ついつい使う日本語、「ちょっと」のはなし。

 日本語でいう「ちょっと」は、その言葉の通り「少し」という意味で使われることは少なくて、少しどころか「とても」という意味で使われることのほうが多い…というのは、しばしば言われる話だけど、そこらへんについて話します。

 兄弟が言う「ちょっとちょうだい」「ちょっと貸して」は全く「ちょっと」じゃなくて、「たくさんちょうだい」「長いこと貸して」の意味だったし、学校の先生だかバイトの先の社員がいう「ちょっと、それはねえ」は「ちょっと」どころのレベルじゃなくて「とても、それはありえない」という感じのニュアンスだった。まとめると、「ちょっと」という言葉は、これっぽっちも「ちょっと」ではなく、「とても」という意味だ。

 そんな自分でも(読んでいただいている方も)、「ちょっと寂しい」だとか「ちょっと嫌だ」なんて感じることは、生きているなかでたくさんある。これの意味は、「すげー寂しい」だし、「ほんとうに嫌だ!」である。

 でもね、「ちょっと」と使ってしまうのにはワケがある、と思う。「ちょっと寂しい」だの「ちょっと嫌だ」だの言うときって、「すげー寂しい」と感じているし「ほんとうに嫌だ!」と思っているけど、その原因は大したことじゃないことが多い。大したことじゃないのに、思いのほか傷ついている、ヘコんでいるときに「ちょっと寂しい」とか言ってしまう、思ってしまう。

 「ちょっと怒ってる」も、そう。何に対して怒ってるかと聞かれれば、大したことじゃないんだ。じぶんでも、頭のなかでわかってるし、理性は「大したことじゃない」と判断してる。でも、どこか予想外というか「えっ、なんでこんなになってしまったん」っていう驚きをはらんでいて、大したことじゃないのにダメージが大きい。大したことじゃないと、頭では理解しているのに、思っている以上にダメージをくらってるから、「ちょっと怒ってる」としかアピールできない。とりたてて怒ったりなんかしたら、「なんでそんなつまらないことで怒るの」とカウンターが入るのは目に見えてる。なにより、つまらないこと(大したことじゃないこと)であるのは、じぶんが一番わかってたりする。

 ただ、もしできるんであれば、とても図々しいけれども、「ちょっと寂しい」「ちょっと嫌だ」「ちょっと怒ってる」みたいなことについて、相手が理解してくれると、嬉しいよね。すごく寂しそうにしてたり、すごく嫌そうにしてたり、すごく怒ってたら、相手だってわかるだろう。これが原因であいつは寂しそうにしてる/嫌そうにしてる/怒ってるって。そもそも、こういうことが起こってしまうのは、共通認識のズレからくることが多いです。「ちょっと寂しい」の”理解”をうまく積み重ねていけたら、共通認識のズレも埋まっていくだろうになあと思う、たいへん難しいこと言ってるのはわかってる。

失敗したときの立ち直り方(HIRAGAMI的)

毎日のように、失敗する。しくじる。そして、失敗と同時にヘコむ。なにかを失敗して、ヘコんだら、存分にクヨクヨして、立て直すようにしてる。

じぶんには、立ち直るときの”型”がある。毎日のように失敗して、その立て直し方を、いちいち構築していたらとても疲れる。だから”型”をつくって、なるべく早い段階で立ち直れるようにする。

あんまり早く立ち直ると反省していないかのように見える(そういう人がじぶんのまわりには一定数いる)けれど、じぶんの”型”はそこまで洗練されていなくて、立ち直るのにちょっと時間がかかる。

このブログの、どのエントリでもそうだけれど、誰かに伝えたくて書いてるわけじゃない。じぶんの為にまとめようと書いてます。もしくは、特定の誰かじゃない誰かに伝わったらいいと思います。

じぶんの”型”は以下の5つです。

・”わざと”やったのかどうかを判断する

もし、なにかを失敗したときに、それを”わざと”やったんなら、結構サイアクだ。実際は”わざと失敗する”ということはほとんど無い。でも、ヤバいと思ったときに即座に言えなかったり、行動を起こせなかったりすることが、じぶんには少なからずある。”わざと失敗する”というのは、ヤバいと思ったのに、すぐに行動できたかどうかのことを指してる。

・「出来なかった」のか「やらなかった」のか「気づかなかった」のか

この3つのどれだったかを判断する。
「出来なかった」のに、失敗してしまったら、それは仕方がない。出来るようにすることでしか、解決できない。もしくは早い段階で「出来る誰か」に頼む。出来るようになれそうだったら次から出来るようにする。これはどうにも出来そうにないと思うことだったら、そこでスッパリと諦める。
「やらなかった」んだとしたら、すぐにやれるように考えを改める。「やらなかった」という選択を選んだ思考の過程をよく考えなおす。
「気づかなかった」のは、「出来なかった」と近い。仕方がない。でも、「気づかなかった」は「気づいていさえすればすぐに出来る」ということだから、気づけるようにするし、次は失敗しないようにできる。

・指摘されたのは”失敗”についてだけ

失敗したことを指摘されたときに、つい「失敗した人の全て」を指摘されたように感じる。実際に、失敗を指摘したついでに、失敗した人の全てを指摘するようなことをする、けしからん人もいる。でも、それでも指摘されたのは”失敗”についてだけと考えておく。失敗から飛躍して、自分自身の全てについて考えていたらキリがなくなるし、立ち直れなくなる。

・失敗したときの”怖さ”だけは忘れとく

失敗すると、次に失敗するんじゃないかと怖くなる。次に同じ状況に直面したときに、思うように身体が動かなくなったりする。そうならないために「今回は失敗してよかった、これで次は失敗しない」と言い聞かせるようにしておく。失敗したことを、軽く見たり、反省しないのはマズいけど、失敗したその”怖さ”は忘れといたほうがいい。

・次に失敗しないためのことを考える

最後に、次に失敗しないためにどうするか考える。同じ状況に直面しない方法を考えるのが一番だ。でも、もし同じ状況に直面したらどうするかも考える。「失敗しない方法」と「同じ失敗をしたときの切り抜け方」を考えておけば、きっと失敗しない。


ここまで考えたら次は必ず失敗しないとは言い切れない。同じ失敗をすることもおおいにあり得る。でも、失敗したことのショックからは、きっと立ち直ってるはず。すこしだけ心が軽くなっていることを感じる。

もっと早く立ち直る方法があったら知りたい。そして、”そもそも論”ではあるものの、メンタル自体を強くしたいし、失敗しないようにしたいと思いながら毎日生きてる。

カメラの話をしながら、「さいごに決めるのはじぶんだよね」って話がしたい

 「一眼レフカメラがほしい!私もう決めた!買う!」と思ったのは、1年近く前のことで、いまはCanonの一眼レフカメラを持ってる。

 どんなカメラを買おうかな。ボケのきれいな写真が撮れるカメラがいいかな。あんまり重いカメラは持ち運ばなそうだから、ミラーレスにしようか。…なんて思いを巡らせた。欲しいものを買う前ってすごい楽しい。楽しい。

 カメラを買うのははじめてで、後悔なんてしたくない。高い買いものだもの。価格コム見たり、ブログ見たり、カメラ持ってる人に相談したりする。「ねぇ今度、カメラ買おうと思うんだけどさぁ……」


「どのカメラにしよう」を考えるなかで、あたりまえだけど気づきにくい2つのことを見つけた。

 ひとつは、誰が見てもいちばんのカメラなんてないこと。いいカメラを買おうとすれば、それは価格が高くなる。使える機能が増えて、使える機能が増えるってことは操作がむずかしいかもしれない。でも、画質はずば抜けていいかも。
安いカメラを買えば、価格は安くて、もうひとつ新しいレンズを買えるかもしれない。でも、物足りなくなって、すぐに「もうちょっといいカメラ」が欲しくなることもある。
いちばんいいカメラなんてない。「AでもあるけどBでもある」のなかで、どれが自分にとって大切かを確かめながら、とのカメラにするかを考えた。
 もうひとつは、すすめられるカメラのほとんどはその人が使ってるカメラということ。Canonのカメラを使ってる人はCanonをすすめる。Nikonの人はNikonPENTAXの人はPENTAXOLYMPUSの人はOLYMPUSFUJIFILMの人は…(以下略


 選ぶカメラを間違えることで死んじゃうことは、ぜっったいにないけど、こんな些細なことであってもじぶんで決めなくちゃいけない。
 いちばんのカメラはないし、相談した人は、それぞれのまったく違う意見をくれる。きっと、CanonでもいいしNikonでもいい。カメラの、どの要素が自分にとって大切かを確かめて決めるしかない。すごい熱量で、どのカメラを買うか調べたけど、最後はやっぱり直感も含めて、自分で決める。

 けっきょく、Canonのカメラを買った。EOS 60D。ながく楽しめるようにミドルクラスのものにした。かつ、EOS 70Dが出るまえで価格が安かったのも決め手だ。Nikonのほうが画質がよくて、コスパもよくて…なんて話も聞いたけど、持ってみてしっくりきたのがCanonだった。
 レンズは(レンズについても、これはもう相当に悩んだ)、SIGMA 30mm F1.4 DC HSMにした。ボケのきれいな写真が撮りたかったし、30mm(35mm判換算で48mm相当 *1 )だったら、ある程度なんでも撮れるかなって。もちろん、すごくいい買いものをしたと思ってる!写真たのしいよ。

 カメラの話をするようで、なんでもかんでも「さいごは自分で決める」、あたりまえだけどむずかしいことだよねって話でした。以上です。

*1:Canonの場合。

すごいぞ、インターネット。

 きのう起きた、相模大野駅脱線事故。たぶん、脱線した車両からいちばん近くの電車に乗ってたと思う。1時間ぐらい電車のなかにいて、そこから相模大野駅まで線路のうえを歩いて、さらに町田駅まで歩いた。

 電車がとまってるあいだ、ずっとTwitterをみてた。”小田急”で検索してみたりなんかして。同じ電車に乗ってるっぽいひとのつぶやきが読める。相模大野駅の近くにいるひとのつぶやきが読める。どうして電車がとまってるのかもわかる。どこまでの区間の電車が動いてないかがわかる。どんどん情報を寄せることができる。すごいぞ、インターネット。

 日ごろからたくさんの情報に触れてるわけだけど、あまりにもリアルタイムで、いろいろな視点からの情報が入ってくるから、ちょっと神様的な感じがした。読者のじぶんは小説に登場しないけど、登場人物の状況や心情はぜんぶわかってるような、そんな感じ。だって、電車にいながら電車の外のことがわかるの、よくよく考えたらすごいって。

電車にいながら、こんな視点で脱線した車両の電車が見れる。すごい。

 なんとかして電車を出ることができて、出てみると、相模大野の上空には報道ヘリが5台も6台もいて、この状況がまたテレビで流れる。どんどんどんどん情報が流れていく。ケータイで、脱線した車両の写真をフェンス越しに撮るひともたくさんいる。この写真もどんどん流れていくんだろう。

 電車を出てから、町田駅まで行った。横浜線に乗れれば、迂回して帰れるんだ。隣の町田駅は、線路沿いを歩けばもちろんたどり着くだろうけど、GoogleMapで調べたんだよね、いちおう。あたりまえだけど、何分かかるかと距離がどれぐらいあるかも知ることができる(就活のときはたいへんお世話になりました。)

 でもね、ふだんと違って「これはちょっとヤバイぞ」ってときに、何分かかるかだとか、距離がどれくらいだとかわかるって、とても心強い。ほんとうに心強い。またひとつ、情報を寄せていく。

 それでもって、GoogleMapって、イヤホンさえつけとけば音声で案内してくれるのね。道を曲がるところは、音声で教えてくれる。ケータイなんて見ることなく町田駅まで行けた。いざというときのインターネットはほんとうにすごい、すごいぞ。

 「あったりまえじゃん、そんなの。」と思わなくもない。ケータイがなくたって、だれかに道を聞けば教えてくれるかもしれない。たいしたことじゃない。脱線事故だって、身に危険が及ぶぐらい大変な事故じゃなかった。たいしたことじゃない。でも、それでも、インターネットはすごいんだ。技術に支えられて生きている感じがしたんだ。

 すごいぞ、インターネット。ラッキーな時代に生きてる。

まがいなりにも就活をしてじぶんが学んだこと

 最初で最後のシューカツでした。もう少しがんばれたような気がしつつ、がんばった結果が今のような気もしている。とにもかくにも進路を決めたので、あとは然るべき場所でどうしていくかが大切だよねーって自分に言い聞かせてます。

 就活の体験談を、誰かにむけてエラそうに伝えたいわけではなくて、自分のために書きました。あくまでも個人的な経験則です。

 

1.じぶんの言葉で話す

 ほんとうに、じぶんをPRするための最大のトピックがバイトリーダーなら、それでいいんだよね。自己PRでバイトリーダーのことを話すのが、よく聞く話だとしても。ただ、なにを話そうか考えすぎるあまりに、じつは思ってもないことも(知らないあいだに)話してしまうことって、結構ある。そういうときって相手に伝わってないことが多い気がしました。考えるのは大事でも、考えがひとり歩きしてないかどうかを何回も確認したシューカツだった。

 

2.状態に満足しない、状態を説明しない

 「◯◯をしました」って話は、あんまり意味がないようです。よくよく考えるとあたりまえだけど、「大学受験のために予備校に入りました!すごいでしょ!」と言ってるのと近い。予備校に入ってからが大事なんだぜ…というのは受験だとよくわかるんだけど就活では気づくのに時間がかかった。

 ◯◯をしたあとで、「なにがどうなったのか」がすっごく大事なんだけど、これなかなか気づかないよ…。言われるのはかんたんだけど、けっこう難しい。

 「◯◯をしたこと」についての行動力自体を評価してくれる企業も、もちろんある。でも、みんなが行きたいなあと思うような企業は、「◯◯をしたあとで、どうなったのか」を評価する企業のほうが、きっと多い。

 

3.大きい企業のほうがいい

 これには理由が2つある。

 1つ目は、「手に職がない」んだったら大きい企業のほうがいいと思ってます。転職を考えようとなったときに、エンジニアは能力で評価してもらえるだろうけど、そうじゃない人は前職の企業で評価されやすいはず。転職したことないけど。まわりの大人はよくそう言ってた。自分もそうだと思ってる。

 ふたつめ。新卒での就職活動って、最初で最後なんだよね。みんなが足並みを揃えて会社に入るっていうのはこれっきりだ。だから”同期”ができるのも新卒だけ。わからないけど、同期って特別な存在なんだろうと思う。同期は多いほうがいいんだろう。これも、まわりの大人から聞いた話ではあるけど、そうだよねえと思う。

 

4.できる努力はする

 OB訪問をあまりしなかった。仲のよくない先輩に就活のときだけ話を聞きにいくのがいやだった。就活になった途端、尻尾をふって話を聞きに行くなんて、都合のいいやつみたいだ。でも、できる努力ならすべき。できる努力もしないで結果に文句は言えない。

 

5.ほんとは、だれと働くかがけっこうだいじ

 就活でこれをやるのは無理なんだけど、なにをするかよりだれと働くかが大事。やりたいことばかりできるわけでないし、この人たちのために頑張りたいかどうかのほうがなにに対してもがんばれる。

 大学生ながら、ある企業で長いことお手伝いをさせてもらっている。ある程度の期間を一緒に仕事すれば、どんな人かがわかるけど、面接ではむずかしい。その企業には行かないけど、「一緒に働きたかったー!はあ。」とはいつも思ってる。長いこと手伝うことができるのも、この人たちのために頑張りたい!って気持ちが大きい。

 


 3つ目の「大きい企業のほうがいい」をのぞけば、あとは何にも通じることで、就活のためにすることってあまりないような気がしています。あらゆることを考えるきっかけをくれた、いい時期だった、と思う。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」じゃないけど、就活のことも少しずつ忘れてきてる。大変だったのに、そんなに大変じゃなかったような気さえする。

 就活うんぬんの前に、そもそも大学生で、大学生としていられるのもあと9ヶ月ぐらい。おそろしく早く過ぎていく気しかしない。