刀剣入門のススメ in春日大社 安綱・古伯耆展
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刀剣入門のススメ in春日大社 安綱・古伯耆展
あけましておめでとうございます!卑屈な奈良ブログ、新年1回目記事です!
ワイの年末ジャンボが…ワイの年末ジャンボ…ううう…
株で夏ボーナス溶かした次は宝くじか?懲りん奴だな
ワイの夢が…10億円がっ…馬鹿なっ・・・どうしてっ…なんでこんなことが…あってはならないことがっ……!
ギャンブルは良くない、はっきりわかんだね
というわけで新年!!次のサマージャンボこそは必勝を祈願すべく!!先日、奈良市の春日大社へと行ってきたのである!!
もはや神にも救いようのないアホだな…というか初詣シーズンは完全に過ぎておるぞ
まあ県内で初詣といえば橿原神宮や三輪神社にいつも行ってるという人も多いと思うが、今年の冬はもう一つ、初詣関係なしに是非春日大社へと行ってみてもらいたい理由があるのだ
ほう、その理由とは?
それがこの今回のテーマだ!どーん!
「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展in春日大社国宝殿」
※会場内では、この記念刀以外は全て撮影禁止なのでご注意下さい
あ〜これか〜駅の広告に出てたわ
さよう!最近の刀剣ブームも相まって、全国的にこうした刀剣の展示会というものはかつてよりも頻繁に開催されている
正直ゲームの刀剣乱舞はかなりやり込んでます…
ワイはゲームの刀剣乱舞はやってない。アニメ(活撃)と実写映画は観たけど。案の定会場内にもなんかパネル置いてあったわ
非ヲタの方々には何言ってるのか全く理解できんだろうから一旦話を戻そうか…
せやな…というわけで今回はだな、その春日大社で開催されている刀剣展にまつわるお話や
とはいえ、昨今の刀剣女子ならともかく、一般の人にとって骨董とか美術品の世界ってどうも敷居が高いというか、どう楽しめばよいのかわかり辛い部分があるよな
そこで今回は安綱展の紹介というよりも、刀剣展の世界へ足を踏み入れるための導入のひとつとして、刀にまつわるストーリー性の面白さというものを簡単に一例をあげながら紹介していきたいと思う
して、ストーリー性とは?
~ストーリーにみる刀剣・妖刀村正を例に~
まず日本刀といえば、例えば「村正」や「正宗」といった名前は、一般の人でもなんとなく耳にしたことがあると思う
確かに。「妖刀村正」とかのフレーズはなんとなく聞いたことがある。これも恐らく何かの漫画かゲームでだと思うが・・・
刀〈銘 勢州桑名住村正〉 出展:村正 - Wikipedia
では例えば、村正という刀はなぜ「妖刀」と呼ばれていると思う?
・・・言われてみればなんでじゃろ
では説明しよう。まず初めに、村正というのは、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工の名前、及びその作品である日本刀のことをいうんや
つまり、村正という刀はこの世に1本ではなく、村正という刀工が作った刀全てを指す言葉なんやな
そういうこと。で、この刀工も1人ではなく、何代もの職人が村正という名前を継ぎながら、15世紀~16世紀の間にかけて数多くの刀を作り続けていた
15世紀~16世紀ってことは、日本はまさに戦国時代の真っ只中やな。裸に赤ジャケット羽織った真田幸村とか、6刀流の伊達政宗とか、ガンダムみたいな鎧をつけた本多忠勝が槍を振り回していた時代や
一旦ゲームのイメージからは離れてくれや・・・
で、村正はそうした戦乱の世の中で、その凄まじい斬れ味を高く評価され、何人もの武将や兵士たちに愛用されていた。ではなぜその村正が妖刀と呼ばれるようになったか。それは江戸時代に広まった妖刀伝説が基となっている
江戸時代ってことは、家康が天下を取って、戦乱が収まった後に広まった話やな
そう。その江戸幕府を開いた家康、もとい徳川家にとって、村正という刀はとてつもなく縁起の悪い刀だったんや
縁起の悪い、とは?
縁起が悪い理由のまず1つ目。1579年、当時まだ戦乱の真っ只中であり、尾張の大名・織田信長が次第に勢力を伸ばしつつあった頃。徳川家康の長男であった松平信康が織田信長に切腹を命じられ、その際に使用された刀が、村正だった
家康の息子といえば2代将軍の秀忠しか教科書には載ってないが、兄がおったんか。これは家康もトラウマですわ
理由2つ目。家康の祖父・清康も、錯乱した家臣の阿部正豊によって、村正で斬殺されている(森山崩れ)。また、家康の父・広忠がこれまた家臣の岩松八弥に襲われて殺されかけた時の刀も村正
ヒエッ・・・先代もか
理由3つ目。家康の正室・築山御前を小藪村で家臣の野中重政が暗殺して斬った刀も村正
嫁もかよ!!
理由4つ目。関ヶ原の戦いの際、家康が怪我をした槍も村正。んでもって大阪の陣において真田幸村が徳川本陣を急襲した際、家康に投げつけた短刀も村正
本人もでした
その他にも後々でいえば徳川幕府を倒した攘夷志士の西郷隆盛とか幕府討伐軍総司令の熾仁親王の身につけていた刀も村正だったとか慶安年間にクーデターを計画した由井正雪が所持していたのも村正だったとか、まあ色々と伝説がある
徳川縁者を斬りまくった挙げ句幕府そのものすら呪う、まさにこれは妖刀ですね
まあそんなこんなで村正が徳川将軍家に仇なす妖刀であるという伝説は、当の幕府自身も含めて、幕末の頃には完全に定着していた。
と言っても、先に述べたとおり村正は評価の高い実用刀であったため、数多くの村正が戦国の世に重宝され、それが戦や切腹の際などに使われやすいというのは必然であったんやな
実用刀というと、実用ではない刀もあるんか?
武家にとって刀は高い価値を持つ美術品でもあり、特に平和だった江戸時代なんかは、武士の象徴である刀を家宝にする事も多かった。いわゆる伝家の宝刀ってやつや。その他にも神社への奉納用とか、必ずしも全ての刀が最初から人を斬るためだけに作成されているというわけでもない
へぇ~。まあ確かに現代でも神社に奉納するための刀が作られたりしてるもんな
その中でも村正は、優美さよりもあくまで実用に特化したストイックな刀だった。当時、合戦のメイン武器は刀ではなかったとはいえ、護身武器としてかなり信頼されていたものといえる
えっ、合戦のメイン武器は刀じゃなかったんか?戦国もののドラマとかではみんな腰に差した刀でチャンバラやっとるで
あれは映像的な見栄の良さを出すためのフィクションや・・・実際、戦場で死者を出した武器のぶっちぎり1位は弓矢、2位が鉄砲、3位が投石と言われている。合戦のリアルな時代考証は映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ! 戦国大合戦』がなぜか妙にしっかりしているので興味のある人は是非一度見て貰いたい
刀は石以下だったのか・・・
とはいえ、乱戦になれば刀を使うことも十分に多かった。そのことを念頭に先ほどの村正の姿を改めて見ると、全体として反りが浅く、鋭利さを感じさせる形状になっているのがわかる
見栄えが良い立派な刀というよりも、折れにくく切れ味の鋭さが特徴といえるな。つまり村正は、優美さを追求した高級ブランドというよりも、あくまで実用武器としてのスタンダードというわけやったんやな
まさに命を刈り取る形をしているッ・・・!
というわけで、一般的に有名なものを例に紹介したが、刀剣にはその作られた時代、用途など、それぞれが持つ背景によって姿形も千差万別というわけや
ほーん。それで今回春日大社のメイン展示である童子切安綱をはじめとした安綱の作品は、どういうバックストーリーを持った刀なんや?
それは・・・直接春日大社の国宝殿へ行って確かめてくれ!
出た恒例の丸投げ
だってここで全部喋っちゃうとつまんないじゃろ。展示されてる刀の脇には詳細な解説が書かれたパネルが置いてあるから、ぜひそれをじっくり読み、想像を巡らせながら実物の刀剣を見て美しさを味わって欲しい
何か覚えておくべき事前知識とかはあった方が良い?
特にない!けどまあ、強いて言うなら刀の部位の名称とかかな。展示会場にも説明パネルがあったからそれを最初にチラ見しておくと良い
出展:wikipedia
あとそういえば、会場の混雑具合はどんな感じや?京都国立博物館の刀剣展は休日わりと大行列だった気がするが
そこは奈良県の良いところですよ・・・安心して下さい。公開2日目の日曜日に見に行きましたが、全く混んでませんでした
喜ぶべきか悲しむべきか・・・まあ空いてるに越したことはないな・・・
というわけで、このイベントを機にぜひ!刀剣の世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか!
以上、お読みいただきありがとうございました~!