HONKY TONK 脳内

主に漫画についての評論 好きな漫画はジョジョ・萩尾望都・楳図かずおと答えるようにしてます。 映画についてはTwitterで https://twitter.com/hoorudenka

『大家さんと僕』お年寄りとのうらやましい生活。

『大家さんと僕』作者矢部太郎 

衝撃のハイレベル

出ました、芸能人がひまなので何かやってみましたというあれ。小説、映画、絵本など色々あって、そのどれもが褒めるにも腐すにも微妙な感じになるあれ。と思ってましたが、これはすごい、ものすごくちゃんと面白い。映像化も時間の問題。

みんながいい気分になる優れた作風

芸人矢部太郎と、下に住む87歳のおばあさんとの友情を描くお話。面白いポイントをまとめる。

①四コマ形式

四コマ形式といいつつも、8~16コマのショートストーリーになっているが基本。全て4コマだと起承転結がいつもあって、わりに読むのが疲れるのでこの構成はとてもよい。最近の四コマは結構これが主流かもしれないけど。

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②丸い

大家さんも矢部も、吹き出しも丸いです。目に優しい。

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③見えそうで見えない大家さんの表情

これが一番の矢部の天才性なんですが、この漫画じつは大家さんの表情をすごく抑えて描いてます。以下の2つの話は、大家さんの少し湿っぽい話なんですけど、ロングショットや、もの撮りでそもそも顔を映さないようにさえしている。

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こうすることで読者が感じる大家さんとの絶妙な距離感が、大家さんのちょっとふれがたい上品さと神秘性を印象付け、ともすると作者矢部自身の図々しくない控えめな人柄、大家さんへの尊敬をも表現している。これが逆に大げさに悲しそうな顔を描いてしまうと、まぁなんでしょう大家さんをいかにも見世物にしてしまおうというような下世話さを感じとってしまうかもしれない。

 

ぜひ続編が読みたいです。

 

大家さんと僕

大家さんと僕

 

 

『オートバイ少女』鈴木翁二 正月には必ず読みます。哀しき若者のモノローグ。

『オートバイ少女』作者鈴木翁二 掲載誌『ガロ』『宝島』など 1973年〜

 

鈴木翁二という作家

雑誌『ガロ』の代表作家として、つげ義春林静一と並んで人気だったらしい。

ということくらいしか知らない。とはいえ、作品の質として語るならばやはりこの2人と同じように私小説のような濃密なモノローグ作品ということが言えるだろう。

 

全編に渡るポエムモノローグ

先の2人に比べるならば、彼はもっとモノローグ的でさらに詩的である。

この短編集の内容は、そのほとんどが本人と思われる貧乏な漫画家と、その友達がグダグダしているだけなのだが奇妙なことに、会話がかなり少ない。また、会話があっても普通の会話として成立していない場合が多い。

では、何がこの漫画にあるかというと絶え間ない詩的なモノローグである。もう本当に延々とモノローグだけが続き、しかもそこに明確なストーリーはない。

成立しない会話

 

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 それは何が面白いのだ?という反論がすぐ様返ってきそうだが、なぜか面白い。

彼の描く独り言はなぜか劇的で何度も読み返したくなる魅力がある。是非、ものすごくだめな若者に読んでほしい。

 

なぜ正月に読むのか。

収録されている『哀愁生活入門』は正月の話。

貧乏な漫画家が正月に苦悶し呻く様を、毎年読んでは感動してしまう。

是非、正月を寂しく過ごされる方には読んでほしい。

 

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オートバイ少女

オートバイ少女

 

 

 

『ブスの本懐』これはブスのイノベーション ★★★★★

『ブスの本懐』著者カレー沢薫 掲載誌cakes

 

カレー沢薫という作家

絵が下手でも漫画家になれるを体現する人の1人。他には青木雄二福本伸行などがいらっしゃる。彼女は普通に会社員として働いており、仕事が終わった後に漫画を描くという壮絶な生活をしながらも、結婚まで勝ち取っているという珍しい人物である。

というと相当に有能なクリエイターを思い浮かべるが、実際は全くの逆であるらしい。

職場でもほとんど人と話さず、そればかりか夫とも話さず、さらには人の不幸がもっとも好きで、おまけにものすごいブスという。これは僕が勝手に言ってるわけではなく、彼女のコラムをまとめた『負ける技術』を読んでもらえばわかる。

というわけで、漫画ばかりかコラムも書いていらっしゃるが、はっきり言うと漫画よりおもしろい。というわけで、一応漫画家が書いているけども、漫画ではない本書を今回は取り上げることにした。

女性が女性を評するジャンル

女性が女性を、それも辛辣に評する。このようなジャンルに名前はない。しかしながら、このテーマを持った作品群は確かにある。例えば、昨今のヒット作『タラレバ娘』。これは直接ではないが確かにこのような傾向を持っているし、さらには『臨死!!江古田ちゃん』や『女の友情と筋肉』、『独身OLのすべて』など枚挙にいとまがない。これは漫画だけではなく、いとうあさこといった身近な女性像をネタにした芸人の多さや、変則的なところでいえばマツコデラックスの活躍を思い浮かべてもらえば、普遍的に存在するジャンルだと思う。

とはいえ、これらの作品ないしはコンテンツは、いわゆる強者といえる女性をあつかっていることが多い。外見がよかったり、権力(男性にかぎらない)に媚びるのが上手であったり、そのような女性をやっかみだとと読者に分からせつつからかうという、そういうユーモアであった。

ターゲットはブス

しかしながら、それとは逆?に本書のターゲットは、ブスである。この昨今もっとも扱い難いテーマを真っ向から扱うその姿勢は、間違いなく賞賛されねばならない。

まえがきを長く引用したい。

ブスという言葉をネガティブにとらえるのはやめよう。かといってポジティブにしなくてもいい。ブスはブスである。それ以上ではないし、それ以下は存在しない。ブスだけどハッピーになろう、みたいな生き方は生まれつきブスかつ頭がハッピーという、神も与えるならどっちかにしてやれよというような二物を与えられた者にしかできない。暗いブスがやると、そのうち無理が出てきてさらに深い海に沈んでしまう。

では、ブスといういう言葉を避けるのではなく、必要以上に使って、最終的にブスがなんなのかさえわからなくしてしまおう、というのが本書の狙いである。

このように作者はブスに対して必要以上に攻撃もしなければ、また擁護もしない。本当に絶妙な立ち位置でブスを評論してくれる。今まで表舞台に登場しなかったブスたちの成り立ちや、その傾向、生き様、誰も知らなかった真実が余すことなく公開されているのだ。

ブスのイノベーション

イノベーションなんていうこんな胡散臭い言葉を使いたくはなかったが、本書は本当に今まで想像だにしなかった女性像を浮かび上がらせたといって過言でない。世界最高のアンタッチャブルと言われたブス。女性だけでなくビジネスマンなどにも広く読んでいただきたい一冊だ。

オススメの章

基本的には全部おもしろいのだが、オススメの章とその中の部分を添えておく。

ワーキングブスの顔には「女の武器無使用」と書かれている

「ブスが一体、何をしたって言うんだ……」と、思わず、罪なき人が延々惨殺される映画を観たかのような声が漏れてしまった。

「職業=ブス」は「職業=SASUKE」ぐらいカッコいい

そもそも、ブスである利益とはなんなのか。「妻を亡くしてから失った笑顔を、君の顔を見て30年ぶりに取り戻した」と、シルクハットの老紳士に3万円渡されたというなら、確かにそれはブスによる収入だが、そんなことを言われたら、紳士が取り戻した笑顔を暴力によって再び奪ってしまうだろう。

ブスにはブスの戦いがあり、脳内でマウンティングする

全文。

量産型ブスは『小悪魔DOBUSU』を参考にしているわけではない

今回のテーマは「量産型ブス」である。

聞いた瞬間、同じビジュアルのブスの大群が宇宙空間を縦横無尽に飛び回る姿が想像される。

が、もしそうだったら、1年戦争どころか1分で勝負がついてしまう。

腹にダイナマイトだけ巻いて突っ込んでくるブスに勝てると思ったら大間違いだ

その点、ブスの顔は生まれた時からトラブルの連続のため、今更シワが一本増えたからといって、どうということはない。「木を隠すなら森」と同じように、「ババァを隠すならブス」。つまり「ブスは最大の防御」なのだ。

 

 

ブスの本懐

ブスの本懐

 

 

 

『ワールドトリガー』やはり少年漫画はあなどれない。超緻密な役目(あるいは才能)と責任のSF★★★★

ワールドトリガー』既刊16巻(2016年10月13日現在)作者葦原大介 掲載誌週刊少年ジャンプ 2013年〜

全力で読み出した経緯

作品名だけは知っていたけど、なかなか本腰で読むことができなかった本作。

たまたま出会った後輩づての女の子(漫画の編集者希望だった気がする)がとてもこの作品を推していたのだが、3巻くらいで一度読むのをやめた。

なぜなら戦闘を担う登場人物たちのほとんどが20にもならない中高生という設定なので、もう僕みたいなアラサーは少年漫画を読んじゃいけないのかなーというすねた気持ちになったのが大きい。しかしながら、さる事情でとても時間ができたので続きを読んでやっと気がついたのだが、これはとても大人向けのテーマを持った作品だった。

 

あらすじ

ほとんど現代のような見てくれではあるが、劇中の日本は「ネイバー」とは呼ばれる異次元の敵の侵略を受けている。不意をついて機械生物みたいなものがワープして襲ってくるのだが、それを阻止するために結成されたのが「ボーダー」と呼ばれる主人公たちが所属する機関である。彼らの武器は「トリガー」とよばれる「ネイバー」から回収した技術で、「トリオン」と呼ばれる人間が持つなんらかのエネルギーを利用したものだ。

戦闘時にはこの「トリオン」が身体を模して代替し、腕や足を切られても生身は保存されているので、戦い続けることができる。そして、トリオンを使った攻撃は実に多彩かつ現実的で、一般的なところでは剣、弾丸といった使い方だが、それを上回る反則的なものまである。

ハード寄りなSFなので固有名詞が多く、基本的な世界観を説明するだけで字数がかさみあまり詳しく書けないが、このような世界観で主人公たち(作者によると4人いる)を含むボーダー隊員がそれぞれ戦っていくというのが主な筋。

 

少年漫画にあるまじき冷静さと緻密さ。

よく言われるように本作の最大の魅力は、驚くべき緻密な戦略を用いたチーム戦と少年漫画にそぐわない戦闘時に冷静な人しかいない全体的にクールなトーンである。

前述したボーダー担任は基本的に3人ないしは4人でチームを組んでおり、その戦術はチームで大きく異なり、かつ非常によく練られている。はっきり言えば、全然中高生のレベルじゃない。

この魅力が最大限に発揮されるのは6巻のネイバーが恐るべき多勢で街全体をせめてくる大規模な戦闘だろう。ネイバー、ボーダーを含めおそらく20人以上の登場人物が、無数の敵の機械生命体も入り混じりながら、ちゃんとした戦略を持って大戦争を繰り広げる。しかしながら、無駄な人物は1人もいない。それぞれがちゃんと「役目」を持っているからだ。

 

役目と責任

最初に書いたようにこの作品はとても大人向けなビターな味わいを持っている。

なぜならこの作品で繰り返し描かれるのは「役目」と、多くの人が聞いただけで胃がキュッとなり世界で何番目かに嫌いな「責任」というものをテーマにしているからだ。これは大人といわれる年齢に近い人であればあるほど痛感しているものだと思う。ゆえに大人向け。

なぜそんな印象を持ったかというと、それは本作では敵も味方も多くの人物はなぜか有事になると自分の「役目」を積極的に宣言する。以下はその例となるいくつかのシーン。

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戦闘能力の低い隊員でもちゃんと「役目」を言い渡される。

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主人公2人の会話。このメガネはとても戦闘力が低いが自分の「役目」を鋭く洞察することができる。

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役目は敵に対するありがちな「勝利」ではない。この3人も劇中屈指の強さだがこういう「役目」を担うこともある。

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役目をはっきり宣言する。

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この角が生えた人は敵の指揮官だが彼もちゃんと「役目」を宣言する。

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本作の戦闘におけるスタンスを最もよく言い得ている場面。

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この女の子も敵ですが、ちゃんと宣言してます。

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務めと言い換えていますが、先輩隊員がやはり隊長という「役目」を深みのある言葉でうまく言い渡している名シーン。

 

役目は自動的に責任を召喚する。

「役目」を与えられた人間は、自動的にもうひとつ「責任」という苦しみを背負わざるを得ない。つまり「役目」は「責任」分かち難く結びついており、そして「役目」を果たせなかった人は、その「責任」に押しつぶされてしまうこともある。

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主人公の1人メガネくんは、哀れなことに、最も「役目」を果たせないし「責任」に苦しめられるキャラ。

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もう1人の女の子主人公も、責任に苦しめられる。ちょっと「役目」とは違うので後述します。

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作中で真っ向から「責任」を語るシーン。メガネ君にこれを言わせるあたりやっぱりすごい。

 

責任を呼び出すもう一つの要素。

「役目」と「責任」がとても近いものであるのはなんとなく分かってもらえると思うが、責任を召喚してしまうもうひとつの存在は「才能」である。かっこいい言い方でいうとノブレスオブリージュというやつで、持てる者はそれを広く役立てる義務を負うというやつだ。

本作の非凡な作者はやはりそれを分かっていて、巧みに「才能」を物語に配置してみせる。その代表的な要素が作中で「サイドエフェクト」と呼ばれる一部の登場人物が持つ超能力である。この能力も多彩で、未来予知ができる反則級のものから、音が人よりよく聞こえるだけといったものまで多種多様である。

先に挙げたページにある千佳は莫大なトリオンを持つという「才能」のせいで兄をネイバーに拉致され、やはりその「責任」に苛まれているし、未来予知の「才能」を持つ迅も、飄々とした外見とは裏腹に重過ぎる「責任」を負っている感じをさりげない描写から強く受ける。*1

 

責任は新たな役目を生んでいく。

この二つの要素は卵と鶏みたいなものだ。

役目は責任を生み、それが果たされたか否かに関わらず、また新たな「役目」を生み出す。そしてもしかしたらいずれは「才能」という呼べるものさえ呼び出すかもしれない。

一般的に少年漫画はどちらかというと、責任というより「願望」でドライブする。例えばライバルに勝ちたい、好きな女の子を守りたい、苦しんでいる人を助けたいなど。「願望」は「夢」と言い換えてもいい。責任という重苦しいものに対して、夢はとてもドラマティックできれいだが、ともすると軽薄で頼りないものになってしまうこともある。

「役目」と「責任」そして「才能」、この繰り返されるループが『ワールドトリガー』という物語をとても力強く動かしている。

 

 

*1:多分多くの人が思うように彼はおそらくどこかで物語から退場してしまうだろう。こんな責任を負える人物はいない。

『魔法騎士レイアース』すべての境界は消えていく。とりあえず男子の少女漫画に対する何かは消えた。★★★★

魔法騎士レイアース』全3巻『魔法騎士レイアース2』全3巻 作者CLAMP 掲載誌なかよし1993〜96年

 

CLAMP について

彼女たちほど日本があまり見せたくないサブカルチャーに影響を与えた存在はいないかもしれない。これは例えばロリータファッション、ペドフィリアLGBTをネタにすることなどを指す。しかしながら、CLAMPの人気と実力を否定する人もいないだろう。

改めて紹介すると、いがらし寒月大川七瀬猫井椿、もこなからなる創作集団。代表作に『カードキャプターさくら』『ちょびっツ』『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『×××HOLiC』などがあり、同人活動から活動をスタート、月刊誌ウィングスで掲載された『聖伝-RG VEDA-』で1989年に商業誌デビュー、本作『レイアース』などでヒットを重ね、現在はヤングマガジン、マガジンなどで連載を続ける。

最近で一番話題となったのはカードキャプターさくら』の再始動だが、キャリアの中ではむしろ少女漫画での活動の方が珍しいと言える。

 

みんな隠れて見ていたアニメ『レイアース』と『C.C.さくら』の思い出

僕の世代だとアニメでこの2作を見てCLAMPを知ったというのがほとんどだと思う。

この時僕は小学生だったので、本作『レイアース』の話の筋など理解もせずに、とりあえず剣とか魔神(巨大ロボ)をかっこいいなーと思っていただけだった。そして、おぼろげにこういうジャンルなのになんでおねえちゃん(小学生目線なので)が主役なんやろっとも思っていた、鼻をたらしながら。

今見てもちょっとかっこええやんけ

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そして、鼻をたらしながら見てた割に、「とまーらーない・・・」と流れればとりあえず全部歌えることに、驚愕したのはつい最近。

一方、もう少しあとになって放送された『C.C.さくら』はNHKで堂々と放送されており、姉と一緒になって、表面上やれやれしょうがないなという体を装いつつ、夕食の箸が完全停止するほど熱中して見ていたことを思い出す。これと同時に牛乳をこぼして怒られたことも思い出す。そんなに怒ることないじゃん・・・と当時の少年の心情。

これは僕に限ったことでなく、クロウカードで発動する多数の能力や雪兎さんの変身など男子がときめく要素が多く、あと単純にさくらちゃんがかわいかっただけという説もあるが(僕は知世ちゃん派)、当時の少年は誰も口にはださなかったが隠れて確実に見ていたと断言できる。完全に見た目はフリフリの衣装が目立つ少女漫画的なものだったにもかかわらずだ。

というわけで、ある世代の男女関係なく深層心理にぶっすりと入り込んでいるCLAMPは、しかしながら、ご存知の通りに平穏な作家ではない。

レイアース』あらすじ

本題『レイアース』は漫画だと、途中で『レイアース2』と改名されているものの、実質全6巻となっている。読み返すには最適なボリュームだし、無駄がない構成で大変助かる。これをおそらく少年漫画誌でやったら、30巻くらいにされてしまうことだろう。

余談だが、少女漫画において巻数が少ないことはおそらく、女の子の趣味が年齢によって急激に変化するからだと考えられる。漫画を読んでいた少女はあっという間にファッション誌を読む女性に変わっていき、瞬く間に読者層は入れ替わる。そんな中で何十年も同じ作品を連載することは無意味だ。新規の読者に合わせて、新連載をどんどんスタートさせていくことが肝要になるといえるだろう。

そして、こう考えると男子は何十年も変化なく同じものを読んでいるということで、その内容とは裏腹に、冒険のない奴らということがわかる。

話を戻して『レイアース』は、いわゆる今流行りの異世界召喚系作品といえるだろう。特に知り合いでもない3人の女子中学生獅堂光、龍咲海、鳳凰寺風は東京タワーでの偶然の邂逅の瞬間に、RPG的ファンタジーワールド「セフィーロ」へと召喚される。

 主人公3人。初登場時は初対面だったことを初めて知る。

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剣と魔法のファンタジーはこの作品のベース

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そして3人はほどなくして出会う導師クレフから、自分たちがもとの世界に帰るために、この世界で果たすべき使命があることを告げられる。それは伝説の「マジックナイト」として、神官ザガートに囚われたエメロード姫を解放し、この世界を救うことだった。

電子書籍で見ると見開きがすごく見やすい。そしてCLAMPのデザインセンスはやっぱりすごい。

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境界が消えていくということ。

CLAMPの作品を全部読んだわけではないので、完全に憶測と言わざるを得ないのだけども、本作や『C.C.さくら』によって少女漫画的なアニメに男子が参入してしまったように彼女たちのテーマは「境界を消す」と言えるかもしれない。

少しだけになるが思いついた具体的な例をあげていきたい。

恋愛における境界のなさ

もともとBL的な同人活動ではじまっていることから、恋愛関係の自由さはかなり大胆と言える。本作で言えば2の方で登場するランティス・ イーグルのホモセクシャルな関係を挙げることができるが、この傾向はむしろ「C.C.さくら」で顕著だろう。

さくらの兄桃矢と雪兎に見られるゲイ的な関係、さくらの小学校で担任の先生と付き合っている利佳(アニメ版だとあこがれているというソフトな感じに改変)とこれまた小学生エリオルくんと付き合っている教師観月歌帆におけるペドフィリア、知世ちゃんがさくらに寄せる熱烈な応援にみるレズ的な関係など、かなり幅広くそして大胆に恋愛関係における壁がない。

二重人格的なキャラ

CLAMP作品において、二重人格的なキャラが多いこともこの「境界のなさ」を象徴している。本作においては、一見冷酷な神官ザガートは実は姫を愛する優しい人物だったし、エメロード姫は世界の平安を自分を犠牲にしてまで願う少女であったが、ある葛藤によりその性格は反転してしまう。

『C.C.さくら』においては、優しすぎる雪兎さんは冷酷なユエに、かわいいケロちゃんは強面なケルベロスに変身する。

少ない例だがこのような性質を持ったキャラが多いことは、人格の境界がないとも言い換えることができる。

様々な次元における異世界との境界のなさ

作品の中で、そして作品間で、さらにはメタフィクション的な意味で異世界との交流はやすやすと行われる。そういった意味でCLAMPにとって異世界との壁はそうとうに薄い。

レイアース』の場合、まずは現実世界とファンタジーワールド「セフィーロ」との壁は物語最終部ではなくなってしまう。そして、第2部になると「セフィーロ」以外のいわゆる「他国」が登場し「セフィーロ」に侵攻してくるのだが、この他国との境界は最終的になくなる。つまりは平和な世界が訪れるのである。

また、作品間で世界観がリンクしているものもある。いわゆるクロスオーバーと言えるが『ツバサ』では桜と小狼が登場、さらに別雑誌で連載される×××HOLiC』と世界がつながっている。ここでも異世界との境界がなくなっているのである。

そして、特筆すべきはモコナであろう。

このキャラクターは作者の1人の名を冠し様々な作品に登場するだけでなく、本作でも作品における作者を象徴する大きな役割を担っている。*1このキャラクターはいわば、作者が作品に参入することで、我々の世界と作品との境界を壊していると言える。

以上のことからあらゆるレベルでCLAMPは異世界との境界を消去していっていると考えることができるだろう。

 

境界の消去と同人活動

とはいえ、もともと同人活動からスタートした彼女たちにとってこのことは至極当然なことなのかもしれない。様々なキャラをコラボレーションさせることは、同人というジャンルでは当たり前のことだろうし、そもそも二次創作とは自分が作品に参入していこうという、ある意味では作品と自分を隔てる壁を取り払っていく作業とも言える。

自分が好きな作品を自分で描くことは、それ自体自分を作品世界に入れ込んでいこうとすることだ。これは自分をモデルとしたキャラを登場させるという直接的なものでなくとも、自分の想像力や技術を使いなんらかの形で作品に自分を反映させたいという欲望の表れと言えるかもしれない。そしてそれは、言うなればそれは作品と自分たちの住む世界との境界を消去する活動なのである。

そう考えれば、同人活動からスタートしたCLAMPはこのような「境界」を消し去るという欲望をとてもうまく昇華させていると言えるし、ともすれば、モコナというキャラは作者自身と自ら創作した世界との壁を取り払ってしまいたいという、もっと原初的な欲望から生まれた存在なのかもしれない。そういった意味でやはりCLAMPはすごい作家たちなのである。

かっこいいぞCLAMP

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魔法騎士レイアース(1) (なかよしコミックス)

魔法騎士レイアース(1) (なかよしコミックス)

 

 

*1:ネタバレになるので遠回しな表現になっております。

『GUN DRAGON Σ』後にも先にもこれだけ。実写&フルCGコミック!★★

『GUN DRAGON Σ』完結1巻 寺沢武一 掲載誌なし 1998年

 

COBRA』でお馴染み寺沢武一の奇妙な試み

寺沢武一といえばなんと言ってもジャンプで掲載されていた『COBRA』の漫画家。

映画『ブレードランナー』など80年代らへんのサイバーパンクを意識した画風で、独特の世界観を構築、好きな人はすっごいはまってしまうという奇才。

 極度のハイレグによるケツが彼の代名詞

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そして本作『GUN DRAGON Σ』はなんと全編実写&フルCGで作られた漫画であるが、こんな作品は後にも先にもこれだけだろう。きっとこれを継承する人はおるまい。

最早あらすじなどはいらない。そんなことは関係ないくらいぶっ飛んだ漫画なのだから。 

 

巻末の制作風景 コスプレ撮影会にも見える制作風景の簡素な雰囲気

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上のような制作環境から果たしてどんなものが生まれるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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M字開脚だぁ!!インリンだああ!!!

 

 

ケツも夢の実写化!!

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やっぱり、ちょっと無理があったか。思いっきり雑コラ。

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寺沢武一独特の台詞回しも健在。こういうところはクール。

 

CGキャラクターとの会話。なぜか天才テレビくんを思い出す。

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とはいえ、寺沢武一のセンスはやはり卓越しているので、当時の発展途上なCGでもこんな世界観が。これを動かしたらものすごく気持ち悪い、イイ感じの映像ができそう。

 

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実は第二弾がある・・・。

この作品には直接の続編でありませんが、世界観が同一の第二弾があります。

その名も『GUN DRAGON Ⅱ』ですが、インリンもう出ません。ですが、実写人物も複数人になり、なんとお◯ぱいも出ます!!ちなみに、6年後に制作された作品ですが、技術にほとんど変わりはありません!

説明を拒むかのようなこのビジュアル。気を付けて!

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合成は本当に難しい。

書いている僕は映像業界出身なんですけども、完全にバーチャルな空間と人物との合成は本当に難しい。光の状況やカメラの位置を入念に背景のCGとすり合わせないと本作のようにおかしなヴィジュアルになってしまいます。もう少し具体的にいうなら、もともと存在しない空間にどのように光が入るのか、時には写っていない建物の構造まで考えないとだめということです。

さらに辛辣な言い方をすると、最初の制作環境のようなものでは全くだめです。想定している空間に対して狭すぎるし、照明の数が少なすぎて自然な光の当たり方を再現できないでしょう。現実の空間は床や壁から反射する光など、実は様々な光が複雑に干渉しています。映像の現場ではそれを再現するために、周りの状況を細かく記録し、齟齬がないようにカメラや照明の設定を調整しています。

とはいえ、映画やCMでもそれだけやっても、多くの人が感じるようにやはり不自然なものができあがってしまう。それくらい合成というのは難しいものです。まぁハリウッドはTVドラマでも普通にやってしまいますが!

 

それでも読んでみる価値はきっとある。

すっごいバカにしてますけど、それでも絶対に読む価値のある作品。

なぜなら、こんな作品は他にないので!!

 

 

GUN DRAGON Σ

GUN DRAGON Σ

 

 

 

GUN DRAGON II

GUN DRAGON II