タコカバウータン

えらそうなことを言っていても気が小さいです。褒められて伸びるタイプです。

それは誠

それは誠 (文春e-book)

 

塾の課題だけど、古川日出男の書評に惹かれてすでに読んでいました。

つか、なんか私のせいでこれが課題になったような。

 

世界は君が思っているよりずっと広い

 

 乗代雄介『それは誠』。冒頭、高校二年の修学旅行の思い出を書くことについて書く、主人公佐田のペダンティックと自意識過剰が鼻につく。生まれてすぐに両親離婚。3歳のとき母が死んで祖父母に育てられ、<友達は俺と僕と私だけ。>上手に距離を取って、みんなを眺めている観察男子。しかし、修学旅行の自由行動の計画が始まるあたりから、話は俄然おもしろくなる。謎に結成された三班(当日主人公休んでたもんで)は、スクールカースト上位のサッカー部員大日向に、のちに特待生と判明する優等生蔵並、メンタルがやや独特で世話の焼けるトリックスター松、存在感を消しているはずの我らが主人公佐田の男子組 + みんなに一目置かれている(と佐田は信じて疑わず、常に目で追ってしまう)美少女小川楓とその親友井上、地味で人の良さそうな畠中さんの女子組。自由行動日には音信不通となっているおじを訪ねて日野に行きたいと佐田が言いだして、三班は土壇場で男女別行動で佐田の日野行きをカムフラージュする決断をする。

 遡って修学旅行初日、佐田は意外にも宝塚歌劇団花組公演で感動してしまい、バスの中でもこっそり涙ぐむが、サッカー部の名字泣かせの<大した不潔漢>、ヅカこと宝塚が、歌劇に無感動だった連中からからかい半分に感想を求められ <本当に胸いっぱいの様子で、ただ一言「後にしてくれ」と首を振った>と聞き、<ヅカを見直した。> 私もヅカを見直した。いい話だ。ここで佐田の〝認識改め〟修学旅行の口火が切られたのだ。

 脳内映画化を誘発する美しいシーンがいくつもある。日野でおじを待つ間、日の光に温められた落ち葉にすっぽり包まれて気持ちよく眠る松の顔から、佐田と蔵並が交互に一枚ずつ葉っぱを取っていき、眠っている松を起こした方が負けというゲーム。その長閑さと対照的なふたりのギシギシぶつかって、互いの本音へと降りていく言葉。

 物語の最後、見事教師たちを騙しおおした帰路の電車で、<向かいの席で崩れている四人と、そのすぐ上の暗い窓にはっきり映っている三人>、<前後二列、記念撮影のようにこちらを向いて座っている三班>、をスマホで写真に撮る小川楓。大冒険の唯一無二の記念写真。そこで佐田は実は班のみんなが佐田が笑っている写真を撮る競争をしていると知らされる。もっぱら見る側のつもりでいた佐田なのに。

 佐田はおじとぎこちなく短い再会を果たし、思ってもみなかったおじの変貌を知った。再会の欠落部分を、佐田が去ったあと3人の〝友達〟がおじと話して埋めてくれもした。劣らぬ衝撃は松の母から<あなたが学校でいちばんやさしいって>と告げられたことだろう。他人への評価も他人からの評価も大きく佐田を揺さぶった。なんて素敵な修学旅行だ。

 

 冒頭のペダンティック部分を激しく嫌う方もいて、いや、でもあれあってこその変貌が輝く、なのになあと。大好きな作品なのに上手く書けてない、魅力が十分伝わらない、たぶん、そして、他の作品読めてない、人生が足りない。

大人の遠足 甲府

f:id:hirokikiko:20240423083101j:image

 

川島雄三の名作みたい! しかも『貸間あり』って原作、井伏鱒二だし!

 

4月14日快晴。塾の大人の遠足、第3弾かな、甲府、に参加しました。

地元の方のご案内で、一応、太宰甲府在住時代の足跡を訪ねる、みたいなテーマはあったのだけれど、私は特に太宰が好きでしょうか? 否。な割には結構読んでるな。うまい、とは思うんですけど、あんま好きとか言いたくない、と多くの読書好きに思われがちな太宰かも。さておき。富士には月見草がよく似合う。

 

f:id:hirokikiko:20240505185854j:image

駅(立派)の窓から見下ろす景色。何やら宝石の原石みたいなののイヴェント。

 

東京から意外に近い。特急かいじは満席で、富士山を目指す外国人観光客多し。

朝からビールだ駅弁だ、わいわい、と到着。

 

f:id:hirokikiko:20240505185826j:image

街並み。おされなお店とこうゆー感じが混在しているのがいいな、と言いつつ、こうゆーばかり写真に撮る。竹中菓子店はやめちゃったのかな。


f:id:hirokikiko:20240505185849j:image

字体とかドアの模様とか、素敵だぞ、テーラーマンセイ


f:id:hirokikiko:20240505185840j:image

熊鰹商店、ネーミング力。


f:id:hirokikiko:20240505185831j:image

じまんやき、もやめちゃったのか。しかし、甲府の人の字体センス好きだわ。


f:id:hirokikiko:20240505185843j:image
道が広くて、建物が低くて、どっちを向いても山が見える。


f:id:hirokikiko:20240505185846j:image

太宰が通っていたお風呂屋さんが今も営業中。

f:id:hirokikiko:20240505185834j:image

住んでたとこはもうないけど、石碑立ってる。人気もんだね。ちなみに“僑居”とは仮住まいのことだそうです。今、調べました。てへ。“太宰治” の字体は、禅林寺のお墓の字体に似てる気がする。

 

f:id:hirokikiko:20240505185857j:image

電線が力強い。


f:id:hirokikiko:20240505185822j:image

きゃー、小津じゃん、これはもう小津じゃん、小津映画じゃん!と、わたくし興奮しきりの医院。ドアを開けて出てくる大(おお)先生は笠智衆に違いない。


f:id:hirokikiko:20240505185837j:image

太宰も散歩に来たという神社。近いもんな。

 

f:id:hirokikiko:20240505190458j:image

灯篭。愛おしい。


f:id:hirokikiko:20240505190456j:image

神社の手前の家の人(?)自作(?)のサウナ(?)

ようわからんがおもしろい。


f:id:hirokikiko:20240505190508j:image

入れ子式大好き。アンコールワットを思い出す。たいそうでしょうか。


f:id:hirokikiko:20240505190506j:image

パゴタ的な? いや、神社か。いや神仏混淆だった気も。


f:id:hirokikiko:20240505190453j:image

コルビュジエ作!


f:id:hirokikiko:20240505190503j:image

信号


f:id:hirokikiko:20240505190447j:image

カッケー


f:id:hirokikiko:20240505185829j:image

目を凝らし、新天街、にご注目。


f:id:hirokikiko:20240505190449j:image

中はこうなってました。甲府新宿ゴールデン街的なところかと。


f:id:hirokikiko:20240505190501j:image

暖簾の横に洗った台布巾を干しているのかと思ったら、こっちも暖簾だった。


f:id:hirokikiko:20240505190444j:image

気になる! から矢印の方に行ってみたけど、民家しかなかった。

 

f:id:hirokikiko:20240505191440j:image

駅の真ん前に城趾。つか、お城の前に駅ができたのですね、時系列的には。


f:id:hirokikiko:20240505191151j:image

えっ、舞鶴城なの? 今、気づいた!


f:id:hirokikiko:20240505191201j:image

空が広い。


f:id:hirokikiko:20240505190850j:image

広い。


f:id:hirokikiko:20240505191144j:image

いちばん高いところまで、登ってみました。

柵がよい。


f:id:hirokikiko:20240505190840j:image

説明してくれる。


f:id:hirokikiko:20240505190835j:image

ぐるり見渡す。


f:id:hirokikiko:20240505190853j:image

ぐるぐる。


f:id:hirokikiko:20240505191203j:image

駅まで戻って。


f:id:hirokikiko:20240505191158j:image

バスで県立美術館&文学館へ。


f:id:hirokikiko:20240505190855j:image

いろいろある。


f:id:hirokikiko:20240505190843j:image

広い。


f:id:hirokikiko:20240505190827j:image

岡本太郎


f:id:hirokikiko:20240505191154j:image

タローは特に好きではないけど、これは好き。


f:id:hirokikiko:20240505190846j:image

富士山。リンゴも似合う。


f:id:hirokikiko:20240505190824j:image

ここはどこでしょう?


f:id:hirokikiko:20240505190819j:image

図書館も駅前にある。


f:id:hirokikiko:20240505190822j:image

ちゃんと許可をもらって、パチリ。


f:id:hirokikiko:20240505190829j:image
f:id:hirokikiko:20240505191148j:image
f:id:hirokikiko:20240505190837j:image

明るい。


f:id:hirokikiko:20240505190832j:image

大好きなシースルーエレベーターもある。


f:id:hirokikiko:20240505191146j:image

図書館からの帰りには、この陸橋を通りました。


f:id:hirokikiko:20240505191156j:image

駅近くのお店で飲んだワイン。牛蒡の香り! 

 

部活帰りとおぼしき自転車の高校生たちとすれ違う。東京まで日帰りで行けちゃう、こういう地方都市で学生生活を送るってどんな感じなのだろう。何だかしきりにそれが気になる。でも、やっぱりここがいいなって、そんなふうなのだろうか。部活帰りの子たちに尋ねてみたかった。

悪人

悪人 新装版 (朝日文庫)

塾の課題です。

 

救済癖の〝悪人〟

 

 「ごちそうさん、まずかった」吉田修一『悪人』の中でもわかりやすい悪人、殺人事件のきっかけを作る大学生の増尾圭吾は、屋台のラーメン屋を出るときにこう言って、周囲の空気を凍りつかせる。しかし増尾の親友 <鶴田は圭吾のこういうところが好きだった。実際、観光客相手の料金だけが高い屋台だったのだ。>と、イメージがくるり反転する。『悪人』最大の魅力はこのように、次々と視点を変えて、主要登場人物を多角的に肉付けしていく点だ。若い女性が山中で殺された事件の犯人は早々に明かされる。ではこの事件に関与した人々の中で、いったい誰が〝悪人〟なのか。

 主人公の殺人犯、清水祐一は、長身でつい見入ってしまうほどカッコいい、と繰り返し記される。ルックスは抜群だけれど無口で面白味のない土木作業員なので、全然モテたりはせず、車だけが趣味で祖父母と田舎で地味に暮らしている。その祐一の人物像を膨らませるのは、初めて入った風俗店で相手の女性に恋した逸話だ。手作り弁当持参(!)で通い詰め、エッチをがっつくより腕枕が好きとまるで乙女。女性がふと漏らした言葉を真に受けて即座にふたりで暮らすアパートを借り、気持ち悪がられて逃げられる。悲しい。無骨ながら家の近所の老人たちにも親切な祐一なのに、悲しい。

 件の風俗嬢は物語の終盤、祐一に関して重大な事実を語る。幼い頃母に捨てられ、祖父母に育てられた祐一だったが、母と再会するようになって金をせびっていると女に明かす。 <欲しゅうもない金、せびるの、つらかぁ>と言う彼に、女がならやめればいいと返すと、<でもさ、どっちも被害者にはなれんたい>。息子の逮捕後、テレビで <もの凄い剣幕で「私は私なりに、充分に罰は受けたとですよ!」> とインタビュアーに反論する祐一の母。そう言えるのは、息子が金をせびってくれたからなのだ。

 小説の最後、祐一と逃避行を共にした光代の問いかけ「あの人は悪人だったんですよね?」にも私は答えたい。「いやいや、悪人はあんただよ」と。一見地味でおとなしそうだが、祐一の自首の機会を奪い、高校時代の恋愛の逸話からも明らかな粘着質を発揮してそばを離れず、祐一の宝である車まで捨てさせた。〝悪人〟と化してあんたを被害者に仕立ててやらなければならないところまで、彼を追い込んだのは誰だよと。どんだけ刑期マシマシだよ。気づけよ。いや、気づかれたら、せっかくの祐一の自己犠牲は台無しなのか。いやはや。本書のタイトルは『善人』でもよかったのかもしれない。人を殺めたことは、大きな大きな罪ではあるけれども。

 

紫式部ひとり語り

紫式部ひとり語り (角川ソフィア文庫)

 

塾の課題です。

ひっさびさにブログ書こうとしたら、なんか変わってて、文字色変えることさえ出来なくなっちゃったよ。泣けるなあ。

 

 

紫式部式サロン運営は残念な香り

 

<私の人生、それは出会いと別れだった。> 山本淳子『紫式部ひとり語り』、序章の結びの言葉だ。カッコつけてるようで、めっちゃフツー。そんなん誰でもやん、と突っ込みたくなる。読み続ける意欲がしゅるるるる〜としぼむ。いかん。

 一体平安貴族って何人くらいいて、どれくらいの規模の社会だったのだろう。最高位である公卿は、一位から三位の位を持つ者と「参議」に任じられているごく一部の四位が該当。なんと20人前後! その家族や皇族、身分の高い僧侶、女性を含めても、公卿身分に相当する者は100人にも満たないそうだ。これに続くのが四位、五位の諸大夫。公卿1に対し、約40倍、800人近くいたという。ちなみに総人口は推定1000万人。下々の者からは遥か遠い世界。なにせ田舎じゃ竪穴式住居暮らし。

 この極小雅ワールドを近いようで遠い、遠いようで近い立ち位置から眺めていたのが、紫式部清少納言らの女房階級だったわけだが、『紫式部ひとり語り』、中の人が学者のせいかどうも語りが説明的。たびたびの引用原文解説、参考書的。しかし、その学識のおかげで、女房というものの在りようが少し解せた気もする。妻や娘として家に収まっている「里の女」は、家族以外とはほとんど顔を合わせないのに対して、<女官や女房は、人に顔をさらす。顔などいくら見せても減るものではないと人は言うかもしれないが、そうではない。女は減るのだ。恥じらいや気品というものが。> と紫式部は当時の価値観を語りつつ、寡婦となり生活のため渋々女房となる。橋本治は『桃尻語訳 枕草子』で〝女房〟に〝キャリア〟とルビを振った。平安朝の女房たちはまさしく、その時代ほぼ唯一の女性総合職(キャリア)。紫式部もやがてプロ意識に目覚め、仕えていた中宮彰子の後宮の改革を決意する。女房は中宮の <戦いの最前線を守る実働部隊なのだ> と。そこで模範かつ超えるべき存在として浮上するのが、清少納言が仕えた中宮定子の後宮(サロン)だ。そして有名な清少納言への悪口。〝あの女、利巧ぶっていろいろひけらかしているが、大して学はない。〟思うに『紫式部日記』のこの一節が、紫式部=ねっちり・意地悪・えらそー、の烙印を押したのではないか。和泉式部に対しても文才は絶賛しつつ、こちらも学はないと切り捨てている。もはや主観的紫式部(ムラシー)学問無双。

 で、そんなムラシーは清定オシャレチャラ後宮(サロン)に対抗して、真面目重厚学識後宮(サロン)を目指すも、天皇譲位、崩御で果たせず終わる。でも、実現していたとしても、このサロン楽しいか? いちいち「そこは白居易の心情まで読み取って」とか言われて、勉強会? 女が学問を身につけること自体が、むしろ揶揄や蔑視の対象となった時代。ムラシーの悔しさ、屈折はわからぬでもないが、やっぱ <春って曙よ!> と、『桃尻語訳 枕草子』(未読 むちゃくちゃおもしろそう)へ手が伸びるのだった。

 

 

 と書いたけれども、実はけっこう『源氏物語』は読みたくなっています。さておき。

今回の課題はやたらと評判がよくて、ビバ! 紫式部! ビバ! 源氏物語!の空気の中、数少ないアンチ系でした。 しかし、原文読破された方(3人もいた!)や少なくとも現代語訳は読破の方はさておき、本書だけでビバビバはちょっとどうかと思う、けど、それはまあ言わないでおいた。追記したい不満はふたつ。

 まず、もう少し補助線が引けたのではと思う。たとえば冒頭から延々血筋自慢、先祖親戚自慢が続き、うんざりする。それは実際、紫式部がそういうことを延々書いてるからなんだろうけど、じゃあ、なぜ彼女はそこをしつこく書くのか。それは出自ですべてが決まる世界に生きていたからで、私はどこの馬の骨かわからないようなものじゃないと必死でアピールしなきゃならなかったからでしょう。自分でアピールしないと誰も知らないレベルの出自だから。そのへんをうまく盛り込んでくれたら、もっと紫式部を好きになりようがあった気がする。私にとって本書の最大の欠点は、読了しても紫式部を好きにはならなかったことだ。まあ、好きになった人も多々いたようだけれども……。

 もうひとつは、繰り返し語られる“物語”というジャンルの地位の低さを、具体的に示して欲しかった。今でこそ世界に冠たる『源氏物語』だけれど、当時の人々にとってどういう感じだったのか。和歌や日記が純文なら、今でいうラノベくらい? それとも道長におまえあんなもん書いてるんだから好きものだろう的なからかいを受けているところからして、エロ本、は言い過ぎとしても、ライトな官能小説とか。物語を読んでいるって小っ恥ずかしいけど、源氏だけはちょっと別格だったとか。そのあたりの機微も伝えてもらえたら、紫式部清少納言和泉式部のことを“学がない”と書かずにはいられなかったのにも納得が行く気がする。私は物語みたいなもんしか書いてませんけど、あんたたちよりよっぽど学はあるんですからね、とアピールせずにいられない、ジャンル・コンプレックスみたいなもんがあったのではと。まあ、のちに君は、ひとりワールドクラスの有名作家になっちゃうんですけどね。

 

 

3年ぶりにバリへ潜りに

f:id:hirokikiko:20230214102128j:image

海外旅行経験は割と豊富(ほぼ潜りに、だし、ビンボー旅ですが)な方だと思うけど、今回初めて書類大ポカが出発前日に発覚。手の打ちようがなく、でもおそらく大丈夫、の情報はあり。いつになく不安な気持ちで成田に来て、何かあっても航空会社免責の一筆というのを書いて、飛行機には乗れます。書類がラス1でコピー取ってたから、たぶん同様のポカが多発しておるのでしょう。

2度とこんなことがないように、しっかり確認、早めの準備を心がけなくては。

成田はやはりそんなに混んでない。中国系の人が目立ちます。パスポートチェックも機械だし、するするすると搭乗。

 

そして、機内で読むのはなんと

f:id:hirokikiko:20230214105316j:image

田山花袋田舎教師

飛行機の座席はざっくり65%くらいが埋まっており、成田発だからその大半が日本人なわけですが、絶対私以外いないよな。南の島へ行こうってときに『田舎教師』読むやつ。

ま、塾の課題で期日もあり読まねばならぬ。

でも、5時起きできのうあんまり寝られてないし、すぐ寝てしまいそう。

 

と思ったら、意外やけっこうおもしろくないわけでもなく、ほとんど寝ないで到着!

 

着込んだ服をトイレで脱ぐ、が、バリの空港まだ新しいのに、トイレは故障やらいろいろでイカンぞ!空港のトイレって、その国の文化度の指標になる気がするのは私だけでしょうか。

ともあれ、着替えで出遅れつつも諸手続きはスムーズに、後日ダイヴショップの方にコロナ以降最速で出てきたと言われました。コロナに関してはまったくのノーチェック。検温もあったのかどうか、よくわかりません。

 

お迎えのドライバー、ニョマンさんと3年ぶりの再会。

懐かしい宿に着いて、海を眺めながら遅めの夕食をいただきました。

 

f:id:hirokikiko:20230215232129j:image

 

 

 

阿武隈共和国独立宣言 村雲司

 

これは↓で紹介されていて読んだのだけれど

まさか読んで腹が立つとは。その勢いで書いてます。

原発で汚染された東北の村が日本からの独立を宣言。老人たちが目指したユートピアを国家は武力で一気に潰しにくる、という話なんだけれども、主人公の60代後半男性は大学時代の演劇仲間の女性に誘われて、この独立の企てに参加することになる。話は『この30年の小説、ぜんぶ……』でも言われているように、すんごくベタなんだけど、それは別にいい。問題はこの男が文字通り命がけの決断をするにあたって、妻にも息子にも一切打ち明けないこと。学生時代の女ともだち(既婚)とは瞬く間に同志となり、ともに散っていく〜みたいな、通奏低音、ほぼ不倫じゃん。一方、妻と息子には簡潔な手紙で事後報告。攻撃される阿武隈共和国を救おうとするデモ隊の中に、その妻子が都合よく駆けつけてきてくれている。来るか? 男が新宿駅西口で続けてきたスタンディングに絡めて様々なことが語られるけれど、妻は独立決行の日に家を出る夫を何も知らず見送り、最後のデモで再登場するのみ。この男はいったい長年連れ添ったであろう妻とどんな関係を築いてきたのか、何を語り合ってきたのか。あるいは成人に達している息子とは。そういうところを平気でスルーして、なんとも感じない、この正義のおっさんよ。嫁は空気か。空気がないと人間死ぬぞ。天下国家も大事だが、もっとキチンと自分の足元を見直せと、オヤジ臭く説教もしたくなる。原発も国家権力も吹っ飛んで、リベラル気取り正義オヤジ、その実ガチコンサバうぜえ、しか残らないってなあ。

ミシンと金魚 永井みみ

 

塾の課題でした。

 

 

ミシン中毒者は新聞配達のバイクに乗って

 

< あの女医は外国で泣いた女だ。> む?む? 永井みみ『ミシンと金魚』はいきなりカッコよく始まる。

そして、ラスト、ページをめくると <今は、秋だ。> の一行。以下空白。終わり方もカッコいい。

主人公、安田カケイの独白は、冒頭から彼女の鋭い観察眼を開陳していく。女医の目からは <興奮状態で、のべつまくなし喋り続け> ているとしか見えない老女は、貧困、医療・介護の現場での階級、じいさん・ばあさんの有り様などなどをしっかりと捉えている。一級の観察者だ。

 老人の朝は <目が覚めたとたん忙しくなる。まず、しょんべんしに便所に行かなくちゃなんない。それから新聞を取りに行かなくちゃなんない。> 寝床から体を起こすのもひと苦労。便所までたどり着き、お尻を出すまでがまたひと苦労。新聞を取っていないと倒れているのではないかと介護士が心配するし、新聞の日付を見ないとその日が何年何月何日なのかわからない。対照的に <夜は、手放しで、ありがたい。> しょんべんも済ませ、おむつも工夫して二枚重ねで朝までバッチリ。<眠ってしまえば、もうあれこれかんがえずに、すむ。あああ。このまんま、あしたの朝、目が覚めなきゃいいのに。> 生々しい老齢の日々の実態に、自分にもこういう日が来ることを思わずにはいられない。

カケイの人生は壮絶だ。生後まもなく母を亡くし、継母に虐待され、犬の乳(!)を飲んで育ち、小学校にもろくに通えず、兄に決められた夫は失踪、夫の連れ子に夜毎性交を強要され、生まれた娘は2歳で病死。唯一の庇護者であった兄も惨めに野垂れ死に、ろくでなしの長男は60歳で借金苦で自殺。現在、遺産(持ち家)目当ての嫁が、たまに介護にやってくる。

 そんなカケイを支えてきたのは、女は絶対に手に職をつけろ、という祖母の教えを守って身につけたミシンの腕と、独学で読み書きを学ぶ手段となった新聞だ。そして、物語の中盤、女性看護士全員を〝みっちゃん〟と呼び、ひとまとめにしてしまうカケイにとっての〝ほんもんのみっちゃん〟、<ひとり、便所でひり出し > 2歳で病死させてしまった娘、道子が登場する。人間なら誰でも、< 2歳すぎても、かあしゃん、と呼んだ > 道子に倣って、介護士たちはみんなみっちゃんだし、カケイのときどきの幼児口調も道子の口調に重なっていく。妊娠中、不義の子を堕ろせと迫る兄を、カケイはミシン仕事に没頭することでやり過ごした。いわばミシンが産ませてくれたこの最愛の娘を、しんぼうづよい娘を、ミシンを踏んでるときだけ、<ぜーんぶ忘れて、からっぽになってラクんなる> ミシン・ハイのカケイは、水も食事も与えず放置し、飢えと渇きを癒やすために金魚鉢の水を何度も飲んだ道子は、疫痢で死ぬ。それまでの人生で人に甘えることなど知らなかったカケイは、唯一、聞き分けのいい実娘に甘え、ミシンに溺れ、ミシンが与えてくれた子をミシンに奪われた。

 それでも人生は続き、カケイはミシンを踏み続けたのだろう。ラスト、玄関で倒れたカケイは新聞配達のオートバイの音を耳にする。新聞が彼女を〝お迎え〟にやってきた。ミシンと新聞の人生であった。

 

 短い作品なので丁寧に読めば割と楽に書けるのではと思っていたら、密度が高く、書きたいことがどんどこ出てきて、整理がたいへんだった。

 終盤、ずっと〝悪役〟できた嫁が汚れたテーブルをきれいに拭いていく手際に、カケイが <嫁はすでに、仕上がってる> と感心する場面は、カケイの職人魂炸裂ポイントかつ嫁の人格の多層化ポイントだから、何とかねじ込むべきであったなあ。