短編集 (万+一)葉集

おもに秘密結社?「α-music」で発表した「語り」の為の短編台本集です。

告知 付録「印度の虎刈り」 番外編

告知

もともと、このブログは「α-musicで発表した短編を記録として載せる」ことを目的として開設しました。
「α-musicでの語り(朗読)は、原則未発表の作品に限りたい」という田中早苗の意向があり、2017年春のα-music後まで、新たな作品の掲載は控えることにしました。

私の手元には未発表作品もありますが、「α-musicで絶対に読みそうもない」作品に限っては、掲載する場合があるかも知れません。そのときはよろしく付き合い下さい。                  2016年 6月 17日    田中秀郎

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お詫び(?)に「印度の虎刈り番外編」を。


あるとき、印度の虎刈り一族は、イシャーラ国に入った。
イシャーラ国にも勇壮な軍団が居る。油断は出来ない。
眉毛の濃い苦み走ったその軍団は、俗にイシャーラ軍団と呼ばれていた。
虎刈り一族は少数の編成で来ていた。いつものように象に跨がって。いつもと違っていたのは一頭の虎を籠に入れ車に乗せて、象に引かせていたことだ。「印度の虎刈り」は、この虎を放って相手を全滅するつもりだった。

イシャーラ軍団の強さの秘密は、その世代交代法にあった。
若い兵士をヒーローに抜擢し、絶体絶命の場面でヒーローの命を投げ出させる。そしてまた、次の若いヒーローを起用するのである。新しく選ばれたヒーローは懸命に戦い懸命に生きる。いつか命を投げ出す為に。いっときの栄光の為に。
この方法でイシャーラ軍団は数々の危機を乗り越えてきた。何度も何度も復活してきた。若者をおだてて安く使い捨て、上層部は生き残る。永遠に持続する組織の理想型であった。

この軍団には奇妙な性癖があった。突然、海に向かって走ったり、夕日に向かって大声で叫ぶ。その行動の意味はよく分からない。
「イシャーラ軍団」とは、イシャーラ国を代表する軍団なのでそう呼ばれているに過ぎない。俗称である。
正式名称は言うまでもなく、「太陽吠え~るズ」。
現在では改称してベイスターズと名乗っている。が、「太陽吠え~るズ」のDNAは、しっかりと今も受け継がれて居る。

十数人の「太陽吠え~るズ」イシャーラ軍団と、印度の虎刈り一族は浅い沼を挟んで睨み合った。夕刻になり夜になり夜が明けても、印度の虎刈りは動かない。相手も太い眉を寄せて睨み付けるばかりだ。
イシャーラ軍団から一人の若者が走り出して沼に差し掛かり、足を取られて倒れた。「おっちょこちょいのヒーロー気取りめ。あいつの頭の中では『太陽に吠えろ』のテーマ曲が鳴り響いているに違いない」印度の虎刈りは言い捨て「殺してやれ」と配下に命じた。「それがあいつの望みなのだ」

配下は虎を放った。虎はまっしぐらに若者に向かった。沼の縁から高くジャンプして飛びかかった。

朝が来て昼になった。「今だ」印度の虎刈りが叫んだ。イシャーラ軍団が一斉に太陽に向かって吠え始めたのだ。戦う前の儀式、ルーティンだ。
陽は天頂にあった。夕日や朝日なら「太陽に向かって吠え」やすい。ところが、印度の五月は太陽の季節。真っ昼間、陽は真上にあった。そこに向かって吠えれば、当然周りなど見えない。しかも南国の強烈な太陽、目くらましを食らったのと同然、しばらくは何も見えなくなってしまう。ホワイトアウトという奴だ。

印度の虎刈りは配下の者たちと静かに象を進め沼を渡った。何も見えず呆然としているイシャーラ軍団のひとりひとりを象の鼻で撫でさせた。
印度の虎刈りが、戦わずして勝利したのは言うまでもない。

イシャーラ軍団は印度の虎刈りに服従を誓い、全員、爽やかなスポーツ刈りを虎刈りに改めた。

ところで、沼で倒れた若者と虎だが、虎が余りに高くジャンプしたため若者ともどもずぶずぶと沼に吸い込まれて沈み込み、見えなくなっていた。敵味方ともこの一頭と一人 は死んだものと思い込んでいた。
ところが、さすがに虎である。蛇の道は蛇、虎の道は虎のみぞ知る。沼の底に虎の穴を見つけて脱出していた。そしてなんと若者を救出していたのである。
お陰で若者は「太陽吠~えるズ」のヒーローにはなりそこなった。夢破れた。親切にもほどがある。迷惑な虎である。
                            おしまい。
                    2016年 6 月17 日

音楽会における緊張のほぐし方

 

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   音楽会における緊張のほぐし方

 

                            たなか秀郎

「緊張してはいけない」「緊張したくない」そういうときに限って人は緊張してしまう。
 たとえば、上司や同僚が見守る中でのプレゼンテーション、結婚式の祝辞、地上六十メートルの上に張られた綱渡りの綱に第一歩を踏み出すときなど、否応なく人は緊張してしまう。
 次に挙げるのは、ほんの一例に過ぎないので聞き流して頂きたいが、「音楽会でひとりで歌うとき」あるいは「演奏するとき」など、とくに緊張し勝ちである。

 さっき行ったばかりなのにトイレにまた行きたくなる。何度口を潤しても、喉がカラカラに乾く。

「リラックスすれば良い」というのは、緊張している本人には、何のアドバイスにもなっていない。それは「緊張するな」と言っているのと同じだから、である。これではますます緊張してしまうではないか。

 そもそも、人は緊張したくて緊張するのではない。
「緊張してはいけない」「緊張したくない」そう思えば思うほど緊張してしまうものなのだ。
 これは、ほんの一例に過ぎないが「音楽会でソロを歌うとき」など、緊張で思わず声が裏返ってしまったり、楽譜を持つ手が震えたり、声自体が震えたり、掠(かす)れたりしてしまう。
 手が震えたり、声自体が震えたり掠(かす)れたり裏返ったりしているのに本人が気付くと、ますます緊張は高まり、焦りを生む。負の連鎖が始まるのだ。こうなっては、回復のしようが無くなってしまう。

 声というものは厄介なものである。
 ふだん何気ないおしゃべりをしているときには意識もしないが、人前できちんと話さねばならなくなったときや人前で歌を歌ったりするとき、どうしてもその人の体調や精神状態をあからさまに写し出してしまうからだ。
 舞台に立つ。人々の視線がみな自分に注がれている。「うまく歌えるだろうか」そう思えば思うほど身体に力が入ってしまう。喉が締め付けられる。掌にじっとり汗が滲む。動悸が高まる。頭がジンジンする。

 そもそも、人前で歌を歌ったり演奏したりしなければ、こんなに緊張しなくて済むのだ。出演しなければよい。こんな楽な解決法はないではないか。
 それなのにやはり出たい。積み重ねてきた練習の成果を発表したい。なのに緊張してしまう。

「無心になればよい」と言う話もある。何も考えなければよい、ということだ。しかし、ほんとうに無心になってしまったら肝心の歌詞とか楽譜さえ、忘れてしまいそうだ。 だいたい「何も考えない」などということが出来るものだろうか。「何も考えない」ように務めれば、それは「何も考えないようにしよう」と考えることになるから、である。
「何も考えない」ようにするにはどうしたらよいのか、考えれば考えるほど、難しい。なんだか訳が分からなくなりそうだ。

 いっそ、「居直ってしまう」というのはどうだろうか。
 全て、あるがままに受け入れてしまうのだ。人間、完璧なヒトなど居ない。欠点も含めて人間というものではないか。「うまく」出来ることを目指すからダメなのだ。
 声が裏返ってしまったら、もうそのまま歌い続ければ良い。伴奏者が音程を合わせるのに苦労するかも知れないが、構うことはない。主役は歌い手なのだから。
 しかし、そのまま歌い続けると高音に達したとき、音域を外れてしまう可能性が出てくる。そういうときは、小節の切れ目とかブレスを利用して何とか辻褄を合わせればよい。すなわち、そこでオクターヴ下げてしまうとか移調するとか、全然別のメロディーを入れてしまうとか、方法はいくらでもある。ひとことで言えば「誤魔化す」のだ。
 jazzのアドリブだって、こうして生まれたモノなのかも知れない。「失敗」は意外に創造的なものなのである。
 聞き手の中には、もちろん気付く人もいるだろう。気付いても知らぬふりをして聴いている人さえ、居るだろう。 気にしないことだ。無視すれば良い。失敗した事実など、時の中に解消されて忘れ去られるものだ。時は永遠に流れていくのだから。
 しかし、誤魔化すゆとりもなくまるで破綻してしまう場合もなくはない。それはたしかに創造的でもなく、音楽的でもない。こうなってはいけない。救いようがない。

 このように、「いけない」とか、「ダメ」とか「失敗」とか「救いようがない」とか、否定的な言葉ばかり思い浮かべてしまうのも、いけない。あ、また「いけない」と言ってしまった。これではダメだ。あ、いや「ダメ」もダメか。なんだか分からなくなった。話を変えよう。

 さあ、あなたは舞台に立った。大勢の顔が見える。ライトが自分を照らしている。カメラを構えている人もいる。イジワルな目を向ける人さえ居るかも知れない。あなたより上手な歌い手や音楽的に高いレベルの耳を持った聞き手が、聴衆の中には居るかも知れない。そんなことは考えないようにしよう。

 深呼吸をしよう。あれ? 腹式呼吸ってどうやったら良いんだっけ。ダメだ。細かいことを考えるな。ちょっとほほえんでみたまえ。ダメダメ、笑いが引きつる。なにかおしゃべりをして自分の緊張をやわらげよう。ろ、ろれつが回らない。話がとりとめなく空回りする。冗談を言ったつもりがしらじらとする。観客のうんざりした顔が見える。
 さあ、今こそ一発逆転のチャンス。時は、あなたのものだ。
 こんな時は、ガソリンでもぶちまけて、観客を全滅させてしまおう。

 そうだ、     
「こいつらさえ、居なければ」
                            おしまい

注文の少ない料理店

 

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注文の少ない料理店
                          たなか秀郎

二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊の形をしてぴかぴか光る鉄砲をかついで、だいぶ山奥の木の葉のかさかさしたとこを歩いておりました。

そのときふと、うしろを見ますと、一軒のみすぼらしいトタン波板バラック造りの物置がありました。
二人の紳士は無視して通り過ぎようとしました。
すると、「当軒は注文の少ない料理店ですう~っ!」と叫ぶ声が聞こえました。
振り向くと、そのペンキの剥げかかった扉には、

「レストラン 西洋料理店 ねんねこや」

と書いてありました。
その下に、細かな字で、こんな事が書かれています。

「当軒は注文の少ない料理店です。
長い廊下はスペースがにゃいので作れません、
たくさんの扉は面倒にゃので作りません。
予算も暇もありません。
たくさんの注文もありません。
注文はたったひとつ。
どうか、おにゃかにお入り下さい。すぐ食べられます。
面倒な手続き要りません」

二人はぎょっとして顔を見合わせました。
すると扉の中からは、こんな声が聞こえてきます。
「おい、これじゃあ、話にならねぇ。俺なんざぁ、長~い廊下作ってよぉ、たくさんのメッセージ書いて、シナリオ作って…。おめぇたちのやり方にゃあ、このプロセスってぇもんがにゃい。つまらねぇ」
「もと親分だから忠告しますけど、話になるより腹の足し。動物タンパクはおいらたちには必須栄養素にゃんです~っ」

二人は顔を見合わせました。
互いに相手の顔が面白いほど震えているのが分かりました。ぐしゃぐしゃの紙のようでした。
扉から爪の生えた6本の腕が出て来てたちまち二人を捕まえました。

「ふにゃあ、ぐわあ、ごろごろごろ」という声がして、それからガサガサ鳴りました。
物置は煙のように消え、3匹の山猫が満足そうに顔を洗っていました。
もと親分だった山猫は舌なめずりさえしたのです。
                                     了

可哀相な豚

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可哀相な豚
                                 田中秀郎

  

 豚はとても頭の良い動物です。犬と同じくらい賢いのです。

 豚のハチベエは飼い主の日暮里博士が大好きでした。家ではいつも博士の側に座ったり寝そべったりしていました。
 博士は毎朝、大学へ出掛けます。するとハチベエは博士を見送りに渋谷駅までトコトコついて行くのでした。
 駅の入り口では博士が改札を通って見えなくなるまで、じっと見送りました。
 博士が見えなくなると、ハチベエはいったん家に帰ります。けれど、博士が帰ってくる夕方には、また一人で渋谷駅に向かうのでした。
 駅に着くと、入り口の近くに座って博士の帰りをじっと待ちます。けなげに座って待っている豚の姿を見て「まあ、カワイイ」という人もいましたが、「豚の癖に生意気だ」という人もいました。子供には気味悪がられウワンウワン泣かれたこともあります。
 このころ、やはり主人の帰りをいつまでも待っているハチ公という有名な犬がいました。なんでもハチ公のご主人の上野博士は一年前突然亡くなってしまったと言います。それでもハチ公は帰るはずのないご主人をじっと待っていたのでした。
「いいか、オレ様が元祖なんだからな。これだけの名声を得るまでにどれだけの苦労をしてきたかお前には分かるまい。オレの真似をしてあわよくば有名になろうなんて馬鹿な了見を起こすんじゃないぞ」と、居丈高に脅すのです。ときには耳や尻尾を囓ったりさえしました。
 犬の言葉ですから、回りに入る人間たちにはただ「ワンワン」としか聞こえません。ハチベエが「どうか後生です、そんな無茶な言いがかりは止めて下さい」と頼み込んでも、ハチ公は知らぬ顔、毎日毎日ハチベエをいじめるのでした。
「オレ様には今、銅像を建てようという話が持ち上がっているのだ。この大事なときにお前のような偽物が現れては迷惑だ、がぼっ」
 ハチ公はずる賢くて誰も見ていないときを狙ってハチベエをいじめるのです。

 その日、いつものように駅の入り口で、ハチベエは日暮里博士の帰りを待っていました。ところが、七時になり八時になり九時になり、そしてついに終電が来ても、博士は現れませんでした。
 博士は勤務先の大学で倒れ、亡くなってしまっていたのでした。
 翌日からハチベエはけっして家に帰りませんでした。
 大好きな日暮里博士の帰りを待って、昼も夜も雨の日も風の日も雪の日も駅の入り口に座っていたのでした。
 雪の日などお腹が凍り付いてもう少しで豚肉のルイベが出来るところでした。真夏の強い陽射しに背中から煙りが出てローストポークになりそこなったこともありました。お腹が空いていたハチベエはあんまり良い匂いに、思わず背脂を食べてしまおうとしてしまったくらいです。ハチ公には相変わらず毎日、嫌みを言われたりいじめられたりしました。
 亡くなった主人の帰りを、いつまでも駅の入り口で待ち続けるかわいそうな豚の話は、渋谷駅で乗り降りする人々の間で話題になり、やがて朝日新聞の記者がそのことを記事にしました。記事を読んで人々は涙しました。ハチベエは有名になりました。
 有名になると、ハチ公はますますハチベエをいじめました。

 まもなく戦争が始まりました。
 渋谷駅では、乗る人は居ても、下りて来る人は日に日に少なくなりました。
 渋谷駅の改札の横の通路には、ハチ公、ハチベエの他に主人の帰りを待ちわびる動物たちが並びました。犬や豚ばかりでなくネコやオウム、セキセイインコ、ハムスター、キングコブラサンショウウオ、中にはカブトムシやクラゲやミジンコもいたのです。その列は日を追うごとに長くなっていきます。
 でも、そんな動物たちのご主人は、けっして帰ってはきませんでした。それが戦争というものなのでした。

 まもなくハチベエはやせ衰えて死にました。やせ衰えた豚というものを人々は見た事がなかったので、それがハチベエだとは誰も気付かなかったほどです。そして、ハチ公も死にました。
 忠犬ハチ公銅像を頼まれていた彫刻家がハチベエを哀れに思い、その銅像も造ってやることにしました。彫刻家はたくさんの人々に呼びかけて寄付を募りました。朝日新聞も、それに協力しました。
「食べるために豚を毎日何千頭も殺しているのに、一匹の豚だけ特別扱いするのはおかしい」と言い出す人も居ました。捕鯨反対団体は「犬や豚ではなく鯨の銅像を造るべきだ」と主張しました。
 でも、世の中全体が貧しかったその当時、鯨の銅像を建てるほどのお金は、どこを探してもありませんでした。それに、駅前広場に大きな鯨の像を建てたとすると、駅に出入りする人の道が、塞がれてしまうのです。
 やはり、犬と豚の銅像が建てられることになりました。
 寄付金が思いがけずたくさん集まったので、彫刻家はその六割を貰うことにしました。残りの四割で十分立派な銅像を作ることができたのです。彫刻家だって収入が無ければ、やっていけませんからね。
 彫刻家は初め、やせ衰えた豚の像を造ろうと思いました。でも、いざ作ってみると少しも可愛くありません。彫刻家はリアリティーと美学的衝動の間で悩みましたが、結局、まるまると太った可愛らしい豚の銅像が出来上がったのでした。リアリティーよりも美学的衝動の方が勝ったのです。
 ハチベエの像は忠犬ハチ公銅像の隣に建てられました。まるまるとした豚の像は、お隣のハチ公より人気がありました。ハチベエの像の前で記念写真を撮る観光客も居るほどでした。「貯金箱みたい」と言って小銭を置いていく若い女性もいました。

 ハチ公は銅像になってもイジワルでした。夜中など見ている人が誰もいないと、
「豚の癖に銅像になるなんてトンでもない。大の迷惑だ。男前のオレよりもぶくぶく太ったお前の方に人気があるとは、けしからん」 ハチ公の銅像ははいきなり隣のハチベエの像に飛び蹴りを食らわせました。その勢いでハチベエ銅像は台座から転げ落ち、石畳に当たって砕け散りました。
 その直後にふたりの酔っ払いが通りかかりました。ハチ公はもとの台座にすぐに戻って知らぬふりをしていました。
 ふたりの酔っ払いはハチベエ銅像を壊したカドでけいさつに逮捕されました。
 もうとっくにお金を使い果たしていた彫刻家は二度と豚の像なんか造りませんでした。それどころかお酒ばかり飲んで仕事をしませんでした。芸術家は有名になったりお金持ちになったりすると、お酒ばかり飲むようになるものです。
 戦況は悪くなりハチ公の銅像も軍に徴集されました。ハチ公は鋳つぶされて軍艦の一部にでもなったのかも知れません。

 戦争が終わりました。日本の人口は3~4%減りました。平均寿命も少し縮みました。戦争にひとつだけ良いことがあったとすれば、日本が若返ったということです。

 ハチ公の像は再建され、渋谷駅の名物になりました。でも、忠豚ハチベエのことは、もう誰も覚えていませんでした。

 そして次の戦争が始まりました、と言っても、未来の話ですから、みなさんはこの戦争のことを知らなくて当然です。
 極度の高齢化と人口過剰、経済の行き詰まり、という矛盾を時の政府は解決出来ないでいました。行き詰まったままどうにも出来ない問題のように思えました。でも、頭の良いお役人があるとき、とても素敵なやり方を思い付いたのです。
「そうだ、戦争をしよう。戦争をすれば人口は減るし年寄りも居なくなるだろう。経済効果もあるぞ」
 相手はどこの国でも良かったのです。日本を若返らせることが目的でした。日本の首相は世界中の国に宣戦布告しました。
 大成功でした。日本はまさに若年化しました。なんと平均寿命が0歳にまで下がったのです。つまり誰も居なくなりました。
 
 地下化された東急東横線のずっと下に埋もれたままだったハチベエの魂は、喧噪が終わって静寂が訪れたとき、目を覚ましました。2020年東京オリンピックの喧噪にも、世界最終戦争の轟音にも目覚めなかったのに、恐ろしいほどの静けさに、目が、醒めたのです。瓦礫の中でハチベエの魂は、まだ待っていました。
 ハチベエが待っていたのは、もはや日暮里博士ではありませんでした。「一人でも良いから誰か下りて来ないかなぁ」と「誰か」が降りてくるのを待ち望んだのです。
 あの日、日暮里博士は渋谷駅から電車に乗って行ったきり帰ってはきませんでした。でも今では大勢のひとたちが同じように帰ってこなかったのです、誰も。
 
 そしてハチベエは不思議になつかしく思い出したのです。あの、ハチ公のことを。

ニャゴリング創世記

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ニャゴリング創世記
                       たにゃか秀郎


 ニャンニャンはニャンゴロの母なり、ニャンニャンの子ニャンゴロ、ニャンゴロニャンを生み、ニャンゴロニャン、ニャンゴロニャンニャンとニャンゴロゴロを生み、ニャンゴロゴロ、ゴロゴロナーゴを生む。ニャンゴロゴロ、ゴロゴロナーゴを生みしのち二百八年生きながらえて多くの子を生めり。ゴロゴロナーゴ、グルグルワオーとシュウシュウフーを生み、シュウシュウフー、フーフーギャオギャオを生み、フーフーギャオギャオ、ギャボギャボガオーとフンギャギャギャギャアを生めり。フンギャギャギャギャア、フンギャを生み、フンギャ、ギャギャギャシャーを生み、ギャギャギャシャー、ラングドシャを生む。ラングドシャ、ドシャドシャを生み、ドシャドシャ、ドシャサイガイを生む。ドシャサイガイ、ガケを生み、ガケ、ケガを生む。ケガ、イタイイタイとイヤンイヤンを生み、イヤンイヤン、ダヤンとイヤンゴロンを生み、イヤンゴロン、ゴロゴロゴロンを生む。ゴロゴロゴロン、カミナリを生み、カミナリ、イカヅチを生み、イカヅチ、光を生めり。

 神、「光あれ」と宣(のたま)いしければ、天地に光、満つ。「生命(いのち)あれ」と宣いしければ、ビッグバン、インフレーションの後(のち)、天地開闢(かいびやく)し、シャム、ペルシャ、ブリティッシュショートヘアー、メインクーン、、エキゾチックショートヘア、ラグドールスフィンクスベンガル、バーミーズ、ロシアンブルー、アビシニャン、ヒマラヤン、ノルウェーフォレストキャット、スコティッシュホールド、マンチカン、シャルトリュー、エジプシャンマウ、オリエンタル、チンチラ、アメリカンカール、ソマリ、オシキャット、サイベリアンシンガプーラ、ミケ、ゾウキン、ドラエモン、ニャンカメ、ひこにゃん、ふにゃっしー、我が輩は猫であるが、名前はまだない、シャノワール、ルシャボテ、ララッチ、リビッチ、キラッチ、いちニャン去ってまたいちニャン、アメショー森羅万象有象無象(うぞうむぞう)、地上に猫、満ちたり。

スフィンクス

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スフィンクス   
2014 1月11日


 みなさんはスフィンクスをご存じですね。
 ライオンの身体、美しい女性の顔、乳房、鷲の翼を持つ、神の使いまたは怪物、というものです。
 近年ではこの名前の付いた毛のまったく生えていない猫も居ますが、これはまた別の話。
 エジプト・ギザの大スフィンクス像は有名で観光用パンフレットなどでもよく見掛けます。ただし、古代エジプトで、スフィンクスを何と呼んでいたのかは分からないそうです。
 スフィンクスギリシア語の呼び方ですが、同じような怪物は古代エジプト文明、古代ギリシア文明、またメソポタミア文明にも登場します。古代では、現代のカラスと同じくらいスフィンクスが街を飛び回っていたという事でしょうか。
 古代エジプトスフィンクスには男性名詞もあったようです。これに対して古代ギリシアではスフィンクスは女性名詞。男性のスフィンクスは存在しません。
 これからお話するのは、男性の存在しないそのギリシァのスフィンクスの物語です。

 スフィンクスは待っていた。テーバイへ通じる森の入り口で。
 ビーキオン山頂のオベリスクのような細い四角錐の岩に腰掛け、翼と尻尾と両耳をぴんと立て、青い空と黄色い草原の境、つまり地平線を睨んでいた。
 オベリスクのような四角錐の岩をスフィンクスは気に入っていた。まるでわたしの為に誂えた台座のよう。
 眼下の草原は枯れたような色の葦の間に大きな岩がごつごつ転がり、人間の通れる道は細い小道が一本あるだけだ。
 小道はくねくねと曲がり岩を迂回しながらつづら折りになってビーキオン山頂の直ぐ下にやってくる。
 ここを過ぎれば下りになり、やがて森に入る。森の向こうにはテーバイという街があるそうだ。

 いつからだろう、
 何年、何十年、何百年、或いは何千年も、こうして座り続けスフィンクスは待っている。

 スフィンクスは人間の女の顔と胸、ライオンの身体、鷲の翼を持っていた。異形である。
 最高位の女神=ヘラに命じられここに遣わされた。九人の美しい女神=ミューザたちがスフィンクスにあの有名な謎を教えた。
 その謎とは、
「一つの声をもち、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足。その生き物は何か」
 と、いうものである。
 通りかかった旅人にこの謎を仕掛け、解けなければ殺して食べる。

 旅人を殺すことも、その肉を食らうことも、スフィンクスにとって、当たり前の事。罪悪感を持ったことなどない。
 それは私の使命、神々から与えられた仕事。
 しかし、その使命がどんな意味を持つかなど、スフィンクス自身には知りようもない。また、知ろうとも思わなかった。

 何百年だか何千年だか以前、ビーキオン山にやってきたばかりの頃は、旅人が大勢通った。馬や驢馬や牛も通った。たまに女達も居たが、多くは兵士や商いをする男たちだった。
 謎を解ける者などひとりも居なかった。
 だからスフィンクスは次々と殺して食べた。
 
 ビーキオン山のまがまがしい怪物の噂はやがて国中に広まった。
 誰だってわざわざ「取って喰われたい」と思う者は居ない。みなこの道を避けて遠回りした。
 おかげでテーバイには商人も訪れず、街は寂れた。
 スフィンクスはテーバイの街荒廃のシンボルとされた。
 
 何年も、何十年も、何百年も、旅人は通らなかった。
 スフィンクスは前脚を揃え肘から下を地面に付け、胸と首筋を反らせ、青い空と黄色い草原の境を睨み付ける。有名なエジプト、ギザのスフィンクスと同じ姿勢である。
 いつからこうして待っているのか、誰に命じられてここにやってきたのか、もう分からない。スフィンクスは石になってしまったように、動かなかった。
 そもそも私は何者なのだろう。なぜここにこうしてじっと待って居なくてはならないのか。いったい何を待っているのか。
 いいえ、私は神に遣わされた者。ここに座って見張っているのが役目。このことに何の意味があるのか知らぬ。でも、そうしなくてはならないのだ。
 「石像のように」動かないで居ると、自分の身体が本当の石になってしまったように感じられる。たてがみをそよがせる風の感触も、陽のぬくもりも、夜の冷たささえ、今は感じられぬ。

 スフィンクスの尖った三角の耳がピピッと動いて止まった。見た。日の出前の薄明の地平線にポツンと黒い点があった。
 ああ、何年、何十年、いや何百年ぶりだろう。
 スフィンクスは細い四角錐の岩の上で前脚を立て、座り直した、伸び上がった。
 水色の眼球の真ん中の三日月のような瞳が、たちまち膨らんで黒曜石のように光った。
 全身にどくどくと血が巡り出す。わたしは石の彫刻ではなかった。

 いままでは石のようだった。血など、通(かよ)っていないようだった。 生きているのか死んでいるのか、分からないくらいただ、じっと待っていた。動かなかった。
 時間など流れていないのと同じだった。

 スフィンクスの眼は鋭い。視野も広い。地平線よりこちらの物であればどんな小さな変化も見分けることが出来る。
 近づいてくるのは、若い男だった。二輪の小さな戦車を白い馬に引かせている。
 美しい男だ。白布を腰に巻いているが、上半身はほとんど裸だった。
 金色の巻き毛と分厚い胸、顔にはまだあどけなささえ残っている。
 
 血が沸き立ちスフィンクスの水色の眼球の黒い瞳が新月のように細くなった。
 そうだ。私だって女のはず。白い肌も丸い乳房も持っている。
 ならば、恋をし、結ばれ、子を産むことだって出来るはずだ。
 小さな翼を生やし三角の耳を持った子猫のような子供達が自分の周りを走り回っていたら、どんなに可愛いだろう。その子たちを抱き締めることが出来たならどんなに暖かいだろう。どんなに好い匂いだろう。

 けれど異形の私は一体誰に恋すれば良いのか。顔は人間、身体はライオン。鷲の翼さえ生えている。
 だからといってライオンにも鷲にも心ときめかすことなどなかった。
 この世には私と同じ姿をした男が居るのだろうか。それとも私はこの世でただ一個の、いえ一頭の、一羽の、いいやただ一人の、唯一孤独な存在なのか。
 もしそうであったなら、背中に小さな翼の生えた三角耳のこどもたちなど、望みようもない。

 思考と言えば良いのか思念なのか、頭の中が渦巻いて回転する。
 同時に凄まじい食欲が襲ってきた。なにしろ何百年もなにも食べていないのだ。忘れていた食欲が人影に刺激され、むくむくと沸き上がる。旅人はスフィンクスの食料だ。
 はやく来い。はやく。
 はやく謎を仕掛よう。さっさと食べてしまいたい。

 恋情と食欲の綯い混ざった嵐のような感情に狂わんばかりのスフィンクスにはお構いなく、若者はゆっくりとゆっくりとしか近づいて来ない。スフィンクスは身もだえた。
 太陽はとっくに若者の上を通り越し、今はビーキオン山の背後に回っている。
 息をシュウシュウ吐き出し、岩壁に爪を立ててガリガリ引っ掻く。 どうしてそんなことをするのか自分でも分からないまま裏返って背中を岩肌に擦りつけ、ワオーッグルグルグルと叫ぶ。
 はしたない。私は異形だが、獣ではない。その私がこんなに荒れ狂うなんて。

 若者はようやくビーキオン山の影が落ちる辺りまでやってきた。スフィンクスを載せた山頂の針のように細い岩の影が、若者と馬に重なった。若者がちらりとこちらを見上げた。
 あの者は謎を解くことが出来るだろうか。解けないなら殺して食べるほかない。
 食べたなら、若者の肉は私の身体になる。それは、うれしい。けれど、食べてしまったら、美しい横顔も金色の巻き毛も、二度と見ることが出来なくなる。
 いままで私の謎を解いた旅人は居なかった。この若者も解くことは出来ないだろう。
 なんとか食べずに許してやりたいが、なんと食欲をそそる横顔だろう。
 食らうべきか生かすべきか、それが問題だわ。

 よう、べっぴんさん、今日も好い天気だねぇ
 気が付けば若者はスフィンクスの足下に来ていた。つまりビーキオン山山頂のオベリスクのような岩の下に立ってスフィンクスを見上げていた。道が険しいからだろう、戦車から降りて馬を引いている。異形のスフィンクスを見ても、恐れている様子はない。

「べっぴんさん」と呼びかけられてスフィンクスは白い顔を赤らめた。 顔を赤くしたまま威厳を糺して告げた。
「名を名乗りなさい」
「あ、おれ? おれの名はオイディプス『腫れた足』さ。ヘンな名前だろ?」
「どこへ行く?」
「テーバイへ」
「私はスフィンクス。神に遣わされた者、この草原の番人。ここを通るには謎を解いて貰わねばならぬ」
「そうかい。それが決まりなら仕方ねぇや。金取られるよりはマシかも」
「ではオイディプス、答えなさい。一つの声をもち、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足。その生き物は何か」
「それはアレだな。朝飯に羊か牛を食べ、昼はニワトリ、夜にはえっとぉオットセイを食べたって話かな。四つ足と二本足はふつうに居るけど三本足の生き物はオットセイかアシカくらいだろ」
 
 「正解!」と、スフィンクスは思わずと叫びそうになった。全身の毛が逆立って息が荒くなる。
「朝と昼と夜に何を食べたかという話ではない。ひとつの生き物なのに朝は四つ足、昼は二本足、夜には三本足と問うているのだ」
「ひとつの生き物かぁ。そりゃ蛸だな。八本足の蛸が腹減って夜中に自分の足を四本食ってしまい朝には四本足になった。昼までにまた二本食べて二本足。でも、夜には足が一本生え戻ってきて三本になった。違うかい?」

 スフィンクスの水色の眼から涙の粒が落ちた。
 なんだこの若者は、でも、これは謎の答えではない。ミューザから教わった答えは「人間」である。朝、すなわち幼時には這い這いをし、昼、長じて二本足で歩き、夜つまり晩年には杖を突いて三本足、というものだ。

 スフィンクスは混乱した。おまけにオイディプスが食べ物の話ばかりするので、矢も楯もたまらなくなった。フウッーとうなると尻を上げ尻尾を振り立てて攻撃の姿勢を取った。
「オイディプス、私はお前を手に掛けて食べてしまうよ。それが定め。謎を解けなかったお前がいけないのだ。恨まないでおくれ」
 鷲の翼を拡げ、細く高い塔のような岩からふわりとスフィンクスは舞い降りた。以前だったら、ハヤブサのように翼を畳んで一直線に急降下していたところだろう。

 若者の幅広い両肩に降り立ち、金色の巻き毛の下の長い首に食らいつこうとした。オイディプスはスフィンクスの眼をまっすぐに見た。やや緑ががった灰色の優しく深い眼だった。
 翼を拡げたままスフィンクスは若者にのし掛かっていた。彼の眼がスフィンクスの眼のすぐ間近にあった。眼は穏やかに澄み切っている。
「答えをおれは知っているよ、『人間』だろう?。答えてしまってはあんたを殺さなければならないから、わざととぼけたのさ」
 踏ん張っている前脚からオイディプスの裸の肩の温もりが伝わってきた。肌に食い込ませていた爪の力を思わず緩めた。同時に身体全体から力が抜けていく。

「だいたい、この謎はアンフェアだ。謎を作った神様にしか答えがわからないようになっている。傲慢だ。
 神々は、解きようのない問題や訳の分からない神託を一方的に作り出す。まして、あんたにその謎を吹き込んだのは気紛れでわがままな女神ミューザたちだろう? 手が着けられない。面白半分に勝手な決まりごとを作って罪もない人間に押しつける。守れないとひどく怒って罰するんだ。謎を解けないだけで殺されるなんて、馬鹿げた話さ」

 わたしに与えられた使命は女神様たちの気紛れにすぎないのだろうか。
 自分を遣わしたヘラ様も、謎を仕込んでくれた九人のミューザ様たちも、もうとっくに神の国には居ないのかも知れない。居たとして、私を遣わしたことも謎かけを命じたことも、忘れてしまっているのではないか。あるいはわたしの存在さえ…
 ならば、なぜ、私はここにこうしていなければならないのか。謎かけと殺戮をくりかえさねばならぬのか。
 
 スフィンクスは鷲の翼を拡げ、空へと舞い上がった。何年、何十年、何百年になるのか覚えていないが、このピーキオン山頂に来て以来初めて空を飛ぶ。風を受け大きく旋回しながら帆渉する。
 自分が長いあいだ座っていたビーキオン山のオベリスクのような岩が針のように小さく見える。テーバイの街も、草原も、おもちゃのようだ。オイディプスという名の若者と白馬、一人乗りの二輪戦車も見える。
 わたしは何処へ行こう。

「おれと一緒に旅をしねぇか」
 若者が叫んだ。
「ダメ。わたしはお前をいつか食い尽くすよ」
「食欲旺盛だねぇ」
「そうね」ほほほほほと、スフィンクスは笑った。生まれて初めて笑った。
 ははははは、とオイディプスも笑って応えた。
「おれはね、高慢ちきなアポロン神託をひっくり返してやろうと、テーバイへ行くのさ」
「そう、ミューザ様との知恵比べに勝ったあなたなら、アポロンのご神託にも勝てそうね」
 さよなら
 さよなら
  
 オイディプスはスフィンクスを退治した英雄として、テーバイの街に迎えられた。人々に請われ王となった。
 イオカステという美しい妻を娶り、ふたりの王子と二人の姫を設ける。荒廃したテーバイに平和と豊かさを蘇らせた、
 しかし、良い事は長く続かない。この後、さまざまな困難不運が彼と彼の街を襲う。それはオイディプスの人生全体が「アポロンの驕った神託」によってがんじがらめに規定されてしまっていたからだった。スフィンクスの謎を解いた聡明なオイディプスでさえ、アポロン神託には抗えなかった。
 妻と母を同時に失い、己の両目を突いて盲目となり、オイディプスは自らをテーバイから追放する。
「テーバイの全ての災厄と罪を私が負う。自分こそが穢れそのものである」と。
 街を救うため、自らを裁いて穢れを払ったのである。
 これにより、テーバイには平安が戻った。
 
 オイディプスが、己のあずかり知らぬところで恐ろしい罪を犯し穢れにまみれた王であることは間違いない。けれどまた、ひとりの人間として正義を貫こうとした偉大な精神の持ち主であり、テーバイを救った英雄であることも決して否定出来ない。
 
 この後、
 オイディプスは娘アンティゴネーに手を引かれ物乞いをしながら徘徊しアテナイ近くまでたどり着く。

 スフィンクスはその孤独なふたりを上空から見守っていた。悟られぬよう、そっと手助けしたりもした。害しようとする人や獣を追い払った。

 王を守護するのがスフィンクスの仕事、そうひとり決めして。

印度の虎刈り

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印度ジャマンギアーナでは、代々、王は「印度の虎」を名乗った。

尊大な王が自称したものか、家来や民が畏敬の念を籠めたものか、それは知れない。

 

七世を数えると、その王は「印度の虎刈り」と呼ばれた。

初めは、乳母が幼い王子を愛情籠めてそう呼んだものだろうが、

次第にその綽名が広まった。

 

あまり名誉とは言えないこの呼び名を、七世の王は苦にしていない様子だった。

王と言っても、部族の長というほどの規模でありまた、本当は盗賊の親分と言った方が実像に近かった。

五十人ほどの部族を率いて、近辺を略奪して回っていた。

 

身内の者ならちょっとユーモラスに聞こえる「印度の虎刈り」の名は、勇猛な部族として近隣に恐れられた。

略奪のときには数十頭の象にまたがって、地鳴りと共に襲った。

襲われた街は、まるで津波の後のように滅茶苦茶にされた。

 

「印度の虎刈り」は、幼い頃から赤毛天然の虎刈りであったと言う。

少なくとも、そのように信じられていた。

だが、誰も、それを見た者はいない。

インド人はいつもターバンを巻いているから。

 

あるとき「印度の虎刈り」一族は、ムルターンという大きな城市を、いつものように襲おうとした。

怒濤の如く街の門を破った象の群れは、しかし、急に立ち止まらされた。

危うく多獣衝突しそうなほどだった。

 

先頭の「印度の虎刈り」が象を停め、城の塔を見上げている。

そこには、白孔雀の刺繍のベールを纏った美女が歌を歌っていた。

人殺しを呪う歌だった。美しいけれど刃物のように鋭利な歌声。

 

「印度の虎刈り」は、すぐに美女に求婚した。

美女は言った。

「わたしは偉大なマハラジャの娘。黒い長い髪の男としか結婚出来ぬ定め。わたしに求婚なさるなら、どうか、ターバンを取って髪を見せて下さい」

赤毛虎刈りの噂を知っての言葉であろう。

「印度の虎刈り」はターバンを取ることが出来なかった。

「引き返せ」とだけ、短く号令した。

「印度の虎刈り」一族が退いたのは、初めてのことだった。

多数の象が、どのようにして「回れ右」したかなど、今となっては分からない。

 

仕方なく自分の砦に引き返した「印度の虎刈り」を訪ねてくる者があった。

しゃがれ声のその老婆のような男は、王の耳に何事か囁いた。

王は周りの者たちを退けた。

鏡の間に、男を通した。

老婆のような男とふたりだけになった王は、鏡を背にターバンを解いた。

 

赤毛の見事な虎刈りだった。頭は褐色と茶に八等分されていた。

「ご安心なさい。私がなんとか致しましょう。漆のような黒髪に」

 

男はさまざまな薬を王の髪に振り撒いて呪文など唱えたあげく、鋏や剃刀で髪を整えた。

 

「どうぞ鏡を」手鏡が背後から手渡された。

背後の大鏡を合わせ鏡に写してみると、以前にも増してくっきりとした放射状の虎刈りが映った。

 

一瞬呆然とした王がすぐに刀を抜き振り向くと、すでに男の姿はなかった。

王はもう一度、手鏡を覗いた。つむじを中にして、きちんと十六等分の虎刈りになっていた。地肌の部分は完璧に削り落とされている。

 

「大した技術だ。いや…」

憤怒が湧いて、その地肌の部分まて゛真っ赤になった。

「計られた」

 

 

王はすぐに単身、あの歌姫のいるムルターンに向かった。

全印度で一番大きな象に乗って。

美女を略奪するつもりだった。

 

美女は由緒正しい偉大なマハラジャの娘だった。

マハラジャは精鋭の軍隊を持っていた。

刃物や弓を使わず、素手や棍棒、投石などで相手を倒してしまう30人の大男たち。

「偉大なマハラジャの巨人軍団」である。

 

その中にひとり、ほっそりとした少年が居た。「東洋のダビデ」。流星のように石を投げる名人、ヒューマである。

飛んでいる鷹をも落とすと言われたその投石は、「巨人軍団の流星」「巨人の星」と謳われ、恐れられた。

 

姫が塔の上で歌っていると、「印度の虎刈り」が下から大声で呼ばわった。

そのとき、石がうなりをあげて、空を切り裂いた。

石は、「印度の虎刈り」のターバンの正面の留め金を真横から、はね飛ばした。

平たい石を使った魔球である。

石は、らせんを描いて、重力に逆らって上昇した。

はらり、はらり、ターバンが解けた。

怒りと恥で朱に染まった地肌と赤茶の毛が、ルーレットのような十六等分の虎刈りを作っている。

 

城壁から見下ろしていたヒューマが大声で笑った。カストラートのようなソプラノ。

他の巨人軍団も大笑いした。

時代劇の悪代官が30倍されたような笑い声だ。

「印度の虎刈り、おぬしもワルよのう、ははは、わはは、うわっはっは」

「印度の虎刈り」は静かにターバンを巻き直した。

こんな時のため、もう一本用意していたのだ。

 

「印度の虎刈り」は、全印度で一番大きな象を進めて、やすやすと城門を破った。

彼がマハラジャの城に入ってから行った凄惨な行動は、ここでは言えない。

 

結果として、巨人軍団は手もなく全滅し、ヒューマも新魔球を開発するいとまを与えられず、葬られた。巨人軍は永遠に滅亡したのである。

 

もとより偉大なマハラジャは、逃げ出していた。

残されたのは、姫ただひとり。

毒薬をあおろうとしていた姫の腕をひっぱたいて、銀の杯を叩き落とした。

 

「歌え」

「印度の虎刈り」は命じた。

姫は「虎刈り」を嘲る歌を歌った。

 

「嬲られるか、殺されるか」歌い終わった姫は目をつむった。

 

そのあと、「印度の虎刈り」の採った行動は、ちょっと理解出来ない。

白孔雀のベールを剥ぎ取った彼は、姫の長く黒い髪を、腰の短刀で虎刈りにし始めたのだ。

おしまい。