抜きに読書は最初の選択肢として挙がらない。本読まねえとなあ…と思いながらもスマホやパソコンでネットしたり、Switchでスレスパやったり、YouTubeで何度も見た動画を繰り返し見たりしているうちに寝る時間になり、もうこんな時間かと驚いて、枕元に積まれた読みかけの本(常時複数冊積んでいる)をぱらぱらとめくるも、ろくに読みもせぬまま消灯する…平日は大体こんなルーティンになりがちだ。

 

いや上記の他にも、スーパーやホムセンへの食料および日用品の買い出し、洗濯、散髪、通院、宅配の受け取り、洗車、部屋やトイレや風呂の掃除、壊れた家電の直し方を調べたり直したり買い替えたり、図書館や映画館へ行ったり、人と会ったり職場の付き合いがあったり、他にも挙げれば日常の用事にはキリがなく、常に時間は足りない。小さい子供がいる人は俺みたいな独身者とは比較にならないほどさらに時間がないだろう。うちには小さい子供はいないが小さい子供と大差ない認知症の母親がいて、世話が焼けるしストレスもある。子供は今日できないことが明日はできるようになる希望があるが認知症者は今日できたことが明日はできなくなる絶望しかないのでなかなか心理的に来るものがある。

 

だから著者のように時間が足りなくて、または疲れていて本が読めないのは現代において普遍的なことなのだ。そしてことは読書に限らない。本書における読書とは、別の人にとっては家族との団欒や音楽鑑賞やその他なんらかの趣味に置き換えることができる。要するに労働と生活以外の「人生にとって不可欠な文化」。その「文化」に充てるための時間を労働は奪っていないか?

労働と「文化」は両立させることが可能なのか?

本書で問われるのはそのような問いである。

 

著者は労働と読書の関係を明治以降の近代社会から探っていく。明治から大正にかけて、読書は階級格差の象徴的営みだった。大正時代に出現したエリート新中間層、すなわち都市部の大卒ホワイトカラーは自分たちが労働者階級とは異なることを顕示するために本を携えた。現代のわれわれが想像する「読書=教養」のイメージは大正から戦前のエリートサラリーマン層によって作られた。戦後、徐々に労働者階級にも教養を求める意識が広がっていくが、エリートは優越感から彼らを冷ややかに見ていた。

 つまり読書は常に、階級の差異を確認し、そして優越を示すための道具になりやすい。

SNSにオールタイムベストやら、買った・読んだ・見た・聴いたと小説や映画や音楽のタイトルを投稿するのが自分の趣味のよさのひけらかしになっている(ように見受けられる)人がいる。文化的なメディアには多かれ少なかれそういうアイデンティティ誇示の面があると思う。若いうちはいいけど中年過ぎたら他人の作った作品で自分を「表現」するような痛い人間にだけはならないようにしよう、と気をつけて生きているつもり、俺は。…と言いつつ、一人の本好きとして小説のオールタイムベスト、いつか記事にまとめたいなあ、と思っているのだけれど。内容よりそれに付随する個人的な思い入れを語る趣旨で。

 

70年代の政治の時代が終わり、80年代に女性にも教養が開かれ始め、90年代に労働環境が変化する。90年代以降の日本は、政治の時代から経済の時代になった。バブル経済の崩壊、長い不景気の始まり。新卒の採用者数削減。非正規雇用者の増大。80年代までの会社は滅私で尽くせば終身雇用で一生面倒を見てくれる家族のような存在だったが、その感覚は経済不況とともに消えていき、代わって自分のキャリアは自己責任で作っていくもの、との価値観が広まっていく。今となっては夢物語のような「一億総中流時代」が終わり、新自由主義的な価値観の時代が到来する。

 

自分が頑張れば日本が成長し社会が変わる──高度経済成長期にはそんな夢が信じられた。しかし90年代以降、そんな夢は消えた。経済も社会も自分たちの努力で変えられるものじゃない。目に見えない力によって大きな流れが生まれるもので、その流れにうまく乗るか乗れないかだけだ。それが勝ち組と負け組を分ける。そんな考え方が広く共有されるようになる。このような自己責任社会の風潮は90年代以降の自己啓発ブーム、スピリチュアルブームの背景でもあるだろう。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

何事も自己責任。自分が成長するための知識や教養は自分で獲得していかねばならない。少しでも多くを得るために効率性が重視される。映画は早送りで見るし、教養は情報として手軽に得たい。限られた可処分時間を無駄にしたくない。そう考える人たちが増えてくる。映画も教養もそれ自体としては必要としていない。コミュニケーションのため、あるいは人生の成功のためのツールとして求められる。コンテンツを楽しみとして「読む/見る」のではなく「知る」ことが目的になる。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

本書のタイトルにある問い。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか。

その答えは二つある。

一つ。これは本は読めないのにネットはできる理由にもなるだろうが、読書は情報としてノイズ(不要な情報の混在)が多く情報摂取の手段として効率が悪い。一方でネットは欲しい情報にダイレクトにアクセスできる。ネットの方が効率がよくて楽だから本よりも気安く触れられる。結果、読書よりネットを優先してしまう。

 

俺はこの答えには違和感がある。ノイズ云々じゃなく労働で疲労している人間が手っ取り早くドーパミンを得たくてガチャ要素のあるスマホゲームをやったり、承認欲求を満たす「いいね」欲しさにSNSをやったりしているのではないだろうか。それらは読書では得られない中毒性のある快楽だ。つまり「読書できないのにスマホはいじれる問題」は情報摂取の観点ではなくスマホ中毒の観点で見るべき問題なのでは、と思った。俺がswitchでスレスパ(「買い切り型のパチンコ」)をやってしまうのも中毒なのだろう。

www.4gamer.net

 

もう一つ。新自由主義的な自己責任社会を生きるわれわれはつい「働き過ぎてしまう」。そのために疲労して文化のための時間を確保できない。

19〜20世紀つまり過去においては「企業や政府といった組織から押し付けられた規律や命令によって、人々が支配されてしまうこと」が問題とされていたが、現代の問題はそこにはないのである。

 21世紀を生きる私たちにとっての問題は、新自由主義社会の能力主義が植えつけた、「もっとできるという名の、自己に内面化した肯定によって、人々が疲労してしまうこと」なのだ。

新自由主義は競争を煽る。そして人は元来競争を好むようにデザインされている。また人には承認欲求がある。同僚や上司から認められたいという気持ち、または役立たずの烙印を押されたくないとの恐怖心もある。企業が社会状況を度外視して常に右肩上がりの成長を望むように、そこに所属する自身も右肩上がりに成長し続けねばならない──そんな価値観を内面化してしまうと人は自ら望んで働き続けてしまう。それが続けば…やがて燃え尽きる。鬱病になる。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 日本のように、会社に強制されて長時間労働をしてしまう社会はもちろん問題だ。しかし諸外国の例が示しているとおり、新自由主義社会では会社に強制されなくとも、個人が長時間労働を望んでしまうような社会構造が生まれている。そもそも新自由主義社会は人々が「頑張りすぎてしまう」構造を生みやすく、それは会社が強制するかどうかの問題ではない。個人が「頑張りすぎたくなってしまう」ことが、今の社会の問題点なのである。本書の文脈に沿わせると、「働きながら本が読めなくなるくらい、全身全霊で働きたくなってしまう」ように個人が仕向けられているのが、現代社会なのだ。

 

 以前、作家の村上春樹エルサレム賞スピーチ(2009年)で「敵は壁にいて、小説は卵の側に立つ」と述べていた。「我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだ」と村上は告げる。(略)しかし今、私たちは新しい局面を迎えている。私たちは卵=個人のなかで、自ら、壁=社会の競争意識の扇動を内面化しているのだ。つまり私たちは今、卵の内側に壁を抱えている。自分で自分を搾取してしまう。

 

読書論かと思わせて現代社会論に。この点は著者の言うとおりだと思う。現代は「手を抜く」ことがしにくい。俺のサボりが他の誰かの負担になってしまうと思えばとてもそんなことはできないし、俺ほどのボンクラであっても職場の人間から「できるやつ」と思われたい欲望はあるわけで。となると全力で働くしかない。会社から帰るとぐったりして飯も食えないほど疲れている日も月に何日かある。加齢とともに交代勤務制ブルーワークがしんどくなっている。テクノロジーの進歩と人手不足により現代のブルーワークは10年前定年退職した人たちがやっていた肉体労働メインな仕事ではもはやなくなっている。書類作成等の事務仕事や品質検査など生産以外の業務も多い。労働で体と頭と神経を酷使すれば定時にはぐったり、それを5日続けた金曜日には…早く帰ってベッドに横になりてえとしか頭に浮かばない。読書しようなんて…積んでいる『監獄の誕生』や『徴候・記憶・外傷』や『不安の書』を読もうなんて微塵も思わない。それをやる気力も体力ももう残っていない。

 

著者は現代のような全身全霊で働くことを求められる社会から「半身」で働ける社会にしていこうと提言する。半身で働き、もう半身を自分の大切な文化のためにとっておける社会に。その具体的な方法は各人に委ねられる。その意識が社会に広まれば半身社会は形作られるはずだと。

 半身で働こう。それが可能な社会にしよう。

 本書の結論は、ここにある。

これって会社での労働に限らない話だろう。子育てにせよ、親の介護にせよ、全身で打ち込む労働をしている人は、みな読書(自分の趣味)ができていないと思う。

 

 

俺自身の体感としても疲労が読書の機会を奪っているのは感じる。というのも仕事がある平日は読書する気が起きないが土日、とくに日曜は何時間もぶっ通しで読書できるから。だが疲労は労働によって生じるだけではない。加齢による部分も大きい、と考える。本書の最後に著者が働きながら本を読むコツをいくつか挙げているが、「自分と趣味の合う読書アカウントをSNSでフォローする」だの「iPadを買う」だの、違う、そうじゃない。いや、若い人ならそれでいいのかもしれないが中年本読みへのアドバイスにはなっていない。プロフィールを見ると30歳とまだまだ若いから中年の慢性的疲労状態が想像つかないのだろう。中年は常にだるくて読書に限らず何をするのも基本的に億劫なのだ。

 

俺は今年で47歳を迎えるが43歳が衰えの分岐点だった、と今振り返って思う。その頃、両肩が四十肩になって2年ものあいだ痛みに悩まされた。トイレが近くなり、眠りが浅くなり、目が見づらくなり、食欲も性欲も減退した。もう若くはないんだ、と自覚させられた。体力、記憶力、集中力も落ちた。本を読んでいるとだんだん目がしょぼしょぼしてくるし、ハードカバーは持ってると腕がだるくなってくるし、前読んだところを忘れて戻ることが増えるし、人物や地名や世界設定などを覚えるのが面倒になってくる。最後のは、若い頃はそういうのが知らない世界に入っていくという楽しさしかなかったのを思い出すと寂しくなる。映画やアニメでも第一話の序盤、覚えることが多い導入部分で乗れないと視聴をやめることが多い。

 

こんな俺でも20代から30代の頃は年間80冊から100冊ほど、海外の文芸をメインに本を読めていた。今と違って当時はブラック寄りな企業に勤務していたがダンテもセルバンテスラブレーも社会人になってから読んだ。フォークナーの長編やムージル『特性のない男』さえも。後者は一切内容を覚えていないが。俺が本を読めなくなったのは40代に入ってからだ。4年前に、いつか読もうと思いつつ先延ばしになっていた『失われた時を求めて』を長年の積読の末ようやく読了したが、読むのに丸一年を費やしてしまった。30代ならもっと早く読めたはず。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

だから人は加齢でも本が読めなくなる。たぶん働いていなくてもおっさんは本が読めない(自分で言ってて悲しくなるぜ)。身体というハードが劣化して本を読むだけの体力、気力が衰えるから。

 

結局、インドア趣味であろうと最後にものを言うのは体力なのだ。

読書のために運動しよう。

 

 

 

世田谷オデッセイ

約25年前、俺は世田谷区は祖師ヶ谷大蔵のアパートで一人暮らしをしていた。

時はバブル崩壊直後のこと。

当時すでにそう呼んでいたか、就職氷河期ど真ん中の世代である。

 

大学を除籍になり学生ではなくなったので労働する必要に迫られ、ある接客業に就いた。なぜ地元ではなく都内に就職したのかについては省略する。

 

会社は梅ヶ丘にあった。今だったら職場に近い梅ヶ丘で賃貸住宅を探しただろうが、なにぶん一人暮らし初心者である。溜まり場になったら嫌だとの陰キャ的発想から職場から少し離れた祖師ヶ谷大蔵に住むことにした(結局溜まり場にされるほどの親交を職場の誰とも結ぶことはなかった)。

 

職場はそこそこブラックだった。これも詳細は省く。嫌になって10ヶ月で退職した。というかバックれた。そのあと散々電話がかかってきたがすべてスルーした。二度ほど家まで社長と店長が来たが居留守を決め込んだ。1階だったので中に俺がいないか確認するために雨戸を開けたのには驚いた。雨戸がガタガタし始めたので慌てて押し入れに隠れて難を逃れた。敷地内への不法侵入だろう。今だったら退職代行を利用したかもしれない。

 

そのあと警備員のバイトについた。工事現場なんかで棒振るやつ。これは最初の仕事より続いた。1年以上。毎日のように就業場所が変わるのが億劫だったが、自転車を購入して真面目に勤務した。環七だったか環八だったか、当時大掛かりな工事をやっていてそこの夜勤が大人数でやれたので楽しかった。俺は接客業には向いていない。対人関係がなく自分の持ち場の仕事をやればいい、そういう仕事の方が向いている、と思った。給料も、夜勤があったから前職よりずっと稼げた。日勤で日当1万円くらいだったように記憶している。ただし社保はなかった。

 

警備員をやってるうちに2年が経ちアパートの更新時期がきた。もう都内に住み続ける理由はなかった。なので埼玉の実家へと「都落ち」した。そこから俺の数年にわたる引きこもり生活が始まるのだがその話はもう何度もこのブログに書いたのでここでは繰り返さない。

 

あれから四半世紀が経過した。

その間、小田急線に乗る機会は一度もなかった。都内へ出かけることは数えきれないほどあったが、小田急が走っている方面には用がなかった。箱根や江ノ島へは何度も出かけたが車でだった。

去年、藤子・F・不二雄ミュージアムがある登戸へ行くのに久々に小田急に乗った。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

帰路、途中通過する駅名の数々を見ていて、不意に再訪したくなった。

かつて住んでいたアパートは俺が契約した当時すでに結構な築年数が経っていたが、検索すると今も健在だった。それを知るとなお気持ちは募った。

登戸へ行ってから半年が経ってしまったがこのたびようやく時間を見つけて小田急沿線のいくつかの土地を再訪することができた。本記事はその記録である。

 

 

千代田線で代々木上原まで出てそこから小田急に乗り換え。真っ先に祖師ヶ谷大蔵へ向かいたいところだが路線図的に梅ヶ丘から下っていくことにする。祖師ヶ谷大蔵から上らない理由は後述する。

 

 

約25年ぶり、職場のあった梅ヶ丘駅に到着。小田急の他の駅にも言えるのだが俺が利用していた当時はこんな屋根はなくて吹きさらしだった。エスカレーターもなかった。長い階段が南北出口それぞれにあってそこを上り下りしていた。

 

改札ももちろんこんなに広くなかった。再開発されて今時っぽくなっていたからびっくりした。今調べたらSuicaの利用が2001年に始まったらしいから俺は切符やカードの定期券を利用していたことになる。そういえばそうだったかもしれない。自動改札機はすでにあった。

 

改札出るとフラットになっていて南北出口どちらにもアクセスしやすい。すでに書いたけど俺が通っていた頃は反対側の出口へ行くのにいちいち階段で移動しなければならなかった。職場は南口にあったのでそちらへ出る。

 

いやはや、すっかり立派な駅になっていて見違えた。この歩行者スペースは当然なかった。奥のマクドナルドは当時からあった。たしか、できたばっかりじゃなかったか。

このセブンイレブンも当時からあった。何度もここで買い物した。

 

このケーキ屋も当時からあったような気がする…と思って調べたら、あった。買ったことはないが。繁盛しているようだった。

寿司の美登利。ここは当時もっと行列がやばかった。建物こんな形だったかな? この角の店舗はテイクアウト専門で、右奥の道を少し進んだところに食事できる店舗がある。そっちはさらに大勢並んでいた。

 

この蕎麦屋、バイトの人と知り合って、その関係で一度だけ食いにきたことがある。天ぷら蕎麦を注文した。

 

蕎麦屋の向かいがカルディ。俺の記憶ではこのあたりに奥行きのあるわりと大きめの本屋があったはずで、うろうろしたが見つからず、たぶんこのカルディが本屋の跡地なんじゃないかと推測。Xで検索してみたらどうも当たっているよう。本屋がなくなってすでに十年以上が経っているらしい。

 

この近くには個人経営の弁当屋があって、そこへほぼ毎日職場の人たちの昼飯を買いに行った。大盛りの、かなりコスパのいい弁当屋で、ドカ弁ってのをよく注文していた。何が入っていたかは忘れたがその強烈なネーミングと量は今も記憶に残っている。500円しなかったかなあ。職場の先輩に一人、鮭弁ばっか食う人がいた。一度ぼーっとしてて鮭弁をこの弁当屋で買わずセブンで買って帰ったらキレられたことがあった。周囲を探索したものの見つからず、諦めた。ネットで「梅ヶ丘 弁当屋」でちょっと検索もしてみたがそれらしい情報は得られず。

 

ここは当時珈琲館だった。

 

もっとも驚いたのはかつての職場が消滅していたこと。職場があったビルには今は別の会社がテナントに入っていた。何年か前に思い出して検索したときにはまだ存在していたんだが。当時の先輩方、現在ではみな50歳を過ぎている。どこでどうしているのやら。

 

梅ヶ丘では駅周辺と職場のあったエリアを少し探索して終わり。当時の俺は今以上に行動力のない人間だったのでほかに思い出のある場所はない。当時通った店は駅前のセブンとマック、見つからない弁当屋、それくらい。仕事が終わればまっすぐ帰宅。寄り道して帰るという選択肢はなかった。「自分だけの部屋」にさっさと帰って一人になりたかった。

 

電車に乗るのも味気ないので北口から歩いて豪徳寺、経堂を目指す。どちらも数回行ったことがある、という程度の土地だが。

 

途中で初めて見る自販機に遭遇。生搾りオレンジジュースらしい。写真だけ撮ってスルーしてしまったがこういうの見かけたらとりあえず買ってみる、という発想が出てこないことが俺の人生の貧しさの原因な気がする。陽キャなら「何これ、初めて見た。買ってみるか」ってなるんじゃないか。俺の陰キャたる所以よな。

 

サメと思ったがクジラか?

 

この日の日中気温、24℃超え。めちゃ暑かった。

豪徳寺駅前に到着。まったく覚えていないから感慨とくになく、通過。豪徳寺駅って改札出ると何段かの階段があったんだが現在はその面影はもうない。ほぼフラットに。

 

このアングル、『秒速5センチメートル』の「桜花抄」ですね。

シンメトリーが綺麗な世田谷線の線路。

経堂方面。桜と巨大マンション群。歩道が整備されており歩いていて気持ちよかった。

 

これも噂の排除ベンチの一種か? 座る分には問題なさそう。

 

経堂駅前の桜。

 

経堂駅前。めっちゃ栄えてる。いや、当時を覚えていないので比較しようがないが、当時はこんなじゃなかった気がする。パスタの五右衛門に行列ができていた。

 

こんな商業施設が。経堂コルティというらしい。中にはスーパーやレストランや無印良品三省堂書店などが入っている。4Fには花壇がいくつもあって休憩できるベンチがたくさん。しかし屋根がないので日差しが直接当たる。

 

こんなに大きな建物作っちゃって。今回の再訪で一番時の流れを感じた場所がここ。施設の規模のわりに人の数に余裕があって窮屈な感じがしなかった。

 

経堂から小田急に再び乗車。といっても千歳船橋を通過するだけだったが。

かつて住んでいた思い出の地、祖師ヶ谷大蔵に到着。急行が止まらないから早く新宿方面へ出たいときは隣駅の成城学園前を利用していた。

 

何百回と見た景色のはずなんだがまったく覚えていない。

 

北口へ出るとウルトラマンがお出迎え。円谷英二の自宅が祖師ヶ谷にあったのと、円谷プロ本社が砧にあった縁で祖師ヶ谷大蔵ウルトラマン推しらしい。もちろん俺が住んでいた当時はこの像はなかったしこんな広場もなかった。

 

この花屋があったのは覚えていた。

 

この不動産屋でアパートを契約した。和室の1K、家賃5万弱だった気がする。

 

このパチ屋もあった。でもこんな洒落た外観ではなかった。リニューアルしたのか。

 

ウルトラマン商店街。途中にあった洋食屋に行列ができていた。

 

横に並んで記念撮影した。

 

ゾフィー

 

砧図書館。ここにたびたび通った。中へ入ったら記憶にあるよりずっと小さい図書館だった。一番奥にテーブル席。大半は持ち帰って読んだがたまにそこへ腰掛けて借りる前の本を読んだりした。すぐそばの読売新聞販売店も当時からあった。

 

このあと路地を入って少し行ったところにあるアパートを再訪。今住んでいる方がいることだしブログに上げるのはやめておく。俺の写真フォルダの中には収めてある。ああ、ここに住んでたなあ、と部屋のドアの前に立って、しかし何の感慨も抱かなかった。ろくに外出せず、自炊せず、コンビニ飯ばかり食って、『ベルセルク』や太宰治をこの部屋で熱心に読んでいた。あれから四半世紀。あっという間だった、ここに住んでいたのがついこないだのようだ、とは思わない。その後いろいろなことがあった。時間はしっかり流れている。積み重なっている。実感としてそう思う。

 

南口にもちょっとだけ出た。渋谷へ行くときはここからバスで行っていた。電車だと下北沢での井の頭線乗り換えが面倒だったので。バスの車窓から景色を見ているのが好きだったのもある。所要時間は電車の方が早いだろうが。

 

ここいらでスマホのバッテリーが10%を切った。腹も減った。行きつけだった飲食店でもあればそこへ行くのだが当時の俺はコンビニ飯、スーパーの飯、牛丼のテイクアウトばかり食っていた。なので行く店のあてもない。南口側のバーガーキングへ入った。バーガーキング、コンセントないんだな。てっきりあるかと。

 

なのでセブンイレブンで初めてモバイルバッテリーレンタルを利用した。アプリ登録してレンタル、返却は他の店舗でも可。便利なサービス。1時間弱借りて60%まで回復。360円だった。今後もお世話になるかも。

 

北口に戻り商店街を北上する。この珈琲館は当時からあった。このあたりにかなり狭い本屋があったんだが見つけられなかった。そこで新潮文庫カポーティを何冊か買ったことがある。

 

商店街、人の賑わいあり。

有名な自転車屋。俺が自転車を買ったのはここではなかった。

 

祖師ヶ谷住宅。かなり年季の入った住宅が並ぶ。上京したての頃、この前の通りで子供連れの女性に道を尋ねたら知らないと言われ「東京の人って冷たいな」と思った記憶がある。

 

桜がいい感じに散っていた。

 

住宅街に急に畑が出現するのが世田谷の面白いところか。

 

埼玉でも見ないようなレトロな駐車場精算機を発見。

 

ひたすら北へ歩くこと20分か30分。

最終目的地、世田谷文学館に到着。

今月末から開催の伊藤潤二展のチケットは初日分をすでに購入済み。場所の下見と、リーフレット貰うのと、常設展があれば見ていこうかと思って訪問。

残念ながら常設展はなし。リーフレットをもらって奥の喫茶店でレモネードで一服した。どんぐりという店名にはそぐわない重厚な喫茶店ながら良心的な価格で気に入った。

この文学館の館長は古典新訳文庫で精力的にドストエフスキーの翻訳を出している亀山郁夫先生とのこと。

 

リーフレット伊藤潤二作品は『富江』と、あとはいくつかの短編くらいしか読んだことはないのでファンでは全然ないのだが興味があったので行くことに。展覧会、別に熱心なファンしか行ってはいけないというものではないだろう。ミーハーな関心から行ってみて、そこからはまる可能性だってあるわけだし。連休中の楽しみのひとつ。

 

行き、小田急祖師ヶ谷大蔵から梅ヶ丘へのルートをたどらなかった理由は世田谷文学館に寄りたかったから。帰りは芦花公園から京王線で新宿へ出た。ブックファーストで本を買って帰路に就いた。

 

というわけで俺の小田急沿線再訪はこれにて終了。5時間ほどの行程だった。

約25年ぶりに訪れて、変わったところ、変わっていなかったところ、どちらもあった。再訪してみて、郷愁をそそられないことが意外だった。気持ちの上ですでに決別した過去ってことなのだろうか。記憶が薄れすぎて土地への思い入れがすでに失われてしまっていたのもあるかも。今後の人生で祖師ヶ谷大蔵や梅ヶ丘を訪れることは二度とないだろう。訪れる理由がもはやない。

 

2年を過ごしたにしては思い入れのある場所が少なすぎた。もっとあちこち遊びに出かけて思い出をたくさん作っておけばよかった、と今更ながら思った。せっかく東京に住んでいたのに。

 

そのとき楽しんだ経験が後から回想する楽しさに繋がる。その土地を去ってから、ああ近所にあんないい場所があったんだ、と気づくことが俺には多すぎる。抜けてるんだろうな。30代でした2回目の一人暮らしも、すぐ近所に大きい公園や低山があったことを退去してから知って、どうして住んでいたとき行かなかったのか、と後悔した。

 

今の暮らしも、平日はほぼ毎日会社と自宅の往復、たまにスーパーへ寄り道、それだけを反復していて、きっといろいろ取りこぼしているのだろう。プルーストの長編小説のように、後から回想するという楽しみのために今を積極的に生きる姿勢が人生において重要なのではないだろうか。後から振り返るに足る人生を、俺は今生きているか?

 

さて、十分に過去は振り返った。

明日からは、また前を向いて生きるか。

 

 

 

 

桜は咲いたが気分は晴れない2024年春

 

今年も桜が咲いた。

 

今が満開、この週末は天候に恵まれ、日曜の今日は気温が20℃を超え絶好の花見日和。人出が多かった。

明日以降、月曜日火曜日と天気がぐずつくとの予報が出ている。次の週末にはほぼ散ってしまっているのではないだろうか。すでに今日でも葉桜になっている樹があった。

 

例年近所の公園の桜並木の写真を撮りに行っているので今年も今さっき行ってきた。

このブログで毎年記録していなかったら今年は面倒くさくて撮りに行かなかったかもしれない。どうにも疲労感がたえずあり気分が上がらない。

半ば義務感からカメラを持って散歩に出た。

 

不調になりがちな冬が終わったのだから体調が上向いてもよさそうなのに、ここ最近何をしていても「楽しい」という感情がいまいち起きない。

かといって鬱々としているわけでもないのだが。

何もかも味気ねえな〜何するのもかったりいな〜という気分。

満開の桜並木を見ても心は晴れず、圧倒されることもなく、ああ咲いてるなあ、と思うだけ。

 

先週、新海誠監督の『秒速5センチメートル』を劇場で見た。

かつてあれほど真剣で切実だった映画なのに、今はもう琴線に触れるものがなく、それを自分では「卒業」、あるいは「成長」か「円熟」(笑)とすら思いかけたが、実際は中年になって感性が鈍くなったか衰えたかしただけの話で、にもかかわらず本人はそれを「円熟」()と勘違いしている、今の俺はそんな滑稽な事態に陥っているのかもしれない…との疑念が湧く。

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 

満開の桜を見てうきうきしないって、ちょっと俺らしくない気がする。なんなんでしょうね。

仮にこれが加齢による感性の衰えだとしたら、寂しい。この先どんどん感動することも楽しむこともなくなっていったら俺は何を支えに生きていったらいいのか。

本やら映画やら創作物にはいつか飽きる日が来るとしても、自然には飽きることはないと思っていたんだがなあ。

不惑をとっくに過ぎたが、未だ惑うことばかりだ。惑いまくり。

俺がひとりものでいるのは正しい選択だったと思う。こんなふらふら足元のおぼつかない人間が自分の家族なんて持ったってとても背負いきれるもんじゃない。逃げ場がなくなってぶっ壊れそう。

 

…って桜と全然関係ないことばっかり書いてるな。

カメラを持ち出したのも久しぶりだし、いい写真撮ろうってモチベーションも起きなかったので適当な設定で適当に撮って30分もしないうちに帰ってきた。気分だけでなく人の多さにうんざりしたのもある。人混みがどんどん苦手になっている。

好きなものは減っていく一方なのに嫌いなものは増していく、それが歳をとるということだとしたら…? おお、恐ろしい。

 

春になったら気分がマシになるだろうと期待していたのだがそうはなっていない。

変に焦らずじっとして経過を観察するか。

楽しめることを新しく何か探した方がいいのか。何かって、何を? めんどくせえわ。

 

どうしたもんかねえ。

 

 

 

 

 

 

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 

リバイバル上映で『秒速5センチメートル』を見た

 

60分映画のリバイバル上映が特別料金1600円。割引サービス等の利用不可。ユナイテッド・シネマ会員は通常1500円で見られるからむしろ新作よりも鑑賞料金が高くなるというユニークな事態に。新海ブランドの力か、強気の価格設定。でも劇場のスクリーンで『秒速』が見られたから満足。

 

『秒速』、自分が新海誠監督を知ったきっかけとなった作品である。2010年頃、大きな声では言えないがニコニコ動画に(違法?)アップロードされていたのをたまたま見た。見て、まず背景のリアルさ、綺麗さに、衝撃と言っていいくらいびっくりした。それまではジブリエヴァ以外のアニメはほぼ見ていなかったので(俺はガンダムを殆ど知らないので同世代とその話になっても入れない)アニメというメディアに対する子供向け、オタク向けの娯楽というステレオタイプなイメージが、作品にもよるがアートなものもあるんだ、と一新されるきっかけになった。…こう書くとなんか偉そうだな。

 

この頃、『ハルヒ』も夢中で見ていた。少しあとには『まどマギ』にハマった。今振り返ると震災前後の数年は人生でもっともアニメを見ていた時期だった。最近はまた見なくなって映画でたまに見るほかはアマプラで年に数本話題作を見るくらいに落ち着いた。『鬼滅』とか『チェンソーマン』とか。今週、『葬送のフリーレン』を完走した。面白かった。『ダンジョン飯』はまだ見ていない。

 

で『秒速』の話に戻るんだけど、初めて見たとき、かなり引きずった。昔好きだった女性の幻影に今も付き纏われている男、というストーリーがとても身に沁みた。俺もちょうどこの当時、いや当時じゃないな、もう少し前の話だけど失恋していて、それもまあ結構手痛い失恋で、にもかかわらずその相手を忘れられない…というかもう忘れたつもりだったのに『秒速』を見たせいでその相手がフラッシュバックして、せっかく閉じた傷口を再び開かれるような心理的な痛みを覚えたのだった。つらいストーリーを綺麗な絵で展開するから妙にロマンチックな気分にさせられてしまう。俺の傷は、この痛みは、特別なもの、「文芸的」なもの、みたいな勘違いに酔わされてしまう。今振り返ると小っ恥ずかしいけれども黒歴史ってほどじゃない。当時、それだけ若くて「元気」だったんだな、と微笑ましい気持ちで過去の自分を眺めるだけだ。

 

46歳の自分はもうこの映画を見ても30そこそこだった頃の自分が受けたような衝撃も感動も感じなかった。それどころか正直退屈ささえ覚えてしまった。この映画はもう「俺の話」じゃなくなったってことなのだろう。たしかに、あんなに好きだった相手の顔も、失恋して15年が経とうという今ではもう思い出せない。貴樹のように幻影を引きずれるのは、それはそれで幸福なことなんじゃないのか、とすら思ってしまう。まあ基本的に人は何もかも忘れていくし執着も次第に薄れていく。花苗もいずれ貴樹のことを忘れるだろう。いやとっくに忘れているかもしれない。ラストの貴樹の表情は、あれも初恋の思い出に見切りをつけて前を向いて生きていくことを示している。振り返ったのち、前進。そういう生き方が健全でいい。

 

『秒速』のサブタイトル? にtheir distanceとある。『ほしのこえ』も『雲のむこう、約束の場所』も人と人との距離と感情の変化についての話で、当時の新海監督のテーマだったんだろうな、と勝手に思っている。親しかった相手も物理的に距離が離れ疎遠になれば遠からず心の距離も離れていく。やがて自然消滅。それは普通のことで、人はまた新しい環境で誰かを好きになって生きていく。貴樹と明里を指して「男は名前をつけて保存、女は上書き保存」という向きもあるけれど、明里もエスカレーターでふと振り返ったりしてるし、岩舟駅から乗った電車内で浮かべる表情は、ついさっき両親と結婚式や婚約者について話したばかりとは思えないような憂いを帯びていて、彼女は彼女なりに抱えている思いがあって、けれどもその感情は貴樹のようなモノローグの機会を与えられていないから見ている側が想像するしかないような作りになっている。貴樹もまた花苗に対して、(結果的には)明里が貴樹にしたのと同じ仕打ちをしてしまっているわけで、まったく、恋愛なんてろくでもねえな、という気持ちになる。ろくでもなくても誰かを好きにならずにいられない人間ってなんて憐むべき存在なのか、とも。

 

すげえ絵だ、と感銘を受けた『秒速』も、『言の葉の庭』から『すずめの戸締まり』へと至る過程ですっかり見なれたものとなり新鮮さがなくなってしまったが、その新鮮さがなくなったことこそ新海監督が果たした偉業だと思う。まったく、俺が初めて『秒速』を見てからの15年のあいだに新海監督が着実に実績を積み重ねてきたのに対して、俺ときたら、出世もせず、結婚もせず、実家暮らしで、まったく何も残せていない。進歩がない。情けねえ。

 

5/17からは『雲のむこう、約束の場所』がリバイバル上映される模様。


www.youtube.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 

3月、健康を意識する

 

3月、これといったことはなく過ぎた。

というか年明けてからずっとそんな感じではある。世の中では色々なことが起きてはいるが俺の生活はただ淡々と過ぎていくばかり。

子供がいれば卒業、入学、就職のシーズンである。でもひとりものには何のイベントもない。

 

寒いのが大の苦手で、12月から2月くらいまでの真冬の間は気分がもろに下がるので(冬季うつに近いような感じで滅入る)ただ日々をやり過ごすだけで精一杯なのが通例である。越冬した、サバイブした、それだけで自分で自分を褒めてやりたい。今年もよく耐えた。春が来たぞ。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

今年の3月はよく雨が降った。そして強風の日が多かった。

おかげで洗車がなかなかできず、ボンネットについた砂埃の汚れをしばらく放置していたら洗車してもうっすらシミっぽく残ってしまった。買ってまだ半年経たない新車なのに、まったく。凹んだが、車は外を走るもの。気にしすぎるのは馬鹿げている。甘やかさず大事に乗っていこう。

 

半年点検でディーラーへ行ったら今月ヴェゼルがマイナーチェンジしていた。しかしグリルが少し変わったのとモデルが増えたくらいで装備に大幅な変更はないという。にも関わらず車体価格は18万円ほど上がったと聞き驚く。理由を訊くと円安による原材料高騰や人件費など要するにそれが世の中の動向であると。なんでも物価は上がる一方。結果論だが、いいタイミングで買えたとちょっと嬉しくなった。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

 

そのヴェゼルで数年ぶりに熱海へ行った。冒頭の写真はその時のもの。埼玉県在住の俺が海へ行くとなると大洗か熱海が定番。房総へも行きたいのだが首都高を経由するのが嫌なので避けてしまう。熱海ではホテルニューアカオに宿泊した。平日にも関わらずかなりの人出だった。熱海、東日本大震災があった年の夏頃だかに行ったときは寂しかったような記憶があるのだがその後再開発や誘致を地元が頑張ったようで今はすっかり盛況である。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

健康のため血圧計と体重・体組成計を購入した。ほぼ毎日計測している。以前はいちいち結果をスプレッドシートに手入力していたのだが、そんな些細な一手間でも人間は億劫に感じてしまい継続できなくなるものらしい(俺がめんどくさがりなだけ?)。今度のは計測結果をBluetoothオムロンコネクトというアプリに送信してくれるので楽。グラフ化もしてくれる。便利な反面、もはや何もかもスマホありきなんだな、という気持ちに。

hayasinonakanozou.hatenablog.com

 

1月に買ったまま放置していたフィットボクシング2もようやく起動した。交代勤務従事者なのでできない日もあるがなるべく毎日やるようにしている。その日の体調や気分で、乗らない日は短くして。頑張ることは重要じゃない。継続すること、運動習慣をつけることが重要。

ゲームだからと舐めていたらなかなかの運動量で、室温22度の部屋でやると汗をかく。肩凝りに効いた、みたいな報告を見たがどうだろうか。俺の場合、肩凝りや腰痛はない。ただ数年前に四十肩をやってそれが治るのに2年を要したので(左肩が上がらなくて整形外科に通院して治療していたら治らないうちに右肩まで上がらなくなった)五十肩にならないよう予防効果が得られたらいいなと期待している。身長173cm体重66キロ、BMI22%のザ・標準体型だがあと3kgほど減らしたい欲もある。

 

上記の行動に伴い食生活もほんの少しだけだが変えた。揚げ物が多く味付けも濃いので外食はできるだけ避け、自炊するようになった。気温が上がり生野菜を食べるのが苦ではなくなってきたからサラダを意識して食べるようにしている(寒い時期は体が冷えるので避けてしまう)。自炊と言ったって大したもんじゃない。カット野菜サラダとレンチンしたパスタに市販のソースを混ぜるだけ。俺からすればこれでも立派に自炊の範疇である。あと毎日トマトジュースを飲んでいる。伊藤園の理想のトマトは旨い。

 

健康は大事。身体の好不調はメンタルにも影響を与える。最近、暖かくなって過ごしやすくなってきたおかげか、よく眠れる。8時間くらい。それくらい眠ると起きたあとの身体の軽さが全然違う。頭もスッキリしている。情緒も安定する。睡眠マジ重要。でも夜勤明けだと4時間くらいで目が覚めてしまい、その後眠れないのでつらい。人体は基本的に昼動いて夜眠るようにデザインされているのだろう。

 

年明けから3ヶ月、理由はわからんが保有資産がだいぶ増えた。だが今の俺にとってはただの数字である。それは含み益だからでもあるし、取り崩すのはまだ15年近く先だからでもある。俺が株式投資オルカン全振り)する理由は老後資金確保のため。すなわち長生きリスクに対する備え。しかし今の会社に定年まで勤められれば退職金と合わせて老後の金銭問題に関しては過度に不安にならなくてもよさそうな目処はついている。だから身体が動く40代のうちに金を使うことも意識したほうがいいのかなあ、とも思っている。元日の山崎元さんの訃報もあったし、小倉智昭さんのこんな記事を読んでしまうと尚更その思いが強くなる。

fujinkoron.jp

 

でも何に使う? エアコンもテレビもある。車は買った。趣味の読書は最近老眼で読めなくなってきているので買う意欲が減った。映画館へ通うのにも飽きてきた。服はユニクロ(今や安くないが)とアウトドアブランドので十分、美食には興味ない、家電などの物は増やしたくない、旅行は行きたいが世間と同じ休日だと人が多い上に割高で満足感が低いから行く気にならない…となるとこれといった使い道が思いつかない。競馬も全然勝てないから冷めてきた。休日は散歩して、本読んで、プライムビデオ見て、適当な自炊メシを食えばそれで不足を感じない生活スタイル。…なので俺の考える老後生活費は世間の平均と比較すると少ない。他人からは、え、そんな少額の老後資金で不安にならなくていいとか言ってんの? と笑われてしまうかもしれない。

 

あと買うとしたら住居か。両親がいなくなったら考えてもいいだろう。会社の近くに、一人住まいで二階建ては必要ないし階段がだるいので平家の、駐車場付きの中古物件があれば考えてみてもいいが、別に無理して買わなくてもいい。不動産の購入って手続きが面倒くさそうだからこのまま実家に住み続けるか、売って賃貸のほうが気楽でよさそう。

 

言うまでもなく金は大事だ。だが健康はそれ以上に大事だ。金があっても病身なら何をしても楽しくない(治療費の心配はしなくて済むだろうが)。健康なら金がなくても働いて稼ぐことができる。ショーペンハウアーも同じことを言っていた。病める王より健康な物乞いの方が幸福である、とかなんとか。金があって健康なのが一番いいけど。

 

先日、市からがん検診の案内が来ていた。ふーん、でも俺には関係ねえなとスルーしかけていたその何日か後、はてブを見ていたらこんなエントリが目についた。

ameblo.jp

がん検診を受けておけばよかったと最後に書いてある。これも縁、タイミングだろうか。受けてみてもいいかもしれない。