LIVE GRACE 2019 -OPUSⅢ- 直前 今見てほしい水樹奈々のライブBD/DVD

来週の今頃は帰りの汽車の中とか信じられぬ!
GATEはライブビューイングにしか行かなかったので、実質2年ぶりの冬ライブです。
6年ぶりのフルオーケストラライブってことで、ぼくのかんがえたさいきょうのセトリ妄想が捗りますが、勝手に期待してがっかりしたくないな~~とか延々悶々としてしまう。

というわけで気分を高めるために過去のライブ映像を見返しているわけですが、2019年冬現在リリース済のライブBD/DVDでいちおしの3公演を勝手にレビューします。


「LIVE THEATER 2015 -ACOUSTIC-」(2015年6月17日リリース)
これこれ!!!!!!!こういうライブが見たかった!!!!!!!が実現した、初のアコースティックライブ。
アコースティックのアレンジって、ピアノ/ギターと歌だけとかジャズっぽいのとか色々ありますが、会場に作られた4つのステージを巡りながら多様なアレンジを物語形式で聞かせていく構成。
教会でひとりきりで歌っていた少女が外の世界で様々な音楽そして仲間と出会っていく・・・というストーリーが奈々さん自身が歩んできた物語と重なって、終盤、メインステージで全員で奏でる「Song Communication」は涙なしには聞けない。数々の実績を積み上げてきた奈々さんが「カンペキじゃないからみんなが必要」って歌うんだよ!?心臓捧げるわ
声と楽器だけのシンプルな編成で届けるという音楽の原点が、その後行われるツアーでのどんどん尖っていくアコースティックコーナーへと繋がっていくのでした・・・。


「LIVE GALAXY 2016 -FRONTIER-」(2016年9月14日リリース)
2回目の東京ドーム公演は水樹奈々史を2分割するというコンセプト。初期の懐かしいあの曲も久し振りに聞ける!?・・・という(古参)ファンの期待が「うーんコレジャナイ」という戸惑いに変わった1日目「GENESIS」。アマゾンレビューだとGENESISの方が評価が高いようで(実際レジェンド級の曲が揃っているんですけど、これ最近も歌ったよね~~ってめんどくさいファンは思ってしまう)、多分ファン歴が深いほど見たいものと見せたかったものとのギャップが開いてしまったんだと思うんですけど・・・。
で、2日目。ライブタイトルにもなっている「GALAXY」を感じさせる曲が増え、コアなファン向きみたいなセットリストになってしまってはいるんですけど、世界観も含め満足の内容。ただムービーのストーリーが不穏すぎて、2日目で回収されるのかなと思いきや・・・結局廃棄されたロボット(アンドロイド?)の行方は・・・
ハイライトは「Trickster」からの「Exterminate」。この2曲、歌い終わりと歌い始めをアカペラで繋ぐことになるんですよね。東京ドームに広がる奈々さんの声と張り詰めた空気に、宇宙でライブを見ているみたいな錯覚を起こします。
アンコールのラスト、「天空のカナリア」からMCを挟まずに始まる「愛の星」も、地球を包み込むような歌声に泣ける。かわいさやはつらつさを武器に始まった水樹奈々という歌手は、いつの間にか宇宙を歌えるような存在になっていたんだなあ。
チェリボセイバーが好きすぎて10回以上見てるんですけど、これについての裏話は「GENESIS」のコメンタリーで触れられてます。(なおボーカルの福長さんは東方神起のサポートバンドメンバーでもあります)


「LIVE ZIPANGU 2017」(2017年11年15日リリース)
過去最高だと思ったLIVE THEATERを超える最高のライブ。なぜなら「WILD EYES」でファンになった人間なので、最高のセットと衣装でこの曲が聞けるなんて・・・それどころかバジリスクを柱としたライブが見られるなんて・・・我が人生に一片の悔いなし。嘘、「午前0時のBaby Doll」をもう一度聞くまでは死ねない。
甲子園では正直ピンとこなかった「STARTING NOW!」ですが、ライブの締めくくりにみんなでC&Rしていると多幸感が溢れてきて泣けた(何を聞いても泣く)。
このツアーでは奈々 vs チェリボ タイマン14番勝負と題した企画コーナーが行われましたが、初日のヴァイオリンと歌だけの「アンティークナハトムジーク」があまりにも素晴らしくて、演奏後の拍手が全然鳴り止まなかったことを鮮烈に思い出します。なぜダイジェスト収録にしてしまったのか。これだけは絶対に許せん

松澤くれは『りさ子のガチ恋♡俳優沼』感想文

※ネタバレです

 

同名舞台の小説化。

26歳のOL・りさ子は、2.5次元俳優・瀬川翔太に生活の全てを捧げる。翔太に会いに行くためなら会社での居心地の悪さもチケット代やプレゼント代の工面に苦心する日々も厭わない。そんな時、翔太に熱愛疑惑が持ち上がり・・・。

 

舞台版でりさ子を演じた新垣里沙は、テニミュ出身俳優の小谷嘉一と結婚していた(過去形)。

当時は私も「舞台ってやっぱり出会い系!!」と息巻いたものである。

 

 

朝井リョウさんの『武道館』では、アイドルとしての自分に求められるものと、一人の女の子としての自分が求めるものとの乖離に葛藤する、タレント側からの視点で芸能界が描かれた。だからどうしてもステージの上の人たちの気持ちに寄り添った感想を持つことになる。

対して本作では、ステージ上の俳優に熱狂する客席のファン側の心理を中心に描かれる。りさ子が大好きな翔太に会うために食費や服飾代を削ってチケット代を捻出しようとすることも、翔太の言動や自分以外のファンの反応ひとつひとつに一喜一憂してしまう感覚も、見たい舞台やライブのために十数年遠征を続ける私にとっては「あるある!!」という感想しか浮かばない。といっても、「繋がりたい」とか「認知されたい」という思いはなく、「いつまでも客席からキラキラを見ていたい」という気持ちが強い。たまちゃんとアリスが必ずしもりさ子と同じ応援スタンスではないように、ファンの数だけタレントとの向き合い方がある。ただ、こっちも必死で応援しているんだから、彼らもそれに誠実に応えてほしいという思いは共通しているんじゃないだろうか。

 

作中では、翔太のライバル俳優・悠の心情も描かれている。蹴落としたい俳優と「ビジネスBL」営業をしたり、もらったプレゼントにケチをつけたり、2.5次元舞台を「芸術性の欠片もない舞台」と内心こきおろしていたり、セフレがいたり・・・ファンにそれとは悟られないようしたたかに振る舞う悠の姿もまた生々しい。自分の人気が作品キャラクターの人気の上に成り立っていると悠はきちんと理解しているし、芸能界における自分の立ち位置を必死で掴み取ろうとする姿は、ある意味ものすごく「誠実」だ。女の子と遊んだり、作品や共演者をバカにすること自体を嫌だと感じるファンがいるのは仕方がない。私も、自分の好きな人には本音と建前が一致していてほしいと思う。けれど、ただ目の前の仕事に真面目にこなしていけば生き残れるほど芸能界はやさしい世界ではないのも事実だ。

 

「アイドル(に限らず、アイドル的な存在)の恋愛を嫌だなって思うのはなんでだろう」というのは、自分の中で長年考えてきて答えの出ないテーマだった。

好きなタレントに恋愛なんてしてほしくない、と感じる理由はファンの数だけあるだろうが、ひとつはりさ子の言う「親目線」ではないだろうか。本作のタイトルは「ガチ恋」だけど、りさ子は翔太と恋愛関係を築きたかったわけではないんじゃないか。別れたら他人になってしまう恋人ではなくて、絶対に裏切らない、繋がりが消えることのない特別な存在――息子のような――でいてほしかったのではないかな、と。

熱愛発覚がネットニュースに上がると、そのコメント欄には決まって「自分と付き合えると本気で思っているのか」とファンを嘲笑するコメントが付く。もちろんそういうファンもいるだろうけど、「誰のものにもならないでほしい」から、恋人の存在にショックを受けるファンは少なくないと思う。これは「自分だけの彼でいてほしい」という気持ちとは似ているようでちょっと違う。理想の押し付けと言えるかもしれない。

いつもいつまでも「私の考える理想のあの子」でいてほしいという欲求は、『武道館』では「容姿の劣化」とか「上から目線のアドバイス」という形で愛子たちアイドルを推し潰してしまっていた。それでいてファンはあっさりファンをやめてしまったりもするから、タレントにとってファンは有り難くも身勝手な存在に映るだろう。

けれど、ファンは時間やお金を費やしてファンをやっている。それ自体は本人の勝手だけれど、タレントの「求めていない姿」に対してファンがノーを突きつけるのもまた自由だ。タレント自身に「こう見られたい」という明確なビジョンがあっても、それに対価を払う理由がないと判断すればファンは離れていく。厳しいようだが、恋愛スキャンダルで多くのファンが離れてしまうタレントは「脇目も振らずに仕事をしている」以外の価値がないと判断されたということだろう。実際、一途さに頼らなくても仕事ができているタレントは、比較的恋愛・結婚による人気低下のダメージが少ない。偉そうなことを言うつもりはないけれど、やりたいことをやりたいように続けるためには「代えの利かない技術を磨く」か「優等生を極める」のどちらかしかないのが現実だろう。

ファンが見たい姿とタレントが見せたい姿が一致しているのは、奇跡的な巡り合せなのだ。

朝井リョウ『武道館』感想文

朝井リョウさんの『武道館』読了。

以下、あらすじ。完全にネタバレです。

 

人気上昇中のアイドルグループ・NEXT YOUに所属する愛子は、子どもの頃からの夢を叶えてアイドル活動をしている女子高生。

メンバーの脱退、ファンからの「ありがたいアドバイス」、「世間」からの悪意、年齢を重ねていく自分自身の未来・・・アイドルでいるために課されるあれこれに揺らぎ疲弊していく愛子の心の支えは、幼なじみの大地だった。

罪悪感を覚えながら大地と結ばれた後も、愛子は恋愛にのぼせるわけでもなく、粛々と活動を続けながら、自身やグループの進む先に悩み苦しんでいた。

そして。

目標だった武道館ライブを目前に、同じく恋人を拠り所にしてしまったメンバーの碧と共に、愛子はNEXT YOUを去ることになる。

 

アイドルの恋愛が発覚してアイドルでいられなくなる話、と言ってしまえばそれまでだが、作中で描かれる恋愛は決して浮ついたものではなく、アイドルで居続けるための唯一の心の支えという切実なものであるところが、いち人間として痛いほど理解できる。ファンにもクラスメイトにもメンバーにさえも言えない本音をただひとり受け入れてくれる味方、それがたまたま異性の幼なじみだっただけだ。

 

恋をすることを苛烈に批判する行為は、一般的には「酷いこと」とされる。愛子が芸能活動をしていない普通の女子高生(あるいは社会人)であれば、恋人の存在は日々のモチベーションを高めるものとして好意的に捉えられていたはず。

けれど、とりわけアイドルの恋愛に対して世間の目は厳しい。恋愛禁止を飲んだ上でアイドルになったのだから、という批判の声は、正論ではある。事務所やレコード会社など、彼女らがアイドルでいられるよう懸命にサポートするスタッフが大勢いる中での裏切り行為は、厳しいようだが簡単に許されるものではないと思う。

恋愛スキャンダルが発覚する度に「アイドルの幸せを喜べないのは本当のファンではない」という声が聞かれるが、一人の人間としての幸福追求と仕事の成功とは分けて考えなければいけないと思っている。ファンの中にはそのアイドルと恋仲になりたいと思っている人もいるだろうが、アイドルという仕事の成功に投資しているファンも少なくない。その成功を自ら手放す行為は、やはり褒められたものではないし、彼氏ができてよかったね、なんて無邪気に喜んでいられない。

そもそもアイドルが恋愛禁止を公言する(させられる)ってどうなのよ、という問題はあるけれど・・・。

 

恋愛が許されない、というか好意的に受け止められないケースは、恋愛禁止をうたった女性アイドルに限らない。恋愛禁止を公言していないアイドルはもちろん、女優でも俳優でも、特に駆け出しの芸能人の恋愛に対するファンの反応は概ね厳しい。芸能人ではないただの学生に対しても、恋愛禁止を掲げる運動部が存在するし、恋愛は受験勉強の妨げになるという大人もいる。

スポーツ選手の恋愛・結婚は好意的に受け止められているな、とずっと思っていたが、自分がプロ野球ファンになって意識的にニュースを見るようになるとそうとも限らないことが分かった。例えば二軍でくすぶっている選手と有名なアナウンサーとの熱愛が報道されると、「女を追いかける暇があるなら練習しろ」などと言われてしまったりする。一方で、一軍で結果を出している選手が学生時代からの交際相手と結婚すれば「支えてくれる人が出来て良かったね」と歓迎される。

つまり、一般論として「恋愛」は浮ついた、何かを極めるための障害になるものなのだ。そして、勉強なり仕事なりの成果(身の程)に見合っているかどうかが、その恋愛・結婚を肯定または否定する基準になっている。

 

アイドルは沢山のことを求められる。歌って踊って笑わせて、作詞作曲やお芝居もして。その全てを高いレベルで器用にこなすアイドルもいるけれど、基本的には、あらゆる仕事に一生懸命であることそのものがアイドルをアイドルたらしめている。突き抜けた才能はむしろ叩かれ、隙がある方が好まれる。

アイドルの恋愛が批判されるのは、ファンにとって疑似恋愛の対象だからというだけではなくて、アイドルという肩書以外に価値がないと、見下されているからだと思う。

作中にもこんな記述がある。

 

【応援はしているけれど、自分たちよりもいい生活をすることは許さない】という視線。

 

【応援はしているけれど、アイドル以外の道で生きていけるほどの商品価値はないことはきちんと知らしめておきたい、そしてそんなことこちら側はずっとずっと前からわかっていた】という視線。

 

朝井リョウさんは本当に恐ろしい人だ・・・。

アイドルを応援するという行為には自己投影がつきものだ。自分が叶えられない夢を代わりに実現させてくれる存在として応援する一方で、夢から、そして自分の生活からかけ離れた幸せ――例えばお金持ちになるとか、セックスをするとか――は許さない。自分と同じくらいか、それよりも弱い存在を愛でることによってカタルシスを覚える、という側面は否めないと思う。

 

エピローグで、NEXT YOUはメンバーチェンジを重ね結成15周年を迎えるアイドルグループになっている。30歳を超えた愛子ら1期生がステージに立つ姿を見たライブスタッフは「アイドルをアイドルたらしめているものってなんなんだろう」とぼやくが、年齢に見合わない衣装や髪型で懸命に「アイドルする」姿もまた、ファンが求めるアイドル像なのだ。

アイドルの応援とは、応援という言葉で彼・彼女らにいつもいつまでも「僕/私の夢」の枠からはみ出さないことを求め続ける、とても残酷な消費行動なのかもしれない。

あれから2週間

2年以上も存在を忘れていたブログを今更書いてみようと思ったきっかけは、そう、渋谷すばるくんです。

すばるくんが音楽活動に専念するために関ジャニ∞を脱退?今更しょーもない妄想!って、フライデーの記事(が載るよという宣伝)を鼻で笑いながら、友人にポプテピピックのスタンプを送ったりしていました。ツイッターのタイムラインも概ね似たような反応でした。本人たちのコメント以外は信じられないって。

だから、会員サイトに掲載された7人のコメントも、次々とヤフーのトピックに上がってくる「脱退」の文字も、最初は夢の中の話のように感じていました。

ちょうどその日は仕事だったのでリアルタイムで記者会見も見られず、かといって情報番組で補完する気にはなれず。彼らの肉声を聞けば否応にも現実を突き付けられるし、何より第三者がこの件に対してわかったようなコメントを寄せるのを聞きたくなかった。「がんばれ」とか「応援したい」とか、はぁ?私は関ジャニ∞を背負って歌うすばるくんが好きだったし、その姿をこの先もずっと応援したかった。ってなるのが明らかだったので。

 

私がすばるくんの歌声を認知したのはかなり遅くて、デビュー8周年の頃だったと思います。友人の家で見た「FIGHT」ツアーのライブDVDの中で「宇宙に行ったライオン」を歌う姿が余りにも神々しくて、気付けば過去のCDやDVDを夢中で集めていました。

なんて書くとすばる担のようですがそういうわけでもなく・・・夜ふかし出の村上ファンなんですけど・・・それはさておき、担当とかそういう次元ではなく、すばるくんを関ジャニ∞の歌姫(歌の王様?)であり象徴であると思ったし、バンド曲ではメンバー全員がすばるくんを守る騎士に見えるような、そんな関係性を好きになりました。

ソロ活動の辺りから「アイドルである」自覚を強く言葉や態度で示すようになったすばるくん。関ジャニ∞だから、ジャニーズのアイドルだから、大きな会場でライブもできて、大勢のスタッフが付いてくれて、映画の主演に呼ばれて海外にも行けて、沢山のテレビ番組にも出られて、フェスにも出られて。デビュー当時には考えられなかっただろう恵まれた環境の中にあって、でももっと「その先」を目指して、関ジャニ∞として誰も見たことのない景色へ挑戦し続けてくれることを、私は信じて疑いもしませんでした。その日までは。

 

会見内容をテキストに起こした記事を読みながら、そういえば「JUKE BOX」ツアーの罰ゲームで、「楽な方へ行ったらあかん、しんどいことやっていかないと」みたいなことをすばるくんは言っていたなと、ふと思い出しました。

更なる挑戦のためには、今の安定の中にいてはだめだと思ったんだろうか・・・そんなこと本人以外は誰も望んでないのに。

逃げ道は作らず、保険は掛けず、孤高の歌い手になることを選んだすばるくんのまっすぐさは、どこまでも美しくてかっこいい。だから余計に悲しい。

元気ライブの最終日、泣くほど懸命に大倉くんの穴を埋めようとしてくれた人が、二度と埋まることのない穴を空けていくなんて酷い。

失恋とも死別とも違う、こんな形の「諦めるしかない別れ」ってあるんですね。

 

私はすばる担ではないけれど、すばるくんの歌声に導かれるようにファンになったので、すばるくんのいない関ジャニ∞というものが全く想像できません。なんて言うのも、8人体制だった頃から応援している方にとってみれば失礼な話でしょうが・・・。

どうしてもすばるくんの影を追ってしまいそうだし、すばるくんがいなくても大丈夫な関ジャニ∞、になってしまうのは辛い。でも、すばるくんがいないからだめになってしまう関ジャニ∞なんてもっと見たくない。

会見から2週間、この相反する感情を「6人の関ジャニ∞を応援しよう」という前向きな思いにはまだ消化できていません。

 

 

ネタバレ許せますか、許せませんか

「ネタバレOKな人とNGな人」その違いは記憶能力のタイプにあった!(http://togetter.com/li/906768)がツイッターで話題になっていたので自分がネタバレに対してどういうスタンスかを考えてみました。

ネタバレは許せますか許せませんか、というざっくりした問いに対する答えは「許せない」派です。
自分が見ようとしているものはまず自分の目で確かめたい。ネタバレの多くにはそれを発信する人の主観が含まれていて、そのフィルターを通さずに見ることは二度とできません。知ってしまったことをなかったことにはできないので。
特に嫌なのは対象の核心に迫るような内容ですね。例えばミステリーの犯人、試合の勝敗、ライブのセットリスト。「それ」を知ること自体が読書や視聴の大きな目的である場合、ネタバレされることは通り魔に遭うようなものです。
もちろん、それが特に知っても構わない情報である場合もあるし、むしろ先に知っておきたい情報だから自分からネタバレを探しに行く場合もあります。
しかし欲しい情報に自由にアクセスできるこの時代において結局ネタバレの何が一番嫌かって、その辺りの情報収集のコントロールが自分でできないところじゃないでしょうか。知りたくない情報が容赦なく流れてくるストレス・・・。
少し前なら「だったらネットしなきゃいい」という意見に同意していたんですが、自分からアクセスしなきゃ見られないブログのような媒体ならともかく、ツイッターのように簡単に(しかも何の気なしに)情報共有できるツールでネタバレを完全にシャットアウトするのは無理だなと悟りました。どんなに気を付けていても、人の口に戸は立てられない。
だったらツイッターもやめてしまえばいいと言われればそれまでですが、ツイッターが友人他との連絡手段/生存確認手段になっている場合、数日ならともかく、例えば公演初日から自分がチケットを取った数か月先までずっとツイッターを見ない、という対策は現実問題として難しいんじゃないでしょうか。特におたく界隈ではツイッターくらいしか連絡先を知らない、という繋がりも少なくないんじゃないかと思います。
そんなおたく総ツイッター時代、ネタバレ肯定派の方々にせめてお願いしたいのは「作り手・演者が意図的に伏せている内容についてはそれを酌んであげてほしい」です。
特にライブとか舞台とか地域によって放送日が異なるアニメとか、人によって目にするタイミングが違うものについては、作り手の側も自分のブログや番組でのネタバレを避けることが多いですよね。やっぱり「自分の目で確かめてほしい」という思いがあってのことだと思うんです。ファンならできればその意図を酌んであげてほしいなーと思ってしまいます。
一方でネタバレ反対派として肝に銘じておかなければいけないのは「ネタバレを完全に避けるなんて無理」だということ。ツイッターを開けばなんでもかんでもリツイートされてくるし、ライブ会場の物販列に並べば「○○の曲で~」なんて無邪気なネタバレが聞こえてくる・・・その全てから身を守るのは無理です。諦めましょう。諦めたくないからといって「ネタバレやめてください」と特攻してもトラブルになる可能性の方が高く、それどころか「もっとネタバレするぞ」と返り討ちに遭う危険性もありますよね。
情報統制が叶わない以上、ネタバレを避けるためにできる最も有効な手段は「繋がらない」これに尽きると思うので、死ぬほどネタバレが嫌な人は何かを好きになった時に誰かとその感情を共有したいと思わないことです。実際、私はリアル友人以外の奈々オタと一切の繋がりを持たないことでツイッターでのネタバレを避けることに成功しています。そう、ネタバレとの戦いは孤独との戦いでもあるのです・・・。

遠征時のかばんの中身

先日の福井遠征で役に立ったものたち。
できるだけ軽くて嵩張らないものを揃えたいけど、なんだかんだ荷物が増えて結局重くなってしまう。


折り畳み椅子(http://www.supersports.co.jp/special/outdoor/products/553V2KW607.html

開演前の待機時間中に座るのに一番役立ちましたが、ホテルの部屋で靴下とかちょっとしたものを干すのにも使えました。


着替え入れ(http://toandfro.jp/products/organizer/

ポケットや仕切りの一切ないただの袋ですが、とにかく薄くて軽い!


てぬぐい(http://www.kamawanu.co.jp/

湿らせて首に巻いておくとクールタオル代わりに。ホテルの部屋でもすぐに乾くので、とりあえず1枚あると何かと便利。

関ジャニ∞リサイタルinサンドーム福井に行ってきました

※内容のネタバレはありません


この旅、過酷!
という感想しか出てこない暑さと街のキャパを超える集客に辟易しましたが、先日の長野に比べれば全然余裕のよっちゃん(死語)だったんだなと。
それでも自分への戒めとして書いておきます。

私の住む街(山陰)から福井までは直行便がないので、深夜バスで京都→サンダーバード鯖江へ。
駅に着くとサンドームまで徒歩15分と案内してありますが、倍は歩きました。もちろん靴とか抱えてる荷物とか天候にもよるでしょうが・・・。会場までは基本的に一本道なので、開演近い時間や帰りはそれなりに混みます。といっても前の人に続いて歩けば問題ないレベル。
タクシーも数が限られてます。会場の駐車場の数は多かった(ように見えた)ので、車で来た人が勝ち組だなって思いました。
駅を離れると、会場までの道中コンビニや飲食店は皆無。それまでに買っておいて、会場横の管理棟で食べることになります。管理棟の椅子もファンでいっぱいだったので(多分、昼夜2回公演だったから余計に)、持って来ていた折り畳み椅子(http://www.supersports.co.jp/special/outdoor/products/553V2KW607.html)がめちゃくちゃ役に立ちました!折り畳み傘くらいの軽さでほんと便利・・・。

ロッカーについて。駅構内、会場横の管理棟にロッカーがありますが数が少ないです。道路を挟んで向かい側のビルにある古いロッカーが狙い目。ただしこの(http://kanjani-eightrenja.blog.so-net.ne.jp/2012-07-31-6)サイズ以上のキャリーカートは入りません。でも同じ通りに有料で預かってくれる店もありました。
おすすめはしませんが、上のサイズのカートなら横倒しにしてスタンド席の下にギリギリ入りました。

グッズ販売は外、炎天下に並ばされました。なので飲み物・帽子・タオル・うちわ・日傘・汗ふきシートフル動員。フード付きタオルがあるときっと便利。公式グッズで出してくれ。
熱中症が心配になる暑さでしたが、倒れた人はほとんど見かけなかったような・・・公演後に係の人に支えられてる子は見ましたが・・・。

宿泊先ですが、公演チケットが取れた時点で周辺のホテルは軒並み満室・・・。ということで、前日は運よく空きのあった敦賀のホテルに宿泊することに。金沢や京都・大阪方面への特急も出ているので、その辺りでの宿泊もありでしょう(私も二日目は京都泊でした。ただ夜公演後の移動だと大変かも?)。

鯖江駅は大きな駅舎ではないので、終演後は入場制限がかかっていました。改札前に臨時のきっぷ売り場ができるので、会場へ向かう前に帰りのきっぷが購入できます。ICカードは使えません。
車両の込み具合は盆正月並み。指定席を取っていても通路まで人が溢れるので、それを避けたい人はグリーン車に乗るしかなさそうです。私は「指定席取れなかったからサンダーバードのデッキで水曜どうでしょうごっこするわwww」なんて舐めてたら指定席号車の通路で一時間半立ちっぱなしでした。

街の規模とイベント規模のバランスはこれが限界だなという気がします。
先日の長野はイベントの規模に受け入れる側の態勢が追い付いていない悪い例になってしまったのが残念でしたが、田舎で開催のイベントでもほとんどが大きなトラブルなく運営されてますから、まあ、主催側が悪かったなと。
だって、宿は満室・20時過ぎには解散・新幹線は通ってる、という状況で、その日のうちに新幹線で都内へ戻ろうとする判断を「甘い」と言われてしまえばもう何もできんわ。
混乱に巻き込まれた人は気の毒ですが、長野という街を貶すのは筋違いなので、そこは冷静になろうぜ!と思います。