ブログ名はいつか決めます

大切ななにかを失いながら、しょうもないものを生み出す。

魔法少女リリカルなのはReflection

昨日の話です。

今日はノーゲームノーライフゼロを見てきました。連日の映画、ニートたのちい!!!

それはまた明日のほうで書くとして。

 

さて、待ちに待ちに待ちに待った、なのは新作劇場版の公開。

普通に初日に観に行こうと思っていたけれどのですが、アマツツミのSS書くのに夢中になっておりましてな。

本当に、本当に待っていたわけだ。

なにせ、本来大学生のうちに公開されるはずだった作品だ。今は社会人3年目、そういうこと。ニートも社会人に入れてくれますか?

 

前職業柄、「好きなアニメは?」と聞かれることが、アニメ好きな人そんな知らない人いろんな人から聞かれる。そのとき僕が挙げるのが、『なのは』『コードギアス』『ラピュタ』である。どっからでもかかってきてくれ。

そしてなのはが、恐らく生涯で1番好きな作品になるだろう。

 

先にぶっちゃけておくが、なのはにおいて2ndA′s以上のフィルムが生まれることはないと確信している。

無理でしょ。無理だよ。話の土台の思い出補正も強烈に作用してるせいで、僕のなかであれ以上の作品になるものは、悲しいが出てくるはずはない。

それでも、なのはの新作は出る度に最高に楽しみにしているし、実際それぞれをそれぞれに楽しんでいる。そんなオタクの話だ。

 

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今回は、ピカデリー新宿での鑑賞。

 

というかなんだこれ、投稿と同時にここから先の3000字ほどがごっそり消えました。やる気無くしたので、そのうち書きます。

蛍が、きれいだったんだ。

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僕が最初に好きになったほたる。

大切なことは、君が教えてくれたんだ。

 

 

 

去年の今頃に発売されていた、パープルソフトウェアの18禁ノベルゲーム、『アマツツミ』。

ここ数年新しいえろげに手をつける時間がなかったので、去年からやりたいなーと思っていた本作を、先日プレイし終え。

 

夏ゲーである。

結論、今の時期にやって本当によかった。

 

そしてヒロインの1人、ほたるがあまりにも愛おしかったから。

勢いあまって、この数日二次創作SSを書いていました。

このブログも、何も書かない日をなくすためにやることにしたのが正直なところで、文字を書くのをさぼっていたわけではないのです。

そして書きあがったのがこちら。

 

『かみさまのきまぐれ』

https://touch.pixiv.net/novel/show.php?id=8445231

 

あっはー、今回ばかりは誰にも読まれないまでありますぜ。

ま、そんなことはどうでもいいのです。書くことまでが目的だから。

えっちいゲームのえっちくないif短編を2本。

 

以下、ほたるがどうして狂おしく感じるほど魅力的だったか、ゲームやりながら呟いてた内容を見返しながら、適当にまとめておくとしよう。

だっていつかこんな可愛いキャラつくってみたいじゃん。そのためのメモ。

あ、一応。勿論ネタバレMAX盛り。

 

 

 

 

 

 

そもそもほたるには今作で唯一2ルート、結末が2つ用意されていた。

劇中で何人ものほたると出会うことになるが、大別してしまえば生霊状態のほたる、それと自身をオリジナルと称すほたる、こちらもこの2タイプ。そのまま、前者をほたる、後者をオリジナルで進める。

だがどちらも同じ、ほたるなのだ。これだけは先に明言しておく。

 

僕が最初に好きになったほたる。大切な約束をしてくれた彼女だ。

当たり前のようにほたるは、完全な人間ではない。けれど不完全である自身を認めて、他の不完全な全てに対しても、偏った目線から見たりせず、ありのままを受け入れている(オリジナルのみは、自身の死に纏わるもの一切を受け入れなくなってしまっていたが)。

そしてまだ世界を知らない誠に、そういったことを包み隠さず、自分の言葉で伝えてくれた。僕は惚れた。どうしようもないよね。

 

オリジナルとは逆に、1週間で消えてゆくほたるたちは、自分の確定した消失を、恐怖しながらも受け入れている。

記憶をなくすヒロインは、よく見る。

生霊を出しちゃうヒロインも、まぁ見る。

今回おもしろかったのは、ほたるがこの合わせ技から生まれていたことだ。

丁寧に張られた伏線で、プレイヤーはほたるが1週間ごとに記憶をなくしていることに、すぐに気がつくことが出来るはずだ。会っているほたるが本体ではないことにも、ある程度えろげ的な物語に触れていれば、珍しいものでもない。

記憶が消えるヒロイン。可哀想である。君は1週間で記憶が消えちゃうフレンズなんだね。そういったヒロインたちは、当然のことながら、どうにかして自身の記憶を次の自身へと引き継ごうとする。キーとなりやすいアイテムは、日記だろうか。

 

さて今回。ほたるもまた、ほたる自身を継いでゆくことになるのであるが、彼女は1週間ごとに存在そのものが消え、生まれ直すのだ。

ほたるの記憶を、ほたるへ。

それは先ほどの自身の記憶を次の自身へ、と同じように見えて、その本質は別物だ。もはや、自身の記憶を他人に譲渡しているといってしまったほうが近いのかもしれない。

ほたるは消える前に、必要な記憶をオリジナルへと渡すことで、次のほたるがそれを継いだ状態で誕生することになる。

 

さてここで、消えていくほたるである。

彼女たちは1週間という決められた時間のなかで、その運命を受け入れながらも、それでも自分だけのなにかが欲しいと願う。

己が在ったという、証明。人間誰しもが意識的に、無意識的に、必ず望んでいるエゴだ。

 

そして、ほたるは恋をした。

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わたしが居た意味。あなたと居た意味。

ほたるの、じゃない。

わたしの、なにか。

 

ほたるは、恋をした自分のことを、オリジナルに多くは語らなくなる。ほたるは自身であるオリジナルの有様を嫌悪しているからだ。もしかしたら、消えるほたるが次のほたると話す時間が与えられていたのなら、ほたるはほたるに、誠とのことを頬を染めながら語ったのかもしれない。

 

ただそれでも、絶対に話さなかったはずのことが、いくつか思い当たる。大きく二種。

ほたるが『これは絶対にわたしだけの記憶』と意識したもの。

また、ほたるが『これは次のほたるのために言わないでおこう』と、あえて隠したもの。

 

前者は、先ほど述べた、決して悪いものではない人間のエゴによるものだ。

『2人で忘れる』ことにした初めてのセックスのあと、事情を知らずとも誠に

 

僕とほたるは、同じだと思うよ。今ここにいる、同じ、ひとつの命だ。

 

と言ってもらえたほたるは、どれほど嬉しかっただろう。あぁ、今でも涙でそ。

 

だがほたるの振る舞いは、そういった面だけでは収まらない。彼女が、次に生まれてくるほたるのことをも、思うことができる子だからだ。

次のほたるもまた、少しでも多くの幸せな時間を過ごせますように。

そんな儚い願いを、ほたるはオリジナルではなく、誠へと託す。伝えない、ということによって。“言霊”の存在する設定が皮肉にすら思える。ほたるが次のほたるへの思いを届ける方法は、口を噤むということしかなかったのだ。

 

猫に餌をやらない、というほたるのエピソードがある。大好きで大好きな猫に、ほたるは餌をやらないのだ。その理由を、対等でいたいから、と彼女は言った。

存在に対する敬意。そして、愛。消えたあとの自分さえ、ほたるのなかには含まれていたのだ。

 

余談だが、このことについて二次創作を書きながら少し思ったことがある。カタカタキーボードを叩きながら、ほたるのモノローグで「鈴夏ちゃん」と打っていたのだが、これがどうにも違和感が消えない。

鈴夏だけSSのために作った呼称表から抜け落ちてしまっていたため、改めて本編をプレイしてみると、ああ、やはりほたるは鈴夏を「鈴夏さん」と呼んでいた。

これに意味があるのかはわからない。けれどほたるは、外見が自身よりだいぶ下回る彼女にも、敬意を払っていたのだと思う。自身と似た境遇でそこに在る鈴夏に。少なくとも彼女のなかでの敬意を示す基準は、年齢だけでは決してないのだろう。

 

こうして愛を振りまくほたるが、愛されないはずはない。けれど呪いを吐くほたるでさえ、僕は最初から最後まで愛してしまっていた。

これは正直、意図されていないエラーだろう。

誠とオリジナルとの初めての対面の折、僕は誠のように、オリジナルに対して怒りを覚えることが出来なかった。本来ならあそこで僕自身もキレて、けれど2周目でだんだんと彼女のことを理解しながら、好きになってゆく。そんな流れのはずだ。

どうしてだろう。

だいぶ前からほとんど真相には気づいていたから? 僕自身が最近怒りという感情を忘れているから? 憐れな状況に怒るに怒れないから?

いくつか思い浮かぶのだが、1番これかなというのは、彼女に対して同情ではなく同感してしまったからなのだろう。

僕も多分、自身が避けられないであろう死を目の前にして、生霊を生みだすことしか出来なかったら、その理不尽さに世界を呪うことになるのだろう。……あんま生きる欲求ないから、多分生霊だす出力はさっぱりで、そのままあっさりぽっくり逝くと思うんだけどね。

そもそもオリジナルだって、ほたるなのだ。

ああいつからこの子は本来のほたるの部分を出してくれるのかな。ただただ楽しみで仕方がなかった。愛おしかった。この傲慢なほたるにおちんちんを舐めさせたい。わくわく!

 

オリジナルのほたるの迎える結末は、当然2つのルートで大きく異なることになる。さて、2つのほたるの話をしたら、2つのルートの話の番だ。手っ取り早く1周目をルート1、2周目で解禁されるほうをルート2で。

 

ルート1。主人公自己犠牲型ビターエンド。

はい、大好物であります。結婚式まで出来たしね。仮初めの結婚式から死地へと向かう流れ、ゼロの使い魔2期今見ても泣けるんですが。

それはおいといて、残されたほたるんである。蛍の舞う花畑で小さな光を左手の薬指に灯して泣く場面は、やはり1番心を打たれたかもしれない。

少し時間を遡り、結婚式の終わり、誠の“言霊”を受けこの先よくないことが起きることを察したほたるは、焦り必死に引き止めようとする。ここから唯一、ほたるは「誠」と愛しい人の名を呼び捨てる。

夫婦となったからか。余裕がなかったか。理由はどうあれ、あの時彼女の心は、全速力で誠へと駆けていった。だからこそ、最も近くへと他のどのほたるよりも早く到達したのだろう。身体は一歩も動けないのが、本当にもう、皮肉なことだ。

そしてほたるは生きてゆく。けれど1人ではなく、きっと生まれてくる誠の子とともに。主人公は退場しながらも、その先の悲しみ以外にもささやかな幸福もあるはずの未来を感じさせるエンドだ。

 

対してルート2。いうてみれば完全無欠のハッピーエンド。

誠がオリジナルをほたるだときちんと認めることが出来た先にたどり着ける、別の答えと結末。

こちらでは大好きなほたると大好きなオリジナルが、ひとつになってくれる。実に愛しやすい。わかりやすい幸せも大好き!

ルート1でも2でも、本当にほたるの声優さんには圧倒された。演じ分けられていた2人のほたるが、1つになる。そして、僕らのほたるは残された。今度は誠とともに日々を生きることを許されて。

こうして生まれたほたるが、存在として劇中で最も難解である。どっからどこまでがどのほたるで、オリジナルの部分はどれくらい残っていて、消えていったはずのほたるも混じっているようで。文字通り、すべてのほたるが1つになっている。

 

さてここまできたところで。

どっちのルートが好きでしょう。

 

うーん、どっちも!

 

そうね。じゃあ、

どっちのほたるが好きでしょう。

 

うーん、どっちも!

 

 

 

 

 

選べるかこんなん!

だから、僕は全部のほたるが大好きなんだと!!

何度言えば!!!

 

プレイし終えて、キレた。

そして、ほたるの幸福を追求するための考察へと飛び込み、誤っているはずの解釈までたどりつくことになるのだ。

 

全ほたるの幸福。

さてどうすればいいだろう。

 

どちらが好き嫌いではなく、前提としては当然ルート2で迎えるエンドだ。最も多くのほたるが残っていて、ほたるは大好きな誠さんと過ごせる。

しかし足りない。ルート1の終わりに泣き叫ぶことになるほたるがいない。あの子も幸せじゃなきゃやだ。

そうだ、すべてのほたるが1つになったのなら、あのほたるも一緒になったってことでいいよね。ルート1が、別の世界線だろうが、ありえないはずの未来だろうが、泡沫の夢だっただろうが、そんなの知らないよ。そこにほたるは居たんだもん。ルート1のほたるも、なかったことにはならないんだ。これは譲らないよ!!

 

以上!!!

 

これで全ほたるははっぴっぴーになりました。

この勢いのままにほたるSSを書き終えて。

あーほんとに、アマツツミ面白かった。

 

久しぶりに、こんなに好きになる子に出会えました。

なかなかここまでトリッキーなキャラでメインを張れるのもそうない気がしますが、シナリオの厚みから言っても、堂々としたパッケージヒロインでした。というかあのパッケージで即買いになったよね、結局。

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こんなやりとりができるのも、ほたるだけ。

てきとーなことばっかり言っているように見えて、その実言葉を大切にする子は、僕はどうしたって何度だって好きになっちまうんだよ。

 

来年の夏、またほたるに会いにこよう。

できたら蛍を見にいって、ほたるを想おう。

実際のところ、ルート1のほたるがルート2のほたるのなかにいなかったとしても、瑣末なことなんだ。

やがてまた結婚式を挙げ、純白のドレスを着た君に、きれい 以外の言葉が出るはずはないのだから。

また会う日を楽しみにして。

ボンボヤージュ、ほたる。

 

 

 

この世界の片隅に

7月17日、月曜日。

月曜日であるがしかし、僕らニートも大手を振って通りを歩ける、素晴らしき赤い日である。

 

去年の今頃は、日曜日も祝日も漆黒に覆い潰されて、納品まであと何日以外の暦の感覚は崩壊していた記憶しかない。倒れた日が半休だ、ちくしょう。

 

そんなことはどうでもよく。少し前に、大学からの友人から

 

「『この世界の片隅に』を見に行かないか」

 

と連絡が入っていた。同じくニート仲間である。しかし来月に就職を控えている分、向こうの方が格上だ。ニート2人の映画鑑賞なんていつでもいいかと思いきや、格上ニートは水曜から新潟で2週間の自動車免許合宿だという。ニート極まってんな。

 

そんなわけで割と日取りは限られている。もっというと、時間帯も1日に1本の上映でかなり絞られる。そもそもBDの発売しているこの映画が、未だに上映しているのかとお思いかもしれないが、

 

映っているのさ! テアトル新宿ならな!

 

かくして、AM9:50スタートというとても若者が映画を見るとは思えない時間に、僕らは映画館に足を運んだのである。

 

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昼夜逆転のままなので、リポDを持って。

 

 

 

そもそもだ。去年散々騒がれていた映画だ。

当然アニメ業界人なら見ていて当然、な気はする。が、お恥ずかしながら機を逸し続けもう円盤レンタル始まったらでいいやとか思っていた作品の1つであったのだけれど。

 

それなりには楽しみにしていたもので、いざ見るときには鮮度ぴちぴちを味わおうと、できる限り一切の情報を遮断し続けていた。結果、画面に戦艦大和が映り込むまで、終戦直前を描いた物語だと気づかなかったレベルである。

 

(ちょいちょいテロップで「20年」とか出てくるけど1920年てことか? じゃあ戦争が終わる頃には可愛らしいすずさんもいいお歳か)

 

あぁ恥ずかしい。というか日本史至上主義者に見つかったら命が危ない。

 

勿論、戦時の日常を描いた作品であることくらいは知っていた。だからこそのリポDだ。寝不足で見るには危険と判断したからの元気剤だ。おまけに2時間強。欠伸を噛み殺しながら完走できれば御の字。そう思っていた。

 

あぁ恥ずかしい。杞憂この上なかった。

 

無駄に前置いたけれど、残念ながら中身のあるレビューや批評を書くようなブログでは、ない!

 

というかそんなもの書けない!

 

アニメちょっと作った近い過去があろうが、作画や演出面からアニメを語る能力がない! というかそもそもその気がない!

 

というか散々語られている作品のはずなので、今更僕ごときに何か実りのあるものが書けるはずもない。

なのでぽつぽつと、感じたことだけ。

 

最初に引き込まれたのは、冒頭で船を降りたすずが、風呂敷を背負い直すシーン。なんだ、この芝居は。とりあえずアニメで見かけたことはない。ちょっと調べただけで、まんまここに関する記事が、やっぱり存在していた。おもしろい内容なので、もしこんなところに迷い込んできた人がいたなら、こっちを読んでみて欲しい。

 

https://magazine.manba.co.jp/2017/05/12/hosoma-konosekai17/

 

確か次に特に惹かれたのが、スイカを届けに行く場面の、大潮の海の背景だったように思う。なんでかはよくわからないので、またそのうちにBDを見返したら理由までわかるのだろうか。

 

退屈とは。

 

そんなものを一切感じるスペースがない、カットの密度の高さである。

 

序盤でごりごり引き込まれ、1つ1つの情報を追いつかない速度で拾っているうちに、エンドロールが流れていた。本当に、なんだったんだあれ。

 

後からちょっと気になったのは、俯瞰で爆弾が落ちてゆくカット、あれだけ3DCGを使っていたんじゃないかとちょっと調べたら、そんなことはないらしく。手描きセルかあれ。こだわりの域だなもはや。

 

CGといえば、それこそ戦艦大和。本作だと、これも手描きだ。ほんともう、こだわりの域でしかない。だからこそあの映画のなかで、大和が呼吸をしていた。生きていた。

 

生きていた、ってなんだろ。いや、実際そう感じてしまったから仕方ないのだけど。

 

前評判で、リアルな描写とかが注目されているのは聞いていた。ただなんか、個人的にはリアルというより、ニュアンス的には生きている、という感覚を強く受けた。

 

例えばそれは、全編を通して、挟まれる小さな笑いからだったり。話が進み戦況が悪化してゆくにつれて、どうしたって雰囲気はシリアスで重くなってゆく。それでも、小ネタとして笑いが挟まれる。登場人物が笑う。観客も笑う。多分生きてるって、そういうもんだ。例え僕が明日から借金10億を背負ってどん底の生活を始めたとしても、道端の看板に「おちんちん」と書いてあったらどうしようもなく吹き出すだろうさ。

 

例えばそれは、無残に破壊されてゆく背景だったり。いやはや、美術も実に綺麗で繊細だった。草花どころか、土や水まで生きているようだ。それが、空襲で吹き飛んでゆく。「生きている」が理不尽に「生きていた」に変わって、けれどその跡に、生を感じてしまう。

 

例えばそれは、セルの動きや声の芝居だったり。 のんさんの演技なんてもはや言うまでもなく。人以外も、煙とかやたらと膨らんだご飯とか、丁寧すぎて目眩がする。

 

確かに、リアルなんだろう。けれど、戦争の時代を知らない僕らにとって、正直遠く知らない時代や場所なんて、フィクションよりフィクションだ。異世界の方がまだわかりやすい、指輪物語がだいぶ記号化してくれてるかんな!

 

ただそれは、確かに当時現実だったのだろう。戦争の直接の当事者でない世代が、その時代を生きてきた人の声を直接聞きながらつくりだすことが出来る時期も、もう終わりが見えている。

 

そんな今、この世界の片隅でこんなアニメが生まれたことは世間的にも大きな意味を持って当然だと思うし、個人的にもアニメの今後にまだまだ期待を持ってしまった。

 

いやー、劇場で見れてよーかった!

 

はじめまして。

昨日、晴れてニートになりました。

だから、7月16日はニート記念日。

 

今日、ブログを書いてみることにしました。

だから、7月17日はブログ開設記念日。

 

日常なんて、こんな日々の連なりで充分だと思います。なので、書きはじめますね。よろしくお願い致します。

 

 

さあて! さてさて!

なに書こうかな! うーん、特になにもないや! とりあえず、雑記ブログという体で!

 

正直なところ何がしたいかというと、物忘れが激しい僕自身のための備忘録です。

 

一応、僕がどんな人間かといいますと、

 

普通に大学を出て、何をとち狂ったかアニメ業界に飛び込み、制作進行として2年ちょっと、プラスマイナス様々な理由から一旦辞めるかと、果てに現状無職にございます。

 

好きなジャンルは、ゆかりん魔法少女、百合。

趣味は文章の読み書き、アニメや映画鑑賞、音楽に麻雀。そしてものづくり。

 

そんなわけでこの辺りを中心に、いろんなものを消費しながら、しょうもないものを生産する、怠惰な日常を綴りゆくブログになるかと存じます。

 

 

まあこんなんでも。

僕なりに本気で死ぬまでの暇を潰しているので、生み出す何かが誰かの暇つぶしになれば。嬉しく思います。