家事

明日の朝食べるごはんがないからといって、パンを焼くのは労力かかりすぎ。予めわかっていれば、食パンを買っただろう。あとはどこかで食べていくか、家でヌードルすすっていくか。朝からラーメンとか受け付けない。

 

洗濯。洗剤のにおい好かん。家族からは「以前の液体洗剤より良い」と言われるが、主観が△。ある程度の洗浄力と香りやらのバランスをとるの割と難しいのかもしれない。話はすこしずれるが、斜めドラムの洗濯乾燥機がほしい。

 

お腹の調子がよくない。腸内環境を整えようということで、ヨーグルトを食べることに決めた。ただし、毎回買うのは高いので自作する。

そういえばここ何年k、金銭の支出を抑えるためにちまちまとした家事というか、変なものを作る機会が多くなったと感じる。餃子やらスコーンやら、自分でも意外となんとかなるのだな感じる、またこういう作業は精神衛生を保つ側面もある。

天ぷらとかコロッケ、南蛮漬け、魚の煮付けあたりができるとだいぶレパートリーを増やせるんだけれど。

 

 

掃除ができない。物の配置というか、家の制約条件がわっかんない。都度理解しても頻度が少ないので忘れれるし、その都度知りもしない脳で判断するから選択ミスしるし疲れるしでいいことない。ある程度は反復によって腹落ちさせないとダメかな。理解が不足する箇所は、スマホ依存する他ない。レイアウトの写真とかとっておく。

恐らく私は孤独な時間を過ごしたいのだろう

孤独な時間を過ごしたいのだろう

 

インターネットが私たちの知識や思考に与える影響についてまとめてみたいと思います。

 

インターネットにさらされ続けると、なんだかしんどいよね、という内容です。確かに、情報の過剰や視覚情報の処理による脳のリソースの消耗は、日々の思考や集中力に影響を与えることがあります。

 

昔はインターネットにより多くの知識を得ることができる感覚を抱いていたかもしれませんが、現代社会においては情報の過多という問題も浮上しております。それゆえ私たち人間は、情報の取捨選択や自身の思考力を鍛えることが求められる時代となっております。

 

このような状況で、「身を守る」には、現実世界での人間関係や体験を通じて脳を刺激し、情報と直面することが重要だと思います。インターネット上で得られる知識だけでは、そのような交流はできないですしね。また、孤独や自己との対峙を通じて私たちの成長に繋がるのかもしれません。

 

一方、情報社会の中で生きる現代人として、インターネットを使いながらも知識や情報の適切な利用方法を見つけることは重要です。私たちは、バランスを保ちながら、情報を精査し、自己の発展と他者への影響を考えながら行動する必要があるかと思います。

 

 

最近やったこと全般

 

ここ2ヶ月くらいでやったことをざっくりと

 

 

○飛行機に乗る

久しぶりである、5年以来だったかな

付随して、両替とか海外にいくとか異文化体験とか諸々あったけど、どうも基本的にそういうこと全般がストレスに感じる身体になってしまったようだ。歩いて行ける範囲で週末を終えることが多くなったが、精神的にはラク。日本のほうがいいのだ、とはっきり感じられたのはとても大きな収穫であった。

 

○図書館で本を借りる

前住んでいたところよりも図書館の数が多い、予約システムとかもあるので便利。借りた本を読んでいる時の、社会福祉の恩恵を受けている感覚が好き。税金返してもらっている感じというか。ついでに本越しに情報を得られる。

 

○iPhoneSEの電池交換

バッテリーの減りが早かったので、中華製バッテリーに交換しました。80%を切っていたので、バッテリーを交換した効果をしっかりと体感できた。

思えば、ガジェット類のバッテリー類はちょこちょこ替えてきていた気がする。バッテリー交換編歴、ガラケーのf02bから始まり、ノートパソコンはVAIOLaVieスマホは中華製の変なやつ、ただの電池だけど、車のスマートキーとか自転車のライトとか、あとはメルカリでかった腕時計か。車のバッテリー、補機バッテリーとかもあるか。

最先端のものを買うよりは、メーカー保守とか部品供給が切れるまでは延命して使い倒す性分なんですな私は。昔乗っていたオンボロバイクの維持管理のせいで、こういう性分になってしまったとも感じている。あと、学生時代も今もお金がないからか。

 

○車の運転

めっきりしなくなってしまった。

週末たまーにする。基幹バスレーンが怖いぜ。主要駅の近くは駐車場が狭いぜ。名古屋走り怖いぜ。

 

 

○パンを焼く

ズボラだったので炊飯器ででしたが。

ホットケーキやスコーンは度々作っていたが、イースト菌はつかったことがなかったので新鮮な体験だった。きちっと力をいれて生地をこねる。グルテンを形成しないと生地がまとまらない、膨らまない。

今年の年末までには、短いフランスパンをオーブンで焼いて、それに自家製アンチョビソースをつけて食べるのを夢見ている。

世の旦那が気まぐれで作る系の食事は、冷蔵庫の中身のやりくりじゃなくて好き勝手できるから好き。

反対に、野菜室の中身をみて「うーわ、これ今日と明日どうしよっかなぁ。」と材料と組み合わせを考えて料理をするとのは苦手である。このスキルはない、通信簿的には5段階で2くらいだ。

 

○自転車の練習

久しくできていなかったので。私のではなく子どものですが。大きくなったなぁとしみじみ思いながら、サドルの高さを上げたり空気を入れたりもした。

まっすぐ走れてえらい。止まるところでとまれてえらい。

私が同じ年齢だった頃よりは遥かに丁寧な運転をされている。コケかけて川に自転車落としたりしていたのと比べると、それはそれは綺麗な自転車に乗られておられる。

漕ぎ出しがいま一歩。あと、ペダルは踵ではなく母指球でしっかりと踏み切ってほしい。

ルーティンに組み込むと、日々の手触りを失う。ということを言及したかったはずなのだが、この三連休でこれについて少し整理してみたところ、どうやらデジタルツールのことに限ったことのような気がしてきた。

 

起きたらスマホで前日のニュースをチェックするとか、通勤時間中にポッドキャストをきくとか、空き時間にブログを読み漁るとか、そういう類をルーティンに組み込むと、せっかく色々な情報をインプットしているはずなのに何故か手触り感がゼロになる気がする。何故かはわからん、情報を消費しているという感じかも。

 

文字を追っかけているだけというか、場合によってはインスタの写真や動画だったり、PodcastとかVoicyの音声だったりするので、ありとあらゆる形で情報を消費している。ここ数年の疲れの一因である気すらしてきたな

 

 

 

ある程度整理して紙やらネットやら、自分の外に出しておけば、負荷がいったん軽くなるはず

 

 

 

 

現有車に対しての取組みと直近の心境

車ってなんやかんやで維持するのに時間と費用を工面している。ガソリンを車のタンクに注ぐ、洗車する、車内を掃除する、オイル交換する、車検を通すなどのルーティンは別としても、まぁまぁ色々と細かい事をしている。ある種車弄りが趣味として認知されているのかもしれないが、いかんせんDIYだと時間がかかるわであんまり良い趣味とは言えないし、もはや趣味ですらないのかもしれない

 

 

インバーター購入(車内でノートパソコンとを動かしたかった。後に売却)

ドラレコ取り付け(あおり運転とかがブームになっていたので対策として)

運転席と助手席にフットランプを付ける(意味はない)

ポジション球を白いのに変える(切れたので)

ロービーム灯も白いのに変える(切れたのど)

室内灯を何故か白に変える(球が余っていたので)

ワイパー交換(定期)

ナンバープレート交換(譲渡、転居)

貰ったホイール+冬用タイヤ(通勤に使っていたので)

補機バッテリー(バッテリーがあがったので)

急速充電用のシガーソケットを購入(スマホ、というかiPhoneSEのバッテリーが死んだので充電必須。恐らく新しい何かを買ったほうが良い)

クルコンスイッチ取り付け(長距離運転時に足を吊った経験から欲しくなったので。後に故障し、直していない)

タイヤ交換(定期)

ドラレコ交換、リアカメラ増設(前のが壊れたので)

シガープラグの取付箇所を増設(ドラレコを起動しつつ電話も充電したかった)

プラグ交換(整備工場へ依頼)

ATF交換(定期、整備工場へ依頼)

 

 

USBポート増設(意味はないと思いやめた。)

ホーン交換(意味はないがかねてから変えてみたいと思っている、マジで無駄だと思う)

ウーハー取り付け(意味はないがry)

カーナビ取替え(古いので替えたいとは思う。DIYの精神でやってしまうのか、古いまま割り切って使い続けるのか)

 

 

 

車というのはよくできたモノだと感じる。

プライベートな空間を確保しつつ、移動ができる手段である。家族単位で移動するにちょうどよい。ただし、昔々原付やバイクを運転していた時期のような熱量を(車に対して)かけることはこれから先もうないだろうなぁ…とうっすら感じている。なんだか寂しい。運転席に乗る時、単なる移動手段と認識していて、憂いを取り去る感じがないものね。高揚感もない。…特急電車に乗って移動する直前の方がまだ心が動いている気がする。自分のチカラで大きな力を制御するのが楽しい(運転する)というより、自身はその結果だけ享受したい(移動する)といったように変化しているのだろうか。

ロードバイクは8速でフィックスさせるべきだった

2017年ごろに組みつけた自転車の話

 

当時の背景として、

・ディスクブレーキかハイエンドであったりなかったり(記憶が曖昧だが、調べるのは面倒)

・やや円高であった。1ドル120円くらい?

・海外通販でシマノ製コンポが買えた

・105の11速がでたタイミングであった

・自分自身は田舎住みのぺーぺー会社員であったため暇であった

 

この状況で、なんとなくカッコいい自転車に乗りたかった当時の私は、「部屋でロードバイクを組み立てよう」という結論に至った。

当時の思考、設計思想を振り返ると、

ロードバイク買おう

→素材はクロモリにしよう

 というか第一にカーボンがいやだった。なんだか樹脂成型品がイヤになる出来事があったのもある。あとは、カーボン製ロードの使い捨て感覚がいやだった。プロレーサーの話で、レースが目的でないなら無視できる話なのだけど、レースが終わったらポテンシャルが100%発揮できないから捨てるとか、樹脂の劣化とか、衝撃に気をつけるとか、部品が汎用品でないとか、そういうの諸々が私の大事にしているところとうまく噛み合わなくて、クロモリフレームしか買いたいと思えるものがなかった。

 今思えば、アルミフレームのほうが良かったかもしれない。TNIのフレームとか。トルクとかあんまり考えなくても「しめときゃなんとかなるで」くらいで乗れる、気楽だが自身の身体感覚にマッチするもの欲しかったのだろうか。

 

 

・予算は30万円程度にしよう。

ロードバイクに金をかけると際限がないので。当時、のりりんを読んでいたのでその感覚で決めたのかもしれない。あと、中古パーツの選択肢も有りにすることも考えると、このあたりの金額、30万円で割と自由度が高かった。

あと、平日にふらっと乗れる限界値がこの辺かなぁと。

・つるしを買うか、組み立てるか

→組み立てるほうがロマンがある。部品を選択する時、自身で手に取ったものを組み付けると後々納得しやすく、不満がでないだろう。時間も割とある。

 

この時に、11速のコンポを選んだのは間違いであったと思う。8速のコンポを選び、wレバーにしておけば良かったといまだに毎日反省している。そのうち部品を揃えて付け替えてやろうと思っているが、これはいつになることやら。

→壊れにくく整備性があがる、維持コストが下がる、ゆるく走れる雰囲気がある。ゆるく続けていくにあたっては、この3つの要素を外してはならなかったと、2023年の年末のいまも悔いている。

 

・整備性、e.g.チェーンの伸びやシフターの調整、を考えると、どう考えても8速でwレバーを使うのが王道であった。付随して、8速用のホイールならば2023年の今なら自作できるというのもある。高機能化を求めると、構造が複雑になるのがな…。残りの人生暇つぶし用の趣味、自分で触りたいタイプの趣味なんだからもっと触りやすい構造のものにするべきであった。

・維持コスト→8速用のチェーンはホームセンターで売ってるやつやっすいのも使えるのが魅力的である。「ロードバイク乗りなら、かくあるべし」というデファクトスタンダードと真逆をいくほうが良い。たかが趣味の話なんだから、俺のやりたいようにさせてくれ。そして懐にやさしい。

・アルミフレームは、踏んだ分だけキチンと進む。そして(クロモリよりも)軽い。カーボンフレームは、ペダルを踏み込むインプットがタイヤへ直接的に伝わっている。正直にいえば、のった時の衝撃を運動不足の身体で受け止められなかったため、試乗で膝にきた。情けない身体よね。

 

 

・クロモリフレームで

ブリヂストンか他のところかでかなり悩んで、他のところにした。ブリヂストンのネオコットは今でも欲しいが、フレームの選択だけは伊達や粋狂でありたかった。

リムブレーキで(フレーム形状が律速

・11速コンポ、価格面都合で105で組むか(105だと4万円代、アルテグラだと7万円代だったと記憶している。)

・重量は特に気にしないけど、11kgくらいだとエクセレント。基本的にどんな部品を組みつけても達成できる。

・早く走る必要性がない。形状がシュッとしていて、見ていてカッコよくて、たまに出かける時に跨ってみたら「なんかえぇやん」てなるくらいであればいい

 

 

いくらカネをかけようが、たかが自転車であって、ママチャリよりは速く走れるが、クルマには基本的に勝てない。

自転車がかっこいいという私への刷り込みが、キャメロンディアス監督のダークエンジェルから来ているので、マウンテンバイクのほうへ進まなかったのはなぜだろうとは思う。2017年当時は、メッセンジャーの方はピストとかロードバイクとか、そっち系のフレームを使っている方が多かったからか?

なんでもかんでも背追い込む必要はない

自分で作業を完結させたがるきらいがある。

このスタイルは回り回って経済的ではない。

ただ、経済的であることだけが重要というわけでもない。

頼ることの重要性は落とし込んでおくことが大事だ。

 

例えば、クルマにドライブレコーダーを取り付けてみるといった作業など。適当に見繕って業者にまかせればよいものを、怪しげな商品をAliExpressで取り寄せ、内張りを引き剥がし、配線を引き回し等する作業は、もう自分がやらなくても別にいいんじゃねぇかなぁと感じる。

ただ好きでやっているうちは良いけど

 

他人に任せるというのを覚えたほうが良い。自分で勝手に背負ってしんどくなって、それでもやらなくちゃならんと思って毎日身体を動かすのはもうやめにしないか?かえって周りも不幸になるし、線引きした方がよろしいと思う。巻き取って「できますやります」というのも必要なフェーズはあるかもわからないが、別にやらなくても良いこと、苦手と思って嫌々とやっているが命に関わることでないものは、もはや自分でやらず他人に任せるのが良い。

 

そら10代20代のころは、ただの暇つぶしであったり、作業工賃を払うならその分を他のパーツ買うのに回したいといった物質至上主義のようなところもあった。当時は若く、お金に苦労していた。が、30代となった今は少し考え方が変わった。人に任せりゃいいんじゃね〜。お世話になっているクルマ屋さんで整備してもらったりするなどしたほうが、微力ながらも地域の経済を回せるはずだ

もっとも、クルマに乗ること自体をほぼ辞めた。運転が苦手だったということに気がついていたが、当時は止めるという選択肢が頭に思い浮かばなかった。

 

 

ただ自転車は別で、時代にそぐわないというかそぐえないというか、

もし私がバリバリの競技志向で、ショップに対し、「俺は乗り倒す役割。ショップは整備する役割。経済回してウィンウィンよネ」くらいぱしっと言い張って本当にその通りなタイプならよかったのだが