地方のかたすみでちょっと想う~HSPな視点から~

結婚して西日本のまあまあ田舎に住み始めました。 マイペースに地方の片隅で日々育児をしながら家事をしながら、想うことを健忘録的にかいてみます。私は HSP(ハイリ―センシティブパーソン)。娘もHSCかと思ったらASDと。

不登校児の成長は ある日突然に。

久々にここを開きました。

我が子の学校も、新学期、新学年です。

 

去年の途中から不登校になってしまった我が子。

完全にいけない状況のときは、学校の玄関に入ることさえ無理で、行こうとすると激しい頭痛や腹痛が。

 

それから少しずつ、行けそうな日に放課後、宿題を取りに行き翌日の時間割を確認して、担任と楽しいことを御喋りして帰る、というだけ行ってみるようになりました。

(外出機会と学校とのつながり確保、担任との信頼関係作りの意もあり。)

 

もともと発達障害があり支援級なので、発達に詳しい医師を受診したり、学校のカウンセラーに相談したり。

学校以外の居場所や子供との交流の場として、放課後デイを利用するようになったり。

休んだ日は、最低限の漢字と算数だけ、なんとか楽しんで親が教えたり。

模索の日々。

 

不安や外部からの刺激への反応を和らげるくすりを服薬し始めたこともあり、少しずつ学校への抵抗感が減り。

 

実技系の授業なら、自分で決めた授業だけ出席して、終わったら帰る、ということができるようになりました。

 

クラスメイトも少しずつそんな我が子のペースに慣れてくれたのか、たった一時間でも、行けばみんな優しく、しっかり参加して勉強して帰れるようになり。

 

子どもの表情も随分明るくなりました。

 

家では最低限の学習と宿題をすませたら、ゲームとYouTube三昧の日々。

運動不足になると筋力が下がるので、時々歩いて散歩にいったりもしていました。

 

親としては、少し登校できることも出てきたけれど、こんなに他の子と違って「あきらめる」「やめておく」ことばかりで、大丈夫なのかという心配があり。

 

子の将来を思うと、忍耐力もなく何かを成し遂げる経験も少なく、集団が苦手で、どうなるのかと悲観することもありました。

 

しかし。

進級する少し前から、なにやら色々と急成長をみせはじめた我が子。

身辺自立で、うまく自分でできない行程があったのが、「やってみるわ」と意を決して自分でできるようになったり。

運動を長い時間するとか、長距離を歩くとかが苦手で、できるだけやらない子だったのに、急に「あそこまで行ってみるわ」と長距離を歩いてみるようになったり。

ついには「もっと長く、最後まで学校に居てみるわ」と言い出した。

 

インスタで、他の自閉症のお子さんでも、進学時に「自分は大きくなった」という自信がつき、急激にお手伝いが上達するという投稿を見たことがあり。

 

我が子もこれかな、と思ったり。

 

ただ、どれも突然「やってみるわ」というので、親としては「え、え、今?」とちょっと焦るシチュエーションとかもあったりするのですが(私が足を痛めてる状態でちょっといっしょに散歩に出て、急に「今日は遠くまで歩く」と言われたり笑)。

そんな時、「おそらく今のタイミングを逃したら、とても大きな芽をつむことになる」と親の直感で感じて、必死で付き添いました(そして足は悪化するやつ笑)。

 

きっと、新学期はいろんな新しい教材をもらえたり、あたらしい教室だったり、新しい先生になったり、「チェンジ」してもらえるのが、楽しみなのかもしれない。

(通常、自閉っ子は環境変化に弱いが、不登校児になると、「環境が一新される」方が、自分も新たな挑戦をするチャンスと考えるのかもしれない。)

 

あるいは、「もう新しい一年生も入ってきて、さらに自分たちはお兄さんお姉さんになる、さらに上級生になるのだから、それに見合った風に過ごしたい」という、年齢相応の「プライド」が、そうさせるのかもしれない。

(発達っ子は概して「精神年齢が幼い」といわれるが、年齢相応の「プライド」は、時によって顔を出すように思います。)

 

あるいは、不登校をして家でダラダラしている間にも、体が成長して前年より年齢相応の体力・体格の変化があった(筋肉の持久力や身長の伸び)のかもしれない。

(その証拠に、身長が1年でかなり伸び、以前はすぐ疲れていたのが、最近は長時間外遊びしても元気。体力が有り余っているように感じる。)

 

また、あまりにも親とだけずっと家で過ごしていると、暇になったり、新鮮味がなかったり、同年代の子と過ごすのが恋しくなったのかもしれない。

(暇というので、こちらが何か遊びを提案しても、それは嫌とか言われて、親と遊ぶだけなのがもういや、という感じが最近は垣間見える。)

 

それに、放課後デイや、ちょっとだけ学校にいっていた間に、先生方のサポートで、いろんな「家ではできない体験」を積んで、何か心と体の訓練・成長・自信になったのかも。

(親には甘えてしまうことでも、他人相手だと仕方なしにでも頑張れる時ってある。)

 

もちろん、家で、親があきらめずに「ちょっとだけこれしてみよう」と、機嫌がいいときに、できなかったことに少しずつ挑戦させてたのが効いたのもあると思いたい。

 

 

…とまあ、きっといろんな要素によって、不登校児でも、心身が自然と成長をしているのだと思う。

 

だから、「不登校児だから成長してない」なんて絶対ないし、「不登校でずっと家にいたら、なにも学ばない、できない」なんてわけはない。

 

特に体は、なんとか3食たべさせていれば(たとえ納豆ご飯とか毎日昼はうどん、とかでも)、子供はどんどん体がしっかりしていく。

いつもいっしょにいると気づかないけど、ふとした瞬間に「あれ、こんなだったっけ、なんか成長した?」て感じるし、運動や行動で、できるようになることがふえる。

 

心も、安心と安全を確保して、やりたいことをしこたまやらせてあげると、「もっと他に○○してみたい」という成長欲求みたいなのが出てくるかもしれない。

(うちも、ゲームをやりこんだから、飽きてきたのかもしれない。)

 

他の子の様子や、下級生の様子を聞いて、刺激を受けて「自分はどうしよっかな」と自分で考えるようなこともあるかもしれない。

 

アニメや漫画やYouTubeを見て、「かっこいいな、自分もあれやってみたい」と思う事だってあるようだ(うちはドラえもんの映画ののび太くんの頑張りをみて、困難にチャレンジすることが少し増えた)。

 

とにかく、親が想像・想定していたより、かなり「思いがけないタイミングで」、できなかったことができるようになったりしているので、びっくりしています。

 

もちろん、これから「2歩あるいて3歩下がる」とかあると思うし、「0歩あるいて8歩下がる」もあると思うけど。

逆に「いきなり鼻歌歌いながら5歩進む」もあるのだなと、発達障害不登校児を見ていて思います。

 

不登校になった当初、カウンセラーにも医師にも「この子のペースがあるのでしょう。納得がいくまで、この子のペースでやらせましょう。それが一番近道だよ」「やりたくないこともやってみようかなと、成長に応じてだんだんそういう気持ちも出てくるから」といわれました。

 

また学校の先生にも「学年が上がっていくと、だんだん自分で自分をどうするか、周りを見ながら考えることもできるようになる。本人が考え出すのを待ち、それに合わせて、挑戦したい気持ちが出たらサポートしていきましょう」とも言われていました。

 

発達が凸凹だと、「非定型発達」とも言われるとおり、健常の子より少し心と体の成長がゆっくりで、通常と違うカタチで成長すると言われます。

通常の学校の学年で求められることについていくのが大変で、不登校になりやすいのかもしれない。

でも、みんなから少し遅れて、自然と「できるようになる」成長なのかもしれません。

 

だから「少し遅れてついていく」を、学校や支援者には容認してもらい、遅れがちな分の本人の気持ちと行動を、サポートしてもらいたい。「遅れてもいいよ、一緒においで」と言ってほしい。そうしているうちに、追いついていけるかもしれない。

 

つくづく感じるのは、「子供の心身に宿っている、自然に成長する力は、親の想像をはるかに超える力がある」ということ。

 

だから、親や周りがしてやれるのは、「育っていくはずの芽を、できるだけ強風からは守り、でも元気な時はときどき雨風にもあててやり、でも基本はあたたかな陽ざしで包むこと」なんだと思う。

寒い冬の時期、「これほんとに春になったら芽が伸びるの?そもそも芽が見えないんだけど生きてる?」みたいな状態の植物でも、時期が来たらぐんぐんのびて葉を伸ばし、花を咲かせて実を付ける。

 

親としては、そんな時期がやってくることなんて、渦中にいると想像さえできなくて、不安になって時には子供に八つ当たりしそうになるけれど。

 

安心して子供の成長を信じて、「心の安心安全」を確保し、納豆ご飯でもいいから3食提供し(笑)、心身の虐待さえしなければ。

きっと、いつか勝手に成長する力が、こどもたちには備わっているのだと、我が子に教えてもらいました。

 

これからももちろん休んだり元に戻ってしまったり、親子で煮詰まって苛々したり、の繰り返しがあるのですが。

 

今回子に教わったことは、これからも信じていきたいと思います。

仕事をやめた年の確定申告 ~不登校児をかかえて~

今年度の夏を最後に、仕事を辞めた。

不登校児に向き合い、家で勉強を教えたり、時々とつぜん登校する子に付き添うことに専念するためだ。

 

在宅ワークだから、やろうと思えば、子供を放置しながら仕事はできる。

しかし、うちの子はまだ低学年。

仕事のために部屋にこもっても、「ママ」と一緒にいたがるし、自分で自学自習なんてできない。

 

放置すれば、かけ算や漢字など、低学年の大切な時期の基礎的な学習さえできないままになってしまう。

 

だから、今はあきらめて、子供のことを優先しようと決めて、仕事をやめた。

 

やめるまで、じたばたと仕事をなんとか頑張った。

受け付けてしまっていたクライアントさんの仕事は、なんとか子供をなだめすかしたり、夜中にやったりして、やり上げた。

 

子どもが・・・と状況報告し、やむなく今後の契約は中断させてほしい旨をつたえるのも、つらかった。

 

でも、自分で決めたのだからと、腹をくくった。

 

 

それから約半年たった今。

確定申告の準備をしている。

今年度はわずかな仕事量ではあったけれども、一つ一つ、支払い調書などを印刷し、報酬一覧をながめながら、ちょっとウルっとくる。

 

わたし、本当によくがんばったよなぁ・・・。

作成した記事のタイトルが書かれた支払調書を見ながら思う。

そうそう、これ書くの大変だった。リサーチに苦労した。

これは楽しい仕事だった。書いていて幸せだった・・・など。

 

1つ1つの記事の報酬は少ないけれど、子供がだんだん五月雨登校がひどくなって、仕事の時間が計画通りとれなくなってきた頃の仕事だ。

子どもをとるか。仕事をとるか。

私とあそんですごしたい子供を説き伏せながら、なんとか仕事して納期に間に合わせ、旦那に協力してもらいながら休みの日に書きあげ。

 

学童にいかなくなってしまったので、学童の先生に毎日欠席連絡し、「学童辞めます・・・」と告げた夏休みのある日のこと。

 

自分はなにも体制がかわらなくていい旦那のことを、うらみがましく思った日々。

 

いろいろと思い出して、自分をほめたくなった。

 

よくがんばった。よく耐えたね。辛かったね、仕事したかったね。

 

でも、いつかまたしようよ。子どもが大きくなったらさ。

 

私の人生、終わりじゃないから。がんばって積み上げていった日々は、無駄にはならないよ、きっと。

 

ともかく、挑戦したのだから。

子どもが昼寝している時間だけでもと、在宅ワークをスタートした6年前。

一時保育に預けながら、仕事量を増やしていった日々。

保活をがんばって、保育園にはいれて、本格的な仕事を開始して、個人事業主になって。いくつかのクライアントさんと長期契約できて。

ちょうど軌道にのって、それまでより高い単価の指名をうけられるようになった矢先の、子供の不登校だった。

 

そのがんばりは、消えないから。私はがんばれるってことは、自分で分かったから。

 

またいつか、がんばれる。

 

いまは、子供のサポートをがんばろう。

 

今年の確定申告準備期間は、そんな、ちょっと自分の軌跡をふりかえるような感じ。

いつになく、さみしいような、でも自分の状況を受け入れて肯定していくような、そんな時間になった。

 

人生は長い。私も子供も。

「今やれること」を、コツコツと、やっていこう。

不登校(発達障害)児の親の一人時間確保問題。

ひさしぶりに、ここを開きました。

ゆっくりパソコンに向かえるのが、本当に久しぶり。

 

夏休み前後から、娘は不登校になっています。

正確に言うと、「毎日、放課後に別室登校しており、授業にはたまーにいく」という状況です。

遠足や工作のある授業などは参加できますが、いわゆるじっと机について話を聞いたり筆記するような授業にはなかなか参加できません。

主に感覚過敏や集団に合わせることが苦手な特性が影響しており。

加えて、ちょっと特性に合わない指導を受けたことで、授業への苦手意識が増加して恐怖になってしまった、という感じのようです。

刺激の多い集団生活の中で、集団に合わせたペースで学ぶことに、息切れをしてしまっている状態ですね。

 

とはいえ、放課後登校はニコニコで行きますし、主要科目は自宅でちょっとずつ学習を進めており、宿題も毎日提出しています(量はぐっと減らしてもらっています)。

 

発達障害を扱う小児科の先生や、カウンセラーの先生にもお話を聞きながら、担任の先生などと、都度過ごし方を調整している感じですね‥‥。

 

今のところ、二次障害の悪化とか、ひきこもりや昼夜逆転などにはなっていませんが。

親の負担がかなーり大きく。

仕事も完全にできなくなりました。

 

低学年で不登校になると、やはり子供が「一人で過ごす」ことができないんですよね(^^;)それがつらい。

 

高学年とか、中学生以上とかなら、マンガ読んで過ごすとか、まあネットみてたり、昼寝してみたり、とかできるんでしょうけど。

低学年の不登校は本当に‥‥親の精神が死にます(笑)。

トイレ行っても、台所に立っても、ずっと「ママ!!一緒に遊ぼう!!」「なんで側にいてくれないの!?」ですから。

 

むしろ、不登校になる前より、ひどくなってる気がしますね。ママへの密着が。

 

私はHSPなこともあり、以前からとにかく「一人で過ごす時間」がないと、精神が保てないというか、息ができないというか、本当に苦しくて。

あと、低学年って、まだまだ声がかん高くて、うるさいし。

耳もほんとずっとうるさくて、刺激によわい私はほんとうにつらく。

しかも、ちょうど主人が忙しい部署になって、帰りが遅いので、子育てはワンオペ。

寝る時も、子が一緒に寝たがるので、本当に一人になる時間が無くて。

それが精神をむしばむ原因になっています。

 

もちろん、子供が寝た後はプライムビデオをみたりとか自由にしてますが、私の場合やはり「完全に一人の空間ですごしたい」んですよね。

そうでなければ、疲れがとれない。

 

たまに、叫びたくなるので、やばいなあ、と思います。

親も遠いので、頼れませんしね。

義実家はまあそれより近いですが、交通の便が悪いし、あまり積極的に孫を見るタイプではなく、孫をあずけても孫がひますぎて嫌がるので、頼れません(^^;)

 

で、一番ありがたいのが、放課後等デイサービス。

 

週1回とかなのですが、発達に関する医師の意見書をかいてもらって、なんとか通えるようになりました。

 

主に放課後の時間に利用するので、たった1~2時間ではありますが。

すこしでも、子供とはなれた自分の時間をもてるのがありがたいし、子供も家庭以外で楽しめる場所ができて、よろこんでいます。

なにより、学校と比べて「障がいのある子を扱うプロ」の先生ばかりなのが、気を張らなくていいのでありがたい。

学校だと、行事やイベントなどのたびに、子供の苦手を説明して配慮をお願いしたりしないといけないし、何もやってもらえないと覚悟のうえで、子供に事細かに「こういう時はこうしなさいよ」など言わないといけない(言ってもできないことも多いのですが。しかたないので、心配しながら送り出す。)

支援員の先生が手伝ってくれることもありますが、受け持つ生徒数が多いので、そんなに気づいてもらえないこともあります。

しょうがないんですよね。学校ですから。「できるようにして通わせるのが当たりまえ」ですもん。支援学級といえど。普通はだんだんできるようになっていくものですもんね。うちの子はなかなかできなかったり、学校で過ごす時間がすくないから、練習機会がすくなく上達しにくいのもあります。

 

で、放課後等デイサービスは、最初にめっちゃこまかくサポートシートを作成するよういわれるので、最初に全部困りごとを先生がインプットしてくださっていて。

だから、安心感がすごい。

サポートシート見た時、おどろきましたからね。

こまか!!って。

支援学校に入る時と同じくらいなんじゃないかな、情報量が。

小学校の支援学級に入る時は、自作の簡単なサポートシートみたいなのをつくりましたが、その5倍くらいの情報量です、デイのは。

トイレの介助や、食事の介助、パニック時の対応など。

そこまで知っててかかわってもらえるのか、と。

あれです、お年寄りの介護の支援計画つくるときみたいな、それくらいの聞き取り具合です。

 

やはり、発達障害だけでなく、知的などの子や、身体に障害もある子もいるので、これだけ手厚いのかなと。

 

そして。

ありがたいのが、土曜祝日もやってること!

先日は、丸一日こどもがデイに参加し、数年ぶりに夫婦で近場をドライブしたりランチしたりできました。

自分一人で買い物にいって、ちょっとお茶して帰ることもできて。

 

毎週ではないですが、たまに利用しているのですが。

 

こういうのは、本当にありがたいです!しかも子供が喜んでいっている。ベテランの先生が対応してくれているという、預ける側の安心感もすごい。

 

こういう、安心して子供をあずけられて、少し自分の時間をもてるというのがあると、本当に精神が安定します。

不登校の子がいても、なんとか頑張ろうという気持ちになれます。

ずっと24時間365日子供と一緒にすごしていると、本当に「世の中に閉じ込められたような」気持ちになって、ネガティブになり苛々して、「うごけない」かんじになるんですよね。

特に発達障害があると、将来も不安なので、「終わりがない」ということに打ちのめされてしまって。鬱っぽくなってました。

 

でも、こういうリフレッシュして一人時間が思いっきりもてる日が、時々あると、それを楽しみに生きていけます。

 

 

もうすこし子供が大きくなって、かならずしも親がずっと一緒にいなくても、自分で時間を楽しめるようになれば、そうした時間も確保しやすくなるのかもしれませんが。

 

一番おそれてるのは、その時期にはこんどは私の親の介護がはじまること(´;ω;`)。

まあ、いまから考えても仕方ないですけどね。その時はその時で、ショートステイとかも利用できるかもしれないし。

 

とりあえず今は、夫婦で交代しながら一人時間をつくったり。

たまにこうしてデイの力をかりたりしながら、一人時間を確保していきたいです。

 

旦那も忙しい中の休みなんだから、子供をたのむのがわるいなーとか思いますが。

私がイライラしていても、それも迷惑だと思うので。

ときどき、頼もうと思います。

 

本当に、地域でこうやって福祉サービスをしてくださっている人たちには、感謝です。

おかげさまで、今日もなんとか生きていけます。

 

こどもがもう少し大きくなれば、ちょっと自分ひとり旅などもしてみたいな、と妄想しながら、日々をなんとかのりきっています。

 

 

 

 

 

「学校の常識」にとらわれるのを辞めて、ASD娘を二次障害から守ることにした話

思っていたよりも早く、我が子の「本格的な不登校」が始まりました。

 

保育園時代から行渋りはあったのが、ここのところ、週に1~2回は休むということになっていたので、気をつけてはいましたが。

 

とうとう「毎日のように欠席する」事態に。

 

そして、学校の話をすると思い詰めた顔になり、「やめろ!その話をするな!頭がどうかしそう!」といったことを荒い口調で叫ぶように。

 

コレハ マズイ・・・

ヒジョウニ マズイヤツ・・・

 

車で学校まで行っても顔がこわばりそんな風に叫んで学校内に入れないので、職員室に親が行って「そこまできたんだけど、帰ります・・・」と言って。

先生も悲しそうな顔をしていたけど、申し訳ないけど、かまっていられない。そうは言ってられないんですこちらは。

 

とりあえず、休みたいだけ休ませようということにして。

一応ネット依存の回避のため、日中決まった時間だけはネットは切って。

でもあとは好きにさせて。

暇になったら運動を兼ねてプラプラ~と図書館とか行ってみて。

 

元気が出ている時に、本人が自発的にタブレット通信教材の計算ゲームを触ってることもあるし。

家に置いてある本や図鑑を見て、嬉々として私に内容を話してくれることもあるし。

 

粘土や絵をかいたり何か作ったり。大好きなキャラの図鑑を眺めたり。

 

とにかく、やりたいようにさせました。

 

それでも宿題は毎日でるので、定期的に取りに行って子供に渡すと、やる気のある時は大好きなキャラを絡めて教えると少し取り組める日もありましたが、無理はさせず、できる分だけ。

 

そんなこんなで、しっかり好きにさせて。

発達の医師にも急遽受診し、アドバイスを受けて。

私は我が子に提案しました。

 

「休みたい日は休もう。自分の好きなところまで授業を受けて、早退しよう。好きなところから遅れて学校に行ってもいい。」

 

すると、子供が自分で、好きな科目のところまでで、早退すると決めました。

 

早退予定の日の朝、「よく寝れたから、早く学校に行きたい」など張り切っている我が子をみて「じゃあもっと長く学校にいる?」と言いたい気持ちをグッととこらえ、予定通り連絡帳に早退すると書き、連れて行きました。

 

ここで、親が欲目を出してはいけない、約束したことを守れば信頼関係を守れるけど、約束を破ったら、子供に信頼してもらえないから。

 

そして、決めた時間に迎えに行くと、ひさしぶりにニコニコした我が子の顔がありました。大好きなトランポリンを飛んでいるときの、あの嬉しそうなキュッとした笑顔です。

 

先生や周りのクラスメイトに「お手数おかけします~」「ちょっと体が辛いから、早く帰るね~」など私が我が子の代わりに説明しながら、帰りました。

 

少し前まで「とはいえ、宿題は全部すべきだし(公平性を保つため)、学校は多少休みながらでもできるだけ全日程いくべき」と思っていましたが。

 

もう学校の常識にとらわれるのは、やめました。

 

我が子にとって、学校なんて一時期のモノより、これから先の長い人生で、鬱や行動障害など二次障害が大変になる方を、絶対に避けたいから。

 

そもそも、主治医にも言われましたが、ASDで感覚過敏のある子は、普通の学校がとてもつらい環境だと。

ふつうに過ごすだけで、かなりつかれるのだと。

感覚に常に刺激が与えられているからだと。

 

たぶんこの子にとっては、週5日、フルコースの学校の課程は、多すぎるんだと気づきました。(カウンセラーの先生も、この子はフルタイムの通学は辛いんだと思うよ、と言っていました。私はなかなかその言葉は受け入れられなかったけど笑。)

 

もう、いきたいときだけフルコースではなく、アラカルトで授業を選んで行かせてもらって。

で、もし長く居たければ行ってみて。

それは、本人が決めるのが、大事なんだろうなと。

 

とにかく、本人の自己否定を、強めないようにしたい。

うちの子が二次障害を発症しても、学校は生涯に責任を持ってくれないから。

本人の心身が回復するまで、まずは本人のペースを守ってあげることに尽力したいと思います。

 

 

やはり学童をやめよう、仕事をやめよう

 

今日は、「学童を辞めさせ、仕事もほぼ辞めて、子供のケアを第一にしよう」と決めた話。

 

娘は小2で、学童にいってるのですが。

今年になって、学童のメンバーが変わり、耐えられないほどの刺激が多くなってしまい、娘の聴覚過敏が悪化😢

 

とうとう、学童を嫌がって行かなくなってしまいました…。

 

特に雨の日など、外に出れない日は、1つの部屋で大勢が過ごす上に、活発な子たちがものすごく騒ぐらしく。先生が言っても聞けないみたいで。

 

とはいえ、たぶん普通の子には「うるさいな」くらいなのですが。

娘にとっては地獄なんですね・・・

もう、ものすごい青い顔して、泣きながら帰るっていう感じで。

帰っても疲労でぐったりしてて、宿題も終わらないみたいな。

(もちろん学童でも宿題ができるどころではない)

 

それをみて、学童のメンバーは少なくともあと数年はずっと変わらないので、「これはもう娘には無理だな…」と思いました。

先生が対処して下さるにも限界があるし、設備的にも避難できるような部屋が別にあるわけでもないし。

なにより、夏休みなど、毎日通う場合に、もう娘にとっては地獄だろうなと。

(暑いからあまり外に出れないため、ずっと1部屋でうるさい中、丸一日過ごすことになる。)

 

去年のメンバーは、静かな方だったんですね、恵まれてたんだな(笑)

 

結局、学童に行けるか行かないかわからない日が続き、そもそも学校自体も五月雨登校(週2くらいで休んだり、早退したり遅刻登校したりする)が2年生からひどくなっているので。

 

学童に行かせてもらってはいますが、実質的にはかなり仕事量を抑えざるを得なくなっていて。

正直、「学童に行かせず、子どもが学校にいっている間だけ仕事してた頃とかわらない」くらいになってしまっていました。

 

仕事に応募しにくいし、案件に通ってもバンバン仕事をいれられないんですよね。

ちょっと抑え気味に「これくらいの記事数なら書けます」みたいな提案にせざるを得ない。責任が持てなくなってしまうから。

学童には週5でいくようにしてますが、実際には週3くらいしかいってくれない、最近の聴覚過敏がひどくなってからは週2くらいのこともある。そもそも学校自体を休みたがる日も多く、つなわたりで仕事をせざるを得ないから。

 

これだけ学童に行かない日が多くなると、いくら学童がきちんと対応してくれていないせいで行けないとしても、やはり「学童が規定する就労日数」にも足りていないわけで。でもこれは環境が変わらない限り、ずっと続く状態にも思えるので。

これでは来年度の確定申告をした結果をみて、年度収入がかなり少ないので、学童の継続利用が通らないかもしれない状況です。

 

「わたしが働かないと家計がまわらないところまで来ている」と覚悟をきめた話。

 

こんな↑ことを書いていたときもあったくらい、自分が働かないと家計が足りないと自分を奮い立たせて仕事をしてきましたが。

 

そもそもこれだけ仕事ができない状態なら、もう学童をやめて、子供の「安心」を優先して、「完全不登校」になるのをまず避けようと思いました。

 

こんなに学校にも学童にも行きたがらない日が多いと、学童にいけるよう手続きしていても、仕事を増やせないから。

 

でも学童に行くという契約にしてるから、学童に行くなら必要な日数だけ、就労して実績をつくりつづけなければ、という謎の本末転倒の行動になりつつもあり。

 

なんかよくわからない「学童に行かせるために仕事を増やしたい」という状況になりつつあったので。

 

行ってくれるか分からない娘を持ちながら、できるかわらかない仕事量を受けるのもつらいし、できないし。

 

まあ学童をやめても、学校にいける状態を大事に守っていければ、平日も14時くらいまでは働ける日もあるので。

「主婦歓迎」のような、すこし子育て中のママに理解のある案件だけを、細々とつづけようかなと。(収入を増やすことはできませんが。学校に行くかわかない状態ならどっちにしても増やせないのだからもういいや、と。)

 

もとはといえば、去年小学校に入学する時は、学童は利用しなかったんです。

「学校だけで疲れるだろうし、学童は行きたがらないだろう」と思って。

それが、夏休みだけの学童利用をしたら、「もっと行きたい」と行ったから、平日も行かせる通年利用に切り替えたわけで。

 

あの時は、落ち着いた上級生も多くて、学童自体が落ち着いていたんですねぇ…。

そして1年生だった娘の宿題も少なかった。

 

今は、宿題が毎日7つくらいあって。

プリントやってタブレット端末でドリルして、計算ドリルと漢字ドリルもして…みたいな。

学童に行っても、その宿題が終わらないからお迎え時間まであそべず、ずっと勉強してるって感じ。

しかもうるさい環境だから宿題がすすまないで”半べそ”みたいな。

 

それはたしかに、「学童やすみたい」のも、わかりますよね、しんどいわ( ;∀;)。

 

まあ家でも宿題は更になかなかやらないんですが。

まだ家でマイペースにちょっとずつやる方が、静かなのでマシかも。

 

ただ、そうして学童を辞めてしまうと心配なのが、「他の子と遊ぶ機会のなさ」です。

そして夏休みね。夏休みの仕事をどうするか。

 

だから、前から考えていた、放課後等デイサービスを利用していくように考えています。

支援学級の他の子は、すでに利用しているんですよね。

ただ、「クールダウンスペース」を確保できる設備のあるところでないと、結局学童と同じように聴覚過敏が悪化してしまう、というのと。

うちの自治体では、週2~3日しか通えないので。

夏休みはかなり仕事をおさえるか、理解が得られなければ、もう事前に説明しておいて夏休みのタイミングで毎年「契約終了」させてもらうしかないかなと。

(夏休みで契約が切れるようなタイミングを見計らって単発の案件をうけるか。)

もしくは、土日や連休に、娘にはパパとあそんでもらって仕事したり、夜にやるか。

 

・・・といった形でやるしかないですね。

 

そうそう、あとは、夏休み以外は、地域の方が学校であそんでくれる「こども教室」が週1であるので、またそこにも通わせるか。

(子供もまたそれに行きたがっているし。)

 

実母に話したら「あなた、仕事を完全にやめたら精神的によくないよ、また鬱みたいになるから、まあ細々とでも続けなさい」といっていて、「よく私の事わかってるな~」と感心しました(笑)。

 

そう、完全に仕事をやらなくなると、わたし、精神的に不安定になるんですよね(自分の価値を肯定できないメンタル迷子になっちゃう)

 

でも、今日まで仕事をなんとか増やそうと考えて頑張り続けた結果、「休みがちな子をもって、バリバリ仕事を増やすのは無理、精神的に追い詰められる」と分かったので。

 

もうほんとうに、仕事を増やそうとせず、娘が中学生になるくらいまでは、細々とやるように原点回帰しようと思いました。

 

中学校くらいになれば、一人で留守番したり、学校行かない日でも自分で部屋で過ごせるだろうし。

 

それまで仕事のスキルを忘れないとか、どんどん移り変わるツールについていくために、仕事をほそーくほそーく、少しだけ趣味程度にやる、ということにしたい。

 

何より、登校するか学童いくか全く予定が立たない子を持って、仕事をするのが辛すぎる(´;ω;`)

 

子どもが学校行かなくても誰も助けてくれないし(旦那でさえ)。

 

プライベートがどうなっても、仕事を誰かに変わってもらえるわけでもない1人仕事だし(´;ω;`)ブワッ。

 (👆クライアントさんも、結構きびしい。当たり前。仕事だからね。)

 

もう、疲れたよ…たのむから「女性活躍」とか言わないで。

配偶者控除も考え直さないで(泣)。

 

もう私は、わたしと子供を守る。

それがひいては、旦那が仕事を気にせずできる環境にもなるから、それでいいでしょう。

収入は増やせないけど、たぶん今でさえ仕事おさえてるから、学童やめても極端にはかわんないよ。

(そもそも学校が終わって学童迎えに行くまでの時間は、木曜以外は1時間半~2時間くらいだったしな。)

 

うんうん、そうしよう。それがいい。

むりしない、むりしない。

いっぱいいっぱいになって、親子で泣かなくたっていい(´;ω;`)

 

 

 

「もったいない」と片づけと、計画性の話。

先日、さんまさんの「ホンマでっか!?TV」で、「もったいないグセが染みついちゃってる芸能人」の回が放送されました。

 

その中で、「もったいない」が原因で物を捨てられなかったり、「安物買いの銭失い」状態になっている話が出て。

 

脳科学者の中野信子さんが、興味深い話をしていました。

 

いわく、

 

「もったいないからとやすいモノで済ませるとか言うのは、『長期的に計画的に考えない』ともいえる。

(芸能人のエピソードにあった)ケンタッキーのチキンの骨を食べた後に、煮込んでスープにするとかっていうのは、煮込む間の光熱費とかを考えると、果たして安いのか。

買物以外にも、片付けができない人というのも、もったいないからやすいモノをどんどんかっていって、いらなくてももったいないから捨てれなくて・・みたいに関係している場合がある」

 

のような(だいたいそんな内容だったように思いますがちがってたらごめんなさい💦)話でした。

 

それでハッとしたのです。

 

私も片付けがヘタで、モノをため込む癖があって。

なかなか捨てられなくって、大事にとっておくタイプで。

でもそれって、長期的に見ると、「モノがたまるばかりで排出しないから部屋が死ぬ」ってやつですよね。

私は他にも「運動がきらい」とか「家事を後まわしにするクセ」とかがあり。

それも原因の根本は「長期的に考えていないから」なのかもしれないな、と。

 

もともと体力がなく疲れやすいので、どうしても「あいた隙間時間はやすみたい、じっとしてゆっくりしたい」というのがあるのですが。

それだと、すきま時間にやったほうがいいことが後回しになり、結局自分の役目がどんどん積もり積もっていき、自分を苦しめる。休む時間が無くなる。

 

部屋をちょっとずつ、こまめに隙間時間で片付ければ結果としていつもきれいをキープできるのに、「疲れた」から休んでしまって、けっきょく散らかったままが続く。

これも「先のイメージ」をもってとりくめないってことですね。

 

学生時代なら「締め切りまでに課題を出さなければ留年」とか「怒られる」とかがあったから、やっていましたし。

体育も「できないと成績が悪くなる」からやってましたが。

大人になると、誰にも怒られないから、ずるずると自分を甘やかしてしまう…。

 

でも甘やかすと、その分、長期的に見た未来にいる自分を良い環境にすることはできないんですよね。反省です。

 

仕事だって、ついつい目の前に「ラク」がぶらさがっていると、苦しいことよりそちらに傾きがち。でも計画性のある方って、数年後の自分のために、大変な仕事の合間にも、勉強されていたりしますもんね。

 

昔の同級生が、中学時代からかなり努力して、先を見据えた勉強に励む子で。

早くから親に頼んで英会話に通ったり、放課後は塾に行くだけでなく、学校の休み時間も自習したりしていました。

当時の私は「ちょっとくらい遊べばいいのに」と思っていましたが。

今は立派なキャリアを築き、人の役に立つ職について活躍されています。

その人にとっては、「長期的な計画」が常にあったんでしょうね。

「いま」の自分を甘やかすよりも、将来の自分の夢を叶えることの方が、優先できたんでしょう。それって、なかなかできません。

 

ただ、私もそうですが、人って「目の前のラク」を優先しがち。

 

我が子も「切り替えが悪い」発達凸凹っ子なので、たとえば宿題をする気がなかなかおきなくて苦労しています。

 

気分がノルまでに、異様に時間がかかるんですね。

 

それで私があの手この手でがんばって、やる気を出させるんですが。

 

これも、脳のアンバランスのためなのでしょうが、「長期的な見通しを立てるのが苦手」という特性のせいでもあると思います。

 

ASDの子は、先の見通しがもてないと行動できません。

 

「これをやると次はどうなるか(やらなければどんな目に合うか)」を、なかなかパッとイメージできず、イメージできないものには取り掛かれない。

 

だから、まわりが絵や文字など、目に見える形でやるべきことを示して、反応できるようにしなければならない。(やることを順に絵に描いて貼ってあげるとか)

しかも、やることがわかっても、なかなか気持ちがそこにいかない。自分の興味や好奇心があるものにしか、意欲がわかないんです。

 

これが、学習において、とても影響があると思います。

 

いわゆる「高学歴」の人って、周りの人となにがちがうかというと、「計画的に先をみて、ひろい視点でものを見て行動できる」点かなと思うのです。

 

目の前に楽しいこととがあっても、それは楽しんだとしても、ちゃんと学習する時間も確保している。

難しくて苦手な単元があっても、そこができていないと先がわからなくなるから、何度もトライして克服する。

むしろ「わからないこと」があると、がぜん燃えて調べる、という姿勢もありますね。

 

将棋と似ているなと思います。

 

将棋も、先の先を読んで、その良い手のためにコツコツ積み上げていくのだと思いますが、私は将棋が苦手(笑)。

すぐ結果が見えるものが好きで、長く戦って結果がかなり後ででるようなものは苦手です。

 

ちなみに畑仕事も、実は苦手。

 

すぐ結果を見たいタイプなので、何か月も待って収穫物がとれるようなものが、待てません(笑)。旦那さんはそういうの得意で、むしろ楽しみにできるタイプみたいで、片付けも上手ですが。

 

だから、これは脳のクセもあるかもしれませんが、「先を長期的に計画的に考えるクセをつける」ことで、もしかしたら徐々に改善できるのかもしれません。

 

例えば、私の場合だと、畑仕事は苦手ですが、一度トマトを収穫できたら「あの時期にはおいしいトマトがとれるから、それまでちゃんと世話をしよう」と、具体的な楽しみやイメージができるようになりました。

 

我が子の場合も、おそらく「成功体験」とか「褒められた経験」「上手くできてうれしかった経験」などが獲得できると、「計画的にやる」「自分で見通しをたててやる」といったことができるようになるかもしれません。

 

見通しを立てられる子にする為には、一度経験をさせなければ。

ASDの子に「経験」をさせる際は、親や教師が一緒に教えたり、一緒にやったりして、「なるべく失敗しないように」「失敗してもリカバーの方法を教えながら」やることがよいと、お医者様から聞いたことがあります。

 

そうして、経験をつんで、自信が付けば、自分でやるようになると。

「見てればやりかたわかるでしょ」では、わからないんだそうです。

「1から10まで教える」が大事なんだとか。

 

長期的に計画的に考えられる力というのが、生まれつきある子もいれば、そうでない子もいるんですね。

 

「そうでない子」には、1つ1つ、できるように一緒にやるのを繰り返して、だんだんと「これを果たすためにはどういう順番で何をすればいい?」と自分で考えさせるようにすればいいのでしょう。

 

うちの子は片付けも苦手ですが、私が片付けると「きもちいい!ありがとう」とはいうので、「片付けると気持ちいい空間になる」ことはわかるのでしょう。

 

また、レゴのようにコツコツ積み上げて完成形にするものも、頭の中に完成図が描けていれば、ずっと集中してできています。

だから、「自分で完成させたいと思えること」には、計画的に取り組める力はあるんでしょう。

 

あとは、苦手なことはできるだけ私がやり方を見せたり、機嫌のよい時に誘ったりですかね。

 

「いま片付けておくと、お友だちが急に遊びに来てもはずかしくないね」とか、先の見通しを持たせるのも良さそう。

 

もともと苦手だから、とか、発達障害があるからといって、あまりあきらめず、「長期的に考えられる大人」に少しでもなれるよう、子供と頑張っていきたいです。

 

 

人生2周目のように生きる。

少し前にやっていた「ブラッシュアップライフ」というドラマ。

おもしろかったですねー。

ほんとに秀逸だった。

バカリズムさん天才。

 

このドラマは「死んでしまったらタイムリープして、またもう1回人生をやりなおして徳を積む」というような話なのですが。

 

主人公はタイムリープを繰り返すごとに、だんだん「レベルが上」な人生を送るわけです。

1周目より勉強をがんばってみたり、2周目で救えなかった人を3周目ですくってみたり。

徳を積んだ量が少なければ、なかなか人間に生まれ変われないという(笑)

(くわしくはドラマをご覧ください・・・)

 

 

これを見て。

「もし自分が今人生2周目だったら、どう生きるかな~?」と考えてみました。

 

私の人生の悔いと言えば、高校の時に勉強をさぼって部活ばかりしていたがために、微妙な大学に行ってしまったこと。

 

大学でもサークルを重視して就活がおくれた(&氷河期だった)ために、すこしブラックなところに内定してしまったこと、でしょうか。

 

もし人生2周目を経験できたら。

 

まずはちゃんと勉強しますね。

勉強して、でも部活も楽しんで。休日にしっかり休んで。

ときどきうまくさぼって体力温存して(笑)。

ちゃんとおしゃれして、若いうちにメンズを捕まえて(笑)、将来有望な男子をつかんだら離さない・・・みたいな感じ?( ´∀` )

 

育休とりやすい公務員になって、実家の近くに住んでくれる男子を捕まえて、ちゃんと子育てと両立して、バリバリ働いて。老後資金も余裕でためる。

 

いや~完璧な人生です。私的に。(笑)

 

あーあとは、早々に親と距離とりますね。

 

私の親はとても過保護でして。

思えば依存心が高い親で。

特に母親は私にずーっと依存していたので。

ちょっとゆがんだ家庭でした。

なぜか小さい時から、私が母親を支える、という図式になっており。

私は甘えてはいけないような感じで。

母親の心の傷を、私が受け止めなければならない場面も多々あり。

でも保護してもらっているのだから、私も支えなければならないと思い込んでいたんですね。

で、かなりヘビーな、つらい自己犠牲をしながら、歯を食いしばって部屋でひそかに泣きながら、母親を精神的にケアしていました。

今思えば、母親は自分で精神科かカウンセリングに行くべき状態でした。

でも子供にずっしり、よりかかって自分を保っていたのですね。

 

こういうの、「心理的ヤングケアラー」というらしい。

ひどくなると、大人になってから自己肯定感がもてなくて、自殺する人もいるのだとか。

分かる気がする。

私も、「自分のやりたいように生きる」のが悪だと、長い間思っていました。

自分を犠牲にしてでも、周りの人のためになる生き方をしなければ、まわりに認められない。生きる場所がなくなると思っていました。

 

だから、産後鬱になりうまく子育てできず、産んだ子は障害児でいろんな人に迷惑をかけ、はたからみれば生産性はないのかもしれないし(「はたからみれば」、ね。)、過敏性腸症候群にはなり。

 

そんな私に、生きる価値はもうないと思ったりもしました。

人を助ける仕事もできないし、社会の役に立つ子を育てられるかもわからないし。

 

・・・考えが極端ですよね。ほんとうにイビツです。ゆがんでる。

自分に対してもそういう厳しさがあるし、他人のことも、「自分のことばかり大切にする人はゆるせない」なんて考えることがある。

 

でも、精神的に落ち着いている人って、「自分を大事にできる力がある」んですよね。

そして、別に「自分のスキに生きればいい、生きていい」んですよね。

誰だって、一番に自分を大事にしていいし、余裕があれば他の人の役にたてばいい。

 

なんか、そこが最近ようやくわかってきて。

もちろん私の子も、好きに生きていいし。第一に自分を守って大切にすれば、それが安定した人生になるんです。

自分を安定させると、ひいては周りの安定にもなる。

(ほらまた周りのことを考えてる(^^;) )

 

とにかく、「自分第一」で、いいんです。

社会のルールの範囲内で、自分を大事にすることは、ぜんぜんOK。

他人を攻撃するのとは違うし。

好きなことをする人生を謳歌すればいい。

 

そうわかってきました。

 

これがしっかりできるようになれば、過敏性腸症候群も治る気がします。

 

だから、当然ながらまだ人生1周目なのですが、親とも嫌な他人とも上手に距離をとりながら、うまいことやっていきたい。

 

人生2周目のようなつもりで生きてみると、失敗を活かして「次はこうしてみよう」と、ミッションをクリアしていくような楽しさがあるし。

 

自分の人生を俯瞰して、自分を大切にしながら、最良の選択ができるような気がする。

 

「本当はやってみたかったあれこれ」を、徳を積むつもりでやってみようと思うし。

 

例え志半ばで何か万一のことがあって死んでしまっても、ドラマに出てくるあの白い部屋に行くだけだと思えば、死ぬことへの恐怖もなくまい進していけるし。

 

長くなりましたが、なんかほんとうによいドラマにめぐり会ったなーと思ったりしました。