オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび649

森林貴彦「Thinking Baceball」を読む

 


序章で「最後はデータよりも感性を優先しよう」という言葉が出てくる。相手投手のストレートを想像以上に速いと感じたら、データではなくストレート待ちであっても変化球待ちに変えてよいと言うのです。「データにおいて必要なのは、翻弄されず人間が使う側であり続けること」と。なるほど。

昨年甲子園を沸かせていた話題の中で、慶應高校野球部のテーマ「エンジョイ・ベースボール」が話題になりました。森林さんは自身が高校二年生の時に当時の監督から「セカンドへの牽制球のサインを考えなさい。」と言われた経験を紹介しています。意図を聞くと「自分たちで決めた方が楽しいだろう。」という返事が返ってきたそうです。エンジョイ・ベースボールですね。そんなことまで自分たちで決めていいんだ! という大きな転機になったと書かれています。

本書の途中で、小中学生の野球離れについて

軟式野球の団員数が減少している様子をグラフで提示しています。水泳、サッカー、バスケットボール、ラグビーと楽しめるスポーツの選択肢が広がっていて、野球に取り組む子どもたちの数が減っているのでしょうか?

大谷翔平が結婚や通訳による盗難に見舞われる前、日本中の小学校にグローブを送ったことが大きく報道されていました。「野球しようぜ!」と書かれていたそうです。野球の楽しさを体験してほしいという思いの表れなのでしょう。

ところで著者の本業は小学校の先生です。小学校の仕事を終えてから、野球部の監督をしているのです。ボク自身も長年小学校で教員をやってきたので、選手の主体性や成長、将来を支えようとする考え方に「先生らしさ」を感じてしまいました。慶應は「独立自尊」を大切にする校風だそうですが、オーダーメイドの練習メニューやノーサインを目指す試合などに筆者が思い描く高校野球の未来像が

見えました。

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オヤジのあくび648

藤子・F・不二雄「大人になるのび太たちへ」を斜め読みする

 


プロのゲーマー梅原さんがこんなことを言っています。「僕は不器用だから、特にぼくと同じような子には、『諦めることにメリットなんかない。自分がやりたいんだったら、周りが何か言おうと、やり続けると、結構人そこで踏ん張ったなりの見返りってあるよ』って伝えたい。他の人が諦めたところからが自分の時間だぞって」

プロのゲーマー! ボクらオヤジ世代にとってはまさに前人未到、諦めたという友だちの気持ちも想像できます。けれど本物のパイオニアって、彼のような人が新しい地平を切り拓いていくのだろうなぁ・・とも感じます。

 


仮面ライダーだった菅田将暉のところまで読んで、待ち合わせ時刻になりました。続きはまた今度。

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オヤジのあくび647

網野善彦「歴史を考えるヒント」を読む

 


冒頭に日本という国名がいつ決まったのか? という話が登場します。ボクは手塚治虫火の鳥天武天皇が国名を決めた描写が出てくることを当てにしていたので、その頃かな? と漠然と考えていたのですが、689年の飛鳥浄美原令が定説のようでドンピシャですね。ちなみにこの時から天皇という言葉が使われ始めます。

私たちが日常考えなしに使い、知らないうちに偏った見方にとらわれている状況を解きほぐしてくれるのは、網野さんの本のありがたさだと思います。例えば「人民」。中華人民共和国とか朝鮮民主主義人民共和国とか、ものものしいイメージがある。学生の頃食堂周辺で「ピープル」というジュースすが売られていて、ボクらは「人民ジュース」などと呼んで愛飲していた。ところが人民とは、日本書紀に天下人民として登場する言葉らしい。「国民」の方は、元々有力な地侍を指す言葉であり、一般化されたのは近代以降だと言う。さらに生活者の匂いが漂う「庶民」も日本書紀の頃から使われてきた古い言葉であると紹介されています。

歴史との共に言葉の意味が固定化した例として「百姓」を取り上げています。私たちは「百姓」=農業従事者ととらえがちなのですが、「百姓」はもっと幅広い職業層、例えば海や山の生業を含む言葉だったのです。

話はジャンプしますが、大学生の皆様は経済学部と商学部をどのように選択されたのでしょう? ニュアンス的に経済学は西洋から輸入され翻訳された言葉で研究し、商学部はもう少し古くからある商い上の用語からスタートしている気がします。例えば複式簿記などすでに十七世紀から三井で使われていたというから驚きです。同様に為替・手形・小切手・市場・相場などの言葉も古くから日本の商売で用いられてきた言葉だそうです。そのような取引がすでに日常化していたからこそ、幕末の開国以降欧米との商売にスムーズに移行できたのですね。

本書の中にたびたび現れるのは、一旦人間世界から離れた異世界(神域)に物が置かれる。そこへ交換物を持参する、そこからいただいてくるというのが取引であったという記述です。神様の領域に入った物を交換するのですからやましいことはできないはずです。古代中世の人々が大切にしていたこの感覚を、今私たちはほとんど持ち合わせていませんが「お天道様が見ている」から悪事ができないとか、見えない力に守られている「おかげさま」などの言葉に、わずかにその精神性が引き継がれているのかもしれません。

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オヤジのあくび646

井上ひさし「四千万歩の男 忠敬の生き方」を読む

 


商家に養子に入り、傾いた店の経営を立て直し、村の政治にも力を発揮した50歳までの前半生。忠敬が江戸に出て天文学を学び、さらには日本全国の地図作成という大事業に挑むのは後半生のこと。定年を迎えたサラリーマン諸氏にとって、これからどう生きるか? お手本を示してくれるようであります。

しかしこの本の面白さは、伊能忠敬の偉さよりもむしろ井上ひさしのオタクっぷりにありそうです。遅筆で有名な著者は、脚本の設定をイメージするために手書きの現地地図を書いていたという。オクラホマ州ナダルコの地図、小林一茶が生活していた頃の江戸市中・・手書きの地図には国境や保護地域などの情報は書き込まない限り載っていない。その面白さを嬉々として語っています。

やがてこまつ座に縁の深い安野光雅さんとの対談となる。井上ひさしさんは九条の会の発起人の一人であり、いわゆる護憲派なのだが、自衛隊があって憲法九条があって、使い分けて共存していればよいと、その曖昧さを肯定している。安野さんも地図を語りながら、言葉が実体にはりつくまで大変であり、実体を言葉に合わせようとしはじめる危なさを指摘している。暗喩であるけれど思い当たる節がいくつも思い浮かんできます。

2024年、地図を覗きこまなくても、スマホがあればGoogleマップ、車に乗っていればカーナビが案内してくれる時代に私たちは生きています。ところが国土地理院の二万五千分の一地図を読めなければ場面があるのです。それは公立高校入試の社会科。なぜか標高差や地形を読み取る問題が出される。ボクは等高線が意外と存在感を示している気がしています。なぜなら伊能図もGoogleマップもカーナビも、結局は平面上の位置関係しかわからないので、たどり着いたらそこは急な坂なんてことがあるからです。

それにつけても四千万歩! またそれを丹念に追いかけた井上ひさしさんの仕事には脱帽であります。f:id:hoihoi1956:20240424050636j:image

オヤジのあくび645

会津人群像2022no.43より鶴賀イチ「会津藩校日新館」読む

 


会津藩の教育と言えば、大河ドラマ「八重のの桜」で紹介されていた「ならぬことはならぬものです」の什の掟が有名だ。6歳から9歳までが、什の組織による基礎教育期間で10歳から日新館入学となる。

学習内容が漢書素読と講釈中心は、時代背景からして合点がいくところですが、天文方では会津暦があり暦学の先端を学んでいた。会津には海がないが池の周囲が153mの水練場を備えていて、日本初のプールと言われている。学習内容ではないが、窮乏時に藩が費用を負担して昼食が提供されたことがある。これまた給食の始まりだろうか?

家老田中玄宰の「教育は百年の計にして会津藩の興隆は人材の育成にあり」という進言からスタートした日新館であるが、会津・猪苗代・江戸・京都、さらには斗南や余市三浦半島防衛のために観音崎や三崎にも設置される。人が住むところに学校がなければならないのは自明の理ではあるけれど、それにしても並々ならぬ情熱を感じます。

ここに来て、ふと思うのは現在の教育状況や教員の置かれた環境。百年の計を語ったご家老が令和の現状を見たら、何を思うでしょうか?

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オヤジのあくび644

佐藤智恵「ハーバードでいちばん人気の国・日本」を斜め読みする。

 


ボクは本書で金剛組という世界最古の会社を知った。578年に聖徳太子が招聘した宮大工が創業したと言う。何と1446年も続いている!

株価の激しい値動きを眺めていると、その時代時代でニーズや成功のあり方は変化するものと思いがちだが、どっこい飛鳥の世から続いている企業があったのだ。

日本を代表する経営者の名前が、ハーバードで議論の対象になっていることが紹介されているが、会社経営とは少し離れた印象があるアベノミクスの話が登場する。全く予想外の死を迎えた安倍晋三さんの経済政策が歴史に名を刻むことになるのかもしれない。

東日本大震災から13年が経ち、いまだに原発事故から出た放射性廃棄物の処理については見通しが立っていない。けれど福島には事故の第一原発の他にもう一つ第二原発があり、第二原発の方は同じ状況に追い込まれながらも増田所長のリーダーシップによって最悪の事態を免れたことを、ボクも含めて日本人は意外に知らないのではなかろうか。センスメーキング。置かれた状況をいかに理解するかが問われた事例として、本書に登場する。そして所長の行動力以上に現場にいた作業員のチーム力が賞賛されている。

ハーバード生が憧れる日本独自の精神性や感性はどうやって育まれてきたのだろうか? ボクは日本でしか体験できない教育内容や環境の中にこそ。その秘密の一端が隠されている気がしています。

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オヤジのあくび643

村道雄「縄文の列島文化」を読む

 


今も昔も日本独自の文化がある。何と三万年も前に日本独自の石器が使われていた。刃部を研磨した石器でナイフのように動物を狩る際に用いたらしい。

ところで私たちが資料で学んだ竪穴式住居のイメージは屋根が茅でふかれている。しかし、それは先入観であって本書を読むと縄文時代の住居の屋根は土でふかれていたらしい。それなら火災にも強いだろう。研究者は知っていても一般の人は誤解したままのことは他にもありそうだ。

遺跡というと、まずは建物群や土器に注目するが、本書はまず松島湾宮戸島の調査を元に、季節ごとにどのような食べ物をどのようにして食べていたのかを、詳しく解説している。今のような暦こそないが、植物を観察することで季節を把握していたのだろう。また貝塚を詳しく調べることで縄文の食生活がわかるのだ。春にはフグを食べていたというが、何とフグの毒の処理の仕方は縄文の頃から知られていたのだ。

著者の視点は、海から山へ。縄文の里山へと向けられる。縄文人が植林していた木にクリがある。実を食べる他、建物の柱、焚き木として使っていた。さらにはエゴマやダイズも栽培され、川を遡上するサケを捕っていたのである。

飽食に明け暮れしている現代人の食生活からは粗食に見えるかもしれないが、自然からいただいたものを自然に返していくことで、縄文の食生活はサステナブルだったし、事実一万年続いているのであります。

さて続いて語られているのは、縄文時代の物流・交流について。三内丸山遺跡を見学した時にも遥か遠方で採れる黒曜石が、三内丸山で見つかることに、物流ネットワークが広範に渡っていたことに驚かされたものだ。採掘→加工生産という品物の流れを、工房と思われる遺跡を辿りながら、著者は物流ルートを想定していく。それにしてもずっと言われてきたように、流通方法は物々交換やプレゼントだったのだろうか? 商売や富の蓄積がなかった時代に、何が物の流れを生み出していたのか? 興味が尽きない。

最終章では、縄文人の葬送法が現代に至るまでどのように引き継がれているのかが書かれている。キーワードは山、土、石だろうか?

近年まで山全体を墓としてきた人々がいる。ボクの場合母方の祖先は山に葬られていたようだ。土葬については荼毘に付すという過程のあるなしに関わらず、結局は土に埋葬されている。日本人は墓石を建てることが多いが、石が神の依代であるという信仰が背景にあるのだろう。

縄文文化統一国家としての体裁を整えていく過程で、次第に地域ごとの多様性を失ってしまう。けれど一万年に及び続いてきた文化の流れは、きっとまだ私たちの生活の奥底に隠れている気がします。

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