<2957>「質問より同期」

 人間が何かを探っている過程で、

 実は人より、

 人間が上手くなってしまった部分が、

 いくらもあるのかもしれない、

 その過剰適応は、

 時々気味の悪さとして出現するのかもしれない、

 まあそれはいい、

 毒として出た部分は、

 またどう混ぜていくのかを考える、、

 

 人と話すときに、

 質問が前提となっていると、

 少しこわい感じがするのかもしれませんね、

 というのは、

 受ける側になると少し分かる、、

 まずは、というより、

 主に感情の同期を心掛ける、、

 あんなことがあって、大変だったとか、

 うれしいとか、

 つらいとか楽しかったとか、、

 こんなに気持ちいい日で、とか、

 そういうことを中心に、

 

 私は別に危険にさらされて仕事をしている訳ではありませんが、

 多少

 あ、

 これは下手したら命が危ないかも、

 という場面に遭遇しながらになることはある、

 そういう現場は、

 ひとたび緊張がほどけると、

 みんなよくしゃべる、

 みんなよく笑う、

 あたしもよくしゃべり笑う、

 これも感情の同期、その推移で、

 こわいこわい、大丈夫かなあ、

 ああこわかったね、

 何事もなくて、

 みんな無事でよかったね、

 という安心した笑いだ、、

 危険と隣り合わせだと分かっていても、

 くせになってそういう場所へ何度も戻っていってしまう、

 そういう人の気持ちが分かる気がした、

 

 日常のなかで感情を少し、

 他人だからみんなぴったりとはいかないけれど、

 感情を少し合わせてみる、、

 それが、

 質問するよりも自然なコミュニケーションなのかもしれない、、

 あたしもあなたも、

 シンプルに肉体なのだからね、、

 

 私ひとりでできることは多くないけれど、、

 ある方向性を持とう、

 そちらへもってチームで動けば、、

 何かは起こせますよ、と、

 伝える立場なのではないか、もう、

 現実は他人事ではなくなった・・・

<2956>「時間管理、大きな快楽」

 前後不覚になるぐらい寝ている、

 時間は大したことはない、

 7時間半とかそこらなのだが、、

 起きたとき、

 別の場所に出てしまったと思うぐらいだ、、

 そういえば、

 有り余る体力を、

 睡眠をむさぼることにつかっていたかつてを思い出す、、

 もう同じことは出来ないし、

 その欲望自体がないという気がする、、

 起き際が、

 悲しみの世界なのだと気がついてからは、

 上手く身体を扱えるようになる、

 身体への興味、

 身体と、

 心的世界との絡みへの興味、

 

 私は、

 ただただ遊んで暮らしていけたらなと、

 かつては夢想した、、

 それで、

 まったく自由になったときどうしたか、

 よく遊ぶため、

 逆に徹底的に自己管理、

 ストイックな方向に行った、、

 ストイックは真面目さや、

 立派さと必ずしも接続される訳ではない、

 むしろ快楽を最大化しようとする、

 果てしのない野望みたいなところがある、

 遊びにさえ、

 いや、遊びだからこそ、

 細かな時間管理、

 時間配分が必要になる、、

 

 時間は上手く使えば使うほど増えてくる、

 事務的なのを非創造的と捉えるそれは勘違いだよと、

 教えてくれたのは齋藤孝さんや、

 坂口恭平さんで、、

 あたしは創造的な営みと、

 事務員が自分の中でタッグを組む、

 この心地良さがとても好きみたいだ、、

 後は、

 鍛えてきているので、

 例えば10分あいたら、

 10分あいているということをあなどることはない、

 何かに使えないかなと考える、

 そこまではいいがしかし、

 10分では予定したことが少ししか進まないしな、

 とためらう頭がまだあるのは事実で、

 ここらへんのためらいをなくす、

 あるいはためらいつつも、

 同時に勝手に手が動いている境地にまで、

 辿り着いていたいという思いがある、、

 10分ではこれだけしか進まないよ、ということでも、

 そのそれだけを今の10分で進めておくことが、

 後でどれだけのアドバンテージになるかといったらない・・・

<2955>「真剣さ、しつこさ、読書の変化、刻印」

 真剣さというものも、

 染みついてしまうと、

 真剣でいるのか、いないのか、、

 よく分からなくなる、、

 それでいいではないか、

 ではなく、

 これはどういう状態なのか、

 に粘り強く付き合っていく必要がある、、

 

 私は、

 しつこさがなくなった訳ではなく、

 しつこさを向ける対象を覚えただけなのだな、

 例えば勉強、

 例えばきくこと、、

 例えば没入、集中、、

 そういう場所に、しつこさを向けていくと、

 他人をうんざりさせないだけでなく、

 自分も健やかになっていく、、

 つまり大きなエネルギーの、

 適切な発揮の場が見つかれば、

 それが気持ち良いのは当然かもしれない、、

 

 勉強を繰り返して、

 なかばはあそびみたいになり、

 少し柔軟になったから、

 本は読むけれど、

 読むことだけにこだわらない、

 人と話すのも 同じく勉強で、

 人と話すのも 同じく仕事だと認識し始めたから、

 わりと自由になってきている、、

 喋った方が元気になるという、

 母親たちが当たり前に実践していて、

 幼き頃、

 ようこの人たちは延々と話して、

 一体全体何をやっているのだろうという、

 謎が解けた場所にいま立っているという感じです、、

 

 この時間が、

 少しでも長く維持されたらいいな、

 という場所に立てること自体が、

 もう既に幸福で、

 だから実際この時間が長く続くかどうかは、

 本当はどちらでもいいのだと思います、

 例えば高校の友達とか、

 アホほど喋り倒してきた時間はもうここにはないのだけれど、

 その記憶だけでまた会えるのだから、

 この刻印の仕方というのはすさまじいものです、、

 

 今日が最後でも、

 という意気込みは、

 意気込みとしては正しいのだけど、

 実践していると、

 なにか少し変な感じはします、、

 やはり今日がどこか最後ではないはずと思って、

 死ぬ部分が人間には、

 あるのではないでしょうか・・・

<2954>「帰るの、興味だよ、いいの」

 もう帰るの?

 うん、そうだよ、、

 まだ身体も出来ていないのに、

 どこへ、

 どこへかは分からないよ、、

 でも、、

 まだしずかに、

 道が見える限りは、

 あたしは帰る、

 帰り直すよ、、

 

 私はすごく暗い場所から出てきた、

 それは、

 私だけではないということ、、

 それと、

 この感じを共有しうるのは、

 私だけであるということ、

 人間として、同じ空間に居、、

 訳も分からないまま、すれ違い、

 そして別れるということ、、

 良いことばかりでもなく、

 悪いこと、いや、、

 本当にそんなに悪いことが、

 私に起きたりしたろうか、、

 私は生命の一歩から、、

 灰と、埃しか舞わないところまで、

 しずかに移動を続ける、

 そういった存在の、

 ひとつでありたいと思っている、、

 

 ねえ、

 興味、

 ただの興味だけで、

 その扉が重たそうだから、

 あけてみたいという興味だけで、

 あなたはあけようとしているね、、

 その、

 閉じたり開いたりする、

 所作は、

 後ろに地獄を含むという、

 自覚から来るものかもしれないよ、、

 うっかりあけてしまって、、

 その情念の、

 重さみたいなものが、いっぺんに来ること、、

 その覚悟があるのだったら、

 あけようとしてみなさい、、

 大概の人は気がついて、

 引き返しているんだ、、

 引き返さないのだったら、

 あなたはまた別の人の、

 別の地獄へ辿り着く可能性があるのだよ、、

 あたしはそこをとてもおそれている、、

 とてもおそれている場所は、

 本当に探りたい場所でもある、、

 何がひかえているか、

 本当に知りたいところもある・・・

<2953>「しばらく現実を忘れる」

 寒い、

 あたしはいつもより少しだけ小さくなっている、、

 ああ恥ずかしい、

 いやだな、

 と言っている、、

 人間として生まれているのに、

 人間がするようなことを、

 ひとつひとつ出来るようになっていくことに、

 恥ずかしさを感じたりするのはなんでだろう、、

 それはよろこびでもあるのだけれど、

 出来た人間になって、

 お前、

 そんなに出来た人間になって、

 一体どこへ行こうとするんだ、

 うん、

 どこどこへ行こうと思って、

 歩き出している訳でもないと思うんだ、、

 

 大体30分から、

 1時間ぐらいをひとつのユニットとして見て、

 そのひとつのなかで、

 1つないし2つの作業をやっていく、

 1つないし2つが片付いてゆく、

 日常のひとつひとつがとりあえず片付いて、

 気持ちが良い、

 このままマシーンのように、

 同じ時間に同じことを、毎日、

 淡々と片付けたい、

 けど、

 片付けるには片付けるのだけど、

 毎日同じ時間、同じことを、

 という訳にはいかないですね、、

 それは周囲の環境とどうだとか、

 そういう話もある、

 けれどもそれ以上に、

 心的な時間や、

 空間の多様さ、

 というものがある、、

 これは上手に実時間を管理するようになっていけばいくほど、

 逆に豊富にあらわれでてくるものです、、

 人間は、

 今生きている時間だけに触れて過ごしている訳ではない、

 過ぎてしまった場所にひきつけられて、

 しばらく現実を忘れているときがあります、、

 

 眠い、、

 からだがいつもより眠たくなっているのを感じる、、

 歯医者さんでの、

 短い検診の時間でも、

 少なくも2、3回は意識を失っていた、、

 からだの眠さに合わせる、、

 いつも元気に溢れている訳にはいかない、、

 あたしは穏やかでしょうか、、

 としを取れば穏やかになる訳ではないと、

 周りの人を見ていると思う、、

 あたしは少し溶け気味・・・

<2952>「生きているだけの朝」

 私は、

 生きているだけのことが、

 なんで こんなに悲しいのだろう、

 と思わされるところから、

 朝が始まるが、

 そんな気分は、

 数分もすれば、

 しずかに流れてしまう、、

 もうそこに戻ろうとしても、

 戻ることはできなくなっている、、

 つまり思っているのではない、

 眠りから、目覚めへの、

 つなぎに何かが存するということ、

 

 あたしは、

 何かに集中している、、

 からだが、

 どこに浮かぶかは分からないまま、

 またこの道へかえってくる、、

 からだつたない、

 からだひきしまってきたね、、

 あなたの声のように、

 遠くに届くように、、

 またあらたな日、

 あたしは信号が、

 このなかでつながる、、

 あたしはまたまぎれている、、

 あたしはけむりのなかに、

 けむりから、生まれた命、、

 あたしはあすこに、

 ぽんとおかれて、、

 戸惑っていた、

 そのときの命、、

 あなたが感動して眺める、

 そのときの命、

 不思議ではないですか、

 こんな時間が、

 ちゃんと我々にもあること、、

 あなたは私の命を探している、、

 私は、

 何かを提出していることも忘れている、、

 

 からだのなかに、

 眠らせておいた、、

 いくつもの声のかたまりを、、

 ここによびもどし、、

 あたしはあふれていく、、

 しらない、

 存在の彼方に、

 あなたの水は多くなっていく、、

 からだどうよぼう、、

 あたしにはそれぞれの大きな声、、

 あたしにはそれぞれの、

 日々の回転の仕方、、

 あたし、

 こんなにはっきりと見えて・・・

<2951>「違う、違うゲームの人間段階」

 だんだん私という人間が流れて、

 馴染んで、

 うまく受け容れられるようになった、

 さて、

 ここからだ、、

 私はあまり見向きもされないような状況で、

 コミュニケートして、

 状況を打開していくのは得意だ、、

 けれど、

 そうして不安や好奇心から、

 なんとかその状況を打開しようとして、

 当然の結果として受け容れられた、

 そのあとが苦手だ、

 そのあとが苦手なのをどうにかしたい、、

 不安や好奇心が原動力だから、

 安心して受け容れられている状況が苦手なのだ、

 

 でも、そうすると、

 というか、

 私が次々とそうしてきた理由があるのだが、

 歓迎されている空気を感じると、

 どこか別の場所に動きたくなってしまうのだ、

 そして実際にそうしてきた、、

 しかしもうそうではない、

 歓迎されているところから、

 それが深まる、

 それを深めるという境地に、

 そっと入っていきたい、

 次の人間になりたい、、

 苦手なら、

 違う段階の、

 違うゲームを始めたんだと、思えばいい、、

 まだ『会話の全技術』を読んでいないけれど、

 齋藤孝さんならそういうような気がする、、

 

 あたしは透明であるような認識だけど、

 当然のごとく得意不得意があって、、

 例えばあまり人の好き嫌いはない、

 だから誰であれ、

 比較的簡単に話し掛け、

 話し込むことができるけれど、、

 特別この人でなければだめということもないから、、

 どんどんと、

 会う度に関係の度合を深くしていくのも苦手だ、、

 金沢っていうのは魚がおいしいです、

 お寿司がおいしいです、、

 で、

 それがおいしいのも分かります、

 それでも、

 私は帰ってきた次の日に、

 はま寿司やスシローに行くことが可能です、、

 同じお寿司でももはや別ものですが、

 だからどうということも思いません、

 普通に食事します、それらを嫌いになることもありません、

 そういうことが、

 どこから来たか、

 まずいとかうまいとかが分かっても、

 それによって付き合いを変えないと、

 どこかで決めたのかもしれません、