遠浅

平野明

記録2024

【本】
0113 キリスト教の核心をよむ/山本芳久
0113 霊に憑かれた女/ジュリアン・バーンズ
0118 怒り(上)/吉田修一
0119 怒り(下)/吉田修一(一気読み)
0125 パレード/吉田修一
0203 東京湾景吉田修一(最高)
0203 余録の人生/深沢七郎
0209 となりのカフカ池内紀
0210 香水/パトリック・ジュスキント/池内紀
0214 パレスチナへ帰る/エドワード・サイード四方田犬彦訳・解説(良文)
0216 感情教育中山可穂(恋愛小説)
0219 マラケシュ心中/中山可穂
0222 旧約聖書物語/文・脇田晶子 絵・小野かおる
0225 パレスチナ/芝生瑞和
0225 パレスチナ合意 背景、そしてこれから/芝生瑞和
0228 天才アラーキー写真ノ方法/荒木経惟
0306 新約聖書物語/文・脇田晶子 絵・小野かおる
0314 モロッコ流謫/四方田犬彦
0317 私の修行時代/コレット佐藤実枝
0317 あなたの人生の物語テッド・チャン
0317 裸足のパン/ムハンマド・ショクリー
0320 花伽藍/中山可穂
0321 親指Pの修業時代(上)/松浦理映子
0322 親指Pの修業時代(下)/松浦理映

0325 100分de名著 ボーヴォワール『老い』/上野千鶴子
0327 遠い空/富岡多恵子
0328 上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください/上野千鶴子田房永子
0402 ハバナへの旅/レイナルド・アレナス
0410 カフカ短編集/フランツ・カフカ池内紀編訳
0410 たのしい写真/ホンマタカシ
0418 夜になるまえに/レイナルド・アレナス
0420 あの空の下で/吉田修一
0424 女たちは二度遊ぶ/吉田修一
0425 静かな爆弾/吉田修一
0426 発情装置/上野千鶴子(大尊敬)
0429 ここは退屈迎えに来て山内マリコ
0430 私の男/桜庭一樹
0512 こんな世の中に誰がした?/上野千鶴子
0513 愛のごとく/山川方夫新潮文庫
0513 夏の葬列/山川方夫
0516 日曜日たち/吉田修一

【映画】

0101 タイタニックジェームズ・キャメロン
0102 タクシードライバーマーティン・スコセッシ
0103 ニュー・シネマ・パラダイスジュゼッペ・トルナトーレ(泣く)
0104 キッズ・リターン北野武
0206 ファースト・カウ/ケリー・ライカート
0207 パフューム/トム・ティクヴァ
0219 夜明けのすべて/三宅唱(泣く)
0220 マディソン群の橋/イーストウッド(好き)
0226 シックス・センスナイト・シャマラン
0228 メッセージ/ドゥニ・ヴィルヌーヴ
0319 ヘカテ/ダニエル・シュミット
0411 瞳をとじてビクトル・エリセ(泣いた)
0416 カラオケ行こ!/山下敦弘
0417 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブヴィム・ヴェンダース(良い)
0501 セトウツミ(ドラマ)/瀬戸なつき/此元和津也(すばらしい)
0502 Shall we ダンス?/周防 正行(好き)
0508 悪は存在しない/濱口竜介
0510 少林寺三十六房/ラウ・カーリョン(修行欲)
0512 浮草/小津安二郎
0519 都会のアリスヴィム・ヴェンダース

【アニメ】

0116 カウボーイビバップ天国の扉/渡辺 信一郎
0131 オッドタクシー/此元和津也
0323 葬送のフリーレン/山田鐘人・アベツカサ(終わっちゃったよ…) 

 

【待っている人】

箱の中のあなた/山川方夫

李良枝全集(ナビ・タリョンまで)

女ぎらい/上野千鶴子

帝国の慰安婦朴裕河

性愛論/上野千鶴子

セクシィ・ギャルの大研究/上野千鶴子

マダム・エドワルダ/バタイユ

 

おひとりさまの老後/上野千鶴子

20世紀イギリス短篇集(上)/小野寺健

雪沼とその周辺/堀江敏幸

友愛のために/モーリス・ブランショ清水徹

イノセント・ワールド/桜井亜美

文学のプログラム/山城むつみ

郊外へ/堀江敏幸

丘に向かってひとは並ぶ/富岡多恵子
ボーイフレンド物語/富岡多恵子
とりかこむ液体/富岡多恵子
結婚記念日/富岡多恵子
回転木馬はとまらない/富岡多恵子
当世凡人伝/富岡多恵子
動物の葬禮/富岡多恵子
兎のさかだち/富岡多恵子

森は知っている/吉田修一
元職員/吉田修一

夜よゆるやかに歩め/大江健三郎

葬儀/ジャン・ジュネ

めくるめく世界/レイナルド・アレナス

フロイトと非ヨーロッパ人/エドワード・W・サイード長原豊訳/鵜飼哲解説

100分de名著 サルトル 実存主義とは何か/海老坂武
嘔吐/ジャン=ポール・サルトル
楢山節考深沢七郎
朱を奪うもの/円地文子
老年期の性/大工原秀子
鍵/谷崎潤一郎
眠れる美女川端康成
眠れる美男/李昂
わりなき恋/岸恵子
私のパリ 私のフランス/岸恵子

世界文学のフロンティア1「旅のはざま」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

世界文学のフロンティア2「愛のかたち」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

世界文学のフロンティア3「夢のかけら」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

世界文学のフロンティア4「ノスタルジア」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

世界文学のフロンティア5「私の謎」/今福龍太・沼野充義四方田犬彦

ルート181(映画ガイドブック)/前夜別冊
アメリカ/フランツ・カフカ
審判/フランツ・カフカ
城/フランツ・カフカ
フィッシュ・オン/開高健

20世紀イギリス短篇集(下)/小野寺健

英国の友人/アニータ・ブルックナー

エレホン/サミュエル・バトラー
恋する虜/ジャン・ジュネ
公然たる敵/ジャン・ジュネ

〈えいが〉

枯れ葉/アキ・カウリスマキ

燃えよドラゴン
カンフーパンダ

マルメロの陽光/ビクトル・エリセ

レッツ・ゲット・ロスト/ブルース・ウェーバー

アンリ・カルティエ=ブレッソン/サラ・ムーン

東京画/ヴィム・ヴェンダース

略称 連続射殺魔/足立正生

はなればなれに/ジャン=リュック・ゴダール

エル・スール/ビクトル・エリセ

歌うつぐみがおりました/オタール・イオセリアーニ

ゴースト・ドッグジム・ジャームッシュ

ヤンヤン 夏の想い出/エドワード・ヤン

ピストルオペラ鈴木清順

太陽はひとりぼっち/ミケランジェロ・アントニオーニ

Perfect days/ヴィム・ヴェンダース

 

Anselm/ヴィム・ヴェンダース(みたいー)

パリ、テキサスヴィム・ヴェンダース

バルスーズ/ベルトラン・ブリエ

海の上のピアニストジュゼッペ・トルナトーレ

エルスール/ビクトル・エリセ

永遠と1日/テオ・アンゲロプロス

ゴッドファーザーフランシス・フォード・コッポラ

霧の中の風景テオ・アンゲロプロス

あの夏、いちばん静かな海。/北野武

そして船は行く/フェリーニ

 

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4月

はじめてパーマをかけた。念願のソバージュでうれしい。この1年で、針金ストレートから素朴上等へシュミが変わったな(髪の毛もなにもかも)。

引続き、月10冊の読書を自分に課してる。月の終盤、ちょっとがんばらないといけなくなってくるんだけど、読み切れるとなかなかの達成感。本棚に対峙するときの引け目と及び腰がマシになる効果あり。5月も読むぞ〜。上野千鶴子の発情装置がおもしろすぎたので語りたい。アレナスのハバナへの旅はいいぞ。本棚をひとつ買い足した。

冬が終わっても、キジバトのメスがベランダに遊びにきてくれる。シュッとした若い感じの子でシンちゃんと名前をつけて可愛がっていたんだけど、あるときカレシを連れてやってきた。ちょっと焼けててサーファっっぽいなり。別の男(デカくてよく鳴く)には求愛されても見向きもしなかったシンちゃんが、つがいでいると不思議な感じ。よかったね。

撮影日1968年

(これは京都のあるクラブで)

1967年にジャン・ジュネが日本に来ていたことは知っていた。恋人(ベンダガ)が自殺し、深い抑鬱状態だったジュネに、日本への旅路を勧めたのはヒサコだった。ジュネを乗せた飛行機は、同年12月22日にフランクフルトを出発する。「恋する虜」にそう書いてある。
だけどジュネが富士山をバックに写真を撮っていたのは知らなかった。となりには黒いサングラスをかけた女性がいる。彼女の名前は藤本晴美。照明家だ。ふたりは自然に並んでカメラの方を見る。みずみずしいまなざし。ピースはしない。少なくとも雨ではない天気。見たことのない写真なのに、絵にかけるように想像できる。
藤本晴美の生涯はWikipediaに乗っていない。そもそもwikiページすらない。ネットに漂う断片的な情報をかき集めているあいだ、わたしは藤本晴美に夢中になっていた。照明デザイナーのインゴ・マウラー(1932〜2019)と同時代を生きた。著書はない。映像と照明の勉強のために単身でフランスとイタリアへ行った。ディスコのMUGENメンバーだった。

MUGENは日本に初めて登場したディスコだ。1968年5月に赤坂でオープンし、1987年に営業を終了した。1960年代生まれならぎりぎり知っているかもしれない(1970年生まれのクラブ好きに訊いてみたらMUGENを知らなかった)。けっこう古い時代なのに、写真で見るMUGENは、ベストでオンリーじゃないかってぐらいカッコよくて嫉妬した。

そんなMUGENの照明・映像を担当していたのが藤本晴美だ。2005年の雑誌(brio)のインタビューの中で彼女は話していた。
「時間は地獄だったけど何でも表現した。当時、音と光をシンクロできる人はいなかった。毎晩練習し、プログラムを組んだ。とにかく最大のポイントは、すべて格好良くなければならなかったということ。」

写真の中のみんなは相当なオシャレをしている。細い階段の黒い壁。サイケなイラスト。本格的な黒人バンド。お立ち台。バチバチのストロボ。激しい原色。一面のリキッドライト。大のオトナがめちゃめちゃに踊っている。

当時第一線にいたオトナが集まって最高の空間を作る。誰もやったことないこと。見たことないもの。味わったことのないもの、誰かのヤバい夢を目の前でカタチにしちゃったひとたちがいたこと。空間ものは記録が難しいけれど、その痕跡を見るだけですごく勇気づけられる。

1968年、藤本晴美はMUGENを訪れたジュネをスポーツカーに乗せて富士山までドライブした。富士山をバックに2人が写っている写真が、この世のどこかにしまってある。その絵を考えるだけで、わたしの心臓はしあわせに震える。

わたしのフェミニズム・ノート

ジュリアン・バーンズの紹介でアニータ・ブルックナーを知り、彼女の紹介でコレットを知り、そのまた紹介でボーヴォワールに流れ着いた。フェミニズム、もっと勉強したい。ボーヴォワールの「第二の性」の合間に「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください/上野千鶴子田房永子」を読んだら面白かったので、自分用のフェミノートを作る。

フェミニズム(女性解放思想)とは?
 →弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想のこと。

○女性は弱者か?
 →成人男性が占める「市場」にとって、そうである。男社会の既得権益が、女を弱者にする。上野千鶴子の「公私の分離モデル」によると、社会の領域は「市場」と「家族」に分かれ、女・子ども・年寄り・障害者は弱者として家族というブラックボックスに置き去りにされる。

既得権益(きとくけんえき)とは?
 →ある社会的集団が歴史的経緯により維持している権利、およびそれに付随する利益。男の既得権益には、賃金の多さ、家事育児の免除、性の自由などがある。

○なぜ男にだけ既得権益があり、女にはないのか? 逆はあり得なかったか?
 →(つまり、女は二流という偏見はどこからきたのか、女を弱者にしたきっかけは何かを知りたい。男も女も生まれつきではなく、社会が作ったものだけど、最初の男の言い分を私は知りたい。子どもを産み育てる女性の身体の機能が(男の中で)女と家庭のイメージを結ばせたのか? もしも男が筋肉や体力がありながら妊娠でき、女が妊娠も体力もない存在であったなら、それでも女は弱者だろうか?)

○男は、女が女であることに気がつくことができるか? つまり強者は弱者に気がつくか?
 →ほぼない。強者は、弱者に対する想像力を持たずにすむ特権を持っている人たちのこと。弱者は、権力関係が直接自分の身に降りかかってくるから、否応なく考えざるをえないが、強者は弱者に対して想像力を持つ必要がない。

○男は女の何が嫌いか?
 →弱さが嫌い。女の弱さを認められないことを「ミソジニー」と呼ぶ。弱さ嫌悪全般はウィークネスフォビアと呼ぶ。ウィークネスフォビアは、女をホモソーシャルの社会に同一化させる。

○「ミソジニーホモソーシャルホモフォビア」は誰による提唱か?
 →20世紀のアメリカのジェンダー研究者イヴ・セジウィックによるもの。上野千鶴子が広めた。
 ・ホモフォビアは、同性愛嫌悪の意味。
 ・ミソジニーは、「女ぎらい」「女性蔑視」の意味。
 ・ホモソーシャルは、ミソジニーによって成り立ち、同性愛嫌悪によって維持される男性間の絆。
ミソジニーは、しかし男女にとって非対称に働く。男にとっては「女性蔑視」。女にとっては「自己嫌悪」。女の自分が社会的弱者であることへの嫌悪。女の中のウィークネスフォビア。

○男女平等とはどんな状態か?
 →(私は思う)〈男〉と〈女〉がある限り男女平等はない。男と女は非対称なものだから。男の背景に既得権益があるなら、男はそれを手放して女にならなければいけない、ミソジニーにとってそれは屈辱だろう。また、女は男になることを人生の救いとしてはいけない、それは自己嫌悪に裏付けられているから。
女が男並みになることが男女平等とは言えない。それは男社会の価値観の中での〈平等〉の解釈だから。

フェミニストとは?
 →フェミニストは男になりたい女のことではない。自分の中にあるミソジニーと闘う人のことだ。女の呪いをかけた親を殺すことはできないが、学びの中で若いひとたちに呪いを継承せずにすむ。

 

参考:

上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください/上野千鶴子田房永子 
平成31年東京大学学部入学式 祝辞/上野千鶴子

www.u-tokyo.ac.jp

3月

生まれて初めて私は、塩や海藻や、波が引いたあとの湿って匂いを放つ砂地、ぬれてきらめく魚を楽しみ、手で触れた。海辺の気候が、私のなかの、長い苦しみの思い出と、考える習慣を眠り込ませ、緩慢にしていた。(私の修業時代/コレット

親指Pの修行時代/松浦理英子

“無邪気で平凡な女子大生、一実。眠りから目覚めると彼女の右足の親指はペニスになっていた。”(河出書房HPより)

30年前の松浦理英子のベストセラーである。
1995年の読者は何を思っただろう。ちょうど戦後50年、インターネットも未発達で、わたしはまだ生まれていない。古橋悌二が生きていて、世界のどこも同性婚が制度化されていない時代だ。

この本のすばらしいところは、かなり最低な男根主義者が登場するところだ。わがままで思い上がりの激しい裁判官は〈宇多川〉という名を持ち、言葉を通してわたしを挑発する。

「やめた方がいいよ、レズなんて。女と女の間から何も生まれないんだから。男に相手にされないような不細工な女ならレズになるのもしかたがないけど、君は可愛い方なんだからその春志くんとつき合ってればいいじゃないか。」(p221/親指Pの修行時代下巻)

やばすぎる。読みながら軽く死ねと思う。現実世界で対面したら、無視して終わりなのだが、〈宇多川〉は物語が終わるまで退場してくれない。ここは小説だ。気色が悪い言葉が四方から飛んできて挫けそうになる。松浦理英子は見える限りの通念を受け止め掘り出し、消化させるまで言葉を切らさない。桃を金属たわしで擦りつけるような無遠慮な痛みがあり、憎しみが湧く。

普通に生きていて、ここまで滅多刺しに言われることはない。一言二言あっても、差別的な奴だと分かった時点で人は去っていく。無駄な摩擦を好む人はいない。だがここは小説というフィールドなのだ。

書くことは認めることだ。きっと松浦理英子は〈宇多川〉を認めている。この点にいちばん驚かされたし、すごいところだと思った。尊敬した。わたしは〈宇多川〉を許せない。書いてやらない。すぐに頭に血がのぼる自分が恥ずかしい。

ところで、さきほどの暴言を聞いた一実はこう思う。

宇多川の口から次々と飛び出した珍説に、私は呆気に取られた。女と女の間からは何も生まれないと言うなら、男と女の間からだって子供以外にいったい何が生まれると言うのだろう。男に相手にされないから同性愛になる女が実在するのかどうか私は知らないが、宇多川は何を根拠にそういう女が実在すると考えているのだろうか。さらに、男に相手にされる女であれば男とつき合っていればいいなどと、女は自分の欲望ではなく男の必要に応じて性向を決定すべきである、と暗に強制するような奢り高ぶったものの言いかたがなぜできるのだろう。(p221/親指Pの修行時代下巻)

「それな」である。
一実という主人公は22歳の無邪気な女子大生という設定なのだが、痒いところに手が届くキレキレの切り返しに松浦理英子を感じる。地の文の批評が見事すぎて、後半は正座で授業を受けている気持ちだった。

奇抜な帯文に惹かれて読みはじめた人の多くが、松浦理英子のやろうとしたことや、言葉が強度を増していく経験に、意外な思いをしたんじゃないか。わたしもそうだ。フルスイングですがすがしい。読んでよかった。

私の修行時代/コレット/佐藤実枝訳

63歳のコレットがかつての下積みの時代……20歳で結婚し33歳で離婚するまでの13年の時間を再訪する。修行時代、コレットに言わせればそれは「自分は自分でしかなく、つまり心優しいひとりの若い女でしかなくて、匿名の仕事にも、服従の生活にも誇りを持てずにいることに心中ひそかに悩んでいた時代」。コレットの言葉はテレビの副音声のようだ。怖かったパリ、肉の代わりに食べる砂糖菓子、ガス燈の青さ、クロディーヌの執筆とアトリエ、あの舞台女優の純真さ……。修行時代のさなかに修行時代について書けはしない。これは彼女のノスタルジーではなく、彼女の記憶から届いた手紙。

私は鍛えあげた神経を傾けて音楽を聞いた。私の音楽的記憶はひどく鮮明で、そのざわめき、メロディ、(音の)包囲から容易に解放されなかった。床に入っても、通りのガス燈の青ざめて翼の生えた影が天井にちらちらするのを眺めながら、心の奥底で歌い、足の指や顎の筋肉でリズムを取っていたものだ。

モロッコ流謫/四方田犬彦

文章にジュネを探してしまうけど、モロッコに縁のある作家をばーっと読めてかなりおもしろかった。ポール・ボウルズのパートナー、ジェイン・ボウルズが破天荒な女すぎていい。読みながら何冊か本を買ったり借りたりした。文章上手。いい読書ができた。

エル・カトラニはジュネの死後、鬱々とした日々を過ごしていたようである。ジュネをめぐる学会が南モロッコで行われると聞いて汽車に乗り込んだものの、悲しみのあまりに家まで引き返してくるといったことがあり、やがて交通事故で不帰の客となってしまった。ジュネに昔買ってもらった車に乗って、深夜に樹木に衝突してしまったのだ。ジュネが死んでほぼ1年後のできごとだった。