近視眼的
「やりたく無いしどうとでもなる」の下限値を更新し続けるような日々だった。
汚い部屋に苛々もしなくなって、不必要に溢れつつある空間にさえも慰められていると思いたかった。
数ヶ月入院していた高齢の父が退院するにあたって
面と向き合って話をしなければならなくて、
想定通りに、ちゃんとしたフツーの会話が成り立たないあの面会の1時間のあいだ
今まで忘れていた鬱屈した憎しみが爆発しそうだった。
この憎しみをぶつけて父のちっぽけなプライドなんてへし折ってそのままベコベコに凹んでしまえばいいと思った。
後日、兄と「大変だったね」と話をしながら
「そんなに言うならこんな人数子ども作んなって話だよねー」と笑って自分で言いながら、
それは私が産まれなければ良かったということなんだな、
私が自虐をし続けた10代のあの日々と、
もう20年と時間が経ってもまだ再確認しないといけない時があるんだな、と落胆した。
ふつうにつらかった。
今日は、そんな辛さもだいぶやわらいできたので、
布団を上げて掃除機を掛けたり、
子どもと散歩をして過ごしたり
野菜を沢山切ってスープを作ったりして
一日が終わりました。
そんな一つひとつが別に苦では無かったので、
ちょっとだけ停滞期を抜け出したかな。
おさんぽに付き合ってくれた子どものあたま。