ガーゼ

大人になっても少女で痛いの

僕はポプテピピックが見れない

山のあなたの空遠く「幸」住むと人の言う


ポプテピピック見てるとしんどい。何にもない。」
率直な感想はそれで、こんなにも「痛い」って思うことがしっくり来たのは初めてかも知れない。めちゃくちゃ中二病のアニメを見ても、ハーレム系のツッコミどころ満載のアニメ見てもここまではいかない。わたしの中の琴線て奴が、触れる間も無く逃げてってしまうのです。

だいぶ前、わたしは実はパリピとゆうやつをやっていて、DJ内でおかしな現象が起きてる事に気付いた。みんな口を揃えて「クラブヒッツとか家で聴けないですよ〜」ってゆうのだ。じゃあどんなの家で聴いてんの?そう聞くと「うーむ、とにかくゆるくて静かなやつかな〜」これはとても良いと思う。でもだんだんと拗れてくるのだ。「わたしはもうノイとかファウストあたりしか聴けなくって〜」→「や〜、俺はもっぱらジョンケージとフリージャズしか聴けないわ〜」→「自分はアニソンしか聴けない」みたいな感じでどんどん「クラブヒッツ」というものから遠ざかる。むしろ遠くあろうとしている。

 

ポプテピピックをわたしが初めて認識したのはツイッター上で、「メンヘラ界隈」とかゆうとんでもない無法地帯のひとたちのアイコンで「これが流行ってるのかー」ってぐらいの感じで流していた。しかしなんとゆうかこの漫画はメンヘラ界隈との相性がめちゃくちゃ良いみたいで、知ってか知らずかみんなして煽る煽る。例えばbioに「メンヘラ/自傷癖/解離性同一障害/強迫神経症/手帳持ち」みたいな事をこぞって書いていて、だからどうしたら良いんだ?って事をポプテピピックを使って間接的に煽っているんじゃないかね。


メンヘラってゆうものに対して自分を棚に上げて高みの見物。サブカルってゆうものに対して自分を棚に上げて高みの見物。ってゆうかね。
サブカルクソ男子だの、メンヘラクソビッチだの、自虐ネタ合戦。わたしは結構好きです。


クラブDJ界隈でもまあ似たようなのが「アニメ好きを公言」なひとたちで、でもさ音楽好きな人なんて所詮オタクな訳だからそうゆうのって結果自虐にしか見えない訳で。
勿論わたしも未だにそうゆうこと言ってニヤニヤしてるんだよね。
自分は人と違うって事をただただ主張したいだけ。アニメはほんとに好きだけどもだからってオタクだって言うことがカッコいいわけじゃないってわかってない。でも今現在の自分よりもなんかいいような気がする。何にも変わんないのに。臆われひとととめゆきて涙さしぐみかえりきぬ。
そうしてどんどん解離してゆくのを感じます。離人する作業を繰り返し、繰り返し、自分のことを見失う。この主体性のなさ。主語も僕とか痛いっす。

 

スーパーポジティブ

わたしのセックスはアートであると最初から決まってた。

こんなにもポジティブに実は捉えている。実際は死ぬほど卑屈でめちゃくちゃに暗そうなイメージが付いているわたしのくせに。
ほんとは死ぬほど野心家だし、未だに一発逆転を狙ってるんだと思うとちょっとゾッとするというか、んなことあるかいってなります。自分自身には希望を持たないくせに自分の能力みたいなものに絶対の自信があって、例えば自分の描いたもの作るものにアレコレ言われんのが大嫌いで、天才だと思っていて、それがわかんないやつは凡庸でクソつまんない奴だとかいつも思って生きている。

大富豪が死ぬ程得意で、いつだって勝つ自信があったりする。

ただ自分を殺すために平気でセックスできる訳じゃない。それで作る作品が良くなるなら幾らでもそんなことしてやるよ。と思う。

みんなは「可哀想に、傷ついている事がわかってないんだね」と言うけども、わたしはそんな事で生きづらさを感じたことなんて実はないんだから誤解でしかないのかもね。
全部の経験を糧にしてゆく作業を繰り返す。嫌だった過去を思い出して悔しがる。そうやって消化している。自分のことを捨てていかなきゃ作りたいものなんて作れるはずがない。身体の中に居ることが窮屈でしょうがない。今でも。

 

嫉妬

それがどうであれ、愛が尊くて核は悪と、同じものであるのに
愛こそが戦争の発端であるというのに
信じない、愛さない、平和で居るために
どうかわたしの心が強くあって欲しい
ひとりきりで、生きていけるように

わたしはまだ地獄の中にいる
過去の自分を癒してやれない限りずっと
激しく妬むこと、悔しくて泣くこと
囚われている訳ではなく、それ自体が自身だ
わたしはわたしの中の一番強い感情にしか気づいてやれない
わたしが嫉妬するのは自分自身しかいない
それ以外は全てが関係のないものとなる
薄っぺらい表層をぐるぐると巻いて
わたしは身体から離れてしまう
全ては他人事だ
わたしすら、どこにもいない
過去の自分があんなに妬むもんだから
わたしなんて死んでしまえばいいね

 

わたしの死

 

苦しくて殺してやりたくて、でもどうしてもわたしは母親の人形でしかないから泣くことしか出来ない。わたしの好みややりたいことは否定され続けた。だからわたしもわたしのことを否定し続けなきゃいけない。どうしたってわたしは愛されたい子供であるから。知らない、そんなこと。母親の気持ちやご機嫌をどんなに知らないって言ってもわたしは感じなくてはいけない。わたしは人形だから。所有物だから。物だから。母親がいなければ良いって何回も何回も思っていた。そうしたらわたしの病気は無くなるのに。こんなにも苦しい人生は送らないでも良かったのに。苦しい。苦しい。苦しい。苦しくて悲しい。「あなたは優しい子だから」と言われ続けた。優しくなければいけなかった。わたしの性質はない。無くなった。わたしの全ては無くなった。存在は無くなった。なにかを選びたくても、母親の好みの中から選ぶことが当たり前になって、選びようがなかった。なにもかもいらなかった。母親の言う良いものはわたしにとって良いものではなかったから。母親の好みの趣味は最悪だったから。センスが悪いから。何かの真似でしかないから。とても怖いから。
もし、わたしに子供が出来たらとても怖い。わたしの子供に母親みたいにならないでと全て反対のことばかりさせてしまいそうで。だからわたしは死ななきゃ苦しさから出られない。ずっと一人きり。誰にも甘えてはいけない。それはそう母親が願ったから。そうあるべきと言ったから。
死にたい。死ななきゃいけない。いつまでもそう思う。逃げたくても逃げられない。死ななければ逃げる事は出来ない。

だからわたしはずっと死にたいんだよ。

軽躁の日々

女の子3人でもってバンドをやっていた時期があった。メンバーは、わたしとわたしが当時やってたホームページで出来た知り合い2人だった。今みたいにブログ的なサービスがなかった当時、サブカルメンヘラ女子は個人のページを作って公開してたよね。多分ってゆうか絶対南条あやの影響。懐かし。

まあ2人を連れてクラブに行ったりしてるうちに「バンドやろうぜ」テンションになってしまった結果、メンヘラガールズバンド結成となり、オリジナルの曲なんかも作ったの。

問題はドラムの娘だった。結構可愛い上にメンヘラ気質の都合の良さも手伝って、ギターの娘が「ちょっとねー…」と、なり始めたんだよ。

わかります。実際3人ともまあまあ可愛いかったけども、その娘特別モテてたもんね。チヤホヤされるのに慣れてる娘ってゆうかね。そんで聴いてる音楽はV系で。彼氏もやっぱりV系で。しかも一向に叩けない。ギターの娘はUKとかUSのインディー、わたしはその頃なんかジャーマンプログレとかだったし。

楽しかったんだけどねー。女の子のスリーピースはダメだな。音楽性の違いとかもうそんなんじゃなくダメだな。

 

まさに今、そのギターの娘とラインで話してるんだけども、まだメンヘラだし「大森靖子最高かよ!」ってゆってた。

 

大人になっても少女で痛いの

 


おゝSiri!ヘイgirl!
大人になっても
少女、症状で痛がりたい

 

どうせこの世が見たくない
間違った眼鏡が痛くって、たくって
頭痛と吐き気と空耳で
どこへもいけない
なにもない

 

暴力とセックスだけあれば良い
愛って何か教わりたい
愛なき世界の眼球譚
おゝSiri、わたしは何処行ったの?
ヘイgirl、わたし少女で痛かった