hir0-14's blog

甘ちゃんサッカー小僧、会社創業2年目の七転び八起きブログ

自分たちで創めた会社が2才をむかえて思うこと。

振り返り。

2014年、どうだったか。

自分は、バッタバタの1年。

漢字で表すと『変』。

住む場所も、オフィスも、従事する事業も、

ハード面からソフト面まで、全てが大きく変わった1年。

自分の仕事の取組み方も大きく変わり、スタンスも変わりつつあり、

今年の初めの自分を振り返ってみると、恥ずかしくなるくらい変わった。

来年も大きく変化する、刺激のある1年にしようと思う。

今いる会社は、自分たちで立ち上げた会社だが、2015年1月4日でちょうど2年になる。

ここまでくるのにも激動の2年だった。

一般企業に努めている同世代の5~6年分を一気に経験したのではないだろうか。

いい機会だし、少し整理しようと思う。

  

どんな企業もスタートアップはマンションの一室から始まっている。

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昨年創業した会社が、2015年1月4日で、1歳を迎える。

ちょうど、2年前の年末。

 とても大きな不安もありつつ、まだまだ若いから失敗しても大丈夫、と周囲の反対を

そっちのけで、前職を退社し飛び込んだのが、2012年の年末。

2013年の1月4日に登記し、6畳ワンルームの社長の自宅をオフィス兼事務所に改造。

と言っても、IKEAで買ってきたテーブルと楽天で最安値で買ったそれっぽい椅子を並べて、それぞれ自分のノートPCを持ち寄っただけのオフィス、半ば会社ごっこのようなところからスタートした。

楽天の三木谷さんも、サイバーの藤田さんも、DNAの南場さんも、最初は皆同じスタートである。

4人でスタートした会社が2年で約100人超え

時流に乗り、最初の1年は飛躍的に伸びた。

狭い部屋がみるみるモノと人で埋め尽くされ、おもしろいように伸びていった。

ただ、業界がニッチかつ、参入障壁が低かった為、大小さまざまなプレイヤーが増え、間もなくしてレッドオーシャンに。

新規参入企業が増えては消えてと繰り返していく中、先行者利益と創業社長の営業力によって、自社はどんどん伸びていった。

 

初年度の売上は、サーバーエージェントの創業時と同じ、3億。

新宿で本社(一応本社と言っておく)で当初志したのが初年度3億。

この目標は綿密に事業計画を引いたものでもなんでもない。

市場自体もここ数年でできたばかりの変動が読めないもので、えいやーで決めたものだ。

ただ、その目標に向かって一丸となり、ただただ動いた。

関東圏だけでなく、関西もとりにいく!と鶴の一声で関西支社(一応支社と言っておく)を4月に設立。自分はその関西の立ち上げを担う為、前職を辞めて引っ越してきたばかりだった中野の家から大阪の梅田周辺へ。(3ヶ月しか住んでいない...)

半年でメンバーをかき集め、東海と関西エリアの開拓を担い、その頃には社員も8人に増やし、売上も順調に伸ばした。

 

 起業10ヶ月で大手上場企業にM&A

このペースで順調にいけば、えいやーで立てた3億の目標に見事に届くぞ!

もう少しだ!うぉー!!

と意気込んでいる最中だったので、正に寝耳に水とはこのこと。。

細かい話はここでは控えるが、かくかくじかじかでそのまま買収を受けることに。

 今では複数社あるグループ会社の一つとして、本体とや兄弟会社と上手く連携している。

 

M&A前後で変わったこと

当然のことだが、MA前後では全てが変わった。

ハード面では、そもそもオフィスから移転。

某大企業の一角に自社スペースを設けてもらい、共同スペースは全て利用し放題。

 もう、トイレに行くためにわざわざ近くのコンビニまで行かなくてもよくなり、

10人同時に入ることも可能だ。切羽詰まっても安心。

人が後ろを通るときにデスクがお腹に食い込むほど椅子を引く必要もなければ、

一人が食べているランチのせいで、部屋が臭くなる心配もない。

 

ソフト面では、仕事の進め方全てだ。

今までは、6畳一間に全ての機関が凝縮されていたため、

「こんなんどう?他社もやってるっぽいし、割といけそう」

「お、それいいじゃん。やってみようか。」

「おっけー、じゃあそれやろうか」

と、全てが口頭で決まる。

だが、今は全て社内ツールを通して、全てに稟議申請が発生し、

「ここの根拠的な資料か証憑がないとさ~。。差し戻し」

と手続きが発生し、上の上のそのまた上に承認をもらってから初めて決行できる。

 (もちろん、これが当たり前なのだが。)

ただし、ちゃんと通すところを通せばある程度の額は、リスクなく投資できる。

このように、ポジティブなところもネガティブなところもあり、とりあえず言えることは全てが変わったということ。

 

で、結局良かったの?悪かったの?

捉え方はいろいろだが、良かったと思う。

MA前でいうと、目の前の裁量は自分にあり、判断基準も選択するのも実行も自分でできた。ただしそれは、狭い範囲の限られた財源のもの。

MA後は、ある意味では裁量は自分だが、判断基準は上にあり、説得できるようアウトプットする必要があり、それでも最終決定者ではなく、結局は自分で決めれない。

ただし、うまくできれば、自分の範囲を大きく超える資金が使えたり、労力をかけずリソースが手に入る。個人の大きなリスクなく、チャレンジができるのだ。

また、優秀な人も集まっているため、さまざまな知見を借りることも容易だ。

 

よって、今の状況には、ひとまず満足し、感謝している。

これからある程度の期間は、この中でできることをやりつくし得るものがあるまでやりきろうと思う。

 

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

 

約1年ぶりの更新か

前回の記事から約1年。

環境は大きく変化した。
忙しかったから書けなかったというわけではない。

観てくれている人も増えて、ちゃんと書こうと考えると
それなりに構成を考えて、言葉を選んで書かなくてはならないことに気づき、
それよりも自分の事業を考える時間にフォーカスしたかった、といういいわけでも
しておこう。

しかし、最近友人の社長がBROGを始めたり、社内のメンバーも書いたりしていて
前まで書いていたのを思い出し、ふと記事を読み返した。

すると、とてもおもしろいことに気付いた。

自分が大切な時に話したり、深い討論をした際は、だいたい自分が
昔に書いた記事をなぞっているかのように話している。

つまり、ブログを書くこということは、
頭の中野自分の考えを整理して、文章に起こすということで
人に教える、伝えるという行為であり、アウトプットしながら
自分に再確認させれている、ということである。
またおまけに、振り返れることによって、今の自分と過去の自分の考えの差異を
見いだせたり、自分と向き合って頭の整理をする時間を取ることにもつながり、
一石三鳥であることに気付いた。

要は、自分がこのブログを始めた際に目的としていた自分のログを取っていくということをちゃんと成していたのだ。


なので、改めて、書いていこうと思う。

これからはより自分と向き合い、

どこの誰になるのか、

いつ何を成し遂げるのか

そのためには、今何をすべきか


しっかりと目標を持って生きていかないといけない。




ここまでの1年を振り返るのは次回にしよう。

とりあえず更新しないとアフィリエイトが邪魔なので更新します。

原点

本当にただ徒然と思ったことを書いているが


これでいいのだ。



このブログを開設した意味としては、自分の頭のログを貯める為である。




その時感じたこと、考えを記録するためであって、誰かに見せる気など、到底ない。





そう、人生はあくまで自己満なのだ。





自分に満足できるか否か。




そう考えるとある意味、外、他社、世界を知らず、井の中の蛙でいる方が比較対象を知らないので



いろんな欲が湧かず、それはそれで幸せなのかもしれない。






ただ、自分の起業を目指す、やりたいことを実現するモチベーションの原点は



やはり違う国の現実を知り、それを肌で感じたことかもしれない。






学生の頃、とある友人からの誘いでカンボジアへのスタディツアーというものに参加した。



それは、ただ単にツアーではなく、現地の数ある問題の解決をビジネスの視点から抜本的に試みている、『かものはし』というNPOの主催する



肌で感じ、学ぶツアーであった。





現地の現実。




それは日本人の大半がある程度メディアや学校教育の中の知識として知っている。




しかし、それを自分の肌で感じたり、解決に向けて何かの行動に移している人はごく少ない。






おれたち日本人は、小学校、中学校という義務教育をどのように過ごしただろうか。



大半のやんちゃぼーずは、勉強をなるべくしないように、しないで済むとようにと必死に趣向を凝らしたのではないだろうか。




勉強だるいなー、めんどくさいなー、宿題やだなー



日本人の義務教育を経てきている人は99%の人間が口にしているといっても過言ではない。





カンボジアでは、その当たり前を根本から覆された。






198年生まれ、当時、自身はハタチ。



自分と同い年の現地の女性と話す機会がそのツアーには設けられていた。





彼女の家は貧しく、中学校を中途退学して、ろくな教育を受けていない。



彼女は、下に6人ほど弟や妹がいて、貧しく、母も足が悪いため自分が働きに出て食べさせなければならない。








涙ぐみながら、彼女はこう話した。








小学校や中学校の勉強がしたい。




今の私の夢は、弟や妹たちが自分と同じ思いをしないで済むように、学校に通わせてあげることです。











今、自分が生きていることがとてつもなく恥ずかしくなった。









世界は本当に不平等である。




もう一度言う。彼女は1988年生まれの同い年。





同じ年に生を受けたが、生まれた国が違うだけでこんなにも違うということを




肌で感じたことが衝撃的で、申し訳なくて、何ともやるせない気持ちになった。





そして、自分たちがどれほど恵まれた環境にいるか、改めて再認識させられた。






そう、自分の原点はここである。



この経験が自分の価値観を大きく変えた。



ストッパーがぶっ飛んだ。





自分たちは、何かを知りたいと思えば、親指一本で調べ、ほんの数秒で知ることができる。



なんでも知れる。


チャレンジしようと思えば何でもできる。


何にでもなれるチャンスもある。


どこへでも行ける。


誰とでも会える。



失敗しても、死なない。


食に困ることなど、よっぽどのヘマをしない限り、まずない。



この環境にいて、その他の環境を知った自分は、したいことをするしかない。


なかば、しないといけない、という義務感さえ覚える。





チャレンジできる環境の自分たちは、チャレンジをし、必ず成功し、還元する義務があるとおれは思う。




それは、あからさまに直接の寄付だったりボランティアだったりではなく、事業を回し、雇用を生み、利益を生み




経済活動に貢献するということ事態でもいいと自分は解釈している。




この価値観も、現実を知らなければ、肌で感じなければ、ここまで考えてはいなかったかもしれない。




この経験を与えてくれた友人に感謝している。

ATフィールド

人は、1人で生まれて1人で死ぬ、という格言をよく耳にする。


自分もそうだと思う。


孤独が嫌い、便所メシ、孤独死など特に最近よく耳にするが


そもそも、何を勘違いしているのだろうか。


じゃあ、孤独ではないとは何か。


群れていることが孤独ではないのか。



群れていても個は個。



この集合が群れ。



つまりは個が成り立っていないと群れにならない。




さみしい気持ちは誰にだってある。



人は結局、人が好きである。




逆に、人は人といると自分と向き合わなくて済むから人といたいのではないだろうか。



なぜ人は孤独がベースなのに、寂しさを感じ群れたがるのか。





これから少し、孤独について考察していこうと思う。

克己心

昔からサッカーを続けていた自分は、まわりにサッカー選手が多い。


家長昭博、宇佐美隆史、渡邊まさき、中村太亮、みんなまだまだ現役で活躍している。



幼いころからの幼なじみでもある宇佐美や家長は、同じ小学校のチームであった。



やはり、そのころからストイックで、他の誘惑を我慢していたというよりは、価値を感じていなかったように思う。




現在、日本代表の本田もそうであるが、往々にして、みんな自分と向き合い切れたものだけが高みに届いている。



どこまで自分と向き合い切れるか。



自分に勝ち続けられるか。




まさにサムライである。



そんな自分になる。決めた。

経て

久々に書こう。



あれから少し、怒涛の日々を過ごした。



入社時の目標である主任に昇格し、その後も達成が3ヶ月続いたので



燃え尽き症候群に陥る。



またその最中に、予てから一緒に何かしようと話していた大学の先輩より



誘いを受け、決意。




退社し、起業。






世の中に認めさせるため、自分に自分を認めさせるため。



世の為、人の為と良く言うが、もちろんそうなるのは理想であるが




完全に自分の為である。




自己実現、成長、経験、、並べると胡散臭い自己啓発になってしまいそうなのでここらへんにしておく。








なぜ、その道を選んだのか。





もしこれを誰かが読んだときに、その人の中で少しでも僕の考えが活きればと思い、綴っておく。






1つは、どうせ何をしてても仕事は必要で、これからの人生の約3分の2を使って社会を回す一員をしていくのだ。


約30〜40年。普通にサラリーマンをすればこんなもんだろう。


決して悪いとは言わない。むしろ安心安定して生きていくに当たっては、大企業に入ったのであれば賢い選択だとも思う。



自分は、その長い期間を誰かが作ってきれいに舗装した道路をただ歩かせてもらうのは嫌だと思った。



ただのひねくれである。






2つめは、チャレンジのない人生は果たして楽しいのか、というところからきている。



道路の幅は大小あるものの、選りすぐりすなければだいたいどの道でも歩いていける。



しかし、道路が無いところに自分たちで道路を作り、舗装し、ガードレールを設置し、線を引き、



安全に通れる道を作るのは容易ではないが、前者とは違う景色が見え、違うものの捉え方ができる。



当然、途中で土砂崩れや崖もあるだろうし、獣に狙われることもあるかもしれない。


しかし、こんなわくわくは無い。



単純にそれを見てみたくなった。つまり刺激が欲しいのだろう。





ただ、もう一度いう。そんな簡単なことではない。



事業を回すこともさることながら、いろんな不安やプレッシャーは、その立場にならないとわからないものがある。



孤独との戦いも大いにある。


世間とは違う道なので当然、舗装されている道路の人たちとの距離は遠くなる。




それでも、チャレンジする理由はあると思う。





だって、じゃあ残り40年、無難に過ごすの?




起業なんて、10年後に残ってる会社は3%と言われている。




2〜3年でつぶれても、あと37年残っている。




当たり前のように生きてるけど、生きてること自体、オレは賭けだと思っている。




どうせ限られた人生、ちょっとくらい大きな賭けに使う時間がある方がよくないか。





むしろ、それくらい賭けれる度胸がないと、ダサくないか?こんなこと何の賭けでもない。




無い道を開拓しながら進む。





その経験があれば、舗装されたレールの道なんてスイスイ進める気しかしない。






つまり、行動することが全てプラスになり、何のデメリットもないからである。









社会は秩序と平穏を重きに置く。




3年は務めろ、とか、長く働くことが美学のような風習になっているのは日本のみである。


逆に言うと、これは経営者層からの一種の洗脳である。



「この会社に務めて30年です。」

「へー、すごい!」



となるのは日本のみである。



恐らく海外では、なぜキャリアアップを考えないのか、できないやつなのか



と捉える。




いろんな枠を超えた視野を持つ。




全ては経験。







ただ、もしいつか自分が親父になった際には、子どもには恐らくこう教えるだろう。





「起業はやめておけ。」

帰京、充電

友人の結婚式を理由に

5連休をとった。


事前にいろんな友人に声をかけておいたおかげで

大学の先輩、大学の友人、サークルの友人、地元とたくさんの人に会えた。



持つべきものは友と言うが


本当にそれを感じた。



そしてなによりも感じているのが



自分のバイタリティの根源である。


人間は一人では生きてはいけないというが、正にその通りだ。



ここにあった。




どちらかというとバイタリティに溢れている方だと思っていたが

この連休を取る前と取った後では

内面的に全然違うものを感じる。




自分と会う為に時間を割いてくれる友人。


当たり前のようで、本当に、有難いことである。


自分の限りある人生、限りある時間の中で、使い道の選択肢のひとつを選ぶということである。

あまりここまで大袈裟に考えて普段生活しているやつはいないだろうが


少なくとも、自分と過ごす時間の優先順位が上だったとゆーことである。




自分自身の必要性。





全ての人が当てはまるかどうかはわからないが、


人はここに生きてる意味を感じるのかもしれない。

あるいは感じやすいのかもしれない。



もちろん、仕事をして役職をつけることだってそうだし、絵を描き、それをお金を払って買ってくれる人がいることもそうだ。




どこが一番感じられるかは人それぞれだが



少なくとも自分は

友人との時間が自分のバイタリティに繋がっていることを今回、理解した。




帰るべき場所があること。




とても幸せな時間を過ごせたし、新たな自分に気づくことができた。