タイトルはこれから

詠み人知らずですませたい。

ブログを書く理由について

今まで、ブログという形で文章を残そうとして、何度も挫折してきたので、もうやらないと決めていた。しかしなぜ再び書こうと決めたのか、それを考えてみようと思う。

社会人になって、メールやら資料作りで人に伝わる文章を書くことが学生時代に比べて非常に多くなった(学生でもたくさん書いてる人いるだろうと思われるが、そういう経験を全くしない怠惰な学生だったというわけだ)。常に、要点がまとまっているだろうか?相手を不快にさせない言い回しになっているだろうか?と不安に怯えながら送信ボタンを押しているのである。
そこで、ふと思った。伝えたい事は同じなのに「これだと不快になるだろうな〜」と思案するのって何と面倒だろうか!もっと考えていることを自分の思うままに書いてみたい!と。
そういうわけで誰に見せるわけでもない。文章を書くに至ったのである。


と、書きながら二つのツッコミを入れたくなった。
①それをインターネットで公開するわけだから結局他人を意識したものにならざるを得ないのでは?
②わざわざ長文である必要なく、Twitterみたいな短文でよくない?

上記の二つに回答してみる。
インターネットで公開することで、自分の言いたい事と、読む人(誰かに読んでくれ!と言うわけでもないので、いるのか分からないが、存在は意識したい)が不快に思うラインを考えながら書きたいのだ。
あと、書くテーマにも関係するのだが、僕は会話の脈絡無しに話したいテーマが頭に湧き上がってくる(これは別テーマで考えたい)。この欲望に忠実になろうとすると会話にならなくなるので、コミュニケーションに支障をきたすなら、何もない方向に吐き出した方がよかろうと思ったのだ。

Twitterでは140字という制限で頭の中に浮かぶイメージが浮かんでは消えていく事の繰り返しになってしまうことが最近わかった。ならば長文でも書けるだけ書き出して整理していく方がいいと思ったのだ。整理できるかどうかは分からないけど、まずは書いてみることだ。
イメージが浮かんでは消えることに慣れてしまったので、本当に文章に残してみたいことなど自分には無いのだ、と思っていたけど、いざブログを書こうと思うと、残しておきたいことがポンポン出てきたので、意外と自分にも思考というものがあるんだ、と驚いている。

ここまで書いてみて自分の伝えたいことがちゃんと文章にできているか大いに不安がある。書き始めると書きたいことのイメージが分散して違うことを書き始めたりして、最初に考えた事は何だっけと思ったりする。

この一回きりで終わるかもしれないけど、快感原則に従って書くことにする。
以上。