「夜は墨染め」は希望の歌
こんにちは。今さら「忘れてもらえないの歌」の考察です。
遅筆すぎるせいで観劇後すぐに書き始めたにも関わらず放置してしまっていた記事を発掘したので、当ブログの開設一周年を機に供養公開したいと思います。(都合のいい言い訳だ……)
コロナウイルスやそれを発端としたあれやそれやに毎日気が滅入りますが、暇つぶしにでもお読みください。
この記事は舞台「忘れてもらえないの歌」の内容ネタバレを含みます。また、レポではなく考察なので観劇済みであることを前提として書いてあります。未観劇の方には内容が分かりづらい可能性があります。
また、演者さんたちのセリフは私の記憶の中のものなので、ざっくりしたものとして捉えていただきたいです。
ご了承いただける方のみお読み願います。
「夜は墨染め」は希望の歌
Tokyo Wonderful Flyが再集結し曲を作った夜、瀬田は少し出来上がった曲を「暗い!」と一蹴し、麻子は「この歌を歌わなきゃやってらんないって思うような曲がつくりたい」と思いを述べます。そこから曲作りはズンズン進み、メンバーの笑い声があふれる制作風景になりました。また、完成したレコードをカフェ・ガルボで聴くシーンでは、曲の題をきいた客が「暗い曲?」と問いかけると滝野が「明るいさ!みんなで歌えるように書いたんだ」と答えるシーンもあります。
前提として「夜は墨染め」は、自らの力となるような・明るい・みんなが口ずさめるような歌なのです。この前提を大切にしながら、歌詞を考察していきます。
★「上を向いて歩こう」との対比から見る「夜は墨染め」
Tokyo Wonderful Fly のメンバーが再集結し、新進気鋭の歌手、‟坂本”のレコードのために書き下ろした「夜は墨染め」。しかしいざ発売されたレコードを再生すると、その中身は坂本九の「上を向いて歩こう」にすり替えられていました。滝野がレコード制作を依頼された曽根崎に金銭をだまし取られたというオチでしたが、それだけではなくこの二曲の歌詞には明らかな相違点があることから、「夜は墨染め」が「上を向いて歩こう」の基になっているという設定があることがうかがえます。その相違点を考察していくことで、「夜は墨染め」が希望の歌であるという証明をすることができます。
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
(上を向いて歩こう)
ふりはらい こぼれながら うつむいたまま 歩く
(夜は墨染め)
一番象徴的で印象的な対比がこの部分です。この『上を向いて歩こう』⇔『うつむいたまま歩く』という分かりやすい対比があることから、「夜は墨染め」の歌詞は「上を向いて歩こう」の歌詞を踏まえて書かれたことが明らかだと言えるでしょう。そこで、「上を向いて歩こう」の歌詞を踏まえながら、「夜は墨染め」における“星”について考察をしていきたいと思います。
悲しみは星のかげに
(上を向いて歩こう)
「上を向いて歩こう」における星とは、その陰に悲しみを抱えるものです。これを踏まえて、「夜は墨染め」のサビ部分を見ていきましょう。
星は今日も 空に美しく 煌めいてくれるわ
(夜は墨染め・サビ1)
星は今日も どうせ美しく 煌めいてくれるわ
(夜は墨染め・サビ2)
気が付けば 夜は墨染め ~<中略>~
星はもう見えないけれど 煌めきは 覚えてる
(夜は墨染め・サビ3)
一見すると、曲の主人公を照らす星明かりが消えてしまう物寂しい構成のように思われますが、この曲の背景にある「上を向いて歩こう」における星は悲しみを抱える存在であることを視野に入れると、印象はガラリと変わります。
サビ1では主人公の頭上には悲しみが煌々と輝いています。サビ2での『どうせ美しく煌めいてくれるわ』という投げやりな言葉遣いも、悲しみに疲れ切ってしまった、諦めてしまったような主人公の姿も垣間見えます。そしてサビ3ではついに星(悲しみ)は消え、記憶の中のものになります。
このように考えると、「夜は墨染め」はストレートに歌詞を読んだ時の“道しるべとなる星明りが消えても自分の力で進んでいこうとする主人公の曲”というような解釈のほかに、“消えない悲しみの中でもがいていた主人公が悲しみを克服しさらに歩んでいこうとする曲”という解釈ができます。後者の解釈をすると、作中でこの曲が“明るい歌”だと扱われている十分な理由になるのではないのでしょうか。
もちろん作中では滝野たちがこの曲を制作している時点で「上を向いて歩こう」など存在していないのですが、「夜は墨染め」は監督の視点から与えられた希望の歌であると言えるでしょう。
★終わりに
本当は、「物語の登場人物の視点から見て、『夜は墨染め』が希望の歌といえる理由」というトピックが書きかけだったのですが、もう自分が何を書きたかったのか忘れてしまったので抹消してしまいました。遅筆を反省したい。
「夜は墨染め~忘れてもらえないの歌~」は、東京スカパラダイスオーケストラさんがアルバム「ツギハギカラフル」に「Mr. Foolish」という改題でインスト版を収録しています。「バカな男」なんて改題、舞台ラストの滝野を思い出してゾクゾクしちゃいますね…。
今さらすぎる考察ブログにお付き合いくださり、ありがとうございました。
関ジャニ∞の関ジャニ∞観を考察する
「GR8EST(DVD収録公演)最終挨拶」
「CUT2019年1月号(2018/12/19発売)」
「音楽と人2019年4月号(2019/3/5発売)」
この二つの雑誌のインタビュー記事とGR8EST挨拶をソースに、関ジャニ∞の関ジャニ観を考察してみました。今更感が強いですが、6人6色の言葉が興味深くてずっと考察してみたかったのを、GWを機会にやっと手をつけた次第です。そしてほぼ二か月をかけやっと完成しました。
いまさらネタバレも何も無いでしょうが、雑誌記事・グレコン挨拶の内容を多分に含みます。
また、私はファン歴が浅いこともあり、この二つの雑誌記事とGR8ESTの挨拶以外のソースは考慮に入れていません。
★目次
- 1,横山裕の覚悟
- 2,村上信五の関ジャニ∞との距離感
- 3,丸山隆平の関ジャニ∞愛
- 4,安田章大の変化
- 5,錦戸亮の矛盾
- 6,大倉忠義の整合性
- 7,横山裕と安田章大の有限論・村上信五の無限論
- 8,関ジャニ∞の関ジャニ∞観
1,横山裕の覚悟
あの出来事が本当に正しかったんだと思えるように、覚悟を持って、僕たち前に進んでいきます。(GR8EST挨拶)
僕、後輩にもよく言うんですけど、覚悟を持ってる人間と持ってない人間は全然違うと思うんです。(CUT)
できることは全部やろう、求められたことはすべて応えよう、そんな覚悟がどのグループより強かった。(音楽と人)
横山さんのテーマは“覚悟”です。
グレコン挨拶で自分たちに課した覚悟、CUTで『後輩にもよく言っている』とも教えてくれた覚悟論、その具体的な中身が音楽と人のインタビューで明かされました。
「求められたことに応える覚悟」というのは、本当に横山さんの中に強く根付いているのだと思います。今回ソースにした3つの媒体それぞれでこのワードが出ているのからして明らかですが、実際、横山さんのインタビューでは『そうならなきゃいけない』『応えなくちゃいけない』『通常になっていかないといけない』など、自分に義務を課すような言い回しがとても目立ちました。特に、関西Jrのプロデュースに関しての話の中で
中途半端にやってたらこの子たち終わんねやろな、とか思ったら中途半端にやれない。それは周りのスタッフが関ジャニ∞に抱いている思いと一緒。だから逆に、僕らを支えてくれてる人たちの気持ちに応えなきゃいけないっていう、怖さもある。(CUT・要約)
という言及があります。関ジャニ∞を支えてきたスタッフ、ファン、その他のたくさんの人々の期待を全部返そうと、応えようと、返せないことが「怖い」と思うまでに背負い込んでいる。それが横山さんが自分に課した“覚悟”なのでしょう。
その「応える」の内容には、もしかしたら関西Jrのプロデュースも含まれているのかもしれません。自分たちはデビューにこぎつけた。だからもしかしたらデビューできずに終わっていくかもしれない後輩たちを放って、のうのうと自分たちだけ活動しているわけにはいかない。それが横山さんが考える、今まで彼らを支えてきた人への恩返しなのかもしれません。そうして「覚悟論」を後輩によく言って聞かせる。横山スピリットが関西Jrに浸透するのは近い将来でしょうか。
では、彼が考える「僕らを支えてくれてる人たちの気持ちに応える」とはなんでしょうか。先ほどJrプロデュースを挙げましたが、それははほんの一部のはずです。なぜなら現在の関ジャニ∞ファンに直接届くものではないからです。
私は、「関ジャニ∞を壊さない」ことだと感じました。
できるかなぁじゃなくて、やっていかなきゃいけない(CUT)
すばるが抜けて、やっぱアカンかってんやってなったら、こんなダサいことないし(CUT)
初めてのことやから、お客さんがどう受け止めてくれるのかとか。なんか呼吸しづらかったのを覚えてます。(CUT)
<crystal>は、もう通常営業ですね。これが通常になっていかないといけないし(音楽と人)
横山さんは、CUTで6人体制の音楽には心配なかったと話しています。その代わりに怖かったのはライブ初日のお客さんの反応。もし札幌初日、いまの関ジャニ∞を受け入れてもらえなかったら?それは関ジャニ∞の否定に繋がります。今までたくさんの人が育ててきた関ジャニ∞が崩壊していく、それは横山さんの恩返しの一番最悪な結末になるのではないでしょうか。だからお客さんの反応を一番気にしたし、『自分たちの気持ちが入っていた』という“ここに”とは違い、crystalはもう通常営業に。異常事態からはやく抜け出して、いつも通りの関ジャニ∞に戻らなくてはいけなかったからです。
横山さんの「覚悟論」はなかなか徹底して、自分に厳しく他人第一のものです。
関ジャニ∞を守り続ける屋台骨は、強く優しい最高のお兄ちゃんでした。
2,村上信五の関ジャニ∞との距離感
楽しい空気を、 eighterみんながつくってくれたということが、一番の、今年の財産になったのではないかなと思います。(GR8EST挨拶)
そこは委ねるしかないのでね。あくまでも僕のスタンスは、これですよって提示しかできなかったです。(CUT)
村上さんの記事を読んで私が一番感じたのは“距離感”。渋谷さんがが抜けた直後のコンサート、「ファンを元気づけなければいけない」「ファンに喜んでもらえるか不安だ」といった感情は村上さんからはあまり感じられません。あくまで感情はファンのものであり、自分たちと共有したり、押し付けたりするものではない。そういった線引きがされているような感覚。どんな感情を抱いても受け入れてくれる懐の広さも感じますし、逆に「出演者」と「観客」という関係のまま絶対に近付けない雲の上の存在という感覚も強く感じます。だからあくまでも「楽しい空気をつくった」のは村上さんではなくeighterなのです。村上さんは当夜の演目を提示するパフォーマーにすぎず、その演目を楽しむかどうかはeighterしだいなのですから。
このつかず離れずの距離感は、村上さんとファンの間だけのものではありません。
『これから関ジャニ∞をどうしたいですか』って訊かれても、自分ひとりの意見で何かを動かすには、関わる人が多くなりすぎたなっていう気もしてます。なんか自分らのものであって、自分らのものではないような感じがしたのは今年の心境の変化かもしれないですね。(CUT)
深く入りすぎるとおかしくなるし、関ジャニ∞は絶対にこうでなきゃいけないんだって思ったら、凝り固まりますし。(CUT)
村上さんと“関ジャニ∞”自体にも微妙な距離感を感じます。
この『関ジャニ∞は自分たちだけのものじゃない』というのは、音楽と人で横山さんも同じ発言をしています。ヨコヒナでトピックにしようとも思ったのですが…横山さんの発言に対しての考察は前述の「今まで関ジャニ∞を支えてくれた人たちの期待を背負っている」といったニュアンスのもので当てはまりますし、村上さんのほうを掘り下げたいと思ったので村上さんのトピックで取り上げました。
ひとつ横山さんとの微妙な違いを挙げるなら、横山さんは「だからファンに応援してもらえるような関ジャニ∞でいたい」で村上さんは「だからこれからの関ジャニ∞はファンに任せる」でしょうか。
村上さんは、自分が提示したものを肯定してほしいんじゃなくて、ファンが肯定したものを肯定してくれるのではないでしょうか。だから自分の世界に深く入りすぎず、凝り固まらず、柔軟な対応を心掛けている。商品デザイナーの方は、自分がやりたいデザインをしていてはダメで、クライアントの要望に添ったデザインを作るのがプロなのだとどこかできいたことがありますが、それと少し似ているような気がします。横山さんと似ているようで微妙に違うファン第一論です。
さて、村上さんの仕事は自分の表現を主張することではなく、クライアントであるファンに現段階のデザインを提示すること。だからこんな発言が出てきます。
考えても仕方がない“タラレバ”はさておき、割り切るために時間をあてるしかなかったのでね。ツアーもやらざるをえない状況だったので余計なことは考えずに、やるべきことと向き合おうというだけでしたけど。(CUT)
(“ここに”について)余計なことは考えずに自分ができることを精一杯やろうっていうことと、ライブで披露するときも小細工なしと言いますか、…(中略)…全力で届けたいってことくらいしかなかったですね(CUT)
『余計なことは考えずに』の“余計なこと”とは村上さん個人のモヤモヤとした気持ちなのでしょう。最終的に判断するのはファンだから、自分はやるべきこと(=ツアーの準備)と向き合うだけ。全力で届けるだけ。村上さんは一番「偶像」であるアイドルを貫き通しているように感じます。ファンの前に「村上信五」個人の感情は持ち込まず、偶像(=アイドル)としてパフォーマンスを提示する。すさまじい仕事人です。
村上さんのさばさば具合については他の面からの考察もあるのですが、それは「7,横山裕と安田章大の有限論・村上信五の無限論」で記述します。
村上さんと関ジャニ∞の距離感は、まるでお互いに干渉しすぎない熟年カップルのよう。ほどよい距離感が客観的な視点を生み、仕事人・村上信五をより活かしているのかもしれません。
3,丸山隆平の関ジャニ∞愛
大きい出来事としては、すばるくんの脱退とヤスの怪我ですよね。(CUT)
もっと気持ちを込められるようになりたいなって思いました。そういうことを意識すると、すばるくんを思い出すんですよね。(CUT)
『関ジャム』のときに亮ちゃんがああなったのはびっくりしたけど、すごく素直な人やなって。…(中略)…いいメンバーやなあって思いましたね。(CUT)
名古屋の3日目でしたよね、ヤスが泣いたの。…(中略)…『メンバーもありがとう』って言ってくれて。6人でステージに立てたのはあいつがあの状況でもやるって言ってくれたからで、こっちがありがとうなんやけど。(CUT)
おわかりいただけただろうか…。
インタビューの中でメンバーに対しての言及が圧倒的に多いのが丸山さんでした。最初の発言は『2018年はどんな1年でしたか?』という質問に対しての答えです。この質問、全メンバーに最初に問われているのですが、まず渋谷さんのことについて話すメンバーが多い中、それと同時に安田さんの怪我について言及したのは丸山さんだけでした。メンバーのことに対して敏感に、親身になっている証拠ではないでしょうか。
さらに丸山さんの口から紡がれるのはメンバーへの「称賛」や「感謝」です。素直に相手のことを尊敬する姿勢には惚れ惚れしてしまうものがあります。
丸山さんの関ジャニ∞愛はメンバーにとどまりません。
(“ここに”について)曲が自分の身体の一部としてすんなり入ってきましたね。レコーディングで歌ったときにはこみあげてきてしまったりとかして。WANIMAさんのデモを、飲みながら聴いて泣いたりもしました(笑)。自分らにエールを送るような歌になっていて、…(CUT)
(“crystal”について)呼びかけるというより、僕ら自身にも唄ってる気もする。下を向いてばかりじゃいられないぜ、って。(音楽と人)
自分たちの歌に感じる、自分への方向の矢印がとても大きい。簡単に言うと関ジャニ∞の歌がめちゃくちゃ好きなんです。二曲とも自分への応援歌にしてしまっているのですから。
丸山さんは歌に限らず自分の方向への矢印、つまり自分の内側を気にする傾向が強いことが他の発言からも感じられます。
渦中にいるときは内臓にずしーんって鈍い痛みがあるような感じで、思った以上に響いたなと。(CUT)
僕自身も舞台に打ち込めたことで、内側に向かわなくて済んだ部分もあったから助けられましたね。(CUT)
痛む自分の内側を慰めるため、自分たちの曲を自分の内側に向けて聴いていたのかもしれません。では、なぜそこまで関ジャニ∞の曲を愛し、もっと言えば頼っていたのか。
いままではメンバーでいるほうが楽だし楽しかったけど、『今この瞬間はひとりのほうが楽だな』と思うときもあって。だからこそメンバーにもファンに対する感謝も深まって…(CUT)
メンバーから離れてひとりでいるほうが楽だったという状態になるくらいですから、関ジャニ∞から少し離れたいと思っても自然なはず。(この発言の状態とここにのデモを聴いていた時期が同時期かどうかはわかりませんが)でも彼が自分たちの曲から涙が出るほどのエールを受け取り、メンバーにもファンにも感謝を深めていった理由、それを推測するに足る発言もされています。
僕は、関ジャニ∞っていう形があれば満足なんです。そこに僕は生かされていると思うから。関ジャニ∞がなくなることになったら、僕はこだわるかもしれないです。…(中略)…どんな形でもあってくれればいいです、メンバーがいてくれたら。(CUT)
でもどうなっても僕らには、メンバーにしかわからない、ずっとつながってる何かがあって(音楽と人)
関ジャニ∞に生かされている。これが究極の答えではないでしょうか。執着にも近い『関ジャニ∞』へのこだわりと絶対的なメンバーへの信頼。丸山さんを支えているのは『関ジャニ∞』そのものです。グループのこともメンバーのことも、限りなく愛しているのです。だから関ジャニ∞の曲に思い入れが強いのだと考えられます。
しかし、丸山さんも自分の内面に向き合う術は手にしているようです。
大きな岩があるかもしれないけど、それにぶち当たるんじゃなくて、流れに従っていけば、いつの間にかその激しい時期も過ぎ去って、乗り越えていけるはずだ、って思うんです。(音楽と人)
最近、自分を肯定してあげれるようにはなった気がするんですよ。ジュニア時代は間違った自分をすごく否定してたけど、今は妙に病まなくなったんです。(音楽と人)
すっきりとした考え方です。すさまじい混乱期を抜け、一種の悟りを開けたのかもしれません。でも丸山さんにはやっぱり関ジャニ∞が必要なのではないかと思う発言が下記のもの。
でもこれからそれぞれがまた、お芝居だったりバラエティだったりに留学して、関ジャニ∞っていう国に戻ってくるわけですから、それが楽しみですね。(CUT)
丸山さんにとって関ジャニ∞とは、多分肩書きではなく場所のようなものなのでしょう。自分の居場所があって、大好きなメンバーがいて、帰るべき場所。国というよりもはや家です。ただの家じゃなくて第二の実家です。これが『関ジャニ∞という形があれば満足』という言葉の中身かもしれません。その家で育った丸山さんは、そこで生きていくつもりなのでしょう。
丸山さんの関ジャニ∞愛は、他の何にも代えがたい彼を構成するもののひとつでした。
ファンは彼がホームレスにならないよう、祈るばかりです。
4,安田章大の変化
これだけ大きなことが起こっているのに関ジャニ∞としてそこにいれなくて、自分の言葉を届けられなかったっていうのは、悔しいというか納得いかなかったです。でも、このことがあったから、渋谷も含めすべてに対して今のような向き合い方ができてるのかなって思います。(CUT)
これは安田さんが怪我により渋谷さん脱退会見を欠席したことに対しての発言です。このトピックでは、この発言の中にある『今のような向き合い方』 について掘り下げていこうと思います。
これ以上変えることのできない現実も痛いほど噛みしめたし。(CUT)
ライヴはやったけど、最初は中途半端なものを見せるんやったら出たくない、延期にしてほしいっていう話までしていましたし…。(音楽と人)
安田さんの出発点は “悔しい”を筆頭にした苦しい気持ちでした。ライヴの延期を望むほどの身体的に厳しい状況だったのですから当然と言えます。しかしここから安田章大の苦悩の打倒が始まります。
けど、ウソなく自分ができる範囲のことをやり続けること、リアルを伝えることも俺のアイドルとしての宿命なんじゃないかって。(音楽と人)
皆さんの前でこうやって、本当のこのありのままの姿を見せられているということが、本当に幸せに思います。(GR8EST挨拶)
僕個人としても、嘘が好きじゃないってこともすごくわかったし。(CUT)
“ありのままの姿を見せよう”というのが安田さんの結論でした。安田さんが『中途半端な姿を見せたくない』と葛藤した理由はちゃんとインタビューから読み取ることができます。
アイドル像っていうものに対して頑張って応えようとしてきた結果、自分自身の首を締めてしまっていたと思っていて。(音楽と人)
俺はアイドルとして王道な道を走り続けさせてもらってきてるぶん、ブルドーザーみたいにガッサーって道幅広げていくような感覚で前に行けたらいいなとは思ってるので(音楽と人)
安田さんは今まで『王道アイドル』としての自分を自覚し、それに見合った自分であろうと意識していたのです。だからこそ万全な姿ではない、いつものアイドル姿ではいられない、そんな状態でライブに出演するのにためらいを感じていたのでしょう。しかしインタビューにある通り、安田さんが自分に課していたアイドル像は王道アイドル安田章大を形作ると同時に型にはめてしまっていたのです。自分の首を締めてしまっているかのような息苦しさ、閉塞感。それらから逃れるために『ありのままの姿を見せる』ことにこだわりが生まれたという面は大きいでしょう。
そのようないきさつがあって、安田さんの“アイドル像”に変化が生まれたようです。
アイドルって偶像やけど、偶像じゃないホンマの核にあたる実像を見せてもいいのかなって。人間って変わっていくものなので。(音楽と人)
汚くもがいてるくらいのほうが臭くていいなって。僕は臭いほうが綺麗だなって思っちゃうから。これもひとつのアイドル像かもねって届けたいかなあ。(CUT)
安田さんが考える王道アイドル像は明言されていませんが、明らかにそれを覆すアイドル像を肯定し自分の中に取り入れようとしています。いったんこの“ありのままのアイドル”を肯定すると、さらにその思いは強くなっていったのでしょう、他の発言からも“ありのまま”への主張が読み取れます。
①いまの“ありのままの姿”=ひずみ
先ほどの引用で安田さんは『臭いほうが綺麗だ』と発言しました。取り繕っていない、汗水たらしてもがき苦しんでいる姿こそが美しい、と読み取れます。その思考は安田さんのインタビューに嫌でも目に付くほど多用されている『ひずみ』という言葉からも感じ取れます。
ひとりメンバーがいなくなることは、関ジャニ∞にとっても衝撃だけど、応援してきてくれた人にとっても衝撃的なことで同じようにひずんだと思います。(CUT)
たとえば調和とか目に見えない温度感とか空気感とか、7から6っていう目には見えないものが、大きく大きくひずんだと思います。(CUT)
今現在もどこか歪みっぱなしのような気がします。(音楽と人)
二誌のインタビューで、“ひずみ”というワードは6回登場しました。私の率直な感想としては、「穴じゃないんだ」というひっかかりが大きかったです。渋谷さん、つまりメンバーのひとりが抜ける、そこには単純に考えれば穴が開きますし、ファンの心にぽっかりと穴が開いたようだ、という比喩はすぐに思いつきます。しかし安田さんは渋谷さんの脱退に自分の怪我も含めあの頃の関ジャニ∞やeighter、今(3月当時)の関ジャニ∞をつかまえて『ひずんでいる』と表現します。ひずみ。そこから皆さんは何を連想しますか。
ひずみ【歪み】
①物体に外力を加えたときに現れる形状または体積の変化。
②物事の進行する途中で欠陥の生じること。また、その欠陥や悪影響。
────デジタル大辞泉
私は一言で言うと「異常事態」だととらえました。埋めれば済む穴のような単純なものじゃない、もっと複雑で醜くてねじ曲がった修復困難な異常事態。前述の横山さんのトピックで彼は異常事態を早く脱したいと思っていたと考察しましたが、逆に安田さんはこの関ジャニ∞の異常事態を『ひずみ』という言葉を連呼することで強調しありのままの姿だとして肯定もしています。これは『臭いほうが綺麗だ』と言った先の発言とも思考が通じています。
でも僕、なまものが素晴らしいと思っているので。大きなひずみが生まれたってことは、それだけ大きなエネルギーが生まれるはずで。(CUT)
ただ何か大きな爆発が起きる前には必ず歪みってあるんですよ。だから今はエネルギーを溜めてる期間なのかもしれないです。(音楽と人)
なまもの=加工なし。ありのままの姿。これを肯定、むしろ堂々と掲げつつ次のステージへの意欲を高めています。二誌とも同じ内容の話をしているところからして、この理論にはかなりのこだわりが感じられます。この歪んだエネルギーを輝きに変えられるのが安田さんの強さかもしれません。
②周りにも求める“ありのままの姿”
多難を乗り越えていく中で、みんなでこう色々なことをそれぞれがちゃんと感じながら立ち止まりまくっていいと思うし、でも自分の信念にだけは嘘をつかずに、ちゃんと言葉を届けられるような自分自身でいたいし関ジャニ∞でもいたいし、eighterのみなさんにもいてほしいなと思います。(GR8EST挨拶)
15年も一緒におるからウソついてもバレてしまう仲ですからね。そういうメンバーそれぞれのらしさや、ウソのない人間っぽい部分が自然とテレビや生の表現の時にも出て、この人カッコいいなとか、楽しんでるなって思ってもらえたら、グループのカラーも濃くなっていくと思うんです。それがこれからの僕らの大きな武器かな。希望や夢を届けるっていうのは大前提なんだけど────(音楽と人)
安田さんが悟った“ありのままの姿”の大切さは、周囲にもそれを求めるほど思いが強いものでした。『自分の信念にだけは嘘をつかない』『ウソのない人間っぽい部分』など、『嘘』という表現も目につきます。自分の気持ちをごまかさないことに重きを置いているようです。さらにそれが『僕らの大きな武器』とまで言っています。
夢や希望を与えることと同時に、そこだけじゃない部分を、あくまでユーモアやエンターテイメントに転換していけたらいいなって。陰と陽が混ざった時に初めて綺麗な色になったりするんだろうから。まあそれは僕の勝手な意見ですけど(音楽と人)
『そこだけじゃない部分』というのは、例えばしんどいとか苦しいとかの正直な感情の吐露だったり、これはダメだとかこうするべきだとかという自分の主張だったりなのでしょうか。『実像を見せてもいいのかな』と悟った安田さんは、偶像のアイドルではなく一人の意志や思想を持つ人間としての活動をしたい、一人の人間として見てほしい、という意思が強いようです。よほど人間からにじみ出る人間らしい部分に魅力を感じているのでしょう。
ただし、この発言の最後の文で『僕の勝手な意見』と言及しています。長年王道アイドルを自覚して活動してきた安田さんは、このすべてさらけ出すアイドルの在り方が簡単ではないことも感じているのでしょう。偶像アイドル側代表として、大倉さんの発言を引用させていただきます。
(大倉忠義)悩みと葛藤って、大きさは違っても誰もが持っているもので。僕たちはそれを見せない仕事ですけど、それをWANIMAさんが受け取って表現してくれたんですよね。(CUT)
悩みや葛藤は見せないのが仕事。安田さんと対極に位置する考えからの発言です。村上さんのトピックで先述した通り、村上さんも大倉さんと同じく偶像のアイドル側に立ってアイドルをしているような印象を受けます。
次に引用するのは安田さんに考え方が近い丸山さんの発言です。
(丸山隆平)去年の出来事は、僕たちをより人間臭くしたと思うんですよ。ほら、アイドルって、どこか特殊な存在じゃないですか。
─記者:ファンの王子様になって、自分の感情は抑えるというか。
(丸山隆平)ですよね。それが役割だと思うんです。でもその感情が抑えられなくて、そのことで、僕たちもみんなと同じなんだってことが世間に知られて、よりファンの人たちと強く結びついたというか、本当の自分を愛してくれてるような気がしたんですよね。(音楽と人)
大倉さんと同じ偶像アイドルの考えから、安田さんと同じ実像アイドルへ思想が転換しました。『人間臭い』という言葉遣いも似ています。興味深い。
インタビューから読み取れる範囲で意見が割れてしまっていることからして、よほどアイドルの在り方というのは一筋縄ではいかないものなのでしょう。だからこそ、その正直な気持ちを吐き出せないアイドルを払拭したくて、安田さんは関ジャニ∞のメンバーに対しても『ウソのない人間っぽい部分』が出せるようになるよう願っているのかもしれません。そしてeighterにも自分の信念に嘘をつかないことを願っているあたり、人間に一番大切なのはそこなのだというのが安田さんの持論のようです。
③認めてもらえなくてもいい“ありのままの姿”
安田さんの嘘のない人間っぽい部分を見せることについてのこだわりを見てきましたが、それについての意志が固いことを一番感じさせるのが次の発言です。
一人間として<コイツ、大丈夫か?>って言われるようなことでも、面白がってくれる人はきっとおると思うし、そういう人たちの生き方って視点を変えれば、むっちゃ生き様がカッコよかったりするじゃないですか。(音楽と人)
型にハマったアイドル像を求めてるファンのみなさまには、申し訳ございませんって感じかな(笑)(CUT)
CUTの発言はなかなか強烈ですよね。これでインタビュー記事が締めくくられるのですが、正直突き放された感がすごい。「昔のヤスくんが好きだった」って言っても、彼はもう自分の意志以外で自分を変えることはありません。気に入らないならさようなら、です。でもこれってアイドルに言われるからファンへの突き放し感がするだけで、人間と人間の間では当たり前のこと。人間同士の付き合いでは当然好き嫌いもあるし相性もある。気に入らないひとに向かって「性格変えてよ」「髪型変えてよ」なんて言って自分の好みの人物に作り替える、なんてこと日常の人間関係ではありえない。相性が悪いならさようなら。安田さんが“実像アイドル”に方向転換するうえで、「自分を気に入らない人もいる」「でも好いてくれる人もいる」「好いてくれる人だけついてきてくれればいい」という考え方は避けては通れない道なのです。万人に好かれる人間なんてそう存在しないのですから。それだけ安田さんがファンと向き合ううえで一人の人間として立とうという意思や願望が強いのだと感じられます。
長文になりましたが、渋谷さんや自身の怪我をめぐる安田さんの悔しさや苦しさは、ライブでありのままの姿を見せる経験を踏まえ、強い強い“人間らしくある”アイドル観へと昇華しました。トピック冒頭で提示した『今のような向き合い方』とは、まさに自分の意志や感情や思考をもつ一人間として嘘無く向き合う、ということになります。
安田章大の変化は、従来のアイドル観に物申す、毅然としてどこか歪んだような輝きに満ちていました。
5,錦戸亮の矛盾
CUTのインタビューで、錦戸さんは「ツアー強行派」だったと明かしています。以下の引用は、ツアー強行を主張したことについての発言です。
今止まってどうすんねんっていう気持ちが僕は強かったです。(CUT)
強がりですかね。お客さんに対しても自分に対してもそうやし、すばるくんに対しても。虚勢張ってただけじゃないですかね(笑)(CUT)
そして、以下の引用は「関ジャム」の渋谷さんとの最後の演奏で錦戸さんは泣きましたよね、と記者の方が指摘したことに対しての返答です。
うるせえ、泣いてねえ(笑)(CUT)
いや、泣いてました。…(中略)…でも嘘ついてもしょうがないし、泣いてもうたのも僕ですしね。(CUT)
矛盾発生です。錦戸さんは『嘘ついてもしょうがない』といいつつツアーについては『虚勢張ってた』と振り返っています。しかも、『泣いてねえ』としっかりバレバレな虚勢を張った直後に『嘘ついてもしょうがない』ですから、今回の考察のためにインタビューを読み直して笑ってしまいました。私事ですみません。でもこの矛盾自体には、錦戸さん自身がヒントを出してくれています。
僕の中では、こっちがカッコよくない?って思う方を選びたいんですよね。背伸びしてカッコつけてるだけだと思いますね。で、カッコつけきれてないのが、ああやって泣いちゃうところとかじゃないですか。もうしょうがないっす、三男坊なんで(笑)(CUT)
三男坊を免罪符にできると思っているところが三男坊っぽくてかわいいですね。
脱線しましたが、この発言により“虚勢”=“カッコつけ”という方程式が成り立ちました。錦戸さんの行動の根本にはこのカッコつけが潜んでいるのでしょう。と考えると、カッコつけに失敗した結果泣いてしまった、それに対して『嘘ついてもしょうがない』というのはなんだか開き直っている感じがしますね。『嘘ついてもしょうがないから泣いた』みたいな、無理矢理カッコつけているような…。しかし、『嘘ついてもしょうがない』精神も、実際錦戸さんを構成するもののひとつです。以下は「錦戸さんの変わってない部分とは?」という記者さんの質問に対しての返答です。
自己中なところ(笑)。基本的に、言いたいこと言ってきましたし。(音楽と人)
その人の性格って、15,6歳で形成されるじゃないですか。そこから先は何があっても、そう変わんないと思うんですよね。(音楽と人)
結局、カッコつけも言いたいことを言う自己中も、どっちも錦戸さんの本質であり信念のようなものなんですよね。錦戸さんの虚勢と嘘をつかないことの差は、自分の感情と違うことをするか、自分の感情のまま動くかの違いだと私は考えています。カッコつけるため自分の感情の状態を無視するときもあれば、感情のまま言いたいことを言うこともある。「カッコつけ(=虚勢)」と「嘘をつかない」が信念として共存しているのには矛盾が発生するのですが、錦戸さんの場合そこに共通点があります。錦戸さんの願望に対して素直だということです。
何でもかんでも僕ら結構笑ってるから、もしかしたら悪い癖かもしれないんですけども、やっぱりね、生きてるんやったら、少しでも笑ってる時間がね、悲しい顔してるより長かった方がいいと思うんで、これからも、みなさんが笑えるような、僕らも笑ってられるような、そんな未来をつくっていけたらなと……思います。(GR8EST挨拶)
これは虚勢、嘘のない言葉、どちらでしょう。自分は笑えるような状態ではないけど笑える方がいいと言っているのか、吹っ切れて心から笑顔な状態で笑える方がいいと言っているのか。(ちなみにこの挨拶の時、錦戸さんは爆笑をかましているので後者が近いと思いますが)どちらにせよ、「笑いたい」という錦戸さんの願望は本物のはずです。
夢………うーん……いや、友達と酒飲みながら、イェイ!って言いながら笑えてたら、何でもいいですね。(音楽と人)
「笑いたい」という願望が本物であるという言質もありました。自分の願望に素直である、これが錦戸亮の“カッコつけ”であり、“嘘をつかない”生き様なのでしょう。
最後に、錦戸さんの考察をしていると浮かんできた関ジャニ∞の楽曲の歌詞を引用させていただきます。
心配ないって笑うけどホントは内心ビクビクで
焦りを蹴散らしてこーや
虚勢は男の生きる道
(ズッコケ男道)
彼の矛盾ともいえる言動は、根源をたどればひどくシンプルかつ素直でまっすぐな信念に基づいたものでした。
6,大倉忠義の整合性
大倉さんのトピックは錦戸さんと対極になるタイトルになりました。私が大倉さんのインタビュー記事を読んで驚いたのは、大倉さんの話・理論が整合していることでした。整理していきましょう。
今回は改めて、それぞれにインプットの時間が必要なのかなっていうのは思いましたね。…(中略)…音楽活動だけじゃなくて生活でも、すべてのインプットが次に繋がると思うので(CUT)
だから、それぞれが今できることに挑戦してグループに還元していけばいいんじゃないかなっていうのは思いますね。(CUT)
分野の分け隔てなく、こういう立ち位置だからこれをやろうとかもなく、挑戦していけたらって思います(CUT)
インプット、挑戦、、このワードと大倉さんが並べば、あるものが思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。関西ジャニーズJrのプロデュースです。プロデュースについての大倉さんの発言がこちらです。
この経験で得たもので、自分たちの演出にも違う風を吹き込めたらなって思いますね。(CUT)
発言と行動の完璧な一致です。経験をインプットしてグループに活かそうとしています。インプットが大切だからプロデュースをしたのか、プロデュースしてみてインプットの大切さに気付いたのか、因果関係はどちらなのかは分かりませんが少なくとも大倉さんはとても合理的な行動をしています。
(追記…読者様のご意見から、会報で大倉さんが『そもそも(プロデュースを)やらせてしいと言ったのは関ジャニ∞のライブをどうするか考えるため(要約)』『お客さんとして自分たちの音を聞くのが一番だがそれは不可能だから(要約)』と発言していることが判明しました。インプットが大切だからプロデュースをした、という因果関係が確定しましたので文章を訂正させていただきます。)
では、そのプロデュース経験から大倉さんにインプットされたものを紐解きましょう。
客観的に物事を考えられるようになりました。(CUT)
いろんな視点から見なきゃいけないし、いろんな正解があるっていうことも思いましたね(CUT)
あと客観性が磨かれて、大事なものってこれだな、って再認識した気がします。(音楽と人)
大倉さんがたびたび口にするのは“客観的な視点を持てた”という旨の発言です。ジュニアたちのステージを魅力的にするためのプロデュースですから、外からの目線を持つことは必須でしょう。しかし、大倉さんが外から見つめていたのは関西Jrたちだけではないのです。
それに、ピュアな気持ちで未来に突き進んでいる彼らを見ていると、昔の自分らと重なる部分もあって、すごく大きいパワーをもらいましたね。(CUT)
あと、昔の自分を彼らにどうしても重ね合わせますね(音楽と人)
大倉さんが見ていたのは、プロデュースすべき目の前の関西Jrだけではなく、彼らに重なって見えた関ジャニ∞自身でした。以下、プロデュースを通して気づいた大事なものは何か、という質問に対しての返答です。
<気持ち>です。僕らは技術が追い付かなくても、それを大事に、ただがむしゃらさでは負けないようにやってきたけど、それも間違いじゃなかったのかもな、って。(音楽と人)
ここでも昔の自分たちとジュニアを重ね合わせて、自分たちを見つめなおした結果の思いが語られています。昔の自分たちの在り方を振り返り、肯定してあげることができた。これは先ほどのCUTの引用で『いろんな正解があるっていうことも思いました』と発言していたこととも繋がります。
では、大倉さんは“現在”の関ジャニ∞をどう見つめているのでしょう。プロデュースを通じて手に入れた客観的な視点は、もちろん昔を回顧しているだけではありません。関西Jrを見ながら重ね合わせたのが昔の自分たちなら、対比させるのが現在の自分たちになります。大倉さんの言葉の中に、気になるワードがありました。
僕たちは言われたことだけをやって満足する年齢じゃないし、本当に心を込めてお客さんの前に立つのは、すごく責任感が必要なことだから。(CUT)
大事なのは、どの年齢になっても素直な心でいることだなって。(CUT)
僕らは技術が追い付かなくても、それを大事に、ただがむしゃらさでは負けないようにやってきたけど、それも間違いじゃなかったのかもな、って。歳を重ねていくと、それがちょっと希薄になってくるから。(音楽と人)
(crystalについて)年齢に見合ったものを段々とさせていただいてることに、自分たちの歩んできた歴史を感じますね。(音楽と人)
『年齢』『歳を重ねる』というワードを連発しています。これは大倉さんが客観的に自分たちを見つめなおして、意識して使っているワードだと考えられます。なぜそう言えるか、それは大倉さんが答えを出してくれています。
もうすぐ34歳になるし、たぶんみんな同じだと思うんですけど、ここまでの歩みを振り返って、もう一回、未来への展望みたいなものを考える時期になったんですよ(音楽と人)
ここまでの歩みを振り返って、未来への展望を考える。まさに関西Jrのプロデュースを通じて過去の関ジャニ∞と、現在そして未来の関ジャニ∞を客観的に見つめています。これが大倉さんの、関西Jrプロデュースを通じて得たインプットの一つだと思うのです。一般社会的には34歳ってこれからのし上がっていくぞってくらいの年齢に感じるのですが、特殊な世界に生き、かつ未来しかない10代・20代の青少年と向き合った結果、自分たちを見つめなおして浮き上がってきたのが年齢なのでしょう。年齢とは後戻りができないものです。今の年齢を考える、ということは今何ができるか、これから何ができるか考えるということに繋がります。未来志向と向上心の塊です。
わざわざ年齢を考える(=現状や未来を考える)ということは、「今のままではいけない」「今のままでいいのだろうか」と考えている、ということにも繋がります。だから大倉さんは挑戦を掲げプロデュースという新たな分野に飛び込み、そこで自己の見つめなおし等のインプットを手に入れ、それをグループに活かすのです。このトピック冒頭からの大倉さんの言動がひとつの体系を形作りだしてきました。
これが、大倉忠義の整合性です。
ちなみに『年齢』というワードは村上さんのインタビューにもたびたび登場します。彼も客観性をもって現状や未来を考えているひとりだと考えられます。安田さんのトピックでも大倉さんと村上さんの“偶像アイドル”としての共通点が見えましたが、この二人は考え方が似ているのかもしれませんね。
考察ではなく私の主観で申し訳ないのですが、もう少しだけ書きたいことがあります。大倉さん・横山さんのプロデュース業についてよくない感情を持っていたり、「プロデューサー業に専念するんじゃないか」なんて憶測を抱いている人がいらっしゃいますが、彼らはただ後輩育成をしているだけの先輩ではないと思うのです。インタビュー記事から、つまり彼らの言葉から、経験を関ジャニ∞に持って帰ろうという気持ちがとても強く感じられます。私は、経験を積んだ彼らが次に見せてくれるステージがとても楽しみです。もちろん、これは個人の意見ですが。あとジャニ勉のJrのコーナーについては何とも言えません。
以下、大倉さんの未来への展望についての質問に対しての返答です。
もうしばらくここにいたいな、って。…(中略)…ひとつの道でずっとやってきてる人たちと一緒になることがコンプレックスな時もありました。音楽でもお芝居でも、俺はここにいていいのかな、って。でも今は、ここにいたいと思いますね。さっきの話じゃないですけど、いろんな視点で自分を見れるようになったんじゃいかな。(音楽と人)
大倉さんはプロデューサーではなく、あくまでプレイヤーでいてくれると私は強く感じます。
大倉さんの客観的な目には、昔の自分たち、そして未来への自分たちが映っていました。その冷静な思考から生まれる整合性を持つ言動から、どれだけ進化した彼らが生まれるのか、楽しみで仕方ありません。
7,横山裕と安田章大の有限論・村上信五の無限論
音楽と人のインタビューで、crystalの歌詞にちなんで“旅”というワードに対しての印象について質問がされています。(残念ながら丸山さん・大倉さんにはされていません)その話の流れから、特に特徴的だった三人の言葉をピックアップしていきます。
①横山裕の有限論
でも旅なんて、いつまでも続くもんじゃないな、と思います。形あるものは終わるし、絶対なものなんてないんだな、って。そう思いたくないけど、思わざるを得ないことが多いです。考えたくなんかないですよ。楽しく仲間と続けていけるなら、そりゃみんなそうしていきたいでしょ。でも現実は、考えておかないといけないことなんですよね。(音楽と人)
終わりたくなくても終わりは来る。胸が苦しくなるほど切迫した有限論です。横山さんが言う『形あるもの』とは何でしょう。文脈とこの切実さから考えればそれは“関ジャニ∞”であるという推測は容易です。この『形あるもの』という表現からは先述した丸山さんの発言も思い起こされます。
丸山さんのトピックで掘り下げた通り丸山さんがただひとつ望む“関ジャニ∞という形の存続”を、横山さんは冷静な角度で見て、見ようとしていて、終わりがあるという現実を胸に刻んでいる。これは横山さんのトピックでも取り上げた彼の“覚悟”を強める一因かもしれません。以下、横山さんの夢について「グループを続けていくこと」は当てはまるのか、という記者の方の質問に対しての返答です。(質問がとても良質)
それは僕の夢とはいえないですね。だって関ジャニ∞は、僕らだけのものじゃないので。…(中略)…僕らの感情や思いだけで、どうのこうのなるようなグループじゃないんじゃないですかね。(音楽と人)
僕らの思いじゃどうにもならない、ということはファンやスタッフの思いが大切だということです。ここにも横山さんの「周りの気持ちに応える覚悟」がにじみ出ていますし、先ほどの有限論があるからこそ限りある時間の中でよりたくさんの周りの気持ちに応えられるよう必死なのでしょう。周りの思いに応えきったり、周りに誰も関ジャニ∞を望む人がいなくなったりしたら横山さんの中で関ジャニ∞の存在意義はなくなってしまうのかもしれません。でも逆にそうでなければ、彼は例えどれだけ辛いとしても関ジャニ∞をやり続けてくれる意志や覚悟はあるのではないでしょうか。それこそ、有限の時間が許すまで。
錦戸さんも横山さんと類似と言える発言をしています。記者の方の「<終わらない旅路>が終わるのはどんな時だと思うか」という質問に対しての錦戸さんの返答です。
(錦戸亮)…うーん、べつに、死ぬとかそういうことじゃないでしょうしね。行き先を見失った時じゃないですか。でも目的地なんて、いくつあってもいいと思いますし。(音楽と人)
もちろん<旅>という歌詞の一部分についての印象ですが、関ジャニ∞の歩み、もしくは人生観についての比喩だととらえて考察しています。「行き先を見失う=目標をなくす≒関ジャニ∞の存在意義がなくなる≒周囲からの期待が消滅する」だと解釈できないこともない。目標というのは夢とも置き換えられますが、錦戸さんは仕事に関しての夢にも言及しています。
(錦戸亮)仕事に関しての夢は…昔からあんまりなかったですね。夢というより、僕にできることがあるなら、何でもやろうとしてきたから。(音楽と人)
つまり、個人的な大きな目標というよりその時その時で求められたことやできることに取り組む、それが錦戸さんの「行き先」であり「目的地」であるといえます。だから「行き先を見失う」が「周囲からの期待が消滅する」に結びついていくのです。この点で横山さんの周りの気持ちに応える論と重なっているのです。
横山さんや錦戸さんは、彼ら自身の意志としては必要とされる限り関ジャニ∞を続けようと思っているという解釈ができます。丸山さんはむしろ自分が関ジャニ∞を欲しているので続けようという意思があることは言わずもがなです。“関ジャニ∞を必要としている人”の各人の意識をざっくりまとめるとこうなります。
横山さん→ 支えてくれたファンやスタッフ全ての人
錦戸さん→ 仕事を依頼してくれる人
丸山さん→ 自分
ただ、横山さんの言う『形あるものは終わる』時とは、人生の時間が尽きる時なのか、それとも何か他の要因で終わりをつくらなくてはいけない時なのかは分かりません。でも彼が有限の時間の中でファンに向けて全力の姿を見せてくれるであろうことは確かです。有限の時間だと分かっているからこそ輝く何かがそこにはあるかもしれません。
②安田章大の有限論
“終わりがある”ということについてはっきりと言及しているのが横山さんと安田さんだったのでこの2人を有限論者として取り上げさせていただいているのですが、安田さんは横山さんに比べ“終わり”に対してネガティブな思考があまり見受けられないのが特徴的でした。というのも、安田さんは“終わり”というワードと一緒に、ある言葉を繰り返しているのです。
始まりがあったら終わりがあって、終わりがあれば始まりがある。(音楽と人)
今は終わるということに対して悲しみばかりを考えてしまう時代な気がするんだけど、それは何か新しい始まりでもあるんだから(音楽と人)
それは『始まり』です。この終わりと表裏一体の概念を認識することで終わりの存在のインパクトは曖昧になってしまうのですが、安田さんはこの考えから独自の有限論を強めています。
僕らが作り上げてきたものがもし終わりを迎えることがあるとするならば、その上に何かを殴り書きで足してくれるグループがいてくれたらいいなって思うし。それは終わったわけじゃなくて、受け継がれてまたスタートしてるから。(音楽と人)
自分たちの終わりは、何かの始まりである。それは他グループの躍進であり、そこに自分たちの魂は継承されていく。なんだか壮大です。まるで親から子、子から孫へ遺伝子が受け継がれていくようなスケールの大きさを感じます。この受け継がれていくものが関ジャニ∞が築いてきた関ジャニ∞自体の魂なのか、関ジャニ∞も過去に誰かから受け継いだジャニーズ事務所の骨子なのかは分かりませんが、関ジャニ∞が作り上げてきたものが継承されていくとしたら、これは一種の無限論ともいえます。しかし、親が子を産み育むのは自分が死んだ後も種族が繁栄するため。終わりがあるからこその継承なのです。だから安田さんは終わりがあることはしっかりと認識しつつ、しかし前向きに終わりについて考えているのです。
安田さんの視界にはどれだけ広い世界が見えているのでしょう。範囲の問題ではありません。自分たちは歴史の一部にすぎない、とでも言いたげに過去から未来への視野がとても広いような気がします。だからこそ“現在”や“刹那”の大切さや美しさが身に染みているのかもしれません。
だからできるかぎり今あるものだったり、今を一生懸命生きるってことを大事にしたいですね、やっぱり(音楽と人)
終わりの存在をはっきりと口に出すがゆえに、今ある時間、この瞬間を大切にするという考え方は横山さんと通じる部分があります。有限論者の特徴はここにあるようです。
安田さんの有限論は、どこかあっけらかんとして潔い終わりへの肯定と、魂の継承によって新しい未来が始まることへの願望を孕んだ、希望にあふれたものでした。
③村上信五の無限論
あと今回は<旅人>ってワードがすべてな気がしますね。ずっと続くんだな、って感覚です。…(中略)…いろんな経験してきたし、生きてればどうにかなるんちゃうかな、って(音楽と人)
唯一の無限論者として挙げさせていただくのが村上さんです。文脈から村上さんが<旅>を自分、もしくは関ジャニ∞に重ね合わせ、人生観の比喩として用いているのは明らかです。その前提があったうえで村上さんは旅は終わらないものだとしています。さらに『ずっと続く旅』が『生きてればどうにかなる』のは、死ぬまで終わらない、死ぬまで続く、とも解釈できます。村上さんは自分の命が尽きるまで何も終わるつもりは無いと推測できるのです。ただ個人仕事も多い村上さんなので、村上さんの旅とはどの範囲を指すかまでは分かりません。死ぬまで終わらない、終わらせるつもりのないものは何か。関ジャニ∞か、芸能界で生きていく自分か。以下、「これからの関ジャニ∞には何を願っていますか」という記者さんの質問に対しての返答です。
のらりくらりと、長くできればいいかなってくらいですね。(音楽と人)
みんなが50歳くらいになって、本当に足腰ボロボロになって、もう走られへん!ってなっても、楽器あったら、僕らなりの表現はできるかもわからないですから。(音楽と人)
村上さんが関ジャニ∞の『長い』存続を願っていることはもちろん、彼の頭の中にある関ジャニ∞の未来には、足腰がボロボロになってもステージに立ち続ける彼らが映っていることから、グループまるごと死ぬまで続くといった持論が透けて見えます。しかしそれは「続く」といった確信や「続けてやる」といった気概より、「長くできればいいな」といったふわっとした語感の願望により近いものです。村上信五の無限論には、究極の理念があるからです。
でも、誰がどんな選択したって、俺らはずっと7人ですから。(音楽と人)
この発言は何かしらの考察が必要だと思われます。村上さんが言う『ずっと7人』とは、どういうことなのか。それは「村上さんの中で7人の関ジャニ∞は終わっていない」もしくは「村上さんの中で、渋谷さんも含めた7人はグループに囚われない絆で結ばれている」という二方向で考えることができます。ただし音楽と人のインタビューだけでは結論がでません。すみません、ここだけソースを追加させてください。
ZOOMで本人が綺麗に答えを出してくれていました。先ほどの前者の考察が真実のようです。7人を表すのに、“関ジャニ∞”という存在は切っても切れないものなのでしょう。
村上さんの中で、7人の関ジャニ∞は終わっていないのです。もちろん現実的に考えれば渋谷さんはもう関ジャニ∞という肩書きは名乗れませんし、関ジャニ∞は6人で全員です。でも、渋谷さんの脱退があった後でも村上さんの中で関ジャニ∞はずっと7人。この理論では、縁起でもない話ですが仮に他のメンバーが大量脱退しようとも、最悪関ジャニ∞が解散に踏み切ろうとも、「7人の関ジャニ∞」はずっと存在し続けます。だって現にひとりのメンバーが脱退しているのに、その事実は村上さんの中にある“7人の関ジャニ∞”という絶対的な存在に影響していないのですから。だから「長く続けばいいな」というふわっとした願望的な発言に行き着くのではないでしょうか。最悪現実で関ジャニ∞が終わっても村上さんの中の関ジャニ∞は永久不滅なのですから。
これが村上信五の無限論です。彼の中で関ジャニ∞は一生7人のまま続くのです。
すばるの選択だって、<そうか>って思ったし。別に間違いなんてことは何もないので。ペースと向かう方向がちょっと変わっただけで。(音楽と人)
いつも視界には入ってますから。別のとこを歩いてても、嫌でもそこにいますから。これからもずっとそうですよ(音楽と人)
この文章を読んでもそうですけど、よくよく読み込むと本当に“関ジャニ∞は7人”だという意識が強いように感じます。渋谷さんは『ペースと向かう方向がちょっと変わった』だけなんです。『いつも視界に入って』るんです。渋谷さんと決別した、とは表しにくいかもしれません。むしろ全然離れる気ねぇじゃねえか…(心の声)
この考え方に「うれしい」とか「お花畑だ」とか読者が感じることは個人差があるのでしょうが、村上さん自身が『俺の中で』と言うように、ファンはこれはあくまで村上さんの意識内の話だととらえるのが賢明なのかもしれません。長年時間を共有し共にアイドルという戦場で戦ってきた友がグループを去ることに、村上さんは納得せねばならなかった。送り出さねばならなかった。その中でも仕事をこなさねばならなかった。そんな中「2,村上信五の関ジャニ∞との距離感」で述べたように彼がさばさばと仕事に向き合っていられたのはこんな無限論が意識の根底にあったからではないでしょうか。たとえ渋谷さんが違う道を選んでも、村上さんの中で“7人の関ジャニ∞”が輝き続けるのであれば彼へのダメージはとても軽減されるはずです。だって7人の関ジャニ∞終わってないんですもん。
村上信五の無限論、考えると止まらなくなってきたのでここらへんで終えておきます。とにかく、彼がそこまで7人の関ジャニ∞を胸に置き続けるのは、それは7人の関ジャニ∞への限りない愛情や信頼ゆえなのでしょう。その重みにひたすら思いを馳せるばかりです。
8,関ジャニ∞の関ジャニ∞観
本当はこのトピックを書きたくて考察を始めたのに、あれもこれもと詰め込んでみたらとんでもない長さのブログになってしまいました。時間があるGWにやっちゃおうと思ったのにGW中に間に合わなかったし。それどころか2か月近くかかったし。(途中さぼってただけ)
「関ジャニ∞の関ジャニ∞観」という大層な題を付けましたが、これについて考察しようと思い立ったのは、6人中5人からある共通のイメージが発信されていたからです。
・村上信五
汚いやり方ですけど(笑)。
だからもう、みんなキッタないですよ。髪もぐちゃぐちゃで、汗だく。
(音楽と人)
・丸山隆平
今は蛹ですね。無理くりこじ開けられたらドロっとしたものしか出てこないので。(CUT)
・安田章大
汚くもがいてるくらいのほうが臭くていいなって。(CUT)
・錦戸亮
汚いガソリンやなあと思いますけどね(笑)。(CUT)
・大倉忠義
そもそも、汗かいて泥だらけでやってないと落ち着かない(笑)。(音楽と人)
丸山さんの表現だけ独特なのですが、共通しているのは“汚い”というイメージです。余談ですが、村上さんと大倉さんの表現が似ているのが興味深いですね。「虚像アイドル」「年齢についての視点」に加え「仕事の汗だく表現」という3つ目の似ている部分が発見されてしまったので、この2人は考え方の根本が相当似ているのかもしれません。
では各人がこの“汚い”イメージを持っている対象をご覧ください。
村上さん→ 関ジャニ∞の今までの戦い方、歩み方・現在の関ジャニ∞のスタンス
丸山さん→ 関ジャニ∞の現状(未熟さ)
安田さん→ 関ジャニ∞の現状及びそれへの肯定
錦戸さん→ 今の関ジャニ∞を動かす原動力(6人でやっていかねばならない状況)
大倉さん→ 個人のスタンス(関ジャニ∞にも通じる)
基本的に、「現在」の関ジャニ∞に対しての“汚い”イメージが強そうです。その中で、渋谷さんの脱退・安田さんの怪我などの動乱の時期を踏まえての“汚い”イメージを持っているのが丸山さん・安田さん・錦戸さんの3人。村上さんと大倉さんはどちらかと言えば過去から現在までずっと持ち続けているスタンスを表しています。
「汚い」という言葉、または類似の表現がなぜ多くのメンバーから発されているのでしょうか。そこに彼らの関ジャニ∞観の一片が隠されているように思えます。
一番分かりやすいのは村上さんと大倉さんが語る関ジャニ∞の汚さです。汗水垂らして必死こいて泥臭くもがいてきた関ジャニ∞、というイメージは彼ら自身とファンの間の共通認識であることがうかがえます。丸山さん・安田さん・錦戸さんが語る汚さは、私たちには見えなかった部分で色々な衝突や葛藤があったのだろうということを語っています。
共通して私が感じ取ったのは、「苦しみ」です。汗水たらして努力する、といっても爽やかな青春譚に収まるはずがありません。その過程には様々な苦しみがあったのだろうということは予測できます。そして現状に対する“汚さ”にも、本来“綺麗”であるイメージが強いはずのアイドルが綺麗ではいられない、ドロッとした重い苦しみが言葉の底に感じられます。
(村上信五)僕らずっと足元グラグラですから。もしかしたらすべての荷物を下ろしたほうが楽かもしれないけど、たぶん足腰ガクガクのまま歩くしかないんやろうなって思うから、(音楽と人)
(安田章大)今回は、それを支えたいと思っているファンのおかげで成立したライブだけど、あがきもがき苦しんでるような音に聞こえちゃってたら、音を楽しむ音楽ではなかったなあと感じてます。(CUT)
「苦しみ」というワードを出しているのは安田さんのみでしたが、村上さんの言葉の裏にも彼らのアイドル人生に苦しみが存在していることが表れていると言えるでしょう。
「苦しみ」と共にあるアイドル。
それが関ジャニ∞であり関ジャニ∞の関ジャニ∞観であるというのが私の見解であるとしたいと思います。もちろん苦しみと共にあるのは他のアイドルの方でも同じでしょうが、それが彼らの共通観念として如実に表れているのが関ジャニ∞なのだと思います。
その苦しみから生まれるものが美しい、というのはこのブログで引用してきた安田さんの言葉を借りるようで畏れ多いですが、まさにその言葉しか浮かびません。関ジャニ∞の応援歌がファンに力を与えてくれるのは、彼らがいつも明るいポジティブグループだからというより苦しみを知った彼らがそれでも笑おうと言ってくれるからかもしれません。
苦しむために生きないで
あなた自身を愛してくれ
(ふりむくわけにはいかないぜ)
苦しみと共にあるアイドルから、しかも自分たちの歌を自分への応援歌にしがちな丸ちゃんからこれを歌われたら胸にくるにきまってらーね!!!!
★終わりに…
読了してくださった方、いらっしゃるのでしょうか。もしいらっしゃったら、約23500字読破です。ありがとうございます…!
考察といいつつ、私の妄想に近い推測が含まれる部分もあるかもしれません。このブログ全体が、一個人の見解に過ぎないことをご了承ください。つまり私が楽しいだけでしたー!関ジャニさん最高です!!! ありがとうございました!
【GR8EST】メンバー別感想編
※記録癖のある人間の独り言のようなものです。
一応前回の続き。メンバーごと感想。
●横山裕さん
顔が美しい。
なぐりガキBEATの暗い照明での無表情アップが神々しいまでに綺麗。
毎回新鮮にびっくりする。
でも、横山さんの笑顔って最高だな……って思ったのがパンぱんだ。
横山さんは無表情が一番綺麗で好きだ~って思ってた時期もあった。
でもパンぱんだの楽しそうな笑顔を見たら…なんか…安心した。
アイドルの笑顔は世界を救うー!!!
ズッコケ男道の横山さんはイケメンの塊だった。
それにしても横山さんが他メンバーと肩組みに行った時、手のひらをべたって相手の鎖骨あたりにつけちゃうの何なの???密着度高くない??エロくない???
Heavenly Psychoのトランペットソロ。
ペットではないものの金管楽器(ホルン)をやっている身としては、いつも横山さんのロングトーンの綺麗さにびっくりする。音がほとんど揺れないのは基礎力がきちっとしてる証拠だな……基礎練習に時間を割いてきたんだろうな…
横山さんのペットについてはもっと色々映像見たい。
2部のポップ衣装、横山さんの上の衣装の裾が風でひらひらしてるの好き。
ラスト、不意打ちで丸メガネかけてくるから心臓に悪い。
前髪長め横山さんと丸メガネの組み合わせはイケメンすぎるって……
トドメをささないで……
「ここの全員…抱きしめたるっ!」みたいなジェスチャーのファンサ好きすぎた。
●村上信五さん
キーボード弾きながら手を上げる村上さん、なんであんなに可愛いんだろう。
特にNOROSHI。手がグー。あれ本来は拳高々と突き上げるかっこいいやつなんだろうけど私にはアンパンチにしか見えない…可愛い………
2部のポップ衣装、村上くんにピンクを着せてくれてありがとうございますって関係者の方に菓子折り持っていきたい。村上くんってピンク着ると一気に雰囲気がふわってなるよね。なんだ?村上信五はマシュマロか???(思考の錯綜)
キンキラ衣装もとんでもなく好きだった。腰キュッてなってるやつ。あ~~衣装展やらんのかなぁ……一回関ジャニ博物館つくってみよう…?衣装近くで見たい……
電話するわファンサ、噂では聞いてたけどあんなにずーーっとやってたのね。
私も電話されたい……なんかそういう特典ボイスみたいなんほしい…期間限定特別ダイヤルお願いします…
ヤスヒナのバズーカのくだりも可愛かった。
ヤスくんに構ってもらってるヒナちゃん!!って感じで。
それにしても、村上くんが倒れた公演ではないものの十分しんどそうに見えたから本当にお身体を大事に……という感想が一番。
まだメイキング見れてないんだよな…例の日の映像怖いわ
●丸山隆平さん
いつもベースがエロいね……NOROSHI最高かよ…
丸ちゃんの光が消えた目がゾクゾクするほど好き。
MCの「戦闘のおっさん」死ぬほど笑ってしまった。
丸ちゃん見てるとなんかすごく元気が出てくるよ…MC集早く見よ。
パノラマの時の胸元見せファンサ私もほしいーーー!!!!
●安田章大さん
アイドル力が高い!!!!!
時々くるウインク。愛がにじむ煽り。
そしてkuraTik !!!!!!!!!!
Tik Tokって全然触れたことないけどああいうことですよね。完全にティックトッカー安田でしたよね。万が一ジャニーズがSNS解禁されるようなことがあったら超たまにでいいから更新してほしい。
アクションの大きい演奏シーンを見てても、身体の動きの表現が得意なのかなってすごく伝わってくる。ダンス得意とかにも繋がるのかもね。
ヤスくんってよく両手を広げるけどあのポーズちんまり感が強調されて可愛いんだよな…でも愛で世界を包むぜくらいの存在感があるのすごい。
●錦戸亮さん
亮ちゃんのしゃがれた声大っっ好きなんですよね…
挨拶とかで叫ぶ時・「言ったじゃないか!」って叫ぶ時・BJの最後
等とにかく叫ぶ時の絶妙な声のかすれ具合がかっこいい。
叫ぶのに加えたまにやる甘えたみたいな喋り方も大好き。
kuraTikの大倉くんとの会話、なんでそんな甘々なの……
NOROSHIの「控えめなのね ガールズ?」
の「ガールズ」のこなれた発音もすごく好き。
挨拶内容も好き。「笑ってた方がいい」
総括して声と言葉が全部好きだ。
●大倉忠義さん
大倉くんの二の腕に恋してしまった。
思わず画像を貼ってしまう。
おしげもなく見せてくれるこの筋肉もつきつつ触ったらちょっとムチってしそうな二の腕…バンドパートではいつの間にか脱いでて、どのタイミングか忘れたけどキンキラ衣装の時も上着をはだけてチョイ見せしてくれてた。最後も見えてた。
いよいよ自分が気持ち悪くなってきたけど、これからは
担当;村上くん 副担;大倉くん(の二の腕)
でやっていきたい。
てかこの画像だけ貼ると記事のサムネがこれになるな…?
ライブDVD感想最終的に二の腕の感想になったけど諦めるか…
とにかく楽しかった!
ライブ超楽しい!!!
まだまだ見られていない円盤がたくさんあるからこれからもっと楽しみだ~!
読んでくださった方、お付き合いありがとうございました。
【GR8EST】初めてのライブDVD編
※記録癖のある人間の独り言のようなものです。
生まれて初めてライブDVDというものを見た。
3月3日ヒナ祭り。受験中は封印していたGR8EST(初回限定版)を解放。
楽しかったーーーーー!!!!!
私よく関ジャニがかっこよすぎて泣くんですけど、終始それだった!
★初めてのライブ風景
ライブ会場、それは別世界。異次元。
フォトブックを見た時点で「こんな世界知らない…」って感じだったけど映像だとなおさら。
ドーム一杯のペンライト(ガラガラ)の海。
ド派手なステージ。無数のライト。飛び出る火柱。
移動バンドのときにソロアングルになったりしたら、背景はドーム一杯のお客さんとでかいライトだけだったりして、後光…?という美しさ。まさに非日常。
あんだけ会場がでかいから、やっぱりアンコールも全然そろわないんですね。
でもその分あのアンコールの熱気というか声の渦というか、一種の異常空間に巻き起こる空気に現地にいたらクラクラするくらい飲みこまれてしまいそう。
あー!参加したい!
★アイドルの本業
OP映像ですでにかっこよすぎて涙目の私。
OP映像とスタンバイ中のメンバーが交互に写されるところで、
「えっ?こんなにかっこいい人画面を飛び出してくるの?え、実在するの??」
と現実と映像の区別がつかなくなり困惑(私にとってはどっちも映像だ)
曲が始まると、
「この曲こんなにかっこよかったっけ?」
「この曲こんなにかっこよかったっけ?」
「この曲こんなにかっこよかったっけ?」
「この曲こんなry」
・
・
の、 繰り返し。
関ジャニは課金制アイドルってどこかで聞いた。
本当にかっこいい彼らはライブで見られるんだよって。
関ジャニに限らずライブってそういうものなんだろうな。
だってこれ彼らの本業だもの。
何十万人を6人で動員するだけの力があるのだもの。
と思わせる圧倒っぷり。息をのんで画面を見つめてしまった。
聞こえる音楽・言葉、画面に映る彼らの表情・仕草・その空間にある全て。
歌や言葉に込められた力に胸をうたれ、顔の良さにビビり、非日常の空間に酔った。
なんてすごい時間。
泣けるほど好きなものがあるって幸せだなー、って思いながらかっこよさに泣きました。
★ライブの醍醐味。煽り。
「バカになろうぜー!!」
「最高で~?最強の~?関ジャニー! エイトー!/ 」
のざっくりとした知識しかなかった私。
初めて全容を見ました。これは、ヤバい。(語彙の消滅)
●煽り①
チームワークがよすぎか……?
大倉くんのさらっと入ったバスドラムのリズムでドキドキが止まらなくなり、
村上くんいやMC村上の絶妙なテンションの喋り。
ヤスくんの合いの手。こんなのヤスくんに褒められたくて声出しがんばるやん。
そしてドラムとMCのリズム感がぴっっっったり。
この絶妙なチームワークが、ベテランアイドルの風格なのかはよくわからないけどでも貫禄というか時間の積み重ねというかそういうのを感じて好きです。(語彙力の消滅)
ブレイクをはさんでからの、
「ヴァカになろうぜぇ!!」
村上担の私は天に召されました。
●バンドメンバー紹介・煽り②
MC村上ふたたび。
バックバンドって、Peachさんや大西省吾さんも参加してらっしゃったんですね!
すごい、曲も演奏もどっぷり。
弦楽器隊の綺麗なお姉様方にやられました。
ポップスバイオリンかっこいい~~!!
最後の弓を離すアクションしびれる~~~!!!!!
そしてMC村上の
「ヴァカになろうぜぇぇ!!」
…
いや半端ないって。二回目あるなんて知らんやん。
言っといてや言うんやったら。普通する?バンドメンバー紹介で終わりかと思うやん。
結構不意打ちだったのでもちろん天に召されました。
なんだろう…「えげつない」とかで、
「村上くんのラップバトルも聞きたいよ……」
とか思ってたけどいや思ってるけど、ライブDVD見たら
村上信五マジMC。
って感じで恐れ入った。
村上くんも「かっこいいところはライブで見れる課金制アイドル」って聞いたことあって、それって、『ダンスや歌や可愛い村上くん等、普段の司会以外の村上くんが見れる』って解釈してたんです。
もちろんダンスも歌も可愛い村上くんも見れた。
でもそれ以上に、自らの武器であるMCで普段のかっこよさを超えてくる村上信五が衝撃で、さらに恋が深まった。
一人で場を回しつつあんなにかっこよくて盛り上がって安定した喋りなんだもの…。
(もちろんそれだけの実力があってこそのバラエティアイドルなんでしょうけどね…)
●煽り③
これらは煽りという名称で合ってるのか?(今更)
まあいいや。
最後の最後の横山さんとeighterとの手繋ぎC&R。
これって関ジャニライブのお約束なんですよね。
これは、会場の一体感に泣いた。
「もうわかってるよな?」
といわんばかりの“お決まり”のワンセット。
このC&Rが“お決まり”になったのは、彼らが何度もステージに立ち何度も手を繋ぎ何度も自分たちのことを「最高で最強」と叫んできたからなんだろうな………とか。
深読みオタクなので勝手に深読みして泣きました。歴史が透けて見えるような一体感。
できることなら15年前に戻って応援したい~~~!!!!!!
私もこの手繋ぎC&Rに参加するのが夢です。
間違いなく彼らは最高で最強の関ジャニ∞だ!!!!!!!
思ったより長くなりそうなのでメンバーごとのもっと具体的な感想は次にしよう…
自己紹介
はじめまして。
関ジャニ∞と村上信五さんにハマって約半年が経ちました、ド新規eighterです。
ジャニオタも初心者なので、初心を忘れる前に自己紹介代わりに沼のきっかけでも書き留めておこう!
関ジャニ∞の村上信五を知る
私はもともと二次オタでした。
ジャニーズは嵐とSMAPしか顔と名前が一致しないレベル(翔くんのライトファンだった)
きっかけは、『月曜から夜ふかし』
元からこの番組は好きでしたが、村上さんに対しては
「人気ない人(笑)」
という、典型的な一般人としての印象を持っていました(今思うと自分を殴りたい)
夜ふかしによってつくられたパブリックイメージ半端じゃねえ。
でも私はそこで、
「この人ほんまにアイドル??(笑)」
と、興味本位でYOU TUBEで「関ジャニ∞」と検索してしまった。
初めて見たのは忘れもしない、Mステの「T.W.L」
…バリバリアイドルじゃねえか!!!!!!!
アイドルだった。
そして曲も演出も楽しかった。
村上くん錦戸くんすばるくんしか顔と名前わからなかったけど!
二次ではことごとくツンデレキャラにハマってきた私。
ギャップ萌えに弱いんです。
バラエティの“村上”と、アイドル“村上信五”はとんでもないギャップだった。
(今見たら夜ふかしの村上くんもかわいいんですけどね。先入観って恐ろしい)
そのギャップを求めて動画に画像に検索をかけまくってしまい。
イケメンカメラ目線・いきなりドッジ・英会話伝言ゲームに出会い。
本当にこの人たちバリバリ関西弁喋るんだ……(そこから)
気付いたら沼でした。
いきなりドッジの「ヒナちゃんクーイズ!」は衝撃でしたね。
というか頭の中が「????」でした。
村上くんが「ヒナ」って呼ばれてるのは分かったけど、名前に何もかすっていないのになぜ?と。最初は何かの冗談か罰ゲームだと思ってました。その割に本人も周りも当たり前のように使ってるし。このニックネームもとんでもないギャップでした。
イケメンでスタイルが良くて、何よりかわいい天然ヒナちゃん。
とんでもねえな。
関ジャニ∞の沼へ
最初はジャニオタになるのにあらがっていました。
ジャニオタ界の知ってる単語と言えば「同担拒否」。
こえーよ!!!!何も知らないド新規が行くところじゃねえ!!!
でも、Twitterを検索してみればオタクってどこの界隈も似たようなもんだな。
クロニクルはじめ動画を見ているうちに全員の名前も覚えてしまって、新しい世界を知るのが楽しすぎて、結局ジャニオタへの道から抜け出せませんでした。
ゲオで関ジャニのアルバムを全部借りました。
アルバムをきちんと曲順に、じっくり聞くことの楽しみを知った。
関ジャニは大坂のトンチキソングだけを歌ってるグループなんかじゃなかった。
High Spirits で、アイドルがやるバンドに心震えた。
アルバムを聴いて安田さんの歌に惚れてしまい、画像を見て横山さんの美しさに心奪われてしまい、一時期「歌は安田くん、顔は横山くん、動画は村上くん」と推しを細分化していました。もちろんすばるくん丸山くん錦戸くん大倉くんも大好き。今でもそれは変わりませんが、やっぱり気がついたら検索をかけているのは村上くん。
えっっ、これって…恋………!?(黙れ)
恋だと気がついたので村上担になりました。(ガチ恋勢ではありません)
すばるくんがいた時代を知らないド新規eighterですが、今までの関ジャニも勉強して、これからの関ジャニを応援して、楽しいジャニオタライフを送りたいです。