浪費家

私は稼ぐのが好きです、1ヶ月ほどほどに頑張って

忙しい時はたくさん頑張って、金をもらっています。

 

んで、それ以上に「お金を使うのが好き」

金って、自分思うんですけど「道具」であって「命」ではない。

 

食べ物を買うために道具を使って、対価を得る。

食べ物の部分はまぁ、ほしいものに変換すればだいたい解決するんですが、

道具を命と錯覚してしまうと、バランスが崩れてお先真っ暗な人生になってしまう。

 

言葉で表すのは難しいんだけども、そう考えてます。

今年の前半部分で正にそのような出来事があって、人って怖いんだなっていう事がありました。

 

毎年1年に1回行われる会社の決算。

頼んでいた税理事務士の新入りさんが大きなミスをしました。

利益の金額を負債の方に計上してしまって、そのまま確認することもなく提出してしまったのです。

 

どういうことかっていうと、帳簿上は

「会社が倒産して無いものと化してる」状態(実際は黒字経営)

 

皆の会社の経営状況がインターネット上に掲載される日

社長は驚いていた、

それ以上に取引先の方たちからも電話が鳴り止まなくてもうナニコレわかんねぇな状態。

もう取引をやめます、とか、仕入れ単価の急な爆上げとか、

本当に今まで親切に丁寧に接してくれていたとこも目の色が変わっていた。(まぁ当然の対応)

実質自分も社員なんで、この情報見た時はやべぇんじゃねーのって思ったし、危ないなー大丈夫かなぁ、とか要らない事も考えていたと思う。

 

それくらいのことを新入りの税理士さんは起こしたのだ。

(当の事務所側は何の反省もなし)

 

今、年末を迎えようとしているがこの訂正をするのに5ヶ月かかった。

当時、社員の自分は打ち込みが得意だからっていう理由で

本社に呼ばれて、触ったこともやったこともない帳簿の整理を任された。

何すればいいの?え?って感じだったけど、この会社には色々とお世話になってるので、頑張りますとだけ答えた。

この時は不思議なもので、金よりも会社への(社長への?)気持ちが勝った。

 

税理士も急いで事務所毎変えて、有名でお高いところに任せることになった。

ここばかりはやはり、金が物を言うのか・・まぁ他人だし。

自分でも分かるレベルで税理士さんが丁寧に話をしてくれて、

会社は大丈夫です、安心して下さいねって言われてホッとしたのを覚えている。

反省なしの税理事務所もどうかと思ったが、腹は立たなかった。

必死でそれどころじゃなかったのもあったし、怒ってもしょうがないと思えたからだ。

 

書いてて気分が悪くなるレベルで、いろんなことがあったし、

人ってお金ひとつでこうも変わるんだなって恐ろしく感じた。

誤解を解くのに社長や上司も付き合い先へ頭を下げに行って、

 

なんとか決算も5ヶ月分をやりなおして、元の正しいあるべき会社の姿を取り戻すことが出来た。

 

たくさんの人に迷惑をかけたし、また、手助けもしてもらった。

この恩は決して忘れては行けないと思うし良い経験になった。

 

その間、付き合い先と対話をする機会が結構あって

金の事しか言わない所もあれば、

こちらの内情を理解して心配してくれる所もあった。

面白いことに、付き合いの長さで上下に別れていた。

 

いや・・すげぇな

社長が口癖のように言ってた「会社は、繋がりで活きる」

って意味を改めて感じ直した瞬間でもあった。

 

自分としては、ほんと最近、数年前からなんだけども

考え方を変えている

お金は「道具」であって「命」ではない。

何事にも、生きていくには金がかかる

人と付き合うのにも金がかかる

でも、金は道具だ。命じゃない。

例えば、長らく会っていなかった友人と会う

喜んで私はお金を払う、人と人を再び繋ぎ止めてくれる

素晴らしい「道具」

 

道具で人を買うことは出来ないが、繋ぎ止める事は出来る。

築いていくことも無論だ。

 

食べに行く、飲みに行くってのは「人と仲良くなる」為の身近なコミュニケーションツール。

最近の若い人は云々って話をよく見るが、本当にそうなのか?って位飲み食いは誘って誘い合って会社の人と行きまくっている。

世論に流されちゃダメ、自分を信じろ、自分と周りが今の情報の全てだ!的な・・そんな感じで良い。

 

 

  

仕事的な面ではちょっとだけ成長出来たかな?って感じで、

人間的な面ではあまり変わんねぇじゃねぇか!って感じの1年でした。

 

 

来年は、何かいい事が言える1年にしたいですね。

 

ではでは良いお年を

ネットと現実 友達の作り方、付き合い方。

友達を中々作れないのはなぜか・・

それは「話しかける勇気」が「現実では発揮されない」為であると考えられます。

 

ネットと現実で友達が作れる、作りづらいの違いは何なのでしょうか

個人的な見解をここに記します。

 

ネットでの付き合いというのは、現実で会うことはまずありません。

自分の好きな趣味で話し合う事のできる「サークル仲間」みたいなものです。

なので、数撃ちゃ当たる戦法で話しかけていけば気の合う人はすぐに見つかりますし、

疎遠になればあっという間に消えてしまう・・そういうものだと思っているので

「気楽に」「失敗を恐れること無く」アタック出来るのが強みです。

このおかげで私も、遊ぶ上で何の気なしに話し合える

「かけがえのない友達」を作る事ができました。

 

現実も簡単そうに見えますよね、違います。

 

現実は違います。

 

まず文章ではなく顔が見えます、言葉が聞こえます。修正が効きません。

常に世間の目を気にして「見本となる大人でいよう」という潜在意識が働きます。

その為、妙にかしこまってしまって安全と平静を保つようになりがちです。

結果、安全を保つ為に話す勇気も一緒に捨ててしまっていていつの間にか

「友達の作り方」の基本である「話題作り、挨拶」等の人間味を次第に欠落し

失っていってしまい、孤独と寂しさを感じてしまう悪循環に陥ってしまうのです。

 

実際私がそうですし、関係が回復した今もこの根底は変わりません。

 

幸い、この事に自分で気づいてから嫌でも人付き合いをする、

血反吐を吐いてもの精神でやり始めたことも有り、

今はなんとか部署で孤立すること無く

同僚の愚痴を聞いたり、特に私は知識もないのに相談されたり、

上司と言い合いという名の意見交換をしたりだとか・・まぁ人間関係なんて面倒くさいものだと

自覚しているので、苦にはならないでやれています。

 

こうなるようにするには簡単だけど難しいたったひとつのことを念頭に置いて生活すれば大丈夫です。

 

「愚痴を言わない、他人を悪く言わない」

 

基本的に会社の人間は、皆信用していませんので

私から愚痴をこぼしたり、悪く言ったりなんてことはしません。

だって最終的に言ったことやったことは、全部自分に返ってきますので。

 

これは実体験ですが、学生時代

友達の取捨選択なんていう傲慢な事をしていた時期が私にもありました。

この子はもう友達じゃないから とか あいつは~だからなんて事を言うつまらない毎日。

その結果、孤立してしまったんですよ。

当たり前ですね、当時はわからなかったんです。怖いことに。

 

まさにやったことは形になってちゃんと帰ってくる「因果応報」という理論です。

気づいた時にはもう遅くて、ああなんて馬鹿なことをしたんだろうって後悔しましたね・・。

 

つまりその逆の考え方、良いことをすればするほど、我慢すればするほど

形になって見返りは返ってくるんです、大きさの大小違いはあれど・・ちゃんとね。

その考え方になってからは、悪いことは極力言わないようにしようと心がけて生きています。

 

言葉は刃物なんでね、言ったことは本当に戻らないんで。

 

こんな感じで仕事面での付き合いはまぁ上々なわけです、問題はプライベート面。

学生時代から交流のある友達が私には2人居ます。

 

中学時代から連絡を取り合っているYSくん、彼はpcオタクでした。

当時流行っていた「もなちゃと」で、偶然にも仲良くなったのが同じ学校のYSくんだったということもあって、すぐに仲良くなりました。

卒業後彼は高校に行かず、行方不明になったのですが・・大学でまた運命的にも一緒の学部になって再会してしまい、ああこの子との縁は大切にしたいな。と初めて思えた人でありました。

 

もう一人は高校時代から連絡を取り合っているAYくん。

彼は私がゲーム好きという事を知り、向こうから「ネトゲ」という未知の存在を教えてくれた大切な人であります。

今でも忘れませんね、「お前ネトゲ知らないの?人生損してるよまじで」

このパワーワード

それから初めてやったネトゲがまた楽しかったですね~~

アラド戦記」これをその友達と学校終わりにネットカフェに直行してはptを組んでギルドを作って3年間運営していたりしました。

今でも忘れられない、大切な思い出になっています。

彼とは最近連絡取れていません、仕事が忙しいみたいなんで・・落ち着いたときにでも会ってカフェと洒落込みたいものです。

 

後は上辺のお付き合いですが、たくさんいらっしゃいます。(と言っても9人程だけど)

彼らもまた大切な存在です、相談したりはしませんが・・飲みの席でワイワイ騒げる楽しい方たちです。

現実でこれだけ、私を知ってくれている人が居るだけで十分なので、

 

ネットにまでリアルの出会いは求めない生き方をしています。

そうですね、リアルの方たちは上の2人の親友とも呼べる友達以外でゲームはしない人ばかりなので、

ツイッターを介して、ゲーム友達を作りたいと思ってはじめてからは・・

やっているゲームや興味のあるジャンルの繋がりを広げていくことに楽しみを感じて、

現実とは違った付き合い方というのに魅力を感じていますね。

 

再度書きますが、おかげでいい仲間にも会えました。

彼らもまた大切な存在であるのは確かです。ありがとう。

 

まぁ両者、これからもよろしくって感じです。

人は誰かと話さないと、頼らないとダメになっちゃう生き物なんで、

一人で生きている、生きていくなんて思わないようにしたいものですね。

楽しいとやりたいは違う

楽しいと思える気持ちと、やりたいと思う気持ちは全くの別物である。

楽しいと思えるような色々な事だって実は、

その大部分が「楽しいと思わなければやってられない」という感情の裏返しである事が多い。

 

逆に、やりたいと思う気持ちは「楽しいを見つけたい」事からはじまり、それがやがてやりがいにも経験にも変わってくる。

 

感情の向かう先も、性質も

2つは似て非なる別物なのだ。

 

糸冬

Steamレビューマン

あなたは、Steamレビューマンを知っているだろうか?

彼らは、Steamという媒体を介して蔓延る無数のインディーズゲームを

いち早く見分け、実際にプレイした上で、

購入を迷っているユーザー達の心に、自分の言葉で訴えかける事を生業とした

頑強な兵士達なのである。

 

このゲーム・・買いたいけど日本語サポートはされていない・・

どうしよう・・迷うなぁ・・・・

 

”あっ”

 

これは・・この文字はもしかして・・・レビュー!?!?!?!?!?

かつての先人たちが残してくれた・・貴重な財産じゃないか・・・

ありがとう・・ありがとう・・

 

ーーーーーーーーーこうしてSteamレビューマンは

           人に感謝の心を思い出させてくれている。

 

中にはレビューになっていないレビューもあるだろう。

しかし、ひとえに「書く」という行為は決して容易いものではないのだ。

普通の人なら「面倒だしいいか」で終わり。

 

終わりなのである

 

しかし短文でも良い・・・

レビューを書いて投稿してくれた先人達の存在は

今後新天地を彷徨い、途方にくれているユーザーたちに

希望の光を与えてくれるのだ。

 

そこには確かに、人のことを思いやる気持ちが生まれている

ゲームを通じて、人と人は簡単に結ばれるのだ。

美しいと思わないか?

 

Steamレビューマンの行いを知った私は、ついに昨日レビューに手を出した。

自分自身、細心の注意を払い、なおかつ先人たちに敬意を表しながら、書いた。

そして出来上がったレビューを、再度自分で確認して読む。

・・・よし、いける。これなら、ユーザーに見せても参考になるはずだ。

投稿を押して、次の日。

 

私のレビューは2人が評価し、その2人とも参考になった と押してくれていた。

それを見た時の、嬉しさと行ったらもう・・・言葉に出来ないものがあった。

 

でも、レビューは苦労して書いたわけではない。

本当に好きなゲームを、全面的にプッシュしつつ、改善点を交えて書いたのだけど、

これがどうにも面白くて、楽しかった。

元から長文を書くのが好きだった事も相まって、あっという間に書き上げてしまっていた。

 

こんなことなら、私も早い内にSteamレビューマンになっておけば良かったと思った。

 

んもう!

 

・・・・

 

というわけで、面白いオンラインゲームに出会うまでは

Steamレビューマンの一員となり、私はネットの波をかき分けて行きたいと思います。

一人でも多くのユーザーに参考になる文章を提供し、

インディーズゲーム界隈を盛り上げていくために!!!

 

 

こうしてまた一人、荒れ狂うインディーズゲームの波を渡りながら

一人のSteamレビューマンが誕生した。

きっかけはやはり、先人達のレビューなのである。

人と人は、いつだってつながっていけるのだ。

これを読んでいる貴方もまた、Steamレビューマンになる日が

いずれは来るかもしれない。

その時はただただ、本当に楽しいものをレビューして

ネットの波を彷徨う旅人 達の光、道標になって欲しいと思う。

 

 

ーSteamレビューマン ー

     糸冬

日本はダメだなって言う人、賛同する人。

このツイートがRTされてバズる度に毎回思います。

 

「この人達、相手の良いとこだけ見て評価しつつ、

    それに対する自分のとこは悪いとこしか見れていない」

 

あぁ、貧しい世界観だなと。

 

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最近ではコレですね。

よく回ってくる比較ネタです。

まず、こんだけ分析できてるんならこれ会社に出して打診してみろよって話ですよ。

 

日本は~だからダメって言う人は、その不満を会社に伝えて、それが改善されるまで続けたほうが良い。

(私が見てきた中では言わずに溜め込んで体調崩して辞めるってパターンが多いので)


それで改善されなくて人間関係が悪化したり、クビにされたりしたら地力の無い会社だったってだけで、次を探せばいいんです。

実際仕事が無いなんてことは無い

その人自身が仕事を選り好んで見つけているから、見つからないだけです。

 

置かれた環境を変えられるのは何時だって自分から発信出来るか否か、これにかかっていると私は思う。

その事に気づいたほうが

愚痴言ってた頃よりは確実に幸せになれると断言出来ます。

 

もっと自分で考えて、

自分の意志をはっきりさせていったほうがいい。

同調するだけの生き方は本当に楽だけど、自分の意志を持った生き方は楽ではなくとも本当に後悔が残らないのでおすすめです。

後、うまくいったとき、心の底から笑えるし泣ける。

 

ま、元は私も愚痴を言っては他者を見下して喜んでた人種ですし、

このような考え方を教えてくれたのは今の会社の先輩なんですけどね。

 

人は人と、必ずどこかで関わりを持ち続けていないと、驚くほど簡単に壊れてしまうんです。

 

今の先輩に感謝すると共に、

このような考えを持っている人は

今からでも間に合います、意識を改革していってほしいと思います。

 

最後に一言。

Steamのフレンドになってください。

 

終わり。

 

 

Steamゲーをプレイする日々

ソシャゲも一通りやって、単純に飽きてしまった。

今本当にソシャゲで面白いと思えるアプリが・・・無い!

2ヶ月位前からこんな感じで、ソシャゲやってみるもののドハマリとまではいかなくて

すぐ辞めて別のをやるって感じで過ごしてました。

 

しかしそんな私にも転機が・・!

そう、インディーズゲームを扱う大手サイト「Steam」の存在です。

今まで外国語が主流のSteamは敬遠していましたが、彼にはいいトコが結構あるんです。

 

★ソフト1本辺りのコストが安い、買い切り型なので課金の必要が殆ど無い

★オンライン要素を含む物が存外に多い

★セールで半額以下なんていう事もある

 

んで、気がついたらここのとこSteamのゲームばかりやっていました。

PUBGにはじまり、Dead Cells、Rabi-ribi、最近ではRed Obsidian Remnant、UnderTale・・!

 

毎日がここのとこ楽しいなって感じてます。

家に帰ったら今はRed Obsidian Remnantやってるんですが、ハスクラはやっぱ楽しいですね。

UnderTaleはGルートまでやりました。

N→Gって感じです。 Pルートはやる気が起きなかったのでやってません()

トリエルを殺してしまった時は結構心にくるものがあって、パピルスは後々じわじわとつらい気持ちが来る感じ。

でも一番心に来たのは、Nルートのアンダインですかね。あの散り方・・・良い!

もうかっこ良すぎ・・Undertaleは総じて音楽も良いので迷わずサントラも買っちゃいました。

Gルートに入ると、主人公が異様なまでの強さを手に入れるので楽しかったです。

まぁ相手も滅茶苦茶強いのが数人居ましたが、白熱したプレイが楽しめて良かったですね。

サンズとか何度死んだかわからないくらいの強敵でした。

 

これからもSteamゲーを楽しむぞ~~~

どういう人で在りたいか

私は時々ふっと思うことがある

自分は、自分の居る今の立ち位置は

社会的に見て、どういう場所に居るのだろう と。

 

仕事。

自分としての評価は可もなく不可もなく、

言われたことはもちろん、言われるであろうことを早めに済ましておけば基本何も言われることはない。大抵の人は上辺の猫かぶりの、猫の部分しか見てないのだから。

一年か二年で部署を変えて全く違う業種の仕事をやらされることになるウチの会社は、基本何事にも動じず与えられた課題をこなしていく強さが必要だ。

本当に色んな事を経験するし、人間関係も時に面倒な事になったりすることもある。

実際この会社に入った時、数ヶ月して初めの異動が行われた。というのも

社長が自ら出向いてきて、「君は、どういう人で在りたいか」と聞かれた。

若かった私は、最初質問の意図が分からずに「お金を人並みにもらえたら、なんでもいいです」って言ってしまった。仮にも社長の前でだ・・。

 

そして異動となるのだが、行き先は高層ビルの・・清掃員。

ドラマとかで見るイメージとはかけ離れていて衝撃を受けた。

下っ端ってこんなことするんだ・・と驚いたのもあるし、

社長と話したという噂だけが広まり、小さないじめにもあったのだ。

数ヶ月で異動・・派遣みたいなもんかな?ってその時は思っていたし、

この小さないじめも学生時代の出来事に比べると可愛いものだったから特に気にすることもなく。

人間関係も改善しないまま月日は流れ、1年が過ぎた。

4月・・新入社員が新たに入ってくる時期だ。

私にも初めて「後輩」というものが出来た。

その頃の私は「低給」の「サビ残」生活をしていたので他人に構う余裕は全くといっていいほど無かった。

・・・いや、実際の所「なんで俺がそこまでしないといけないんだ」って気持ちしかなくて、教える気持ちはハナからなかったのだろう。

生きてるだけで本当に精一杯だったのだ。

それを証明するのには、現場を見れば明らか。

 

私と一緒に入った同期はもう一人もいなくて、

眼の色を失った先輩方数名(毎日博打や違法すれすれの話しかしない)と私、そしてまだ希望に満ち溢れていて元気一杯の後輩・・という異質な雰囲気だったからだ。

この後輩ちゃんも、きっと長くは持たないだろうなと思って最初は相手にしなかった。

本当に酷い奴だと思う。この時は自分の心を保つので精一杯だった。

それでも、後輩は元気であの時私がイヤイヤやっていた業務をスピーディに終わらせていく。

その姿を見ている内、

「あぁ、こいつはこんな場所にいるのがもったいない位凄いやつだ」

と思えるようになってしまい、その日から急に自分でも驚くほどに

後輩に丁寧に、私の知っている技や知識を教えていた。

その日は今でも忘れられないくらい、心が晴れやかでスーッとなにかが抜けて消えていくのを感じていて、社宅に帰って涙を流した。

 

後輩ちゃんと話すようになって、それまで見えていたつまらない世界というのが違って見えてくるようになった。

何をするにも、不思議と楽しいと思えてしまうのだ。

雇用の待遇は改善しないままなのだが、それでも・・まぁ、いいかなって思えてしまう。

不思議でしかなくて、私もついに壊れてしまったのだろうかと考えてしまうほど社会を憎まなくなっていた。

 

後輩は偉大だった。

どんな仕事でも「元気に」「明るく」こなしてしまうし、

愚痴ることもなく、遊ぶこともない(飲みに誘っても行かなかった)

仕事が終わるといつもすぐに帰ってしまって、仕事以外の後輩を私はずっと知らないでいた。

正直、少しずつ後輩のことが気になっていたし、もっと仲良くなりたい。

そう思うようになってしまっていて、自分でも歯止めが効かなくなっていたのだろう。

ある日、後輩に「なんでこの職場に来たの?」ってシンプルに聞いてみた。

理由は思ってるよりも簡単で、それでいて凄まじいものだった。

「私、学がなくて・・ここしか内定もらえなかったんですよ。それに、入院している弟の病院。すぐそこなので丁度いいかなって」

えっ、この給料でやっていけてるの?って聞こうと思ったけど、辞めた。

やっていける筈がないってもう、自分でも分かる事だったし・・。

「そうなんだ」としか言えなかった。

ことなかれ主義 というやつだ。

後輩は察したのか、無理して明るく振る舞っていた

「気にすることないですよ、私はここで働けて幸せなんです」

そのあと適当に話してその場の話は終わった。

正直、納得行かなかった

こんなにも頑張っている後輩が、この部署にいて良い訳がない

彼は病院で弟の面倒も見ているのに、この給料でやっていけるはずもないんだ。

私に仕事のやりがいを与えてくれた後輩のために、何かしたくて・・その日の就業後急いで着替えて人事部長を訪ねた。

人事部長とは面接で会って以来だったのだが、相手は私を覚えてくれていた

「何かありましたか?」と優しく語りかけてくれた人事部長を前にして

私は後輩の置かれた状況、そして勤続態度等を話して、彼をもっと評価してやってはくれないかと頼んだ。

 

人事部長は驚くほど簡単に頷いてしまった

「まだ9月だ。この時期は中途採用なんてのもやっていてね、彼をこの枠で入れられるよう、考えてみよう。努力は彼次第とだけ伝えておいてくれ。」

 

私はただただ感謝するしかなくて、ありがとうございますと何度も言っていたような気がする。

後輩はそれだけのことを私にしてくれたのだから、当然のことなのだが。

 

それから次の日、後輩に説明して、応援した。

彼は戸惑っているように見えたが、やはり嬉しそうだった。

「先輩とお別れになるんですね」と泣いていた。

ももらい泣きしてしまった。

 

数日後、後輩の居なくなった職場を見た日

光が失われたのを感じたが、後輩に会う前と会った後では、

また違った世界が見えていた。

 

仕事がつまらなくないのだ。

それだけでまだ私は頑張れると、そう思った。

 

次の年、4月になる少し前に知らない番号から電話が来た

「もしもし、○○ですが、元気にやっていますか?」

声の主は驚くことに、社長だった。

元気にやっています。この仕事を紹介していただき、ありがとうございました。

とだけお礼を言ったのだが、ここからまた社長が以外な事を言う。

「清掃業は慣れたみたいだね、それじゃ今年から君は別のところにいってもらうよ」

 

4月。

何故か私は入社当時に居た支店という場所ではなく「本社」に戻された

清掃業は本社ビルを清掃する「サブ」の立場であるのに対し、

本社は「メイン」だ。

社長のこの人事の意図ははっきり言ってわからなかった。

でも、どんな仕事でも頑張ろうと思えていた。

 

新入社員に向けた、社長のスピーチが始まる

会社の経営理念だの、色々と聞かされ、復唱させられた。

会社の手帳というのがあって、そこに社訓がびっしり書かれているのだ。

本社の人間はこれを丸暗記しないといけないらしく、中高年の方たちは手帳を見ること無くスラスラと復唱していた。

これが「社会」か・・正直美しいとこの時は思った。

 

人と人が無駄な衝突を避ける為に構築された「規則」という見えないモノに縛られて、

無意識の内に大衆が綺麗に並んでいて、管理される。

一人ひとりが監視し合い、自分で自分を律するというのか・・高貴な雰囲気ができあがっていたのだ。

 

正直私は場違いなんじゃないかって思ったのだけど、

新入社員みたいなものだしいいか、これから頑張ろうと軽く考え直していた。

気づかない内に後輩からもらったポジティブを身に着けていたのかもしれない。

 

私は営業部署に回された。

最低~件はもってこいなんて体育会系みたいな人に言われて、

頑張るか―!と奮起してがむしゃらにやっていった。

結果、初月「0件」

がむしゃらにやるだけではやっぱりダメなのだ。漫画みたいにはいかない。

世間は思ったよりももっと冷え切っていたのだ。

次の月「0件」

無能!と言われてたたかれまくった。

肉体的に痛くはなかったのだけど、心が痛かった。

だってみんな、最低1件とかは取ってきてたんです。

私はトークスキルないし、突っ込む勇気なんてのも中々湧かない人なので

かなりこの時は苦労しました。

次の月も「0」

ついに1件も取っていないのは私だけという状況になり、同期からも冷たい目で見られるようになりました。

 

私には向いてないんじゃないかと思って、人事部長ではなく社内のカウンセラーに相談してみました。

これが驚くほど親身になって聞いてくれるので、思わず愚痴ってしまう始末。

ハッと我に返り、謝ったのですが「いいんですよ、皆悩みを抱えているので我慢しないでください」と笑顔で答えてくれて、なんだか次の日も頑張れそうな気がしてしまった。

 

そして次の月・・

「0」

あぁ。

ダメだ、うん、単純にこの部署向いてないわ。

人間頑張ってダメなこともあるんだ・・そうだ、きっとそうだ。

自分を正当化するのがやっとだった。それくらいこの時は精神的にキていたのだと思う。

 

それを見かねた上司が、それまでキツかったあの上司が

なんと、部署変えを勧めてくれた。

上司ってやっぱり、見る目がある人が多いのかな。

心を見透かされた気分だった。

 

部署が変わって、この営業部を去る時に上司からひとつ聞かれた

「君は、どういう人で在りたい?」

あっ・・・これだ。

すべてここから私の社会ははじまったんだ。

私は決意を固めて、今度は真剣に答えた

「どのような仕事でも全力を出す人で在りたいです。無理な時やきつい時は、誰かに素直に頼れる人にもなりたいです」

上司は心なしか満足そうだった。

「そうか、がんばれよ」

そう言って、上司から季節外れの卒業証書をもらった。

 

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何故か昔の事を急に書きたくなって書いてしまいました。

今はまた違う部署で頑張っていますが、こんなに良い経験出来たのは

清掃と営業の2つくらいですかね。

今はもう歳とってるので、私も大衆の一人、とるに足らない存在になってしまったように思います。

でも、この経験はずっと忘れないし、これからも宝物として持ち歩いて行こうと思います。