そうしょくにっき

草食な日記です

決戦の日

全国のマクドナルドフリークのみなさんこんにちは。今日が何の日か、もちろん御存知かと思います。

 

そう。あの1,000円バーガーの発売日である。日頃からマック並びにハラダエーコーを愛してやまない僕がこれを買わないわけがない。

 

なんせ今回はマック側の気合が違う。ハラダ氏も「これで儲けようとは思っていない!」と言っている。そう、これは祭りなのである!祭りとは戦いである!気を抜くと死ぬぞ!である。

 

というわけで、私は販売時間10:30分ちょっと前に最寄りのマックに着くように家を出た。

 

「暑い」

 

燦々と太陽が僕に試練を与えてくる。「簡単に手に入ってはおもしろくないだろう?」という声が天から聞こえてくるようだ。(幻聴)

 

店に着く。なんと整理券を配布して外に並ばせているではないか!でも1人しかいないではないか!これは恥ずかしい!すごく恥ずかしいぞ!気合空回り現象である。

 

ただ、近所のマックは旗艦店とは程遠い規模なので、きっと新宿、渋谷あたりの店はすごいんでしょうな!でしょうな!

 

そしてレジへ。もらったばかりの整理券を差し出す。

 

「ご予約の藤岡様でしょうか?」

 

え?だれ?

 

残念ながら僕は藤岡という姓ではないし、そういう奇特な名前を親から付けられたわけでもない。そんなDQNネームの変化球バージョンの名前なんぞ付けられたら、とっくに人生終了していたかもしれん。親に感謝する瞬間だ。

 

というわけで現場は非常に混乱している。全然回っていない。今回のキャンペーン、一番の被害者は店員である。次の被害者は普通のメニューを食いたい普通の客である。

 

喜んでいるのはハラダエーコーと、「ゴールドリング!ウェーイ!」ってやってるヤツだけである。

 

そんな訳で10分近く待たされてお持ち帰りである。あんなChaosな店内で食えたもんじゃない。イライラした客の怒号が響き渡りそうなふいんき(なぜか変換できない)であった。※ネタにマジレスはいりません。

 

さて、高級バーガーだけあって袋も立派である。さりげなく付いているリボンが萌えポイントである。安っぽいのでちょっと触ったらポロッと取れそうである。思わず「あっ!」という声が出た。ごめんうそ。

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そして箱。でかい。

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大きさを伝えるためにiPhone5の箱と比較してみた。そう…。ついにマックはAppleを超えたのだ!

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あい、さっきのはなかったことにしてください。そしてこのマトリョーシカっぷり。2個あるわけじゃないです。外装です。

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そしてドーン!ついに中身の登場だ!ポスター写真と違うのはいつものことだ!気にするな!なんかアッガイの出来損ないみたいな気がするが、そこも萌えポイントに違いない。さすがマック。ぬかりないぜ…。

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横から見た図。「BITE!」の文字がイカす!ちなみにマックによると「BITE!」の意味は、「かみつく」という意味ではなく、「常識を超える」「経験を超える」「お客様の期待を超える」という意味だそうだ。期待を超えたアッガイである。

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斜め視点。「誰だ!ネックレスのケースにバーガー入れたの!」的なスベったネタみたいな構図である。常識を超えている。さすがだ。

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手に持つとこうなる。これが現実である。僕の期待を超えている。さすがだ。

 

そしてついに実食だ。Twitterに写真をあげ、「チョーウマイ!」みたいな小学生なみの味覚表現で終わらせるわけにはいかない。私の表現力が試される瞬間だ。

 

一口食べると、カイザーゼンメルという特性バンズの歯ざわりが伝わってくる。具材のおいしさを引き立てる黒子のようなパーツだ。

そして厚切りベーコンとビーフバティのジューシーな旨味が口に広がる。強めにスモークされたベーコンとパティの旨味、そしてフルーティBBQソースのフレーバが絶妙にミックスされ、口の中で素晴らしいハーモニーが奏でられる。

そして一口目では到達しなかったパイナップルへ。

「う、うまいッ!」(言いたかっただけ)

ジューシーさを出すための肉厚なパインからひろがるさわやかな果汁が肉汁と混ざり合い、感動を最高潮へ引き上げる!実にすばらしい!

 

的なことが、この取説みたいな物を読めばかけます。

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実際のところは見たまんまの味ですね。

パイナップルとかやっぱ合わねーとおもいますね。

あとベーコン噛み切りにくいわー。

噛み切ろうとしてもズルっと全部抜ける感じだわー。

ぶっちゃけダブルチーズバーガーの方がうまいわー。

 

 

そんなわけで総評である。

ハラダエーコーが言うように、このバーガーでは絶対に儲けなんて出ていないとは思うわけです。原価厨がいつも騒いでいるように、確かに原材料費だけだったら余裕でペイすると思います。

ただ、これには相当にプロモーション費かけてるし、「エコに配慮!」とか言って手提げサービスやめたくせに超過剰包装だし、なにより店内オペレーションに支障でまくりでかなり効率落ちてると思うわけです。

 

作るのに時間かかって超大変なのに、「本日限定でございます!よろしければぜひ!」と自分で自分の首を締める店員には同情するしかない。顔がすこし引きつってたぞ。マックスマイル!

さぁ!みんなもこのクソ暑い中!パイナップルバーガー食いにいこうぜ!味はみたまんまだけど!

 

派閥

今はどうかわかりませんが、昔は大手企業とかには学閥とかあったって聞きますよね。

そこまで大それたものじゃないにしても、一定の派閥みたいのがあると思うんですが、最近思うのは「派閥」みたいなガチッとした括りじゃなくて、それこそ「クラスタ」みたいなエレメントによる繋がりみたいのが増えてなぁという。

例えば、社内でも「一緒にサッカーの話をする人たち」もいれば、「BBQとか一緒にいく人たち」みたいなのもいて、どっちにも属しているっていう人もいるといった感じ。

これが小学生なんかだと、「お前、俺らのグループ裏切るのかよ!」みたいなアレが発生するわけですが、さすがに大人にもなると「あ、そっち行くなら仕方ないね」みたいな対応になるわけですね。

一部の人を除いては。

やっぱりなんていうか本音ベースで言うと、人間の根底なんて小学生の頃から進歩してねー人が非常に多いわけですね。それを大人の対応で「仕方ないね」と言える人はいいですが、露骨に「裏切り者!」みたいな事を言う人がいるわけですよ。いい大人なのに。

得てして役職が上の人に多い気がする。誰だかが、「権力を与えると人は変わる」みたいなこと言ってましたけど、社内の役職程度のもので勘違いできるとかある意味幸せな人がいることが、この世の中、生き難い人が増えてることの一因なんじゃないかなーと漠然と感じたりしますね。はい。

 

大人であることの安心感

「薄っぺらい人間関係」というのは否定的な意味で使われることが多い表現だと思うけれど、個人的にはそれが悪いことだとは思わないのです。特に都内と郊外で比較すると、都内に生活圏がある人ほど「薄っぺらい関係」を多く構築している気がする。

それは単純に関与する人数が多いということがあると思うんだけど、人間って付き合いが深くなればなるほど面倒くさい生き物なので、そんな面倒くさい関係になってしまう人が多くなりすぎてしまうと色々と破綻すると思うわけです。

「都内と郊外」とざくっと分けてしまったわけですが、主観では実家帰った時に感じる「ローカルコミュニティの濃度」ってやつで説明がつくと思うわけで。黙ってても勝手に母親がご近所情報をベラベラ喋るという。こわいですね。同級生の現状とか自分より詳しいし。

で、薄っぺらい関係のどこがいいかっていうと、「これ突っ込んだら相手は嫌がるかもしれないな」みたいな内容をうまく回避しているってことなんだと思います。極端な例はいきつけバーのマスターみたいなもんでしょうか。距離感を詰め過ぎない。「大人の対応」というやつでしょうか。

上辺だけの付き合いに味気なさを覚えるって人は多いと思いますが、上辺だけの付き合いだからこそ楽しめるって側面もあると思うのですね。

強迫観念

年度が変わりまして、なんやかんやで会社に在籍10年経過してしまったわけで。

思えば常に自分を動かしていたので「強迫観念」であったなと思っております。

新入社員時代は「とにかく周りに馴染め」みたいな感じで失敗しまくりながらも、日々凹みながらとにかく人並みの仕事ができるようにしなければいけないと思っておりました。

2、3年目くらいで調子に乗り、一度鼻をへし折られて5年目くらいになると、俗に言う「もう一歩上のステージへ」みたいな思いにかられ、なんといいますか焦燥感みたいなものが増えてきた感じがある。ちょうどそのころ、「自分の1つ上のポジションを意識して仕事しろ」みたいなことを言われていたからかもしれない。

そして現在。思うことは「組織的にどうにもならない事を踏まえつつ、如何にしてどうにかしていくか?」みたいな感じになってきている。5年目くらいの「今のままじゃいけない」とは別の意味での強迫観念みたいなものを感じるわけであります。これまでは「自分が変わらなきゃ」だけで完結していた感情だけど、今は「周囲を動かすために自分は何をすべきか?」という思いに変わっているわけで。

よく「人を変えることはできない。自分を変えろ。」みたいな話がありますが、人を変えるというよりは周囲の環境を変える必要があるという思いがあるわけです。そのために何をすべきか?を考えると漠然と具体的な行動に落とし込めてくるので、まぁ、それを着々とやるしかないのかなーという感じではあります。それで失敗したらそれはそれで。

もの売るのってむずかしいすね

「マーケティング」という言葉ってなんだろうな?という疑問が最近またむくむくと。

昨今は機能訴求、価格訴求が本当に効かなくなってきているなー。というのはB to Cをやっているわけではない僕の立場からもなんとなくわかるくらいになっていて、「情緒的価値」みたいなもののウェイトがめちゃくちゃ高くなってきている。「SNSを活用!」とか、手法ありきで入るとろくなことにならないけど、明確なコンセプトがあって、それを確立させるためのツールとして活用するのならば大いにアリなんだろうなーと思うわけで。

そもそも「つながり」みたいなやつって、昔は近所のスーパーでおばちゃん同士が会話してること多かったけど最近減ったよねー。みたいな感じで昔からあったわけなんですよね。きっと。それがSNSみたいなので空間的な制約が緩和されたというか。こう考えると「タイムライン」って概念すごいよなー。ものすごく「雑談」に近い。まぁ、テキスト情報なので遡ろうとおもえばできるけど、基本的に「リアルタイム」のもので、ご近所同士の会話みたいに流れていくっていう仕組みなわけだし。

ただやっぱり「文字として残る」っていうのは大きな違いですわよね。それがあると思いっきり色んなこと言えなくなるし。なんか最近送った写真が一定時間で消えるサービスみたいなの出てきてるけど、これのテキスト版とかもあったりするのかな?「どのくらい残すか」は難しいとは思うけど、そういうサービスできるとかなり会話ライクなコミュニケーション取れると思うのですがね。まぁ、魚拓的なものとられちゃうときついけど。そこはそういうサービスなんだからモラルとしてねぇ…。みたいな感じで。

怒る理由

よく怒る人っていますよね。


怒る理由って、本人が一番わかっているかと思いがちですが、そうでもないケースの方が多いかなと思うわけです。本人としては、もっともらしい理由を色々と考えるわけなんですけど、その根底にあるのは「なんか気に入らない」みたいな事の方が断然多いと思うんです。それもすっごくくだらなくて、すっごく人として小さいなーみたいな感じの理由。


だからその「くだらない理由」で怒るような自分を認めたくなくて、もっともらしい理由を付けるわけなんですけど、これが「悪い」って言っているわけじゃなくてむしろないととんでもない事になると思っているわけです。


怒っている「もっともらしい理由」というのは、怒られた人にとっても、まぁ、納得いかない事も多いかもしれませんが、「なんとなくわからんでもない」くらいの解釈に落ち着くこともあるわけです。結果として、「あの人とは合わない!」みたいなことになるかもしれませんが、それも「合わない理由」ができると思うんです。
でも、本質的な怒りの理由、それって怒っている本人も認めたくないほどくだらなくて、本人にもどうにもならなくて、ましてや怒られている人がそれを聞いたところでどうすることもできない理由だったりするわけで。


代表例が「生理的に受け付けない」だったりすると思うんですけど、こういう理由っていっぱいあると思うんですよ。理屈じゃないみたいなやつ。怒る側の「自分はこんな人間じゃない!」みたいな受け入れられない感情の逃避先として「それっぽい理由」が生まれるんじゃないかなと。


何が言いたいかっていうと、これも一種の天災みたいなもんなので、必死で問題解決めざしても無理的なもんなのかなーってことです。

 

間口と奥行

「あの人はなんでもできてすごいなー」の「なんでも」というのは人によって対象領域が全然違うので、「あの人の評価」を他者に伝えるにの適した言い方ではないよなーって思ってて。

 「なんでも」というのは、自身が認識している領域の範疇でしかない。例えば、高校生くらいまでだったら、勉強とスポーツができれば「なんでもできる人」になる。もちろん好奇心が強い人なんかは趣味の世界とか広げていったりするんだろうけど、高校生くらいまでだと金銭的ハードルとか、「学校」というドメインでのコミュニケーションツールとしてあまり役立たなかったりするので、あまり深耕しないイメージ。

 大学生、社会人くらいになると自由にできる時間、金に余裕ができるし、なにより「学校」みたいな閉鎖コミュニティのバイアスを受けなくなるので、興味関心の領域を広げたい人は結構広げられるようになる。この領域が極端に狭いと俗に言う「つまらない人」になりやすい気がする。

 何事にも「間口」と「奥行(深さ)」があって、間口は広いと「色々知ってる人」。奥行があると「詳しい人」みたいな感じになる。「なんでもできる人」は、この間口の広さが評価者の認識領域よりも広い人のことを言うのかなと思う。

 だから、それがいいのか悪いのかは別として「なんでもできる人」と思われたいのならば、「間口」を広げるようにしたらいいんだと思う。「奥行」は深めれば深めるほど評価(認識)できる人が減っていく。例として適当かわからないけど、オタクはオタク同士じゃないと理解し合えないみたいな。

 ただ、あまりにも奥行が浅いと「薄っぺらい人」になってしまうので、単に情報を集める程度ではなくて、そこから一歩踏み込んだ自分なりの考察とか持っておくのがいいんではないかなと思う。