この旅を始めようと思った理由
私の旅の構想は、この本が始まり。
この本というより、本になる前のアルバムとスケッチ。
それを見せていただいた時から、スイスなどのヨーロッパへの憧れが芽生えた、という感じ。
著者は、私が通っていたお料理教室の先生。
娘さんがドイツの方と結婚して、スイスに住んでいたため、毎年スイスを訪れていらっしゃいました。
教室が終わったあとにアルバムを見せて下さって、楽しくおしゃべりしたことも思い出です。
私が重い病気をしたときに、大切な家族の思い出の詰まったアルバムとスケッチブックを全部貸してくれて
「これでも読んだらどう?」
って。
どれだけ思いやり深い方なんだろうと、今でも感謝しかありません。
先生の夏休みは、毎年、2週間ほど貸別荘を借り切って、家族全員で過ごすというもの。スイスだったり、ドイツだったり、時にはフランス。
その土地で生活するような過ごし方です。
そこで、お寿司を作って振る舞ったり、現地のお料理を覚えてきて私たちに教えてくださったり。
そして、晩年お料理教室もできなくなってから、このアルバムとスケッチブックを本にすることを、何気なく先生に勧めました。
そうしたら、本当にできてしまったのがこの本。
この中には先生の思い出も、先生と私との思い出も詰まっています。
先生、私も行ってきましたよ、スイスへ。
秋分の日に寄せて、報告したいと思います。
そして、もう一度読み返してみたいと思いました。
最終日、自動車工場見学
ボローニャ最後のイベントは、イタリアツアー初日のご夫婦と一緒にモデナの自動車工場へ行ってきました。
昔は車も好きだったことを覚えていてくれて、特別に見学できることになったから一緒にどうですか?と誘っていただきました。
庶民の私からしたら、一生ご縁のない話。
そのために、日程を少し延ばしたくらい貴重な体験です。
工場内はカメラ禁止なので、現地の写真はなしです。
通訳さんも手配されていて、万全の体制。
最初は、レーンに乗って作業している場所に案内されました。とはいえ、日本では大変な高級車。
その奥は、普通の見学者は入れないゾーンということで、それはそれは見たことのない超高級車、スポーツカーが作られていました。作るというより造る、という感じです。機械のことはよくわからないのですが、シートに使われる皮があらゆる美しい色に染め上げられて吊るされています。
お客様のリクエストに合わせてオーダーメイドするらしいです。少しでも色ムラや傷のある部分は使わず、完璧な部分だけを製品にしているということ。
働いている方も、ひとりひとりが職人。
完璧なものを作り出す工房のようでした。
私には高級という言葉の意味さえもわかりませんが、そこに漂う造り手の想いが伝わってくる空間だったことは間違いないと思います。
イタリアでは散々なことも多かったですが、其処此処に脈々と伝わる芸術性みたいなものが食や物に伝えられてきている場面を目にしました。まさに、ここもそう。
とても、貴重な体験でした。
めざせ!チヴィタディバニョレージョ
ローマを後に、オルビエトまでローカル線で向かいます。
フィレンツェ行きに乗り、約1時間半。
2時半のバスに乗れば、間に合うはすでした。
でした、というのは、結果間に合わなかったからです。
旅の情報はネットの情報を参考にしているのですが、情報は変わっていくので古くなっていることも。
オルビエートの駅からはケーブルカーが街までつなかっています。ケーブルカー駅の横に観光案内所のような場所があったのて聞いてみましたが、「ここは観光案内所じゃないよ」と。それでは、ともかくホテルに荷物を預けて、ホテルで確認しようと街の中心部まで石畳の道を登っていきます。
観光地では、現地に入って確認すればわかることがほとんどなのですが、チヴィタについてはホテルの方も行き方はわからないと、観光案内所を教えてくれました。
ネットで確認したバス停は、オルビエートの街の中心の教会前。なので、間に合うと思ったのが大きな間違い。観光案内所で確認すると町外れにバス停は移動したということです。バスの時間までは20分。地図をもらいましたが、方向がわかりません。とにかく、そちらの方と思われる場所を目指して走りました。
しかし、どうやら反対方向のようてした。
翌日、電車でお会いした日本人ご夫婦はチヴィタに行けたとのこと。バス乗り場を確認すると、なんとケーブルカーの広場だったそうです。
荷物を持って街まで行かなければよかった…。そうしたら、バスには乗れていたのに、と少し後悔。
しかし、現在はまた場所が変わっていて、ケーブルカー駅ではなく、オルビエートの駅前からバスは出ているようです。
イタリアでは、バス停は予告なく変更されていることもあるので、気をつけなければなりません。
オルビエートの街も岸壁の上にある小さな街です。
観光客も少なく、あまり外から人が来るのを好まないのかもしれません。
かといって、日本人が嫌いと言うことでもなさそう
田舎町の素敵なホテル
オルビエートの駅
場所はJOEキャプテンのフライトで確認できましたので、今度は間違いなく行けると思います。
ローマから日帰りでも行けるので、次は絶対に行きます。
ローマ4日目 ポンペイツアー
4日目はポンペイです。
ポンペイって、子どもの頃、何かの本で読んで衝撃的だったんです。一瞬で町が埋まり、人の形そのままが遺跡で残っているなんて。怖くて、その写真があるページは飛ばして見ていました。
本で見たその場所に行ける時代になったのだから、そこは行って見たいと、ローマから足を延ばすことに。
ローマ以南は治安が良くないと聞いていたので、今回は電車ではなくバスツアーにしました。あいにく日本語ツアーがなかったので、英語ツアーです。
朝6時に地下鉄フラミリオ駅に集合。
始発に近い時間に乗ったので、駅には人もおらず、逆に怖かった記憶があります。
待っていると、ツアー会社の人も来て人も集まり、ほとんど満員で出発。
もちろん、日本人、アジア人は私ひとり。
また、時間間違えて置いていかれないように気をつけないといけないです。
バスは渋滞することもなく、途中トイレとコーヒー休憩をはさみながらポンペイに到着。車窓からはナポリの街も見えました。
このツアーは現地に4時間滞在し、秘儀荘観光も含むツアーです。
ポンペイは観光地となっており、例にもれず駐車場にはお土産屋さんがすらっと並んでいました。
そこからガイドさんと一緒に途中まで周ります。やはり、英語とはいえ、解説があるとより理解できて、何倍にも楽しさは増します。
町外れにある円形競技場
真ん中を水が流れるようになっている道
パン焼き釜
秘儀荘
ヴォスヴィオス山のふもとに広がる町の景色は、想像していたのと違って、人々の生活の息吹そのものを閉じ込めたかのような空間でした。時が止まっている感じ。
この日は暑くて日陰もなく、4時間の滞在は結構きついものがありました。
休憩センターが真ん中にあるのですが、小さなフードコートとトイレ利用のための場所で長く居ることはできませんでした。
町外れまでくまなく見て歩けば、4時間はあっという間だったかもしれませんが、暑さにバテました。
途中、ガイドさんが「ここの水は飲めますよ」と、遺跡から溢れる水道を見せてくれました。あまりの喉の乾きに飲んでみましたが、全然大丈夫でした。
秘儀荘の壁には、今でも鮮やかな装飾が残されています。美しい色彩を見ると、当時の華やかな様子が目に浮かびます。
遺跡の横ではまだ発掘が続けられていました。
バスを降りて観光に行く前に、戻りの時間と場所をガイドさんに再確認しました。
そうしたら、「あなたのことは最初から目をつけていたわ。置いていかないから大丈夫よ」と言ってもらえて安心しました。
海外ではコミュニケーション、本当に大事です。どんどん自分から聞いていかないといけないんですよ。
ポンペイ行けてよかったです。
ローマ3日目 市内観光
やっと市内観光です。
ホテルからのんびり歩いて、まずはコロッセオに行きます。
ここも観光地なんじゃない?と思う箇所もたくさんありましたが、イタリアをずっと歩いていると、もうお腹いっぱいになってきます。
サンタンジェロ城も見たのだけど、見た!で終わってしまいました。
コロッセオをつく前に立派な建物が…。
エマヌエーレ2世宮殿。
ローマの休日で、ジョーがアン王女をベスパに乗せて走ったシーンがこちら、と後から教えていただき、わかりました。
この上の展望台からはローマの街が見渡せるそうです。
私はこの裏手を回って近道してしまったのですが、そこに現れたのは遺跡群。
上から眺めるだけでも十分楽しめます。
遺跡群と大道芸の方々を横目に見ながら坂を下ると、コロッセオが見えてきます。
予約がないと中に入れないことがわかり、外観だけ見てきました。
残念でした。
この日は暑かったこともあり、ここまででクタクタになっていたので、ちょっと休憩。
木立の下にベンチを発見!
と思ったら、遺跡でした。
もう歩けないので、ちょっとだけ
どっこいしょ。失礼しました。
ここからトレビの泉に向かいます。
歩いても10分くらいのはず。
残念すぎるのだけど、水を抜いて清掃中でした。悲しい…。
願い事したかったのに。
気を取り直して、スペイン広場へ。
この辺りは観光地でセグウェイのレンタル屋さんがあったり、賑やか。
また、10分ほどで着きました。
帰りはおしゃれなブティックがある通りを通ってホテルまで帰りました。
この日の夜ご飯は、ホテル近くの中華屋さんです。杏仁豆腐が無性に食べたくなり、漢字を書いて聞いてみましたが、残念ながら置いてありませんでした。
この頃には、ピザやパスタは食べたくなくなっていて、日本食に近いものが食べたくなっていました。
今日もよく歩いた!
明日は早起きなので頑張ります。
ローマ2日め 教皇の別荘ガンドルフォ城
今日はロンドンの語学学校で同じクラスだったダニエレ夫妻がどこかにドライブに連れて行ってくれるとのこと。
フィレンツェで散々な目にあったときにも相談に乗ってくれた。ありがとう…。
とにかく、地下鉄の終点まで乗ってきてくれれば、そこからは車で移動。
地上に出ると何もないところでしたが、そこに白のBMWが1台。なんと、ダニエレはイタリアに帰ると社長さんでした。ロンドンのカタコト英語おじさんからは想像できない雰囲気。奥様の方が英語は堪能だったので、なんとか大丈夫そう。
ダニエレ夫妻
この近辺にお住まいだそう。
日本で言えば、鎌倉に住んで東京にオフィスという感じらしい。
まず、最初にオススメのコーヒー店へ。
「朝はここのエスプレッソから、ね」
と美味しいエスプレッソをいただきました。
ダニエレ曰く、目覚ましのために飲むんだよ、と。
小さいカップを一気に一息で…これがイタリア人の飲み方なのか。
と感動していると、早速車で移動。
美しい湖が見えてきます。
この湖畔に教皇の別荘がありました。
歴代の教皇はほとんどバチカンに行かないで、ここに執務していたそう。しかし、今の教皇は別荘は使わないので、こうやって一般市民に開放しているとのこと。
建物の中は質素ではあるけれど、美しく整えられています。瞑想のお部屋があったり、宗教家の住むお屋敷という佇まい。
すごいのはお庭。車で回って見るくらい大きな庭園があります。ここを散歩しながら、いろいろなことを思ったのだろうな、と想像しました。
別荘を出て、湖畔のレストランで遅めのランチ。
素敵なレストランでした。メニューは日本のイタリアンと変わらない感じ。私はボロネーゼを注文。
もちろん美味しかったです。
ここでもイタリアっぽいエピソードがひとつ。
レストランの席が満席で入れない。ダニエレと店員さんが何やら話しているけれど、どうも拉致があかなさそう。と思っていたら、席を確保。
どうやって席を確保したのか、こっそり聞いて見ると、予約と書いてある札を隠した…というではありませんか!
あれあれ…。ダニエレは秘密だよとウインクでサイン。
そうしたら、奥様がウインクを勘違いして、ちょっとお冠になってしまいました。
この誤解を晴らすだけの英語力は私にはなく、気まずい空気が最後まで続きます。
これはなんとかしなければと、帰りの車の中で持っていた折り紙で折り鶴を作り、グラッツェミッレ、ありがとうの言葉と共にプレゼントしました。
少しは誤解は解けたかな?
是非日本に来て。そして、いつか日本に来たらときは案内するからと約束しました。
日本人は日本が世界で知られた国だと思っている人が多いと思いますが、意外と日本は遠い国。福島原発事故のことも知っている人は少なく、日本の文化は千数百年の歴史があることも知られていません。
日本は世界から見たら、極東の小さな島国なんだと改めて認識しました。
だからこそ、日本人の良さを伝えていかなきゃと思います。