唯物史観

           

  • 「資本主義の発生、成長、停滞と衰退、そして衰退後(=ポスト資本主義) の世界」を考察し予測してみる。

 経済史を「経済システムの弁証法的進化の過程」と捉え、マルクスの「唯物史観」を再構築し修正して、新たな「唯物史観」を自然科学的、社会学的視点に立脚して導き、これを演繹させて「弁証法的進化による論理的な到達点」として予測しうる範囲での「ポスト資本主義」世界を推論してみることにした。

 

【目次】

 

  •  「獲得経済」から「生産経済」への転換移行
  •  「生産経済」の成長拡大と「交換経済」の発生
  •  「交換経済」と「貨幣経済」の関係性
  •  「貨幣の進化史」
  •  「交換経済」での「商人」の「貨幣の生産蓄積」
  •  「生産経済」の生産力飽和と「獲得経済的」転換
  •  「国際交換経済」の発展拡大と「宗教戦争」史
  •  「戦争国体」化による貨幣不足と「信用紙幣」化
  •  「英国史」に見る「資本主義化」転換の経緯
  •  「信用貨幣」による「国際交換経済」の拡大
  •  「産業革命型(信用)金融資本主義」誕生の経緯
  •   綿織物「産業革命型資本主義生産」開始の経緯
  •  「信用紙幣発行」による「金融資本国」化
  •   英国資本主義のグローバル拡散
  •  「信用紙幣発行」による「金融資本国」化
  •  「産業革命型信用金融資本主義」構造の「範式」化
  •  「資本主義」の衰退、停滞とポスト資本主義世界

 

 

  •  「獲得経済」から「生産経済」への転換移行

 

・人類がこの世に誕生してから約700万年間は、自然が産出してくれる人類にとっての(主として大型動物の)「食糧資源」を「群れ(共同体)」で狩猟して食糧消費することで生存を維持し、不足すると再び移動を繰り返す (「狩猟、採集、漁労」依存での)「獲得経済」に一元的に依存して、世界的な広域拡散をも実現していた。

しかし、今から約1万年前、長く続いた地球の氷期が終了して温暖化継続したことで、地球の「植相」環境が一変し、人類にとって直接摂取も可能な「大型種子植物(麦や米の原種)」の「群生地」が誕生したことで、これまでの「獲得経済」への一元的依存は「穀物食糧資源」を「人為的に産出増」する(農業)「生産経済」依存への移行転換が可能になった。

・ただし、この新たに登場した「生産経済」は、人為的に産出増できる「余剰生産(穀物食糧)」の支配獲得抗争を共同体内で発生させ、その占有支配に成功した「支配階級」と、余剰生産することでのみ生存を許される「生産階級」とに「共同体」を「階級分裂」させて「(階級制)生産経済」に移行転換して安定的な定住定着化を実現でき、「大型種子植物の生育可能域」全域に広域拡散することが可能になった。

・「階級制生産経済」は、これまで全世界に拡散していた「獲得経済」共同体の「広域テリトリー」の一角(群生地)に定住して占有支配するので、「経済共同体」間での「大型種子の群生地」の占有支配を巡る「経済圏間」抗争をもたらしたが、人為的生産による穀物食糧を余剰産出できる「階級制生産経済」が、その経済的優位性によって占有支配を維持でき、その結果として「獲得経済」は、自らのテリトリーを「抗争圏外にシフト」するか、抗争圏外で新たな「大型種子植物」の群生地を発見して自ら「生産経済に転換」するか、の選択が迫られ、紆余曲折はありながらもその繰り返しの果てに、「生産経済」転換不能な地域へのテリトリーの移動を迫られた。

・こうして、これまで全世界を覆ってきた「獲得経済」は(まだ地球上に残されていた、寒冷地、乾燥地、海岸や山岳地、森林地帯等)のような「農業不能域や不適域」への移動を迫られたが「階級制生産経済」は「農業生産不能域や不適域」にまで領域拡散できないので、「獲得経済」は「農業不能域又は不適領域」を争うことなく占有支配継続できてここで生き残ることができ、両「経済圏」間の抗争はここにきて一段落し、各々の適地で各々の「経済圏」を住み分ける「平和共存」時代が訪れた。

・ただし「獲得経済」の食糧資源獲得は不安定なので、飢餓が訪れると、狩猟道具を武器として「生産経済圏」に攻め込んで収穫穀物を略奪し、更には支配階級を排除して自らが支配階級となることも度々発生してはいた。

西欧は海流によってやや温暖で「生産経済」適地であったが「獲得経済圏」との境界が「海峡」で分断されていたことで(中国等とは異なり)その脅威の影響は少なくて済み、生産経済を発展させることができていた。

また、氷期終了で氷結が溶け、海面が140mほど上昇したことで「米大陸」や「オセアニア大陸」はユーラシア大陸から分離され、この地域に関しての「経済圏間抗争」は大航海時代後にまで持ち越されることになったが。

 

  •  「生産経済」の成長拡大と「交換経済」の発生

 

・西欧では比較的に平和が持続し、海流の影響を受けて比較的温暖だったことで「階級制生産経済」は定着して成長でき、「(開墾継続による)耕作面積の拡大」や「(三圃制や鉄製農具の発明等による)農業技術の進化」によって「生産力」が急増し、「生産階級と支配階級」の合計人口の自家消費分を超える「余剰生産」食糧 (以下「残所得」と呼ぶ)を持続的に産出できる生産力水準に達することができ、この「残所得」分を既存の「(支配、生産)両経済主体」では消費しきれないので、階級人口増をそれぞれでもたらしつつも、「生産階級」からの分業的生産としての「生産と交換」を担う(「経済主体」として)「商工階級」人口を発生、成長させて (「職人」による「非食糧消費財の生産」と「商人」による各「経済主体」間での「交換」)とによって (生産、支配の) 両階級の「残所得」と「職人生産物」との商人による「交換」を実現することで有効消費増が得られ、かつ、同時に交換により「商工階級」にも「残所得」を交換獲得させて(「残所得」分の消費による生存と再生産) としての有効消費が実現し、相互に経済的発展が得られた。

・「残所得」で「商工階級人口」を形成する「階級制生産経済」に進化して、「残所得」生産増による「商工階級」人口増として「階級制生産経済」国体に「交換経済」領域を拡大し続けて「有効消費」増を継続的に実現できることで、本来なら「自家消費目的の食糧生産増」は停滞して生産調整することになるはずだが、「生産増」の目的を「自家消費」から「交換目的」に移行転換することで、「残所得」生産増を経済成長のエンジンとして生産拡大し続ける「階級制生産経済」国体に進化させたことで経済発展が持続して、その中での「交換経済」領域が量的に拡大し続けて、国体を質的に「交換経済」化転換させていった。

・こうして「残所得」発生後は、「支配階級」「生産階級」に新たな「経済主体」としての「商工階級」を形成増し続けることで有効消費増が得られ、経済成長を持続できる「(3階級構成での)階級制生産経済」に進化した。

「残所得」の発生後は「交換経済」領域を拡大し続けるので「階級制生産経済」のそれ以降の生産増目的が「自家消費目的」から「交換増目的」に転換し(「交換経済」領域は「商人による貨幣使用での間接的物々交換」に依存して交換が実現できる交換法則の制約を受けるので)「貨幣経済」化転換して、まず「貨幣」を(商人から)「交換獲得」して、その「貨幣」で「需要物、欠乏物」を交換獲得して有効消費できることになるので、「貨幣」を(交換で)獲得する為の生産増(=実質的な貨幣生産)に本質的に移行して「階級制生産経済」を拡大し続け、内実、実体は「交換経済=貨幣経済」領域を「階級制生産経済」国体内で拡大し続けた。

「商人」による「貨幣経済化」領域を「生産経済」国体内で量的拡大し続けたわけである。

・また穀物食糧の余剰所得としての「残所得」は、国外でしか生産、産出できない「特産物」や、国内生産では不足する「原料資源」のような「需要物、欠乏物」を「国際交易」によって獲得することも可能になるので、その分の「国内職人増」を抑制してしまうことにはなるが、必ずしも国内「職人生産」だけに依存せずとも「商人」さえいれば「残所得」と「国外産出物」とを交換して有効消費することも可能で、その意味で「交換経済」領域での主役は「商人」、といえることになる。

・「残所得」発生後の初期段階(=国内交換市場が未発達)では、例えば「隊商」による陸路での「遍歴商人」や「交易船」での国内外の往復による「残所得」と「欠乏物」との交換による有効消費化も実現していたこともあり、「商人」さえも「国外商人」に完全依存できたが、「残所得」増により、国内「商工階級」を「経済主体」形成できるようになると、国内で「職人工房」による持続的な需要物の「生産」と「城下町市場」での「商人」による貨幣使用での持続的「交換」による有効消費増が実現定着できて「国内交換経済」領域の自主的な成長拡大が進むが、ここでも「商人」が「交換経済」の主役として市場を(「貨幣」で機能させて)「職人」に(「支配」「生産」「商人」)の「欠乏物」を生産させ、相互に交換獲得して有効消費増できるので、「国内交換経済」の主役も「商人」が主役、ということになる。

 「交換経済」は経済発展のエンジンとなっていった。

・話しは変わり(「地政学」上で)ユーラシア大陸北西端に位置していたやや温暖な西欧は(中国等とは異なり)「階級制生産経済」圏(欧州大陸圏)と「獲得経済」圏(北欧)とが海峡を隔てて住み分けしていた為、海峡が障害となり「獲得経済圏」から「生産経済圏」への略奪や侵略支配は少なくて済み軍事的な財政支出もないままで「生産経済」が定着でき順調に拡大進化でき、国内「交換経済」領域の拡大に留まらず、「生産経済圏」の港湾地域に(生産経済の「支配階級」の直接的支配を免れた「国際交易商人」を自治圏内での「国際交易商人」を実質的な支配階級とする)「国際的商業自治都市」が誕生して、大量輸送可能な船舶を使用する「(国際的経済圏間)交易」が営まれ、成長拡大したことで、北欧の「獲得経済圏」は「略奪や侵略支配」に依存せずとも、交易による「有効消費」が実現できたことで更に共存共栄でき、戦争による消耗や被害をお互い免れて「国際交換経済の拡大」が実現し、同時に「国際商人」に(「交易利得」として国際商人に)「貨幣蓄積」増をもたらして、これによって国際的交換経済拡大も実現継続させることができた。

 「階級制生産経済」での「残所得」生産増の継続は、各階級(経済主体)での有効消費の拡大による経済的発展と同時に、交換経済での「商人」、特に自治権のある「国際商人」への交換時での「所有権移転」を「貨幣形態」でもたらし「国際商人」の「貨幣蓄積(=生産)増」に帰結させ、それにより「国際交易」を拡大再生産した。

 資本主義生産での本源的蓄積は、マニュファクチュア生産とかではなく、「国際商人」の「貨幣蓄積(=生産)」であり、これを交換媒体として使用するだけではなく、担保として貨幣不足による貨幣需要の高まりの中で「信用貨幣」の有利子発行を実現でき、これが産業革命型の機械動力化工場生産としての「擬制金融資本主義生産」を可能にした、のである。スタートから「金融資本主義」での国際市場の拡大対応用の「擬制資本」に依存した「生産様式の最適化」でしかない、というこ。話を戻す。

・この西欧、北欧間での「(国際経済圏間)交易」とは、

「生産経済圏」には(程度の差はあれ)国内に「商工階級」人口形成できる「余剰穀物」としての「残所得」があり、「獲得経済圏」では、そもそもの安定食糧としての「穀物」生産ができない為にその「欠乏、需要」があり、商工階級人口形成もできずに経済発展も遅れたが、その一方で「寒冷地、沿岸、森林、山岳地」特有の「特産物」や「余剰資源」(=毛皮、革、干し魚、木材、鉱物資源、等)」には恵まれ、かつ「生産経済圏」にはその「欠乏と需要」があったことで、両経済圏での「残所得」と「余剰資源」との「物々交換」による「相互所得移転」ができれば、相互に「欠乏物」を交換獲得できて有効消費増できるので、「(経済圏間)交易」は発展拡大し、同時に交換に際して「交換物」から(「商人経費+α」を)部分的に所得移転できて「自治都市国際商人」には「商業利得」を(国際交換では金銀等の「金属実貨幣」での物々交換が原則なので)「貨幣蓄積増(=生産増)」もたらし、その富で「国際交易」拡大も実現し続けていった。

・また「階級制生産経済」の世界的広域拡散によって、遠隔地の「生産経済」間での地域偏差による「特産物等」の交易交換(=香辛料、絹織物等)も、複数の「国際市場」を「中継」経由しながら「(東西)遠隔地間交易」として発生成長し、それを「(経済圏間)交易」ともリンク(穀物食糧⇔木材金属資源⇔香辛料や絹織物)させて「国際交換経済」領域を拡大し、やはりここでも「国際商人」に「貨幣蓄積増」をもたらして「蓄積貨幣」による「国際交易拡大」をももたらした。

・まとめると「階級制生産経済」で「農業生産」が生産力増して自給自足でき、更に「残所得」が発生すると、この分の「交換経済」領域、即ち「貨幣経済領域」を発生拡大できて、「残所得」増を(生産調整することなく)「交換経済」増に振り替えて、「交換経済」領域を拡大し続けて「有効消費増」を実現し、同時に「商人の貨幣使用」による「物々交換」で「貨幣経済化」を拡大して「商人」に(交換物からの所得移転による)「貨幣(蓄積)増」をもたらして「交換経済(=貨幣経済)」領域を拡大し続ける循環が実現した。

・こうして農業生産力拡大は、自家消費分を超えると生産目的を「自家消費目的」から「交換目的」即ち「貨幣獲得目的」に切り替えて「貨幣生産」目的とした農業生産増を継続させ「貨幣交換目的生産」の割合が量的に拡大して逆転するまでになると、「階級制生産経済」国体に弁証法的な質的転換をもたらして、実質的な「(階級制)交換経済」国体(=「貨幣経済」国体)に変質転換する。

・「階級制生産経済」は「階級制(交換目的)生産経済」に移行して「商人による貨幣経済支配」社会に移行する。

しかし、農業生産力増の継続が貨幣獲得目的化したことで、「国内農地増」が飽和して不足しだすと「残所得増」が飽和限界に到達して「交換経済」領域の拡大も停滞して経済発展が止まり、進化し発展し続けた「階級制生産経済」もいよいよその役割を終えて非自立型の「獲得経済的変質化」を既存国体に求める本質的転換が迫られた。

それは「国外農地の略奪的獲得」や「交換経済国体化転換(による交易用特産物や資源の産出生産)」か、その両方か、への既存国体の根源的転換需要を発生させ、優れていて進化していた「階級制生産経済」国体も、所詮は有限世界で永遠不滅ではなく衰退死滅しはじめる「弁証法唯物論」に支配され、約一万年弱、支配的な地位を占めた「階級制生産経済」国体社会も「貨幣経済」を土台とした(「獲得経済型」の)「交換経済」社会へ移行し、交換経済用の「非残所得」生産部門での最適化生産様式として、貨幣の進化形態としての(擬制=信用貨幣による)「金融資本主義」経済社会がこの世に誕生した。

・この移行転換後、まだたった250年しか経っていないが世に言われ定義が不鮮明な「資本主義社会」が登場した。この(擬制)「金融資本主義」経済も永遠不滅などではなく「階級制生産経済」の衰退死滅と同様に、いずれ弁証法的にその役割を終えて衰退し死滅する運命をたどることになるはずである。

それは「社会科学」という名の階級闘争としての「宗教的哲学」の普及の結果、としてではなくリンゴが熟れて木から落ちるように経済活動での最適化を求めた結果として、自然科学的、社会学的な「弁証法的」な進化を観察することになるだろう。段階的であり、程度の低い意識改革を無理に進めると、既存の旧社会主義国のような逆効果による遅れをもたらすだけである。

その為に、次章以降で「交換経済」と「貨幣」について徹底解明して、それを共有してから「ポスト資本主義」世界の考察に進むことにする。

 

 

・「交換経済」とは、自家消費分を超える「余剰生産(所得)物」所有者間での「欠乏物」獲得による有効消費の実現を目的とした「所有権の相互移転」としての「物々交換」に依存した経済制度を指す。

以下「物々交換」の交換原理を共有しておくことにする。

・「物々交換」では、「交換物」どうしでの「(W1-W2)の直接交換」ができればよいのだが、異種で量的にも異なる交換物間「W1⇔W2」の「直接的物々交換」には「欲望の偶然の二重の一致」が必要になるので、それぞれの欠乏物同士をそれぞれの「余剰物」同士で丁度埋め合わせられるような「幸運な偶然の一致」が「交換市場」内での異なる「交換物」間で起きでもしない限り、「交換物」同士の「直接的物々交換」は実現し得ない。

・例えばAが持ち込んだX量の「交換物」が、Bの持ち込んだY量の「Aにとって同等価値の欠乏交換物」であり、かつ、Bの持ち込んだY量の「交換物」がAの持ち込んだX量の「Bにとって同等価値の欠乏交換物」として過不足なく一致して「直接交換」ができる、などということは現実の「交換市場」では起こり得ない。

・交換後の消費による再生産を保証する為には、Aの欠乏物がBだけ、とはならずC、Dに跨る交換も必要となる。

「交換市場」が存在して余剰の「交換物」が数多市場に持ち込まれたとしても「貨幣」との直接交換ができない (=価値量を示す共通交換価値物(=貨幣)との交換ができない)、又は貨幣(機能)を自ら発揮できない「交換物」しか市場に登場していのであれば「物々交換」は成立せず「交換市場」が存在しなかったと同じ結果になる。

市場に交換物があれば物々交換ができる、というわけではない。「直接交換」は(「貨幣」と「交換物」」間の交換としてのみ成立できる。

・勿論、大昔、交換の継続性のない偶然得られた余剰物の「譲渡」や「互酬」、「善意の発露」や「相互扶助」としての「生活慣習的文化」に伴う「相互譲渡」等の再生産性の保証を求めない不等価交換を是認する形での「所有権の相互移転行為」としての直接的「物々交換」(W1-W2)、が全くなかったとはいえないが。

・例えば「果実」と「豚」とを交換しようとすると、何個と何匹の交換となるか、の交換価値尺度問題が生じて、交換価値尺度が求められる。この場合、果実何個が豚一頭になるのかが問題となり、再生産労働の為に必要な交換価値に内在する「抽象的的人間労働力」を反映するが、果実は季節品であり、これをこの市場で売り尽くしたい、その為には「貨幣」と交換することで、その後にその貨幣で肉を少しずつ買い続けて有効消費する、という(貨幣に蓄積機能を与えた)時間差交換が求められる。

即時物々交換だけでなく、貨幣に交換価値尺度機能と貨幣形態での蓄積機能が求められ、それは貨幣による「貸し借り」の発生証明の機能を意味するが、時間差交換対応させる為に(蓄積機能を求めて)「金属商品貨幣G」に貨幣を収斂させ、交換市場を時間差分拡大して市場継続させ、その拡大と共に「金属貨幣」を不足させるので、「金属貨幣」を「借用書」で代行する「貨幣の進化」をもたらす。これにより交換市場の停滞、抑制化を打破でき、「信用貨幣」(=負債証明書)時代に進化させて現代にいたった。話を戻すと、

・「間接的物々交換」による「交換物1-貨幣」(W1-G)と「貨幣-交換物2」(G-W2)の二段階での「(貨幣と交換物)との直接物々交換」=「(W1-G)→(G-W2)」によって、 (W1-W2)の「直接交換」がさも実現したかのように迂回的に実現するので「交換経済(物々交換経済)」には「貨幣」(又は貨幣機能代行交換物)の存在が初めから必須となっていたことになる。「交換経済」とは「貨幣経済」そのものであり、たまたま当初は「(専用)貨幣G」のない「物品貨幣G’」段階で代行していただけにすぎない。

 「貨幣(又は貨幣代行物)」が「交換経済」での「物々交換」を実行した、即ち貨幣自体が交換市場なのである。

・「貨幣」は「交換価値(尺度)を自ら体現できる実体価値物」としての交換価値物(の一つ)として市場に現れ、交換市場としての(W1-G)交換を機能させて、後半の「貨幣-交換物2」(G-W2)にたどり着いて物々交換を完了する。

貨幣のなかった時代には、貨幣代行可能な「交換物」現物を価値尺度表現の可能な「物品貨幣G’」として扱い(W→G’)、その後に後半の「(G’)-(W2)」交換を実現して(G’→W1)に戻して、即ち貨幣機能を放棄させた現物として「物品貨幣G’=W1」として(W1-W2)交換として有効消費する=市場が終了してしまう、のである。

・専門の「商人」による「貨幣G」使用での交換の場合は、

「交換物W1所有者」と「貨幣G所有商人」との直接交換による「(W1-G)」によって「商人のW1所有者化」と、「交換物W1所有者の貨幣G所有者化」が実現し、次に「貨幣所有者となった元W1所有者」による(G-W2)が実現できて、(W1-G-W2)として、あたかも(W1-W2)の直接物々交換が実現したかのように実現し、この「W2所有者」となれた「元交換物W1所有者」は、交換目的を達成し終わり、市場から退出して、W2を有効消費しつつW1その消費過程で再びW1を再生産する消費生産過程に入る。

・次に新たに「貨幣G所有者」となった「元W2所有者」 

 は「商人所有のW1」との直接交換が可能となり(G-W1)交換ができ(W2-G-W1)によって(W2-W1)交換が実現し同様に市場から退出してW1を有効消費しつつW2を再生産する。

 「商人」は「W1所有者」から再び「貨幣G所有者」となり、交換は期末となり期首ともなる。

結果としては、交換希望者の(W1-G-W2)と(W2-G-W1)と商人の「G-(W1-W2)-G」とが実現することで交換希望者の(W1-W2)と(W2-W1)とが実現する。

これが(物々交換)市場の内実である。ただし商人は(G-W-G)で、交換希望者の希望だけしかこの表式では実現しておらず、「商人の希望、目的」としての (G→W→G’)又は「(G-⊿G’) →W→G」又は両方、での「貨幣蓄積(=生産)増」の仕組みにここでは触れていないので、この後の章で詳細に解明する。

・「商工階級」の発生と定着によって「交換経済」領域形成できる段階になると、市場発生ごとに現れては消滅して消費する非常勤的な「物品貨幣G’」の段階から、市場が継続定着して拡大する常勤的な「金属商品貨幣G」への進化を遂げることができる。

 この貨幣の進化は、「物品貨幣G’」による即時交換から、一旦 (W1-G) での「貨幣G」段階で止めることを可能にし、その後に (G-W2)を実現して、非即時交換による交換市場の継続拡大を実現する。

(G-W2)を担保する貨幣蓄積段階の継続性を担保する貨幣の進化をもたらす。

 ・「交換市場」では「商人(又は商人機能代行者)」による「(貨幣G)が交換物として持ち込まれ(又は貨幣代行物としての適性を備えた「物品貨幣G’」が交換物の中から選びだされて)」「(W1-G)直接交換」、か 「(W1→G’)選定が先に行われて貨幣を代行できた場合にのみ、目的「欠乏物W2」の即時交換獲得(G-W2)を実現して「(W1→G’)-W2)」として(G’→ W1)として(W1-W2)直接交換できたかのように実現する。

「貨幣の交換獲得(又は貨幣代行物の選定)」での「貨幣との交換」によってのみ「物々交換」は実現成立できる。

・この交換方式は「経済主体」としての「商工階級」が形成される進化により、「商人」によって専門的な「貨幣G」交換物の持込によって「G-W-G」が実現して各「経済主体」の再生産と存続の為に、等価交換性を担保した交換を実現し「生産交換循環」の継続(=商工階級の再生産継続)に必須な交換形態を実現できる。

  「貨幣」は、昔からのその場凌ぎの臨時貨幣「物品貨幣G’」の段階から、専任貨幣としての「金属商品貨幣G」に収斂させ、進化させた。

  「貨幣の進化」が「物々交換市場」を規定し、貨幣のない「交換市場」は交換ができずに機能せず、交換市場の交換範囲や交換速度は「貨幣の進化」に規定されるので「貨幣」は「交換市場」の実体そのもの、といえる。

 ・「金属貨幣G」に収斂させて恒常的貨幣とすることで、「(W1-G)→(G-W2)」での二段階分離での直接交換を実現して(=蓄蔵手段として)交換市場の継続性を実現したことで、交換市場を拡大するだけでなく、貨幣の有効消費化を奪い(=交換市場に残り続けて交換市場を実質常設化することになり、専用貨幣価値物Gに有効消費化が訪れるのは(=鋳つぶして貴金属装飾品や食器として有効消費できるようになるのは)交換市場が廃業閉鎖する場合に限定されて訪れ、有効消費化が初めて可能となる。

・「交換経済」では、有効消費増目的の為に、貨幣との交換獲得目的での自己目的化した「余剰交換物の生産増」が行われ、その生産増分の交換(W1-G)需要の為に、或いは「蓄蔵貨幣」段階分で、市場での貨幣が (G-W2)でのGで不足して貨幣不足を生じるので、その合計分の「貨幣」需要が発生する。

「交換経済」領域拡大の局面では、(広域拡大した「階級制生産経済」全般での「残所得」生産力の高まり)交換経済の拡大に帰結することで生産力増が継続し続けるので、「貨幣G」不足に悩まされ続け「貨幣」という交換市場が閉鎖消滅でもしない限り、有効消費できもしない生産物を生産増継続しなければならず、「商品貨幣G」そのものに進化が求められていた。

有効消費不能な生産物生産に貴重な生産力を奪われることになるから、であるが、かといってそれを拒めば交換市場の拡大を抑制してしまうので、必要悪を受け入れた。

・以上から「貨幣」と「交換市場」との関係は「交換市場がまず先にあって」その後に「便利な交換道具として貨幣が登場」して便利になり交換を加速した、という前後関係ではなく、「交換経済」は「物々交換」での交換原理によって、「貨幣機能」の存在による直接交換ができて市場がはじめて機能する、できる、ので同時発生していたが、当初は貨幣のまま残ることのない(=後世で貨幣として発見されるはずのない)有効消費されてしまう「物品貨幣G’」依存ではじまったことで、有効消費されず二段階直接交換で前半で蓄積残存した「金属製商品貨幣G)」段階が可能なように貨幣進化を遂げたことで「歴史的な最古の蓄積貨幣段階としての鋳貨の発掘発見」が可能になり発見されたにすぎない、ということである。

・「交換市場」では、その開始から既に「貨幣代行交換物」があった時にのみ「物々交換」が成立した、ということであり、「物々交換」が「間接的物々交換」としてしか、即ち「貨幣との交換」又は「貨幣に依る交換」でしか「直接的物々交換」には到達し得ない、という交換原理による。

・しかし、市場での交換需要の飽和限界に「階級制生産経済」での「残所得」生産力が到達してしまうと (交換経済需要をも飽和させてしまうと)過剰生産状態に移行して「貨幣」と交換のできない生産継続となって、生産調整を余儀なくされる。(既に貨幣との交換目的生産に移行していたので)

あえて生産継続して貨幣を交換獲得したいのなら「交換市場」を拡大して需要増させる、しか方法はない。

・同時にそれは生産側での生産拡大ができなくなる等の生産限界を迎えてしまうと(開墾農地の不足による生産飽和等)、今度は生産拡大の為に「農地用領土」を「国外から獲得」しようと「獲得経済状態化」転換する。

それは工業製品を資本主義的に生産する場合でも全く同じで「原料資源」や機械生産化の為の「金属資源」や「動力資源」「労働力資源」の国内生産限界による不足分の「国外からの獲得」増が必要で、「資源と市場」を求めて「獲得経済状態化」転換しようとする。

・市場での「需要規模」も、生産での「資源」供給も有限なので、無限に拡大し続けることはできず、いずれ世界単一のグローバル交換市場化すると、最終到達点を迎えて、到達後は生産増を停止して生産調整、又は縮小せざるを得なくなる。

需要も供給もその時々で有限であり、「国際交換市場」の拡大が飽和して需要拡大できなくなれば、生産側での「生産調整」を余儀なくされる時代は必ず訪れ、資本主義生産であっても、過剰生産化に怯えることになる。

・「交換経済」化、とは「非自家用消費物」の「交換目的での生産増社会」=「商品」生産増社会 =「貨幣獲得」目的での生産増社会、に移行することを意味し、「生産経済」で自家消費分を超えた生産力が得られると、それ以降の生産増分の全てが「交換経済」に移行してその領域を拡大し続け「交換経済依存での生産が拡大」するだけなので(=単一経済主体の社会で全く必要のなかった)「交換経済での物々交換の為」の「貨幣生産、貨幣の交換獲得を目的」とした「貨幣生産」社会に移行することになる。「交換経済化」とは「貨幣経済化」である。

 

  •  「貨幣の進化史」

 

・「第一段階」は、「生産経済」体制の中で、自然発生的、非目的的な生産余剰物を「欠乏物」と「物々交換」して有効消費化しようと「市(いち)」に「交換物」を持ち寄る。

そして持ち込まれた各種の余剰「交換物」の中から、貨幣で欠乏物を直接交換獲得する為の(貨幣機能を代行できる)「物品貨幣G’」を選定して「直接交換獲得」する「(W1→ G’)ことから始まる。そして「G’-W2」が実現してG’を市場外に持ち出して貨幣機能を失効させると(G’→ W1)に復帰して(W1⇔W2)の物々交換が実現する。

もし「市」に貨幣代行できる交換物が選定できなければ(W1≠G’)となり(G’-W2)に進めず「市」は閉鎖される。

・「市」に持ち込まれる「交換物」の構成はその時々の「市」ごとに異なるので、歴史の「記録」に残されている「物品貨幣G’」は200種以上の記録があり、例えば、

「米、麦、トウモロコシ、酒、塩、砂糖、たばこ、各種金属類(秤量)、宝石類、貝殻、石、織物類、皮革、武器、家畜類、奴隷等々」と市場の数だけ「物品貨幣G’」が存在した、と言える程に多種多様であった。

「物品貨幣G’」の中でも実際によく選定された交換物としては「米、麦、酒、塩、織物類、金属類等」に収斂していき、いずれも分割(「升」や「天秤」で)が可能で価値量を表現できた。

この(交換価値尺度を表現できる即時交換用の)「物品貨幣G’」に依存した時代は「残所得」生産が恒常的に産出され「商工階級」が形成されて定着するまでの期間は、この貨幣形態が続いていたはず、と考えられる。

・「第二段階」は、「残所得」を恒常的、目的的に発生して「商工階級」が形成され「交換経済」での常設的交換市場に(即時交換だけではない)「季節差や時間差」を伴う交換をも可能にして交換範囲を拡大する為に、「物品貨幣G’」から市場外での有効消費化転換機能を奪い、「物品貨幣G」として貨幣を非常勤状態から専任常勤化して、交換市場内での滞留保管をも可能にする為に(耐久性、保存性)に優れた「物品貨幣G」を(銅、銀、金)のような「貴金属物品貨幣G」に絞り込んだ。

・保管蓄蔵に耐えうる、また市場が継続する間は、永続的使用可能な「貨幣G」が求められ「金属貨幣G」は「表記貨幣化=鋳造コイン化」して、交換時の秤量を省略し、個数カウントで量を表示できて「物々交換」を加速できたが、減耗や、悪意の削り取りによる価値減、貨幣生産コスト増問題に悩まされ続けるが、交換経済の拡大でコスト吸収して凌いでいた。

この時代は3000年程度続き、現在も併用されている。一般に「貨幣史」と言われるものはこれ以降を指す。

尚、この「物品貨幣G’」から「金属の専用貨幣G(鋳造コイン)」への進化した段階でも、貨幣それ自体が担保価値物であるある貴金属の「金属商品貨幣G」であることに変わりはなかった。非常勤が常勤化しただけ。

・そして「第三段階」は、「第二段階」で「物々交換」が「金属商品貨幣G」によって「(W1-G)→(G-W2)」、即ち「貨幣との交換」「貨幣による交換」の二段階直接交換への分離が可能になって常勤化したことで、本来の「貨幣による交換」の為の「貨幣との交換」から「貨幣との交換(=貨幣の蓄積段階)」と「蓄積貨幣による交換(による消費段階)」とが分離されて、「物々交換」での即時交換性を阻害し、「貨幣による交換(G-W2)」が(蓄積貨幣段階分)「貨幣不足」となって交換経済を抑制する現象が発生した。「貨幣不足」による デフレ化である。

・「物品貨幣G’」の場合なら、に即後半が実現する「(W1→G’)-W2」ので (G’-W2)=(W1-W2)が実現するが、常勤の「金属貨幣G」に収斂させた後は「(W1-G)→(G-W2)」での「前半 (W1-G)」段階で (貨幣G)段階での滞留(=貨幣蓄積)が可能になり、後半部の(G-W2)での「貨幣G」が

蓄積段階分不足してしまい交換縮小するので、「商人」は、蓄積貨幣段階(貨幣G)分を商人発行の「借用書」=「信用手形G’」で「貨幣不足」を解消して(G’-W2)として「蓄積貨幣G」補って実現する。

この発行「信用手形G’」は、蓄蔵貨幣Gが増加し続けるのであれば、「G’」のまま「物品貨幣G」を代行し続けることができ、更に増加分を追加発行増するし、しなければ「物々交換」経済が収縮してしまう。

 ・他方で「蓄積貨幣G」が縮小し始めると、その分は市場に投入されるので、即ち「(G-W2)」が続き、市場内が貨幣過剰となり、その分の「信用手形G’」を回収して廃棄しなければインフレ経済化する。

時間差交換は、交換市場の持続を意味し、いつでも市場に戻って「後半部分」を実行できるので、蓄積貨幣がたとえ市場外で保管されていようとも鋳つぶすなどして有効消費はされず、市場内で保管されるのと変わらない。

価値物としての「商品貨幣G」が(商人に)蓄積され交換経済も拡大したことで、たとえ「商人」の蓄積「貨幣」が交換過程で運用されて「商品」形態となっていたとしても、それには担保価値があるので、その価値分の「債務証書=借用書」の発行は可能になる。

実体価値物同士としての「貨幣」と「交換物」との「直接交換」に代えても「借用書=信用貨幣G’」を「商品貨幣G」代わりとして「実体価値物」との「直接交換」に使用することで、例えば「交換経済」の急拡大による交換用「貨幣の不足」を補える。

商人の「債務証書」と「交換物」との直接交換、即ち「交換」を「貸借」にした形での「(信用)貨幣生産G’」としての「貨幣」の画期的、革命的進化をもたらした。

「貨幣生産コスト」は「貴金属採掘精製労働」から「借用書の印刷労働」に圧縮できて「貨幣不足」を解消できた。一方で、担保分以上に乱発発行することも可能だが、貨幣量が交換物量を超えて流通して貨幣価値が下がりインフレ化するので「信用貨幣G’」の過剰発行分を「貴金属貨幣G」との交換が求められることになりインフレを治めることになる。

「金属貨幣G」なら「価値物としたまま蓄積」でき(鋳つぶして有効消費化もできるが)「信用紙幣G’」は無価値の(=借用書)でしかないので、商人が債務清算して貨幣代わりに交換回収すれば、用済みの借用書を回収できたことになり、廃棄し処分すればよいだけ、となる。

・この「信用紙幣」発行増の可能な時代とは、生産増による市場の急拡大での「貨幣不足」対策だったが、「戦争(による国の貨幣不足)」や「産業革命型(資本主義生産化による貨幣不足)」を「信用貨幣発行増」によって生産力拡大させて、交換市場を拡大する為にも利用できた。

 「交換物の生産拡大」による「交換経済」拡大需要に対する「貨幣不足」解消の為ではなく、「借金増」によって交換市場を拡大して生産拡大する為の「信用貨幣G’」の拡大であり、「交換市場」で需要拡大できれば有効に働くが、拡大し続けるか、返済清算することが前提となり、拡大継続できなくなれば返済清算できずに破綻する。

 現代は「第三段階」の「信用貨幣G’」発行に依存した「交換経済」社会であり、交換用「生産増」を前提としてのみ成り立つ「産業革命型資本主義生産様式」依存の世界なので、この章以降にその構造を解明するが、まず

ここでこの章の本題、「貨幣史」を確認しておく。

・「第二段階」では、最古の「貨幣」として、約2600年前(前6~7世紀)の古代トルコの「リディア王国」の「エレクトラム鋳造コイン(=金銀合金)」が、また「第三段階」での最古の「紙幣」として(960~1127年)古代の中国「北宋時代」の「交子(紙幣)」が発見されている。

それ以前の「第一段階」、即ちこれらの「貨幣や紙幣」の遥か昔の時代から「物品貨幣G’」の文書での記録はあり、貨幣や紙幣の発見以前から「貨幣は既に存在していた」が、「物品貨幣」は、交換後に有効消費されてしまうので、貨幣の痕跡を発見できるはずもなく、いつから「物品貨幣」が使用されたのか、も文字の発生以前ということしかわからず、発生時期は不明である。逆に「交換経済」が文字を発明させたとの説さえある。

・「金属貨幣G」に依存して時間差交換による貨幣段階での蓄積が可能になり、次に時間差交換を「借用書(信用紙幣)」で貨幣代行させる形での進化をもたらした。

「信用貨幣」の登場は(有効消費できない、無駄な生産物としての)「金属貨幣」の生産をなくし「交換経済」の拡大に伴う「金属実貨幣」の不足を(印刷代だけで短時間に)解消でき「交換市場の急速拡大」や「借金」での「交換市場拡大」を可能にした。

この「信用紙幣」の時代は約1000年、断続的に続き、現代に至っている。

・この「第三段階」の「信用紙幣」を世界初で登場させたのは、中国、北宋時代(960~1127年)の「交子」紙幣であった。

北宋」での商工業の急速な発展により、大量の「交換物」が(「銅銭」との交換を求めて)「交換市場」に集まり、商人が市場に持ち込んで交換に使用する当時の「金属貨幣」であった「銅銭」の生産供給が間に合わず「交換経済」の拡大対応が銅銭不足で抑制阻害される」ことを避ける為、商人個人による「信用手形(=短期借用書)」発行としてではなく「16人の富豪商人組合」としての共通の「(無期限)信用手形」としての「交子 (信用紙幣)」を「銅銭」との兌換を保証して発行し「銅銭」代わりに流通させて「銅銭」不足を補い、貨幣代行させて「物々交換」の拡大対応に成功した。

半ば公共性を帯びた無期限「信用手形」としての実質的な「信用紙幣」発行の形での貨幣生産増であった。

・「信用紙幣」で代替すると、もしも「交換市場」の成長拡大が停止、又は収縮すれば、「銅銭」生産増は停止されて、交換に使用されないで商人に死蔵蓄蔵されることになるのと同様、紙幣の発行増も停止し、市場に流通していた紙幣が商人に回収され死蔵されることになるが、もともと「商人の借用書」発行でしかないので、貨幣として回収した「商人の借用書」に実体価値はなく、交換回収で清算が済んだので「商人の借用書」なので用は済み、廃棄滅失させてよいし(将来の市場拡大での発行に伴う印刷代の節約)の為に保存しておくのも良い。

 ・しかし、この「信用紙幣」発行での「交換増」の実現に目を付けた当時の「北宋政府」は、商人組合の「交子紙幣」の発行を禁止して、「北宋政府」自らが「交子」紙幣を印刷発行して交換市場で「交換物」を交換獲得したことで「通貨発行益」(「紙幣の額面と実価値(=印刷代+紙代)」との差額)の「通貨発行益」が得られ、この場合、「銅銭」に代わる「偽硬貨を作ったことになり」「不等価交換」を交換市場で実現して「有効消費」を実現した。

・それでも貨幣不足による「交換市場の拡大障害」が(偽硬貨による貨幣増で)解消でき、銅銭代わりに交換使用されたので、市場の拡大分の範囲内での「信用紙幣の発行分」なら問題を起こすこともなく、政府財政を潤わせつつ「交換市場の拡大需要」を実現できた。

「政府発行の交子紙幣」の発行分を「課税」によって回収する必要もなくて済んだ。

しかしこの「信用紙幣発行増」は、市場での「物々交換の拡大による実貨幣不足分」を補う範囲内に限定される「通貨発行益」でしかなかったが、「交換市場」の拡大が停滞、縮小する事態に遭遇すると、「信用紙幣の追加発行」は交換市場での貨幣増によるインフレ経済化(通貨の価値減)をもたらすが、「通貨発行権」の行使依存による「通貨発行益」依存の政府財政は追加発行の継続をやめられず、追加発行分は「増税」して市場から回収しなければインフレを抑止できずに貨幣価値を喪失させ、市場での交換に「銅銭」による実価値貨幣が求められる。「信用紙幣」の価値が下がるので、市場は「銅銭」への兌換交換を求めても、政府に銅銭があるはずもなく「増税を強行」して内乱を誘発させ、もともと銅銭貨幣を蓄積保有している「商人」から「借りる」しか方法がない。結局、「信用紙幣」の発行権を商人に戻すことになり、政府財政は破綻する。

・「政府」には、信用紙幣の流通量、発行量を調整管理する能力はなく、発行し続けて「通貨発行益」を政府財源として得ようとするので、「交換市場」を収縮させて、政府は財政破綻して増税依存となることで崩壊する。

北宋」政府の場合は、戦時となり、倍額の信用紙幣を発行し続けてインフレを招き「交換経済」を混乱縮小させ、財政破綻して崩壊した。世界初の政府「信用紙幣」発行による破綻の初事例ともなった。

北宋崩壊後「金(きん)」の時代を挟んで「モンゴル帝国」が勃興してユーラシア大陸を広域に一元支配して「グローバル経済化」が実現した。その背景には世界の「生産経済」国が経済成長して「交換経済」化需要が高まっていた時代に、幾多の障害があって「国際交換経済」拡大できないでいたが、各種の障害を除去して国際交換市場(シルクロードの東西国際交易)拡大を実現した。

(それまでの「遠隔地間国際交易」での陸送物流で、通過する「主権国」や「城塞都市」ごとに、自給自足的「生産経済依存国」はバラバラな「通行税」がそれぞれの通貨で課せられ、国際的な陸送には治安上のリスクも大きかったが「モンゴル帝国」による一元支配で治安も改善され「通貨」も「銀」で統一し、為替制度も導入し、「通行税」も一律化したことで、グローバル「国際交換経済」は飛躍的に急成長して世界史上初の「グローバル経済」化を「銀」を基軸通貨として実現した。

・ところが「グローバル国際交換経済化の急成長」は、統一基軸通貨「銀」の激しい不足をもたらし、モンゴルは北宋時代の「交子(紙幣)」に倣って「交鈔(紙幣)」を大量に政府発行して「当初は銀との兌換、その後に専売の塩との兌換を保証して、銀貨幣不足を解消し、モンゴルは「交鈔(信用紙幣)」を発行して「国際交換経済の爆発的拡大による貨幣需要増」に応えて発行し続けることができ「通貨発行益政府財源」を獲得し続けた。

・しかしグローバル交易圏の広域拡大は、ローマ時代や現代にも通じるが「市場支配領域の成長拡大が止まる」と「基軸信用通貨での適用範囲の拡大が停滞」して「通貨発行益」の拡大域を喪失させて財政停滞させるが、通貨発行限界を超えても発行して北宋の轍を踏むことになる。

モンゴル帝国の場合は、グローバル国際交換経済化によるの負の側面、即ち、中国の一地方で発生した「ペスト」を世界交易ルートに乗せて全世界に拡散して世界的な「パンデミック」を引き起こし(1330年頃~1350年には西北欧まで拡散)、世界総人口の約1/3を失い、生産、交換経済を急激に委縮縮小させ、信用通貨発行増による通貨発行益が獲得できなくなるどころか「交鈔紙幣」の信用を失墜させてインフレ化し、モンゴル帝国財政破綻をもたらして、市場では「金属実貨幣」での交換が復活することで復興しつつ「交鈔(紙幣)」をただの紙屑としてしまったことで、モンゴル帝国も崩壊していった(1368年、朱元璋の明により中国からも追いだされる)。

・現代に通じる教訓にもなるがグローバル経済化により「北宋の二の舞」を大規模化して繰り返した結果となり、この後に再び「金属実貨幣」の時代に戻ることで「交換経済」が徐々に復活した。

特にモンゴル時代に、日本の金をガラス製品と交換して蓄積していた「オスマン帝国」が「金貨幣」で「武力」を獲得して金を通過とした「交換経済支配領域」を拡大して、東ローマ帝国も滅亡させ、地中海領域をも支配下として陸路と地中海経由での「東西遠隔地交易」を実質遮断してしまったことで、イタリアの商業自治都市が衰退し、彼らが見切りをつけて移動して、交易中心が地中海からスペインポルトガルの大西洋交易に移動して、この後の「大航海時代」を迎え。

結局は「陸路と地中海を結んだグローバル東西国際交易は破綻して「大西洋海路」グローバル国際交易として復活再生していくことになる。

・日本では、今から約1500年以上前に中国から「銅銭」が伝わり、当時の「交換市場」の拡大活性化を実現した。

それまで貨幣がなかった、のではなく、市場での「物品貨幣」としての「貨幣代行物」によって「物々交換」を実現できる範囲で実現していたが、この下地の上に専用貨幣としての「銅銭」が中国から持ち込まれて「物々交換」市場を加速拡大できたことで専用貨幣としての「銅銭」需要は高まり、貨幣の国産化も実施した。

その後「朝鮮通信使」でも、日本の市場での「貨幣(銅銭)」流通経済を見て、自国にも取り入れようとした記録もあり、朝鮮も少し遅れたが同程度だったことになる。

 

  • 「交換経済」での「商人」の「貨幣の生産蓄積」

 

・「階級制生産経済」での発展成長期の「残所得」の交換市場への持込みが継続し拡大する「交換経済」領域拡大期には「交換物(=残所得)の増加」に応じた「貨幣生産増」が(「交換経済」を担う「商人」に)求められる。

それは「商人の(貨幣による)商品との「直接交換(=仕入れ)」と「(仕入れた商品の)販売(=貨幣の交換回収)」とによる交換市場での「(直接的)物々交換」の反復連鎖で、商人による「(貨幣)と(交換物)との直接交換」時に、「商人」は「交換物(所得)」の中の一部から(商人経費+商業利得)分の所得を「等価交換での(貨幣G)」から控除する形で所得移転して)交換し「商業利得分」の「貨幣」増を生産する。

・市場の「交換増」需要に対しては、その「貨幣生産増」の範囲内で「交換」の拡大に対して貨幣対応できる。

「商人」が「交換」時に「不等価交換」(にあたる「所得移転」)を織り込んだ交換、即ち (商人の「交換に要する実経費支出の再生産分と、更にそれをも超える「商業利得」としての所得移転)を実現して「商人」に「貨幣蓄積増(=実質的な貨幣生産増)」をもたらす。

・「生産経済」での余剰の「残所得」が発生し拡大すると、その全ては「交換経済」に依存して有効消費化しようと「交換市場」に持ち込まれるが、交換者に有効消費化をもたらすことで「余剰生産を交換目的」で生産継続し続けることができ、また「交換経済」を機能させる「商人」に、「貨幣形態」での蓄積増としての生産増、を可能にさせ、帰結させる。

まず、この「商人」による「貨幣」の「本源的蓄積(貨幣生産)」の「構造」を解き明かすことにする。

・「残所得W1」と「職人生産物W2」との等価での「物々交換」は、これまでしつこく述べてきたように「(W1-W2)間での直接交換」ができない為に、「商人」の持ち込む「(貨幣G)との直接物々交換(G⇔W1)」そして→(元W1所有者による)G⇔W2(元W2所有者の)G⇔商人の(W1)=(商人の販売による)貨幣回収』で(元W2所有者のW1との交換もできて、「交換物」間の「物々交換」(W1⇔G⇔W2)を、商人による「G⇔W1↔W2⇔G」、即ち「G⇔W⇔G」構造によって交換物所有者間の「間接的物々交換」として(「W1⇔W2」)が実現する仕組みである。

・しかし、これでは「交換物所有者」間には「余剰物」と「欠乏物」との交換獲得ができて、相互の有効消費化が実現でき有益だが、商人の「G⇔W⇔G」交換は、その労働経費支出分の回収すらできず「商人」は「交換経費支出」分を持ち出して損失し再生産すらできず、商人の不在化による「物々交換を不能化」することになる。

さきほどの「交換過程」では「商人」にも職人とは異なる形での (生産物生産とは異なる「無形物生産」としての「商人の交換労働経費支出」、即ち「仕入れ作業(G-W1)交換に付随する最低限の輸送や交換後商品の保管等に伴う減耗費支出)や(倉庫や店での)販売作業(W1-G)による貨幣回収での減耗費支出」と「商人労働力の再生産補填(食糧獲得)」分の「貨幣」が、交換時に得られてはじめて「交換経済」を機能でき、それらの総経費支出分の原資は、交換に持ち込まれた「交換物所得」間の価値の中から「商人」に等価分を所得移転しつつ「貨幣」と「交換物」とを「等価交換する」しか方法がない。

・「交換経済での物々交換の実体」としての、「商人」にとっての「仕入れ(G-W)」と「販売(W-G)」とによって物々交換が実現成立するが、まず「仕入れ」としての「貨幣G」と「交換物W1」との「直接的物々交換時」に「商人」の交換経費支出消費分(=貨幣⊿G分)を (商人の等価交換用「貨幣G」の中から控除することで「交換物W1」と「貨幣G」との等価交換をするので、「交換物W1」は「交換者分の貨幣(G-⊿G)と商人分の(⊿G)」との合計で等価交換しなければ、その後の「欠乏物W2」との「物々交換」(G-W2)にまでたどり着くことができない。

(商人機能を交換者自身が果たして(貨幣⊿G)を節約することも可能だが、その経費支出分⊿Gは交換者本人の「交換物所得」の中から消費する形でしか実現しないので、結果は同じことであり「商人」の方が少額で済む)

・従って「交換物W1」と商人の「貨幣G」との「等価交換」は、「(W1)と(G-⊿G)」とで等価交換され、即ち、

交換物(W1)」と「(貨幣G)-(商人の経費支出分の貨幣⊿G))と商人の交換時消費分(+⊿G)の合計値とで「等価交換」される。(W1)⇔「(G-⊿G)+ (⊿G)」

 「W1所得所有者」は、「貨幣(G-⊿G)」分が交換で得られ、「商人」は「貨幣(⊿G)と商品 (W1)全量」が得られるが、商人の貨幣(⊿G)分はこの交換の開始と共に現物交換消費が開始され、貨幣回収と同時に消滅してしまう。この消費過程で「間接的物々交換が実現」する仕組み。

マルクスは「商人」による「無形物」生産労働 (サービス労働=間接的迂回的「物々交換」労働)の価値を無価値と評価して理論体系化してしまった。

「交換経済」での「商人」の労働価値を評価できず、それは「商人」の貨幣使用による「間接的物々交換(W1-G-W2)での(G-W-G)を伴う」物々交換原理に対する不理解であり「(実現し得ない)直接的物々交換経済(W1-W2)」を頭の中で創作したままでの「(W1⇔W2)直接物々交換可能論」に陥り、「商人」への「貨幣蓄積構造(「貨幣資本の本源的蓄積」)」や、その後の「商人」による「貨幣経済」の進化(=「商人」による「信用貨幣(=債務化)」としての「貨幣の貸借化」進化による「(国際的交換市場の拡大)」での「金融経済」化予測をも不可能にした。

・一方で「貨幣の金融化進化」と「国際交換経済」の急拡大による生産様式上の適応最適化」でしかない「産業革命型資本主義」を過大評価化して、歴史的には1万年前に既に発生していた「階級制」問題を「産業革命型資本主義資本主義生産」に特有の「階級論」として矮小化し「貨幣経済」のその後の弁証法的進化予測を不能にして「階級闘争」のバイブルとなってしまい、「階級支配」が「地主階級」から「国際交易商人」替わり国際的「交換経済」領域の拡大に伴う生産様式の適応最適化を「階級闘争」の根源問題に矮小化して生産様式の非人道性(余剰生産分の収奪)を分析解明し告発し「被支配階級の解放と搾取の撲滅」をしようとした意義や意味は人類愛の発露としても偉大ではあったが、「農民一揆」や「反逆暴動」としての「革命論」の正当化に利用され、ソ連での「直接物々交換」の現実化という「商人不要、商人不在」での空想的「交換経済論」に基づく「社会主義国家化」を実験して大失敗し、結局は支配階級を「国王(地主階級)の座から引きずり下ろしたが、国際商人、国内商人をも排除した官僚統制での専制君主支配階級」に入れ替えて暴力支配しただけの結果となった。

・「(貨幣G)との交換による直接交換」の連鎖の形成でしか「物々交換」は成立実現せず、「商人」の(貨幣蓄蔵による貨幣との)直接的「物々交換」によってしか交換増、余剰生産増による有効消費増によってしか経済的利益の享受ができないので、「富(所得)」が「貨幣形態」で「(国際)商人」に貨幣資本形態で「本源的蓄積」される社会にまず移行するしかなかったことが理解できない。

・「商人、主に国際商人」による「(貨幣資本の)本源的蓄積」を担保とした「信用貨幣」発行による擬制的な「金融資本」創造による有利子貸付増需要(=貨幣の直接的生産増需要=国際的交換市場の拡大需要)が「産業革命型金融資本主義生産様式」を産み出したにすぎないのである。

マニュファクチュア生産(=商人の流動貨幣資本による「資本主義生産様式」)の延長線上で、即ち英国経済史でもマニュファクチュア生産段階が「(国内需要用の)職人生産」と並行して「主として毛織物製品生産で」400年以上も続いたが、イングランド中央銀行設立による「信用貨幣(資本)」の創造と「国際交換経済市場の爆発的拡大(新大陸発見と生産拡大、既存「生産経済」の「交換経済拡大」)」によって「綿製品生産」で初めて「産業革命型の金融資本主義生産」が実現したのであり、それでも国内には「職人生産」と「毛織物の問屋制マニュファクチュア資本主義生産様式」も並行して残り、これ以降の「国際交易市場」の拡大とその支配で産業革命型資本主義生産は継続できたが、市場の獲得競争の激化の末、英国内の資本主義生産は競争力を弱めて収縮し、金融経済化し、他の世界にこの生産様式は拡散し拡大して「国際交換市場の拡大」に対応していった。世にいう「資本主義」が「金融経済下の金融資本主義最適化生産様式」であった、ということがわかる。話しを戻す。

・実際の「物々交換市場」では(「W1」「(G-⊿G)」)として不等価交換?されるが、本質的には(「W1」「(G-⊿G)+⊿G」)の等価交換がなされていて、「(G-⊿G)」貨幣分は「交換物W1」所有者に、そして「⊿G」貨幣分は「商人」に分配されて(=商人の手元に残したままで)、商人の経費支出を開始、即ち「⊿G」分の貨幣で経費支出消費し、最後に貨幣を回収して物々交換を実現した。

また「生産職人」には、再生産労働による生存維持原価分(=余剰生産分がない)としか等価交換させないので、ここからの商人経費分の控除による(貨幣の回収)は実現し得ない、できない、ので販売時の職人との交換の際の上乗せ型での「所得移転」は実行できない。もしそれをすると職人が生存維持できずに衰退し次期以降、この先の職人生産とそれとの「交換」による「残所得W1」での有効消費が実現できなくなってしまう。したがって、

「W1⇔G」ではなく、「W1⇔(G-⊿G)」+(商人消費用⊿G)で等価交換される

 商人には「W1残所得(食糧)」の全量(W1)」と「⊿Gの貨幣」とが交換で手元に残り、「残所得食糧W1全量の所有者」となり、⊿Gの貨幣で商人消費しつつ物々交換を実行する。

「残所得W1」の交換によって「(G-⊿G)」分の「貨幣所有者」となった「元W1保有者」は、この貨幣分の「職人生産物W2群」を等価交換で(W2-⊿W2)分を得て、これらの交換物と共に市場から退出して交換価値物を有効消費しでき、「残所得W1」の再生産後に交換市場に再登場する。

交換で「職人生産物W2群」を「(G-⊿G)分(=W2-⊿W2)分 失い、その(G-⊿G)分の貨幣を獲得できた「W2生産職人群」は、商人在庫の(W1)の中から(W1-⊿W1)分を等価交換で獲得し、これを市場外で有効消費再生産する。

・解説の為だけに、この段階での「商人」を中間確認しておくと、「W1」あった商人倉庫の期首在庫は(W1-⊿W1)分をW2生産職人との交換で失い、倉庫内残在庫は「⊿W1」となり、貨幣として(G-⊿G)分をW2職人群から交換回収できて、(⊿G)分がそのまま残っているので「(G-⊿G) + (⊿G)」=G、となり、「G貨幣 + (⊿W1)在庫残」となる。

・解説上分けたが、「残所得所有者W1」の(G-⊿G)分のW2生産職人の(W2-⊿W2)生産分との等価交換と同時に、実は「商人」も手元に残っていた (⊿G)分の貨幣で (商人用の減耗補填分のW2と貨幣と交換し、そのW2の貨幣と商人再生産食糧分の貨幣の合計分「=(⊿G)分」で商人所有の残った(⊿W1)と交換し、その交換で貨幣(⊿G)を回収する。商人用生産物W2生産者もW1と等価交換して市場を退出して有効消費し、商人は交換過程で有効消費してしまったので、 (⊿G)は商人倉庫内の(⊿W1)在庫残と等価交換されて交換消費されたことになり、(⊿G)の貨幣を交換回収して(G-⊿G)+⊿Gとなり、商人には元の貨幣Gの回収に成功して「物々交換」を実現した。

貨幣(⊿G)は商人の手元から出て、再び交換によって商人に回収されるので、期首状態の貨幣Gが回収され、次期交換を再び開始できる。

・また「W2=商品群(=職人生産物)」は「W2の加工生産労働価値分」だけでなく「W3=商品生産用道具類の減耗補填分生産労働価値分」及び「W4=商品用及び道具用の原料生産労働価値分」との合計労働価値分として「W2=商品群」が代表して「貨幣(G-⊿G)」と交換される、ので「W2」は (W3 + W4)生産者に受取貨幣の(G-⊿G)の中から彼らと分配することで道具減耗分補填、原材料を貨幣との交換で市場内で交換獲得もしているし、「W2」は製品の価値を指し、各種労働種別ごとに生産職人、W3、W4の生産職人がそれにリンクしていて、それらを合算した価値物に「W2」の生産労働分が付加合算されて「交換物W2」として出来上がっている。それ故「W2」と「貨幣」との等価交換には、「W2」の交換貨幣額内にW3、W4分が内包合算されていて「W1所有者」がW3、W4と貨幣で直接交換する必要もない。

・以上から「商人と職人」は、支配階級らの「残所得」「(W1)」と (「G-⊿G」分の「職人生産物」+「⊿G」分の「商人(無形生産物))の合計、とが等価交換され、「(W1)」所得所有者は「W2-⊿W2」分の職人生産物との「交換」しか実現できないことにはなるが、この交換は「商人による⊿G分の経費消費」で「物々交換」が実現できたことで「等価交換」となる。

・結局、交換されたのは「残所得W1」と等価の「貨幣G」ではなく、等価の「商工労働」支出、とが「等価交換」され、「商工」での「工」の生産価値物だけが、形あるものとして有効消費できるので「交換を実現するだけの商人」には有効消費する価値物としての形がなく「交換の実現」で消費されてしまい、この交換の仕組みは「残所得」の一部が交換経済による「物々交換」を実現する作業の為に失うことで「見方によっては、商人に(⊿G分の貨幣)をピンハネされた」ように映りかねない。

・(この素朴な不信の感覚はカトリック原理主義者に利用され)「支配階級、(農業)生産階級、職人」に対して扇動利用され、「商人」への差別や排斥、追放に利用され「交換経済」の発展拡大を阻害し、土地に依存しない商業者や金貸しのなり手を「プロテスタントユグノーユダヤ教徒」に押し付けた歴史があった)。

しかし上記では、商人は「交換過程」で消費する労働経費分を交換過程で所得移転して等価で獲得し、消費支出して「物々交換」を実現しただけで、実は、そこに所得からの移転控除としての(⊿G)はあっても、一切の「儲け」は実在しておらず、「生産職人」と全く同様に「交換職人」として商人が機能して再生産存続を実現しただけでしかなく、まさしく等価交換しただけにすぎない。

「残所得」⇔(「職人」+「商人」)労働支出、として。「商人」も、完全な「等価交換」としてのみ機能した。

・この「商人経費分の手数料控除」による等価交換、の構造の故に、(+⊿G’分)のピンハネ、即ち実経費分に商人の儲け分を(こっそり?)つけ加えて(⊿G)より大きい(=⊿G+⊿G’)としての(⊿G’)分の不等価交換の追加控除をも可能にできる構造の故に、(商人以外には「ブラックボックスの商人経費構造」なので、新たな商人の新規参入がなく交換市場が拡大し続けるのなら)、控除額(⊿G)に(+⊿G’)を任意に追加加算することも可能なので所得移転増して「商業利得」を発生させ、それによって「貨幣蓄積増」でき、それを実行し、実行できたことで「商人」に対する反感と非難の根拠が生じて、宗教的弾圧の口実を与えたし、商業利得のうま味がなければ「商人」はあえてわざわざやる動機がない。商人には「G-W-G’」

として貨幣蓄積増できなければ意味はないが、それは「貨幣」生産増に存在意義を感じるしかない構造である。

それ故にその構造の解明を更に続けることにする。

 ・交換時に控除する手数料(⊿G)が、実際にはこれより少なくて済む場合、(=「初期の経費想定に商業利得の (+⊿G’)分を意識的に加算する場合」や「想定経費の設定を安全性の為に高く計上しておいた場合」のような控除額拡大による場合、と「商人経費部分を合理化 (販売労働での労働強化、運搬を車両運搬に機械化して人員削減、倉庫を丁寧に使用して耐用年数を超えて減耗補填費を節約等)で控除額を実際には圧縮できた場合、は、未使用貨幣 (⊿G’分)が「物々交換」終了後に残り、当然にその等価分のW1在庫のうちの(⊿W1’分)の「未交換分の交換物」も在庫として商人に残るが、未使用貨幣 (⊿G’分)は商人が貨幣を生産増したことになり、不等価交換を実行したことになる。

  結局は「(⊿G’+⊿W1’)」の合計所得が、商人に不等価交換差益として「所得移転(=商業利得)」をもたらしたことになる。

・ここに「控除」による「所得移転」での「商人」への「商業利得発生」の根拠と源泉があり、商人には交換用の貨幣増が得られ、次期交換増時に追加使用できるので、またその貨幣増、交換拡大による再貨幣蓄積増の拡大循環をももたらすので現物残分の⊿W1’も貨幣化しておく。

(それは、国内で金銀の採掘、精製が可能なら食糧現物⊿W1’分と国内職人労働による⊿G’分の金属貨幣生産物とを等価交換獲得し、国内生産が不能なら⊿W1’分の食糧と⊿G’分の金銀実貨幣とを「国際交換市場」で(多少目減りするが)交換して⊿G’を獲得し)計2⊿G’分の貨幣増として次回期首のW1、W2生産増分にその範囲内で対応できる。

「商人」の本質は「貨幣生産者」でもあることになるが、交換市場の拡大再生産に貢献する側面もある。

・「残所得」増は、「職人生産増」と「商人」への「貨幣蓄積増」に帰結する、こともわかる。

 ただし、それを超えての「交換市場」での「交換物」の拡大に(「商人」貨幣増分を超えて)交換対応はできない。

生産力増だけが継続して「貨幣生産増」が追い付かず「貨幣不足」による「交換経済」の拡大障害をもたらす。

商人に更なる「貨幣蓄積増」が求められ、それが商人への「所得移転増」を歓迎さえすることにすらなり兼ねないが、不等価交換増による貨幣増にも限界がある。

・この限界を超えた貨幣不足には、歴史的には「北宋(交子紙幣)」や直後の「モンゴル帝国(交鈔紙幣)」のような「政府発行紙幣」で補った歴史はあり「近代ではイングランド中央銀行(株式会社)発行銀行券紙幣」がある。

商人が「交子信用紙幣」を貨幣不足分発行して、貨幣代わりに流通させた「北宋」や商人から派生した金融業としての英国の場合、貨幣不足分は「信用紙幣」が貨幣を代行して機能して「物々交換」急拡大に対応でき、金属現物貨幣と「信用紙幣」の合計として発行分も貨幣と一緒に回収されることで問題なく、更に交換市場が拡大すれば、追加発行すればよいことになる。

・しかし、「北宋後期」や「モンゴル帝国」のように国家が発行する場合、国家が商人機能の一角を担うことになり、商人の「残所得」の買い取りできる残分を国家発行の「信用紙幣」で国家が買い取り、商人に買い取らせた実貨幣分と合算して、W2職人生産物と交換する分までは何の問題も起きないが、その範囲を超える「信用紙幣」の発行での「W2職人生産物」との交換は、交換すべきW1を超過して発行するので、発行分の交換物がない。

 貨幣の過剰によるインフレ化による交換市場の収縮と貨幣信用の喪失による「信用紙幣」での決済拒否をもたらす。もし戦争等で軍需品の生産交換増を市場対して求め、それを「信用紙幣」の追加発行で得ようとしても、信用紙幣自体の相場での「金銀実貨幣との交換」又は、「金銀実貨幣」での交換、に交換経済が収縮する。

 北宋の場合は、戦争となり「北宋(交子紙幣)」の発行が2倍化して交換経済を崩壊させ、モンゴル帝国の場合は、やはり「交鈔紙幣」が発行増できなくなるほど「ペスト」によるグローバルパンデミックによる人口、生産、交換を急縮小して同様に財政破綻して崩壊した。

 商人による信用紙幣の貨幣不足分の発行の範囲なら、国家が発行しようと市場を混乱させずに交換経済を拡大できるし、国家がやれば「通貨発行益(=実貨幣と印刷代との差額)」が得られるが、交換市場が拡大し続けている限りにおいて、その分しか有効ではない。

国家が直接に「信用貨幣」を発行すると、歯止めがかからず、乱発して「通貨発行益」を継続拡大して「交換市場」をインフレ化して混乱させ経済崩壊させて信用を失いやすい。これを政府がやって通貨の信用を失い、崩壊して信用紙幣を紙屑化してきた歴史がある。

・話しを戻して、ついでに「国際経済圏間交易」について触れておくと、「階級制生産経済圏」の「残所得食糧」と「獲得経済圏」での特産品の余剰生産物としての「毛皮や革、木材や金属資源」との交換が「国際交換市場」の港湾都市市場等で行われるとする。

 どちらの余剰生産物も「金銀実貨幣G」との交換、即ち(G-⊿G)とW1、W2でそれぞれを交換して、商人倉庫にはW1、W2全てを保管陳列しておき、双方が交換で得たそれぞれの(G-⊿G)貨幣ずつで、双方の欠乏物を自由に買わせて一度に交換を実現し、貨幣回収も一気に終わらせる。(=現代の大型店舗と同じ「物々交換」の構造となる)

2倍の貨幣量が期首に必要にはなるが、商人の支配する「交換市場」での交換を一気に終了でき、「貨幣残2⊿G’」と共に等価の⊿W1’と⊿W2’分の現物残を所得移転できる。この残を同じく金銀実貨幣と交換させて、貨幣増とすると4⊿G’となり、あとは原理的には国内交換経済と同じであるが、効率良く貨幣蓄蔵増できる。

・「国内交換経済」と「国際交換経済」の違いは、交換市場の支配に「(地主的)支配階級」の影響力が及びやすいか否か、「商人自治支配又は商人ギルド」が可能か否か、で差が生じ「国際交易市場」が「商業利得を蓄積増しやすい」ので「国際商人」は「富豪」化し「国内交換経済」では「商人」が「職人」と同じく「交換職人」として再生産のみ、の単純再生産に絞られがちで、支配階級との癒着(賄賂による)が許されなければ、新規参入の制限がなく、ほとんど職人と同様の再生産が許されるのみとなり、貨幣蓄積増は期待できない。

国内で商人ギルドの形成が認可されれば(国際交換経済)同様に小規模の商業利得も得られるが。

・また「商業自治都市の商人ギルド」形成による高い商業利得の所得移転も、近接して新たな「商業自治都市」が出現したりすると、その所得移転はトータルで拡大しつつも個別には減退するので、一定の条件下、即ち余剰生産が各国で拡大し続けてくれない限り新規参入増が自然淘汰され薄利となる。自治都市としての共倒れを防ぐためにも、土地を支配する支配階級に働きかけて「残所得」の有効消費化の実現を楯に、新規参入を抑制する。

 しかし、本質的にはいずれも「階級制生産経済」の「支配階級」に蓄積する移転所得としての「残所得」増の一部が「商人」への所得移転による貨幣蓄積増をもたらすが、それでも尚貨幣不足によって「交換経済」の拡大が抑制される傾向が持続したので、商人に貨幣不足解消対策は求められ続け、貨幣の進化がもたらされた。

 

  • 「生産経済」の生産力飽和と「獲得経済的」転換

 

・「階級制生産経済」は、自家消費分を超えても交換用「残所得」の拡大(による有効消費の実現の為に)「残所得」の交換需要が交換市場にある限り消費され続けるので、交換市場での需要がある限り、その範囲内での生産増を目的意識的に拡大し続け(例えば近隣に「獲得経済圏」があればその需要は継続することになり)、そのことで生産拡大され続けるので、国内での農地拡大が継続し、やがて生産力が飽和限界に達して停滞する。

既存国領内での農地拡大余地が失われ、かといって農業生産技術の進化は急にはえられない。

特に、既に「交換経済」を国内で発達させた、先進「階級制生産経済」国(で、かつ国土面積が小さい、或いは地味の乏しい国)から順に、国内での農地拡大余地が無くなり、「残所得」生産力はより早く飽和限界に達することで、交換経済による有効消費の停滞がもたらされた。

残所得で国内商工階級人口は満たされ、国外交易での残った「残所得」と「特産物や資源」との交換による「有効消費増」のうちの、後者が停滞する。

・この停滞の克服打開には、「階級制生産経済」が「獲得経済」的に変質することと外形的には類似し、前述したように「獲得経済」の場合は「安定的食糧確保」の為に「生産経済圏」からの国外「残所得の略奪」による獲得か「経済圏間交易」による「特産品や資源」の余剰生産による「交換経済」に依存した獲得、に依存する。

「国外所得」からの「国内への所得移転」を通して「有効消費増」を実現するしかなく「侵略戦争による強奪」か(生産所得の相互移転による)「交換」かは別にしても「国外所得」からの移転が必須となる。

・「生産経済」は、既に自給自足を達成して国体内に「交換経済」領域を拡大させて「生産経済」を維持しつつ成長発展できたが「残食糧所得」増が断たれると「交換経済」拡大できず停滞し始め、「国外所得」の国内移転に依存する国体体質の転換を求められ「獲得経済化」する。国外の国土を略奪して以前のように「残所得」拡大継続に戻すか(この場合でも、またいずれ生産飽和するので断続的にでも戦争継続することになるが)、又は「非農産物(=特産品や資源)の対国内余剰生産増」による「国際交換経済」に依存した国外「残所得」の交換獲得(まさに「獲得経済」そのもの)によって「有効消費」を拡大し続けるか(この場合も非農産物(=特産品や資源)の余剰生産が継続拡大し続ける為に「国際交易市場」を拡大し続けて需要拡大しないと生産停滞を迎えるが)、この2つからの選択、又は両方、を選択する国体に転換、即ち「戦争国体化」か「国際商業国体化」(=これが資本主義生産経済化に繋がることになったが)か、その両者か、の大きくはその2者択一、又は両面追求からの選択でしかこの停滞状態から脱却できない、ことになる。

 ・「生産経済」に依存して発展してきたので「獲得経済」型転換をしようとすると「領土拡大による農地増」の為の「戦争国体化」転換が一般的には採用される。「獲得経済」と比べて「生産経済」の貿易依存度は低いし、「商業立国化」転換は、「国際商業自治都市」での国際商人による「商業利得」の獲得ノウハウを必要とし、国体を国際商人主導に変えなければできない。

「(農業依存の)生産経済」国がそれを実行することがそもそもできないので、現実史で、「国際商業自治都市」の獲得戦争を通じて自治都市商人、職人を自国内の商工階級ギルドとの折り合いをつけて丸ごと取り込むしかなく、「商業国化」転換を「(農業)生産経済」のままで量的移行させるしかなく(この場合、生産面の「資本主義生産化(問屋制マニュファクチュア生産)」として原理的に実現していた「フランドル国際商業自治都市」を行きがかり上(羊毛原料輸出にも経済依存していた)英国は、資本主義生産化をその後に本格的に発展させることに繋がったが)「(国際)交換経済依存国」化転換にいち早く成功した。この姿は、元々から農業「残所得」が得られなかった「獲得経済圏」の「国際交換経済依存」の姿そのものでもあるが(英国は、「半獲得経済圏」に位置していて「農業生産経済」依存でありつつもその生産性は低く羊毛原料の生産輸出に大きく依存していた)、異なるのは既に「交換経済」領域拡大に成功して飽和化し「残所得」生産増の停滞により「獲得経済」化して「商業国化」できたことになる。

しかし、ほとんどの「階級制生産経済先進国」は、「戦争国体化」転換による国外「残所得」生産領土の暴力的移転の道を選択した。

・英国型の「国際交易依存」の場合、国外の「交易拠点」を必要として国際交易を拡大し続けて国際的交換需要を獲得し続けなければならず、それは外国との軋轢が生じるので、海軍を派遣して「交易拠点」支配を確保し拡大しようとするので「領土」(陸軍)ではなく「市場」(海軍)の拡大による「戦争国体化」を強める結果になった。

・「戦争国体化」(=「生産経済」が停滞して「獲得経済化」移行するのは「生産経済先進国」であり)「国際交易自治都市」の「国際商人」にとっては、まだ周辺に「階級制生産経済」の発展途上国が残されており、そこは国内「残所得」の拡大過程にある国もあり、たとえ先進国の「残所得」増が停滞したとしても、「獲得経済圏」の産出物増が停滞するわけでもなく「国際交易」での拡大余地は後進国の国際交換市場への参加拡大の道は残されてはいた。しかし、それらの国は、先進国の領土拡大の目標にされ、抵抗戦争にまきこまれて戦禍にさらされた。

・特に、遠隔地のアジア各国は、国土面積も広く飽和限界にも到達していない成長過程の途上国ばかりだったことで、まだ自給生産依存中心で「残所得」の余剰生産は少なく、国際交易需要は乏しく、閉鎖的なままでいられたので、ここに「開国」を迫り「国際交換市場」に参入させて「遠隔地間国際交易」を拡大できる余地はあり、「国際商人」による国外所得移転による「貨幣蓄積」拡大の余地もここに多く残されていた。

・「獲得経済的な戦時国体化転換」は、これまでメリットであった(常備軍も軍需品生産もほとんど必要としない)西欧独特の長く続いた「封建制」国体のままで、同じカトリック小国間での領土戦争を避け (これまでカトリック教国間の紛争を仲裁裁定もしてきた)ローマ教皇により「異教徒」(イスラム圏支配地域) からの「聖地の奪還」「領土再征服」「カトリック布教拡大」名目での「領土拡大戦争」が提唱され「十字軍」派兵が実現した。

これまで戦争から遠ざかり、諸侯や騎士による時代遅れの「馬上での一騎打ち」戦法時代のままイスラム圏に領土拡大戦争を仕掛け、隣接していたイベリア半島の「レコンキスタ(領土再征服)」では何とかイスラム勢力を追いだしたものの、東ローマのキリスト教国救済も、中東の聖地奪還も得られず、200年間かけて失敗に終わった。

・その結果、十字軍遠征を提唱した「ローマ教皇」の権威は失墜し、プロテスタント勢力が台頭、これまで「ご法度」だった「カトリック教国間」の「領土拡大戦争」が解禁されてしまう。

「階級制生産経済」の当時の「荘園領主」としての支配階級であった「諸侯貴族や騎士」達は「十字軍遠征」で長期に遠方戦地に赴いて荘園を留守にし、借金による戦費支出と戦死増によって下部構造の「荘園経営」が困難になり、その後のカトリック国間領土戦争で「諸侯貴族」は消耗して没落して、「国王から封じられた荘園を国王に返納する」という「封建制」の形式を踏んで「荘園」を国王の直轄地として返納し、自らは国王の常備軍、官僚機構の構成員として廷臣化し、ここに「荘園制度」を基盤とした「封建制」は崩壊、国王に権力を一元的に集中した「絶対主義的階級制生産経済」国として「戦争国体化」「軍事化」転換していった。

そして、これまでの宗教的仁義も失い、イスラム教国との同盟をも伴う戦争も発生して「ナショナリズム」が勃興した国家間「領土拡大戦争」を本格化させた。

封建制」の「階級制生産経済」小国は、(国外の)「残所得」からの「所得移転」(=「獲得経済」化)に依存せざるを得なくなり、戦勝による領土拡大、農地増目的の戦争が長期間に渡って断続的に繰り返された。

・しかし、そもそも「戦争」による領土拡張策は、農業生産上は、自国領土増が交戦相手国領土減でしかないゼロサムゲームでしかなく、どちらが戦勝しようと交戦国全体の農業生産力は一度衰え、戦争を借金で臨むしかないので、逆に、戦災による人口減と生産手段の棄損をもたらして農業生産力総体を縮小させ「飽和限界到達前」の状態に「時計の針」を巻戻す。そして戦費が尽き、停戦の後に「戦災復興」による農業生産の回復をもたらし、再びその後に飽和限界に到達する迄の「時間稼ぎ」「問題の先送り」を反復して継続した。

・それにより「封建制」政体を自壊させ「絶対主義階級制生産経済」国に戦争国体化転換して軍事支出が拡大したことで、これまでの「封建制の経済的優位性(常備軍を持たず経済発展できる)」は失われ、農業生産力が飽和限界で停滞した「下部構造」のままなので、新たに「常備軍の維持費」と「爆発的な軍需品消費の為の生産増と、国によるその買い取り増」で「国体財政の爆発的支出増」による恒常的「財政赤字」がもたらされた。

  克服すべきは「下部構造」の「農業生産」への一元的依存だったはずなのだが、もとが農業生産単一依存国体なので、戦争での共食い的な農地拡大に依存して生き残ろうとするしか方策が見つけられずにいた。

 

  • 「国際交換経済」の発展拡大と「宗教戦争」史

 

・1290年、英国は「ユダヤ人追放令」の施行、またその前段での「ユダヤ人の土地所有と相続禁止令」の発布、

1492年~スペイン「異端審問」によるユダヤ人やプロテスタントの迫害と虐殺。(=実質の国外追放)

1562~1598年、仏のユグノー戦争。ユグノー(「誓約仲間」の意)のカルバン派プロテスタントの迫害と虐殺、(=実質の国外追放)等、が代表例である。

・こうして「商人や金貸し」を農業生産国体での流れ者、はみ出し者扱いして蔑視し「商人や金貸し」は宗教弾圧されて場末の地(港町等)や他国に追いやり「隔離」した。

こうして「隔離病棟」としての「国際商業自治都市」には「ユダヤ人」や「プロテスタント」の商人や金貸しが集積し「交換経済」を拡大する時代の流れに味方され、「貨幣形態での金融資本蓄積」を実現していった。

しかし「貨幣」がその「貨幣量増」分の「交換経済」を拡大できるだけなので、商人や金貸しにとっては交換用の道具としての貨幣蓄積増が「交換経済」の機能発揮と拡大対応に必要であっただけ、の一面もある。

・それ故「国際交換経済」の需要増に依存して貨幣蓄積した交換経済拡大用の量産生産体系としての「資本主義生産様式」も、ユダヤ人やプロテスタントの中からしか「産み出されなかった」ことになるはずである。

農業生産と職人生産に価値を置く保守的な「階級制生産経済」に既得権益をもつ「カトリック」からは「金融技術」や「資本主義生産技術」は生まれようがない。

しかし「残所得」「余剰所得」の生産量が増え、交換経済が需要され拡大する時代にあっては、「商人」による「交換経済」が繁栄する、繁栄せざるを得ない時代でもあり、支配階級も結局は「残所得」の交換による恩恵を求めざるを得ないので、根絶、絶滅まではできず、遠ざけ、隔離し、原理主義者によって国内から追放するに留まるが、彼らも交換の恩恵を受けざるを得ないので、絶滅まではしなかった。そして交換経済社会から自らを遠ざけ、経済的発展から取り残されることを自ら助長した。

そしてその後の「戦争国体化」による国債発行の際に、国家は「国際商人」を必要として接近し、カトリック原理主義から距離を置き、拝金主義を受け入れだす。

このカトリックの「生産重視、商業蔑視」の価値観は「マルクス」の思想にも影響を与えている。ユダヤ人家系のマルクスも、わざわざキリスト教に改宗しており「生産重視」の思想体系が貫かれている。

カトリック教国だった「英国」は、その後にローマ教皇が提唱したエルサレム聖地奪還の為の十字軍派兵に応えての失敗後、教皇と対立して自国内のカトリック教会を全廃してその土地を国民に分配して、新たにプロテスタント系の「英国教」を創作し、改宗した。

それは国体下部構造の「交換経済」化(=国体の商業化転換)と符合していたことを意味し、国としてユダヤ人を受け入れる国家に転換した証でもあった。

・1656年、「ユダヤ人追放令を(363年ぶりに)解除」した。

それは、その前から既にユダヤ人の国内流入があり、それを密かに黙認し、そのことで国際交易による富を得て、しかも「下部構造」転換していた証でもあり「階級制交換経済国」(=商業立国)化していた結果でもあった。

この先々の歴史を先行して述べておくと、追放令の解除直後に「イングランド銀行」を設立(1694年)し、その後に産業革命型の本格的な「(信用貨幣による)金融資本主義生産」(1760年~1840年)を実現し、それを適用拡張して世界の工場となり、その後「ユダヤ人首相(1868年)」を輩出して、(国際金融資本の力を借りて)「スエズ運河を買収(1869年)」して、アジアへの「国際交易市場」の拠点づくりと植民地拡大、を信用金融資本で進め、1816年のナポレオンとの戦勝後に「金本位制」にして「ポンドの国際通貨化、基軸通貨化」を国際市場に持込んで「英国経済圏」を形成して、(信用)金融資本の利子蓄積増を図る=(信用金融資本輸出)を加速して「(信用)金融資本としてのポンドでの貸付支配」を世界に先駆けて推進し実現して世界の金融覇権帝国になっていく。

こうしてカトリックはその権威を低下させつつ「階級制生産経済」の農業生産主軸とする未発展国に強く残るが、「交換経済」依存を高めた経済発展国では、カトリックとの距離を取りはじめて(拝金主義を容認する)ユダヤ教の容認とプロテスタントへの改宗、無神論化を拡散していった。

 

  • 「戦争国体」化による貨幣不足と「信用紙幣」化

 

・「階級制生産経済国」の「戦争国体化」転換は、停滞していた「交換経済」に「軍需品の爆発的消費増の為の生産増」や「常備軍の維持や傭兵の獲得」の為の「貨幣需要」と、「交換経済」の(戦争特需による拡大)をもたらすが、その為には膨大な「貨幣増」需要を停滞した「残所得」増に依存できるはずもなく、その国家の支出増分の貨幣が不足し、可能な範囲を既に超えた増税によってもなお著しい「貨幣不足」を国家にもたらして、構造的恒常的な「赤字財政」に陥った。

・しかし、過去の「獲得経済」の場合とは異なり(生産経済の成長段階での「残所得」増による「交換経済」成長期を経て「国際商人」への「所得移転」が実現し続けており「貨幣蓄積増」が既に実体として主に「国際商人」に形成蓄積されていたことで)、「国際商人」からの「利付貸付」による「借金」を「国」ができれば、支配階級の「貨幣増」が得られるので、(国際交易での商人の蓄積「金銀商品貨幣」のうち、まずは「死蔵」蓄積増部分を「有利子で借りる」ことで貨幣不足を補い、それで「職人生産増」させ「交換増」による軍需消耗品の調達が実現して、その結果、他国領土を占領支配して「残所得」移転増や「賠償金」を獲得して所得移転して、それで借金を返済する国家ビジネスを可能にした。

・しかし、この戦争で「利付借金」の利子分の所得移転を確実に「国際商人」(の「出先金融機関」での貨幣蓄積増)できたことで、真の戦争の勝者は「国際商人」傘下の「金貸し業者」であったことになる。

・また、「国外所得」の略奪に依存する「戦争国体化」は、戦争を断続的にでも継続せざるを得ない国体体質になるので、「利付借金」を恒常化し、完済前に新たな「利付借金」を追加することになり、それは「金貸し業」の持続化をもたらし、拡大再生産化を実現して「金融機関」としての自立をも可能にしたが、一方で「貸付」で「金銀実貨幣」を貸し付け増すると「国際商人」の「死蔵蓄積貨幣」では賄いきれず、一方で「国際交換経済の拡大」に対応する「金銀実貨幣」が不足し、傘下の「金融業者達」は、「金銀実貨幣」の不足を「信用紙幣」の発行、で補うことになり、国への発行の同意を迫った。

国家への「金銀実貨幣の有利子貸付」需要の高まりを、死蔵貨幣で対応すると、国際交換経済での使用金銀貨幣を不足させ「国際交換経済」の拡大需要に対応できない。

・国家による「信用通貨発行増」は、既に国家が累積債務超過状態になり、課税での回収清算も限界に達しているので、国家には「信用紙幣」を発行しても市場での信任は得られず、「(国際商人傘下の)金融業者の銀行」の「信用紙幣」発行(保有金銀実貨幣の信用できる担保のある)に依存せざるを得ず、国家は「民間銀行」の発行する「信用紙幣」を「法定通貨」として追認し、納税も「信用紙幣」で行わせ、この「法定紙幣通貨」での債務解消の「受取拒否」を認めず、こうして国家の「通貨発行権」は実質で民間銀行に移り、銀行の印刷紙幣による「金利」獲得による「貨幣蓄積」をもたらした。

・生産力拡大による「交換経済の拡大圧」の高まる「階級制生産経済」の成長期時代は、前述したように「貨幣増」圧が強まり、折角収斂した銅貨や銀貨の不足現象が現れて「交換経済」での「貨幣増を超える交換経済の拡大」を抑制してしまう為に、「商人への所得移転による貨幣蓄積増」の範囲内での「交換経済」の拡大にとどめられたが、前述したとおり、中国の「北宋時代(960~1127年)」の「信用紙幣」の「交子」発行で補うことで「交換経済」の拡大対応に成功していた。

「生産した銅銭での等価交換」を「借用書による貸し借り」、即ち「交換」を「貸借」に転換させ、戦争化で国が「交子紙幣」を倍化乱発して失敗したが、その轍を繰り返さず「信用紙幣」発行は「国際商人」系列下で実貨幣を拡大して担保力をもつ、傘下の「銀行」により発行させ、金利を付けて貸付けしたことで、インフレ化による崩壊を防ぐことができ、国の借金は返済不能なほど膨大になったが、それは額面上であり、「銀行」は金銀実貨幣ではなく、印刷紙を貸しただけなので回収不能になっても実害を伴わずに「市場」を拡大でき、交換と生産を拡大できたので貨幣の過剰もなくて済み、不足を補えた。何より「国際商人」は「金銀実貨幣」を国内市場から引き揚げることができて「国際市場の決済」に使用拡大できて「国際交易」拡大での貨幣不足を解消でき、他方で国家には金利債権を拡大し、金利獲得もできた。

 「北宋」「モンゴル帝国」の場合とは異なり、民間金融資本による「イングランド中央銀行」設立による「貨幣蓄積増」「通貨発行権獲得」による「通貨生産増」が実現したのである。「貨幣」のこの進化は現代に繋がる。

・「生産経済」が飽和して「交換経済」国体化転換して戦争国体化した「英国」は (=民間株式会社である「英国イングランド銀行」設立認可)によって、国家財政は実質「金融機関」の管理下、傘下となり債務過剰国として「国際金融資本」の管理下の国となったが、「国際交換経済」を拡大することで、交換による有効消費増をも拡大し続けることができ、交換用所得の実体的拡大を持続でき、GDP比260%にまで「利付国債」を発行したが、国家経済の崩壊を免れることができた。「無価値の印刷紙幣」依存で世界的な覇権支配を実現していった。

・国際的交換経済を拡大したことで、生産段階での「職人生産」依存からの脱却、即ち「(擬制的)信用資本による産業革命型の生産手段の機械化動力化を伴う、資本主義生産化」が、国際的交易品の消費財生産にも拡張され、軍需品生産にも拡張され、交易による所得移転を拡大して戦争継続と債務返済もでき、金融資本の側も成長拡大できた。

・それが交換市場で飽和し始めると、この生産様式の輸出制限を解き(解かせ)、「生産手段、生産様式」を国外に適用して輸出して、「国外市場の国内市場化」(=英国ポンド信用貨幣の国外貸付による金利所得移転蓄積範囲の世界的拡大)を実現(=国際基軸通貨化)して、国外交換市場を拡大による「金銀実貨幣の欠乏」による「交易経済拡大の抑制」を解消して貨幣蓄積していった。

「資本主義生産様式」はその過程で発生して、普及拡散したものだが、この「資本主義生産化」移行は「信用金融資本主義」にその根源があり、国際的な所得移転獲得を最大化する為の最も優れた生産様式を(金融資本の増殖手段として)、世界にも伝播拡散して「金融資本増」目的を実現した。資本主義生産化は職人生産の進化ではなく「国際的交換経済の拡大の過程」で、貨幣生産の進化形としての「金融資本」化で、「金融資本の(貸付による)増殖」の為の手段、道具として利用され、返済清算原資獲得競争を実現させる手段として普及拡散したものでしかない。「資本主義生産」での消費財生産力の拡大により「国際的交換需要」の飽和が早まり「資本主義生産」の拡大は停滞して需要拡大の為の「市場拡大」を求めることになり「市場の支配権」と「資本主義生産の為の資源獲得支配権」を巡る戦争を産み、戦災復興と成長による再飽和と、それによる戦争化を繰り返す時代に到達しており、「金融経済」自体からの脱却が迫られていて、それは「階級制生産経済」でのそれが「金融経済」

で繰り返されているだけである。一般的な言葉で言えば、「資本主義生産経済」の過飽和による「金融経済」の飽和到達による「金融経済」国間の戦争による支配権の獲得戦争の時代に到達した、ということである。

 

  • 「英国史」に見る「資本主義化」転換の経緯

 

・なぜ、「資本主義生産化」は英国中部ではじまり、産業革命による本格的な「資本主義生産化」もそこで始まることになったのか、そこまでの歩みを解明し、

また更に英国の「産業革命型資本主義生産」での輸出禁止規制解除後の「機械と技術」輸出の第一番目が、覇権を争っていた「仏」や新興勢力の「米、独」等ではなく、ベルギー(=フランドル)だったのか、を解明しておくことで、資本主義生産の発生と成長の根源と、停滞、衰退に至る過程のヒントを英国経済史から模索してみる。

・もともと、英国のロンドンより北部(中部以北)地域は、氷期時代は氷結地で、土地は痩せ、陸地面積も小さい島国で、国土の大半が大陸と比べてもやや寒冷で、歴史的には北海帝国支配下となったこともあり「獲得経済圏」的環境下に属していたが、穀物生産は可能であったことで、早くから「階級制(農業)生産経済」を導入してきたが、最適農業環境下にある「仏国」と比べ、その生産力は劣り、人口も仏国の1/3、更に収穫後の地力回復には「三圃制」の徹底(による耕作表土の施肥と踏みしめ)が必要で「牧羊穀作式農法」目的で牧羊が昔から根付いた。

・その結果「(穀作)農業生産力」の割に「副産物」である良質な「羊毛(原料)」を毎年大量に産出でき、海峡を挟んだ伝統的な「毛織物産地」である「フランドル(=現ベルギー)商業自治都市」の商人が羊毛原料を買い付けてくれたので、それに「輸出関税」をかけて、乏しい穀作農産物からの移転所得に依存する国家財政の不足を補ってきた経緯がある。英国の牧羊は全域に及んでいた、中でも中部の羊毛原料が最も良質であった。

英国は農業余剰からの移転所得財源の不足を、羊毛原料資源の「輸出関税」で補う「半獲得経済圏」型の「下部構造」にも依存する「階級制生産経済」国としての特質を古くから兼ね備えてきていた。

・一方で対岸の「フランドル商業自治都市」内の国際商人達は、英国から良質な「羊毛原料」を商人が輸入して、羊毛原料所得の一部を所得移転して、生産職人に原料販売する、だけではなく、商業利得(流動資本)分で自らが生産道具を購入調達し、職人を雇用して流れ作業で余剰に生産させることに成功し、余剰生産分を商人に所得移転増して「貨幣蓄積増」をもたらす「(問屋制)マニュファクチュア生産」で生産性を高めて拡大再生産していた。

「職人ギルド生産」とは異なり、生産資本の商人支配による余剰生産分をそのまま交換後に所得移転できるので原理的には「資本主義生産」への転換、が「商人資本主義生産」として既に実現できていた。

・この「職人生産」から「(商人)資本主義生産」への転換は「国際商業自治都市が治外法権」で、かつ「国際商人ギルド」が自治都市内での「実質の支配階級」であったことで実現した。(もし「階級制生産経済」の支配階級下の商人、職人のままなら商工業の自由はなく「職人ギルド」秩序による親方による生産技術支配を破壊するので、国体秩序の根底を揺るがしかねない。この生産方式の導入実験はできても、定着までには困難を伴う)。

・事実、歴史的には「羊毛原料及び毛織物の産地」としては、二大産地としての「スペイン」もあり、実はここで毛織物のマニュファクチュア生産化が世界で初めて試みられた。しかし、当時のスペインは「絶対主義階級制生産経済」のカトリック原理主義的な国王支配下だったので、大航海時代の金銀の略奪獲得による成功によって「交換経済」領域を大いに拡大して経済的繁栄していたが、交換経済を担っていたユダヤ人やカルバン派商人や職人達を狙いうちにした「異端審問」で宗教弾圧して殺害し始めた為、彼らの多くは本国スペインから、植民地のフランドルやオランダに亡命移転していた。

その後スペインの毛織物産業は衰退し「フランドル商業自治都市」に脱出した彼らによって毛織物の「マニュファクチュア生産」が伝統的職人生産と並行して営まれてきた経緯がある。

スペインでは、カトリック教徒の都市の職人ギルドからの反発があった、と推察できる。貧しかったスペインは金銀資源を獲得して豊かになり、自国で生産しなくても金銀で輸入すればよくなり、自国生産の意欲は減退した。

・更に、そもそもスペインの「(問屋制)マニュファクチュア生産」を試みた商人も、その元をたどれば、モンゴル帝国の崩壊後、シルクロード交易で日本から金をガラス製品と交換獲得して蓄積していた「(イスラムの)オスマン帝国の膨張」が、モンゴル帝国のペストによる恐慌で財政を支えていた「(信用紙幣の)交鈔紙幣」発行による通貨発行益を失って財政破綻して「交鈔紙幣」が信用喪失して紙屑化し、金による実貨幣を復活させて(東西遠隔地間交易での地中海中継交易を広域支配して「通行税」「関税」を大幅引き上げたことによってイタリア地中海経由の交易は衰退したので)、国際商人達は「航海技術」「造船技術」「蓄積貨幣」と共にレコンキスタによりイベリア半島全域支配に成功したスペイン、ポルトガルに移住して大西洋ルートを開拓し、大航海時代を遂行して両国、特にスペインに黄金時代をもたらした。

それらを主導したのは、イタリアの「ヴェネツィアジェノバ」の「ユダヤ人やカルバン派プロテスタント」であり、この過程で、マニュファクチュア生産様式は「商人資本主義の生産様式」として発明されたものであった。

・当時の英国は、仏国王下の(ノルマン人の)一諸侯(貴族)が英国を支配した「制服王朝」であり、その為、英国はスペイン同様に例外的な「絶対主義的王朝」で、仏式の「階級制生産経済」を徹底定着させたものの、農業生産力での生産飽和もいち早く訪れてしまい、副産物の「(羊毛原料輸出)による関税収入」で財政不足を補い、島国の地政学的軍事的優位性を生かして、既に「獲得経済圏」型国体としての領土拡張を欧州大陸に求め、武力と姻戚外交とで仏国のほぼ西半分を「英国領」としてアンジュ―帝国を築いていた。

仏国王にとっては、配下の一諸侯(ノルマン人諸侯)が侵略して英国王にもなり、更に仏国内の西半分をも支配して帝国を築いたことで国王としての権威は失われていた。

・このパリとその周辺だけの小領地しかなかった弱小一諸侯としての仏国王は「十字軍派兵」の際に英国王と現地で対立し、英国王を残して母国に引き上げ、他の諸侯と共に仏国内英国領を奪還した。英国は大陸内領土をほぼ失い、元の島国となり、領地が収縮してしまった。

十字軍遠征とその後の英仏100年戦争で、英仏両国の諸侯貴族は疲弊し貴族間の内戦を経て没落し、領地を国王に返上して廷臣化し、権力を国王に集中させ「絶対主義国化」が強まり、結果「封建制」時代は幕を閉じた。

仏国は「王権神授説」と「自然国境説」を楯に「領土拡大戦争」を大陸内の各方面で繰り広げ、カトリック化を徹底しようと自国内でのユグノー戦争(プロテスタントで彼らは弾圧を受け、英国に逃れた国際商人がこの後に「イングランド中央銀行」を設立したが)「フランドル商業自治都市」をも直接支配下にしようとした為、自治都市側は抵抗して英国に助けを求めたが、結局、支援国で羊毛原料供給国の英国に亡命移住していった。

・移民の多くは自治都市内で「マニュファクチュア商人資本主義生産」をしていた、スペインから亡命移転した(ユダヤやカルバン派の)商人職人達で、当時英国は「ユダヤ人追放令」が継続中だったのでユダヤを隠し、英国の大都市の職人ギルドとの摩擦も避け、良質な羊毛産地の「中部農村地域」に定着して拡散し拡大していった。

一方でフランドルに残ったカトリック系の羊毛職人達は、英国で「毛織物製品生産が移民により内生生産化」したことで「羊毛原料」輸出が激減し、衰退していく。

1350年頃(ペスト大流行の時代)にはマニュファクチュア生産が英国中部で始まり、1400年頃、英国の羊毛原料と製品の輸出額が逆転し、1500年には製品輸出だけになる。

・彼らの英国移住によって、海峡をまたいで形成されていた「毛織物の商人資本主義経済圏」は、英国内で内製化自己完結して拡大したことで、英国は「羊毛原料」輸出もする(生産経済国+獲得経済的資源国)の姿から「毛織物製品」を「商人資本主義生産」(して輸出し「輸出関税」に)依存した「商業国」でかつ「生産経済」にも依存する国、として下部構造の主従を逆転し「交換経済」依存国化した。

 こうして英国は、毛織物製品輸出(関税収入所得)と、農業生産(農産物移転所得)とを国家財源とする(「国際商業自治都市」ならぬ)「国際商業国」に実質転換して「絶対主義階級制生産経済」としての地主階級支配国体のままで、既存の「生産階級」と商工階級の国内「交換経済」領域を残したままで、国際商人によるマニュファクチュア資本主義生産依存の「商業国」に転換した。

・その後、英国内の国際商人達はプロト工業化 (=英国中部農村地帯での(国際)商人資本による「農村家内制手工業制」での輸出品の内職的副業生産、としての農村工業)即ち「商人資本主義生産」を「毛織物製品生産」以外の品目にも拡張して「毛織物輸出の交易ルート」に乗せて拡大その拡大に挑み、この地域の所得増と人口増をもたらし、更にこのプロト農村工業の生産様式は大陸にも伝わって(フランドルではリネンの生産による復活も果たしたが)毛織物と比べ、それ以外の各種製品の取引規模は小さく資本主義生産様式の原型のままの状態が続いただけ、であった。

・たとえ原理的に「資本主義生産」であっても「マニュファクチュア生産」「家内制手工業的内職生産」の域を出ない手工業生産で、都市の「職人生産」と比べて、商人への所得移転による資本蓄積はできても、輸送コストも嵩み、職人生産との優位差は小さかった。

 それは「交易範囲」が欧州大陸のままで、国際交易市場依存の生産であるにもかかわらず、市場拡大ができず、生産資本も商人資本で十分だったことによる。

この後の「綿織物の本格的な(信用)資本による生産資本投資での産業革命型の工業的機械動力生産化」(=1780年以降の「産業革命」)までの約400年間もの長い期間「商人資本主義生産(マニュファクチュア)」、「プロト農村工業生産」のままでの「国際的交易品の生産販売」が繰り返された。商人資本主義では、資本の本源的蓄積はなしえなかった。

しかし、「国際交換市場」の拡大による生産拡大需要が発生し、その為の貨幣不足を、中央銀行による「信用資本 (=信用紙幣発行による借金)によって生産資本の形成蓄積が実現して産業革命型の機械化動力化による工業生産が実現した。それは、マニュファクチュア生産の延長上ではなく同じ資本主義生産でも不連続である。

・「原理的な資本主義生産様式」が「商人資本主義生産」から「産業革命型の本格的な(信用)金融資本主義生産」に自然成長する、移行するには「国際市場需要の拡大」と、それを背景とした「信用資本(=借金貨幣)」とが必要条件であった、ことをも証明した。

「国際交換市場需要」の拡大条件が得られ、その為の信用貨幣発行による「借金」による貨幣不足を克服して「生産資本投資拡大」することによって「手工業生産」を「動力機械による工業生産」に変えることで、職人手工業生産との有意差を実現したことになる。

・「本格的な資本主義生産」に移行転換するには、生産資本への投資規模が「信用資本(=銀行での信用創造による信用紙幣の発行、即ち利付借金)」依存による貨幣生産を「金銀実貨幣」の本源的蓄積などに頼らず、待たずに、可能にし、それを実現した、のである。

要は、綿織物の金融資本主義生産化後も「毛織物は商人資本主義や職人生産」も持続したのである。

「国際市場での貨幣との交換需要」と「信用金融資本」の「2つの必要条件」が得られないことには、いつまでたっても「商人資本主義生産」や「職人ギルド生産」が継続するだけでしかない、ことが証明されたことになる。

・しかし、その産業革命もロンドンの近郊、とかではなく、英国中部農村地帯で発生したことは、「商人資本主義生産」「プロト工業化生産」と同様に都市部の(内需用の)「職人ギルド生産」との対立を避け「商人資本主義生産様式」の外形での延長線上で「産業革命型の資本主義生産」が形成できた、即ち、都市の職人ギルドの延長線上での進化による転換ではなかった、ということなので「マニュファクチュア商人資本主義生産」に「生産様式の原理」としての価値がなかったことにはならない。原理的には必要条件満たしていたことにはなる。

「信用紙幣による信用貨幣資本増」が「資本主義生産」での転換をもたらす最大の決定的要件である。

(本源的蓄積資本がなかった貧しい中国の資本主義経済発展は、国外金融資本からの借り入れで生産手段の動力機械投資により巨大生産が実現し、奴隷的な被抑圧少数民族農民工の雇用で最低限の人件費で、圧倒的低コスト生産を実現して世界の国際交換経済需要から既存資本主義生産を排斥して交換実現して労働所得も低いながら実現して世界市場での独占的地位を得た。先進国は国内「資本主義生産」を失い、捨てて、代わりに金融投資によって金融資本増する「金融資本生産」に移行した。)

・1694年の「イングランド中央銀行」設立により、英国は世界各地での英仏間の最終「世界市場覇権獲得戦争」を続け1763年の「七年戦争」の終結により、仏国は敗退「国際市場」と「原料供給植民地」の覇権的支配を英国が獲得したことで (英国の産業革命(1760~1830)型「資本主義生産化」拡大をその国際交換市場拡大を背景に実現した。

 尚、英国と世界覇権を巡って戦い、敗れた仏国は(財政破綻して国民全階層に重課税提案してフランス革命が発生、ルイ王朝は殺害されて共和政化したが、各国の反革命干渉戦争に革命軍が国民皆兵化できてナショナリズムが勃興し、ナポレオンが皇帝となりはねかえすことができたが)、このナポレオン時代の1800年に、英国に100年遅れで「仏中央銀行」が設立され、1830年代に産業革命が始まった。

・この経過からも「中央銀行」設立が、国際市場の支配権獲得戦争を勝利させ、かつ、この交換需要の拡大に対応する為の産業革命による金融資本主義生産による高度化転換が実現した、という流れ、なのである。この豊だった大国であった仏国の遅れは、多分に「カトリック原理主義王制」による商業軽視にあり、スペインと似ている。

・それでも英国でも「上部構造」は相変わらずの農業余剰所得の移転依存の「絶対主義階級制生産経済」王制国体のままなので、上部、下部構造間での「ねじれ国体」ではあったが、この「ねじれ」は16世紀の「市民革命」を経て議会を制定し、内閣が国王の行政執行権を代行して「(国際)交換経済国」化を旧農業国体の形骸化王制下で実現していた。

その過程で、王を殺害して共和制化を実行もしたが、既存の農業からの財源調達の統制秩序を不安定化させて混乱し、結局はドイツから英語もできず政治参加もしない外戚関係者を国王に迎えて「王政復古」し安定化した。

・英国は、領地増による農業生産増依存ではなく「国際交易」拡大に依存して更なる関税収入増を拡大した為に、「国際交易」による商業的所得移転依存での拡大路線を選び、欧州大陸での領土拡大戦争依存より「造船力」「海軍力」強化で国際交換市場の支配拡大をめざした。

西欧各国は「絶対主義階級制生産経済」国が大陸内領土の拡大戦争に明け暮れ、国際商人からの借款増で「金貸し」に「蓄積増」をもたらし続けていたのとは対照的であった英国は、国際市場覇権拡大での戦費増を伴ったので、英国も同様かそれ以上に借金に依存し続けていた。

 

  • 産業革命型(信用)金融資本主義」誕生の経緯

 

大航海時代後に遡って、英国の「国際的交換経済」の覇権獲得と、「産業革命型信用金融資本主義生産(綿織物での)」誕生の経緯も再確認しておく。

英国は、国際交易市場の獲得と支配、その為の海上覇権の獲得を得ようとしたが、大航海時代をイタリアからのユダヤ系の「国際商人」の支援を受けて先行した、ポルトガルとスペインが(英国の前に)立ちはだかっていた。

・彼らは英国の商業的「交易市場拡大」目的ではなく「暴力的な植民地支配」と「奴隷獲得」による「金銀の略奪」と「プランテーション生産」によって黄金時代を既に迎えてはいたが、商業、交易主体の「商業国体化」転換を望まず「階級制生産経済」秩序の維持に傾倒し国王は絶対主義かして「カトリック原理主義」による「異端審問」で既得権益を守り、大航海時代により発達しかけた「国際商人による国際交換経済領域」の拡大を求めたイタリアから移転してきたユダヤ人、カルバン派の商人や富豪を弾圧して商業国化転換の芽を自らの意志で摘んだ。

これにより、彼らはスペインから脱出し、植民地のオランダやフランドルに「国際交易拠点」と「蓄積金融資本」を移行して経済発展地域化させ独立運動も起きてしまう。

英国は、まずスペイン、ポルトガルの商船を海賊に襲わせて積み荷の銀を略奪し、更にスペインから独立しようとしたオランダに加勢して海上覇権獲得に注力した。

ポルトガルは先行してアフリカ西岸の交易拠点づくりから始め、銃を拠点で売りさばき、内戦を誘発させては戦争捕虜を奴隷として獲得して「奴隷貿易を国際的に専売化」させて儲け、海上ルートの喜望峰経由(=東回り)でのアジア各国際市場への直接アクセスに成功、日本にも到達して同様に銃を売り、戦国時代を加速化誘導して敗残兵を奴隷として買い、他国に売り捌いた。またブラジルを発見し植民地化してプランテーションを根付かせた。

他方で、スペインは、出遅れたことで、西回りでアジアを目指して航路開発し、新大陸(南北アメリカ)を発見してこれを開拓制服して植民地支配し、奴隷を使ったプランテーションと鉱山開発で、金や銀を採掘させて略奪し「金銀資源国」化して黄金時代を築いた。

・更に後れをとり、大西洋航路の開発と植民地支配の後発国となった「英国」は、1561年に初めて西アフリカで奴隷狩りを始め、セネガルザンビアから奴隷と胡椒を持ち帰り、翌年には英国から織物を積んで西アフリカで黒人奴隷と交換し、サントドミンゴに運んでスペイン人プランターに売却して砂糖、皮革、銀、等と交換して本国に帰還、莫大な利益を手にし、三角交易で商業利得を獲得しつつ、その陰で、密約を交わした海賊にスペイン商船を襲わせて銀貨を強奪させて、そこからの利益で自国の軍艦や大砲を生産して海軍を強化育成して海上覇権をスペインから奪取しようとしていた。

・1568年、オランダは国際交易により富を蓄積してスペインと独立戦争を始め、英国はオランダに加勢して「1588年のアルマダ海戦」でスペイン、ポルトガル連合艦隊(無敵艦隊)を破り、英国は遂に海上覇権を奪取できた。

(そもそも海戦のスタイルが、船をぶつけ乗り移って奪う旧来方式のままのスペインに対し、大砲で砲撃破壊してから乗り移る英蘭の戦法、戦闘艦の性能が勝ったが、「海賊」が「提督」となって海戦を勝利に導いた面も。

スペインの船舶技術はユダヤ人から教えられたままで進化しておらず彼らを追放したことで技術革新が遅れた)

1648年、オランダは遂にスペインから独立したが、南部のフランドルはカトリックで独立せずオランダと別れた。

 ・オランダはスペインから逃れたイタリアを源流とするユダヤの富豪達の資金や、各種の生産技術開発により、またカトリック的規制から解放されて国外の有力、優秀なカルバン派やユダヤ人達もまり、干拓、造船、海運、貿易、金融、銀行、株式会社、教育、医療と総合的経済発展が得られ、最盛期には英国の3倍もの船舶を保有して、世界に拡散していたスペイン、ポルトガルの交易拠点を次々と奪い、世界貿易全体の半分を占める程に成長して海上覇権、国際市場覇権、金融覇権を獲得して小国ながら「覇権国家」となった。

・英国は独立直後のオランダと1652年には英蘭戦争を仕掛けて「航海法」を成立させ、オランダ船籍での交易を主要国際市場港から締め出すことに成功し、第4次までの英蘭戦争が海戦だけで行われ、その全てで英国が勝利した(1784年)ことで、オランダの世界覇権は翳り、金融資本家達もオランダでの事業を整理しはじめてロンドンの「シティ」に移転していった。

・英国はオランダの支配していた世界の交易拠点を次々に奪うが、それにフランスも参加して、インドやインドシナアメリカ南北大陸、と、世界各地で植民地支配覇権を争い(第二次英仏100年戦争)、英国は「中央銀行(1694年)」を設立したことで戦費をまかない続けることに成功し、更にその信用貨幣発行による金利獲得目的の為に民間にも貸付けを拡張して、産業革命型の「信用金融資本主義生産化」を実現して、工業生産力と軍事力を拡大できて世界各地から仏国勢力を駆逐して世界覇権を確立した。

・この対仏戦争で債務増であえいでいた英国を「イングランド中央銀行」設立で救ったのは、何と仏国内でのカトリック原理主義国王によって弾圧され、ロンドンのシティに逃れて「金融業」を営んでいた反カトリックカルバン派の「ユグノー」達がその資金を出して株式会社として設立したもの。戦費を銀行発行の信用紙幣との交換で「利付国債」発行を賄い続けて世界覇権を獲得できた。

更に産業革命型の「信用金融資本主義生産」化を「綿織物工業」で成功させ、それを他の軍需品や消費財製品生産、更には生産財としての機械生産(重工業生産)にも拡張して、英国を「世界の工場」に押し上げたが、銀行は、その「貸付利子」の対象を拡大して貨幣生産増によって蓄積増できて「金融資本」を急速に成長拡大できた。

(これが「資本の本源的蓄積」による拡大再生産であり、国際交易拡大による輸出(国際的交換経済)の為の「生産様式の金融資本化」転換を信用紙幣発行で行って資本蓄積増した、のである。)

 

  • 綿織物「産業革命型資本主義生産」開始の経緯

 

・遡ること17世紀には、英国東インド会社の目的であった「香辛料」と「インド産の綿布」をオランダ、フランスの各東インド会社と輸入競争していたが、それにより「綿製品」需要が世界的に高まり、アメリカ新大陸からの金銀供給は続いていたので、金銀実物貨幣で買い付け継続は可能だったが、例えばインドネシアモルッカ諸島で「香辛料」を仕入れる際、現地商人は金銀より「インドのコロマンデル産綿布」との交換を迫ってきたほど綿織物製品人気は世界市場で高まっていた。

アフリカ人奴隷の仕入れにもインド産綿布が求められ、これまでの銃やラム酒の需要も既に低下していた。

こうして「インド産綿製品」は、金銀と並ぶ世界共通通貨の役割さえ果たしだし、インド綿織物産業は世界の衣服市場を席捲して、生産衣服の2/3を輸出することでインド経済は潤っていた。

 ・英国も競って「綿織物と香辛料」を買い付けて西欧に運んだ為、英国も輸入超過による貿易赤字に転落し、金が流出し続けただけではなく、英国内市場に綿布が浸透しだすことで、自国の「毛織物生産業者」達の暴動にまで発展したので、英国政府は1700年「インド産綿布を輸入禁止」にした。

その後、英国はインドの植民地支配を強めて「徴税」を強化拡大して輸入超過は克服し、更に「綿製品の国内生産」に挑戦した。

綿織物製品は作ればすぐ売れることから18世紀後半には「信用貨幣資本を生産資本に投下」して「動力機械工業生産」化が実現し世界市場に大量輸出できた。

・英国は、もともと毛織物での繊維生産技術はあり、これを応用して100年後に「信用貨幣資本」を生産資本に投入して「手工業の道具使用での人力消費生産」から「機械による動力消費生産」に切り替えて大量生産化(職人的生産から「資本主義的生産」化)に成功した。

いかに「綿製品」の国際需要が(少なくとも毛織物製品に比べても)大きかったかを物語っている。

英国での「綿織物の信用金融資本主義による内製化生産」での大量輸出が始まると、インドの綿織物輸出は1800年以降急減し、1830年代には、インドは「綿織物輸入国」に転落、英国からの輸入で賄うまでに追い込まれた。

 ・当時のインドの綿工業生産は、国内で原料綿花を生産して家内制手工業で製品化して世界市場で売れた世界初の工業製品であり18世紀末迄インドが独占状態であった。

英国は、産業革命による綿製品の工業化大量生産販売をインドに代わって実現する為に(即ちインド国内での農民や職人の労働所得を英国に移転させ、英国内労働所得を増やしつつ金融資本蓄積する為に、機械化生産し、原料綿花もアフリカ奴隷を仕入れて北米の植民地に輸送して「プランテーション生産」で安価に大量生産させ、それを国内工業生産物と現地で交換して英国に持ち帰り、金融資本からの借金で「動力機械設備」を導入して大量生産して、国内労働所得増を最低限に抑えて機械で余剰生産させて金融資本蓄積しつつインド産綿布を下回る生産コストを実現してインド産製品のシェアを奪った。

・「信用金融資本主義による動力機械大量生産」化、はインド綿工業生産を破壊して国際市場で独占販売する目的で導入されたのだが、銀行券による生産手段の機械化動力化設備投資資金での「信用貨幣」による「貸付利子」の獲得、を主目的としていた。

この成功で「綿製品以外」の商品生産にも拡張適用(生産機械、運輸機械輸出)して世界の工場となり「国際交換市場」に持ち込んで商業利得の国際商人への貨幣資本蓄積増に貢献し、更にその貨幣増分から銀行の利子蓄積増に分配させつつ国際交易市場での占有率を拡大した。

・「信用貨幣」の原理は、巷の「ゴールドスミス(金匠)」での「預かり証」の過剰利付発行による「金融業(金貸し)」の「闇経営」を、国家の「金融制度」として採用して銀行制度を合法化したものである。

これが「金融技術」の進化として英国に「信用金融資本主義国化」転換をもたらしたことになる。

国際市場拡大に対応する為の「利付借金」による生産資本の機械化投資による生産革命をもたらしたことになる。

・英国は、こうして単なる(毛織物のローカル国際市場としての寒冷地域、又は冬季対応用の国際市場)対応のマニュファクチュア「商人資本主義商業国」依存の姿から(「綿織物のグローバル国際市場」対応)の為の銀行による「信用貨幣(銀行券)」による銀行の「利子蓄積増」の為の借金による「信用金融資本」に依存する生産様式への転換による「信用金融資本主義国」に大転換した。

 それは「商業国」化を経て「金融資本主義国」化して「資本主義生産」の高度化と、「国際交換経済」での国際基軸通貨発行化での「信用資本輸出」による金利獲得目的に依存する「信用金融資本国」化をもたらしていく。

 

  • 「(信用金融)資本主義生産化」の国内飽和

 

・英国を金融支配した「国際商人に由来する金融資本 (銀行)」は、英国での信用紙幣発行による貸付拡大での経済発展が飽和に達すると、借り手が国内で飽和してしまい更なる貸付拡大による利子所得の移転獲得先を国外に求めることになる。もともと国内需要用生産は「国内交換経済」領域での「職人ギルド生産」で賄われており、「国内に資本主義生産」をわざわざ持ち込んで国内総需要に対して過剰生産する必要はなく、国際需要用に国内資本主義生産を拡張して商業利得を獲得してきたが「国内資本主義生産」で当面の「国際市場需要」が満たされてしまったので、貨幣生産増需要が作れなくなり停滞した。国外市場で、国内市場の場合と同様に「ポンド銀行券」としての「信用紙幣(ただの印刷紙)」の発行で「国際交易市場」の拡大で「金銀実貨幣」不足を補う信用紙幣発行することで貨幣生産増できることで、国際市場の拡大(信用紙幣ポンドによる)に対応をしようとした。一挙両得である。

・それは国内で飽和した「信用紙幣発行増」を国内での発行増での貸付のできる国外にも適用して、しかも国内の場合と同じく「信用紙幣のポンド発行貸付」による「国際交換経済」での決済に必要だった「金銀実商品貨幣」に代えて交換市場化する、国外市場の国内市場化化の為に、国外需要の大きかった「資本主義生産化」の為の機械設備や動力機械等の生産資本と技術ノウハウを丸ごと「ポンド紙幣発行による借款で」国外売却することにした。国外から金利所得を移転蓄積できるが、これまで拡大した「国内資本主義生産」は、売却のたびに既存の国際市場に対して過剰生産化して停滞し収縮し、金融資本拡大だけが拡大する、資本主義生産過剰を誘発した。

・英国中央銀行発行のポンド信用紙幣を一旦、金本位制による金との兌換を付けて、金銀と入れ替えて交換市場では使用せずに担保用に銀行保管して、貨幣需要増に対しては「信用紙幣」を有利子で貸し付けて発行増して利子収入を得る国際的な所得移転を実現して拡大した。

 またその為に、国際的貸付を可能にする為に、各国に「中央銀行」を設置させ、ポンドとの為替取引を可能にさせ、「資本主義生産化」を拡大していった。

開国国も、英国ポンドを元手に軍事的、産業的拡大が実現できたが、国際交換市場需要は既に飽和到達していて新規参入余地はなく、市場の獲得闘争が続き、その為の軍需品生産需要が拡大して「信用資本の利付貸付」だけは拡大し蓄積増できた。

・こうして「信用金融資本」は国境障壁を超え「国際交易市場」を「英国内市場」化転換していった。

結果として「国際交換経済」を銀行発行のポンド紙幣で拡大でき、ただの印刷紙の「ポンド銀行券」で「利付貸付」を実現して「金利による所得移転」を蓄積増した。

こうして「綿織物」「機械」「軍需品」等の輸出の為の「世界の工場」だった英国は、その資本主義工場が世界的に分散して「金利を獲得増する金貸し国」即ち「信用金融資本国」に「商業国(商業用生産国)」から移行し、国内での工業生産は各国に拡散し、国内生産は空洞化していった。

・国外への国際交換市場の貨幣需要増を背景に「利付貸付」して発行銀行券分の貸付総額を拡大して利子分を英国中央銀行を通じて「国際商人」に貨幣蓄積増したことで「国際金融資本」として成長して、完済されるまでは利子所得の移転蓄積をただの紙でし続け、更に「貸付増」し続けないと利子収入を拡大できないので完済されると収入増が減りだす。それ故に、「国際交換経済」実体を拡大し続け「貨幣需要」を増やし続けて貨幣不足をもたらすと貨幣発行増が継続でき銀行を存続できて「利子による所得移転」が継続できる。

 ・こうして「国際交易」増による「商業利得の蓄積貨幣」増とは別建てで「国家や生産者への利付での信用貨幣発行による貸付」が新たな「貨幣生産増」ビジネスとして確立されて成長する。

この時点で(国際的交換経済を除き)「貨幣」の現物「金銀商品貨幣」依存の時代が歴史的に終了し、国家は「中央銀行」の管理下の多重債務者の一つ、となる。

金銀貨幣でなくとも「銀行」の金銀換算できる「資産」を担保として、銀行による10~100倍規模の「信用貨幣」生産発行によって信用貨幣が「金銀商品貨幣」に代わる時代に本質的に転換したことになる。

貨幣を生産コストのない状態で発行できるので、貨幣不足は今後起きずに済む時代に移行した。逆に、発行過剰による競争激化、淘汰による衰退の道を歩みだす。

・しかし、信用貨幣は「交換経済」の裏付けの存在によってしか、その必要性も価値もない「ただの印刷紙」なので、いつでもモンゴル帝国での「交鈔」の運命にさらされる不確実性はあり、金銀商品貨幣とは異なる。

「信用貨幣」の発行増での軍資金調達力によって戦争の勝敗は左右されるので生産増と爆発的消費増を維持し続けることができた英国は戦勝し、国際覇権を獲得できたのであり、「信用貨幣」で戦勝と、国際市場での基軸通貨化をも実現した、ことになる。

・英国は銀行の国外への「貸付金」が踏み倒されない為に(実は印刷紙でしかないポンド紙幣にすぎないので踏み倒されても実損は印刷代でしかなく、モンゴル帝国の「交鈔」と同じ類なのだが)、国外の債権を暴力で回収できるように「英国軍」を必要に応じて派遣して「国際交易市場」を英国支配下で管理し支配して債権回収した。

それは「国際交易市場の国内市場化」であり、ポンドを基軸通貨とすることで英国内の銀行金融資本の利子獲得による貨幣蓄積増をもたらし、英国軍に対外債権を守らせて利子の獲得を実行した。

 

  • 「信用紙幣発行」による「金融資本国」化

 

・「交換市場」での「物々交換」は、

「過剰生産物」→「貨幣」→「欠乏物」の間接的交換に依存し、「過剰生産物」→「欠乏物」、の直接的交換は不可能で交換が成立せず(=物々交換が市場でできない為)商人が、「過剰生産物」→「貨幣」、の段階、即ち「貨幣」→「欠乏物」の前段の交換を「貨幣」によって代行することで「貨幣」→「欠乏物」は進みそこで「商人」は貨幣を回収し「貨幣を市場に投入して回収する役割を果たす人」であり、その過程で2⊿G’分の貨幣生産増を実現して「交換市場」をも拡大する人なのである。

更に言えば「市場の拡大(交換用生産物の拡大)」需要に合わせて、貨幣を貸し付けて拡大するする人でもある。

・結局、この時代に「貨幣資本」を「蓄積」できるのは、「階級制生産経済での派手な消費、戦争による消費をしない支配階級(余剰所得の移転支配)」分、と「交換経済」領域で「もちこまれた過剰生産物」の一部を「+⊿G’分移転」できる「(国際)商人」(一部国内商人も可)となる。

ここで先進国(農業)「生産経済」が飽和限界に達してしまうと、余剰生産物(穀物)の生産増による「残所得増」は停滞し前年並みの「残所得」しか得られず「国際交換経済」は拡大せず「商人」の元には前年並みの「+⊿G’分の貨幣蓄積」が死蔵蓄積として継続して積み上がるだけで「交換市場」は拡大せず、貨幣の活用機会を失う。

・しかし、いずれ必ず「階級制生産経済」国の農業生産力は、既存領土 (耕作地面積)に規定されて、可能な耕作地を開墾し尽くしてしまうと(まれにしか発生しない農業革命的な生産性増でもおきない限り)生産力が飽和限界に達して頭打ちとなり経済停滞しはじめ、交換経済にも停滞を波及させるが、「階級制生産経済」国は戦争国体化して「死蔵蓄積増」していた「貨幣」を吐き出しても不足して「利付で商人から借金してくれる」のである。

しかし「商人」は自らが「階級制生産経済」での交易未参加国を参加国化して拡大できれば「交換市場」で「経済圏間交易」での「獲得経済」圏からの「資源や特産物」の交換用余剰生産を相変わらず拡大でき、「獲得経済」圏も停滞のあおりを受けないで済む。

「国際商人」には、貨幣蓄積増の拡大余地、と共に活用用途のも残されていたことになる。

・「商人」の貨幣蓄積増は、「国際交換市場」が拡大すると国際市場での金銀実貨幣が「交換経済」に必要なことで貨幣不足をきたすし、一方で戦争国体化国の商人からの「利付借金」の需要は高まる一方なので「金銀実貨幣(商品貨幣)」は国内で不足欠乏し、増加し続ける戦争国体の「利付借金」は「金銀実貨幣」に代えて法定通貨化させた兌換「銀行券」の発券で代用することを思いつく。

 「イングランド中央銀行」の設立である。

 これにより「不足する金銀貨幣」に代えて印刷するだけの「銀行券」という銀行の「債務証書」を印刷するだけで、貨幣を産み出せて「金銀商品貨幣」の不足による弊害を解消でき、時代は「商品貨幣」による「交換経済」の時代から「擬制金融資本の時代」に転換した。

・更に、「信用貨幣」は国際交換経済では全く通用しないただの印刷紙でしかないので、「信用貨幣」が通用する「国際交換市場」、即ち「国際交換市場」の覇権支配による基軸通貨化を実現して、あたかも一国経済圏(国際交換経済の国内交換経済化)として機能させ、国内での「産業革命型生産資本主義生産化投資」に対する「利付貸付」拡大=資本主義生産化と共に国外の「国際市場参加国」への銀行での「利付貸付」と「産業革命型生産資本主義生産化投資」への「利付貸付」の拡大=資本主義生産化を国際通貨の基軸通貨化で拡大して利子拡大分の貨幣蓄積の爆発的蓄積増を実現していった。

・また、未開の遠隔地での新たな国際交易拠点の拡大開発には、費用もかかり「軍事的外交的リスク」も大きく、現実には海軍力、外交実務力等も要求されるので、「大型商業自治都市」規模の(オランダ)は、民間で海軍と外交権をもって対応したこともあった(VOC)が、荷が重く限界もあり「銀行」が債権者として国を支配して、国体財政で海軍と外交力を「交易圏の拡大」に利用して、国家に自ら「国際市場を拡大」し治安維持をさせる方が安全で格安なので、「国際金融資本(=貨幣蓄積した国際商人)」は、戦時国体化国への「金貸し」即ち「金融業」を強め、国家に「国際交易市場」を拡大支配させた。

・1602年のオランダの東インド会社(VOC)のように「民間の貿易会社」が軍隊を持ち、条約締結権さえももつことを国家承認した民間依存の場合もあったが、英国は「国家」として「商業国化」して、自国で海軍力を強化し、国際交易都市を占領拡大して「国際交易市場」を拡大させた。こちらの方がより強力でより効率的であり、その為には他国との交易拠点の獲得戦争を国家として実行して勝たせなくてはならない。

そして基軸通貨の通用する「国際交換市場」を拡大する。

・いざ国際商人の側に立って考えると、金銀等での蓄積貨幣は(期首には)確かに商人の「蔵」に蓄積保管されており、それだけを見るとあたかも「商人」は大金持ちで「蔵」には金銀がうなる程あり、それから国体は借りられるはず、と単純に考えられがちだが、それもあながち間違いではないが、その金銀は期末まで全部が「蔵」に金銀貨幣として存在し続けてはいない。

「G―W―G’」即ち交換期間は「貨幣→余剰生産交換物→貨幣増」の不等価交換の連鎖循環に投下されるので、価値形態は常に転換し続けており、「蔵」には金銀貨幣が全くなく、「交換物」だけになっている時期もある。

国家への「借款」用に固定的安定的に金銀が運用できるのは、せいぜい「G’」のうちの「 ’」部分、即ち「期末の貨幣増での増分部分」か、「死蔵蓄積」させて将来の交換に備えた分、しか貸せないはずである。

・もし、期首「G」の金銀貨幣蓄積資本の全額を「戦争依存国体」への「借款用」に国に貸し出してしまえば、期中の「蔵」の中身は国家の「借用証書」としての「利付国債証書」があるまま、であり、国からの「借款」完済時までの期間に得られるはずの「商業利得の蓄積増分」即ち「 ’」部分を下回らない利子をつけてくれなければ、国家に全額を貸し付けることはできない。

しかし、それで全額貸し出せば、その期間は本業の商業活動が停止してしまい、商業利得による予定した貨幣蓄積増が得られないばかりが、それは貸付金利で立替られるとしても、問題は国際交換市場での商業活動を放棄させられ、国際市場に持ち込まれた交換用余剰物の交換を滞留させて機能不全を起こさせ、やむなく新規の国際商人を入れて「国際交易市場」を機能させることになり、交易市場での「国際商人の既得権益を失う」ことになり、交換市場を混乱させて復帰できなくなる。

・それ故、期首保有貨幣の全額を「借款」にあてるなら「商人を実質廃業」することになり、その資金で「金融業」に転業する他はない。

更に、「借款」が一度きりで、返済完了してしまうと再度新たに同額以上の「借款」を保証してくれなければ、また、期中に国家が戦勝して敗戦国から賠償獲得するなどして「国債証書の返還」を求めて借りた金銀を返済して完済すれば、金融業者の保有の「利付国債」は減り、又は失い、それは金利を得る目的の「金融業」の縮小又は廃業を迫られることにもなる。

・商人は「商業」から「金融業」に全面転換して業種変えするにはリスクが大きすぎるので、国家の徴税権を担保に取ってリスクヘッジし、徴税債権を割り引いて国家から買い取って徴税人を雇って国家に代わって国民から徴税して国民に嫌われた歴史もあったが。

・商業活動中は「G―W―G’」即ち「貨幣→余剰交換物→貨幣増」と価値形態を常に転換して循環し続けるものの、価値形態を問わなければ、何らかの価値物は「国際商人」の元に存在し続けてはいるので、これを「担保」として、金銀現物を貸すと国際商業活動がその分阻害され縮小するので「金銀貨幣との交換を約定した兌換銀行券を発券」し、金銀を直接貸さずに(国際取引には金銀が貨幣として必要なので)、銀行券を国家に法定貨幣として承認してもらえるのなら、国際商人の出先機関としての「銀行」に「利付国債」と発券「銀行券」とを交換できるようにする。

・国家は金銀現物代わりに受け取った担保分を上限として発行される「金銀との兌換を約定した」「銀行券」を受取り、同額の「利付国債証書」を銀行に渡して、銀行に利付返済債務を負い、「銀行券」を「法定通貨」として「国内交換市場」での「貨幣」として現実の「国内交換市場」で通用させることができれば、また「法定通貨」での納税を認めれば、通過として流通し、軍需品を市場から調達して労働市場で傭兵を雇い、市場で戦争の為の軍需品調達が「銀行券」による「借金」で可能になる。

・「国際金融資本の中の金融事業子会社(=銀行)」の「蔵」には兌換発行銀行券分の金銀があり、何時でも金銀との交換は可能という設定だが、事実は先ほどのように、期首か期末でもないとあるはずの金銀現物はないが、国家には通貨として通用させた「銀行券」を「銀行内の蔵にあるはずの」金銀と交換するニーズは全くなく、戦争遂行の為の過剰消費に充てるので、担保にしていたはずの金銀は「国際商人」の国際取引に使用できて交換市場を拡大でき「利付国債」が「蔵」に眠るだけで問題はおきないばかりか、「国家への貸付」が可能で市場で「通貨流通」できる「信用紙幣」は、担保を超えた発券も、対国家に対して可能になり、その信用は民間製造業にたいしても同様に可能なので、担保を超えた貸付増による金利蓄積拡大の手段として「資本主義生産化」を拡大した。

・この「利付国債」の国の債務を消すには、戦勝後に得た相手国からの莫大な金銀で返済して国債を回収し債務を消す。しかし、新たに国家が借金してくれないと銀行は利子が得られなくなり「金融業」としては店じまいを迫られることにもなるので、一旦銀行を設立すると、国家への発券「銀行券」による「利付国債」との交換による「貸出」し、だけでなく、国家の爆発的消費増の為の「生産急増」需要の為に、(貸し出す発券銀行券分と何時でも交換できる金銀が銀行の「蔵」にはあるはず、との信用が国家への貸し出しで既に得られているので)「信用創造」による銀行の自己資金(担保分)を超えた数倍、数十倍、百倍近い「信用貨幣」(=発券「銀行券」)の発行が可能となり、「金利は発行総額分」に対してかけられるので、「金融資本の利子分の蓄積」を対民間貸付からも得られて爆発的消費増の生産増を可能にできる。

・信用面で正規に銀行券を発券するには、その発券量は本来なら保有担保以内に制限されていなければならないが、銀行から借金して受け取った兌換銀行券をわざわざ銀行で金銀と交換する需要があるとすれば、金銀を装飾品原料とする金細工師や銀食器の職人、又は国際交易で貨幣として使用する「国際商人」くらいで、あとは爆発的消費増の為の「交換市場」拡大の為の生産力増拡大目的の資金として交換に使用され、「交換市場」参加者の生産手段の機械化動力化に投資され、貨幣は持ち手を変えて所有者の手に残り続けて市場内を循環するだけなので、金銀貨幣を貸したのと全く同じ作用をもたらす。

 ・また、戦争が継続し続ける時代は、国家の借金による過剰消費が続き、財政が不足しつづけて雪だるま式に借金が膨れ「借金」の完済前に、即ち銀行の担保増以前に追加融資の需要が起きて、国家に対して担保割れしたままで「信用創造」による過剰な発券「銀行券」で追加融資分の「利付国債」と交換されることになる。

国家は市中で法的に通用する銀行券で戦時消費を賄って戦争を継続し続けられるので戦勝確率は高まり、銀行は紙幣の印刷コストだけで、担保のない銀行券で「利付国債の償還債務」を国家に負わせることができて利子を稼ぎ続けられる。

・金銀と国債との「交換」による貸付、ではなく、発券「銀行券」と「国債」との「交換」即ち、国債をほとんど無料の銀行券と交換、ただの紙で「利付国債」を銀行が得られるので、銀行は金利を獲得できるが、国は銀行の担保不足をたとえ知っていても承認せざるを得ない。実際には戦勝して生き残ることしか頭にないので国際商人の底なしの資金力に驚いていたレベルかもしれないが。

・このことで銀行は利子を稼ぎ続けられるが、この仕組みは、国内で密かに発生していた「ゴールドスミス(金匠)」による「金融技術」のパクリであり、この制度化でしかないが、これが「金貸し金融業」の「金融技術」進化そのものであった。

また「生産資本」を「借金による固定資本化(機械化動力生産化)投資」によって利子を得て、余剰生産させてその余剰分の交換後の販売後貨幣を貨幣形態で蓄積増する「資本主義生産」を「商人資本主義生産」に替えて「信用金融資本主義生産」化転換した、のであり、この貸付による利子も銀行が蓄積増できた。

こうして担保実体のない「信用貨幣(銀行券=偽札製造)貸し」で「期間金利」を貸付先の国や生産企業から得て貨幣蓄蔵増できる、という金融事業モデルを確立し「銀行業」という「金融技術」で金融資本から自立させた。

・「国際金融資本」による「商業利得による蓄積貨幣」から、ではなく、担保実体のない銀行の「信用創造」による発行貨幣(信用銀行券)により国家の借款が成立し、信用創造による「銀行券」発券、だけで利子増分の貨幣資本蓄積ができる「信用金融資本主義」国化が、「中央銀行設立」で実現したことになる。国家の「通貨発行権」の「金融業」による奪取、を成功させた。

 国家という事業体の株式を金融資本が握り、拡大して、国家の筆頭株主になった、に等しい。国家の富国強兵に対して利付投資が金融資本によってなされ続け、それは現代まで続いている。

・金融業としての銀行は、原価ゼロでの「金の成る木」で貨幣生産でき、国家にとっては「打ち出の小槌」になる。

したがって「銀行」設立の提案は金融業者から間接的に国に持ち込まれ、金策に悩んでいた国がこれを受入れた。

  こうして「国家」(企業も)は「中央銀行」設立で「金融資本」の信用創造による利子の貨幣蓄積増の道具とされ、国民は過剰消費に伴う借金返済の為の道具とされた。

・しかし英国はこれにより第二次英仏100年戦争に勝利できて世界的な交換市場の覇権、植民地を獲得し、英国シティに集結した国際金融資本によって拡大できた世界の英国覇権の市場をポンド市場圏とした。

信用創造」の銀行券は国外との取引では相手が受け取らない。そこで金との兌換紙幣化により「国際交換経済」でのポンド通貨の国際通貨化、「基軸通貨」化して、国外にも「信用貨幣での金貸し」の原理を「拡張」して利子による金融蓄積増を拡張することになる。

この画策はオランダにいたロスチャイルドのネイサンが「イングランド中央銀行」の役員になってから本格化して国際金融資本を更に拡大した。

そして、英国以外の国家への金貸し需要による拡散は、英国の通ってきた道と同様、「戦時国体化による軍需品調達」及び「資本主義生産化」の為の「金貸し」であり、また国際交換市場での他国の「資本主義生産化」の為の生産手段導入用の資金需要用の金貸し(ポンド貸し)によって利子分の貨幣の所得移転蓄積ができたが、その為に他国への「銀行」の「支店」の配置と、何よりも切実さを演出させる「戦争」や「世界大戦」による貨幣需要の拡大に依拠していた。

この世界の経済史を根底から変えた「イングランド中央銀行」(スウェーデンに次ぐ世界最古)の設立 (1694年)の経緯を一応見て共有しておく。 

  海外戦争に次ぐ戦争で英王室の財政は窮乏し、1672年から1697年の25年間で、負債が225万ポンドから2000万ポンドに膨らみ、この解決策として、英国は以下の3つの財政政策を決定した。

イングランド銀行の設立」

「国庫証券の発行」

「利付永久公債の発行」、の3つである。

この提案は、スコットランド人のウィリアムパターソンによって起案され (巷で密かに広がっていたゴールドスミスによる錬金術の原理を国家で採用する提案でしかないが)、財務長官のチャールズモンタギューが採用を内定し、ウィリアム3世の「勅令」を得て認可された。

・それはロンドン、シティの金融業者団(フランスのカトリック支配で弾圧され追われたカルバン派ユグノーのシンジゲートが中心となり)この提案を受け、条件として10万ポンドの利息と4000ポンドの維持費の恒久的支払を条件に120万ポンドを集めて政府に貸し付け、株式会社として設立されたもの。

この時点で英国政府は、財政的には「イングランド中央銀行」の株式会社の傘下になる。

  政府は120万ポンド以内での署印手形の発行を認めただけだったが、結局は署印のない現金手形も発行しだした。

1697年、「銀行通貨発行権」での独占権を獲得した。

18世紀後半アムステルダムにいたネイサンロスチャイルドがオランダでの事業整理を終えて英国に渡り、イングランド銀行の理事を務め、

1816年には金本位制を確立して、ポンドを世界交易での基軸通貨とすることに成功した。(=国際金融資本銀行化)がここで世界初で実現した。

シティは世界の国際金融センターとなり兌換を維持して為替を調整した。第一次大戦金本位制は廃止せざるを得なかったが、戦後に復活させ、世界大恐慌を経て弱体化し、ウォール街に地位を譲り1946年に国有化された。 

・当時の英国はGNP比で280%近い公債を発行していたが、それで経済が揺らぐこともなく、第二次英仏100年戦争を戦勝できて国際交易市場覇権を確立し、ポンドを国際的基軸通貨として国際交易市場に強制でき、それは英国内での信用創造による「発券銀行券」を「国際交易での決済(=貨幣)」に使用できることで、交易国は印刷しただけのポンド紙幣を有利子で競って借り入れてくれた。

英国は国際交易による「商業利得」と「交易用生産物の「信用金融資本主義生産」による余剰生産分の利得、更に植民地からの税徴収によって借金の返済が順調にでき信用不安をもたらさずにすんだが、それは金融資本にとっては利子収入減をもたらすだけなので大戦化による貸付金需要増を目論んだ。

・銀行券を刷って貸し付けるだけで金利を得られる「信用金融資本主義」は英国と共に成長したが、彼らにとっての障害物は、借金をしたがらない国(=内戦や戦争を回避する自立型の平和国家)、国際交易依存度の低い鎖国的自立的な途上独立国、そしてまた借金を返済して金利獲得を減衰してくれる英国もその中に入るようになっていくと「借金による過剰消費の為の過剰生産」即ち「バブル経済の形成」や「戦争依存国による戦争経済の形成」で「国際金融資本」に依存して飛躍的蓄積増をもたらす。

たとえそれらが破綻して債務不履行になっても、貸付段階の発行銀行券は只同然なので、貸付金からの利子回収ができなくなるだけで、それまでの金利返済を蓄積でき更に銀行に実害はなく、儲け損なっただけ、只で発行した紙幣が金利を生みそこなっただけ、でしかない。

こうして国家の上部構造は「通貨発行権」の実質支配者、「国家株式の所有者」たる「信用金融資本」を支配する「信用金融資本国」に転換していったのである。

 

  •   英国資本主義のグローバル拡散

 

・1760年、世界初の「綿織物工業生産」で「産業革命」を成立させた英国は、先進工業国として世界各地から原料を集め機械を動力(石炭燃焼による蒸気機関)で工業製品を安価に大量生産して、世界各地に輸出して貨幣を交換獲得して「世界の工場」となって貨幣資本を蓄積増した。

 その後に重工業化して、世界に機械や動力装置をも輸出したことで、輸出先各国での資本主義生産化による国際市場の飽和による生産減、販売減を防止する為に、1774年には「機械輸出禁止令」を決めたが、国際的な需要の高まりを受けて1825年にその一部を、1843年には 全面的に禁止令を解除して、1851年には「世界万博」で先進各国に工業化の優位性を世界に見せつけて積極的に拡販したが、それまでの約80年間の「信用金融資本主義生産」物輸出による「資本蓄積増」は英国の独壇場であったことになる。

産業革命時には、世界の主要な「国際金融資本」はロンドンのシティに集中し、英国の「信用金融資本主義工業生産」による世界の工場化をもたらしたが、「禁止令」の解除後は、先進各国に技術と共に「機械製品」を輸出することで更に「金融資本」を蓄積増して、英国は「消費財の金融資本主義工業生産」から「生産用機械(=生産財)の金融資本主義生産」としての「重工業生産」にシフトし、「金融資本」は、生産財生産財投資にシフトし、更に「機械を輸入する各国」には、「シティの国際金融資本からのポンド信用紙幣の借款」をさせて金融蓄積増拡大し、ポンドの国際通貨化化が進んでポンド経済圏を作り、世界に信用貨幣で負債を負わせて基軸通貨化させて金融蓄積を持続したが、世界の工場を拡散させて国内空洞化しつつ国際市場を飽和させていった。

これにより各国の市場と原料資源の獲得支配の再分配を巡る戦争国体化転換が進み、国際需要は兵器生産競争としての重工業生産化し、世界大戦化して「国際金融資本」からの「借款」増を招き国際金融資本は蓄積継続した。

・こうして「機械輸出禁止令」解除後は、後発先進国に産業革命の「技術」と「機械製品」を商品として輸出した英国はその機械生産の為に重工業化転換して「金融資本蓄積増」は更に継続し拡大できた。

1830年に、ベルギー(フランドル)、30年代に仏、米、1840年代に独、19世紀後半(=1850年代以降)になると伊、露、日へと拡散した。

・ただし、英国の民間の産業革命への金融資本活用の場合とは異なり、ほとんどの国は、国営工場への(英国シティの)国際金融資本からの借款による機械、設備と技術の輸入による導入であり、軍事的強化目的であった。

後発先進国にとっては「産業革命」の輸入は「階級制生産経済国」の「工業化」による軍事強国化目的での「消費」としての要素が強く商売目的ではないので「資本主義化」でなく「単なる工業化」による帝国主義化の域を出ない。

消費財を剰余生産して金融資本を個別に蓄積増するには交換市場が必要で、市場はほぼ英国の支配下にあり、英国での世界の工場化だけで既に飽和しかかっていた。

負債を負って資本主義生産を後発導入した国は、英国覇権に挑戦して軍事的に交換市場を再分配させるしかない。

・結局は「絶対主義階級制生産経済」国間の「共食い的」

な「領土拡大」戦争での武器の高度化、量産化には寄与したが、戦勝による農地用領土、資源用領土の拡大と賠償金獲得でしか負債清算ができず、目的を農地だけでなく工業化用の原料や燃料資源の獲得とする領土拡大が戦争の目的に加わっただけ、であった。

工業化はできても資本主義生産化はできず、自国国際商人による商業利得の蓄積も、したがって金融蓄積もできないので、上部構造の国際商人や国内金融資本による「ブルジョア革命」も起こせず、アジアの中国やインドは英国との戦争で「産業革命」による「工業化」すらえられず「階級制生産経済」国体骨格が維持されたままで植民地化させられるにとどまった。

・英国の1830年以降は、資本主義的生産物の輸出は、対先進国には「綿製品」だけでなく「機械、技術」そして「金融資本」を輸出することで更なる「金融資本蓄積増」を獲得できたが、国家で資本主義生産化した先進国は、英国との国際市場での需要の獲得競争となり、英国資本主義生産自体を衰退させた。即ち、英国の支配していた国際市場と植民地支配に参入しようとして覇権の争奪戦となる。後発資本主義生産国により既存の国際市場需要に対する総資本主義生産量が飽和していくことになる。

英国開発市場とは異なる新たな市場開拓も進めるが、需要総体を拡大はできず、資本主義生産自体の拡大が早く、市場が飽和していた。

・英国は先行開発市場を独占しようとブロック経済化し、独の関税同盟に対抗した。そして英独の資本主義生産の覇権闘争を軸とした世界大戦に拡大し、国際需要は武器、兵器需要が最大需要化し、国内開発での需要を対象に資本主義化を急速に進めることができた米国に、その国際的軍事需要が加わり、信用金融資本主義生産化を加速した米国に、即ち国際金融資本が本家のシティからウォール街へと移動して対応し拡大した。

・米国のみは国内市場の拡大が継続でき、世界大戦での覇権獲得戦争には直接参加せず、最大消費、最大需要である武器や装備を商品生産して輸出で資本蓄積する本来の「資本主義」としての工業化を唯一できて資本蓄積でき、金融資本増に成功した。

・「農業生産の飽和」の場合と同様に、「絶対主義階級制生産経済」国のうちでの産業革命の後発導入国での資本主義化は、国際金融資本からの借款によって国家としての軍事体制を拡大したのと同様に、英国を真似て重商主義的に資本主義化したが、英国が既に開発し支配していた国際市場需要を拡大できずに国際市場が飽和して、資本主義生産の拡大は対市場で飽和停滞して戦争による市場の覇権獲得再分配戦争を誘発して世界大戦に至り、ここでの需要は相変わらず「国際金融資本」からの「借款」に依存した軍事的な兵器や装備の獲得が優先される軍事的専制的国体化が再来して、英国の場合と異なり国体は「絶対主義階級制生産経済」国体のまま国家資本主義化してブルジョア革命を経ないので「商業国化」せず、この国体のまま戦争経済化を工業化としてエスカレートさせただけであり「本格的資本主義国化」は世界大戦後の戦禍の罹災国の復興需要による国際需要の拡大と「ブルジョア革命」による政体転換により米国覇権の国際市場でのみ拡大でき、実質的には第二次世界大戦後に「信用金融資本主義生産化」した、ことになる。

・大戦後、冷戦によって「社会主義国」が登場し拡大して「国際交換市場」から分離離脱し、それ以外での米国を盟主とした国際市場での資本主義化国の復興需要市場での欧州、日本で資本主義経済化を拡大でき、資本主義経済圏内での飽和が明らかになり「共食い」的経済戦争が始まったときに、冷戦が崩壊して新たに巨大な敗戦国(=旧社会主義国)での経済「復興需要」が発生し、中露に対する「国際金融資本」の集中と、それによる中露の資本主義化の急拡大による巨大な経済復興が起こり、今またそれが飽和して「金融資本」の拡大市場を失った。

・この「国際金融資本」の冷戦敗戦国復興への資本の集中投下により、先進各国には既に「資本主義化増」の為の投下は行われず、「金融資本増」の最大化を目的とするので、資本集中できように金融資本投資をグローバル化自由化させて国家障壁を取り払い、特に中露に金融資本投資が集中して自国投資が収縮基調となる。

 その結果、中露やブリックスへの投資拡大も飽和し始めた。この間先進国の労働所得はそれによって伸び悩んだが、金融資本所得は拡大できていたので、「国際金融資本」はだぶついて投下先を失い、低金利を状態化させ「資本主義生産」化への有効な「金融資本」投資先のない時代に移行し、戦争での罹災による新たな復興需要でも起きなければ、資本主義化投資は成立しえない。

 こうして過剰な金融資本が徘徊し始めて投機に向かう。

・本格的な産業革命型の「金融資本主義生産」化は、国際交易市場での交換需要増の枠内で「金融資本=銀行資本」と「産業資本」が結合して金融資本蓄積増が得られるが、本質的には国際交換市場増での有限の需要に制約されるので、いずれは過剰投資となり、蓄積金融資本が投資先を失い飽和限界を迎える。そしてその後に市場の拡大、又は再拡大の環境変化が新たにもたらされると、交換需要増変化によって資本主義化への金融資本の結合増が復活再生して、また飽和してそれを繰り返す。

それはあたかも「農業生産力」の飽和と領土戦争による生産規模の縮小、と戦災復興による生産規模増による再飽和の反復、と類似した現象でもある。

「金融資本」の「産業資本」との新たな結合が得られずに貸借関係としての「金融資本」を残したまま「終焉期」としての飽和段階を迎えた、のである。

 

  • 産業革命型信用金融資本主義」構造の「範式」化

 

・世にいう「資本主義生産化」とは資本の増殖目的の生産様式のことであり、「G -W- W’- G’」として、より正確には「資本論」では「G-W(pm+A)…P…W’-G’」として範式表現されている。

ここで、G=貨幣資本、W=生産資本、Pm=不変資本(原料や道具減耗)、P=生産過程、W’=増殖後商品、G’=増殖後貨幣、である。

・「信用金融資本主義生産様式」は、これまで述べてきたように「金銀実貨幣G」ではなく「イングランド中央銀行」設立後の発行「信用紙幣」によるものであり、本源的蓄積により貯めこまれていた「金銀実貨幣G」によるものではない。利付の発行「信用紙幣」によって発生できた生産システムである。解り難いのは、本源的蓄積による「金銀実貨幣G」でもこの「資本主義生産化」は可能であり健全でもある。

しかし英国で「産業革命型資本主義生産様式」の導入は「中央銀行設立」直後の、政府が「信用貨幣」としての発行制限付きの「銀行券」で市場から消費財を「交換」調達し、紙幣が貨幣として市場流通され、実質的に発行制限が解除されて、民間生産部門への無制限に近い銀行券の発行による「有利子貸付」も実現して、それは「綿織物での産業革命型資本主義生産様式」の導入に始まり、英国内での世界の工場化、「機械等の重工業部門での資本主義生産様式化」に発展した事実からも、その初めから本源的蓄積による「金銀実貨幣G」によるものではなく「擬制資本(株式資本等の他人資本)」をも含む「利付で発行される信用貨幣資本」による「生産手段」の「機械化動力化転換」の実現が本質である。

・「金銀実貨幣G」だけでは、この「生産手段」への拡大投資は実現し得ないので、英国のマニュファクチュア生産も400年続いたままになった。

 「貨幣資本」はGではなく、Gz(=信用貨幣資本や擬制資本)であり、この拡大資本でW(生産資本)を拡大して「手工業生産」を「機械生産化」して、商品を量産し、等価交換販売して「商品化したW 」で等価の「貨幣資本G」と国際市場で (W-G)等価交換でGを獲得して貨幣資本を回収するだけである。

・「生産資本W 」の中身は、W=(Pm+A)で、それを分類整理すると、Pm=(原料費m+道具減耗費W)の「不変資本」であり、A=労働力再生産費、の「可変資本」である。

マルクスの範式「G-W(pm+A)…P…W’-G’」は、問屋制マニュファクチュア「資本主義生産」の原理を、確かに正確に記述してはいるが、400年かかって本源的蓄積ができていたはずにもかかわらず「産業革命型資本主義生産様式」に転換移行ができなかったのであり、範式上での進化形態に反映されてしかるべきである。

・ここで「可変資本」の「労働力再生産費A」を「腑分け」してみると、「筋肉労働(手工業)」による生産、余剰生産を問題としたが、「筋肉」を「機械」で、労働エネルギー支出を「石炭や石油の動力エネルギー消費」で代替でき、それを合算したのがA(=労働力再生産費)にあたり、

 Aの可変資本機能は「動力エネルギー燃料消費」と「機械の固定資産減耗費」の合算で代替することになるが、両者共に「不変資本」に分類されてしまうことになる。

・もし、Aの全てをゼロにできるのなら、全てを機械と燃料だけで機械生産できるのなら「G-W(Pm)…P…W-G」となり、W’の⊿W=(‘)分の商品増殖もできず、-G’での

 ⊿G=(‘)分の貨幣増殖もできないことになる。ただのG-W-G、でしかない。

商人の基本構造である。商人は、確かに「(G-⊿G)-W-G」として等価交換していたが、

実体は「(G-⊿G-⊿G’)-W-G」として、⊿G’を貨幣生産増していたことは既に述べた通りである。

 ・ここで、前半のG-W(Pm+A)段階、即ち生産工程P以前の段階で、もしGを縮小代替できれば、即ち「金銀実貨幣G」を実価値担保力のない非価値物の「信用紙幣Gz」に置き換えて、Gz-W(Pm)、の交換を成立させると、生産工程Pを経由してW商品ができ上がり、貨幣Gと等価交換でき貨幣回収できる。(G-Gz)>0、ならば、(G-Gz)分の貨幣を回収でき、貨幣生産(G-Gz)ができ、それはGz保有者のものとなる。Gz保有者による、ある意味「偽札」の印刷代だけで原料と機械と動力原料を買い、自動生産させて商品を作り、その商品が貨幣Gと等価交換できれば、差引貨幣Gの儲けであり貨幣Gzの紙幣印刷代+紙幣発行手数料を銀行に金利として支払えば、この範式モデルでの貨幣生産=資本主義生産は(W-G)交換需要が市場にありA>W(Pm)、の関係が持続できる限り成立し持続する。

 ・範式は、「Gz-W(Pm)…P…W-G」となり(G-Gz)の貨幣資本資本増がA>W(Pm)の成立と「交換市場」の継続を停止条件として「産業革命型信用金融資本主義生産様式」は持続する、との結論に至る。

  ということは、この条件が満たされなくなる環境変化がおきることで「資本主義生産」は停滞し衰退することになる。即ち、国際交換市場の収縮、とA>W(Pm)の成立を脅かす、原料や機械原料、動力燃料の減少や枯渇である。

 

 

マルクスエンゲルスよる当時の「史的唯物論」、即ち

原始共産制」→「奴隷制」→「封建制」→「資本主義」→「社会主義」→「共産主義」は、これまでの経緯から、

以下のように改めるのが適切かつ妥当、と考えられる。

 「獲得経済」→「生産経済」→「(貨幣との)交換経済」→

 「(信用)金融経済」→「?」

 と「弁証法的進化」を遂げてきた、ことになる。

 この「唯物史観」に立ちかえる必要性がまずある。階級闘争至上主義としての社会科学、哲学宗教による意識改革とかとしてではなく、弁証法的進化としての自然科学的、社会学的必然性に依拠して、先回りすることが必要である。

 

  • 「資本主義」の衰退、停滞とポスト資本主義世界

 

 ・「?」に何が入るか、だが、前章から、筆者のレベルで推測できることは、非交換の「新生産経済」領域の拡大移行ではないか、現代のような「共食い的な獲得経済型金融資本主義社会」は「経済安全保障生産の拡大」による「国際交換経済依存の縮小移行」ではないか。国内でできることは国内でやること。

 ・「停止条件」への弁証法的飽和到達、原料や機械原料、燃料エネルギーの減少や枯渇、人件費高騰による生産様式適用範囲の収縮により、いずれ「資本主義生産様式」を信用貨幣で生産増できなくなり飽和停滞し収縮し、マニュファクチュア生産資本主義と自営業的商工業生産による「新中世」に収斂していくことになりそうである。

  そこに到達するまでは市場と生産の飽和による人類間の「共食い競争」が続き、それを乗り越えるまでには、まだまだ時間を要することになりそうなので、共食いを宗教的哲学的に排除しようとする平和依存の人類を増やすことしかないのだろう。

・個人的には「獲得経済化」した「金融経済」としての「金融資本主義生産経済」依存から「共食いの最小化」の為の、エネルギー資源の獲得としての、例えば「核融合エネルギーの開発」が最も効果的だと考えるが。

 以上

  • 資本主義の 生成、発展、及び衰退と消滅について

           

・歴史を基礎として「唯物史観」を継承し、経済史を主として「マクロ的、鳥瞰的視点」で振り返り、再分類、再評価、再定義し直して「資本主義」の(生成、発展、そして衰退又は消滅)に関する仮説構築を試みる。

 

  • 人類の経済史は、食糧の「獲得経済」から始まる

 

 ・人類は、今から約700万年前氷期時代のアフリカに登場した。

  氷期時代の地球は「乾燥寒冷な地域」がその大半を占め、海面は現代と比べて100~140m程低く、その差の大量の水分は地上、及び海上で氷結して大陸や島々の多くをつないで巨大な大陸を形成していた。

そして気温が不安定に上下動する短周期気候変動(ダンスガード・オシュガー・サイクル)を繰り返した後、今から約1万年前に「最終氷期 最寒冷期」を迎えて氷期時代は終了し、今度は一転して温暖化が続き氷結を溶かして大陸低地を水没させ、氷結で繋がっていた大陸からアメリカ大陸やオーストラリア大陸、その他数々の島々を海峡で切り離して、現代の地形に到達していった。

氷期時代の人類は、氷期「植相」自体を直接に食糧資源(消化吸収)とすることができなかった為、これらを餌として増殖できる「大型草食動物(マンモス、ナウマンゾウ、角鹿、ヘラジカ、バイソン等)」を群れで狩猟し捕食する「獲得経済」に依存して生存し、わずかに増殖もできていた。

そして「猿人」「原人」「旧人」等の「先行人類」を進化させながらアフリカに約20種程登場させ、2度の出アフリカも果たして大陸に広く拡散もできたが、最終的には「ホモサピエンス」種のみを残し氷期終了迄に他の全ての種が絶滅していった。

こうしてホモサピエンス現代人類共通の祖先となった。

・この温暖化の継続により氷期「植相」は衰退し絶滅し、新たな「植相」と入れ替わったことで、「動物相」も入れ替わり、この環境変化への適応ホモサピエンスはいやおうなしに迫られ、そして適応していった。

 

  • 「生産経済」の登場による異次元の「余剰生産力」の獲得

 

 ・氷期終了による温暖化で新たな「植相」と入れ替わった

が、この変化で「大型草食動物」は逆に食糧資源を失い、

衰退し絶滅して、今度は新たに登場した植相を餌として

増殖する「小型草食動物(イノシシ、ヤギ、牛、馬他)」

と入れ替わっていったが、それらは大型草食動物と異な

り動きも素早く、個体の肉量自体も少なかった。

他方で「新たな植相」の中に「大型種子植物(麦、米、

雑穀等)」の原種が登場したことで食糧環境は一変した。

・人類の「獲得経済」は「大型草食動物」を対象とする時代から、「小型草食動物の狩猟、魚や貝の漁労、木の実、果実、大型種子採集」に食糧資源環境が入れ替わった。

新たな (狩猟漁労採集)「獲得経済」への適応をホモサピエンスは迫られ、適応していったが、

中でも「大型種子」は「氷期植相」と異なり、人類が直接消化吸収することが可能で、更に種子としての増殖力、保存力、「採集」の容易さ、と幾つもの優位性を兼ね備えていたことで、氷期時代の「大型草食動物」に代わる「獲得経済」の主役になった。

・人類は、獲得経済での移動探索により「大型種子」の群生地を発見すると、採集し備蓄して備蓄が底をつくまでは移動せずにその場で留まり消費して生存できた。

その間に種子植物の特性を知り、採集した種子の全てを食糧消費せず、一部を「人為的に『播種』して「人工的に群生地を増やす」(農業)「生産経済」を習得した。

・しかし「生産経済」は、播種から収穫期までの定住による「人為的な農業労働の付加」と「他の獲得経済の共同体や、害獣、害鳥、害虫等」から「人為的群生地を排他的に守り続ける」宿命を背負うことになる。

群生地での長期滞在は、移動し続ける「獲得経済」を定住化する(農業)「生産経済」に移行し、定住しながらも周辺での「獲得経済」を併用することで、欠乏しがちな蛋白源も得る為の「狩猟」を行うが、それも定住用に「牧畜」化した「農耕牧畜革命」とよばれる典型的な「生産経済」の姿に移行した。

  北イラクのジャルモ、パレスチナのイェリコから、約9000年前の人類最古の集落「遺跡」が発見され「農耕牧畜革命」は立証されている。

約1万年前氷期終了期から時を経ず、9000年前に は既に(人為的な)「生産経済」に移行できたことで、自然界での自発的な自然増殖力に依存して「移動、探索」して「捕獲又は採集消費」して再び移動探索する、という不安定な食糧資源の「獲得経済」への依存から卒業して、人為的な「農耕牧畜革命」による「生産経済」への移行がもたらされ、それは現代でも尚継続しているが、「獲得経済」の全てが「生産経済」と入れ替わっていったわけではない。

農業適地、農業可能地では「生産経済」に転換し確かに主役の座を「生産経済」に譲ったが、大陸の半分近い農業不適地、不能地(砂漠、ステップ、寒冷地帯、山岳地他)では相変わらず「獲得経済」が主役であり、これもまた現代でもなお残っている。

 

  • 「生産経済」の「階級制生産経済」化

 

・人類は「獲得経済」初期の段階から「大型草食動物」の狩猟捕獲に必要な「群れ(ホルド)=共同体」を生産活動の必須条件としていた。

狩猟対象動物を「共同体単位」で「移動探索」し「捕獲(生産)・分配・消費」して再び「移動探索」する反復生産に依存していた。

「共同体」での捕獲は「猿の群れ」と同じで「共同体のボス」の意思を構成員へ伝達し、共同体で一体となって組織的に狩猟して捕獲し、分配後にはじめて、個人や家族単位で消費することが許される。

・「共同体は狩猟生産共同体であり、統一され組織的に一体化した狩猟行動が求められる為、共同体の統一意思を代表する「ボス」の存在を必要とし、

ボスの統制できる範囲の構成人数以下で、かつ共同体狩猟が成立する必要最低限の人数以上」の範囲で共同体人口は調節された。

共同体人口が増えすぎれば統制できなくなるので、適正サイズに分家分割したし、またせざるを得なかった。

※西欧で繁栄しその後に絶滅したネアンデルタール人と、後のホモサピエンスとの脳の容量に差はないが、言語、伝達器官とその能力でレベル差があり、それが「生き残り」の明暗を分けた、とされている。(「認知流動性の獲得」仮説)

・また、共同体は「狩猟捕食」と「移動探索」の繰り返しとなり、頻繁に移動する為「持ち運び可能な範囲での資産の量的制限」があり、また「共同体」の適性人口規模を維持することでようやく生存でき、わずかに人口増殖した程度で、抱えきれない人口増になれば分家するので、共同体内での階級分化や分業化して上部構造を形成する程の「余剰生産力」は得られず蓄積もできず、「上部構造」形成の必要性も条件もなかった。

短周期気候変動による食糧環境の激変にでも遭遇すれば、適応できずに絶滅してしまうことさえあり、二足歩行で火と打製石器を使用することと、言語能力において多少優れた「野生猿の群れ」程度でしかなかったことになる。

 ・氷期終了による植相の変化による「大型種子の群生地」の発生は、「獲得経済」を狩猟採集に変え、採集での食糧対象として有効であっただけではなく、定住化して人為的な播種による「人工的な群生地拡大」による余剰生産力の実現とそれによる人口増、という「生産経済」への発展的移行を可能にすることで、全ての獲得経済共同体にとって希少貴重かつ優位な獲得対象物となり、その獲得と支配を巡る「獲得経済」共同体間の支配争奪競争は熾烈となる。

  そして「勝者」の「共同体」が群生地とその周辺領域を定住支配し「敗者」の共同体は追いだされてその地を去り他の群生地を探索する新たな「獲得経済」を継続する。

・しかし、勝者の共同体には新たな課題が発生する。

これまでの(自然増殖による食糧資源の)「探索移動と狩猟や採集」から「人為的な群生地生産、の計画、作業(播種用種子の確保と播種、育成)、管理」と「人為的群生地への他の獲得経済共同体や害獣害鳥害虫からの排他的支配の継続作業」等の対処である。

・これら農業生産計画と執行管理調整、生産物の分配と統制、治安や排他的支配、にかかわる全てをボス単独では執行できず、ボスをトップとした「上部構造(支配階級)」の形成による対処を必要不可欠とした。

この「上部構造」の形成には、「生産経済」のもたらす支配階級という非生産人口を養いうる継続的な余剰生産物による分配の維持が必要となる。

・自然任せではなく、「人工的な群生地生産段階への人為的関与」への踏み込みが「上部構造」形成によってのみ可能であり、上部構造による共同体の統制で余剰生産力をもたらし、その余剰生産力分で「上部構造」の形成と維持を経済的に可能にする、という相互依存、もちつもたれつの分業関係が「必要不可欠であり、かつ可能」となる。

・「獲得経済」から「生産経済」への移行は新たに「上部構造」構築による「階級分化」による分業化を伴うことを必要条件とする

ボスが「共同体」全員を直接統治する獲得経済での小規模な共同体は、「生産経済」に移行し余剰生産による人口増を背景に「共同体」を階級分化させ、ボスは「上部構造(支配階級)」を形成して直接統治し、「上部構造」が「生産階級」を直接統治統制することで「生産経済」共同体は安定的に余剰生産でき、人口増による更なる拡大と発展を可能とする「拡大再生産循環」をもたらす。

・「生産経済」の継続と発展拡大は、「生産階級」を「下部構造」とし、ボスを頂点とした「支配階級」形成による「上部構造」による上下一体構造化した共同体の形成と運用によってのみなされるので、これ以降「獲得経済」とは同じ食糧獲得にすぎない(農業)「生産経済」ではあるが、余剰生産力、人口規模、非食糧消費財生産力、固定資産形成用生産、文化形成力のステージが「獲得経済」とは異次元的に異なることで、単に「生産経済」と呼ぶのではなく「階級制生産経済」命名することにする。

「余剰生産力」増は人口増として支配階級増、生産階級増だけでなく、不産階級増(この後説明する)による共同体の分業拡大の発展による高度化をもたらす。

・「階級制生産経済」の登場する前は、それぞれが多少重複する広域の移動テリトリーをもつ「獲得経済」共同体で世界は満たされていたが、「階級制生産経済」が登場すると、獲得経済圏の一角領域を蚕食して排他的に占有支配することになり、「獲得経済」共同体は生産経済の不適地域、不可能地域へとその移動テリトリーはシフトしていく。

そして最終的には「獲得経済」共同体テリトリーは「農業不適地、不能地」のみで存続せざるを得なくなるが、そこに押し込められるまでには、農業可能地は次々に「階級制生産経済」共同体に移行して埋められていく。

・「階級制生産経済」圏は、人口増と共に拡張し、そして近隣に拡散余地が少なくなると「階級制生産経済」間での領地を巡る対立は生じはじめるが、拡張期はまだ世界中のほとんどが「獲得経済」圏の環境下であり「階級制生産経済」拡張の過程なので「階級制生産経済」と既存「獲得経済」との抗争が主たる矛盾であり続ける。

アメリカの「先住民対西欧からの農民移民」の姿である。

・ここで「生産階級」だけの、「階級制を伴わない=無階級の」「生産経済」共同体という「理想社会?」が現れることが仮にあったとしても、所詮は自分たちの共同体内部での耕作地の境界や水利を巡る内紛、盗難、略奪等に対する秩序維持の為の「治安」や、外部第三者(「獲得経済圏」の遊牧民やバイキング等)からの脅威に対する「排他的防衛」は必要不可欠であり、結局は自らが「上部構造」を構築するか、他の上部構造の傘下に組み込まれて存続するか、の選択になるだけで結果は同じである。無階級の(非階級制)「生産経済」に現実的、長期的存続の展望はなく「階級制」は必須である。

※西欧史では、「ゲルマン民族の大移動」による西ローマ帝国崩壊に伴って「無権力無政府状態の混沌」が数世紀にわたって蔓延継続した歴史がある。

彼らは「半狩猟半農」の部族で「従士制」という弱体な「上部構造」に依存した共同体で、フン人(「遊牧民」)による侵入に押し出される形で西ローマ帝国に移動して西ローマ帝国を崩壊させて無政府状態にした後、結局は自らの「従士制」国を各地に定着させることで無政府状態を終わらせたが、その全ての「従士制」国は、(ローマ時代の「恩貸地制」とゲルマン「従士制」を統合した)「封建制」(=領主間の主従関係契約による集団的安全保障同盟)を採用した「フランク王国」に支配され「従士制」国は滅亡消滅していった。

 

  • 「獲得経済」の「獲得交換経済」化

 

 ・大陸の半分近くは「砂漠やステップの乾燥地、寒冷地、山岳地域や森林、湖沼や河川、丘陵地域」等の「農業不適地」や「不能地」で占められている。

「階級制生産経済」に移行できない「獲得経済」共同体圏は、これらの地域で「獲得経済」のまま存続し続け、せいぜい「遊牧型牧畜」か、海辺や河川、湖沼沿いでの漁労依存での「漁村での定住化」程度の発展にとどまる。

・「獲得経済」地域と「階級制生産経済」地域との「余剰生産力」の格差(=「人口増」格差)は拡大し続ける

「階級制生産経済不毛の地」には、希薄な「獲得経済」人口が広域に展開し、人口増できず貧しい状態が続く。

そして「格差是正の為の、獲得経済圏から生産経済圏への、食糧を求める人口移動の浸透圧」が生じ続ける構造となる。それは時として侵入による「略奪」や侵略による民族移動を伴う「支配」さえをももたらす。

「獲得経済」圏側にとっては「階級制生産経済」圏自体が常に最大の「獲得対象物」であり続ける。

 ・しかし、ここで「階級制生産経済」圏の余剰生産力の向上を背景に、「獲得経済」圏と「階級制生産経済」圏間の交易の場としての「国際的交易都市」 (中世の北海沿岸のアントウェルペンハンザ同盟等)が「階級制生産経済」圏の沿岸に出現し、両経済圏を結合する劇的変化がもたらされた。

 ・「階級制生産経済」の余剰生産食糧と「獲得経済」の「余剰生産物生産労働所得(毛皮・革・木材・干し魚等)」との国際的「交換」が継続的に可能になり、「獲得経済」側での毛皮や革、木材等の自国需要を超えた、交換用の過剰生産物(労働所得の生産)が余剰食糧と交換できることで、あたかもこの交換用過剰生産物の生産労働が食糧生産労働したことと同じ結果をもたらすことになる。

主に食糧生産以外の生産労働で食糧所得が得られることで食糧の欠乏は解消され、浸透圧も緩和抑制されて平和が持続し、また平和の持続で交換継続でき「獲得経済圏」の人口増が「階級制生産経済」からの交換用余剰食糧分で得られ「上部構造の形成と維持」さえも可能となる。

※先走った話ではあるが、この「獲得経済」国の自国需要を超えた非食糧消費財の労働生産による「階級制生産経済」国商工階級生産機能の代替え的労働提供の姿、この構造こそが「資本主義生産化」を促す根源的構造であり、後に述べるように「階級制生産経済」国でありながら「獲得経済」依存の副産物所得が多く得られ、この延長拡大により英国に資本主義生産が発生して成長していった構造変化をもたらしたことと無縁ではない。

・自国内自給自足方向での「階級制生産経済」依存での
生産増ではなく、「対国外市場の交易用生産」依存という「交換経済」依存での国内需要を超えた過剰生産体系(=資本主義生産)の採用をもたらすことになる。

これは「ウォーラーステイン」の「世界システム論」にも見られる観点を追認し賛同することでもあるが。

 ・商業自治都市による「国際交易」は、この時期はまだ主に国内生産できない、又は代替できない、代替すると高くつく需要物、欠乏物に限定され、「階級制生産経済」の自給自足的性格(=非食糧消費財生産消費の為の自国内商工階級の形成増)に大きく依存していたものの、数か国以上にまたがる交換によりその取引規模が大きいことで「商人を上部構造のトップとする自治都市」の成立存続を可能とし、国際的自由交易市場として両替、為替、金融、等の金融技術についても国内市場を超えた商業技術をももたらした。

 ※(尚、地中海のジェノバベネツィアは「階級制生産経済」国間の地中海経由での国際的「中継交易」拠点であり、生産・獲得経済間の交易とは異なるので区別する)

  この獲得経済」→「階級制獲得交換経済」化こそが、資本主義生産(=「階級制生産交換経済」)の発生と成長に舵を切る土台を築いたことになる。

・この国際的交易都市は、主に「生産経済」圏と「獲得経済」圏の両経済圏間の「境界領域」で、かつ「海運物流が可能な「階級制生産経済」国内の沿岸立地に限定されて発生発展し存続した。

始まりは「階級制生産経済」国家(一諸侯領)の一港町が、国際的交易適正立地として発展拡大したもので、

多国間交易市場での中継交易差額による交易所得の獲得目的での商人のビジネスチャンスの実現が主であり、生産しない商人により運営されるので、商人自治都市には農業余剰生産物はなく、農地を支配する諸侯地主との関係ではなく国王から「特許状」を受け、地元諸侯の頭越しに自治権を獲得、実質的に治外法権の独立商業小国であり、「上部構造」は「商人ギルド代表」である。

・他方で、内陸の主要陸運交通路の交点や内陸の大河川沿いに国際的交易都市が発生もしたが、次第にその勢いは衰える。陸路の国際的交易には、いくつもの諸侯国や帰属する国家を経由せねばならず、城塞都市の国境ごとに通過関税がバラバラにかけられるので、奢侈的な高額品の少量輸送交易に傾斜しやすく、海上経由での「商業都市」の方が有利で、こちらが繁栄するにつれ縮小した。

・こうした交易都市と商業の発達は、時代が「階級制生産経済」国の余剰生産力が拡大して溢れ出したことを意味し、国際的な交換需要の高まりによって拡大する。

海運に国境はないので関税はあっても最小化され、また船舶による物流は運搬量と運搬コストで陸運に勝る。

※この時代に、世界初の「陸路」でのグローバル重商主義の推進勢力が登場した。モンゴル帝国である。

帝国は、各国境でのバラバラな通過関税を廃止し、陸路の治安維持支配により「重商主義」秩序を大陸内で広域に確立し陸路での交易を活性化させた。

「階級制生産経済」国、それはほとんどの農業可能地域が採用する主要な経済システムだが、「重農主義」の自給自足型経済である為に、その交易依存度はまだ小さい。

ペストを西欧に移染させ感染爆発させた直後に、モンゴル帝国は消滅したが、金融技術(史上初の不換紙幣、金の為替の普及等)は、西欧キリスト教社会の異教徒のユダヤ人によって受け継がれた。

・商業自治都市と絶対主義化した国王の都市への重課税化等での対立や戦乱等で商業都市が破壊され又は機能不全に陥ると、「階級制獲得交換経済」での交換部分が機能不全となり、元の「獲得経済」に先祖返りさせられるので再び浸透圧が発生し、狩猟で培われる移動力、戦闘力を発揮して侵入や略奪、上部構造を維持しての「階級制生産経済」地域そのものの支配獲得の戦争が始まる。

「獲得経済」下の共同体は、元々が狩猟民族であり、「移動能力」「戦闘力」に優れ、商人気質と戦闘気質を併せ持ち使い分ける能力を培ってきている。

・また、彼らは「階級制生産経済」国家間の中継貿易の要衝立地を支配することで、例えば中東のセルジューク朝オスマン帝国のルーツが、実は中国北方の遊牧民の「突厥」の末裔であったりするのだが、このような「交換経済」(=中継交易)としての「新たな獲得経済」による遊牧民の生き残り方、「着地の姿」も存在してきた。

獲得経済」→「階級制獲得交換経済」化とは別の「獲得経済」の進化の姿であり、ここの「支配階級」の財源は、貢納食糧余剰生産物所得ではなく、交易「関税」所得依存であり、それでも、或いはそれの方が?収益力が大きく「支配階級」を形成維持しえた、程である。

・「中継貿易経済」は「階級制獲得交換経済」化と異なり、交換用生産物の労働生産はせず、他国生産物を買い、輸送して他国生産物と交換することで交易差額を得るものであり、輸送ルートの独占化により最大化できるが、裏を返すと独占できずに新規参入が相次ぐと運輸商業経費の回収のみにとどまる。

 西欧の香辛料需要に依存して、アジア生産地で買い取って地中海交易商人に販売し、輸送商業経費に更に上乗せして販売して商人は利鞘を稼ぎ、上部構造は関税をかけて国家所得を得て維持する。

・「商業自治都市」や「中継交易」国は、立地依存で、海上交易ルートが新開発されて陸路依存が減る、又は新規陸路が開発される、ことで衰退に繋がる。

 物流上での覇権が確立できれば独占的に交換を支配でき、生産することなく大きな所得が得られるので、生産を国外生産のみに依存することも可能となる。

これは重商主義で、これで独占的な所得が得られている間は敢えて生産で汗をながすこともないが、物流商流が変わる、新規参入がある、と収益所得は逓減し、生産労働所得がないので一気に衰退するギャンブル的リスクを伴う。

・「獲得経済」の「階級制獲得交換経済」化、は主として、西欧、北欧間交易での北欧側で形成されたが、せいぜい毛皮や革、木材や干し魚など獲得経済の延長での一次産品生産でしかなく、「獲得」の名詞を「生産」とにするに至らない資源獲得水準なので、後の英国の「羊毛原料輸出」(階級制生産経済の副産物)もその延長上にある。

しかしこの後に、英国はフランドルの毛織物製品化生産技術を取り入れ「獲得」から「生産」へ、即ち「階級制生産交換経済」化した。その後「原料輸出」から「毛織物製品輸出」に昇格して資本主義化、に進化発展した。

   

  • 「階級制生産経済」の拡大と発展

 

・「階級制生産経済」は、発生後約9000年弱をかけて「上部構造」を拡大強化し、淘汰しながらも、農業生産技術の進歩や開墾、領地拡大による余剰生産力拡大の継続と人口増による分業化発展と成長をもたらした。

約5000年前になると「大河川沿いの乾燥した大平野」という限定条件下で、頻繁に氾濫する洪水被害を防ぎ、かつ灌漑を目的とした大規模な治水灌漑による「灌漑農業革命」での生産力増(農業革命の一種)による人口増と、人口増分の土木開発への賦役的動員による公共固定資産投資増に支えられた、圧倒的な余剰生産力を実現することができて高度な文明をも誕生させた。

 ただし、それは4大文明と呼ばれるように数少ない大河川沿いの大規模平原、という灌漑農業向きの地域限定版でしかなかったが、文明化した強力な上部構造と、それを可能とする生産力ある下部構造の「階級制生産経済」の最適化を先取りした姿をもたらした。

この時代からの人口増は現代まで継承されている。

・一般的に大陸内陸部の農業可能地域では「階級制生産経済」に一元的に依存しやすい。

この地での発展を望めば、大規模な水利灌漑事業を成功させ、その固定資産形成増による圧倒的な生産力増をなしとげられるので、ここには君主制、帝制による専制的、権力集中型の強力な開発投資を執行できる「上部構造」を形成しがちである。

西欧や日本とは異なる体質の生産経済が生まれ育っている。権力集中による巨大な固定資産投資への一元化による巨大な生産増と人口増の形である。

  

  • 「階級制生産経済」での「商工階級」と「交換経済」

 

・一般的な「階級制生産経済」で「上部構造」を形成する「支配階級」は、貢納余剰食糧による食糧消費だけでなく、その支配階級維持に必要な様々な「非食糧消費財」(武器、輸送用具、城郭、住居、家具家財、衣服等)の継続的消費を必要とし、その為に継続的生産が必要となる。 

・勿論「生産階級」(農民)でも同様に「非食糧消費財」の消費とその為の生産は必要で、特に鉄製農具や物資運搬用車両のような生産手段としての固定資産形成やその補填や補修には特殊な原料、道具、製造技術が必要で、それらは商工階級の「鍛冶屋」職人に依存して食糧余剰生産物との交換で調達するしかないが、それ以外のほとんどの衣、住関係の身の回りの生活用消費財は自給自足に頼らざるをえなかった。生産階級は食糧生産だけでなく日用消費財をも生産していたことになる。それは余剰食糧生産物の大半を支配階級に貢納することで、交換用の余剰食糧所得が少なく交換依存できないことによる。

・したがって「生産階級」は、領主の許可を得て、領地内の非耕作地の山、丘、森、湖沼等の共有地から、木材を切り出し、薪材、泥炭やツルを採集し、麦ワラや亜麻を加工したりして自給生産して消費していた。

予期せぬ余剰が得られた場合は融通し合い分け合い、貨幣による交換はしない。

また「交換目的」で、それらを余剰に生産することもない。それは多種の需要物を自給自足に依存しているので、現物での貢納を支配階級に強制でもされない限り、意識的に余剰に生産することはない。

「生産階級」「商工階級」の階級分化が未成熟で、生産階級と商工階級が未分化の段階での「支配階級」の「非食糧消費財」需要は、食糧貢納とは別に「生産階級」に賦役労働を課して目的物を生産させて貢納させる、しか方法がなかったが。

・「階級制生産経済」の定着により食糧余剰生産力が増大すると、分業化して「不産階級(非農産物消費財生産職人)」を形成して「交換」による調達に移行する。

それぞれの階級内での「互酬」文化は残るものの階級間は「交換市場」経由での調達依存に移行していく。

・食糧生産力の向上は、支配階級への「貢納増」をもたらすことも結果として可能になる。

ここで支配階級からの貢納増の強制がなければ、生産階級内が余剰増となり余剰人口増となり生産階級内での分業としての非食糧消費財生産が可能となる。

しかし、ここで生産階級内余剰人口増後に生産力増を根拠とした「貢納増」(借地料値上げ)を「支配階級」が強制すると、生産階級内余剰人口は「貢納増」分を抱えきれなくなって、階級外に放出せざるを得なくなる。

すると、生産階級での非食糧消費財生産増は、もとの自給自足生産消費の貧しい姿にもどされ、生産階級内余剰人口は貢納増分があぶり出され、支配階級に移行した貢納増分に依存せざるを得なくなる。

支配階級は、移転後の貢納余剰生産物で彼らに賦役労働をさせることで彼らは労働収入と貢納余剰生産物とを交換することで生存を維持させ、支配階級の賦役労働需要に応えさせる。所属する階級が変わるだけだが、支配階級は賦役用労働力を手に入れて高度化できることになる。

・それは支配階級による「直接的賦役」としての、治水灌漑土木事業、開墾事業、地下資源の採掘事業、等の固定資産形成事業や、領地拡張の為の「傭兵」、防衛の為の城壁土木事業等の国防の賦役労働に貢納増分の余剰食糧と引き換えに直接雇用するか、

城下での「商工階級」とさせて「間接的賦役」として専門職業化させて、貢納余剰食糧増分と引き換えに「非食糧消費財」を加工生産させて交換させるか、の2者からの選択、又は両者への配分が可能となる。

・この商工階級による「非食糧消費財」の生産は、支配階級に貢納された余剰生産物食糧との交換目的の生産であり、支配階級の城下で、原料、道具類をも交換市場で調達しながら、原料に道具使用労働を付加して目的「非食糧消費財」を加工製造して余剰食糧と交換する為、城下の「交換市場」が形成され認可され継続維持される。

・いずれにせよ貢納増分の人口を生産階級の余剰人口として排出異動させ、その貢納食糧増分での直接雇用による賦役、又は間接的賦役としての生産物を「支配階級統制下の交換市場」で交換する。

直接賦役雇用の場合であっても、様々な原料、工具、道具、武器等が必要になるので、商工階級生産物を交換市場から調達する必要がある。一方で国外市場への直接の販売は許可制となり制限される。彼らは国内支配階級又は生産階級の為の賦役人、の位置づけである。

商工階級は規模の差はあれ「階級制生産経済」の成立当初から支配階級の直接賦役と共に形成され、存在していたことになり、「交換市場」も同様である。

・支配階級の自家用食糧消費を超えた貢納食糧の有効活用の場であり、城下に商工階級による都市の形成を認め、彼らには貢納すべき食糧余剰生産物がないので課税せず、できず、ただ目的生産物を食糧と引き換えに賦役的に委託生産させる為に「階級制生産経済」下での商工階級による「交換経済」市場の形成は容認され維持され続けた。

・商工階級の人口規模は、支配階級の貢納余剰生産物からの食糧自家消費分の残量と、生産階級の貢納を免れた、主として固定資産減耗補填分の余剰生産物残の合計の規模、で生存できる人口を超えられないので、交換用余剰生産量次第で商工階級人口、交換取引量は、拡大も縮小もせざるを得ない交換市場を通じた調節弁とさせられる。

・支配階級の食糧消費が一定のままで貢納増になるとすると、その残食糧増に依存する商工階級人口増は可能だが、逆に凶作続き等で貢納減になれば、商工階級生産物との交換は減じるので、生産物の国外市場への販売が可能なら失業は免れるが、国外販売が制限、限定される閉鎖型経済なので、結果、商工階級の部分的失業をもたらす。

失業は、現代でも同じ、自殺増、浮浪者増、盗賊増を招き治安を損ね、上部構造をも毀損衰退させかねない。

・そこで商工階級の側でも、貢納減不況に備えて、彼らの永続的雇用、生存維持の保障の為に「特権的ギルド」の形成を支配階級は認め、生産製品の規格と価格を統一し自由な新規参入を制限したが、それ即ち「恒常的、構造的な供給力不足」の常態化をもたらすが、支配階級はそれでもギルドの形成を容認するしかなかった。

・そして「階級制生産経済」で新たな耕地獲得による生産増か、農業技術革命による多収穫が実現できないと、この商工階級による交換経済は停滞することになる。

商工階級は、余剰食糧生産物の有効活用による賦役労働の実現過程であり、余剰人口の失業対策事業でもあることになる。

・一方で、量的には少ないものの「生産階級」との間でも余剰生産物と鉄製農具や、運搬車両具等の商工階級生産物との交換(修理再生が主)も行われる為、支配、生産の両階級共に非食糧消費財生産物との交換需要があり、双方から独立した商工階級とその為の「交換経済」市場が成立し存在し続けた。

「階級制生産経済」社会は、規模はともかくもその初期段階から「交換市場」を取り込んだ3階級構成となっており、この階級間で交換流通が発展し拡大してきた。

・「商工階級」は「生産対象が非食糧物生産とその交換流通」なので、農村ではなく支配階級の城下で都市を形成し「非食糧生産物を生産し流通する」「支配階級(一部は生産階級も)によって交換市場に投下される余剰生産食糧との交換目的での賦役的労働生産を行い、余剰生産物食糧との交換分を超えて過剰生産しない、できない」という点で(農業)「生産階級」とは分業区分された「下部構造」の非食糧消費財生産の階級として形成される。

引き換えに与えられる余剰食糧分の生産をするだけなので、余剰生産しないできないという意味で「不産階級」(又は「不生産階級)とも呼ばれる。以後商工階級職人生産担う階級を「不産階級」と呼ぶことにする。

・食糧による生存と引き換えに、賦役労働を課せられるある意味で奴隷、「召使い」でもあり、食べさせて生存させてもらう分の労働提供が義務付けられる、ということになる。

しかも食べさせ続けてもらう為に与えられた仕事にありつく召使い的労働なので、私有財産のストックも相続する物も納税もない「フロー依存」の階級である。

※江戸時代なら、さながら「宵越しの金を持たない」城下の町民で、己の再生産の食い扶持を得るがやっと、で、その食い扶持の出元は、領主の年貢=石高所得、である。

 ・この時代の「階級制生産経済内交換市場」には自由な過剰物を所有する個人による自由な交換の場、という「自由市場経済」の概念は当てはまらない。好き勝手に支配階級の需要以上に過剰生産して国外市場に輸出することは認められないので「半統制経済の市場」であり、支配階級の余剰食糧を得るための賦役提供である。

※先述の国際交易自治都市の場合は、対等な相対の商人支配下の交換経済市場なので性格は異なる。

国際市場での生産物取引は「特許状」により税の付加はあっても国家統制を受けないので「商人の自由意思で行え「自由市場経済」となりこちらには「経済学」上の論理、原理がそのままあてはめられる。

・「階級制生産経済」での食糧余剰生産力増は、商工階級人口増と生産増、交換市場取引量増をもたらし、統制下の交換市場に結果として非食糧消費財生産増を支配階級と生産階級がさせた、下請け的生産流通である。

「階級制生産経済」共同体は、結論的には非食糧消費財生産増による交換増をもって豊かな消費力が得られ、生産階級の生産増、上部構造の質量の力量、競争力に影響することになる。

  

  • 「階級制生産経済」下の「交換経済」のメカニズム

 

・「生産階級」から「支配階級」への貢納余剰食糧生産物は、支配階級での「消費食糧」としてだけでなく、もう一方で食糧消費残の余剰分は「商品貨幣」として交換市場に投入され「商工階級生産物」との交換に使用され、交換後、商工階級は「商品貨幣」としてではなく「食糧現物」として消費してしまうので、この商品貨幣は市場に残らないし、資本蓄積にも使えない。貨幣の原始的姿である。

・仮に食糧の生産過剰、貢納過剰で共同体総人口を超える過剰分は商品貨幣化できなくなる。

余剰生産食糧による非食糧消費財生産の「召使い労働」なので、商工階級人口を超える過剰食糧があっても交換ができないことで支配階級、生産階級での過剰食糧在庫となり、交換価値はなく使用価値のみとなるので自階級での人口増に役立つだけで、あとは家畜の餌にでもするか廃棄するしかない。非常用備蓄を確保した後の話だが。

  「階級制生産経済」は農本経済であり、余剰生産力が伸びると、生産階級から支配階級への貢納増となりその分の人口増で、支配階級の直接賦役人や非食糧生産物を生産する不産階級の人口増をもたらし、非食糧消費財生産量増となって余剰食糧が貨幣化する仕組みである。

 ・「支配階級」に移転した「貢納余剰食糧生産物」の消費において

「自家消費量」<「交換用(=商品貨幣としての)消費量」

になると、「階級制生産経済」という農本経済でありながら、貢納食糧のうち自家食糧消費用途より非食糧消費財との「交換」用用途が大きくなってしまうので、支配階級にとっては、実質的には「交換経済」に移行した、と認識し、交換用の即ち貨幣経済化を求めることになる。

・貢納食糧の過半数が食糧消費ではなく、商品貨幣用の所得として商工階級による非食糧消費財との交換に使用するなら、いっそのこと貢納行為自体も食糧現物ではなく、貨幣で貢納させたい、となるのは当然である。

支配階級の自家消費分をも貨幣貢納(地代化)させ、非常用備蓄さえあれば、商人の穀物倉庫で備蓄管理させておき、必要に応じて適宜、貨幣で他の商品同様に食糧も調達すればよいことになり、その方が合理的でさえある。

交換市場依存の高まりは、交換用余剰食糧の商品貨幣機能代行を卒業させ本来の「貨幣」に移行させるが、その貨幣には特性上の優位性から「金属貨幣」が選ばれる。

 ・こうして領主への「現物貢納」を「貨幣貢納」に移行するが、「生産階級」は、全生産物のうち、「次期の生存用食糧」と「播種用種子原料」の現物を除き、生産物全てを、商人に買い取らせ、領主に貢納分を貨幣貢納するか、いっそのこと商人に「領主に貨幣貢納代行してもらう」方が簡単かつ安全であり、「残余余剰分」(主に固定資産減耗の補填分)を「貨幣で受け取ればよい」。

 ・この、貨幣貢納は、貨幣経済化を意味し「借地料を地主に収める」という「領主と農奴の人的賦役関係」から、「借地料を貨幣で払う、という物的な契約関係」に変化させる。(その後の歴史では、スペイン経由で貨幣が大量に市場に持ち込まれ、貨幣供給量の増大によるインフレとなり地代は実質低下して領主所得は収益減となる)

 ・商人は穀物倉庫に買い取った現物を保管し、貨幣との交換で倉庫保管料、販売手数料を内包させながら交換市場で「小売り」することになる。

  商人が中心となって上部構造(支配階級)と下部構造(生産階級、商工階級の職人)を交換市場と貨幣で結合する。

  「階級制生産経済」が拡大発展すると交換市場も拡大し、その中心に商人が介在し貨幣により交換流通を促進する。

 ・交換の際の「価格」の問題でいえば、余剰食糧の商品貨幣と商工階級生産物との交換で、その生産、再生産に必要な労働力支出期間の生存分以下の食糧との交換しか得られないのであれば、再生産は縮小又は停止して交換市場から生産物と共に消失してしまい金余りとなるが、次期以降の交換需要に応えられなくなる。

それは商工階級の存続に直結するので、交換比率は再生産を満たす形で厳格に守られる。

需要と供給により価格が変動することはない。再生産ができるかどうか、が価格を決定する。商品の企画と価格は、ギルドにより厳正に守られる。

 ・ある商品の需要が大きくなり、市場で優先して交換されて市場で欠乏しだすと、その商品は需要に対して供給不足となるので、交換用余剰食糧=食糧所得は一定なので、別の不産階級生産物が代わりに需要減になるので、その生産物生産労働を減らして供給不足の生産物生産に労働力を移動して市場での供給不足を是正解消する力が働く。

それは支配階級需要の変化として生産職人への発注量を通じて指示される。一定の余剰食糧(所得)をもつ生産、支配階級の非食糧消費財需要を反映する。

シグナルは、自由市場なら価格の上下動で発せられるが、需要増の催促による「生産労働のシフト」として実現される。

・それは不産階級労働が「召使い労働」「賦役労働」の性格をもつことで、食糧を与えて生かすかわりに、別の消費財を作れ、との作業指示変更を指示するに等しい。

「生産のシフト」により需給均衡点に自動的に生産移動して調節する力が市場によってもたらされるだけであるが、ギルドにより生産も遅延しがちとなる。

「階級制生産経済」内での「交換市場」は、「自由経済市場」ではなく召使労働的な「半統制型の市場」である。

他のこれまでの需要物の生産は縮小か当面取りやめになるだけである。

 ・具体例で考えてみよう。

  支配階級は戦争が近づき、恒例の交換内容から武器としての「剣」を優先生産するよう求め、同時に引き換えに毎年の他の非食糧消費財調達の一部を削減又は停止するとする。「剣」と「他の非食糧消費財」はトレードオフの関係になる。

武器以外の他の下位順位の非食糧消費財の生産分の労働資源を「剣」の鍛冶屋労働にシフトさせることになる。

しかし「剣」の製造には、原料の「砂鉄」「鋳型用の粘土」「炭燃料」等の「原料」の生産増と「金属製工具(やっとこ、鉄槌、金床)」「水桶」「鞴(ふいご)」等の道具類の減耗分補填の生産増の為にも労働力を移動させることになる。でないと鍛冶屋労働自体が途中で生産中断してしまう。また鍛冶職人の増員も、職人ギルドがあり臨時雇いでしのぐ。それでも尚「需要>供給」であれば、生産階級内の余剰人口があれば、戦時貢納増(増税)して余剰人口を絞り出して関連の臨時労働力に動員する。

鍛冶屋はいくら需要が大きく発注されようとも、原料生産増、道具減耗分生産増、鍛冶労働増分以上の需要には応えられないので、次期生産まで待ってもらうしかない。

自由市場ではないので価格は上がらないし、上げたから生産が増える、ということにもならない。

 ・発注調達は、支配階級が商人を介在させて鍛冶屋と成約し貨幣を「前払い」して指定期日に「納品」させる。

価格は、原材料費、工具減耗補填費、「剣」生産鍛冶労働の各生産日数分の労働力再生産費(=食糧)の合計額であり、鍛冶屋の生産は、各「原料」と「工具の減耗分」を交換市場から調達してはじめて鍛冶労働ができるので、鍛冶屋は商人を介在させて、「原料」と「工具の減耗分」の生産者らと成約して「前払い」で彼らに生産増(=労働力増)させて市場に出させて鍛冶生産増を可能にする。

 ・鍛冶屋は、全額を自らに前払いさせて、本人の労働期間を延長して鍛冶屋自身が「原料」や「道具減耗分」を自らが直接生産で調達することも可能だが、その場合価格分の「前払い」全てを自分のものにすることができるが、納期があり分業して交換市場から調達する方が鍛冶生産に集中できるので、各原料生産者や各道具生産者に対して、同様にその受注時の商人への「前払い」の中からは鍛冶労働分の前払いのみを受けるか、全額を受け取って原料他を交換市場で必要分を暫時交換しながら調達して鍛冶労働を継続する。

 ・更によく見ると、各「原料」の生産段階でも、例えば「砂鉄」生産なら労働力だけでなく、ツルハシやシャベル、台車や袋等の道具減耗分の生産増が必要であり、

また鍛冶屋道具減耗分の「鉄槌、ヤットコ、鞴」なら、それ用の原料、製造用工具の減耗分のそれぞれにその生産の為の労働力が消費され、またその為の原料調達労働が別に必要になる。

鍛冶屋が鍛冶労働に入る段階での、原料、道具を得る段階の全てが労働生産物(隠れて表に出ない数々の生産物生産労働)の連鎖の総和であることがわかる。

全てが労働期間の食糧消費としての価格に還元されていて、その「総食糧分」が交換価値額であり価格となる。

 ・合計の労働力価値物である「原料」と「道具減耗」の各種の過去労働(鍛冶労働と並行して進むのだが)価値の「不変資本形態」としての「C」に、現在労働(鍛冶労働)価値としての鍛冶屋労働の「v」を付加した「C+v」が鍛冶屋の生産する「剣」の生産の為の総投入労働力量であり、すなわち製品「剣」の価格であり価値であり、必要前払い額(=交換用価格)、であることがわかる。

 ・交換市場では、単に支配階級による「剣」需要を余剰食糧生産物で鍛冶屋に支払い生産させる交換、にすぎないが、鍛冶屋はその生産にあたって、自らが原料と道具減耗を自給せず、分業した他人に労働生産させて交換市場を通じて調達するので、この分業化に伴う複雑多岐の網の目のような交換は市場で合理的に行われる。

  「剣」の生産費用は、鍛冶屋の労賃としての生産労働期間の食糧分、だけではすまない。

原料生産と道具減耗生産労働期間の食糧を、単に代表して生産費として鍛冶屋が代理して前払いで受け取り、市場で交換入手するのである。

 ・「支配階級」の需要はこの増産してほしい「剣」だけではない、他の様々な「非食糧消費財」との交換も貢納食糧の余剰所得の範囲で並行して行うが、その全ての他の消費財が同様に有機的な交換関係によってなされ、最終非食糧消費財となるので、天文学的な数量の交換が実は交換市場で発生し支えられていて、それが市場で適正に合理的に分配処理されている。

  更に「生産階級」からも農機具や車両その他の減耗補填需要も加わるのである。交換市場なしではこれらの調整は不可能である。

 ※蛇足だが、崩壊した社会主義国ソ連の計画経済は、この全てを「需要供給表」で数値管理して過剰生産と景気変動の無駄を省こうと試みて、ゴスプラン(国家計画委員会)で十数万品目の「需要供給バランス表」を作成して700万の文書、年間8300万回の計算、1800万人の官僚が関わって国家的事業としたが、成功しなかった。

現実は品目別に生産期間が異なり、原料生産の一つが遅れると次の工程が玉突き的に遅滞連鎖してノルマを期間内に果たせなくなったり、また別の話として生活必需品品目の価格を政策的に低価格誘導し、奢侈品を高価格に価格統制することで生活水準の平等化を実現しようとした為、必需品を他の用途に無駄遣いしはじめて消費計画を超えることで欠乏が蔓延しだし、結果として供給不足となり「中央集権的強制(=再分配)」が機能せず、市民の生活必需品不足としての行列が恒常化した。

「階級制生産経済」下での中世的交換市場を再現して統制しその結果、慢性的な供給力不足を実現した結果に終わった。

 ・「階級制生産経済」には、この商工階級依存の交換市場経済下の職人生産による「恒常的供給力不足」の容認と「非食糧消費財生産力の停滞問題」が根底にある。

  商工階級増(=消費財生産力増)には、食糧の余剰生産力増が前提として常に必要であり、その範囲でしか生産増できず、その為に「領地増」による食糧生産増が必要(領地増なくとも農業技術向上による生産増があればその増分の範囲で可能)だが、既に「階級制生産経済」圏は領土分割が完了していて飽和しだしていているので、軍事力の強化と行使による領土拡張の為の再分割戦が必要な段階に入っていて、その為の商工階級人口増による非食糧消費財生産増が必要、という出口なき「循環参照状態」になりはじめた。

 

  • 交換市場での「貨幣」と、その進化

 

  ・「貨幣」についての一般的原理について。

  共同体が「獲得経済」であれ「生産経済」であれ、自給自足に依存する場合は、貨幣の必要はない。

共同体内の需要以上に生産する意味はないので、交換の概念はそもそも育たない。

余剰生産分の労力は、生産の優先順位、即ち欠乏する需要の優先順位に沿って、順次他の欠乏品の生産にシフトするので、余剰生産は偶発的発生でしかない。

・共同体が機能分業により階級分化し、「階級制生産経済」となり「支配階級」と「生産階級」に階級分化しても、「生産階級」の余剰食糧生産物を「支配階級」に譲渡又は強制徴収されたとしても余剰食糧生産物の任意分配にすぎず、交換は発生しない。

 交換が必要になるのは、「支配階級」に分配された貢納「余剰食糧」で余剰食糧残があり、それが生産階級、支配階級の人口増をもたらし、生産階級での非食糧消費財生産物の自給自足を人口増に依存して分業化、階級化して新たに「商工階級」を登場させることで生産、支配の両階級に残る余剰食糧残と「商工階級」による非食糧消費財生産物とを「交換」することで消費財を得ることができ、かつ「商工階級」も食糧消費して生存維持できる関係になる。

・非食糧消費財生産物を得るには「商工階級」職人の存在が必要になり、その存在を持続させる「余剰食糧所得」と「非食糧消費財との交換の場」が必要となる。

 また「支配階級」需要だけでなく、貢納を免れた「生産階級」の「余剰食糧所得」と鉄製農具等の減耗分の修理、製造との交換需要もある。

  こうして「階級制生産経済」下での交換は、「余剰食糧所得」を有する「支配階級」「生産階級」と「労働力のみ」を有する「商工階級」とで「交換」が行われる。

・「自由な交換市場」なら「相手をお互いに私的所有者として認め合って」「お互いの自由意思による過剰物の交換」が実現できる。しかし物々交換には「欲望の二重の一致」が必須条件となる。

完全「自由市場」ならAという商品を手放し、Bという商品を欲している人間がいるとき、Bという商品を手放したい人間が、都合よく丁度Aという商品を欲していなければ物々交換は成立しない。

更に、これに量的尺度の問題も加わるので「幸福な偶然」でもない限り物々交換W1⇔W2はほぼ成立しない。

・しかし貨幣Gの登場で、偶然の「欲望の二重の一致」がなくても、商品の交換は貨幣交換を経る、W1-Gと G-W2の2段階の交換によって円滑に目的物W1⇔W2交換が実現する。

この場合、貨幣は、尺度を表現した交換媒介物として、貨幣機能に適合する商品の一つでありさえすればよく、その使用価値は前段階では求めず、後段で使用価値目的物との交換後に使用価値を実現する。

したがって後段ではより多い、できれば万人の市場参加者が交換に応ずるような普遍的に消費できる生産価値物としての要素が貨幣に求められることになる。

例えば「小麦、米、布、家畜」や「貴金属」等から「奴隷」まで、ありとあらゆる物が現実に商品貨幣として歴史的に選ばれたが、全ては実態ある財=価値物であり、上記条件を満たす「商品貨幣」としての尺度付きの商品、の一つとして起用されていた。

・交換市場では、複数以上の過剰生産物保有者が市場に参加し「過剰物」の「売り」により、物々交換として商品としての等価分の「貨幣」をまず得て(W-G)過剰商品貨幣保有者として交換市場内に残り、自らの「欠乏」を埋めてくれる別の過剰生産物保持者としての「売り手」を探して、この貨幣で「買い」(G-W)を行う。

当然、前段後段の両者ともに物々交換である。

「売り」も「買い」も、複数の買い手への売り、複数の売り手からの「買い」も貨幣使用によって可能で、その為の交換市場における貨幣化でもある。

・そして、今度は市場内で貨幣を受け取った者も同じ行為を繰り返し、売り手と買い手を入れ替え、貨幣は持ち手を替えて市場に残ったまま、交換媒介物としてその役割を市場内で果たし続ける。貨幣は市場に残らねばならぬ。

それは交換市場が閉鎖されるまで続くので、市場が継続し終焉さえしなければ、即ち市場が存続する限り商取引上の交換市場での道具(交換媒介物)「交換尺度表示物」として交換市場内に貨幣は残り続けることになる。

・しかし、米や麦などの商品貨幣の場合、実際には最後の貨幣受取人が市場外に退出して貨幣を消費財として消費してしまうので、次期取引には、また新たな商品貨幣を登場させ起用させるしかない。

米や麦などを商品貨幣とする場合は、交換市場は単発的に完結して精算しては再び新たに開始されることになる。

 ・では段階を追って、貨幣の進化を類推してみよう。

  『初期段階』食糧生産物を商品貨幣とする場合では

「生産階級余剰」(食糧)とは、

全生産食糧-(次年度生産階級食糧+播種原料)-貢納食糧

(ただし、この余剰には道具減耗の補填分を含むのでnetの余剰は道具減耗の補填分を減じた額、となる。)

「支配階級余剰」とは、貢納食糧-支配階級消費食糧

で「支配階級余剰」+「生産階級余剰」=「総余剰食糧」

上記の「生産」「支配」の2階級の「総余剰食糧」が過剰物所得として交換市場にそれぞれの階級から持ち込まれ、他方で「商工階級は非食糧消費財生産物」を交換用過剰生産物として交換市場持ち込んで、交換される。

・交換には貨幣との交換を経由した2段階交換が必要となるが、「総余剰食糧」自身が商品貨幣機能を代行できるので、本来は、W1-G-W2の

「総余剰食糧」↔「貨幣」↔「商工階級生産物」を(「総余剰食糧」=「商品貨幣」)↔「商工階級生産物」

として交換する。(W1=G)↔W2 の形態で交換する。

麦や米等の種子食糧は秤量することで均質的な細分化が可能で、保存力もあり、商工階級の労働力再生産の食糧として共通欠乏物であることによって貨幣として成立する。「商工階級生産物 < 余剰食糧」の関係になると、余剰食糧のうち商品貨幣になれない食糧も現れる、ことがわかる。種子食糧の全てが商品貨幣になれる、とは限らない。

・「商工階級生産物」=「原料生産物」+「道具減耗補填用生産物」+「道具使用生産労働」

でありそれぞれに「生産労働」が必要なので、それらの総合計分の「食糧消費」労働によって「商工階級交換用商品生産物」が完成し交換されるのであり、

また「原料」+「道具減耗補填物」その各々が交換市場内で貨幣(この場合は食糧)と交換調達されながら「商工階級生産物」は生産される。

・例えば、先述した「商工階級生産物」の一つとしての「剣」の生産には、鍛冶労働だけでなく、原料や道具減耗分の生産労働が必要で、

商工階級生産物」と「総余剰食糧」との交換は、

商工階級生産物」所得=「原料生産労働用食糧」+「道具減耗分生産労働用食糧」+「生産物加工生産労働用食糧」各労働所得の総計分の食糧商品貨幣との交換になるので、

「原料生産者」+「道具減耗生産者」と「生産物加工生産者」の間での「交換」が市場で内包される。

こうして、余剰種子食糧と等価の「生産階級」の農機具等や「支配階級」の武器、城、家具、服飾、装飾品等、の需要が交換調達される仕組みであり、そのそれぞれの「原料生産」、「道具減耗生産」にもまた「原料」「道具減耗分」労働所得が交換で内包されている。

 ・こうして交換経済が市場で現実に行われると、交換のたびに小麦や米、ましてや必需品でも分割しにくい家畜等の現物を商品貨幣として持ち運び、秤量して使用するのは不便でもあることからより優れた貨幣の需要が生ずる。

  また、蓄蔵保蔵需要があることも貨幣需要の一つとなる。

持ち運ぶ量が少なくて済み、分割が均質にできて量的尺度表現が容易、希少で美的優位性がある、価値が経年劣化しにくく、減耗摩耗が少ない、等の利点がある「貨幣」に適した素材として貴金属類が選ばれるので、まずは食糧と金属貨幣との交換、その為の金属生産が促されるのだが、その貴金属を商品貨幣とした交換が市場で受け入れられるようになる。

この金属貨幣も労働生産物であり、その価値は投下労働量で測られる。

紙幣などの法貨、信用貨幣は実体価値が伴わない「負債証書」であり、その場合の交換は物々交換ではなく債権債務の契約証書、即ち「貸借」である。

 ◆(食糧)商品貨幣から「金属貨幣」への移行モデルの考察

 ・商品貨幣を「麦」から「銀」へ入れ替えた歴史があったはずだが、その移行モデルを推察しておこう。

  仮に「生産階級には1」「支配階級には6」の「麦」の余剰食糧所得があり、麦を商品貨幣として交換市場で商工階級職人の各生産物を交換入手していたとする、即ち

  「生産階級余剰」の麦1で農機具(減耗補填)1を商工階級生産物と交換、

「支配階級余剰」の麦6で、剣1、建築物1、家具家財

1、衣服1、装飾品1、銀1、の商工階級各生産物と交

換する需要が毎期あった、とする。

商工階級職人は、農機具(減耗補填)1、それに剣1、建

築物1、家具家財1、衣服1、装飾品1、銀1、の計7

を生産していたことになる。

・この単純再生産循環が5期経過すると、銀5は減耗も劣化もせずに支配階級に備蓄されていた、とする。

ここで商品貨幣を「麦G1から銀G2」に入れ替えたい。「(W1=G1)↔W2」を「W1-G2-W2」にしたいとすると、

「支配階級」は今期の余剰所得の「麦6」のうち「麦5を備蓄」し残りの「麦1」と、備蓄していた「銀5」とをいつものように「麦6」の代わりに市場に出し、他方で「生産階級」は今期も余剰所得「麦1」を市場に出す。

麦2と銀5 (生産=麦1、支配=麦1銀5)が今期は市場

に出すことになる。

はじめに支配階級の「麦1」を今期商工生産の「銀1」と交換し、その銀1で生産階級の麦1を交換し買い取ることで、支配階級は「麦5備蓄+麦1=麦6」 (備蓄)となり、銀生産者は市場から退出して麦1を消費する。

生産階級は銀1、支配階級は「銀5」を交換市場に投入

・「生産階級」は銀1で農機具(減耗補填)1。(→商工銀1)

「支配階級」は「銀5」で、剣1、建築物1、家具家財1、衣服1、装飾品1、(銀1は既に交換済)と交換(→商工銀5)、で銀生産者以外の合計の「商工→銀1+5=6」で、支配階級備蓄の麦6と交換され、銀6と剣1、建築物1、家具家財1、衣服1、装飾品1、

が支配階級の手元に戻る、即ち、いつもの

剣1、建築物1、家具家財1、衣服1、装飾品1、銀1

麦6余剰食糧所得と、銀6-1=5も元に戻る。

商工階級は銀と交換した麦6を食糧消費する。銀生産者

は既に消費済。

この銀6のうちの1は支配階級で備蓄、次回以降もまた「銀5麦1」が麦6に代わって商品貨幣となる。

・ここでは「銀」備蓄5年を待って一気に麦と入れ替えたが、毎期1ずつの銀を入れ替えて4期の併用期間で徐々に銀貨幣流通に入れ替えてもよい。

  銀を見れば、支配階級から市場に投下され、最後にはまた支配階級に戻り、市場用貨幣としてその後は繰り返し使用されることになる。銀はもともとの備蓄品で貨幣使用で役立てているだけで、所有権は支配階級のまま。

装飾品や銀食器に鋳つぶして加工でもしなければ貨幣活用できる。

銀を「貨幣」として「交換尺度付き価値」として機能している間は銀の「使用価値」は発揮できない。

食糧を商品貨幣とすると、その間消費できず、その意味でも「貨幣」は「使用価値」の発揮を先送りできる物が好ましい。食糧を貨幣代行させている間は、食糧として消費できない。

「貨幣」は貨幣である間は「使用価値」発揮できないもので構わないのなら、信用さえあれば(=交換市場での使用が継続できる限り)「紙に書いた数字」でも何でも構わないことになる。

ここでは信用上、等価交換物としての物々交換物として価値が等価の「銀」を投入したので、貨幣として機能させる期間は消費目的生産物としての使用価値はなく、非消費需要物として余分に生産しておかなければならない。貨幣は交換価値だけで使用価値を喪失しなければならないので、貨幣の製造コストの最小化が求められ、価値が等価でない金属になり、印刷紙幣になり、手書きの小切手になり、電気的信号にまで生産コストを下げていくことが可能かつ望ましいのである。

 ・上記のように、銀を貨幣として数期を経て、麦を貨幣から駆逐し銀貨幣流通に転換する移行形態が想定できた。

しかしこの場合、支配階級が麦の保管と小売りの機能を果たして銀を麦に代えて流通させて回収しているので、原理上は正しくとも現実的ではない。この穀物倉庫での麦の保管、貨幣使用して流通させた銀との交換での小売り機能は「商人」に代行委託させる。

いよいよ「商人」に登場願うことになる。

商人は生産者職人と異なり、生産物を生産せず交換市場を貨幣を使って機能させるのが役割りである。

「商工階級」はこれまでは生産を司る生産職人を指してきたが、これでようやく「商工階級」となり、「商人」が「貨幣」と共に「交換経済」を支えることになる。

・商人の経費は、交換時に生産品の製造価値=価格に保管移動交換労働所得分として加算され、結果として交換価格を引き上げる。

それは売り手と買い手の一方、又は双方から徴収されるが、この場合は賦役的委託生産なので、現実に商工階級生産職人、商人の再生産費が必要なので、余剰食糧所得提供側で負担する、即ち商人経費を上乗せして価格反映して交換することになる。商人間の競争がない場合には、商人経費以上の価値分を価格付加することで「商業利得」を過剰に得ることも可能ではある。

 このあとの大航海時代のように、遠隔地貿易ルートが覇権国により独占できれば、「商業利得」は最大化できる。

 商人は、自給自足で余剰生産物がなければ、また交換市場がなければ、貨幣と共に不要な存在でもある。

・商人の登場により前述の例は、現実には以下の形になる。

「生産階級」は、貢納余剰生産物の全てを商人に売却する。商人の経費は、その中から手数料分差し引いて生産階級に貨幣で支払う。生産階級はその貨幣で支配階級に「貨幣貢納」するが、貢納残があれば余剰所得として固定資産減耗補填の交換に充てて再生産循環を守る。

普通は固定資産(農機具や運搬用車両等)の減耗分を商工階級の鍛冶屋などで修理、補填してもらわないと次期生産水準が落ちるので、貢納残余剰所得はその分あるのが普通。

・もし、貢納貨幣額>販売貨幣額、なら貢納貨幣が不足するので、商人から有利子で「借り」て貢納するしかない。

豊作の際に、利子付きで返却する。

貨幣貢納は、直接生産階級から支配階級に支払わず、商人に貢納代行してもらう方が手間がかからず安全だが手数料は取られる。

・こうして商人は「貢納用の麦のうち支配階級の自家消費用食糧分を支配階級に輸送納品し、その残余剰量「6の麦は商人の穀物倉庫に預かり保管」する。

 商人は、支配階級に出向き、麦6所得分での支配階級の交換需要物のリクエストを聞き「剣1、建築物1、家具家財1、衣服1、装飾品1、銀1、を受注」し、更に「保管麦6」と「銀5」の「預かり証」を支配階級に発行して銀5は持ち帰る。

・そして、まず生産階級余剰所得の麦1を銀1で支払い(→商人銀4)、麦1は倉庫に追加保管し倉庫内は(商人麦6→7)に。

 銀1の支払いを受けた生産階級は、農機具等の減耗補填してもらい、銀1を職人に支払う。(→職人銀1)

銀1生産職人には食糧現物1を払う。(→商人倉庫麦6)

(商人は→銀4+1=5)

 銀1生産者以外の5生産職人に銀5で剣1、建築物1、家具家財1、衣服1、装飾品1を生産させ(→職人銀1+5=6)で、6の銀で商人倉庫の麦6と交換後職人消費。

商人には銀6が入る。そのうちの銀1は5つの需要物と共に計6の需要受注通りに支配階級に納品して、

まず当初の「保管麦6」の「麦6預かり証」を返却してもらい廃棄。銀6-1=5となり、銀5も返納して「銀預かり証」も返却してもらい廃棄。

 しかし次期にまた、銀5をまた預かるので、「預かり証」は返却してもらわず、いつかは返却するにしても、交換市場での交換を継続するなら、銀貨幣流通を継続する為に借りっぱなしにしておけばよい。

 すると、支配階級は、単純再生産循環が継続し、毎期に

自家消費分の麦と共に、剣1、建築物1、家具家財1、衣服1、装飾品1、銀1が交換納品され続け、生産階級は固定資産減耗補填されて再生産が可能となる。

 交換市場を閉鎖する最後の日、が万一訪れれば、商人は支配階級に銀5を戻して「預かり証」を回収廃棄する。

 ・こうして、貨幣は商人のもとに交換市場内にとどまり続ける。市場外に出て使用価値を発揮することはない。

 銀は消費財とはなっておらず5年の期間分は本来なら消費財として消費できたはずでその間の生産分は無駄になる。

この不利をなくすにも、単に「表象貨幣」のような価値尺度表示物の法貨等で済めば、その方がありがたいはず。

 そこで法定貨幣、表象貨幣、紙幣がいずれ登場する。それには、その交換価値を保証する債務保証がなされていなければならない。交換ではなく負債の貸借になるので。

 「貨幣」は、「物々交換」の「商品貨幣」(貴金属貨幣も同じ)から、「債務証書」としての交換可能な「負債証書」に進化する。

負債証書は市場閉鎖時に等価価値物と交換する約定であり、市場が閉鎖しない限りは負債証書として市場に残り続けて貨幣機能を果たすので、問題化はしない。

マルクスを含むアダムスミス、リカード等の古典派経済学、は物々交換の「商品貨幣論」に立脚しており、現代貨幣は「信用貨幣」「債務証書」をもって貨幣流通しているが、日本の日銀も財務省も頭の中は古典派のままの商品貨幣論に立脚しており、「MMT」理論等に対抗できないでいる。

・貨幣が交換市場に残り続ける尺度表示の「債務証書」でしかないのなら、貨幣が等価価値物である必要はない。

物々交換にこだわらなければ、「価値尺度を表示した交換を保証する担保ある借用書」であればよい、ということになる。担保は政府の財、=

債権又は固定資産で、この概念を通せば、貨幣は等価交換価値物として、即ち物々交換として、ではなく「交換価値物との交換保証付きの借用書」「返済証書」でよく、事実そのように変化していくし変化した、のである。

政府には「徴税権」もあり、債権や資産のみに依存していない。

物々交換の商品貨幣から、政府保証の「借用書」への転換である。実態価値が100%の金属(貨幣)との物々交換、から、例えば10%金属価値+90%借用書(国家、銀行交換保証付き)のような表象貨幣コイン、信用貨幣でかまわないことになる。交換市場が継続している間は。

市場での交換に対して、この貨幣を発行しすぎれば貨幣の価値が表示尺度を下回るインフレになり、不足すれば価値が上がり市場交換機能を低下させデフレになる。この発行量のコントロールだけが(政治)課題となるだけ。

・交換時期を先送りする目的で、「売り」分を「買わずに」貨幣と共に市場に留まることは可能であり、蓄蔵しておいて後に「貨幣所得保持者」として「買い」だけに参加して退出することも可能である。

仮に蓄蔵貨幣の段階では、信用貨幣なら消費されることのない無価値物なので必ず交換市場に戻り、遅れての交換に寄与してまた市場に残るのであり、休息、休眠状態が許されるだけ、のことである。

・商品貨幣なら貨幣と共に市場から退出して、貨幣を使用価値に転換し消費して貨幣をなくすことも可能だが、借用書であれば、将来再度市場から使用価値ある交換現物を得るしかない。紙幣で暖をとる、コインを鋳つぶして装飾品を作るなどして使用価値発揮すれば話は別だが。

 ・仮に市場が無期限に閉鎖してしまうようなことが起きれば「ババ抜き」状態となり、市場に残っていた最後の貨幣所有者の貨幣による「買い」がはたせず、貨幣と共に市場を強制退出させられるので、貨幣に使用価値を伴う金や銀等の貴金属貨幣、米や布等の商品貨幣の場合は現物価値物として残るが、政府発行紙幣(信用貨幣)での政府の信用崩壊、銀行紙幣(信用貨幣)での銀行の崩壊等の場合は、物々交換の途中、前半段階のままでの強制的終了となり、現物のただの「印刷された紙」が残り、通貨発行益分の損が押し付けられ、紙幣なら印刷紙としての燃料等としての使用価値だけが残されることになる。

 ※現代の信用貨幣の問題は、日本の財務省や日銀が古典的な「商品貨幣論」に立脚していることである。

貨幣の発行は、国又は市中銀行による「借り手」の「返済能力」の評価(与信)による「信用創造」により発行されていて、銀行で預金者からの「預かり金」としての元手の債権から貸しているわけではない、即ち「又貸し」ではない。

イングランド銀行での信用創造は、金庫にある担保としての金やその他の資産の範囲内で貸すわけではない。

信用創造として預り金以上に、数倍数十倍が貸し出され、それが「産業革命」を現実化した。

資本主義の拡大発展は、信用創造なくして始まることはなかった。資本蓄蔵分を再投資したのではない。

  

  • 領土再分割戦重商主義」階級制生産経済の飽和

 

 ・「階級制生産経済」は自給自足の自立型経済として人口増しながら発展拡大できる優れた重農主義システムとして約9000年前に「獲得経済」に代わる主力の経済システムとして登場し、発展拡大の末に埋め尽くされて飽和してしまい、これ以上の発展拡大がのぞめなくなる。

自国経済での自立的な所得増ができないなら、他から持ってくるしかない。要は「略奪」依存経済への転換であり、「獲得経済圏」が「階級制生産経済圏」への侵略で凌ごうとしたように、今度は主力であった「階級制生産経済」の方が飽和することで、今度は自らが当時の「獲得経済」の立場に立たされることになる。

 ・「領土再分割戦争」による領土増の為の膨張戦争、それは「生産経済の拡大」ではなく「領土の略奪=新たな獲得経済」への転換でしかなく、それ自体「階級制生産経済」の行き詰ったことによる打開策ではあるが、勝者は拡大できても敗者がその分縮小するだけで、世界全体としての拡大のないゼロサム状態であり、最強の1国が世界制覇すればゲームセットになり、その先はない。

あるのは戦争による人口減と蓄積してきた固定資産の破壊を通じて総生産力が低下し、復興需要による修復期間中の平和は訪れるものの、復興し終わるとまた飽和して元の「領土再分割戦争」を繰り返すだけでしかない。

※もし1国が完全制覇支配すれば、矛盾は1国内での格差を拡大することによって支配階級側への所得移転が加速して、被支配者側が所得減、人口減となり、更に人口減を繰り返すだけになる。衰退社会、デフレ経済化でしかない。

資本主義でも同様で、世界が資本主義の1国状態になると、交換相手は国内需要のみ、となり生産規模は拡大できず、「分配上の格差」を発生させるだけの「道具」と化し同様となる。

・では現実の歴史からこの「飽和」状況を把握しておこう。

中世西欧では「農業革命」(10~12C)により「重量有輪犂」や鉄製農具の技術革新、「三圃制」の農法の改革、偶然の気候変動による持続的温暖化等により、主要穀物生産は一気に3倍以上化し、爆発的人口増を可能にした。

この人口増加枠の拡大分が飽和に達するまでの間人口増し、国内の賦役的交換経済拡大による消費財生産増を可能にして発展するが、穀物の余剰が人口増で飽和し始めると再び領土増による余剰生産増圧力を生じる。

・農耕可能な土地は有限であり、領内の開墾余地は既になくなり、領地増圧力は「隣接領土」に対しての国境紛争に向かうが、当時の西欧には「封建制」と「宗教」による制約が壁となり、隣地への領地増圧力が制限された。

そこで異教徒支配地域への侵略膨張政策を実行するが、その過程で領土再分割戦で生き残る為に、軍事強化型の「階級制生産経済」への体制移行が迫られ、結果として封建制社会体制の崩壊と主権国家化(=絶対王政化)」に移行した

・中世の西欧は、「封建制社会」とよばれる諸侯領主、騎士領主、教会領主で満たされ、農奴と商工市民により構成される「荘園制度」を経済基盤とし「封建制度」という領主(=諸侯)間の集団的安全保障同盟に依存する「階級制生産経済」の小国家群を構成して平和的に推移していた。根底には先の「農業革命」による生産増があった。

平時は「領主」、戦時は(国王の要請で軍役に応ずる)「騎士」として国王の下に結集して戦う安上がりな軍事同盟(=集団的安全保障)に依存していたが、それは外部勢力からの脅威が少なかったことで成立していたにすぎないが、小国家での自立存続を可能にしていた。

・形式上「諸侯は国王から領地の封土を受け、見返りに国王の要請による軍役に従う」という契約が「封建制」だが、諸侯領はもともと諸侯の領土であり、王から領土を貸与されたわけでもないが、他国から見れば相手には「小国」ではなく「小国連合の大国」として映る。

「階級制生産経済」が飽和しても、この同盟内部の隣接領土での拡大戦争は、「王から貸与された領地」内での内紛となり王の仲裁により回避されるが矛盾は残る。

 ・農業革命により「階級制生産経済」圏の領土膨張圧力が長期間先送りできたこと、生産経済の拡大により脅威だったはずの北方ノルマン人の「獲得経済」圏との境界の「階級制生産経済」圏側の隣接域に「国際交易自治都市」が発生し、交易により北方からの侵略圧力を抑制できたこと、「大陸辺境の地」としてグローバル軍事帝国(モンゴル帝国イスラム帝国ら)からの支配が及ばなかったことで「封建制」は西欧、日本、でのみ持続的に出現した「特殊で脆弱な上部構造」であった。

 ・また、小国家の同盟連合国家としてのイングランド、フランス、神聖ローマ帝国等の各国はカトリック教国であり、ローマ教皇や各国内教会によるによるイデオロギー支配も受けており、これらの国家間の領土紛争もローマ教皇管内での内紛にあたり「教皇」により調停もされ、教皇裁定に服従しない国王は破門される力関係にあった。

・こうして西欧カトリック教下の「封建制」国、又は国内諸侯領主にとっての領土拡大圧力「異教徒支配地」に限定され、異教徒の「カソリック化」というイデオロギーの布教を大義名分として、イベリア半島イスラム支配からの奪還「レコンキスタ」、「ドイツ騎士団によるエルベ川東方開拓」、そして隣接しない「聖地エルサレムイスラム(セルジューク朝)支配からの奪還」その手前の「東ローマ帝国(ギリシャ正教)のイスラム侵略からの救済とカトリック化」を大義名分としたローマ教皇の「カソリック」支配圏拡大としての「十字軍」遠征派兵が提唱され実行された。

・200年間、7回にわたる十字軍大遠征による領地増は達成できず結果的に失敗してローマ教皇の威信は低下し、領主の長期遠征による荘園での不在、戦死、財政破綻、等で「荘園制」基盤は弱体化して封建制は破綻、内戦を経て結果として「軍事強化型主権国家(=絶対王政)化」に移行した。

諸侯は荘園を国王に「返却寄贈」して国王の直轄領とし、代わりに廷臣(官僚、常備軍指揮官)となるか、廷臣化せずできずに単なる「地方地主」となって地方に残る。

・「主権国家(=絶対王政)」は官僚機構と常備軍を備えた中央集権国家であり、ローマ教皇によって内紛が抑えられていた「カトリック同盟」は教皇権威の失墜と共に瓦解し「主権国家」間での領土再分割戦争が表面化する。

国家間戦争につきものの軍事同盟も、キリスト教国とイスラム教国間で軍事同盟が成立するなど、結果として国王(絶対王政)が教皇に対して圧倒的に優位となった。

・しかし、「主権国家」として軍事強国化しての領地拡大=再分配戦争が始まると「戦費増」と「官僚、常備軍の維持費増」での財政負担が膨大となり、これまでの荘園を基盤とした財政バランスは崩れ、国領での農業余剰収益依存だけでは恒常的に「財政不足」となる。

また戦争の形式も「中世騎士による馬上の一騎打ち戦」という封建社会の時代とは異なり「傭兵」数と武器生産の経済力が勝敗を決するので財政支出が膨大となり、それは戦争当事国双方にのしかかる。

しかも「傭兵」は戦争終結で失業するので長期化させて雇用を守る力が働く。軍事化し絶対主義化した「階級制生産経済」国は財政上での破綻に脅かされ続け国際的な金貸し商人だけが肥え太る。

・結果として戦費と恒常的な官僚制、常備軍維持費は農民や市民への課税強化、商人からの借金、通貨の過剰発行 (インフレ)で賄うことになり、農民や市民は困窮の度を深め、暴動、市民革命、農民反乱が頻発して国体を揺るがし、更に貴族や聖職者にまで課税範囲が拡大(仏)されるなど「上部構造」内にも亀裂は及び、結局は「開戦」や「徴税増」の意思決定に、貴族、聖職者、市民代表による「議会での同意」を国王は求めざるを得ず、主権国家は、国民国家的な議会での王権制限が市民革命として勝ち取られ、場合により国王が処刑され共和制化(仏、英)する等の国内階級の力関係の変化が顕著となる。

 ・この時代背景にあって、この構造的な財政問題の打開策が、領土拡張戦争(十字軍、レコンキスタ等)の結果としての「大航海時代」によってもたらされる。

 「陸路→地中海」交易での東西「中継貿易」で利益を上げていた東ローマ(ビザンツ)帝国や地中海沿岸の商業自治都市は、1453年に東ローマ帝国オスマン帝国に占領されて滅亡してしまい、帝国が関税を大幅に引き上げた為、東西貿易品価格が跳ね上がり、地中海交易は委縮、その危機感からジェノバ商人は大西洋海上交易ルート開発に商機を求め、レコンキスタで成功し絶対主義化してイベリア半島を支配したてのポルトガル、スペインに取り入る。この両国のレコンキスタは成功していて教皇権威は継続しており、カトリックの国内国外への布教名目での支配の正当化ができていて大航海時代での略奪的支配を助長容認した重商主義政策を取り続けられる。

・また地理的にもレコンキスタポルトガル、スペインは、大西洋、地中海の両アクセスが可能となったが、地中海交易圏からも北海バルト海交易圏からも遠く辺境であったので、両国は大西洋海運ルート開発を求めてジェノバ商人の航海造船技術に依存して「大航海」時代を迎える。

「新大陸の発見とその支配」によりスペインは「銀等の略奪による新たな獲得経済」による所得が得られ、更にスペイン船襲撃による再略奪という新手の英国流の新たな獲得経済も登場する

・他方で、ポルトガルオスマン帝国による陸路「中継貿易」一元支配の打破の為、アジアからの「香辛料や絹」の高騰に対してアジアとの直接の海路開発を進め、海運「中継交易」による「交易利得」をオスマン帝国から奪取する「新たな獲得経済」を実現したが、その後オランダ、英国、フランスらによる新大陸、アフリカをも含めた海運「中継交易」への新規参入が続き競争は激化して「交易利得」は逓減し衰退していくが、軍事強化型「階級制生産経済」主権国家の財源不足は、少なくともこの「新たな獲得経済の付加」により大航海時代への参加国で持ち直し、海上覇権獲得競争による利得獲得の最大化をめざして重商主義国家化に移行傾斜していった。

海上覇権も支配できれば、遠隔地との独占的交易を可能とし、高額の「交易利得」がオスマン帝国に替わって得られるので、海上覇権獲得競争とその戦争も続く。

・生産経済とは異なる「新たな獲得経済」の付加競争であり、財政問題の打開策で有効となったことは事実である。

しかしスペインの新大陸からの略奪型の「新獲得経済」は、西欧経済にインフレをもたらし、また獲得資源の銀の枯渇や収奪地での反乱により継続性を失う。

また独占的な遠隔地「中継交易」による「交易利得」の支配も新規参入重商主義国が増え、その独占が困難になると「交易利得」も漸減し、結局は持続性のある交換資源の「生産」を伴う「交換経済」依存に入れ替わるまでの「繋ぎ」でしかないことを知る。

・しかし、逆説的には「繋ぎ」として有効な期間は「新たな獲得経済」は有効であり続けたし、またその間は「生産利得を伴う生産経済に支えられた交換経済」=資本主義への移行は先送りされ、ひたすら交易市場の拡大競争と略奪経済としての「新たな獲得経済」が拡大し続けた。

交易利得による収益は、造船や海軍強化による制海権獲得や交易市場拡大の為の再投資循環の為に投資されていくので、この収益蓄積が資本主義生産の投資資金として活用運用されることはなく、交易利得としての新獲得経済の付加が逓減して拡大用の投資効果がなくなると、新たな「生産利得を伴う交換経済」の投資に向かい始める。

・資本主義の本格的な発生の条件は「大航海時代」で拡大した国際交換市場環境があってこそ、といっても過言ではない。それなくして資本主義が主役化することはなかったといえる。

既存の農業余剰所得による自然成長だけなら、商工階級ギルド生産で交換需要は全て賄われて余りあった。

  略奪利得が徐々に失せ、独占的な中継交易利得が逓減すると、即ち、階級制生産経済国が「軍事強化型階級制生産経済」国化して財政不足となっている折、「新獲得経済」としての交易利得が略奪型、又は中継交易型で十分に得られなくなり、国際交換市場での「交易利得」の獲得を維持しながらも、交換用生産としての「生産利得を伴う交換経済」=資本主義生産経済への移行にいよいよ投下資本を移行し重点配分していくことになる。

それは、世界の商工階級職人による手工業生産を、機械動力工業生産で置き換え、他国での商工階級職人生産による労働生産所得との交換市場での交換分を、自国機械動力工場生産物に置き換えて優先交換し、他国交換市場から労働生産所得を排除していくことで所得を国内移転する「交換経済」を大義とした略奪的「新獲得経済」への転換である。

 ・この意味で「産業革命」という機械化工場生産体系こそが資本主義生産の名にふさわしいし、その国外労働所得の略奪という他国の所得を自国内に移転する「新獲得経済」が成立する

手工業生産をはるかに超える低価格大量生産化による交換物の国内市場での交換需要に対して過剰生産して国外市場に侵入し交換後の所得を自国に持ち帰り分配時に余剰労働生産分を資本として分配蓄積し再投資による拡大再生産循環が得られる本格的な資本主義生産が主要な生産形態に移行する走りとなった、それが「産業革命」である。

英国以外の先進各国やマルクスでさえもこの「産業革命」での資本主義生産化の変化には熱い視線を投げかけ分析もした。

領土再分割戦争大航海時代による重商主義」が「資本主義生産」導入の生みの親、育ての親である。

 

  • 「英国」での「資本主義」の発生の背景

 

 ・時代は遡るが、「封建制」時代のフランス、その国王はパリとその周辺のみを支配する一小国の「一諸侯」にすぎなかったが、封建制により形式上の国王として諸侯らの頂点に立っていたにすぎない。

そこにフランス国王配下の「ノルマンディー公国」の一諸侯 (一貴族)が、英国を支配し英国王となったことで、フランス国王の臣下が英国王を兼ね、あたかも英国の領土がフランス国内にもある、とも言える奇妙な状態となり、更に婚姻で「フランスのほぼ西半分」をも支配下にしたことで「西フランス一帯と島国イングランド」が英国領、の状態となる。

・第3回十字軍は英、仏、独(神聖ローマ帝国)による聖地エルサレムの再奪還をめざす大規模派兵であったが、独王は事故死し、フランス王は英国王と対立して帰還してしまい、英国王単独での戦闘中に、仏領内の英国領を仏国王の支配下にして、かねてからの不安を払拭した。

英国は大陸内領土をほぼ失い「島国」化し英国王ジョンは呼び捨てにされ、マグナカルタにより王権制限された。フランス国王はその後自信を深め「王権神授説」と「自然国境説」を盾に絶対王政化して領土拡張戦争を拡大し続け概ね実現した。

・そしてフランドル伯領(現在のベルギー)をも直接的に支配しようとして自治都市に重税をかけはじめた為、1328年に都市同盟の反乱がおき、これを弾圧したことで「フランドル都市同盟」の商人や毛織物製品生産職人の一部は、羊毛原料産地の英国に亡命的に移民流出した。

英国は「旧西フランス大陸領地の奪還」と(羊毛原料輸出先の)「フランドル都市同盟」の支援と支配の為に、英仏100年戦争(1337~1453)に突入する。

この100年の間に、フランドルからの移民による毛織物生産の英国内での完全内製化が実現した。

・英国はもともと単なる「羊毛原料輸出国」でしかなく、毛織物への製品化・国外販売は英国内のフランドル移民に依存するしかなかった。ノウハウが全くないのだ。

英仏100戦争は1339年に始まり、1350年には既に英国による毛織物「製品輸出」が始まり1400年頃には毛織物製品輸出が羊毛原料輸出を逆転し、その後製品輸出は急増、1453年の100年戦争での英国敗戦時には製品輸出はピークに達していた。

大陸の領土獲得戦争ではフランスに敗れたものの、経済面では戦勝しており、それどころか既に飽和し発展限界を迎えていた「階級制生産経済」拡大路線依存から「生産を伴う交易」依存国に軸足を移すことに成功していた。

・なお、英国に移民せずに残ったフランドルの人達は、羊毛原料が入らなくなり毛織物産業は衰退し、フランスの強制するカトリックも受け入れる。というかカトリック教徒が英国に移民せずに残っていた、というのが実態。

しばらくして「リンネル製品生産」の国際拠点として復活するが、それは都市同盟ではなく内陸部農家の内職での問屋制での「プロト工業化」による輸出用生産での再生である。

リンネル需要は大航海時代での「コーヒー豆の袋」「インディゴ(染料)用の袋」「奴隷用の衣料」需要の急拡大によるもので、輸出用生産品は都市の職人ではなく商人による問屋制での農村内職副業生産であり、大航海時代の国際的需要増によって発展拡大した。

・フランドルの毛織物製品の生産販売技術は英国に移転し、英国で資本主義の原型である「マニュファクチュア生産」(問屋制=商人資本支配で普通は三か所程度に分散していたが)による毛織物製品の量産化が拡大した

資本主義生産様式」の原型は英国で「発生」した?

・英国の「階級制生産経済」の城下での「半統制経済」下

での「領内市場」に依存する商工階級ギルドへの合流で

はなく、最大都市ロンドン周辺でもなく、ギルドの影響

の及ばない英国中部の農村地帯(ヨークシャー)で、商人

の下での問屋制での「毛織物」の「マニュファクチュア」

生産がその後も拡大した。

「マニュファクチュア生産(資本主義初期の生産様式)」のノウハウは、フランドルの商人、職人が「フランドルから持ち込んだ」(=外挿した)のか、英国人との合作で初めて英国で誕生した、かのどちらかではある。

筆者は、フランドル発生説を有力と考える。それは農業の低地での大規模化が世界に先行していち早く実施されていて、失業農民を多数排出していたので、彼らに商工階級職人ギルド生産でない、商人による作業員の直接雇用を可能にする労働需要があったから。

・英国では100年戦争の戦費調達の為に「人頭税」が課せられ1381年にはこれに反対する「ワットタイラーの乱」も発生したが、職種別人口データがめずらしく残されていて、「毛織物製品生産」だけは、主要工程で専門職人別に分類されていた。(染色工、縮絨工、織布工、裁縫工のように。「イギリスにおける経済構成の転換」船山栄一氏より)尚、課税額では商人は高く、職人は低かった。以下はその「人頭税」データ。

・ヨークシャー西部の14世紀の「人頭税報告書」(100年戦争用特別税)で、この地域最大級人口のStrafford郡、総人口6344人の例では、

領主38、借地農28、農民5144、奉公人270、鍛冶屋151、仕立工131、車大工89、靴屋48、織布工31、縮絨工30、肉屋30、パン屋28、皮革業27、商人15、大工9、刃物工9、香料商9、他257。

★3つの は、毛織物加工職人で計191人、鍛冶屋151人よりも多いのに驚かされる

しかも毛織物製造は他の手工業職種と異なり、中間生産物の「手工業者」でしかなく、靴屋、パン屋、車大工などのように最終製品の「手工業者」と分類が全く異なる。

・このStrafford郡にはおそらく3つの工程別のマニュファクチュア工場があり、この中間生産物を商人が集荷リレーして完成させ輸出していたと考えるのが妥当である。

毛織物生産は、他の手工業者の生産物と異なり、国外市場の大きい需要を対象に手工業ながら大量生産しており、工程を分解した分業生産の形をとっていたことになる。

マニュファクチュアは、一工場だけで製品を完成させるのはまれで、主な工程別に3つ程度に括られていたが、産業革命後に機械生産を行うようになって初めて一か所での工場生産で製品を完成させるようになったといわれている。

それまでは流動資本による手工業生産であり、固定資本による機械化生産でようやく一か所工場化した。

・英国内は100年戦争の敗戦責任を巡ってバラ戦争と呼ばれる全諸侯を二分する内戦(1455~1485)を経て、諸侯没落の結果として絶対王政が再構築され、「荘園制」は崩壊、毛織物「マニュファクチュア生産」増や「囲い込み」による借地農経営者=ジェントリによる農民の追出し、牧羊地増、雇用小作農、独立自営農(ヨーマン)、などが混在する土地活用に変化し、ジェントリ借地農による農業の大規模化を軸に土地活用が整備されていく。

英国は敗戦したが貧しい「階級制生産経済国」で、かつ「羊毛原料輸出国」であったものが「毛織物製品(生産)輸出国」となりフランドル、アントウェルペンの商業自治都市機能をちゃっかりと内製化して取り込んでいた。

・以下、フランドル都市同盟の商人、職人が主に「ユダヤ人」だったのでは? との仮説に基づき推論する。

歴史を更に遡ると、英国への「ユダヤ人」入植はノルマン王朝時代で「小売業と金貸し業(貴族と王朝に)」で大いに繁栄し、例によって恨みを買って迫害を受ける。

1269年にはユダヤ人の「土地所有」と「遺産相続」が禁止され1290年に、16000人全員を国外追放し、その後360年間、英国内ユダヤ人は「空白?になる。

この空白期に、想像で?皮肉を込めて「シェイクスピア」の「ヴェニスの商人」が書き下ろされたりもしたが、実はその頃にはフランドルの商工業者(ユダヤ人)が1330年代に英国中部の農村に亡命的に移民してマニュファクチュア生産を始め、拡大していたことになる。

・その後の1642年には英国内清教徒と国王が対立して、国王を処刑して一度は「イングランド共和国」になり、英国はオランダとの対立を深めユダヤ人の「英国復帰の嘆願書」を受け入れ1656以降にユダヤ人の再入国が始まり、オランダを捨てた多くのユダヤ人が英国に大量移住した。それと共にオランダの繁栄と覇権の時代は終わる。

・この経緯からも、空白だった360年間にも入国して英国に実利(毛織物内製化輸出による関税収益)をもたらしていたと考えるのが妥当。英国財政の立て直し、ジェントリのマニュファクチュア工場経営者化とその育成、地方議員進出への誘導と引き換えに政治的再迫害を免れ、「ユダヤ復帰嘆願書」が受け入れられた、と考えられる。

1874年には「英国初のユダヤ人首相」ベンジャミン・ディズレーリが誕生しロスチャイルドの財力を背景に、英国はスエズ運河の買収にも成功し、アジア進出を加速しイングランド銀行も設立しパックスブリタニカ時代に。

・英国から追放された頃のユダヤ人、及びスペインでの宗教弾圧を逃れたユダヤ人達は、当時のスペイン植民地のオランダやフランドルに逃避して貿易、商業、毛織物生産販売、造船、金融、教育、芸術、大規模農業をもたらしオランダやフランドルを繁栄させたと考えられる。東インド会社も設立し膨大な富と繁栄をもたらした。

更に踏み込めば、スペインの大航海時代の繁栄をもたらしたのも、元をたどればジェノバでの地中海中継貿易で財をなしていたユダヤ人達であり、スペインの大航海時代と大帝国化に貢献したが、カトリック以外を徹底的に大弾圧したので植民地のオランダに移民移住し、逆にスペイン絶対主義王政はその後没落衰退していく。

・フランドル、オランダは国際交易の自由商業自治都市で、この地の支配階級は「階級制生産経済」依存のフランドル伯(諸侯)でも、諸侯城下での商工階級ギルドとは異なり「国王の特許状」により実質的に治外法権の「国際的交易自治都市」で「商人支配=支配階級が商人」で「統制経済的影響」も「カソリック的金銭価値観」からも距離を置くことができ商売、金儲け、金貸し金融もできた。

・フランドル自治都市「商人」の支配下での毛織物職人生産であり、低価格生産基地を商人が資本提供して支配し、おそらく職人生産していた彼らは元失業貧農で、生産工程と生産物とを支配して、手工業ではあるが職人ではなく雇用労働者による生産体系を旧態の職人ギルド生産に替えて実現していたと考えられる。余剰生産分の資本蓄積による拡大再生産投資循環をも可能にしていたはずである。

・ただし商業自治都市は本質的な領土支配権はなく、国王からの特許状依存であり、国家ではないので規模も小さく軍ももちきれず(一部海軍を保有していたこともあったが)、国王が絶対主義化して諸侯領に直接的支配が及びだすと、反カトリック国のいずれかに移転して、安定した生産と交易と資本蓄積を継続したかったはず。

スペインやフランスのカソリック原理主義国による絶対王政支配による収奪と宗教弾圧を嫌い、原料生産国の英国に積極的に移民したと考えられる。

・「カソリック原理主義的な金銭モラル」のない「プロテスタント容認国家」でないと「資本主義」的生産様式は実行しにくいと考えられるが、当時の英国はカソリックからプロテスタント系の「英国国教」に改宗していたし、オランダもプロテスタント系のカルバン派が多く、フランドルは、カソリックとカルバン派が混在していた。

資本主義の先駆はフランドル都市同盟からのカルバン派を表面的には名乗るユダヤ系商人と配下の職人ではないか、との仮説は捨てきれない。

 

  • 「資本主義発生」の経済モデル化

 

★「階級制生産経済」の「経済モデル」

 ・資本主義は「階級制生産経済」の英国で発生したが、英国はそもそもノルマンコンクエストでフランス諸侯に支配されたことで、フランス式の高度な「階級制生産経済」を徹底導入してきた歴史がある。

したがってフランスの「階級制生産経済」と共通する「経済モデル」が英国にも適用できるはずであり、そのフランスの「階級制生産経済」モデルは、「経済学の母」と呼ばれる「ケネーの経済表範式」として既にこの時代にモデル化されていた。

これで英国の「資本主義」の生成のモデル化検討も可能であるはず、と考えられるので以下試みることにする。

★「ケネーの経済表範式」モデル=フランス経済モデル  

 (注)

・図の⑦については、食糧、種子等の生産階級の年前払い20億(単位はルーブルとしておく)を補填している地点で破線が止まっているが、実は原前払い100億のうちの減耗10億を補填しているので、この破線を左上の緑色の(→年10億損耗)まで引き延ばさなければならないが、ケネーは、原前払い(左上)と年前払い(その右)を一括して扱ったので、誤認なきよう注意を喚起しておく。

 ・もう一点は、

生産階級の今年度生産物50億は、前年度にとりおいた20億の食糧と播種用種子、及び過去に蓄積した100億の農具や固定資本のうち(→年10億を損耗)して50億が生産されていて、正味30億生産だが、10億の固定資本を減耗させて得られたので、減耗分10を補填してやらないと、次年度に生産水準を保てなくなる。(その意味では純生産は20億となる。)

また、30億のうち、10億は、食糧ではなく原料であり、例えば石材、木材、鉱物資源、燃料資源、羊毛原料などの不産階級生産加工用原料で、残20が支配階級、不産階級への各10億ずつの食糧生産物である。

★ケネーの「経済表範式モデル図」 

・上記の図での経済モデルのスタート段階。

生産階級には100億の原前払い=固定資本(→年10億損耗する)と前年の年前払いの食糧+播種用種子が20億あり、これで生産活動して50億の生産物を得る。

内訳は40億が食糧、10億が不産階級用原料。

  支配階級には、前年度の生産階級からの地代納税20億の貨幣が既にある。

  不産階級(不生産階級ともいうが、商工階級。以後不産階級と呼ぶ)には、前年度の年前払い10億の貨幣がある。

 ・生産階級は、過去資本である原前払い10億、年前払い20億を消費して50億の生産物を生産し、翌年生産用に20億を取り置くので、正味30億が交換供与対象となる。内訳は食糧20億、原料10億。

生産階級は10億の食糧を支配階級に販売して貨幣10億を得る。不産階級には原料10億を売って10億の貨幣を得る。(この段階で生産階級は貨幣20、食糧10残)

  不産階級は10億で得た原料を10億の労働力で加工して20億の加工生産物(生産価値物)を生産する。

  支配階級は食糧を買った残りの貨幣10億で不産階級の加工生産物10億を買って消費(で終了)、不産階級は10億の貨幣を得て、これで生産階級から食糧10を買って消費。

 ・以上で生産階級は現物30億が貨幣30億になったが、固定資本減耗補填の為に10億の貨幣で不生産階級に加工生産依頼して100億の資本に復元、不産階級は10億の貨幣を翌年の原料仕入れの為の年前払いとして保管。

  生産階級の貨幣残20億は、支配階級に納税する。

 ・こうして、スタート段階の状態、即ち

生産階級100億の原前払い、20億の年前払い

支配階級は20億の納税貨幣保持者。

不生産階級は10億の年前払い貨幣保持者。

に戻り、次年度の単純再生産循環が可能となる。

 ・マクロ経済での「3面等価」で整理してみると

総生産

   生産階級50、支配階級0、不産階級20

  総所得

         生産階級30、支配階級20、不産階級20

  総支出

   生産階級30、支配階級20、不産階級20

  生産階級の支出は、納税20、固定資本減耗補填10、

  支配階級の支出は、食糧消費10、加工生産物消費10、

  不生産階級支出は、食糧消費10、年前払い補填10。

  ★「英国経済のモデル化」

 ・英国は、獲得交換経済、即ち羊毛原料輸出による多額の外貨を獲得する交易依存国でもあった。

一般的に「階級制生産経済」は、自己完結型、自給自足可能な閉鎖型の経済循環によるが、英国は北欧の「獲得交換経済」の要素をもっていたので、まずは「ケネー範式」の標準モデルとの違いをフランドルへの「羊毛原料輸出」段階での「英国経済モデル」として表現し、次に、英仏100年戦争によるフランドル移民受け入れ後の「資本主義生産を含む内製化生産による製品輸出」段階での「英国資本主義発生モデル」を検討する。

 ★フランドル移民前段階の「階級制生産経済英国モデル」

 ・英国の経済規模はフランスの1/2以下だったので、まずそのスケールを標準モデルの1/2スケールにしておく。すると、経済の再生産循環の開始前は、

      生産階級は、50億の原前払い=固定資本(年間5億減耗)と10億の年前払いの食糧と種子で25億の農産物と原料を生産。25億の内訳は5億の原料と20億の食糧

  支配階級は、10億の前年の納税貨幣を有する。

  不産階級は、5億の年前払い貨幣を有する。

 ・あとは数値が半分なだけで上記と同文となるが、本来自国不産階級生産用の「原料が輸出」(2億とした)されており、輸出分の自国不産階級はその分ダウンサイジングされる。(3億とした)

  仮に、原材料生産物のうち2億が輸出されると、5億標準の国内不産階級は3億でよいことになり、2億の原料分に加工労働を付加するのは国外の不産階級で4億の価値物を生産し、国内は3億の不産階級で3億の原料を加工して6億の生産物を生産するだけ、でよいことになる。循環行程の流れを追うと、まず、

生産階級は今期の生産物25のうち、支配階級に食糧を5億販売、残20億生産物と貨幣残5、になる。

支配階級は食糧消費して貨幣残は5

生産階級は原料を国内、国外の不産階級に、3億と2億の計5億を販売、国内不産階級は3億の年前払いで支払い、貨幣残ゼロ、国外不産階級も貨幣2億がゼロに。

生産階級は15億生産物の残、貨幣残は10億に

  不産階級は生産し国内不産階級は3億の原料に3億の労働を付加して6億の生産物、国外不産階級は2億に2億で4億の生産物

  支配階級は残貨幣5億で国内不産階級から3億、国外不産階級から2億(輸入)の計5億を購入して消費、支配階級はゼロ貨幣で終了。

国内不産階級は、残6億-3億=3億の生産物残と貨幣3億残。国外不産階級は、4億-2億=2億の生産物残と2億の貨幣残。

  国内不産階級は、3億残貨幣で生産階級から食糧を購入消費して、3億の生産物残と貨幣残ゼロ、生産階級は12億の生産物残で貨幣残は13億に

生産階級は、3億の貨幣を不産階級に渡して固定資産減耗3億を補填してもらい、残12億+3億=15億の生産物残になり貨幣は13億-3億=10億となり、15億の生産物は10億の年前払い食糧+種子として、また5億の原前払い=固定資本減耗補填に、そして10億貨幣は支配階級に納税、で国内は完結する。

国外不産には2億の生産物残と2億の貨幣残があり、2億の貨幣残で自国で食糧と交換して消費すると、2億の貨幣が残り、それを年前払いに保管、で完結している。

貿易にかかる経費は無視した。また原料の輸出関税は、支配階級にもたらされるが、その分の貢納貨幣は地代から減じられるので相殺してある。

また国外不産階級でも、国内商工階級ギルド的生産が英国同様に行われていたと仮定した。

資本主義生産はフランドル移民により英国で行われており、次に移転後に資本主義生産した場合を想定してモデル化する。

 ★フランドル移民後、資本主義発生の「英国経済モデル」

 ・初期段階は、生産階級の原前払い50(億以下省略)で年5を減耗、年前払いは10、で本年25の生産物生産で食糧は20、不産階級用原料は5

支配階級は前年納税貨幣10を保持、不産階級は、年前払いは3、移民不産階級は2を貨幣で保持。

・生産階級は生産物25のうち、支配階級に食糧を5販売、物残20と貨幣残5、支配階級は食糧消費して貨幣残は5

次に生産階級は原料を国内、移民の不産階級に、3と2の計5を販売、国内不産階級は3の年前払いで支払い、貨幣残ゼロ、移民不産階級も貨幣2がゼロ。生産階級は残15の物残、貨幣残は10。☜ここまでは同じ。

  不産階級は生産し国内不産階級は3の原料に3の労働を付加して6の生産物、移民不産階級は2の原料を1で2の労働付加して4の生産物。1は有賃1は無賃。

  次に、支配階級は残貨幣5で国内不産階級から3、移民不産階級から2の計5を購入して消費、支配階級はゼロ貨幣で終了。国内不産階級は、残6-3=3の物残と貨幣3残。移民不産階級は、4-2=2の物残と2の貨幣残

  国内不産階級は、3貨幣残で生産から食糧購入消費で3の物残、貨幣残はゼロ

移民不産階級は、2の物残と2の貨幣残の4のうち2の物残を国外輸出して1の食糧と1の貨幣を交換輸入、食糧は消費して0の物残と貨幣残は3。

15の物残、貨幣残10だった生産階級は、残12の物残で貨幣残は13に

最後に、生産階級は、3の貨幣を国内不産階級に渡して固定資産減耗3を補填し残12+3=15の物残になり貨幣残は13-3=10となり、15の物は10の年前払い食糧+種子と5の原前払い=固定資本減耗補填で50の固定資本に復元、10貨幣は支配階級に納税、で完結し、

移民不産には3の貨幣残のうち、2を年前払いに保管。残1の貨幣を資本蓄積、で完結する。

無賃生産労働分が、資本蓄積をもたらし、拡大再生産投資の原資となる。

 ・フランドルから支配階級が買っていた2の毛織物製品は、国内生産分からの購入になるだけで、原料買い入れ資金2を持参したフランドルからの移民不産階級は1の人口で2の付加労働(有償労働1、無償労働1)で資本主義生産することで、国内支配階級に2を売り残2を輸出し、食糧1と貨幣1を国外交換で得て食糧を消費し、支配階級に販売したときの2の貨幣と併せて3貨幣となるが、翌年の年前払い2を取り置いて1の資本蓄積が(不産階級の資本家に)できる仕組みである。

実際は1といっても遠隔輸送料や国外販売経費、輸出関税が控除されなければならないが。

  また、移民に応じた国内食糧のわずかの増産で変形することは可能だが、行きの船に製品を積み帰りに食糧と銀貨幣を持ち帰ればよい。1は発生モデルになる。

 

  •  英国「マニュファクチュア」後の国内普及の実態

 

 ・英国での「毛織物製品のマニュファクチュア生産」によって「資本主義」が誕生した、というのが通説ではある。

  それは、領主の城下での商工階級の職人生産のように「領主の貢納余剰食糧所得による賦役的性格(継続的委託生産)での職人生産(=全工程の職人による完結生産型)」とは同じ手工業的生産でありながら本質は全く異なる。

・職人が工房で原材料を前にして道具を入れ替えながら自らが「目的生産物を個人的に道具を入れ替えながら完成」させ、需要増あれば職人増する、というのではなく、大型需要に対して生産工程を分解して、部分工程毎に道具と作業員を固定的に配置し、中間製品のみをただただ連続生産させ続けては次の工程にリレーする流れ作業で、最終工程では完成品だけを連続生産させる方式で、仮に総労働人数と1日当たりの労働時間が職人生産の場合と同じであっても、完成する生産量はより多く生産できる。

・それは生産工程毎に生じる「専用の道具や原料の入れ替え」ごとに生産労働時間を中断するが、その中断時間をなくして連続生産させ続けることで「生産量」増でき、もし同一価格で販売できれば、マニュファクチュア生産による生産増分の交換による所得増分が、この生産様式の支配者=問屋制=商人に帰属分配されることで「資本」形成され、拡大再生産投資循環させることも、単純再生産のまま分配増所得を資本家(商人)の自家消費とさせる選択をも可能にする。

・生産での価値観の転換がなされ、実態は労働強度の強化による資本分配の創出の為の生産であり、この概念は、「交換による金儲け」「金儲けの為の交換用の生産」の実現として、国際的交易市場(国外市場)での交換取引をする商人によって発想着想されるものである。

・交換段階(希少品、独占取扱品)での独占価格形成による「商業利得」と、交換目的の生産段階での「余剰生産利得」とを商人が獲得するもので、拡大再生産循環による資本蓄積を行う為に商人によって編み出され、流動資本の投資により実現したものであり、商工階級の職人生産(規格価格が統一されてギルド協約による生産)とは別物。

似ているのは「非食糧消費財の道具使用労働による手工業生産」の側面だけであり、国外市場での「商業利得」「余剰生産利得」による流動資本蓄積又は商人個人の所得増目的での雇用による生産か、の違いである。

ただし、道具や原料の移動に代えて、中間生産品を移動させるロス時間分や、製品の遠隔地輸送による物流費増分を控除しなければならない。

・「職人生産」対「流れ作業単純生産」ということで、マニュファクチュア生産の優位性は生産量増にあるものの道具利用の手工業生産としての生産力の限界があり、資本生産力もさほどではない。しかしマニュファクチュア生産は規模は小さいものの「資本主義生産」ではある。

商人が流動資本を支配し、原料、道具、作業場と作業人も用意して生産増し、国外交換により生産増分の所得を商人分配 (=資本)に帰属させ占有できる。

・更にマニュファクチュアでの生産手段を「道具使用人力労働」から「機械使用動力生産の操作労働」に置き換えることで、道具減耗と労働力消費による生産を、機械減耗と動力燃料消費による生産に入れ替えた「産業革命」は、マニュファクチュア生産同様、道具と人の代わりに機械を固定設置する大型工場での流れ作業により大量生産が可能になる。その結果として、生産手段で

  (道具減耗+総労賃)>(機械減耗+動力用燃料消費+総労賃)

 の生産コストが単位生産物あたりで成立すれば、その差に時間当たりの生産量の差の積の資本蓄積分が市場交換後の交換所得として機械制工場の固定資本の所有者に分配される。

この工場制機械工業の機械や工場の固定資本投資は膨大となるので問屋制での流動資本の範囲では困難となる。

これには産業資本家(商人が産業資本家として機能する)と金融資本家(商人が金融資本家として機能する)場合を含んでの結合による大型投資が必要となり、余剰生産分の収益は、産業資本家と金融資本家の固定資本投資額に対して分配される「資本主義生産」となる。

商人は産業資本家や金融資本家、或いは国際交易商人となって「余剰生産利得」に専業化するか「交易市場の拡大」による「交易利得」の獲得に専業化するか、産業資本家、金融資本化となるか、いずれにせよ分業化する。

・英国での毛織物のマニュファクチュア生産による内製化がフランドル移民の生産技術によって始まった後、産業革命発生までの約400年弱の長い期間、毛織物マニュファクチュア以外で目に見えた資本主義的生産の波及拡大はなかったようである。

では、なぜ世界で普及していた「階級制生産経済」下の商工階級の職人生産の延長線上で、自生的自発的にマニュファクチュア生産化や、機械工場生産化に発展せずに毛織物生産でのマニュファクチュア生産だけのままとどまり続けたのか、毛織物以外の英国内の各種生産物の生産に適用波及していかなかったのは何故か、を検討する。

・まず、なぜ英国で「毛織物製品のマニュファクチュア生産」という「資本主義」の原型生産が始まったのか?

英国は10世紀以降、フランドルの羊毛原料の決定的不足により原料需要増に応えてフランドル商人が買付に訪れることで、良質な羊毛原料輸出国に成長した。

もともと痩せた土地で「三圃制」を厳格に適用せざるを得ず、獣の大量の糞による土地の有機化が必要だったことで盛んに牧羊し、肉も食用可能で、更に副産物として羊毛も採取できる。

この英国羊毛原料を買付け、フランドルで毛織物製品に加工して国際的交易市場(アントウェルペン)を通じて独占的、国際的に商業交易していたのは「フランドル伯領(現ベルギー)内の都市同盟」を支配する「自治都市」の国際商人達であった

・羊毛原料輸出だけで、加工製造技術のなかった英国内で毛織物製品を内製化するには、フランドルの生産販売技術に頼るしかなく、彼らは英国中部農村地帯を立地選択し、商人支配での「問屋制マニュファクチュア生産」にして、それをアントウェルペン経由から、今度はロンドン経由で国際交易したにすぎない。

・英国は「毛織物製品生産を内製化」したことで国家財政上は本来の「階級制生産経済」による(農業)余剰食糧生産物所得(地代収入)依存から毛織物「輸出関税」依存へシフトし、財源収入上も逆転さえしてしまったのである。農業国で羊毛原料を輸出していた英国は、その国家財政で関税依存国になってしまった。

それならマニュファクチュア生産を「毛織物生産以外の商品生産」にも適用拡張して、商工階級ギルド生産物をマニュファクチュア生産で入れ替え、マニュファクチュア生産の拡張適用が進むのが当然、と考えても不思議ではないし、他の商工階級の「職人生産物」でも資本蓄積ができる「資本主義原型型生産」への移行転換がなされていてもおかしくない、と考えるのが当然ではある。

・しかし、実際は毛織物製品のマニュファクチュア生産拡大のみにとどまり、貿易統計でみる限り毛織物輸出が落ち始めた頃に、それを補うかのように「麻織物、絹織物、(初期)綿織物、金属製品、帽子、雑種工業製品(ガラス、皮革、石鹸、ろうそく)」が輸出用に生産され総輸出額を何とか維持することができ、国外で英国産製品が氾濫もしていた形跡もある。

・しかし、これらは先述したフランドルでの「リンネル生産」移行の場合のように(商人資本による)問屋制での農村工業「プロト工業化」の範囲での農家での副業、内職の形でのリレー生産により、毛織物製品輸出のルートに乗せてその落ち込みを補填した輸出程度にとどまっていたようだ。

大航海時代で発生した新たな国際的需要用の生産がプロト工業化として付加された程度、と考えられる。

この「プロト工業化」の発生域は、英国中部農村地帯だけでなく、北フランス、フランドル、ドイツ北部にも、また形と時期は異なるが日本でも幕末開港後に見られた。

・1330年頃から英国での毛織物内製化生産販売は始まり、1450年頃には内製化移行はほぼ完了しているが、

マルクスによれば、「マニュファクチュアが資本主義的生産過程の特徴的な形態として優勢になるのは、ざっと16世紀半ばから18世紀の最後の三分の一期まで続くのが本来のマニュファクチュア時代である。」と資本論で述べている。

14世紀半ば、既に毛織物マニュファクチュア生産が開始されたのに16世紀半ばから18世紀の最後の三分の一期まで続く、とあるがこれはマニュファクチュア生産より劣位の「プロト工業化」のことを指しているのではないか。内実はさして変わらぬ問屋制での輸出用の手工業生産ではある。

一つの工場に全てを集めるのではなく、工程グループ別に数か所に分散して中間生産品を商人が輸送リレーして生産する劣位マニュファクチュアとでも呼ぶ時代が続いていたと考えられる。

商人による流動資本により、輸出用に道具と手作業による流れ作業生産」であることに変わりはない。

・結局のところ、「綿織物工業」での「産業革命」としての「機械制工場生産」が始まるまでの約400年間弱の長い期間、国内での資本主義生産の普及は手工業生産段階の問屋制のまま停滞していたと考えられる。

この国内の資本主義化の全面展開の遅れ、には二つの原因が考えられる。

・第一に国内の非食糧消費財の国内消費需要は、相変わらず農業余剰生産の貢納(移転を含む)所得との交換に依存した「商工階級ギルド生産」によって有効需要分は既に満たされており、国外需要を取り込んでの職人生産の資本主義的生産化に踏み出す商工階級ギルドが存在しなかったこと、である。

 わざわざ国際商人と結託して、輸出用低単価大量生産に踏み出すメリットは職人にはなく、ギルド特権の否定、廃止が迫られる危険がある。国内支配階級の需要に応える賦役的生産なのである。毛織物生産での資本蓄積分も、その国際需要拡大分の拡大再生産投資循環の範囲で消化され、多角化投資財源としての余地はない。

・第二に、時は大航海時代であり、国外市場の獲得と拡大が優先であり、「中継貿易」による遠隔地間の「交易差益」の獲得又は独占さえ可能になる、ある意味「新たな獲得経済の付加」が可能な状態だったので、敢えて輸出用の「過剰生産」による資本主義生産化の需要も、必要性もなかった

・生産を伴わずとも「中継交易」によって遠隔地交易での「交易利得」を得続けられている間は、そちらの関係に投資 (造船、海軍用武器生産等)する。

丁度、スペインが略奪(=低い生産コスト)で「銀を略奪」できていたように、その間はわざわざ国内でリスクを負って他国市場の需要品を低単価で労働生産せずとも、略奪した銀で他国から製品輸入ができてしまうからである。

ただし、略奪「銀」が枯渇しだすとこの輸入分がそのまま財政赤字となり、その分を輸出用生産による労働所得移転増でバランスをとらなくてはならなくなるが、スペインは銀略奪で怠け癖がついてしまい、生産技術が育ってはておらず、銀の枯渇後は衰退するばかりとなる。

ポルトガルのように遠隔地交易で、奴隷、綿製品、絹、紅茶、香辛料、砂糖等を銀貨支払いで仕入れても、国内および国外で独占販売できることで交易差益が入るが、

「中継交易差益」< 「輸入増」となればやはり輸出用の交換用国内生産による労働所得増せざるをえなくなる。

中継交易差益は、新規参入国が相次いだことで独占販売は崩れ交易差益は逓減し、更にオランダ、英国に海上覇権を奪われてポルトガルも衰退した。

・英国は海上覇権獲得による国際交易の増加で、インド綿製品輸入による銀流出が顕著となる。毛織物が北欧周辺での需要に限定されマーケットボリュームが綿製品に遥かに及ばない。綿製品需要は、北欧西欧だけでなくアジア、アフリカ、アメリカ大陸での人気は高く、砂糖や紅茶、香辛料、インド綿製品の国内輸入の増大もあり英国は貿易差損が続きはじめた。

・「綿製品」の主要産地のインドは手工業生産なので世界需要に応えきれる国外向け生産量は少なかった(機会損失がある=需要は大きい)し、インド人の安い人件費での綿花原料生産とその製品化の為の家内制手工業生産に価格対抗する生産体系の創出には、インド以下の原料費(アフリカ人奴隷を使用した北アメリカ大陸南部での綿花栽培の植民地プランテーション生産)で、インド人の家内製手工業以下での加工生産費(工場制機械工業での低単価大量生産が必要で、それは毛織物生産技術を応用しての機械化、動力化で生産単位当たりの生産費コストでインド家内手工業を下回る生産技術が求められた。

・その結果「綿製品を機械動力により大量生産して輸出」し、更にインド製品の英国内輸入を禁止し、インドでの英国綿製品以外の製品輸入を禁止させる、など「経済安全保障」としての政治的軍事的圧力をも使用した。

 自由経済での市場交換ではなく半強制的交換でもあった。

これによりインドの綿織物生産は壊滅的打撃を受け、英国からのインドへの銀の流出による綿製品輸入とその消費は逆転して、インドからの銀の英国への流出による綿製品のインドの輸入消費による貧困化に逆転した。

・他国での手工業労働所得の国内交換分を、自国での(資本家と労働者による)機械工業生産で獲得する、いわば「新獲得経済=経済的侵略」であり、その兵器が「機械と動力」化した「産業革命」での「資本主義」生産である。

尚、この所得は資本家にも多く分配されるので拡大再生産されインド以外の国際的市場に対しても有効となる。

インドがこれに対抗するには、政治的独立による関税自主権の獲得と手工業生産の回復、引き続き機械工業化の育成が必要だが、既に国際市場が英国生産物で満たされており、そのハードルは高い。

・「国外交換市場での関税自主権放棄条約締結による市場支配」と「産業革命」によって資本主義生産はようやく「国外交換用過剰生産体系」としての優位な地位を獲得でき、欧米先進各国やマルクスらにも注目され研究もされだすが、この時点で英国に対する経済安全保障として対抗する、できる国家は「関税」で対抗し防衛し始める(米、独、仏)等

したがって欧米以外の軍事と経済外交で立場の弱いアジア、アフリカ各国に「関税自主権の放棄条項」を押し付けて条約締結して市場開放しておかなければ資本主義投資は過剰投資による不良在庫増となって跳ね返るし、もしこれが借入による投資であったなら、借入返済が滞り、その結果金融不安に至る。アジア、アフリカへの植民地化、関税自主権の放棄条項付きでの条約締結による市場拡大は資本主義生産継続拡大の必要な条件となる。

産業革命はそれまでの本源的資本蓄積による投資、ではなく、イングランド銀行設立等による信用創造が絡んでいるので、これに対しては中央銀行防衛の為の「経済安全保障」としての国家的軍事、政治を伴う対処が求められる。「輸入関税」で対抗する欧米先進国に対しては「経済安全保障」の角度から、「自由貿易」「金本位制」への政治的軍事的圧力で英国は対抗し返すことになる。

・英国以外の欧米諸国に資本主義生産が伝播し浸透していくのは、英国での産業革命による工業的発展段階、1760年以降である。英国以外での本格的な資本主義生産は、実は時期的にはとても遅い。

産業革命での「工場制機械動力使用労働」化による量産化の為の機械の技術的進歩を伴う生産力増や、輸送、交通手段(機関車、蒸気船等による生産物の大量輸送化)の為の重工業化は、武器生産、軍艦生産等としての軍事的脅威にも直結するので、先進各国は自国にも導入しようとするが、それは「機械化工場の最新設備と技術」の輸入、としてであり「資本主義生産物の販売による回収を通じての資本蓄積と拡大の為」の工業化ではない。

何故なら、まだ資本主義が国内で育ってもいない国々ばかりで、英国の軽工業生産品輸入に対して「関税で対抗して国内工業化」をめざすレベルの国ばかりであり、資本主義生産品の販売先としての「国外市場開拓も英国の後塵を拝しながら開拓し始めるレベル」でしかない。

日本はそれすらもなく資源を求めて略奪戦争経済化するレベル。「工業化と資本主義生産化とは全く異なる。」

大航海時代での「交易利得」に参入できなかった「階級制生産経済国」又は海上覇権奪取闘争で敗退していった国での「資本主義生産」の確立と拡大は、それ自体が非常に困難であり、重工業での技術革新でもない限り、英国には全くかなわないはずである。

国内にブルジョア階級層も労働者階級も育っておらず、農奴がようやく解放され小作農化した段階にある農業国状態に商工階級市民と知識層が加わった程度の国家であるが「資本主義」とは無関係での国家の軍事的強化の為の実質的に「階級制生産経済」国での国王の軍事的強化の為の「工業生産力」の拡大にすぎない。

要は「職人的労働」を中心とする市民社会では「機械工業化」により生産力を高めて国外市場で販売する「資本主義化」を英国の後塵を拝しながらこれから進めよう、追い付こうとしている段階である。

・「階級制生産経済」の飽和による領土再分割戦争での軍事強国化の為に工業化を「農業余剰所得」に依存して導入する段階、でしかなかった国がほとんどといえる。

アジアやアフリカにいたっては、商工階級市民階層自体が成長途上であり、農業生産自体がままならない。

外市場への商人による交易市場開発も遅れ、ブルジョアジー階層も労働者階級も育っておらず、したがって工業化導入の原資は国家財政として、他国や金融資本からの借款農業生産物貢納の更なる重税化に依存して、また、戦勝による領土や戦時賠償金獲得目的の「新たな獲得経済」、に依存せざるをえない国ばかりである。

・英国での産業革命による機械化工業化を見せつけられ、軍事的な角度からの工業化の優位性に着目して、「階級制生産経済」での絶対主義王権のままで「国家」として工業化を導入するが、その結果は国家の財政的な困窮を加速して略奪目的で戦争するしか工業化投資を回収する手段が残されない。国民は困窮し、戦勝を通じての領土拡大による耕作地増、領土内資源獲得、戦後賠償金目当て、での国家間戦争依存の国体に結果となってしまう。

大航海時代後の新獲得経済は「略奪」「中継交易利得」とその逓減化の後に工業化の普及による軍事強化型「階級制生産経済」の度を深め、「資本主義生産物交易による利得」か「工業化された重装備での軍事的略奪」か、の選択が迫られ、多くは残念ながら後者を選んでほぼ王政のままブロック経済囲い込みの為の市場の獲得支配の為の世界大戦へと向かっていった。「工業化による交換経済の為の資本主義化」は大戦後の平和の時代にゆだねられ、確かにそうなった。

ソ連からロシアへ、軍事大国でありながら資本主義生産による交易が昔の工業大国時代でさえできておらず、資源輸出依存国なので、GDPも韓国以下、なのである。

・資本主義、帝国主義と知識人が命名した帝国主義戦争と呼ばれる世界大戦を経験したが、ブルジョアジープロレタリアートも育っておらず、兵士の出身を見ると、貧農や自営市民ばかりが目立った。

工場労働者は自国政府所得相手の半官半民の軍需生産に賦役的に動員されていた、のであり、資本主義の大工場で消費財を国外市場向けに大量生産していたわけではない。資本主義生産ではないし、資本主義から帝国主義になったと言うにはあまりに稚拙で恥ずかしい。国家資本主義として軍需生産を賦役的にしていただけでしかない。

 第二次大戦後の平和の時代になって交易が自由化してはじめて戦争時代の高度化した工業生産技術での工業製品の大量生産販売が可能となり、旺盛な戦後復興需要を背景としてようやく日本は資本主義化した、できた、という点では、その基盤が大戦により構築された、といっていい。

 

 

・資本主義生産を本格化した「産業革命」は1760年代に英国発でようやく発生し1780年代には「綿織物工業」で本格化した。

既に毛織物製品生産で、資本主義的生産の初期段階としてのマニュファクチュア生産による内製化と国外販売による海外市場からの所得移転に成功していた英国は、大航海時代海上覇権獲得で国外市場を多く開拓し、毛織物生産技術を綿織物にも適用拡大させ、更に農業の大規模化による農民の労働者化への流れもできており、議会で合法を獲得した「第二次囲い込み」も既に実行されていた。大量の農民の労働者化に成功している。

また、石炭、鉄鉱石の国内資源にも恵まれ、またロンドンのシティに「イングランド銀行」等の金融市場を設立整備したこともあり、大型投資の資金調達を可能にして「産業革命」を果たして世界の工場に成長した。

 ・1830年代になると蒸気機関車から始まる第二次産業革命が交通革命(蒸気機関車、蒸気船)を通じて、重工業に構造転換し輸送力を強化するが、これらの技術流出を恐れて1774年には「機械輸出禁止令」を出した。

しかしアメリカ独立戦争フランス革命ナポレオン戦争と続く激動世界にあって、重工業化による国外の軍需需要がつよくなることで、機械輸出を乞われ重工業機械製品を資本主義生産して輸出販売し技術移転もし、英国は機械と技術を輸出してこれで資本蓄積もできた。

1825年に「機械輸出禁止令」の一部を、43年には全面廃止した。世界に工業化が広がるのはこの後で、工業化が資本主義化を伴うのは更にその後になる。

しかしこれにより英国は全てを移転してしまい、ドイツ、アメリカに徐々に追い付き追い越されていく。

・真っ先に恩恵を受けたのは1830年にオランダから独立したばかりのベルギー(フランドル地方)が世界で二番手の「産業革命」国となった。

40年代には、大陸で初めて鉄道を通すなど、英国とフランドルとのつながりの強さを示している。その後、アフリカのコンゴを植民地とするなど市場拡大した。産業革命による工業化は、鉄鉱石や石炭等の資源需要が高まる。それは生産手段が「道具使用労働」での労働に食糧が必要なのと同じく、「機械動力」には機械製造の為の原料と動力エネルギー源が必要となり、国内資源が不足する際は、できれば植民地、無理なら安定的な資源輸入相手国が必要となる。

この資源需要増により同様に王政のもとで軍事強国化して資源植民地を求める国が次々と登場する。

 1851年には第一回ロンドン万博が開催された。

 ・こうして重工業化の波は、1830年代にフランスへ。(フランス革命農奴は小農化しなかなか労働者化せず、押し寄せる英国工業製品に関税をかけて対抗しナポレオンにより自由化工業化が遅れて進行したが、農業で豊だった分出遅れた)、アメリカ(ただし南北戦争で出遅れたが南北戦争が工業化を推進した)、40年代にドイツで、米独は初めから重工業化で進んだ。

1860年代にはロシアが農奴解放により労働者を排出して90年代にフランスからの借款で工業化が進み、日本も明治維新後に始まり、1890年代の日清日露戦争前の英国からの借款により軍需の工業化が進んだが、資本主義化は、せいぜい輸出用の半官半民の「絹織物」機械工場程度の軽工業でしかない貧農中心の農業国(数年前まで石高制)で軍事的強化に工業化しただけ、でしかなかった。

  英国以外は軍事的「階級制生産経済国」即ち国王支配のままの国家事業として、英国からの技術移転に依存し主に借款と国内重課税で工業化したし、するしかなかったが資本主義生産による資本蓄積は進まず、国家所得を相手とする国家資本主義でしか投資の回収ができない。

 ・産業革命の波が先進各国に行きわたると、世界は資源と市場の植民地、経済安全保障としてのブロック化を求める列強国競争の時代に入り、工業化はできても植民地(原料生産基地と交易市場)ないしはブロック経済をもつ先行の先進列強群と、遅れて国家として重工業化を借款で進め、資源基盤と国際市場商業基盤のない後発列強とは、市場、植民地の再配分での国際対立を引き起こした。既に工業化での資本主義が飽和してしまっていたのだ。

  国家による重工業投資は、その回収を戦争による敗者からの賠償金と、市場と資源基地としての植民地獲得の領土を求めたギャンブルになるが、工業化投資の資本回収手段がそれしかなかった。

 ・「階級制交換経済」を内生的に積み上げて、国外交易を民間の資本主義生産企業群で支えた英国のような国もあれば、「階級制生産経済」体質=農業基盤経済のまま、国王が富国強兵の為に工業化を(他国からの借款で)進めた国、ロシアや日本も交易市場が既に抑えられ、ブロック経済が完成しており、軽工業段階での半民間の交易による資本蓄積も始めたばかりで、投資負担だけがのしかかる「資本主義」でも「帝国主義」でもない貧しい列強軍国主義国となった。

米ソには豊富な国内資源があり、米は国内市場が拡大されたが、ソにはそれもなく消費財生産の能力も低い。独、日は技術はあっても国内資源、国外市場ともに乏しい。

 ・世界大戦中は世界の交換市場は縮小するが、それは自国が戦場となる場合には顕著で、非戦場国の生産は全ての戦争当事国への輸出で大きく儲けることができる。

こうして生産力格差は拡大し、米国が武器や日用品までをも過剰生産販売でき、資本=固定資産を拡大形成して、資本蓄積し世界最大の資本主義覇権国となり、覇権も英国から移行した。

欧州中心の大戦に戦争国への「死の商人」として資本主義で稼ぎ続けた。一次大戦後、終戦で過剰生産力が稼働できずに恐慌に襲われたが二次大戦で、再度の軍事特需が発生して、いざ終戦すると世界GDPの半分、金保有の70%は米国に集中し、巨大化した軍需品生産依存の経済は冷戦名目での小さな戦争を継続し続けて持続的に生産消費せざるをえなかった。儲けすぎて軍需で過剰投資しすぎたツケがまわったのだ。

・二次大戦敗戦国となったドイツと日本、戦場となって焦土化した日独を含む欧州の復興需要により、資本主義生産は非軍需の消費財生産販売として世界的に拡大し、他方で米国は冷戦により一部紛争に直接関与して軍事支出を続け、軍需産業とその生産稼働率を保護し、資本主義市場をブロック経済化して自由市場を守ったが、冷戦の崩壊により、ある意味焦土化していた旧社会主義国の超大型復興需要が生じて、中国とロシアへの投資拡大による経済成長の後、資本主義経済が世界に普及し尽くしてしまい、現在は飽和しはじめている。

・グローバル経済化による世界統一市場化が行われ、小国家GDPをも超え始めるグローバル企業も登場した。そして国境障壁を越えた工程分業生産が行われ、最小コストとなるよう国際分業され、それに関税をかけない世界的流れの中で、生産コストの最小化、最適化が得られるように生産工程が国家別に分業化されてしまった為、労働所得と投資が発展途上国に移転し、植民地的生産と消費市場とを合わせもつ形に分散して、グローバル企業に富が集中的に蓄積されており、国家はグローバル企業にとっての障害的存在になりつつある。

旧先進諸国の経済的優位性、は失われ、途上国に生産移転したことで労働所得が失われ、途上国への投資と回収による資本収益により財政が黒字化しているだけなので、旧先進国に労働所得が得られず、貧困化と低成長が続いている。これに抵抗する国家的、民族的な動きも出始めている。

資本主義の発展は、グローバル化によりいよいよ飽和して行き詰まりつつある。国際化したことで、労働所得の移転収奪ができないでいて、途上国に低い労働所得が移転している状態である。

・資本主義生産の拡大余地を失う超低金利社会が日本をはじめとした先進国に広がりつつあり、それは資本主義の飽和時代であり「世界を一国」とすることで格差の拡大装置として資本主義が機能しだしたように見える。

現代は、「階級制生産経済」が飽和して領土拡張による農地拡大が戦争を伴うことでしかなしえなかった時代に匹敵して、大航海時代による重商主義が登場し、資本主義生産経済が登場し、入れ替わることで矛盾を先送りして回避できたのと同じように、今度は資本主義の飽和により、新たな「経済様式」の登場を待つ時代となっている。

 

  • 「資本主義生産」拡大への「自発的移行」について

 

・「事例研究」として

国外交易を行わない自給自足的、閉鎖経済の「階級制生産経済」国があり、10人の手工業職人ギルド生産で国内交換需要を満たす生産ができていた「ある製品」があったとして、そのギルドの親方の1人がこの製品生産に関わる全員を一つの生産組織にまとめて自らが資本家になり、生産手段をこれまでの道具使用労働から機械動力使用労働に代えて4人で生産できるように機械化生産に移行した、と仮定する。

道具の減耗補填分生産を無視すると、機械の減耗分補填生産と動力用燃料生産に2人の生産労働が必要だとすると1(資本家)+4(消費財生産労働者)+2(生産財燃料生産労働者)=7の計7人で10人での既存の手工業職人分の生産物生産が可能になる、とする。

10-(1+4+2)=3で3人が失職してその労働所得分は国内市場での販売を経て資本家に移転する。

・これまでは10人の職人の生産物とその10人分の他階級の余剰食糧所得とが市場で交換された後、それぞれで各1が消費され単純再生産循環していたわけだが、今度は生産を支配する資本家1と4+2=6の労働者による機械化生産と3人の失業者化で10の交換用生産物を生産するように変化したので、10の生産後に他階級の余剰食糧所得と市場交換された後は、

「資本家に1+3=4、労働者4+2=6、失業者3×0=0として分配」され消費されることになる。

・資本家は4の内、労働者並みの1の食糧消費で我慢するとして3の余剰食糧が資本家に残り、失業者3は飢え死にするか盗賊化するなど生産人口減となる。

仮に失職した3人が元の自営職人に復帰すると、総生産は需要10に対して10+3=13となり、社会的需要に対して過剰生産となるので、資本主義生産の3か職人生産の3のいずれか、又は案分されて合計3がいずれにせよ売れ残る。(このことから階級制生産経済での商工階級職人生産の資本主義生産化移行は、双方に不利益「過剰生産と失業」)をもたらすことで自然発生的に資本主義化することは無意味で実現しないことがわかるが)

職人生産所得は10/13×3=2.3なのでは2人しか生き残れない=人口減。資本家側も10/13×10=7.7で構成員は資本家1、労働者4+2=6で計7、全員が生存継続できて更に0.7の資本家余剰が得られ、ひとまず単純再生産水準は継続できる。

 次年度の総生産量は10+2=12となり同様に自営職人は1人減る。その後、いずれ自営職人はゼロになる。

 一見、進歩に見える「新自由主義」的改革としての「規制緩和」による新規機械化生産の参入は労働人口減をもたらし、結果的には「資本家に1+3=4、労働者4+2=6、失業者3×0=0→人口減」に到達して落ち着く。

ただしこの場合は、資本家に分配された1+3=4のうち自家消費の1を除く3が資本蓄蔵され貯蓄により一旦貨幣死蔵する場合である。

 こうした資本主義的変革は、現「階級制生産経済」支配者の国王と既存の商工階級ギルドとの過去からの共存関係により自発的には起こりにくく、事実起こらなかった。

 ・では、資本家4、労働者6、失業者3→0、の分配で、

資本家の4のうち1を自家消費して再生産し、失業者に対して3と引き換えに、資本家需要としての例えば「奉公人」として雇用して自家消費する、賦役的労働を課して資本家需要用の新たな需要品を職人生産させる、それは既存支配階級や生産階級の余剰食糧所得との交換の際のように、今度は資本家が新たな支配階級として登場して残余の3の食糧所得をもって交換市場に登場することで失業救済をも可能とする。

国内の余剰交換所得が、3増加したことになり、3の失業者を新たな不産階級増状態にさせる、ことになる。

・では失業させずに資本主義生産内に組み込んだまま、にすると資本家1、労働者9、失業者0、で、生産は、1+6+3=15、となってしまい、

国内では資本家1、労働者9の1+9=10の他階級余剰食糧所得と交換され、資本家には15-10=5の製品生産物が残り、これが国外市場で新たに余剰食糧所得となって国内に持ち帰られる。

外市場との関係では、国内失業者3の資本主義雇用で、国外の(いくつかの市場での)商工階級職人生産の合計5をはじきとばすことと一体不可分となる。

本来の他国市場での商工階級職人の予定されていた交換用労働所得を無効化して代替し、ある意味「簒奪」する。

交換当該国(複数国の場合もあるが)の商工階級職人の計5の失業者を発生させて、引き換えにその所得を得て国内資本家所得に分配する。ある意味、形を変えた経済的領土の拡大行為にあたる。

収支上は国内資本家の余剰所得は4→6に拡大し、更に失業しないことで0→3の労働所得増も得られ、労働者所得は全体で9となる。

国内の資本家余剰所得は6-1=5となるが、それは失業を押し付けられた側の他国交換市場の計5の失業者化と引き換えに簒奪した獲得収益を発生させる。

製品を輸出することで、輸出先の失業分の交換用生産労働所得を持ち帰るのだが、その持ち帰り所得は資本家に分配される、というのが資本主義生産化の目的でもある。

 ・以上から、「階級制生産経済」国の世界で、まず商工階級生産職人生産が支配階級による賦役的生産で、支配階級の余剰食糧所得と職人生産物とが交換され、既にバランスがとれていて、わざわざ資本主義生産化する必要も動機もないので、資本主義生産化しない。職人生産自体が支配階級による雇用生産的性格を持っている。

  支配階級に欲があり、対国内で過剰生産させ、国外市場から余剰食糧の所得移転を加速したい場合も、国際商人による入れ知恵でもなければ、その発想すらない。職人親方にもその発想と能力はない。やはり国際商人による職人雇用による工程分解とあとは機械投資と作業員雇用による量産化での、対国外市場への国内とは別ラインでの資本主義生産体制づくりで、国外所得との交換を当てにした製品生産であろう。その製品が、国内職人生産物であればなおさらスタートから別ラインでの生産となるし、国内職人が生産できないものであるのなら、国内需要をも当てにしての生産となるが、その場合も既存の職人生産とは別の場所で新たに生産ラインを作ることになる。

  いずれにせよ、職人生産が国外需要用に量産化したくて資本主義生産化に発展する、という構図は浮かんでこない。

国外所得の獲得目的の「交換用生産経済」として既存の枠外で外挿的に導入されるもの、である。

 ・失業の押し付けとその分の所得の国外流出への対抗の為に、資本主義導入国の資本家の5の所得との交換をめざす資本家需要の職人生産物を輸出して均衡化させるか、職人生産では余剰生産できないので、資本主義生産を導入して相手国の資本家需要に応えた生産物生産を国内で資本主義生産して輸出するか、いっそのことその資本主義生産国に失業者は移民してしまうか、して5の資本家獲得所得の交換用需要に直接応えることになるが、いずれにせよそれができなければ商工階級職人生産は打撃を受けて収縮していかざるを得なくなる。何も対策しなければ国内から労働所得がもちだされてしまう。

国際的な労働所得較差を拡大する所得移転獲得の為の生産であり、輸入を超える輸出はできないよう国際協定で義務付けなければ所得較差は拡大し続ける。

・しかし母国の支配階級が鎖国又は「輸入関税」をかけて対抗して不産階級を保護してくれるのであれば、職人生産は継続でき、逆に資本主義生産国を生産過剰に追い込んで生産縮小に追い込むことさえできる。

ただしそれは新たな第三国市場拡大が行き詰っている場合に限られるが。更にその延長で自国でも資本主義生産化して、生産過剰同士で、第三国市場からの所得争奪戦に参入する選択も可能となる。

しかし、過剰生産体系同士の戦いであり、国際市場の獲得戦争の激化をもたらし、国際市場の希少化、市場の飽和を早め経済安全保障の為のブロック経済化したグループ戦となる。階級制生産経済に比べ資本主義の飽和は早い。それはそもそもが過剰生産体系であることによる。

・その先には低い労働コスト(発展途上国や敗戦国)での資本主義低賃金機械化大量生産の可能な国際的分業生産への投資需要しかなく、それすらもいずれ飽和して投資対象(資本主義生産拡大)を失う。

旧先進国は、投資対象を失う=「金余り」となり投資収益率の逓減による所得増逓減化をもたらし、労働所得も得られずに貧困化、人口減に収斂する。

資本主義生産は、途上国に有益な生産様式として導入が限定され、資本主義生産飽和の時代を迎えることになる。

国際的需要増は、戦争や大規模自然災害、の復興需要又はインフラ老朽化に伴う復元需要分の生産増に限定され、いずれ単純再生産による経済停滞時代を迎える。

飽和後は、「力づく」での国際交易市場の再分割戦に発展させるか、資本主義に代わる新たな「所得」獲得の経済的方策が登場しなければ、資本主義生産は、途上国用の低所得生産用のツール、又は格差拡大装置と化してしまいいずれ飽和して停止する。

 ・結論的には「階級制生産経済」の飽和は、領土の膨張による再分割を促し、膨張の過程で膨張の為の軍事化と国外侵略戦争による財政危機をもたらすので、重商主義的な略奪経済化を経て交易による国外所得の国内移転(新獲得経済)を必要とし、交換用生産経済(=資本主義生産経済)をもたらした。資本主義は生産経済の形をした「新たな国外所得の獲得経済」である。

  市場の拡大が飽和すると、途上国への資本主義経済の移転が進み、そこでの労働所得を発生させ市場化してそこからまた所得移転する。市場拡大が飽和すると、このやり方で新たな市場拡大をもたらす。

先進国は、金融資本主義化して、先行して得ていた所得による投資により「資本主義を国外の途上国に生産」するがやがてその投資収益率も逓減する。

それは資本主義生産自体がそれでも飽和するからであり、これにより金融投資「所得」は逓減しそれにより資本主義生産は縮小しつつ国内所得格差の生産装置となる。

 

  • 「所得」形成視点からの経済史へのアプローチ

 

 ・「労働所得」=「労働収入」-「労働経費=労働支出

人は、共同体内で労働参加し、「労働収入」としての有用消費物を得て、その消費により労働力を再生産する。

「労働支出」が「労働収入」の範囲内なら生存維持できるので、その差の(余剰)「労働所得」は常に幾分かは得られており、だからこそ存続でき増殖(人口増)さえも可能となる。

・ (余剰)「労働所得」が得られなければ停滞(単純再生産)か人口減による衰退をもたらす。

停滞は労働収入が労働支出に対して十分でなく、いずれ所得減、又は所得増のどちらかに向かう変曲点、動的平衡状態を意味し、長期にこの状態が続くことはない。

 ・「獲得経済」の場合は、共同体での狩猟や採集で、

 「労働所得」=「労働収入」-「労働経費=労働支出

において、ほぼ「労働収入」=「労働支出」に近い状態しか得られないので「労働所得」はゼロに近いが、わずかにでも「収入>支出」でないと滅亡するので、多少とも「収入>支出」ではあり、その所得分の人口増は可能であった。しかし、ようやく、僅かに、の水準であった。

・「階級制生産経済」の場合は、

「労働所得」=「労働収入」-「労働支出」において

(「労働収入」-「労働支出」) > 0 が安定して継続し、

「労働所得」が安定的に得られ、それは余剰所得でもあるので、分離しても共同体維持は可能なので、階級制形成して分離され分配され、そのほとんどは「支配階級」に移転して「移転所得」となり、移転しなかった生産階級の「労働所得残」と移転後に支配階級が消費し、残った「移転所得残」とが「交換用所得」となる。

「交換用所得」=「労働所得残」+「移転所得残」

なので「交換用所得」との交換の為の「不産階級 労働収入」をもたらす国内「不産階級」人口増を可能にする。

「交換用所得」=「不産階級 労働収入」で交換され、

不産階級は、「労働収入」-「労働支出」= 0、「労働収入」=「労働支出」での消費で存続する。だからこそ「不産階級」と呼ばれるのであるが、ここで、

「交換用所得」>「不産階級 労働収入」(フランス等)

なら、「交換用所得残」の輸出が可能となり、国外市場での国外「不産階級 労働収入」との交換も可能となる

逆に、「交換用所得」<「不産階級 労働収入」(英国等)

なら、不産階級に過剰生産させないために「交換用所得」水準まで縮小させる(失業させる)か、輸出を認可して国外の「交換用所得」との交換に依存するか、しかない。

 ・この姿は、「獲得経済」の「階級制獲得交換経済化」をもたらす姿であり、国外交換による国内不産階級の人口増を可能にする。

また「階級制生産経済」でも「不産階級交換経済化」をもたらし、国外の「交換用所得」を交換でもたらし、国内の「交換用所得」の不足を「不産階級 労働収入」の付加で補える、不産階級が生存できる。

・この延長上に「国際的交換経済市場の拡大」段階があり、「略奪移転所得増」「交易差額移転所得増」の時代の存在と、この移転所得の逓減による「交換用所得の生産増」への移行、即ち「階級制生産交換経済化」(=資本主義的生産化)への移行が進んだ。

  これにより、「交換用所得」は、国内生産での新たな、

  「労働所得」=「労働収入」-「労働経費=労働支出

  での「労働所得」が、「労働収入」-「労働支出」から発生でき、それは「不産階級 労働収入」と同質の生産物として国内に資本家所有権での「移転所得」として現れ、資本家の自家消費分の「労働支出」を減じた「移転所得残」が「交換用所得」として新たに登場し付加する。

  しかし、その為には国外の「交換用所得」との交換を経由できていなければならず、その為の国外交換市場へのアクセスを必要条件とする。

 ・振り返ると、「労働所得」「移転所得」の消費残から「交換用所得」が得られ、「国内不産階級」による「労働所得」と交換され、交換用所得は、それからの「移転所得」をもたらすが、交換所得が大きい場合は、国内の不産階級労働所得増をもたらし、その「移転所得」増で落ち着くが、不産階級労働所得増が未成熟なら、国外不産階級労働所得を「移転所得」として補う。

 ・逆に「交換用所得」が少なければ、不産階級労働所得を減ずることで失業させ人口減とするか、国外「交換用所得」との交換により「移転所得」を得る。結果として「交換用所得」を増加させ、失業させ人口減しないでも済む。

 ・しかし「階級制生産経済」が飽和すると、余剰の「労働所得」が増加せず、既に「階級制生産経済」で満たされた世界では、領土再分割戦が進行し、勝者のみに「交換用所得」増が得られるゼロサム社会となるが、領土拡張の膨張政策の過程で、「階級制生産経済」諸外国との力関係で「交換用所得」以上の「略奪」による「新たな獲得経済」の付加による所得増が可能となり、更に「交易差額」による「略奪」も可能となり、これらに参加した大航海時代の経験国に「新たな獲得経済」の付加による「移転所得」増をもたらしたが、やがて枯渇と競争の激化により逓減し元の所得水準へと押し戻される。

 ・その結果として、他国の「交換用所得」に着目した交換経済への依存の為の「新たな交換用生産経済」が開拓され、「労働所得増」の為に「労働収入増」し、かつ「労働支出」増させないことで、労働所得増を新たな階級制により「移転所得」とする生産様式としての「資本主義生産」様式を導入し、「交換用所得」を過去同様に新たに導入する。これは「新たな生産経済」の付加による所得増である。この手の所得増は、現実には機械化工業化とその為の重化学工業化を伴う。

 ・しかし、それによる旧態のままの「階級制生産経済」での「交換用所得」は小さく、不産階級の生育規模により、余剰「交換用所得」量での世界の総量に限界があり、交換市場での交換余地はすぐにも飽和する。ブロック経済圏の獲得戦争による後発資本主義化国からの英国からの「再分割」戦が続き、その過程で「資本主義」による資本蓄積できた者が生き残る。アメリカである。

  アメリカに占領され、引き続く冷戦での局地戦で今度は朝鮮戦争ベトナム戦争で日本が戦後復興とアメリカ資本主義の輸出を受けて「資本蓄積」に成功する。

  しかし、冷戦が崩壊することで、敗戦国のソ連と中国で復興需要がおき、米国と日本は競合関係となり、米国の先を行くことは許されず、資本主義は中国に輸出される。日本も技術輸出と資本輸出して、国内の資本主義は空洞化する。世界の資本主義導入が可能となり、旧資本主義国は蓄積していた技術と資本を輸出して、配当を受け、労働所得は逓減し「移転所得」依存国となった。

  国内生産はせず、配当で途上国の労働生産物を買う、「金融資本主義国」の「移転所得」に移行した。

  「労働所得」を得ることができないので、「国民経済」は経済収縮する。そして復興型の資本主義化をとげた中国の脅威にさらされはじめた。しかし中国自体が資本輸出への移行段階に至っており、これとの調和、即ち中国資本はやはり途上国への投資に移行して空洞化する宿命にある。配当という移転所得依存経済の行く先が問題になる。「金融資本主義」は、国内空洞化をもたらすので、「国家主義民族主義復活によるやや鎖国的な、国内生産内製化生産への移行」か、「金融資本主義によるこれ以上の資本輸出の拡大か」の選択が政治的な国内対決の柱となる。

 ・既に国内での資本主義生産は空洞化し、公務員による国債発行による過去水準を維持したままでの所得配分の継続と自営業、中小企業による生産消費に依存するのか、中小企業的共同体生産消費に依存した「新たな生産経済」

  の構築か、の選択が迫られ、それは過去の「日本型資本主義」への復元や、協同組合的共同体による国外資本主義製品の排除による分配優先型の生産機構の構築となるはずである。それには国内での競争激化に対するギルド的保護を政治的に守らねばならない。

  「新自由主義主義」との徹底的な戦いにより、それらは成し遂げられ、それらは「国家主義」「民族主義」を左翼が国是化できるかどうか、「保守」勢力と連帯できるかどうか、にかかっている。

 ・中小企業的協同組合の育成とは、内部留保せずに年次で「分配しきる」ことで、団体所有の名のもとで資本死蔵させない単年度主義を実行すること。現在の生協は「600」億円もの内部留保を死蔵させて「国債」購入し少ない金利を稼ぐ愚かな団体となって落ちぶれており、

  単年度での分配を強めて、拡大再生産循環を得て、勢力を拡大して中小企業をインテグレートし、必要な投資は分配循環による「出資金」増資でまかなうことで、幹部や職員を甘えさせないで組織拡大、事業規模拡大し続けること。

  資本主義生産は、後進国に売られており、国内では主流の生産様式にもはやなりえないので、こうした対応が求められる。そして発展途上国が少なくなると、自然に衰退する、ということであり、既に先進資本主義国では衰退がはじまり、一部の国際的多国籍業に収斂しているものの、そり生産拠点は、発展途上国に分散されていて、実態はこの通りである。

 

  • 結論として

 

 ・これまで見てきた通り、「階級制生産経済」も飽和し、「新たな獲得経済」としての重商主義採用を接ぎ木しての所得移転でしのいだが、それは「新たな交換用生産経済」という獲得経済の新種の発生と拡大に収斂して世界中での「国際的交換市場」を拡大するが、それも既に飽和しており、「新たな獲得経済」の卒業が迫られている。

 ・貧者国での新たな獲得経済としての、生産を伴う獲得経済による所得移転で、移転所得が蓄積しだすと、貧者国に金銭所得が移転され、富者国となるが、労働所得増の分配を受けて育った労働者階級も登場し、労働所得を得たいより貧者国に資本主義生産システムそのものを移転し、自らは資本輸出国となる。そして「金融資本主義」国となり、自らは消費専用国化することで、資本蓄積は進むが、生産資本主義的雇用は失われ、消費に関わる投資に限定されて生産構造は衰退することで労働所得は途上国に移転して衰退する。

  英国が産業革命を経て、覇権国に上り詰め、産業革命の技術を含めて国外に資本主義生産を販売することで、競争国が成長して「所得移転」してしまうと「新しい獲得経済」の収益が逓減して衰退する。

  国内は内需産業で満たされ、生産による労働所得が十分に得られず、その間の販売収益による国外運用益(金利収入と配当収益)を軸とする「金融資本主義」国となる。

・資本主義そのものは、途上国で巨大に生産され途上国の労働所得を増加させるが、その途上国も先進国化すれば、新たな途上国へと資本主義移転して、今度は自らが金融資本主義化して同様に空洞化する。

 世界は平準化しつつも、大きくは「金融資本主義国」「資本主義生産労働国」「極貧国」とに分かれる。

「資本主義生産労働国」は、労働所得を得るが、ある意

味「金融資本主義国」の為の下働き労働提供国であり、

その「労働所得」の内から資本主義生産体系の輸出(大

型機械の輸出や出資配当金)による不労所得移転も行わ

れるので、先進金融資本主義国は、空洞化しながらも所

得移転はできており、ただしそれは「国内労働所得」は

得られない矛盾がおき、先進金融資本主義国の労働雇用

が無い為、労働者階級は貧困化する。資本家に、国内投

資と雇用のニーズがないことによる。

国内投資せず、国外投資してローコスト生産させ、国内

労働者階級からは仕事を奪い、確かに安価な製品が輸入

供給されることで、実質的に国内価格は下がるが労働所

得の喪失が相対的に上回ることで国内労働者階級は貧困

化し、国外投資分の配当が資本家に蓄積され再投資循環

が形成される構造であり、拡大基調が続く。国内資本主

義は「空洞化」「衰退」する。

 ・自給自足型生産経済化での雇用促進循環を国内での生産に持ち込み、それは「金融資本主義」資本家のニーズではない労働者階級のニーズであるので、需要を見込める国内需要用の労働者階級による生産体系の導入が求められる。

  輸出可能であれば、それに越したことはないが、国内需要分で輸入に頼る消費財の労働生産化、が求められ、それには関税フリーで輸入される安価な他国生産品に代わり国内からの投資による配当を逓減させる対抗軸としての労働者階級主体の自立型の「非営利共同体」組織の発生が必要である。

・勿論、資本主義生産途上への労働者階級の「国外への移民的移動」でもよいのだが、生産財生産輸出と資本家と限定された消費財生産流通人口だけでもよいのだが、資本主義国への労働者不足の場合は、「貧困国」からの移民流入があるのでその枠はない。

 内需を対象とした労働所得だけで資本家への分配のない「非営利生産共同体」体系での労働所得専用の創出、が歪む国際分業の行き過ぎを是正して経済安全保障にも寄与できる。資本主義生産すると、配当が資本家に分配され、いずれ国外に売りつけて不労所得を稼ぎ、労働者は裏切られ労働所得を失い、単なる消費者とされて貧困化するだけなので、中長期的にはこちらの方が得となる。

 これへの移行には、政治的な力も、哲学倫理的価値観の波及も、拝金主義への決別も必要となる。

 まずは、国外生産依存している国内需要を対象として始めることになる。既存の「経済主体」での「民間非営利法人」のウイングの拡大による構造改革である。

 

「前編」を終了する。

MCT-2

○資本主義から金融資本主義への移行の必然性を考える。

マルクス資本論

GーW(pm+A)…P…W'ーG'

 

W'ーG' 、ここでは、流通資本が関与することが抜け落ちているのだ。生産資本と流通資本は一体不可分である。商品をつくればその価値で売れて貨幣が手に入るのではあるが、これでは流通資本なしに生産資本だけで行ける、との誤解を生む。

命がけの飛躍、のような文学的表現は不要である。

 

商品をつくれば剰余価値は生まれる、が実現するかどうかは流通資本に頼らなければ作りっぱなしの価値が潜在する商品、でしかない。

商品は売るために作られたのだから。

そして生産資本を拡大して再生産して剰余価値を増やすのが目的なのだから。

 

まず、範式簡素化の為に、pの生産工程でmの価値増殖をするので、

W(pm+A+m)を生産資本の稼働と書きかえる。

 

流通資本段階では、商品W'を換金する為の流通資本の稼働と考えれば、

 

W(pm+A+m)ーW'*(pm2+A2+m2)ーG'

 

が相応しいと考える。このことで、流通資本による商品の価値通りの貨幣資本との交換が可能になり、商品や貨幣に労働させずともできるし、生産資本に全剰余価値を配分せず、流通資本分の価値を流通資本に配分でき、価値と価格の二元的表現を価値だけで一本化表現できる。

 

この仕組み理解の為に貨幣資本を復活させて考えてみた。

確かに流通は価値を生産しない。

生産資本で作られた剰余価値を実現するだけだ。

 

しかし生産資本で増加した価値W'は、そのままG'になってくれれば良いが、商品が商品姿態のまま自らの意思で広域化した市場に出かけ、貨幣所持者と等価交換してW'ーG'即ち剰余価値を含む全価値を貨幣資本に等価で変えて、今度は貨幣資本が生産資本のもとにまで引き返して自らを差し出す、という商品と貨幣に無償労働させること認めることになってしまうのだ。これは労働価値説に反する。

マルクスは流通資本での労働を無価値であり、労働と認めていないようだ。

 

労働価値説がここだけはげ落ちていて、マルクスは流通は価値を生まない、という観念が先行しすぎて流通には労働が必要という現実を、しかも剰余価値の中から、流通資本の変態転化を伴うという現実を評価できないでいたのだ。

 

もともと、労働力が商品化していない、自営業や職人生産なら、剰余価値生産はない。

 

pmもAで生産労働価値評価されるものであり、Aは労働時間価値そのもの。故にこの合計の労働時間価値に見合う商品が生産されるから、W'のうちのW分の価値は閉鎖経済域内で飛躍せずとも消費されうる。=Gの回収は困難を伴わない。

しかし、A=A+mの価値増殖を行えば分離した分を資本家がその商品姿態m価値分を全消費せざるを得ないことになるが、彼が必要なのは、消費財商品ではなく生産財、即ち原料や機械が需要物であり、生産の持続による剰余価値増殖が目的である。そして労働力商品は継続雇用により得られる。

 

流通資本段階の作業を担うのはやはり人であり、労働にたよらざるを得ないのだ。

運ぶ、市場に分配する、販売手段を構築し、所有権を移転する、など。

 

価値増殖された商品を換金するには、労働を伴わざるを得ず、剰余価値を実現する労働、即ち商人の仕事が歴史的にもある、ということだ。

 

彼らは価値を生産するのではなく、価値を実現することで生産資本の活動を継続拡大する役割を担うのだ。

もともと商品は自家消費ではなく販売する為に生産されているもので、商品段階で終わりではない。

mが大きくなるほど、そのm分の換金には、国内市場の資本主義化では不足するので、市場を国外にまで求めた流通活動が求められ、それは国外生産資本との競合と淘汰を生み出し、場合により対立を生む。

 

さて、生産資本Wは生産活動により消滅し、商品資本W'に剰余価値分価値増殖を埋め込んで変態する。

すべてが商品姿態となったので、生産資本は、原材料が底をつき、また、減耗した機械には布がかけられ、賃金をもらって解雇された生産労働者達の生産工場、倉庫に商品がある状態であり、継続生産即ち次期生産開始の為にはW(pm+A)が貨幣を経由しようとなかろうと、戻し、もたらさなければならない。

貨幣で戻されるなら原料と労賃に変えなければならない。

 

(W'-W)=剰余価値の範囲内での流通資本変態分を控除して、W+控除額の価値で、生産資本に流通資本から貨幣提供されることで、生産資本は流通資本に商品姿態のW'を全て渡して拡大再生産を開始できる。

ただしその拡大の規模は剰余価値mではなく、そこから流通資本分を減じた価値分に減っている、のである。

流通資本は、W'の商品を市場でG'と交換できるのだが、仕入れ段階でのW+控除額の貨幣を、前払いすることとなる。

 

流通資本の投下量W2=(pm2+A2+m2)を控除した額を生産資本に支払って商品を預かるのだが、その仕入れ代金は売り終わってからはじめて支払えるものだ。

 

流通資本のW2=(pm2+A2+m2)は、生産資本と同じく自己資本として考えるのなら、流通資本額(pm2+A2+m2)をW'から差し引いた額を生産資本に支払うことで、商品姿態W'量のまま商品を入手し、市場で販売して、G'を流通資本が得ることで帳尻は合う。前払い版と流通資本の充当補充分だ。

 

要はG'換金までの流通期間があるにもかかわらず、前払いとしての仕入れ資金、G'-W2(pm2+A2+m2)の貨幣資本が流通資本には追加で必要なのだ。G'に換金できるまでの間、信用で借りる必要があるのだ。

 

[G'-W2(pm2+A2+m2)]>Gならば、生産資本は次期の拡大再生産を継続できるのだ。

mは、全ては生産資本が生み出した剰余価値ではあるが、流通資本の活動の価値分減額されるのだ。

それが嫌なら生産資本自らが、流通資本の機能を担えばわかるはずだし、そうすることも可能であるが、その流通期間内の生産資本は停止することになる。剰余価値生産は、流通資本の稼働期間に流通資本からのm2としてのみ移転して発生しうることになる。mは移行して。

この間生産資本は停止しているので、過去生産した剰余価値は、流通資本の剰余価値としてのみ実現されるから、あたかも流通資本が剰余価値生産しているように見える、が過去の生産資本剰余価値の全てが価値移転したに過ぎない。

 

その時得るG'も貨幣蓄蔵を目的としないので、貨幣である必要はない。蓄蔵貨幣は何も生まないからだ。

 

貨幣を蓄蔵しても全く増えないが、生産資本組成すれば第二次生産での拡大剰余価値が得られるから、生産資本化をより早く求めるのが正当である。

 

以上から、流通資本は、自己資本W2(pm2+A2+m2)のほかに前払いの商品仕入れ代金、即ち

G'-W2(pm2+A2+m2)

なる前払いの追加(貨幣)資本を求められる。

流通資本に、信用資本とでも呼ぶべき(貨幣)資本が求められるのだ。

 

信用(貨幣)資本の流通資本側の創出、が発生するし、これを貨幣資本で賄うのはバカげている、蓄蔵貨幣で遊ばせることにしかならないのだ。

要は、信用ある債務証書で、しかも流通期間後の価値での前払いなので、期日を標準的平均的な流通期間に決済する約束手形による、しかもその期間前に決済したければ、割引く、そういう操作を可能とする第三者的金融機関の制度を求めることになる。

流通資本の追加資本分の信用供与、ここから流通資本の機能の一部が、金融資本として経済規模の成長に合わせて独立、拡大するのだ。

流通資本の存在が金融資本を求めるのだ。

 

もし、その手形、即ち期限付き債務証書が、生産資本間で流通できて、それにより生産資本組成できれば、貨幣など不要である。

生産資本は、拡大生産資本の再生産を求めているのだ。担保は剰余価値と組成商品現物があるので、信用は成立する。いかばかりの利子も剰余価値からもらうことになるが。

 

こうした信用による制度が安定して確立すれば、貨幣が価値をもつ必要は全くない。

しかし、社会的問題としての生産過剰や、流通域拡大の失敗によりG'転換が不調となると、信用による貨幣は、その価値を毀損するので換金、実物資本への着地を求めるので、信用収縮から恐慌を引き起こすことになることもある。W'がG'に帰結し続けるとは限らないからだ。

 

現代の資本主義は、こうした信用の上に立つ金融資本主義を基盤としている。

しかも、その信用供与という形で、不換紙幣を民間銀行により発行させていて、連鎖的信用恐慌に対応するために中央銀行を用意し、更に通貨を発行できる国家権力でそれを防衛していて、取り付き騒ぎには、不換紙幣の大量発行による恐慌回避を可能にしている仕組みを取っているのだ。

 

これが金本位制による、価値ある貨幣で信用ではなく交換で発行すれば、又は現物の物々交換であれば成長は鈍化するが、恐慌にはならない筈だ。借金による貨幣発行ではなく、交換によるものなので、等価の現物担保が常にある状態だから。

 

そして金融資本の成長も限られ、GーG'は、国家を相手とする高利貸し、などに限定されるはずだ。これも重税の根源とはなるのだが。

 

更に、生産資本も流通資本も、両資本間の信用決済だけでなく、それぞれを自己資本のみに頼るのではなく、剰余価値からの配当として、金融資本により両資本の生産、流通資本の組成に資本投入することで、剰余価値を拡大することができる。

他人資本の導入による規模の拡大=剰余価値の拡大。

GーG'が可能なように見えるが、全ては生産資本の拡大可能範囲と、それを循環再生産に導く流通資本とその拡大が、全ては労働価値増殖がこの根底に潜んでいるのだ。

 

こうして、剰余価値は、拡大しながらもそこに所有権を主張できる金融資本が剰余価値収奪の頂点に立つことになる。金融資本の不労所得者への剰余価値からの配当=所得移転=合法的収奪がその本質であり、このウエイトは益々高くなり、資本主義に寄生していつしか金融資本が頂点に立ち君臨する。

 

生産資本も流通資本も、拡大こそできるものの、金融資本への剰余価値からの価値移転は、階級制度が維持されれば、剰余価値収奪でき、その剰余価値に寄生して金融資本がその大半をものにすることができる金融資本を頂点とする金融資本主義が成立君臨することになる。

 

こうしてみると、生産労働者、流通労働者は、いつしか利子負担分までの剰余価値生産負担を負って、利子負担の為に働かされる状況になる。

要は格差拡大マシーンに労働者は投入されるのだ。

しかしながら、それを拒否するなら失業者となる道しかないのである。受け取るのは不労所得者であり、これが現代資本主義の社会、金融資本主義社会である。

 

しかも、ここでの最大の問題は、信用創造が「無」から生じさせることができることである。マルクス時代の金本位制による交換、によってではなく、剰余価値成長が見込めるなら、貸すよ!とした万年筆マネー、現代なら銀行通帳への数字記入、だけで金利を押し付け、剰余価値から収奪する不換紙幣の発行又は債務証書の発行において行われているのである。詐欺による収奪と何ら変わらない。

 

しかもここまでくると、生産資本は、市場を国外含む規模に拡大しなければ衰退するので、信用供与を受けて拡大し続け、生産、流通労働者は剰余価値生産のために労働し、その剰余価値の多くを金融資本に吸い上げられ続けることになる。

 

それを不労所得者への所得に分配することで、強い格差を生じ、不労所得者は、労働所得では得られないほどの膨大な所得移転を可能にして、所得格差を拡大し続ける、歪んだ社会を生み出すことになる。

 

資本主義は、金融資本主義に発展せざるを得ず、その結果は、ピケティの論を待たずとも、格差拡大主義社会へと変質していくのだ。

更にどう猛な拝金主義者達は、剰余価値率向上に向けて、労働者階級の非正規化などの多様な収奪方法を採用し続けるので、格差拡大は絶対的加速度的に進行する。

 

マルクス資本論では、生産資本家を工場所有者に見立て、太って葉巻をくわえ、シルクハットを被った浪費家、にシンボライズした風刺絵とともに描かれることが多かった。勿論本人がではないが。

現代資本論では、産業資本家は、所詮は寅さん映画のタコ社長に過ぎず、被搾取者の階層の1つでしかない奴隷頭に過ぎない、ということだ。

流通資本でも同じである。

この資本主義システムを利用し、不換紙幣発行による金融資本家の利子付き信用供与による収奪機構が諸悪の根源である。

 

金融資本主義は、格差拡大が目的である為、腐った、健全性を失った資本主義であり、それを終焉させなければならないのだが、全ての根源は階級制度の存在にあり、剰余価値の占有競争を行う金融資本にある段階でその意味ではマルクスの根幹思想は全く正しいまま、なのである。

 

金融資本主義の横行を許さない、不労所得を排除して階級制度を破壊する、又は緩和して先延ばしする方策は国民にとって必要となる。

当面は、金利に強い課税をかけなければならない。

 

実体経済は有限であり、経済成長はいずれは資源の不足となって現れるし、そもそも販売によるW'ーG'

変換は可能性に過ぎず、実現には域外市場の拡大が前提となる為、そこに摩擦が生じればそれがネックになる。貿易摩擦や植民地需要だ。

もしG'回収に失敗すると、流通資本は毀損し、信用供与が履行出来ずにショートし、生産資本に供与された手形は、その信用を失う。

こうして恐慌は、流通資本、生産資本の倒産と共に金融恐慌が発生することになるのが現代である。

 

自己資本が少なく、信用創造による他人資本部分が大きいほどレバレッジがかかる。

金融恐慌の規模はより大きい形で発生し、実体経済水準までの収縮が起こる。

この恐慌は、新たな追加信用供与で収まるが、その債務は現代では、信用通貨発行元の金融機関の貨幣収縮としておこるので、それを政府が債務保証することになる。生産過剰、流通資本過剰はレバレッジ分収縮する。バブルの崩壊という形で。

 

資本主義は、金融資本主義段階になると、社会進歩と豊かさの実現という使命を失い、非人道的で邪悪な格差拡大マシーンとしての機能となり、人類の精神性の喪失をも伴う悪の帝国となる。

もはや工場の資本家や、流通の勝利者が敵なのではない。

金融資本が歪みを作る根源であり、剰余価値の移行先となることで、資本主義生産システムは、金融資本に吸収されていることから、しかもその根拠が信用創造からの貨幣創造によるものであるのならば、生産流通労働は、収奪のための方便でしかなく、資本主義の健全性を阻害する。

 

資本主義でも剰余価値が、国家により吸収され、国民的な投資課題や、福祉的内容を持って還元されるならば、資本主義の健全性は、逆に維持すべきシステムである。

この課題は、国政や財政の場においての、実質的な労使対決が、産業資本段階での直接の労使対決に変わりうる、代行されるものであることがわかる。

労働者階級に多数の犠牲者をもたらすなら、先に国体変革を必要とするのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

MCT-1

資本論の現代資本論への再生

 

マルクス資本論を、書庫から取り出し、現代資本論として再生活用したい。

 

マルクスの労働価値説に基づく価値論での論理手法を引き継ぐ。

 

一方で訂正と修正が必要な大きなポイントが2つあり、現実と理論の激しい乖離をきたしているので、修正する。

 

それは「流通資本」に関わる部分と「貨幣論」に関する大きな欠陥である。後者は金本位制時代としての制約が大きいが、流通資本認識と併せて労働価値説による価値論の手法貫徹できなかった弱点でもある。

当時の資本主義が萌芽段階でその規模も小さく、それ故に流通資本や金融資本が現実世界で未発達だったことも踏み込みの甘さに影響したようだ。

マルクスの主要な範式は、

 

GーW(pm+A)…P…W'ーG'

 

少し変形させていただく。

GーW(pm+A+m)ーW'ーG'

ここで、問題にするのは、W'ーG' 部分である。

 

剰余価値' を含む価値増加された商品姿態がW'であり、商品なのだ。

商品は自分でその価値を市場に持って行き、貨幣と交換して、今度は価値増加した貨幣がG'が生産資本に自主的自覚的に戻る、ということになる。G'ーW'(pm'+A'+m')として拡大再生産に寄与してくれることになる。

残念だが、それを行うのは、Aである商人や流通資本が必要なのだ。そこに労働価値を認めれば、資本形成の必要からW'は減ってしまい、G'との交換が▼G'

でなければ辻褄が合わない、流通は価値を生まないから、W'ーG'を無人化しなくてはならない苦悩があり、私も長くわからなかった。

確かに、W'の' 分以上の流通資本を投下すれば、剰余価値は消え失せてしまい、生産資本は商品生産の意味を失う。

流通資本分の資本投下量は剰余価値以下であることで、生産資本は剰余価値の一部を受け取れるのだ。

 

マルクスは、生産資本による剰余価値の全てを使っての拡大再生産が可能と考えたようだが、そうはいかなかったことで、流通資本による剰余価値の減額を条件にW'ーG'が可能であったことに気づかなかったからこそ、金融資本の肥大化と金融資本主義への移行を想定することもできなかったのだ。

 

GーW(pm+A+m)ーW'*(pm2+A2+m2)ーG'

 

が正解である、ただし(pm2+A2+m2)<m

 

要は、追加の流通資本分の投下、それは期間をかけてW'をG'にする為の資本を剰余価値m分の中から捻出減額して追加資本投下することを認めねばならない。ここにA労働は存在する。

この流通資本のお陰でW'ーG'ができるのだ。

だから、生産資本に戻されるGは、G'の全てから流通資本に転換した分の価値が減額され、あとは当たり前だが、流通資本の減耗分の補充再生に充てられるのだ。

 

しかし、ここに問題が発生する。

剰余価値の商品姿態は、G'になってからでないと流通資本に変態できないはずだ、という当たり前の事実だ。

生産資本は、商品増に姿態変態するからわかりやすいが、流通資本は後払いでしか組成できないのだ。

無い物と交換して資本組成するには、前借りしか資本調達できないことだ。しかしG'貨幣資本分の前借りにより、流通資本を活動させるしかない。

 

その場合、生産資本が流通資本をも自ら行う場合は、剰余価値分を担保に資本を融資してもらわなければならないし、それでも流通活動期間分の生産活動は止まるから、生産活動の継続による剰余価値生産を続けたければ、流通期間分の資本の追加融資を必要とする。

生産期間と流通期間が順調に回り始めれば、剰余価値mを拡大し続けられる。

GーW(pm+A)…P…W'ーG'

では、W'ーG'の流通期間の追加流通資本のG2、流通期間の追加生産資本G3が必要となり、GではなくG2、G3の合計資本が必要になることになる。これにより、剰余価値mは、全て生産資本に還流することになる。

剰余価値mは、Gでは得られないことになる。

しかも、生産資本の生産商品が生活必需品なら、生活必需品のくくりで束ねて流通資本活動した方が合理的である。運輸、市場での分配作業、貨幣との交換作業などは生産商品を束ねて需要者に提供する方が合理的かつコスト負担も少ない。

独立した流通資本や商人に、その運営費にあたる資本分を控除した商品価値、ただし剰余価値額以内で売り、すぐに生産資本に変えて生産維持した方がいいから、控除した価値で商人や流通資本に販売して生産継続する。商人や流通資本は、ここでも先に前払いの資本が必要になる。G'回収は後となる。

だから、先にG'資本を借りて生産資本に流通資本分の減額分を支払い、流通活動を維持し、G'交換後に自らの資本の消費分を補填充当することになる。

これで生産資本も流通資本も活動継続できるのだが、流通資本が生産資本同様自己資本なら、G'ではなく、G'から流通資本分を減じた額を仕入れとして支払い、商品の所有権を移転してその商品をG'で売ることになる。

流通資本には、仕入れとしての前払いが必要となるが、それを信用の手形で支払うことで、それを生産資本が受け取り流通させて生産資本組成できれば済む。流通資本による手形発行が流通資本から分離独立して金融資本となり、これが利子で成長する、という構図である。

勿論利子は、商品姿態であろうと実体経済の担保を伴い、剰余価値に寄生する。

そして、生産資本や流通資本の巨大化に伴い、資本自体に他人資本として加わることで、剰余価値を拡大し金利剰余価値からより大きく収奪していく。

しかも、それには金貨幣などの実物商品資本ではなく、不換紙幣の発行による信用供与という形でレバレッジをかけての、実体のない貨幣発行によるGが用いられる。こうして金利が支払われる規模の生産資本と流通資本まで急成長できることになる。

 

考えようによるが、ここでは貨幣が貨幣でなく、生産資本が剰余価値を生むはずだ、という観念からのものであり、価値が実現する前に行う信用供与であるため、循環が滞れば一気に信用収縮する、という問題と、貨幣が必ずしも生産資本組成に必要なのか、という問題もある。

要は生産資本を担保に、ほぼ全てを信用で入手して生産活動できれば、プラスの剰余価値はえられる高い確率があるのだ。

 

W(pm+A+m)ーW'*(pm2+A2+m2)ーW'(pm'+A'+m')

 

これが現代資本主義生産の核心であると思う。

この全てにG金融資本が関与し、剰余価値に寄生する。勿論、外部金融資本に依存せずに、小さく、ゆっくりと自己資本だけで進める方法もある。

優良企業や協同組合がそれである。

金融資本を入れずに剰余価値だけで資本調達して回すことができる企業は、素晴らしいが剰余価値率が高いということは、労働分配率も極端に少ないのだ。

 

さて、振り返ると、生産資本で生産された剰余価値は、流通資本での剰余価値と分割され、更に金融資本の利子へとmは移行していきながら拡大する、という構図であることがわかる。

 

さて、こうした金融資本による信用供与により生産、流通資本の拡大により、いずれは商品は生産過剰となる。

もともと、W(pm+A)…p…W'

で商品に移行する価値は、pmの生産労働価値とpmによる生産労働価値の合計は、W'のWに価値移行したので、Wは、生産労働者の賃金との交換が容易にできるのだが、' =m分の商品は、分離取得した資本家が買ってくれなければ、経済圏の外で買わせなければ回収できない。資本家の需要は、次期拡大生産の為の生産資本であり、出来上がり商品ではない。

自給自足経済を営むものが経済圏内にいれば、その人を雇用して、賃金による購買力を持たせれば良いが、それも底をつく。経済圏外部に買わせる、ということは別の経済圏との軋轢も生むので容易ではない。相手の経済圏の生産資本を収縮させ、できれば倒すしかないといった植民地化による市場拡大により対応するしかなくなる。

流通資本への資本投下も増え、流通資本の剰余価値も増える(生産資本剰余価値の移転であり、剰余価値総額は増えない)が、生産資本の生産過剰により、丁度生産資本剰余価値と流通資本剰余価値が同価値額となる。

経済圏拡大が限界になると、不況に陥るのだ。

こうして、資本主義は、新しい生産資本組成がなければ衰退することになる。

 

現代の剰余価値の支配階級は金融資本家である。

現代は生産資本家が剰余価値支配者であった時代とは既に異なる。そう、金融資本が生産資本の剰余価値に端を発する全ての剰余価値の支配者となっている社会なのだ。

しかも金融資本主義段階での貨幣は、人々には最大の価値と映るのだが、その貨幣が信用媒介物でしかない幻想である信用貨幣による金融資本主義の時代である。

 

ある意味、実物商品貨幣では、実体経済の生産力に対して不足して、成長阻害要因になるので、お金など信用貨幣で代用できるから、代用したのだ。

ところが、そのことで鎖がはずれて膨大な規模のお金が作られるのだが、実体経済で使われる以上のお金は、使われずに貸し借りとして残り、支配権を維持して現在と将来の格差拡大を進めるだけで、このお金を作る理由づけのために生産、流通活動などの仕事が作られるように逆転し、縮小の道に入る。

 

要は将来の債権債務づくり、即ち格差拡大マシーンとして資本主義が機能する、それが金融資本主義段階であり、その仕事にのみ需要がある腐敗した社会となる。

 

貨幣は幻想である。

何故なら、不便を我慢しさえすればなくてもいい物々交換ですむ。交換に貨幣は必要?あれば便利、無くても済む存在、それが貨幣だ。

 

交換に時差がある場合でさえも貸し借りの約束で済む。ただし労働が無いと、交換する物がないのだ。

貨幣と労働との価値が逆転していることが明らかにされる社会、それが金融資本主義時代である。

 

商品の交換は、異なる具体的有用労働生産物どおしを、抽象的人間労働時間を尺度として交換することで、分業による豊かさが得られるのであり、労働生産物の交換による豊かさを得られる資本主義も、幻想貨幣による労働支配となった以上、貨幣の発行権、通貨発行権を労働者階級管理下とする、金融資本主義革命なるものが必要な時代に突入した、ということである。

 

 

資本論の用語を解説する。

 

GーW(pm+A)…P…W'ーG'

 

ここでGは貨幣資本。

はじめのWは商品資本だが、生産のための商品資本で生産資本と呼ぶ。

労働力商品が生産活動に起用されるのが特徴である。これが価値増殖の根源、可変資本として機能するからだ。「労働のみが価値を生み出す」

A労働力商品を交換価値として等価で起用し、pmと共にその使用価値が発揮される。=労働価値説を根拠とする。

pmは不変資本、労働対象の原料、労働手段の道具や機械を指す。労働対象は全価値、労働手段は部分価値として生産される商品に価値移行する。

Aは可変資本の労働力商品即ち賃金、Pは製造工程、

可変資本を製造工程で過剰に交換価値即ち賃金以上に働かせて、その過剰労働価値分が商品に価値移転する。

W'は製造された商品だが、販売の為の商品資本。

' は剰余価値、mとも表記し両者は同じ。過剰労働分の価値。

G'は貨幣資本、剰余価値増加後の貨幣資本。

 

 

 

 

デフレ克服を!

根本原因は、労働分配率低下を食い止める、ナショナルセンターがないことなのですが、貧困化が進行しています。
労使を合体する国には財政があり、予算があります。
予算委員会で、揚げ足取り的な低水準の議論ではなく、4条国債の発行増による福祉財源の増加を提案するか、財投債での教育研究投資予算化提案で、PBバランス論をかいくぐればいいだけでは?
軍事費を削って、でないと福祉予算が出せない(^^)とでも思っていますか?


現代貨幣は、信用と負債の関係であり、インフレにならないまでは、国債発行が不足していての日本のデフレです。
中野剛志氏や、MMTなどもっと勉強してくださいな。そして過去の誤りはそれとして国の予算を健全化しましょう、とりあえずMMTでの国民世論の形成を!

資本論の考察-9

金融危機サイクルの前に、現代版資本論範式のマクロ的考察を試みる。

W(pm+A +m)ーW'*(pm2+A2+m2)ーW'(pm'+A'+m')

において、

W(pm+A +m)ーW'*(pm2+A2+m2)ーG'

のプロセスを踏んでみよう。G'で期末として締める。

なぜなら、G'ーW'(pm'+A'+m')は次期生産の開始でもあるからだ。

 

総生産をお金の価値に換算したG'は、

左辺の2つの和、である。

ただし、pmもpm2も、労働生産物であり、その時間価値を示すし、労賃であるAもA2も時間価値を示すが、m+m2分の労働時間価値を生産していて、受け取れない、帰属が別、というだけである。

 

 

資本論の考察-8

貨幣資本Gを再登場させる。

交換は等価交換である。

WーWは物々交換であり、ここに貨幣は不要であり、WーGーWは、交換に時間差がある場合の交換である。

又は交換が複数の交換者を媒介とした交換であり、それも時間差原因の範疇である。

 

貨幣が金属貨幣のような価値商品の場合は、交換後に商品現物か、金属貨幣が交換者の手元には残る。金属貨幣には使用価値があるから、商品が残るわけだ。だがそれはWーGではなくWーWでしかない。

 

貨幣Gは、それを渡すものにとっては債務を渡すことであり、受け取る者にとっては債権を債務証書として受け取ることであり、将来の商品との交換を約束するものである。

もし、生産資本が持続的に剰余価値生産を可能にするなら、その資本Gに、将来の剰余価値から割引いて利子が受け取れるなら、利子付きで貸し付け、確かに生産資本は、剰余価値生産増加が見合えば、その増加の範囲内である利子でなら、借りた方が得、ということになる。

 

7章でも明らかにした通り、流通資本も同様であり、規模拡大して、生産資本の剰余価値以内での投資により、剰余価値の流通代行分の中から、移行剰余価値を拡大できる。

また、つなぎ資金の需要もあるのだ。

こうして、信用貸しは民間銀行を育てるが、その貸し付け=信用創造という貨幣発行の根拠は、生産資本稼働時の剰余価値であり、流通資本稼働時に移転した剰余価値剰余価値、からの利子収奪を根拠としている。

 

こうして拡大されきった生産資本の生み出す剰余価値は、流通資本の剰余価値にも移転され、金融資本の利子にも移転される。

しかし、その循環は、国内市場の拡大が有限であり止まった場合、やその範疇だが貿易摩擦で輸出制限された場合、生産資本で剰余価値生産が出来ずに返済が不能となり破綻すると、利子どころか元本割れとなり、金融機関の債権が不良債権化する形で恐慌、デフレとなる。

当然に資金需要もないので、民間銀行は貨幣、即ち債権発行が止まるのだ。

 

こうして、現代では金融危機として恐慌はサイクルして循環し、破綻の後でなお生産資本の縮小が続くことになる。

 

こうして生産、流通各資本で生み出された労働価値による剰余価値は、利子や地代として、不労所得に吸い取られる為に、「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る」の激しい収奪構造にさらされるのだ。

そう、生産資本の労働価値に端を発する剰余価値は、太ってシルクハットを被り葉巻を吸う資本家の浪費に搾取されるのではなく、所詮は、生産資本の社長も寅さんのタコ社長、それを吸い上げる流通資本の社長も同じになり、通過発行する民間銀行を通じて不労所得者に吸い取られれる。

格差が生まれ、格差拡大システムとして資本主義生産システムが支配の道具として機能する為に、本来なら生活の為の労働が、格差拡大システム労働となる為、現代の労働疎外がおきる。

不労所得者に重税をかけて、資本主義生産システムを元に戻す=金融資本主義の呪縛から解放することが現代の革命となる。

国家は、労働者国民のためにあり、資本主義生産システムは、生産者の為にあるべきである。