夢を諦める平均年齢は24歳

平成元年生まれ24歳起業家のブログ。やりたいことをやる人生をあたりまえに。

歩いて歩いて、得られる事。

渋谷で朝まで遊んで、始発が始まる前、銀座まで1時間半歩く事がある。

それだけ歩けば酔いも醒め、明方の街は特に見ていて楽しい物もない。

通行人もいないし、音も少ない、ただ自分だけが歩いている。

 

そうなると必然と対話の相手は自分しかなくなる。

外部の刺激が少ないから、内部に関心が向いていく。

そのうち周囲の景色は思考の背景になり、まだ小さな騒音は気にも留めないBGMになる。

 

目的のない旅行が嫌いで、

あまり観光旅行に行きたいと思う事はないが、

聖地巡礼や、お遍路の類いは興味がある。

到達点や信仰でなく、そのプロセスへの関心なんだろうと思う。

 

何か今の自分を変えたい時、

自分の整理をしたい時、

人は無意識に歩くことを選択しているように思える。

 

一駅前で降りて歩いてみたり、

少し遠回りな道を歩いてみたり。

散歩なども同じだろう。

 

目的地に最短で到達する、という合理性ではなく、

歩くプロセスに期待しているのだと思う。

自分と対話できる時間を日常に創りだして、

頭と体を動かしたくなるものなのだろう。

 

長く歩き終わった後の自分に期待をして、
人は歩き始める。

年を重ねる毎に友達が減る人の、たった一つの特徴

・「変化」を好む  

 

以上。 経験上、これは大きい。

 

関わる人を絶えず変えていきたい、という意味ではない。

変化を厭わず、友人にも変化志向を求めるという事だ。

 

反対を考えてみればわかりやすい。

「変わらぬ安心感」を好まないとでもいうのだろうか。

 

昔と変わらないメンバーでいつもの居酒屋に集まり、

昔話に花を咲かせる。

昔一緒に騒いだ曲をカラオケで歌い、

やっぱりこのメンバーは楽しいねとアピールし合う。

 

これが苦手で大分友達が減った。と思う。

 

「昔」の時点では問題がない。

人と関わる事が嫌いな訳ではないし、気を使わない仲間内であれば、

むしろ一番騒いでいる部類だ。

 

それを現在も将来も続ける事に気持ち悪さがある。

20代半ばで何故、昔の思い出の、昔築いた連帯感の再確認をしなければいけないのか、

それはさっぱりわからない。

 

結果、時間が経っても一緒にいる友人は

それぞれのステージ毎に何かに打ち込み、

再会時に新しい気づきが得られる人に限られてくる。

 

そうでない友人からすると、

前までは輪の中心で盛り上がっていながら、

急に誘いに全く乗らなくなるものだから、

「あいつは変わった」と言われるのが常だ。

 

ありがたいことに、本当に変わっているし、変わろうとしているのだ。

揺らがない軸はあれど、

今の自分に成せない事を目指しているのであれば、変わらないはずがない。

 

年末年始、集まりが多くなるとよくこんなことを考えている。

もっと、今や未来にフォーカスして集まれたら面白いのに。

 

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恩送り

24日、前職でお世話になった方が若くして他界した。

穏やかで魅力的な人柄から、通夜には多くの人が参列し、

小さな会場には駐車場まで列ができた。

 

仏教の通夜は、故人との別れに集まった親しき人々が故人の遺体を取り囲み、

故人の思い出話を通して語り合うという夜のことであるらしい。

 

最近は目の前の忙しさに終われ、立ち止まって考える事があまりなかったが、

参列の待ち時間に、久しぶりに、成果に追われない思考を巡らせた。

 

入社して初めての挫折を味わった営業案件で、相談にのってもらったこと、

上場企業の役員との大事な商談に同席してもらい、助けていただいたこと。

 

自分が今こうして抱く自信は、

多くの方の支えで成り立っているものだった。

一つでもボタンを掛け違えれば、どうなっていたかわからない、

そんな脆いものだった。

 

そんなことに改めて気づいた時、自分にできる事は、

日々の感謝と、未来への還元でしかないのだろうと思う。

 

言葉こそ「独立」だが、多くの人の支えや期待、想いを背負っている。

いただいた数えきれない恩に、自分の人生をかけてレバレッジをかけ、

どれだけ多くの人を幸せにできるか。

 

香典を添えて別れを告げ、

故人の想いを汲んで、各々が次の一歩を踏み出していく。

 

寒空に佇む礼服の列は、そんな恩送りの儀式に見えた。

 

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線路を敷ける器はあるか?

1435mm。

世界の鉄道のレールの60%がこの幅らしい。

 

鉄道の歴史は全く知らないが、一番最初にレールの幅を決めた人は、

ものすごく大きな決断だったのではないかと思う。

 

その幅で車体の幅は制限され、駅のホームの幅も制限される。

敷かれた町の都市計画まで影響しうる。

 

限界はあるにせよ、

その時想定できる将来のイメージを全て考えた上で、

無数に存在するステークホルダーにとっての最適解を模索しなければいけない。

 

大げさだと言われるかもしれないが、

物事の基盤を設計する事は、そういう事だと思う。

 

未来を描き、関わる人の心を慮る想像力

自分を信じ迷わない決断力

目を背けずにできることを全てやる責任感

 

そんな三つを兼ね備えた器の大きさが、

社会を変える人間には必要だと思う。

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ビッグマウスのすゝめ

「口では大阪の城も建つ」

 

そんなことわざがある。

口先だけであれば、どんな立派な事も言える、というたとえだ。

 

そう言われないための対処法は二つ。

今自分ができる範囲のことしか言わないか、

言ってしまった事に自分の行動を追いつかせるか。

 

取ったリスクと対価が比例する典型だ。

 

性格上かなり慎重なタイプなので、

ほとんどの事には必要以上に大口を叩かない。

ただ、本気で勝負をかける事に関しては、

おそらく周りを見ても相当なビッグマウスだと思う。

 

自分を突き動かす要素は人それぞれだが、

私の場合、カッコつけていたいという願望が深層にあるのだと思う。

だからこそ、周りに偉そうに語った事を達成できなかったシーンを想像すると、

本当にぞっとする。めちゃくちゃダサい。言い訳なんかしてたらもっとダサい。

 

そんな恐怖を払拭するように走る事が動機の一部なのは明確だ。

大学受験に合格したときも、

一番最初に感じたのは喜びでなく、悪夢を間逃れた安堵だった。

 

 

人の前で話すと、個人の考えから公の事実に変わる。

何度も話し続けると、周囲もそれに慣れていく。

そのうち自分ではどうにもできない状態ができあがり、

あとはやるかやらないか、になる。

 

すごくシンプルで、とても非情だ。

 

今回の退職・独立にあたっても、

全社の前で大きな事を語り、FBでも大々的に報告した。

大きな勝負だからこそ、恐怖のインセンティブ設計をした。

 

次安堵するときはどんな景色が見えているか楽しみだ。

 

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良いバンドのようなスタートアップ

「スタートアップとバンドは似ている」

 

今日の打ち合わせで出た一言。

たしか孫泰三さんも同じようなことを言っていた。

各々が全く違う音を奏でながら、同じ部分で高揚を感じ、呼吸が重なる。

その感覚が近いのだと言う。

 

サービスや会社のロゴ、コンセプトムービーの作成等、

様々な方面の準備を進めている兼ね合いで、

専門的なスキルをもつ知人に力を借りる事が多い。

 

最終成果物が何であれ、関わる人には毎度背景のストーリーを話し、

全ての活動を貫く思想を共有している。

ついこの前できたばかりのスタートアップだが、

多くの人の想いを背負っている分、譲れないこだわりは強い。

 

そんな、形にするのが難しい文脈を汲んで、

ロゴのデザインや動画のシーンを創っていく中でふと気づく。

 

様々な機能で成り立つチームではあたりまえの事なのだが、

自分たちが掲げた想いを共有した仲間が、

それぞれの強みを生かして表現していくことは、強烈にわくわくするものだ。

 

各々が培ってきた強みを、

missionという共通言語を介して表現する。

自分一人では到底想像もし得ない成果が出て、より一層強固な輪ができる。

 

直近は固定費をかけずにどこまでパフォーマンスをだせるかなので、

フルコミットの社員を積極的に増やす事はしないが、

チームができることが心から楽しみになる経験であった。

 

ちなみに、バンドの醍醐味は呼応する一体感をオーディエンスとも共有できることらしい。

私たちも、ユーザーを含め場を共有する皆が一体感を得る瞬間を創る、

そんなスタートアップでありたい。

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他人のストーリーから見える「自分」

「この人と話していると刺激をうける」

 

幸いにもそんな人が周りに何人かいる。

彼らが持っているエネルギーを分けてもらったり、

自分も感化されて動き出したりと、自分にとって良い作用をもたらす仲間だ。

 

では、なぜ刺激を受けるのだろうか?

おそらく、会話の中で相手のストーリーの追体験をし、

自分と比較しているからではないかと思う。

 

つまり、相手の話を通して自分を見つめ、

生じる差異に対し、憧れ・悔しさ・驚嘆といった感情が

刺激となるのではないだろうか。

 

一見、純粋に相手の話題に関心を抱いているように思えようとも、

その関心の背景には、「自分」がその事象をよく知らない、

想像できないといった背景がある。

 

相手の話をそのまま飲み込むのではなく、

「自分」の経験と照らし合わせて、「自分」の人生と重ねて聞いているのである。

感受性の強い人が相談を受けて涙を流すのも同じような事だ。

 

何をやるかより誰とやるかが大切だと、昔から常々感じる。

その背景には、「自分」と照らし合わせる対象としての他人、

という前提があるのかもしれない。

 

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