心に土足でおじゃましまっす!

アスペルガーの二次障害対策と強迫性障害(OCD)の改善を模索する日々を綴った、双方向ブログです。 似たような問題を抱える方々の参考になるような情報提供を目指します!

リンク先が変更になります!

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皆様、お久しぶりです。

 

突然ですが、当ブログのドメインを変更することにしましたので、

ご報告致します。

 

具体的には、今までのリンク(https://www.hirozacchi.jp)が、

来年(2022年)から使えなくなり、

 

新しく、

 

https://hirozacchi.hatenablog.jp/

 

に変更になります。

 

ブックマークしていただいていた方にはお手数をかけますが、

変更のほど、宜しくお願い致します。

 

今まで書いたブログの記事はそのままにしておきますので、

また良かったらご覧ください!

 

いつも応援、ありがとうございます!

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小説を読んで、心を整理する【OCD改善】

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(約4200文字)


皆さま、お久しぶりです。

 

長い間、ブログの更新を怠ってしまい、申し訳ありません。

心身共にあまり調子が優れず、ずっと低迷しておりました。

まだまだ本調子ではないので、しばらく安定しない更新となりますが、温かく見守っていただけると嬉しいです。

 

 

さてさて。

今回は、『OCDの私が小説を読んでみて最近感じたこと』を、少し綴ろうと思います。

「思わぬところでリハビリに役立った!」というエピソードです。

 

もともと私は小説をあまり読まないタイプなのですが、小説を書くヒロさんの影響で、最近ちょこちょこ読むようになっています。

 

気に入って読んでいるのは、ディストピアを題材としたSF小説です。 

 

『ディストピア』というのは、ユートピア(理想郷)の対語で、『暗黒郷』『地獄郷』『逆ユートピア』とも呼ばれる概念です。

現代の政治的、社会的な問題点を放っておくと、近未来はどうなってしまうのか…

そのような現実風刺を含んだ世界観を描いたものが、ディストピア作品と呼ばれるようです。

 

例えば、

一見、平和そうで理想的に思える世の中が、実は徹底した管理体制によるもので、本来の人間としての自由が損なわれてしまっている世界。

格差社会で、市民階級が厳しく管理・制限されている世界。

指導者や体制に反抗する存在は、治安維持のために簡単に排除されてしまう世界。

 

そんな世界を描いた作品に、私は今まで小説に限らず、アニメやゲームを通じて好んで触れてきたように思います。

 

 

『暗黒郷』『地獄郷』という通り、作品中には非人道的な世界や情景が描かれている時があります。

昔は “ 怖いもの見たさ ” で読んでいたそれも、現実を風刺したものとして捉えられるようになると、急に現実味を帯び、様々な問題点を示してくれるもののように感じられました。

 

残念ながら、過度に情報漏洩を気にする、という私のOCDの症状は、過去に読んだそれらの作品の設定が元になっているかもしれません。

社会の負の側面に焦点を当ててしまい、それらに敏感に反応するようになってしまったのです。

私はOCDの悪化を防ぐため、実は比較的最近まで、ディストピアをはじめとする、ある一定の情報をシャットアウトしていました。そのきっかけとなったエピソードを少しご紹介したいと思います。

 

私がまだOCDの超初期で、「アレ?なんか普段と違うな、気になるな…」程度の症状だった頃、自分の違和感の正体を知りたいと思い、軽い気持ちで情報収集をしたことがありました。

ひとつのブログに辿り着き、私は食い入るようにその記事を読みました。

そのブログは、悪化の一途を辿るOCDの患者さん(以下、Aさん)の症状を記したものでした。記事を書いているのは、Aさんを側で支えるパートナーの方でした。Aさんの不安は日に日に増大し、できることが少なくなっていく様子が克明に記されていました。

『(最終的に)家から出られなくなった』という所で、私は読むのをやめました。

すごく辛そうだな、気の毒だな、OCDは怖い病気だな…と思いつつ、どこか他人事というか、私にはあまり当てはまらないな、と感じていた記憶があります。

 

しかし、私の症状は日に日に増大し、ふと気付くと、Aさんと似たような事態に陥っていることに気付きました。

加速度的に悪化した私は、家から出られなくなり、そのままの勢いで、ご飯もろくに食べられない、トイレもまともにできない状態になってしまいました。

 

私は、Aさんの症状を他人事として捉えていた自分を恥じました。

そして、耐性も身構えも無いまま、安易に『怖くて深いもの』に触れるのは止めようと思いました。

恐らく、仮にAさんの症状を知らなかったとしても、多かれ少なかれ私も似たような状態になっていたと思います。

ただ、当時は、壮絶な自分の症状に翻弄され、“ OCDの進行の深刻な一例 ” を知識として得ていたはずなのに、どうにも防げなかった、という事実がのしかかり、そんな自分を呪い、後悔していました。

『一例』を知ってしまったばかりに、私の目の前に次々と『悪化していく』というレールが敷かれてしまうのだ…そう錯覚するほど、私の症状は多岐に渡り、Aさんのブログやその他から仕入れた情報の通りになっていきました。そしてその症状の多くは、かつて自分がおおよそ『他人事』として軽く考えていたものでした。

 

今では、情報収集自体が悪いわけではなく、その情報をきちんと噛み砕き、苦痛やリスクを我が事として想像しなかったことがいけなかったのだと考えています。

リスクを『他人事』として考え、油断したことのバチが当たったのだと思っています。

(幸い、そのことを意識してから得た知識であるOCDの縁起恐怖などは、未だ私の症状としては表れていません。ご自身も辛いなか、症状などの情報を発信してくださっている方には感謝しています。)

 

 

そういうわけで、心機一転、OCDの症状がだんだんとマシになってきたタイミングにあわせ、久々にディストピア要素を解禁しました。

 

 

今読んでいるディストピア小説は、主人公をはじめとする登場人物の境遇がそこそこ過酷で、なんとも言えない不快な描写が多くあります。

なかには、私自身が過去に経験し、辛い思い出として封じていた内容に(程度は雲泥の差がありますが)通じるものがあり、苦悩を抱え、自分の感情に翻弄されながらも頑張って生きている主人公に共感し、尊敬の念を抱くときもあります。

小説の内容はフィクションなのですが、要素を細分化すると、そこまで現実離れしている訳でもなく、じゅうぶん身の回りで起こり得る出来事やエピソードが多いです。かと言って、自分で体験するほど濃密で泥沼のような時間が描かれている訳でもありません。

この程良い距離感が、私にとっては主人公を通して自分を冷静に客観視するきっかけになり、問題を克服する足がかりになるような気がしています。

 

さらに、このディストピア小説に触れることが、私の場合、OCDの治療でよく取り入れられる、認知行動療法の技法『曝露反応妨害法』や『最悪のストーリー』の簡易版、イメージトレーニングとしても機能しているように感じます。

『曝露反応妨害法』は、不安となる要素に直面(曝露)しても、不安がずっと続くわけではないことを認識し、強迫行為を我慢する(妨害)ということを繰り返すことで、OCDの強迫観念と強迫行為の負の連鎖を断ち切るというものです。

『最悪のストーリー』は、例えば不潔恐怖の人に、トイレの汚物入れを素手で触ってもらう…といった過酷な方法です。想像しただけで不安が増大しますが、これも我慢して繰り返すことで、改善する場合があります。不安はいつかおさまるのだと信じ、その気持ちを排除するのではなく共存、もしくは放置するのが効果的なようです。

 

 

私の場合、症状が酷かった時には、不安対象が多岐に渡り、かつ、日常生活を最低限営むために必然的に『曝露』や『妨害』が繰り返されていた(食事、トイレ、お風呂、着替えだけで強烈な不安が起こり、確認をやめないと寝る時間すら無かった)ため、心身共に疲弊しきっていました。

なので、日常生活にプラスして、治療として曝露反応妨害法に取り組むことは、とても耐えられるものではありませんでした。

不安が不安を呼び、我慢したことでさらに別の不安が起こり…と、ひとつの要素に集中して克服することもできず、困っていました。

 

そこから脱した時のことはまた別の記事に詳しく記したいと思いますが、その時も小説やゲームといった『フィクション』という媒体は、私にとって非常に有効でした。

 

ストーリー中にOCDの不安や不快な感情を誘発する要素があっても、それは虚構だからと言い聞かせ、(時には主人公の勇敢な姿に励まされ)割り切って前を向く練習をしました。感情移入すると強い不安発作が起きましたが、不安の波が引くのは現実の問題と比較するとかなり早かったです。

虚構の不安から派生して、現実の不安も蘇ることがありましたが、その関連付けは、複雑に絡み合った現実の不安同士よりは確実に断ち切りやすく、良い訓練になりました。

さらに、問題を細分化し、克服したい内容以外の刺激(不安)を極力抑えることで、『不安がおさまる』『不安を放置する』という感覚をより強く認識できるようになりました。具体的に言うと、安心できるお布団の中で、ある程度リラックスしながら、本を読んだりゲームをしたりするということです。ただのリラックスタイムのような行動ですが、私に劇的な変化をもたらしてくれました。

 

他の多くのフィクション作品でもそれは可能ですが、ディストピアを題材にしたものは現代の問題点に通じる要素が各所に散りばめられており、そして私の不安の根源もそこ(現代の問題点)に行き着く所が少なからずありました。そういった点で、ディストピア作品に触れることがOCD改善の一助となっているように感じるのです。

 

 

もちろんこれには個人差があると思います。もしかすると不安ばかりが掻き立てられ、余計に苦しくなってしまう人もいるかもしれません。

ただ、このイメージトレーニングにはOCD以外の問題についても何か効果があるのでは?と期待して、今回このように綴ることにしました。

 

あ、本当は、「こんなのも読めるくらい元気になったよ!」という報告も兼ねています。笑

 

秋の夜長、これからたくさん本を読んで、もちろん秋の味覚もたくさん食べて、元気に過ごしていきたいと思います。

 

 

 

●『マルドゥック』シリーズ

マルドゥック・スクランブル The 1st Compression 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA)

マルドゥック・スクランブル The 1st Compression 〔完全版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

●『新世界より』

新世界より 全3冊合本版 (講談社文庫)

新世界より 全3冊合本版 (講談社文庫)

 

 

●『PSYCHO-PASS』

#1 犯罪係数

#1 犯罪係数

 

 

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ザッチの落書き 5

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今回の絵はこちら。

 

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棒人間と動物シリーズは今回で4作目です。

 

これらの動物を登場させて、絵本を作る計画を立てています。

 

棒人間である飼い主が、動物たちの助けを借りて成長する…

そんな感じの内容にできたら良いなと考えています。

 

小さな子にも読んで貰いたいなと思いつつも、どうしても伝えたい内容を表現しようとすると、小難しくなってしまいます。バランスが難しいですね。

 

そんなこんなを考えて悶々としていると、ヒロさんが助け船を出してくれました。

私の思い描いたストーリー展開を、素敵な言葉で文字に起こしてくれたのです。

 

絵本を描くのは簡単ではないと思いますが、ぼちぼちマイペースで進めていきます。

 

いつか絵本に込めた優しい気持ちが、読んでくださる方々に伝われば良いなと思っています。

 

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ヒロザッチ雑談6 〜連想ゲーム〜

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二人で連想ゲームをしました。

それぞれの特徴がよく出た内容だったので、雑談記事として綴ろうと思います。

 

最初の単語から流れに流れて辿り着いた、「ヒロさんの家」というワード。

その続きからご紹介します。

 

……

ザ「ヒロさんの家」

ヒ「飲み屋の前(昔ヒロが住んでいた所が飲み屋の前でした)」

ザ「一本締め」

ヒ「協調性の強要」

ザ「卒業式の呼びかけ(「楽しかった、運動会!〔皆で〕運動会!」みたいな)」

ヒ「誰得?」

  (ザッチが悩んでいたので例を挙げてみました「盲腸」「嫉妬」「見栄」など)

ザ「…確認強迫?」

ヒ「鍵」

ザ「溝(デコボコのみぞ)」

ヒ「心の溝」

ザ「喧嘩(けんか)」

ヒ「自己主張」

ザ「求愛ダンス」

ヒ「孔雀(くじゃく)」

ザ「カラフル」

ヒ「虹」

ザ「儚い」

ヒ「蜉蝣(かげろう)」

ザ「蟻地獄」

ヒ「質の良い物語(一度入り込んだら抜け出せないから)」

ザ「努力と優しさ(質の良い物語を作る為に必要かな?と)」

ヒ「恋愛」

ザ「カルピス(青春の味)」

ヒ「夏」

ザ「花火」

ヒ「人混み」

ザ「他人の後頭部」

ヒ「映画館」

ザ「No more 映画泥棒(カメラ頭のダンス)」

 

こうして夜はふけてゆきました……

 

皆さんも考え方を知りたい、仲良くなりたい相手と連想ゲームをしてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

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マイノリティは短所ではなく長所 その2


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前回の内容を受けての記事です。

 

 

 

思い返すと、私は昔から周囲の人達に「(ザッチは)変わってるね」と言われることが多かったように感じます。

 

その人達が私のどの部分を指して「変わってるね」と言うのか、あまり詳しく聞いたことはありませんが、私はその言葉に対してネガティブな印象を持つことはあまり無く、むしろ「へへへ、光栄です」と返していました。

 

「他の人とは違う」

「予想外の行動をする」

「普通じゃない」

 

中には、否定的な言葉として「変わってるね」と言われたこともあったかもしれません。

 

 

それでも私は「どうも、おかげさまで」と言い、そこまで凹むことも無く過ごしていました。

変わっている方が自分らしくて良いやん、という考えでした。

 

 

「案外、ザッチもフツーなんだね」と言われたこともあります。

私はこの類の言葉には結構敏感で、嬉しい時もあるし、モヤっとする時もあります。

色んな条件により変わってくるのですが、この「フツー」という言葉に対して、私はあまり良い印象を持てないことが多いです。

特に、その言葉の中に、「代替が利く」「オリジナリティが無い」という意味を感じた場合、自己肯定感が下がる感覚があります。

 

 

この私の思考回路は、小さな頃から良く褒めてくれた母の努力あってのものだと思います。

長いものに巻かれるのがあまり好きでは無かった母は、私の個性をできる限り尊重してくれました。

そして幸いなことに、私の特性は、早い段階で私の好きな事や得意な事に結び付き、自己肯定感の礎となりました。

 

 

私も昔から生きづらさを感じてはいましたが、自分の特性にはプラスの面があると信じていたので、悲観したり悔しい思いをすることはありませんでした。

人間関係のトラブルは、「自分の行動や認識の誤りで(今回は)失敗してしまった」とか「相手との相性が悪かった」と思い、そこに自分の特性を絡めて考えたことはあまり無かったように思います。(今振り返ると、もう少し深く考えた方が良かったのかもと思うこともありますが…)

 

 

ヒロさんの考え方や過去の経験と比較すると、私はとても幸せ者だったんだなと思います。

私は周囲の人達に恵まれたから、この思考が身についているのだと思うのです。

もし自分の個性が抑圧され続けていたら、私は自分の特性を疎ましく思い、フツーに憧れていたかもしれません。

 

 

 

ヒロさんの小説は、とても味があって私は大好きです。

テーマやキャラクターの性格など、ヒロさんの特性が存分に発揮されたものほど、私は目を輝かせて読んでいる気がします。

 

 

つらい経験や苦しみをプラスに変換するのは、簡単ではないかもしれません。

十分な時間や安心できる環境、温かい支えや、深い思考などなど…多くのエネルギーが必要だと思います。

 

 

今しんどさの只中にいる方も、今の経験がいつの日かワクワクする気持ちや優しさに繋がって、それが大きな力となって戻ってくるように、私も願っています。

 

 

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マイノリティは短所ではなく長所 その1

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最近小説を書いていて思うことがあります。

それはマイノリティ(少数派)であることは長所なのではないかということです。

 

ヒロは他人と違うことで、多くの苦労をしてきました。

多くの悔しい思いをしてきました。

 

しかし、その数だけ物語にする題材を手に入れてきたと思えるのです。

 

この国は多数決により物事が決められる、多数派優位の世の中です。

マイノリティには生きづらい世の中だと思います。

 

ヒロはそれで良いと思うのです。

生きづらいと思う気持ちが、工夫を生み、人を成長させるからです。

 

これはASDや心の病などがない人でも同じだと思います。

常に多数派でいられる人なんて、限られているのではないでしょうか?

 

生きづらい、理不尽だ、なぜ自分だけ?

 

ヒロはそう思うとき、悔しいのと同時になぜか少しワクワクします。

それはもしかすると自分の成長を予感しているからなのかもしれません。

 

この世にあふれるアイデア商品の数々は、誰かが生きづらいと感じて、

色々と工夫した結果だったりします。

 

 

もうひとつ、想うことがあります。

生きづらさは優しさの源だということです。

 

人生で一度も生きづらいと感じたことの無い人に、

悩んでいる人の気持ちが分かるでしょうか?

 

甘えだとか、怠けだとか、逃げているだけだとか。

 

それは生きづらさを感じたことの無い人の言葉だと思います。

 

マイノリティにはとても大変な世の中だと思います。

でも生きづらいと感じた数だけ、素敵な贈り物を受け取っています。

 

ヒロはこれからも、生きづらい世の中を楽しみたいと思います。

 

 

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ザッチの落書き4

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ザッチの落書き、今回はお魚です。


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食べたらきっとトロピカルな味がするんだろうなぁと考えながら色塗りをしていました。

 

エラのところに挟まっているのは、前回の落書きにも登場している棒人間です。

 

次回の絵は犬を予定しています。

 

今後も色んな生き物を描いてみたいなと思います。

 

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小説ブログの宣伝など

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現在サブブログで執筆中の日向端ヒロ(ひなはた ひろ)です。

サブブログは小説家を目指すための練習の場として開設しました。
そのため、拙い表現も多々ありますが無料ということでご容赦願いたいと思います。


さてこのたび4つの作品を掲載して、伝えたいことや挑戦してみたことなどをまとめてみました。
もし伝わらなかった、分かりにくかった、ということがありましたらヒロの文章力不足です。
ごめんなさい。
今後も精進していきますのでご愛読宜しくお願い致します。

 

■ぷるぷる大陸物語
初めてブログで小説を掲載しようと思ったとき、やはりファンタジーの方が受け入れられると思い、なるべくメッセージ性を隠してエンターテインメント性を重視しました。
しかし実はメッセージ性も含めています。
誤解されやすく世間から疎まれるような人でも、きっかけさえあればちゃんと仲間を得られるということを描きたかったです。
これからも連載を続けようと思いますので、ハインツという独特なキャラを愛していただけたら嬉しいです。

『ぷるぷる大陸物語』-概要


■会話研究部
この話はヒロ自身の話です。
他人との会話がとてつもなく苦手で、できれば一日中会話無しで過ごせたら幸せなのにと思う幼少期を過ごしていました。
そんな中で『上手に会話する方法』を色々と考えていました。
これは当然会話が苦手なヒロが書いた小説なので、参考にしてはいけません。
こんな人もいるんだなと思っていただけたら嬉しいです。
これからも連載を続けるつもりなので、学君の成長を見守っていただけたら幸いです。

『会話研究部』-第1話


■時節菜
直接人間と会話することはなくてもそっと寄り添う植物を主人公にしたいと思い書いた小説です。
直接的な会話がないため、三人称視点を初めて書いてみました。
どうやらヒロは一人称視点が一番書きやすいようです。
メッセージ性については、なるべく分かりやすく書いたつもりなので敢えて語りません。
皆さんの好きなように感じ取っていただけたらと思います。

『時節菜』-第1話


■寄生虫
この物語は、メッセージ性だけを抜き取った感じの超短編小説です。
みんなと違う、協調性がない、そんな人を弾き出すということは、
他の星とは違う地球という存在を、地球上にいる自分たちの存在そのものを否定することと同じだということを描きました。
ダイレクトにメッセージ性だけを重視するとヒロの小説はだいたいこんなことを言ってるんだなと思います。

『寄生虫』-1話完結

 

■コメントについて
たくさんのコメントを寄せていただきありがとうございます。
大変感謝しております。
コメントの返事はザッチに一任していますので、ここでまとめてお礼申し上げます。
ヒロは自身の特性上、他人との関係がうまくいった試しがありません。
そのため、ブログでのザッチの言動を通して勉強している最中です。
それでも、ヒロはコメントをとても楽しみにしているということだけは伝えたいと思いました。
これからもたくさんのコメントをお待ちしております。

 


これからもマイノリティが少しでも生きやすい世界を、小説という媒体で発信していきたいと思います。

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記憶力もいろいろ

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先日、ヒロさんと一緒に記憶力チェックをしました。

その結果が予想外に興味深かったので、記事にしたいと思います。

 

 

記憶力チェックと言っても、既成のきちんとしたテストではありません。

自己流で作って、それぞれ問題を出し合う形式の、ゆるーい感じのものです。

 

 

どんなテストだったかをご紹介する前に、まず『記憶力』に対する私の思いを少し綴らせてください。

 

 

私は、『記憶』することがあまり得意ではないと思っています。

学生時代は歴史などの暗記が苦手で苦労しましたし、人の名前を覚えるのも得意ではありません。

旧友と話していても、私がうろ覚えのエピソードを友人達はとても鮮明に覚えているようで、「〇〇は△△だったねぇ」などと、10年ほど前の事をつい先日の事のように話したりします。私はいつも、凄いなぁと感心するばかりです。

 

しかし、ヒロさんと出会って以降、私の記憶力も部分的には良い所があるのかも?と思えるようになりました。ヒロさんが「ザッチは記憶力が良いよ」と言ってくれるからです。

 

例えば、テレビのクイズ番組で、学校で習ったような知識が問われる時。歴史系の問題は元々苦手なので微妙ですが、昔きちんと覚えていたものに関しては、だいたいは答えられるような気がします。

学生時代のテストでは、暗記が苦手で歴史は壊滅的だったものの、よくよく思い出してみると、例え暗記要素が強い科目でも、興味のある教科(分野)は何故かすぐに覚えられることがありました。お気に入りの先生が発した些細な言葉まで記憶していたので、友人に気持ち悪がられた時もありました。

 

先日病院で受けた知能検査でも、心理士さんから言われた数字を復唱する問題(数唱)は得意なようでした。聴覚的な短期記憶をみるためのもののようです。

この結果がとても意外だったので、家でもう一度ヒロさんに手伝ってもらって試してみると、そのままの順番(順唱)でも、逆から(逆唱)でも、だいたい10桁くらいならいけそうでした。これは同年代の平均値より良い結果のようです。

 

一方で、ヒロさんに「なんで覚えてないの?」と言われることもあります。

一度プレイしたゲームのシステムや、喧嘩の時の会話、日常の些細な行動などなど…

 

おそらく、私の脳にも好き嫌いがあり、無意識のうちに情報の取捨選択がおこなわれているのでしょう。決して軽んじている訳ではない(と自分は思っている)内容でも、スポンと抜ける時があります。年齢を重ねる毎に、「あれ、なんやっけ?」と思うことが多くなってきているようにも感じます。

 

 

…と、前置きが長くなりましたが、このような私の『記憶力』をチェックするため行った自己流テストがこちらです。

 

 

◎ 次の15個の単語を覚えなさい。(目視だけで覚える(発声や筆記は不可)。覚える時間は任意(大体2〜3分以内)。「覚えた!」の宣言後、リストを見ずに答える。順番通りに答えなくてもOK。単語はヒロ出題)

 

  1. 金星
  2. アコーディオン
  3. ハエ
  4. ほうとう
  5. ランプ
  6. 黒板
  7. ハモ
  8. わたあめ
  9. スピーカー
  10. 湯気
  11. ヘチマ
  12. モンブラン

 

こんな感じの問題です。

(『ほうとう』の存在感がすごい!)

 

結果、15個全問正解でした。(やったぜ!)

特に不自由無く、1から順に答えられました。

 

そして約一ヶ月後、抜き打ちチェックがありました。リストは前回以来見ていません。

一ヶ月前の記憶を頼りに絞り出した結果、うろ覚えだった1番が『右足』、10番が『白いモシャモシャのやつ』という残念な間違いをしたのですが、それ以外は無事に答えられました。

 

 

 

しかし、この問題の質を少し変えた途端、私のパフォーマンスがガクッと下がりました。

その問題がこちら。(単語はヒロ出題)

 

  1. 内部
  2. 唐突
  3. 要約
  4. 独特
  5. 人情
  6. 本質
  7. 放置
  8. 発想
  9. 広義
  10. 奇抜
  11. 発見
  12. 同様
  13. 移行
  14. 定義
  15. 特有

 

上記のように、項目を抽象的な単語にしたのです。

その結果、なんとか14個捻り出したものの、順番はバラバラ。うろ覚えで回答にも時間がかかりました。

一ヶ月後のチェックでは、全く単語が出て来なくて、答えるのを諦めてしまいました。

 

 

抽象的な単語は、驚くほど頭に入って来ず、時間をかけても全然覚えられた感じがしませんでした。

私は耳で聴いたり紙に書いたりして覚える方が得意なので、目視だけで覚えるのも結構辛かったです。

そして、前回と同条件で比べたかったので、私は『番号通りに覚える』という方法も頑なにトレースしていました。それが非効率的な方法だったのかもしれません。しかし、仮に単語をカテゴリ分けするなどの工夫をしていたとしても、完璧に全部を覚えきるのは辛かったと思います。

 

 

一方のヒロさんは、さすが言語優位だなぁ…という結果でした。

私も上記と同様の、具体的・抽象的な単語をそれぞれ15個用意し、ヒロさんに覚えてもらったところ、その二つのテストでほとんど差が無かったのです。

 

 

私は、15個の単語を覚える時、脳内でイメージを作り、それらを繋ぎ合わせて覚えていました。

例えば、

『菊』柄のじゃばらの『アコーディオン』とか、

『黒板』に、白いチョークで『ハモ』と『わたあめ』が描いてある光景とか、

『湯気』で『ヘチマ』が蒸される様子とか。

(例外的に『モンブラン』だけは、問答無用で私の脳内に領域を確保してきました…笑)

 

しかし、抽象的な単語の場合、このイメージがなかなか作れなくて、結果、覚えきれないという事態になりました。

こんなにも違うものかと、自分でも驚きました。

 

 

この結果から考えると、おそらく、学生時代にあった暗記の得意不得意のムラは、『具体的なイメージが脳内に構築できるか否か』が重要な要素になっていたのかもしれません。

 

例えば、歴史で言うと、

教科書や資料集などに顔写真が載っている偉人は覚えやすいけど、名前だけ記載されている人物は覚えにくい…

詳しい経緯を理解できた出来事は覚えやすいけど、単に「〇〇年、△△事件」のような情報だけだとサッパリ…

という具合です。

苦手意識があるので、より深く知ろうという意識も芽生えにくく、負のスパイラルにはまってしまった気がします。

 

歴史が苦手な一方で、地理の成績は比較的マシでした。

それは、とても楽しく授業をしてくれた先生のおかげだと思います。

様々な事象に、興味深いエピソードを絡め、脳内に映像化しやすい言葉で説明してくれました。授業後は、一本のアニメを見終わったような感覚になる時もありました。

 

 

あくまで、これは私の『記憶に関する癖』を表したエピソードで、上述の『具体的なイメージが脳内に構築できるか否かが重要かも』という点も、人によって異なるのかもしれません。

 

ただ、人の『得意・不得意』は、様々な条件や要素によって決まることが多く、簡単に『個人の能力』という問題だけでは語ることが難しいのではないかな、と思うのです。

 

つまり、私は『記憶力があまり良くない』と自分では思っていたのですが、色んなエピソードを思い出してみると、案外そうでもなさそう?と思えたのです。

そしてその結果、よりポジティブな行動に移れることもある気がするのです。

 

苦手意識を克服することは簡単ではありませんし、無闇に自分の能力を過信することは危険です。

しかし、過度に自分を卑下して、可能性を潰してしまうのも、もったいない気がします。

 

 

これからも、自分の良い所探しを続けて、色んなことに挑戦したいなと思います。

 

 

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人の記憶方法は千差万別だと思います。

ヒロが聞いたことのある記憶方法は、言語記憶、映像記憶、聴覚記憶の3つがありますが、人には感覚の数だけ記憶力があると思います。

そしてザッチは映像記憶が高く、ヒロは言語記憶が高いという結果がありました。

 

 

ヒロは感覚過敏なので、匂いや肌触りの記憶力がとても高いと思っています。

しかしその力は日常生活で活かすことはできず、逆に病気として処理されてしまうこともあるのだと思います。

 

前に『説明に色情報が多すぎて混乱する』という記事を書いたことがありますが、映像記憶に頼って生きているのであればそれも頷けます。

 

 

逆に映像記憶が壊滅的で、親の顔すら覚えられないヒロは、言語に頼ることしかできなかったのだと思います。

 

他人と違うということは、苦労する事が多く悩みのタネですが、それは個性だと思います。

みんなの個性がいつか花開く事を願っています。

 

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ザッチの落書き3

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梅雨が明けてきましたね。

照りつける日差しも、日に日に強くなっているように感じます。

 

光に敏感な体質の私たちは一苦労ですが、今年も帽子やサングラスを駆使して、なんとかやっています。

 

↓ 光に弱いよーという話はコチラ。ヒロさんの帽子姿は今年も健在です。

 

 

さてさて。

今回の絵はこちらです。

 

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サブブログで公開している、ヒロさんが書く小説用の挿絵です。

 

↓サブブログはこちら。

 

 

これはヒロインがつける『髪飾り』なのですが、前回記事に載せた絵と違い、素早く描けました。

 

ヒロさんの小説を読んで、ヒロインのキャラクターや、この髪飾りにまつわるエピソードの情報が入ってくると、自然とイメージが湧いてきます。

脳内に湧いた映像のイメージを描き写すだけなので、あまり悩むこともありません。

 

 

一方、ヒロさんは何かをイメージする際は、文章ベースで想像が膨らむようです。

これは私にはほとんど無いことです。

私は映像としてイメージできなければ、途端に記憶力も悪くなりますし、ふわっとした理解になってしまいます。

 

 

この二人の差は、以前書いた認知特性についての記事にもよく表れていると思います。

 

 ↓ 認知特性の話はこちら。 

 

 

この二人の特性を考えると、

 

文章を書くヒロ

絵を描くザッチ

 

ちょうど良いバランスなのかなと思います。

 

 

これからも、お互いの良い所を伸ばしつつ、支え合っていけたら良いなと思います。

 

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今回の絵は気に入りました!

 

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ザッチの落書き2

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今回も絵に関するお話です。

  

 

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特にテーマやメッセージ性は何も考えていないのですが、このように無意識的に描いたものほど、自分の内側を表しているようで、恥ずかしさを感じます。

 

 

自分の内側を表す…と言えば、心理検査のバウムテストのことを思い出します。

私は何回かこのテストを受けたことがあります。

バウムテストでは、「一本の実のなる木を描いてください」という指示とともに、一枚の紙と鉛筆、消しゴムが渡されます。そして被験者は、自分のイメージする木を自由に描きます。

どんな木を描いたか、どの様に描いたかで色々と分かることがあるようです。

 

 

私はこのテストを受ける度に、痛感することがあります。

それは、自分の過去の経験に基づく記憶が深層心理に潜み、少なからず現在の自分の行動に影響を及ぼしているのだ、ということです。

 

 

心理検査なのでやや緊張はしているものの、絵を描くことは嫌いではないので、毎回そこそこ楽しみながら描いています。にもかかわらず、過去に経験したツラい出来事を毎回投影させてしまっているらしいのです。

鉛筆で描く、白黒の木1本でそこまで分かってしまうのです。

描く対象物も自由で、色まで塗った絵の場合、もっと多くの情報が詰まっているような気がします。

 

 

ブログやTwitter上で拝見する限り、私が『素敵だなぁ』と思う絵を描かれる方は、記事やツイートの内容も素敵だったり、共感できる方が多いような気がします。

 

すごくホッコリした気分になったり、時には勇気を貰えたり。

知らないうちに笑顔になっていたり。何かを感じて涙したり。

抽象画でも、なんか素敵だなぁと思えたりします。

 

 

私も、見てくださる人に素敵と思ってもらえるような絵を描いてみたいなと思います。

 

残念ながら、私はまだ自分で描いた絵をそこまで好きにはなれません。

楽しみながら描いているので、ある程度の愛着はあるし、嫌いという訳ではないのですが、なんだかしっくり来ないのです。

 

 

私は日頃から、OCDの症状などが原因で、自分が他人に迷惑をかけてしまっているという罪悪感があります。

元々、些細なキッカケでも自己嫌悪モードに陥りやすいタイプなので尚更です。

 

このような私の性格が、絵にも表れているような気がします。

そしてこの自己嫌悪が、私自身絵に納得できない理由にもなっている気がします。

 

 

実は今回描いた絵は、ブログに載せるのは少し躊躇われました。

鳥カゴとか、なんだか『いかにも』な感じがして、微妙だなと思ってしまいます。

 

描いている時は特に意識せず、自然とイメージの湧くままにペンを走らせているので、出来上がった物を見て、私自身『なんでこんなの描いたんやろ?』って思うこともあります。

 

 

しかし、せっかく描いた絵なので、ブログに載せておこうと思います。

こういったことを積み重ねることが、OCDの治療にも役立つ気がします。

 

 

読者の皆さんに良いと思っていただけるような、そして私自身も素敵と思えるような絵を描けるようになるまで、頑張っていきたいと思います。

 

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今回はヒロも反省しなければいけないと思います。

 

今回ザッチが描いた絵を見て素直に「好きになれない」と言ってしまいました。

お世辞を言えないASDの悪い面がザッチの心を傷つけてしまったと思います。

鳥は可愛くて好きなのにもかかわらずです。

 

なぜ好きな絵なのにそんなことを言ってしまったかというと、今回の絵はカゴの中に人を閉じ込めていて何かのメッセージがあると感じたからです。

それも陰鬱としたメッセージを感じました。

 

しかしザッチが言うように、メッセージ性もなく無意識で描いたのだとしたら、それはザッチの深層心理を知る数少ない手がかりなのだと思います。

 

そう思うとこれからは、なるべく否定的な言葉を避けて感想を言えるように努力したいと思います。

 

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気分転換のお絵描き(ザッチの落書き1)

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皆さま、こんにちは。

梅雨の湿気にやられて、最近ぐったりしているザッチです。

除湿乾燥機をつけると、ちょっと元気になります。

心にカビが生えないように、雨の日も明るくいきたいですね。

 

 

 

さてさて、今日はお絵描きについてのお話です。

 

実は最近、気分転換に絵を描きたいなぁと思うことが増えました。

 

ブログやTwitterで素敵な絵を見かける度に、

「良いなぁ、私もこんな絵を描いてみたいなぁ」

と思うようになりました。

 

しかし、私はきちんと絵の勉強や練習をしたことがありません。

皆さまにお見せできるような絵が描けるのか、とても不安だし、想像するだけで申し訳ない気分になります。

 

私のOCDのリハビリを兼ねて、数年前にヒロさんからタブレットやペンを貰ってからは、LINEスタンプを作ったり、ブログのための画像やアイコンを描いたりしました。

絵を描いている時間はとても楽しく、本来ならOCDの情報漏洩恐怖でツラいことでも、少しずつ頑張れるようになりました。

 

ただ、私にとってLINEスタンプはほぼ身内用に作ったようなものでしたし、ブログ用の絵もただの『添え』であって、あくまで主は文章や小説の内容、という感覚でした。

つまり、絵のクオリティについて、そこまで責任を感じないままにリラックスして描いていたのです。

 

しかし、自分の描いた絵自体を『主のネタ』として、ブログかTwitterに載せたいなぁと思った瞬間、急にクオリティや内容が気になるようになりました。

今までも、私の絵を気に入ったと言ってくださる優しい方が、ヒロさんをはじめ数名いらっしゃいましたが、なかなか自分では自信が持てずにいました。

 

さらに、ブログの画像は『ヒロさんが気に入りそうな優しいタッチの絵を描く』という、ある程度しっかりした目的があったので、私もそれに向かってスムーズに作業ができました。

 

しかし、『私が私のために自由に絵を描いて良い』となると、途端に筆が止まりました。

描きたいものがおぼろげに浮かんでは来るのですが、画力が伴わなかったり、こんなの描いて良いのか?と思えるほど妙ちくりんな内容ばかりで、渋ってしまうのです。

 

私は普段から、人の目を気にすれば気にするほど萎縮してしまう傾向にあります。

そして、今まで自分の好みや主張を押し殺して、他人受けすることに価値を見出してきました。

しかし、最近はそんな『気にしぃ』な自分を克服して、自分らしく正直に在ることを目指そうと思っています。

 

今回の絵の件は、そんな自分の在り方を変えたいと願う私にとって、丁度良い試練というか、リハビリになると思っています。

 

そんなこんなで、好き勝手描いた絵がこちらです。 

 

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…うん。

恥ずかしいですね。

 

 

ということで、今後もちょこちょこと、こんな感じの絵を載せることがあるかもしれませんが、温かく見守っていただけると嬉しいです。

 

ご意見・ご感想などございましたら、コメント欄かTwitter(ヒロザッチ (@hirozacchi) on Twitter)のDMまでお寄せください。

 

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ヒロザッチ雑談5 〜OCDが治ったら何したい?その1〜

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ヒ「ザッチはOCDが治ったら何したい?」

ザ「色々したいことはあるけど、まず着たい服を自由に着たいなぁ」

ヒ「いいね。どんな服が着たいの?」

ザ「えっとねぇ…まずポケットが無いスカートを履きたいな。今はポケットが無いと、スマホも財布も外へ持って行けへんからなぁ。(外出先でのカバンの開閉が辛くて、必要なものはポケットにしまっているのです)」

ヒ「なるほど。ザッチのスカートはなんかゴテゴテしてると思ったらそんな理由があったのね。ひらひらなスカートかわいいよね」

ザ「OCDになる前に買ったスカートはほとんど履けへんくなってもたからな…。っても、ヒロさんの好きそうなひらひらのは元々あんまり持ってへんかったけどね_(:3」z)_」

ヒ「持ってないなら選んであげよう。そして買ってあげよう」

ザ「おぉ太っ腹!ありがとう!でも若作りになるようなのは嫌ですよ。もう年相応の服を着ないと恥ずかしいかもしれないし…」

ヒ「ふうん。でもシンプルな柄にしてね。柄が多いとヒロは目が痛いのです」

ザ「せやな。ウチのお気に入りのインド柄ゾウさんのワンピースもしんどいって言ってたもんな…。これを機に、シンプルな服が似合う、シックな大人の女性に生まれ変わるのです!」

ヒ「生まれ変わってください! それじゃスカートと合わせる上も買わないとね」

ザ「そかー。今は過剰な洗濯にも耐えられるタフな素材のものしか着てないもんな。ふわふわなニットもダメにしてしまったし…。いかん、出費がかさむ!もうおばちゃんになってからも着られるような、トラ柄のTシャツを買っとこか!」

ヒ「それはおばちゃんになっても着て欲しくないな。それは大阪の遺伝なの? せめて可愛い黒猫とかにして!」

ザ「黒猫も可愛いけどな、なんか黄色い方がお金持ちになれそうやし、ガオーってカッコいいやん?やっぱ、血は争えんな…」

ヒ「シックな大人の女性に生まれ変わる話はどこへ…」

ザ「ハッ!…まぁ、治るの楽しみにしといて!」

ヒ「( ´ ▽ ` )」

ザ「( ´ ▽ ` )!ガオー!」

 

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