自治立法立案の技法私論~自治体法制執務雑感Ver.2

例規審査事務経験のある地方公務員のブログ。https://twitter.com/hotiak1

「経過した日」の用い方~令和6年法律第8号による改正から

 

所得税法等の一部を改正する法律(令和6年法律第8号)

 (相続税法の一部改正)

第3条 相続税法(昭和25年法律第73号)の一部を次のように改正する。

   (略)

 第12条第2項中「その」を「当該」に、「において、なお」を「までに」に、「を当該」を「をその」に、「供していない場合においては」を「供しない場合又は供しなくなつた場合には、同項の規定にかかわらず」に、「課税価格」を「相続税の課税価格」に改める。

 この改正における相続税法(以下「法」という。)第12条第2項に係る新旧対照表は、次のとおりである。

改正後 改正前
前項第3号に掲げる財産を取得した者が当該財産を取得した日から2年を経過した日までに当該財産をその公益を目的とする事業の用に供しない場合又は供しなくなつた場合には、同項の規定にかかわらず、当該財産の価額は、相続税の課税価格に算入する。 前項第3号に掲げる財産を取得した者がその財産を取得した日から2年を経過した日において、なお当該財産を当該公益を目的とする事業の用に供していない場合においては、当該財産の価額は、課税価格に算入する。

 法第12条第2項が引用している法第12条第1項は、「次に掲げる財産の価額は、相続税の課税価格に算入しない」とし、同項第3号の規定は、次のとおりである。

宗教、慈善、学術その他公益を目的とする事業を行う者で政令で定めるものが相続又は遺贈により取得した財産で当該公益を目的とする事業の用に供することが確実なもの*1

 これらの規定によると、公益事業の用に供することが確実な財産は、相続税の非課税財産としているが、改正前は、それを取得した日から2年を経過した日において、なお当該事業の用に供していない場合には、当該財産は課税することとしていた。そして、この改正により、一旦公益事業の用に供したとしても、2年を経過するまでに供しなくなった場合にも課税することとしたのだろう。そのため、「経過した日において、なお」を「経過した日までに」としている。

 例えば、財産を取得した日が、令和6年4月1日だった場合、2年経過するのは、初日を算入せずに計算すると、令和8年4月1日の24時となるため、改正前の「……経過した日において、なお……供していない場合」という表現であれば、同月2日に公益事業の用に供していない場合には、課税されることになるのは明らかである。これを「経過した日までに……供しない場合*2」とすると、白石忠志『法律文書読本』(P160)によると、「〇〇日を経過する日」は、〇〇日目の日そのものであり、「〇〇日を経過した日」は、〇〇日目の日の翌日であるため、この改正によって、同月2日中に公益事業の用に供した場合には、非課税財産としてよいと考えるべきか一応疑問が生じる。しかし、実際には、この取扱いを変える意図はないだろうし、基準時点で考えれば、令和8年4月1日の24時であるため、例えば同月2日の午前8時に公益事業の用に供したとしても、課税すると解すべきではないかと思う。

 こうした疑問は、「経過した日までに」という表現にあるように思う。一定の期間の前後を捉えるための表現として「経過する日」と「経過した日」を使い分ける場合には、私は、ある期間の満了時点を過ぎるか過ぎないかに着目し、満了時点以降を指したい場合は「経過した日」、それ以前を指したい場合は「経過する日」とするのが語感からしても適切だろうと考えている(拙著『基礎から分かる!自治体の例規審査』P224参照)。したがって、「経過した日において、なお」の部分の改正は「経過した日までに」と改めるのではなく、「経過するまでに」とすべきだっただろう*3

 

 余談だが、この改正では、「当該公益」の「当該」を「その」に改正している。

 「公益」自体には特別の意味がないので、あえて「当該」を記載する必要はないと思うが、法第12条第1項第3号が、「……その他の公益」ではなく、「……その他公益」となっており、同号において、それを受けて「当該公益」としているため、「当該公益」としていたのではないかと思う。ただ「当該」であれば、「まさにその」といった意味があるので、あまり違和感はないが、これを「その」にしてしまうと、よく分からない文章になってしまう。

 この「当該」は「その」にしない方がよかったと思うのだが、「当該」が頻出するのが嫌ならば、「……までにその財産を当該公益……」というように、直前の「当該財産」の「当該」を「その」にした方がよかったのではないかと思う。

*1:なお、令和6年法律第8号第3条は、「確実なもの」の次に「(次号に掲げるものを除く。)」を加える改正を行っている。

*2:「……までに……供しない場合」という表現にも違和感がある。「……供しなかった場合」とするのが適当ではないかと思う。

*3:改正後の法第12条第2項のような用い方をしている法律の規定例は、他にもあることはあるが、少数である。

略称を置く位置

 法文に置かれる略称は、略称の対象となる言葉が初出する場所に置かれるのが通常であるが、初出する場所には置かない方がいいと思われる場合もある。

 次の規定は、「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律(平成28年法律第12号)」第3条第2項の規定である。

国は、戦没者の遺骨収集の推進に関する施策を講ずるに当たっては、平成28年度から平成36年度までの間(第5条第1項において「集中実施期間」という。)を、戦没者の遺骨収集の推進に関する施策を集中的に実施する期間とし、戦没者の遺骨収集を計画的かつ効果的に推進するよう必要な措置を講ずるものとする。

 上記の規定は、「平成28年度から平成36年度までの間」という文言について「集中実施期間」という略称を置いているが、これは、当該規定でこの期間を「……を集中的に実施する期間とし」ているためこうした略称にしているのだろう。しかし、そうであるならば当該規定で略称を置くのではなく、次に出てくる規定のところで「第3条第2項に規定する期間(以下「集中実施期間」という。)」という形で置いた方がスッと読むことができる*1

 ただし、この法律では、「集中実施期間」という用語は、第5条第1項の1か所でしか使っていないので、あえて略称を置く必要はない。どうしてもこの用語を法律に書きたいのであれば、第3条第3項として、「前項に規定する期間は、「集中実施期間」という。」というような規定を置くより仕方ないかと思う。

*1:附則で置かれる「施行日」という略称は、施行期日の規定で置くよりも、その後引用する必要がある規定のところで置く方が一般的なのも、そうした意図なのではないかと思う。

省令レベルにおける新旧対照表方式~原子力規制委員会規則

 原子力規制委員会規則は、新旧対照表方式による改正方法として、次のような改正文を置き、新旧対照表は別表として置く方式を採っていた(2019年6月8日付け記事「省令レベルにおける新旧対照表方式の整理(下)」参照)。

液化石油ガスの保安の確保及び取引の適正化に関する法律施行規則の一部を改正する規則(平成29年経済産業省令第33号)

 (改正の対象となる規則の一部改正)

第1条 液化石油ガスの保安の確保及び取引の適正化に関する法律施行規則(平成9年通商産業省令第11号)の一部を、別表により改正する。

第2条 前条に定める表中の傍線及び二重傍線の意義は、次の各号に掲げるとおりとする。

 (1) 改正前欄に掲げる規定の傍線を付した部分をこれに順次対応する改正後欄に掲げる規定の傍線を付した部分のように改めること。

 (2) 条項番号その他の標記部分に二重傍線を付した規定(以下「対象規定」という。)を改正前欄に掲げている場合であって、これに対応するものを改正後欄に掲げていないときは、当該対象規定を削り、対象規定を改正後欄に掲げている場合であって、これに対応するものを改正前欄に掲げていないときは、当該対象規定を加えること。

 しかし、3月7日に公布された令和6年原子力規制委員会規則第1号は、21条建てで21本の規則を改正しているが、他の省庁と同様、各条に改正文と新旧対照表を置く形を採っている。

 原子力規制委員会が改正方式を改めたのであれば、新旧対照表を別表として置く方式を採る省庁はなくなることになるが、令和6年原子力規制委員会規則第1号は、他の省庁に類例がない方式としている。

 新旧対照表の前に置く改正文は、改正内容に応じて表現を異にするのが通常だが、令和6年原子力規制委員会規則第1号では、改正内容にかかわらず、21条全てで次のような改正文となっている。

 次の表により、改正前欄に掲げる規定の傍線を付し又は破線で囲んだ部分をこれに順次対応する改正後欄に掲げる規定の傍線を付し又は破線で囲んだ部分のように改め、改正前欄及び改正後欄に対応して掲げるその標記部分に二重傍線を付した規定(以下この条において「対象規定」という。)は、その標記部分が同一のものは当該対象規定を改正後欄に掲げるもののように改め、その標記部分が異なるものは改正前欄に掲げる対象規定を改正後欄に掲げる対象規定として移動し、改正前欄に掲げる対象規定で改正後欄にこれに対応するものを掲げていないものは、これを削り、改正後欄に掲げる対象規定で改正前欄にこれに対応するものを掲げていないものは、これを加える。

 これは、改正内容に応じて改正文を変える煩わしさを避けたのであろうが、余事記載が気になるところである*1。むしろ、新旧対照表方式を採る場合の改正文を定める通則規則を定めた上で、個別の改正規則においては詳細な改正文を置かない、厚生労働省のような方式とすることを志向した方が合理的ではないかと感じる。

*1:もちろん、新旧対照表方式において余事記載云々と言ってみても仕方がないという意見もあるだろう。

人権尊重のまちづくり条例案(下)

4 おわりに

 世間の風潮として、新しいこと、変わったことをするとそれだけで賞賛するようなところがある。例えば、「津久井やまゆり園事件」をヘイトクライムと明記しなかったことについては、そのように書こうが書くまいが条例でやろうとすることに何ら変わりはないのに、それだけで後退したと言われる。

 また、人権委員会に事務局を置くこととしないことについて、前回触れた弁護士ドットコムニュース2023年12月22日配信記事「津久井やまゆり園事件が起きた相模原市、骨抜き「人権条例案」に批判の声」には、ある学者の意見として次のように記載されている。

 地方自治法上、人権委員会は行政の付属機関にあたるので独立性を全面に出すことはできないのは事実です。しかし、委員会は調査や調整を踏まえた意見を提出することができるという条項を条例に盛り込み、市民が人権を侵害され差別される事案が起きる、もしくは起きるかもしれない可能性が濃厚な場合には、市長の諮問がなくても市長に提言できることとするなどの工夫は可能です。また付属機関であったとしても、独自の事務局を置いている川崎市の人権オンブズパーソンのように、独立性を保って活動することはできます

 上記の意見では、川崎市の人権オンブズパーソンのように独自の事務局を置くことができるとはっきり言っているわけではないが、それを肯定しているのだろう*1。しかし、人権オンブズパーソンには、それ単独の事務局を置いているわけではなく、市民オンブズマンの事務局が兼ねている*2。市民オンブズマンは、市政を監視する職責を負っているので*3、執行機関との独立性にこだわり、独自の事務局を置くことは理解できるところ、人権オンブズパーソンについては、市民オンブズマンの事務局があるから、それぞれの業務の親和性を考慮して、そこで事務を扱わせることとしたと思われ、仮に市民オンブズマン制度がなかったのであれば独自の事務局を置いたかどうかは分からない。さらに、そもそも答申の内容を見る限り、人権委員会は首長の諮問機関としての性格が強い感じがするので、独立性を強調する意味がどれほどあるのか疑問である。

 また、審議会の委員等の意見を聞いていると、特定の用語を用いることにこだわり、文脈などはどうでもいいと考える人が一定数いる。そして、これも条例の内容には何ら関係がないのに、その用語を変えただけで後退したと言われてしまう。

 いずれにしろ、答申には執行部としてどうしても了解できないと考えられる事項はあるものの、条例案骨子は、全体的には、答申を無視したとはとても言えない内容のように感じる。

 では、なぜこうした状況になってしまうのか。自身の体験を踏まえて感じることは、結局のところ、原課が審議会の委員等とうまくコミュニケーションがとれていなかったということに尽きるような気がする。人権委員会に事務局を置くことは違法ではないかといったことについては、特に学者などは、きちんと説明をすれば理解してもらえる類の話である。逆に、用語に対するこだわりであれば、まずはそれを使うよう努力することが大切だろう。

 そして、こうしたやり取りは、審議会が答申を出す前に行うべきである。意見を言った者からすると、条例案を作成する段階で採り入れられなければ、面白くはないだろう。また、これは原課の役割ではあるが、法規担当としても、早めに関与した方が、後々の審査をスムーズに行うことができることにつながる。

*1:人権オンブズパーソンのようなものに事務局を置くことは違法でないとする理屈は、それはあくまでも個人であって、組織ではないと言うのだろうか。

*2:川崎市人権オンブズパーソン条例第25条第1項

*3:川崎市市民オンブズマン条例第1条参照

人権尊重のまちづくり条例案(中)

3 「人権委員会」の権限等を後退させたことについて

 答申では、附属機関として人権委員会を設置することとしているが、条例案骨子では、その権限等を後退させていると批判されている(弁護士ドットコムニュース2023年12月22日配信記事「津久井やまゆり園事件が起きた相模原市、骨抜き「人権条例案」に批判の声」参照)。

 

 (1) 人権委員会の権限について

 答申では、人権委員会の職務*1を次のようなものとしている。

① 不当な差別的取扱いを受けている人の申出等(第三者による申出及び職権を含む。)を契機として、救済を行うこと。

② 不当な差別的取扱い及び不当な差別的言動の解消のため、必要な調査及び審議等を行うこと。

③ 不当な差別のない人権尊重のまちづくりの推進に関する重要事項について、市長の諮問に応じて調査審議し、その結果を答申すること。

 このうち、附属機関であることから問題となる可能性のある職務は①になるだろう。これについて人権委員会がどのような役割を果たすのかについて、答申では次のように記載している*2

① 救済

 不当な差別的取扱いを受けている人の申出等(第三者による申出及び職権を含む。)を契機として、関係者等への調査や調整、加害者への説示等を行うこと。

② 声明

 ア 市民からの情報提供に対して遅滞なく市長に通知すること。

 イ 深刻で不当な差別事案について市長が声明を発出する際、市長の諮問に応じて調査審議し、その結果を答申すること。

 ウ 市長に声明を発出するよう意見を建議すること。

 エ 必要に応じて、情報提供者が意見を述べる機会を設けること。

③ 公の施設の利用制限

 ア 市民からの情報提供に対して遅滞なく市長に通知すること。

 イ 不当な差別的言動が行われることが見込まれる場合に市長が公の施設の利用制限を行う際、市長の諮問に応じて調査審議し、その結果を答申すること。

 ウ 必要に応じて、情報提供者が意見を述べる機会を設けること。

④ 拡散防止措置

 ア 市民からの情報提供に対して遅滞なく市長に通知すること。

 イ 不当な差別的言動に関する表現活動について、市長が必要な拡散防止措置を講ずる際、市長の諮問に応じて調査審議し、その結果を答申すること。

 ウ 必要に応じて、その不当な差別的言動に関する表現活動を行った者及び情報提供者が意見を述べる機会を設けること。

⑤ 不当な差別的言動の禁止

 ア 市民からの情報提供に対して遅滞なく市長に通知すること。

 イ 市長が、不当な差別的言動を禁止することについての勧告、命令、公表及び罰則を適用する際には、市長の諮問に応じて各々の手続において調査審議し、その結果を答申すること。

 ウ 必要に応じて、その不当な差別的言動に関する表現活動を行った者及び情報提供者が意見を述べる機会を設けること。

 これを見ると、諮問機関として行うこととする職務がほとんどであり、それらの職務を附属機関が行うこととしても問題が生じないことは明らかである。

 少し気になるのは、①の加害者へ説示を行うこととしていることである。附属機関は、自ら自治体の意思を決定・表示することはできないと考えるのであれば、説示は行うことはできないことになる。しかし、必ずしもそうした附属機関を設置することを否定しないのであれば、附属機関は、あくまでも「調停、審査、諮問又は調査のための機関」であることから(地方自治法第138条の4第3項)、「説示」を「調停」ということができれば、その権限とすることは一応は可能と考えてよいことになる*3

 

 (2) 人権委員会に事務局を置くことについて

 答申では、人権委員会に独自の事務局を置くこととしている。

 しかし、地方自治法第202条の3第3項*4の規定からすると、事務局を置くことは不適切ということになる。

*1:答申では「権能」としている。

*2:答申では「人権委員会がとる手続」として記載している。

*3:自ら自治体の意思を決定・表示する附属機関の設置の可否については、拙著『基礎から分かる!自治体の例規審査』P121~参照

*4:地方自治法第202条の3第3項は、「附属機関の庶務は、法律又はこれに基く政令に特別の定があるものを除く外、その属する執行機関において掌るものとする。」という規定である。

人権尊重のまちづくり条例案(上)

 相模原市において制定が検討されている「人権尊重のまちづくり条例案」(以下このシリーズで「条例案」又は「条例」という。)について、その骨子が、市人権施策審議会の答申から大きく後退したとして批判されている。その主な内容は報道等によると、①「津久井やまゆり園事件」をヘイトクライムと明記しなかったこと、②罰則を削除したこと、③「人権委員会」の権限等を後退させたことの3点になると思われる。

 そこで、審議会の答申(以下このシリーズで単に「答申」という。)の内容から上記の点について感じることを記してみたい。

 

1 「津久井やまゆり園事件」をヘイトクライムと明記しなかったことについて

 答申では、条例の前文に次のように記載することを求めている。

 平成28年(2016年)に神奈川県立津久井やまゆり園で多くの尊い命が奪われるという、大変痛ましい許しがたい事件が起き、この事件は、障害者に対する不当な差別的思考に基づくヘイトクライムであり、決して容認することはできないものであり、この事件が起きた本市としては、改めてあらゆる人の生命と尊厳が守られ、安全で安心して暮らせる共生社会の実現に向けた取組が求められること。

 ヘイトクライムとは、『ウィキペディアWikipedia)』では、「人種、民族、宗教、などに係る、特定の属性を持つ個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる、嫌がらせ、脅迫、暴行等の犯罪行為を指す」とされている。

 条例案は、何人も不当な差別的取扱いを禁止するものであり、ヘイトクライムに特化したものではない。したがって、前文で津久井やまゆり園事件がヘイトクライムであったことを明記したとしても、それだけでは条例案の本則に何か意味があるというものではなく、逆に津久井やまゆり園事件がヘイトクライムであったとすることは必ずしも確定した見解ではないようであることからしても、それを明記しなかったことは、いたって普通の対応であるように感じる。

 しかし、例えば人権に関する専門家であれば、津久井やまゆり園事件がヘイトクライムであったことは譲れないと考えることも理解できるところであり、そうした見解の相違はありがちであり、悩ましいところである。

 

2 罰則を削除したことについて

 答申では、不当な差別的言動を禁止し、人種、民族、国籍、障害、性的指向性自認、出身を理由とする不当な差別的言動について公表するとともに、そのうち、著しい差別的言動及び悪質な犯罪扇動については、秩序罰又は行政刑罰を科すこととしている。

 答申の別図を見ると、罰則を科すに当たって、勧告及び命令を前置しているようなので、罰則を科すことは有りのような感じもするが、特に法規担当からすると躊躇するところではあるだろう。

相談事項への対応

 Xを見ていると、多くの法規担当の皆様が原課等からの相談対応に苦慮されていることがうかがえます。

 私自身は、それほど多くの相談を受けたという感覚はないのですが、担当だった頃は世間的には改革派と言われていた首長だった時期であり、「首長にこう言われているけど、大丈夫だろうか」といった相談を受けることが度々ありました。

 そのときに行っていたのは、ダメ出しをするときは、上司と相談することはもちろんですが、その理由を必ず紙に書いて相手に渡すようにしていました。これは、多分に自己保身的な意味もあるのですが、誤解を生まない最良の方法だと思っています。結果として、その結論に対して何か文句を言われるようなことはなかったと思います。

 なお、当時は、組織全体の雰囲気のようなものを考慮して、できるだけ「〇」にする方向で理屈を考えていたことも事実です。したがって、中にはダメだと言って欲しくて相談に来る職員もいたのですが(むしろその方が多かったかもしれません)、「いいと言われるとは思わなかった」と言ってがっかりして帰っていく人もいました。

 個人的には、首長は変わったことをやりたいのか、また、物事を安全に進めたいのか、そのときの状況に応じて、法規としての判断もそれに寄り添ったものとすることは必要なことだと思っています。しかし、ベースとなる考え方は一貫しているべきで、人によって対応を変えるといった態度は信用を無くすことになり、得なことは何もないでしょう。