物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

逆転

 いつの間にか、自分を人見知りだとは思わなくなった。人と話すことに慣れたからかもしれない。そもそも人見知りなんてものは存在しないのかもしれないとも思う。

 人見知りというものを仮に初対面の人と話すのが苦手な性格だとするならば、そこには矛盾が生じる。この人によっては話しやすいし、この人は話しにくいという風に、相手によって変わるからだ。その発動条件は安心感がもてるかどうかだと思う。「この人なら自分の話すことをちゃんと聞いてくれる、受け止めてくれる」と思える相手には人見知りをしない。

 しかしながら「人見知りな性格」というものには「自分がバカなやつ、面白くないやつだと思われたくない」という保身的感情も大いに乗っている。ソースはぼく。面白くないと言われたくないから話さない、どうせあなたもそう思うんでしょ、的な被害妄想と偏見に満ちた思考が人を人見知りにするのだと思っている。だが、まぁなんやかんやで自分の発言で人が笑ってくれたり納得してくれるのを見始めてからはとくに思わなくなった。

 あと、自分にとって相手が話しやすい人かどうかを事前に見分けるようになった。まだ感覚でしかないが、自分にとってどんな相手なら話がしやすいかがわかるようになってきた。そうすることで自分も楽だし、相手にとっても話の合わない人間と無理にしゃべる時間を作ることなく、すべての人がハッピーになると気が付いた。ほんと大事。

組織

 組織がまとまるということの難しさを感じている。全員の意見が尊重されるという安心感がないからか、運営方針が合わない人がいるからか、自分の意見が絶対的に正しいと思っている人がいるからかはわからないが、一時はチームとしてまとまっていた組織が分裂し始めているのを感じている。それは別に悪いことではなく当然のかもしれないが、仕事をしやすくするためにまとまる努力はしたい。

 組織が安定するためには、個人のまとまりからグループのまとまりになる必要があるのではないかと思う。それぞれのグループに仕事をするための方針があり、仕事の不満を解消する機能があれば、共存ができるのだろう。おそらく今がそれだ。しかしどちらかのパワーバランス高くなる、つまり片方が多く仕事をしているとか辛いことばかりやっているとか主張を始めると、もう片方が食われてバランスが崩れる。そうなると居づらくなった人がやめるんだろう。

 その兆候は、話し合いの最中に顕著になる。誰かの意見に意見で返さなくなるとか、2人の意見という前提で話をするとか、それらに無条件で乗っかる人がいるとか。

 それを防ぐためには、コウモリをやっているだけではダメなんだと思う。どちらにも入り込みその中で一目置かれるポジションになったとしても、話されないことが増えるだけ。だから組織のリーダーの意思決定ができるくらいのリーダーであることが必要なのだろう。大変だなぁ。

 

自立

 大学に入って親元を離れてから、自立するために努力した。きっかけは、自分がいなくなればいいと思ったこと。幼い頃から「お金がない」と言いながらため息をつく両親の姿を見て育ち、自分がいなくなれば彼らは幸せになんじゃないかと思い至った。親の目に映らない場所にきたからこそ、自立することで自分の存在ごとお金の心配を忘れてもらうことを望んだ。

 起業の勉強、ライティングのスキルの習得、一人旅、留学、インターン、福祉関係・飲食店、マッサージ屋など業種を問わずアルバイト、そして自分で靴みがき屋を始めてみたりと、自立につながりそうなことは何でもやった。でも、一人で延々と「何でこんなことやってるんだろう」と塞ぎ込む日が続いた。親に心配されない自分になれる気がしない。そんな思いがこびりついて取れなかった。

 親とは話すたびに喧嘩になるような仲なので会いたくはなかったが、先日、免許の更新で地元に帰らなくてはならず、数年ぶりに実家に帰った。喧嘩になりかけた場面もあったけれど、空いた時間が互いの考えを受け入れられる準備を整えさせてくれたようで。理解し合うことはできなかったけれど、和解することはできた。両親が自分を心配してくれているのは愛ゆえなのだとわかった。

 「心配なんてするなよ」と思っていたが、心配される余地を残して生きること。それが自立だと思った。

役割

 「この世のすべてのものには役割がある」という考え方が好きだ。水や植物は生き物の生命維持のためにあるとか、毛は体温を恒常的にするためにあるとか、そういうの。

 役に立たない人間は存在しないと思う。いるのは、自分を役に立てる方法を知らない自分と他人。「どこまでも役に立たないやつだ」と自分を恨み続けて、そんな自分が役に立つ方法を見つけた過程を経たからこそ、そう主張をしたい。

 物心ついた頃から、お金の心配で頭を悩ませ続けている親と過ごして「自分がいなくなればいい」と思った。友達だと思っていた人が離れていき、自分がいなくても世界は問題なく回ることを知った。自分がいなくなったところで誰も悲しまないだろう。そう信じて疑わなくなった。「俺は悲しいぞ」と言われても、嘘だとしか思えない。そんな慰めをいうなら証明してよと何度も言いそうになった。

 役に立つというのは、何かを必要としている誰かの問題を解決することだと、大学生になって学んだ。自動的にネガティブな妄想を何時間も繰り返すような大学生だったぼくは、そんな自分を見捨てないでいてくれた人のためにできることを探そうと思った。ゴミでしかない自分が持っているものなんてない。けれどその人が必要としているものは何か。そのために必要なものが何かを考えた。

 出した答えが正しかったのかはわからない。だが今も役割をもらえているのは、間違いじゃなかったからかもしれない。

下手

 昔から、感情を出すのが下手だ。象徴的な記憶の一番古いのは、小学生の頃。毎週2回、塾に行って課題のプリントを数枚解くというのを繰り返していた。チョロい問題は軽く解いていたのだが、どうしても解けない問題に当たったとき、ぼくはプリントをビリビリに引き裂く人間だった。問題が解けない自分の能力への怒り、理不尽にその環境に押し込める親への怒り、その苦しさをわかってくれない先生たちへの怒り、それらをどう発散すればいいのかわからなくて、怒りの原因を直接的に殺すというやり方を採用していた。

 

 その後も、学校の教科書をぐしゃぐしゃにしたり、ノートに幾千もの「死ね」を書き殴ったり、自分の腕を切ったり、心の中で人を殺したり、ナイフを向けたり、嫌いな人間を近づくなオーラで遠ざけたりと、感情を上手く出せないまま順調に育った。父親に「お前はいつか犯罪者になる」と言われたのもあながち間違っていなかったのかもしれない。しかしながら、いつの間にか前述したどれもしなくなった。

 

 大学に入ってからのぼくは、今までの何倍も言葉を話すようになったからだと思う。多くの言葉を自分の中に入れて、すべての事柄に対して言葉を尽くす習慣ができた今、怒りの感情を露わにして逃げることがほとんどなくなった。怒りの正体を言葉にすれば、すっと出て行く。そんな感覚を得ている。怒りは自己満足でしかないと、痛感したのも大きいかもしれないが。