書に耽る猿たち

読んだ本の感想、本の紹介、本にまつわる話

『板上に咲く』原田マハ|真似を極めることはいつしか突き抜けた存在になること

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『板上に咲く MUNAKATA:beyond Van Gogh』原田マハ

幻冬舎 2024.05.03読了

 

の小説は、渡辺えりさんによるオーディブルamazonのオーディオブック)の朗読が高い評価を受けている。それでも私は今のところ専ら紙の本を愛好しているから、眼で追って読んだ。本当は、板上だけに触って読みたいくらい。

 

方志功の木版画はあたたかい。かわいくて愛らしく落ち着く。なんとなく山下清さんの作品を観たときの印象に近く、純粋でひたむきな感性と生きるエネルギーが溢れ出ているように感じる。もちろんゴッホの絵に通じるものがある。そりゃそうだ、真似したんだもの。

 

方の生涯の伴侶チヨの視点から綴られた棟方志功の物語。版画の世界に生きた彼の物語というよりも、夫婦の愛の物語と言えよう。時に目頭を熱くさせられる良い作品だった。原田マハさんのアート小説(全てを読んだわけではないが)の中では、心に染み入る度合いが強かった。おそらく、同じ日本人芸術家のことを書いているからかも。

 

方とチヨのなんとも純愛なことか…。最初の出逢いは「おもしろい人」で終わったが、再会してからの2人には読んでいて照れてしまいそうなほどの一途な2人だ。魚をほぐすシーン、そして公開ラブレター。チヤは心のぜんぶを棟方に持っていかれたという。微笑ましいエピソードの数々。

 

ゴッホに憧れて、ゴッホになりたいと願っている自分は、ゴッホが憧れて、ゴッホがなりたいと願った日本人だ。そしていま、ゴッホが勉強して勉強して勉強しきった木版画の道へ進もうと、その入り口に立っている。その道こそが、自分が進むべき道だ。ゴッホのあとを追いかけるのではなく、ゴッホが進もうとしたその先へ行くのだ。ーーゴッホを超えて。(110頁)

椅子テニスの世界では国枝慎吾選手に憧れた小田凱人選手。小説家では太宰治三島由紀夫に憧れてその道を目指す人は数多くいる。西村賢太さんは藤澤清造の没後弟子と名乗り一生を捧げた。尊敬し憧れる人に近づきたいと思いその人を真似をすると、いつしかそれを突き抜けた独自の存在になるのだ。だから、真似をするということは実は一番の近道なんだと思った。

 

画で身を立てる決意をしたが、なかなか思うようにいかない。しかしある展覧会で柳宗悦濱田庄司と奇跡のような出会いがあったことで運命は大きく変わる。困難を乗り越えて世界の「ムナカタ」になっていったのだ。

 

ォントがまぁまぁ大きくて、単行本なのにすぐに読みおわりそうでどうしようかと思いあぐねていたが、カバーをめくってみたら思わずニンマリと笑みが溢れた。棟方志功さんの素敵な版画がずらっと。これはもう買うしかないな。きっと読み終えたら売ってしまうんだけど、読んでいるひとときだけでもこの存在を味わいたくて。

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『プロット・アゲンスト・アメリカ』フィリップ・ロス|子どもの目線で迫り来る恐怖、崩れゆく家庭がリアルに描かれる

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『プロット・アゲンスト・アメリカ』フィリップ・ロス 柴田元幸/訳  ★

集英社集英社文庫] 2024.05.01

 

ィリップ・ロスの作品は『素晴らしきアメリカ野球』か『グッバイ、コロンバス』を読みたいと前々から思っていた。先日書店に行ったらちょうどこの本が文庫化されていた。単行本しかなくてなかなか手に入らなそうだったから嬉しい。しかも訳が柴田元幸さん。

 

メリカ国家が聞こえてきそうだ。というか読んでいる間、私の頭の中には流れていた。この小説は、「もしもアメリカ大統領が反ユダヤ主義リンドバーグだったら」という前提で書かれた歴史改変小説となっている。アメリカの近代史をたどりながら、まるでノンフィクションのように。

 

ィリップたち家族が、首都ワシントンを旅行する章が生き生きと描かれている。ナチスの元に仕えるリンドバーグが大統領になったせいで、予約していたホテルでひどい扱いを受けたときの父親の振る舞いには勇気をもらえる。また、フィリップが悪ガキのアールとつるんで、親のお金を盗み、人を尾行するという遊びをしている時の緊張感と興奮がまざまざと思い浮かぶ。

 

なじみウィッシュナウの家で、トイレに閉じ込められたこと。鍵を開けるためのちょっとした工夫が子どもの頃にはどうしても出来ず、狭い空間にひとりぼっちになり、汗もぐっしょりでパニックになる。こういう泣きたくなるような経験は誰にでもある。大人であればどうってことのない、ちょっと考えれば解決の糸口が見つかるもの。こういう子ども心に恐ろしい経験を丹念に描くのがものすごく上手いのだ。誰もが子どもの頃にタイムスリップする。

 

の小説が素晴らしいのは、アメリカの政治的世界の移り変わりが、子どもであるフィリップの目線で綴られることだ。迫り来る恐怖、崩れゆく家庭がリアルで、まるで我が事のように思える。こんなにも魅了される作品だとは思っていなかった。

 

中でフィリップが母親を見て感じた部分がとても印象深かった。読んだ後続け様に3〜4度読み直した。すごく大事なことを言っているように感じたのだ。そのまま引用する。

この上ない苦悩と混乱に打ちのめされた母を見守る(そして自分自身も恐怖におののく)子供にとって、これは要するに、人は何か正しいことをすればかならず何か間違ったことをやってしまうのだという発見にほかならなかった。実際、その間違ったことは下手をすればものすごく間違っているから、混沌が支配し、すべてが危険にさらされている現状にあっては、手をこまねいて何もしないのが一番のようにも思える。とはいえ、何もしないということもやはり何かをすることである…いまの事態にあっては、何もしないということはものすごく多くをすることなのだ。(500頁)

 

イトルの意味するところがいまいちわからなかった。しかし物語も終盤になり、ある人物の演説で「アメリカに対する陰謀」という言葉が出てきて、そこに「プロット・アゲンスト・アメリカ」とルビが振られていた。

 

田元幸さんの解説では、ロス作品のこと、本作のことが非常にわかりやすく書かれていた。「解説」は、読者の読み方、感じ方に大いなる影響を及ぼすことがあるため賛否両論あるが、私は作家が故人である場合と外国人作家であれば解説をかなり助けとしている。フィリップ・ロスの作品をもっと読みたい!

 

トラー率いるナチスが本作の重要な要素となっており、また高官ハインリヒも登場することから、ローラン・ビネの小説を連想した。思えばこれも歴史改変小説だ。

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『ガラム・マサラ!』ラーフル・ライナ|インド人が書いた小説をもっと読んでみたい

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ガラム・マサラ!』ラーフル・ライナ 武藤陽生/訳

文藝春秋   2024.04.27読了

 

ンドのミステリーなんて読んだことない!というか、そもそもインド人作家の小説を読んだことがあるのだろうか。あっても記憶にないし、インド人作家の名前すら出てこない。人口が14億人を超える国なのに、優れた作品がないわけがない。最近ガツンと痺れる本に出逢えていなくて(もう麻痺しちゃってるのかなぁ)、冒険を求めてあまり読まない本を選んだ。

 

イトルのガラムマサラって、スパイスのことだよな。タイトルだけ見たら料理の物語なのかと思っていたら、全然違った。しかも、最後までなんでこのタイトルなのかがクエスチョンのままだ。

 

人公ラメッシュ・クマールは、教育コンサルタント業を営む。依頼を受けて富裕層の子供を希望大学に入れるという違法なもの。今回金持ちの息子ルディを一流大学に入れるという依頼が来て、替え玉受験をした結果なんとルディはトップで入学することになったのだ。そこからルディとラメッシュの運命は大きく変わっていく。  

これほど金持ちでこれほど有名になると、リアルなものは手に入らなくなる。(130頁)

 

ステリーというよりもエンタメ系。はちゃめちゃでスピーディーな展開が2時間ドラマや映画を見ているようで、勢いよくラストまで進む感じだ。ルディとの関係性がどんどん良くなるところが友情の物語にも感じた。

 

段ニュースなどでインドの景色や事件はあまり流れない。どうしてだろう…。だから私たちが持つインドのイメージはどうしてもガンジス川に入る人々だったり、香辛料の香りだったり、旅行に行くと世界観が変わる、みたいな漠然としたもの。しかもこれらはかなり古い情報よな。

 

頭でインド人作家がどうの…と書いたが、4年ほど前にサルマン・ラシュディさんの『真夜中の子供たち』を読んでいた。あとはインド人ではないが、インドを舞台にした『インドへの道』や『シャンタラム』など。イギリスとインドは切っても切れない関係だから、もしかしたら英国ではインド作家の本がたくさん訳されているのかもしれない。日本とインドの関わりって薄い気がする。たぶん、多くの名作があるはずだから、もっとインド小説を読んでみたい。

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『散歩哲学 よく歩き、よく考える』島田雅彦|放心状態→何も考えていないわけではないらしい

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『散歩哲学 よく歩き、よく考える』島田雅彦

早川書房[ハヤカワ新書] 2024.04.24読了

 

かに、歩いているときやジョギングしているとき、つまり無心で身体を動かしている状態では、色んなアイデアが浮かんだり何かの問題に対する解決策がふいに思いついたりなんてことがよくある。私もジョギング中に、ブログで「こんなことを言いたかったんだよな」「まさしくそんな言い回し!」と発見することが多々ある。

 

かし、散歩やジョギング中の放心状態とは実は何も考えてないわけではないらしい!「単に特定テーマで考えていないだけであって、同時にさまざまな想念が浮かんでいる状態にある(62頁)」と知って目から鱗だった。では、無心になるということがそもそも無理なのかしら。

 

川書房から[ハヤカワ新書]というレーベルが今年の2月に誕生した。以前早川書房のホームページを覗いたときに「ハヤカワ新書の編集者」の採用募集をかけていたから、きっとそれ。今でも募集しているみたいだから、もっと大きくしたいのか、まだ相応の人が見つかっていないのか。

 

の新書第一弾として2月に刊行された本のうちの一冊がこの本である。早川に新書のイメージが全くないしどんなもんかなと思ったのと、久しぶりに新書を読んでみようかなという気分になった。とはいえ選んだのは馴染み深い島田雅彦さんの作品だ。

 

2章の「散歩する文学者たち」が興味深かった。永井荷風を始め、文豪は街を彷徨い散歩をして人が多いらしい。漱石の『彼岸過迄』が「にわか探偵もの」で、島田さんによると「尾行」もある意味で散歩小説だというのがおもしろい。

 

半からは、散歩の話というよりも東京の酒場放浪記のような体を成してきた。赤羽から始まり、池袋、西荻窪高田馬場、登戸、町田、新橋、神田などなど…。東十条のモツ焼き屋「埼玉屋」がかなり気になった。「食に対して研究熱心な大将が作るモツは、ミシュランの星がついてもおかしくないレベルだ」と島田さんは言う。読み終わる時には、散歩の本というよりも呑兵衛の本を読んだ感覚になった笑。

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『しをかくうま』九段理江|日常的な言葉遊びが物語になった

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『しをかくうま』九段理江

文藝春秋 2024.04.23読了

 

段理江さんの書く斬新な物語世界が好きだ。突拍子もない設定と、ユーモラスなのに冷酷とも思える言葉遊びの数々。でも、この小説は万人に受ける作品ではないと思う。競馬の実況をする男性が主人公で、何やら馬の名前の文字数が9文字から10文字に変わることから、やいのやいのと疑問を持ち始める。

 

変わらず九段さんはカタナカ言葉に魅力を感じているし、言語の置き換えがお好きなようである。彼女は常日頃から言葉遊びをしていて、頭の中で普段考えていることをそのまま小説にしちゃったんじゃないかという作品だ。いやぁ、難解だった。

 

段さんの文章は、すごく読みやすいところもあれば、何を言っているかわからず迷路に紛れ込む感覚になる部分もある。直面したとき、もしかしたらここが例の「AIが書いた部分なのか?」と考えてしまう。もちろん、読みやすいほうが生成AIが作ったもの。

 

ぁ、その生成AI云々も全体の数%だという話だし、それも現代のひとつの小説の在り方なんだろうと思うから私は気にならない。ある意味で突拍子もない文章があれば確実に本人が考え出したものなんだと思う。だって、AIは淀みのない綺麗なお手本のような文章を綴るのだろうから。

 

九段さん、今度壮大な長編小説を書いてほしい。

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『1984』ジョージ・オーウェル|人は愛されるよりも理解されることを欲するのかも

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1984ジョージ・オーウェル 田内志文/訳

KADOKAWA[角川文庫] 2024.04.22読了

 

庫本の表紙はルネ・マグリットの絵である。顔の前にあるりんごのせいでよく見えないが、実はよーく注視すると左目が少しだけ見えていて薄ら怖い。人から常に「見られている」という警告、ビッグ・ブラザーにすべてを監視されているという近未来。テレスクリーンにより昼夜を問わず監視されているこの世界だけれども、人の心の中までは見ることができない。人の考え、心の奥底にある、本人にすら謎に満ちている思考は外からはわからない、はず…。

 

度読んでもおもしろい。こんなにスリリングで刺激的な作品があるだろうか。しかもこれが書かれたのは1940年代という今から約80年程も前なのだ。監視社会とナショナリズムの拡大、これらを当時から予見していたオーウェルだが、現在のAIによる監視、ビッグデータによる解析など、明らかにその通りの世の中になってきている。

 

者は創造することができるのに生者は創造できない。ウィンストンがニュース記事をリライトし、捏造する。そんな仕事をしていることに、現代のSNSを見ているよう。在りもしないフェイクニュースとか、今問題になっている投資詐欺だとか。

 

ールドスピークが消滅し、過去の文学が破壊される。シェイクスピアも、ミルトンも、バイロンも、ニュースピーク版でしか存在しなくなる。こんな世界が来たら、発狂してしまう!文学を、言語を愛する人にはたまらない…。いや、そんな考えすらもたないように洗脳されてしまうのか。ウィンストンのように。

 

ブライエンに拷問をされたあとに注射器が刺さり、ウィンストンはこう思う。「もしかすると人は、愛されるよりも理解されることを欲するのではないだろうか」この文章にはっとする。確かにそうかも。そして、理解してくれる相手を心地よく感じてそれが愛することだと思ってしまうのかもしれない。

 

の小説を読むのは2度目、約3年ぶりの再読となる。設定はしっかり覚えているのにストーリー自体はかなりの部分を忘れかけていた。おもしろくて夢中になったのにこうなるとは、人間の記憶とは本当に当てにならないものだ。でもさすがに2度読んだ本は記憶の引き出しにしっかりしまわれるはず。

 

訳ということで、現代的な読みやすさとしてはハヤカワ文庫の高橋和久さん訳よりもこの田内さんの訳のほうが勝っているかもしれない。でもどちらが良いとかは別問題だ。多くの方と同じように、この小説から受ける衝撃は初めて読んだ時の方が断然大きかった。名作であることに疑いはないので、また再読する機会はあるはず。でもその前に、オーウェル作でスペイン内戦のルポタージュである『カタロニア賛歌』を読みたい。

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『ドードー鳥と孤独鳥』川端裕人|好きなことに真剣に取り組めばそれだけで楽しい

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ドードー鳥と孤独鳥』川端裕人

国書刊行会 2024.04.17読了

 

んて素敵な装幀なんだろう。これこそまさにジャケ買いに近い。本の美しさを最大限表現しているし函入りというのがまた良い。国書刊行会は値段も良いけれど装幀にはかなり凝っていて、紙の本が廃れないようにという強い気概が感じられる。うっとりするような本に一目ぼれし刊行されてすぐに買っていたがあたためていたままだった。先日、はてなブログで読者になっている方の記事を読んで思い出した。   

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総半島の田舎町で小学生のうちの約3年間を過ごしたタマキ。自然あふれるこの町には「つくも谷」と「百々谷(どどたに)」があった。ケイナちゃんという生物を愛する親友と出会い、将来の職業、そして生きる目的を見出すことになる貴重な体験をする。

 

ードー鳥と孤独鳥はどちらも絶滅危惧種、そして鳩の仲間である。孤独鳥というのは「こどくどり」と読んでも間違いではないけれどこの作品では「ソリテア」とルビが振られている。ドードー鳥のでっぷりした愛嬌たっぷりの姿はいろいろな所で目にはするが、ハトだったとは。孤独鳥は顔が小さくしゅっとしてかっこいい。

 

米のドードー鳥研究者たちは、自分たちの研究のことを「ドードロジー」と呼ぶ。つまり「堂々めぐり」ということらしい。おもしろい。そして日本の「堂々めぐり」にはお堂をめぐる「聖地巡礼」のような意味も感じられると書かれていて、いやもう「堂々めぐり」って解決できないお蔵入りみたいな悪いイメージしかなかったけど、ある意味調べている人にとっては幸せなんだろうなぁ。これって西村賢太さんの藤沢清造を追いかける堂々巡りに似ているかも。要は、好きなことをするのだから何かの結論に達しなくても楽しいということ。好きっていうことは何にも勝る。

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「絶滅危惧種を忘れてはならない、忘れてしまったらいなかったことと同じになってしまう」タマキの父親の言葉に重みがある。これって、絶滅危惧種だけのことではない。忘れてはいけない、引き継いでいかなければならないことは多くある。広島・長崎に投下された原爆のこと、震災のこと、そして今まさに起きているロシアとウクライナの戦争のこと。

 

門用語が飛び交うのかと思いきや、、もちろん科学的か観点から知らないことが多く記されているのだが、意外なほどにするすると読みやすい。主人公2人が子供だった頃から物語が始まるからか。そもそも川端さんは児童文学も書いているようで、読みやすさ、心にすっぽりと入るこの感じはその文体ゆえだろうか。小説とあるが、まるでノンフィクション、ドキュメンタリーのよう。恋愛要素が一切ないところも良いなと思った。川端さんの本は以前一度読んだと思っていたら、川上和人さんの勘違いだったわ。

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『TIMELESS』朝吹真理子|たいせつになったなりゆき

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『TIMELES』朝吹真理子

新潮社[新潮文庫] 2024.04.15読了

 

吹真理子さんの芥川賞受賞作『きことわ』を実はまだ読んでいない。芥川賞作品は思いたったら速攻読まないと結構忘れてしまうことが多い。確か親族だったと思うけど朝吹さんという方の翻訳された作品を目にしたことがある。Wikipediaを見たら、親族欄に多くの名前が載っているのに驚いた。文化人家系。

 

みとアミは女性同士だと勝手に想像していた。なんでだろう、『きことわ』が「きこ」と「とわこ」の女性2人のストーリーだからだろうか。そしてなんと「うみ」が女性で「アミ」が男性だった。2人は、恋愛をすっ飛ばして結婚をする。結婚の意味、人を好きになること、大切にするという意味を考えさせられた。

 

オダイショウが家のそばに現れるって、どんな田舎なんだろうかと思う。しかしこれは東京の中心、渋谷区代官山のことなんだ。本当に蛇が出たのか?夢の中か想像の世界のことが書かれていたり、そういう説明はないのだけどたぶんそうだろうと思える場面がいくつかある。

 

の小説は2部構成で、1部はうみの視点、2部では急に未来になり2人の子どもの「アオ」の時点で語られる。2035年の近未来のことが書かれているのにそんな気がしないのは、スマホやらSNSやらAIやら近代さを象徴するアイテムが一切登場しないからだろうか。

 

 

い文章の連続から一瞬一瞬の出来事や想いが細かく正確に表されている。そんな文体の中に突然過去の情景が舞い込んでくる印象だ。だからいつのことなのかぐちゃっとなってしまうが、数行進むと理解できる。この、時の空中分解が『TIMELESS』なんだろう。であれば、朝吹さんの他の小説はまた文体が異なるのかしら。

 

みとアオの関係性はもしかしたらこの先のスタンダードとは言えないまでも、これがあり得るべき夫婦関係の選択肢になるかもしれない。とてつもなく美しくて優しくて、けれどよそよそしい関係。ぜんぶがなりゆきでこうなったけれど「たいせつになったなりゆき」という言葉がとてもしっくりきた。

 

國香織さんが文庫本の解説を書いているのだけど、そういえば2人の文体は少し似ている気がする。回想の回想という意味では滝口悠生さんにも通じるものがあるかな。それにしても、江國さんの解説はうっとりするほどの文章で贅沢すぎる。

『そこのみにて光輝く』佐藤泰志|文章から嗅ぎ取れる土の匂い

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そこのみにて光輝く佐藤泰志

河出書房新社河出文庫] 2024.04.12読了

 

ら死を選んだ人が書いた小説に対して、独特の緊張感を持って読み始めるのは私だけだろうか。昔は自死する作家が多かった。かつての文豪たちは、死ぬ方法は違えど、自死をすることが誉れと信じて、そうするのがさも綺麗な終わり方だと思い旅立った。今はそういう風潮はほとんどない。

 

藤泰志さんは41歳という若さで自ら死を選んだ。彼の作品は芥川賞候補に何度も選ばれている。何が彼を死に向かわせたのか。Wikipediaで彼の名前を検索したが自死の理由はわからない。たとえ記載があったとしても、本当のことは本人にしかわからないだろうけれど。この小説は佐藤さん唯一の長編小説で代表作である。

 

文一文がとても短く言葉も易しい。それなのに、文体から立ち昇るものは熱量を帯びている。文章が似ているわけではないのに、中上健次さんの小説から受けるエネルギーに近い。無性に男臭くて獣じみていて、土の匂いや人間臭さがある。そして近親相姦的なもの。もう数頁読んで嗅ぎ取ったのだが、解説にも中上健次作品との関連性に触れられていて「やっぱり」となった。

 

場する男たちがみな魅力的だ。主人公達夫、少年のような拓児はもちろんのこと、拓児とサウナで知り合った松本もまた陰がありながらも色気を感じる。ストーリとしてはそんなに特異なものはないが、不思議と真に迫るものがあって魔力が潜んでいるようだ。読んだことを忘れられない作品になることは間違いない。

 

藤さんの作品は刊行当時よりもむしろここ数年で評価され映画化されるものが多い。この『そこのみにて光輝く』は綾野剛さん、池脇千鶴さん主演で結構話題になったようだ。映画も気になるし他も作品も読んでみたい。

『アウトサイダー』スティーヴン・キング|事件はどう解決するのか|もはや「ホッジズ」シリーズものでは!

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アウトサイダー』上下 スティーヴン・キング 白石朗/訳

文藝春秋[文春文庫] 2024.04.11読了

 

すがのキング!冒頭から疾走感がありおもしろかった。何より上下巻ぎっしりと読み応え満載で、キングを読むときは次の本選びを気にしなくて良い(というか楽)。つまり、すぐに読み終わらないということ。

 

ろしくも無惨に殺害された少年フランク・ピータースン。多くの証言から犯人だと疑う余地のないテリー・メイトランドは、彼がコーチをする少年野球の試合の最中、公衆の面前で逮捕された。しかし彼には完璧なアリバイがあった。これは、不当に罪をなすりつけられたテリーとその家族が冤罪を晴らすストーリーなのか?

 

は上巻までは普通のミステリーさながらで、キングのホラー感がほぼなかった。といっても最近のキングはミステリーへの興味が大きいようで、近年は「ホッジズ3部作」(この作品にも大いに関わる)で大きな評価を得ている。

 

件が解決する前にまたもや大きな展開があり、もしかすると真相は「超自然的なもの」にあるのではないかと刑事であるラルフの妻ジャネットは話す。つまり、自然の法則を超越したものが動いているというのだ。刑事の妻、そして被害者の妻もまた強さと聡明さを秘めている。

 

事アレック・ペリーが上巻の最後に、ファインダーズ・キーパーズ探偵事務所に依頼をする。おお、この探偵社!そしてビル・ホッジズ!シリーズ3部作最後の『任務の終わり』はまだ読んでいない。あのシリーズとこんな絡みがあるとは思っていなかった。てか、もう同じシリーズものでは?と思うほど。3部作を読み終えてなくても充分楽しめるが、読んでおけばよかったな。ビルはもう死んでいるからこの小説で活躍するのは調査員ホリーだ。

 

ついでホリーは悲劇がそなえる性質について考えをめぐらせた。はしかやおたふく風邪や風疹とおなじように、悲劇にも伝染力がある。そういった感染症とちがうのはワクチンが存在しないことだ。(下巻117頁)

悲劇の連鎖という不安は的中する。だいたいにおいて良くない時は全て良くなくて負のスパイラルに陥りがちで、逆に上手くいくときはなんでもかんでも上手くいくもの。

 

の小説の主役は刑事ラルフ・アンダースンと探偵社の調査員ホリー・ギブニーであることは疑いがないが、他にも探偵役が何人も入れ替わり立ち替わりといった形で登場する。綿密に書き込まれた人物描写と構成はいかにもキングで、この細かさ(もはやわずらわしさ)がまた醍醐味なのだ。

 

ングの作品は大好きだけれど、意外にも単行本は買ったことがない。これも文庫になってから手に入れた。それにしても上下巻合わせて3,600円とは。翻訳物は仕方がないとは思うが値上がりも甚だしい…。出版社によっては、作家(特に大御所になると)独自の字体というかフォントがある程度決まっているが、これはいつもの文春のキング作品と比べるとフォントが大きくなっていて読みやすかった。白石さんのアメリカ独特のギャング言葉というかクソ言葉(笑)は相変わらずでそれがまた乙。

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