パンだ

ゆるくまったりと好きなことを好きなように

競馬学校の施設見学会に参加した

記事タイトルそのまんまである。2024年3月、応援していた武士沢友治騎手が騎手を引退し、JRA競馬学校の教官に着任すると知ったとき、競馬学校がどういった場所なのか見学できる機会があればいつか訪れてみたいと思っていた。2024年度の見学会日程を見てみると、当時の直近では3月23日に実施されるという。申し込みメールを作成し、いざ送信、というところで同行予定の夫からストップがかかった。

「早すぎる。ぶっしーが教官になってから行ったほうがいいんじゃね?」

それもそうだ。
ということで3月23日の見学会は見送り、その次の4月27日に狙いを定めた。募集開始日である3月27日に日付が変わった数分後に送った申し込みメールは無事受理され、4月27日いよいよ私たちは千葉県白井市に向かった――。

 

鎌ヶ谷大仏駅からは行かないほうがいい

過去の自分へ、声を大にして言いたい。白井駅から向かえ。

大仏を撮っている場合ではなかった

 

千葉県白井市競馬学校へのアクセスには何通りかがある。そのうち北総鉄道の白井駅からバスに乗るか、新京成電鉄鎌ヶ谷大仏駅からバスに乗るかで悩んだ末、今回は後者を選んだ。しかし。

待てど暮らせどバスが来ねえ!!

結果、タクシーで向かうことになって5分以上遅刻した。本当に申し訳ありませんでした。タクシーの運転手さんにも、競馬学校の守衛さんにも、鎌ヶ谷大仏駅からバスで競馬学校に向かうのは愚の骨頂(※ここまでの言い方はしていません)だと教わったので、もし今後また競馬学校に行くことがあったら活かしたい。
タクシーの運転手さんによると、鎌ヶ谷大仏駅から競馬学校に向かう路線のバスは本数が減った上、白井車庫行きは時間通りにはほぼ運行されないとのこと(これは路線バス全般に言えることだと思うけれど)(西船橋駅行きはまだいいらしい)。また、バスが来ないからタクシーに変えようとしても現在鎌ヶ谷大仏駅を拠点にするタクシーは1台のみでなかなか捕まらないということ(たしかにバス停で待っている間、本当にタクシーを見かけなかった)、そして運悪く(?)ゴールデンウィーク初日の影響もあってかいつも以上に道路が渋滞して全然進まないことを道中教えてもらった。すべて悪手を選んだということか……。

 

調教スタンドから馬場を見学

競馬学校に着いて、電話で遅れる旨を連絡していた者だと守衛さんに伝えると、合流できる場所まで案内してくださった。ご迷惑をお掛けしました……。そして調教スタンドで馬場を見学しているところから参加。見学会に参加している他の方々は大人もいれば、おそらく入学を視野に入れているであろう親子連れの方々もいらっしゃった。
職員さんの説明を聞きながら、用意されている双眼鏡で馬場を見てみる。騎手課程の方も、厩務員課程の方も馬場で乗っていて、途中で職員さんも馬場に出ていらっしゃった。騎手課程・厩務員課程の皆さんはもとより、職員の方も自己研鑽や馬の運動として馬場に出ますとのこと。馬術競技や馬の買い付け、検疫の話などもあってどれも興味深かった。
途中で後方を男性が通っていったのだけれど、職員の方が「いま通ったのは坂本勝美教官です」と。その後キャップを取って軽く会釈してくださった坂本教官。そこで専任の教官になった元騎手の話になり、「そして今年度からは武士沢友治教官が~」と名前が出てきて高鳴る心臓。ドキッ。

 

覆馬場(室内馬場)に移動

調教スタンドを出て、次は室内馬場に移動。ここで職員さんに写真撮影について訊いたらOKだったので撮り始める。
室内馬場に向かう途中にウォーキングマシンがあって、そこで歩いている馬がこちらを見ているような感じで顔を外に向けていた。
室内馬場の入口から中を覗くと騎手課程の方たちが乗っているところだった。2階のガラス張りの見学席のようなところに行くと、騎手課程の方たちは外に行き、職員の方が乗っている姿を見学できた。
鏡になっている壁面があり、そこで騎乗時の姿勢をチェックするとのこと。馬に乗りながら自分の姿勢を鏡で見るってそんなこと出来るんか……な気持ちになる。

 

厩舎と装蹄所と記念植樹

ウォーキングマシンの間を通って、厩舎へ。

めっちゃテプラ使うな……

ホワイトボードには世話をする馬や騎乗馬が一覧になっているそう

騎手課程の方も、厩務員課程の方も、ハキハキと大きな声でしっかり挨拶してくださって感銘を受ける。職員の方ももちろん。職場で「ぉは……ざ……まーす……」みたいなボソボソとしてド陰鬱な感じの挨拶をしていた自分が恥ずかしくなった。
ぐるっと見学していると、厩務員課程の方が曳いていた馬をこちらに向けて見せてくださることもあり、最後はウメムスビ号と触れ合える時間も設けてくださり、楽しいひとときだった。
装蹄所は作業をしていた方が蹄鉄や釘などを見せながら説明してくださった。実際に持ったり触ったりすることもできて、アルミニウムの蹄鉄の軽さに驚き。これくらい軽くないとあんなに走れないよなあ、と。

安全祈願の神棚とのこと(装蹄所以外にも祀られている)


敷地内を歩いて移動しているとところどころに騎手課程卒業生の記念植樹があるのだけれど、装蹄所の近くで13期生の記念植樹を発見。競馬学校の騎手課程13期生、そう、かの武士沢友治 元騎手がいた期。デショウジョウだった。決めた。デショウジョウの盆栽、始めます。

 

体育館とトレーニングルーム

体育館に足を踏み入れた感想「テレビで見たことある!」そりゃそうよ。腕だけを使って登るあのロープや柔道の畳などを実際に見ることができてちょっと感動。柔道の畳は受け身を取る練習のためだという説明のとき、名前は直接出てこなかったけれどおそらく故・藤岡康太騎手のことであろう話もちらっとあった。
2階のトレーニングルームも見せてもらえて、希望者は練習用木馬にも跨ることができた。自分も跨らせてもらったのだけれど、鐙に左足をかけるという最初の動作から四苦八苦。足が……鐙の高さまで上がらない……! なんとか木馬に跨って、手綱を持ってお尻を上げて背中をまっすぐにして木馬の首を押す、という動作も自分にはハードルが高かった。息を切らしながら木馬から下りる。他の方の木馬体験を見ていたのだけれど、皆さんひらりと跨り、背中もまっすぐに、手綱を持って追う姿勢もちゃんとしっかりしていて、さすがの一言。なんで自分は己から恥を晒しに行ったんだろうね(テレッ

皆さんの前で運動音痴を披露

いろんな種類のトレーニングマシンがあったけれど、騎手課程は筋肉を付ければ体重が増える、けれども馬を御するには筋肉が必要で……という説明もあり、そのバランスを取る難しさと、それを続けている騎手の皆さんの姿勢に改めて感服した次第。

 

メモリアルコーナー

最後の見学場所になったメモリアルコーナー。これまでの騎手課程の卒業生が制作した絵画や立体像、絵馬などが飾っている、あの時々目にするあの場所。ここも他施設と同様に見どころ満載だった。

 

解散

最後に教室に戻り、アンケートを書いたり何だりして見学会終了。入学願書が欲しい方はここで貰えるようだった。自分は職員さんにインターネットに写真を載せても大丈夫かを尋ねた。競馬学校ホームページには約90分の見学時間と書いてあるけれど、2時間ほど見学させてもらえて、どの施設も職員さんの説明や目に入るものが興味深くて充実した時間になった。

慌て過ぎて行きには視界に入らなかった数々

 

競馬学校の施設内見学会に行った後、武士沢友治教官が出演した競馬ブロスの放送があったのだけれど、ここ見たなあ、とか、あそこでこういうことやるのか! とかがあって番組をさらに面白く観られたから、ちょっと得した気分になった。
最後に。

調教スタンドで座った席が競馬ブロスで武士沢教官が座った席と同じ~~~!!!!!!(嬉)

日帰り三戸

去る3月のある日、もっと詳しく言えばこれまでいちばんと言っても過言ではないほど応援していた騎手――武士沢友治騎手が引退した翌週、自分は東北新幹線に揺られて北を目指していた。行く先は青森県。2021年にTwitter(現X)のDMでいただいた某番組に武士沢騎手の名前が書かれた神前幕が映っていたという情報を確かめるためだった。

 

当初の予定はひとり旅だったが、念のため夫に「武士沢騎手が奉納品を見に行くけど一緒に三戸まで行く?」と尋ねたところ、「行く」と答えが返ってきて、「じゃあ1泊しようか」と提案したが「日帰りでいいんじゃん?」と。これにより日帰り三戸ひとり旅から、日帰り三戸ふたり旅になった。出発前夜に分かったことだが、夫は青森県まで行くと認識していなかった。いやいやちゃんと三戸町言うたが?

 

今回は行きも帰りも八戸駅

武士沢騎手が神前幕を奉納したらしいお堂について自分の中ではいただいたDMとその番組からの情報しか持ち合わせておらず、本当は10年に一度の御開帳に合わせて参拝するつもりだった。だが、ふと思い出してインターネットやXでお堂について検索していたら、番組に映っていた堂守の方はお亡くなりになっていて、現在管理されている方はご高齢と書かれているのを見つけた。……次の御開帳はおそらく2030年……、……、……のんびりしている場合じゃねえ! ということでとりあえず行くことにした。

 

とはいえ青森県まで足を伸ばして空振りになる可能性は低くしたい。ので、とりあえずインターネットとXとInstagramで検索……したのだけれどほぼほぼ分からない。何時から何時まで見られるのか、何曜日に開いていて閉まっているのはいつなのか、いきなり訪ねて大丈夫なのか。ほとんどが不明。となると頼みの綱は現地にしかなく、お堂なら文化財だろうから教育委員会か、それか広報もしくは観光関係か……という流れは長くなるので省略する。

 

八戸駅東北新幹線から青い森鉄道に乗り換えて三戸駅で下車。三戸駅に着いたとき、ここに来るのも4回目だ、前回来たのは転職活動で面接だったなあ、としみじみしてしまった。競馬場が無い地域で、繰り返し何回も来たのは三戸町ぐらいしかないはず。

お堂に向かうには少し時間が早かったので、いったん道の駅さんのへに路線バスで向かう。りんごを買って発送したいと思ったのだけれど、レジの方にここから発送するより自分で梱包して郵便局などから送ったほうが料金的に良いと教えてもらい、考え直すことに。

三戸ジョミサイダー&えごままんじゅう

三戸町ホームページにまだ載っていない2月と3月の広報紙も読みたかったけれど見つけられず、時間もまだ少しあったため、図書館に徒歩で移動。図書館で広報紙を読んだり複写をお願いしたりしていると、タクシーの予約時間になったので乗車。

ここでびっくりしたのが運転手さんの「普通のタクシーじゃ登れないから四駆で来た」という発言。色々問い合わせたとき「徒歩? 絶対に無理です!」と言われ、そのときは長時間歩くことになるからだと思っていたのだけれど、だんだんそうじゃないという雰囲気を感じてきた。お堂に向かいながら運転手さんが「なんでこんな時期に来るんだろうって社内で話になったんですよ」と言ったことでそれはほぼ確信に変わり、お堂への一本道に入ったときに現実が見えた。

 

雪と落石と路面凍結と

山道。曲がりくねった山道。まだまだまだまだ残っている雪。路面は未舗装で、日が当たらない場所は路面が凍結。たまにタイヤが滑る音。道路脇にはこれ上から落ちてきましたよねと思われる石。ガードレールが無い部分はすぐそこ崖。

 

道中は、何も分かってなくてこんな時に来てしまって申し訳無いと運転手さんに謝りながら、無事に行って帰ってこれますようにと祈ることしかできなかった。そうこうして20分ぐらい山道を登って目的地に到着すると、管理している方がすでにお堂を開けてくださっていた。

ドキドキしながらお堂に足を踏み入れる。

 

 

あっ、あったーーー!!

 

年月日を見てみると、平成14年9月吉日と書いてある。ということは2002年に奉納したのか。自分はてっきり三戸町に寄付をしたとき(2013年)だと思っていたから、2002年は何のタイミングなのかと少し疑問が湧いた。親御さんと連名だからまあ何かしらがあったのだろう。分かる方がいらっしゃったら教えてください。

 

帰りもハラハラしながら山道を下り、三戸駅で降車。降りた後にタクシーの側面を見るとかなりの泥はねがあって、運転手さんに頭が下がる思いだった。もっと暖かくなって雪が溶けた頃に来るべきだった……。でも早いほうが良いと思ってしまったんだ……。

複写した広報紙を読んだりしていると八戸行きの青い森鉄道が来たので乗車し、八戸駅へ戻る。新幹線の時間まで2時間ほどあってどうしようかと悩んだけれど、八食センター行きのバスがあったからそれに乗り、お寿司を食べることにした。お昼ご飯食べてなかったからラッキー。バスでまた八戸駅へ戻り、日本酒の有料試飲を楽しみ、帰路についた。

 

今回の三戸町での収穫は、やはり神前幕と、あと広報紙。競馬学校入学前の「友治君を励ます会」で花束を受け取っている写真が表紙になっていた広報紙。ありがとう図書館。ありがとう複写サービス。ありがとう三戸町

学ラン似おうてはるよ……

お疲れさま会に本人を呼べないときの代替案

2024年3月10日付けで武士沢友治騎手が引退した。それから少し後、私はフォロワーさんに声を掛けて、私の私による私のための”武士沢騎手お疲れさま会”を開いた(参加してくださったフォロワーさんありがとうございます)(ほぼ私が武士沢騎手について喋りまくってそれを聞いてもらった時間だった気がする)(すみません…)
武士沢騎手お疲れさま会とはいえ、たかだか一介のファンが勝手に開いただけだから、もちろんご本人は不在である。呼べるものなら呼びたかった! でもただ本人不在というだけではあまりにも寂しいではないか。

そこで、だ。

 

出でよ!

アクスタ!!

ということでアクリルスタンドを作ってみた。無許可だから個人的に愛でるだけだが……。しかし今後「武士沢騎手のアクスタ作りたいな」となる方がいるかもしれないから、そのときのために作成手順を以下に残しておく。

 

(1)立ち絵を用意する

今回はマルターズアポジー関屋記念を勝ったときの表彰式で撮っていた写真があったから、それを使用することにした。

 

(2)物を用意するプラバン(ダイソーで購入)、土台になるもの(ダイソーのおゆプラを使用)、透明な両面テープ、アクスタにしたい写真、写真の拡大コピー、熱したプラバンをおさえる重し(弊宅で一番重そうなのはエビ・カニ図鑑だった)、クッキングシートを揃える。ちなみに透明両面テープが税込1,749円と最も高額だった。ワロタ。

 

(3)輪郭どりプラバンは熱したら縮むからそれを考慮してちょっと大きめに輪郭をとる。自分はボールペンで点を打ち、それを鉛筆で辿っていった。点と点を繋いでいって、まるで星座を作っているみたいだ。いつだってあなたは私の一番星。

 

(4)プラバンの加工拡大コピーにプラバンを重ねてマスキングテープで留め、水性ペンで輪郭をなぞっていく。なぞり終わったらハサミで切って、水性ペンの跡をウエットティッシュで拭いて消す。プラバンはオーブントースターで熱するのだけれど、我が家にはオーブンレンジしか持っていない。ググってみたやり方(200℃に予熱して、1分ぐらい熱する)で作れそうだったからその通りにやってみる。ちゃんと縮んで平らになったから冷めるまで重しを乗せておいた。

 

(5)写真の加工
プラバンが冷めるのを待つ間、写真を加工する。無心で切り出す。ただそれだけ。両面テープを貼って、要らない部分を無心で切り出す。ひたすら切るのみ。

 

(6)プラバンに写真を貼る冷めたプラバンに写真を仮乗せして位置を確認。今回プラバンの縮み方が思っていたものと違って、脚の部分がちょっと長くなってしまった。まあ手作りだから大目に見ることにする。貼る心の準備・覚悟ができたら、両面テープの剥離紙をめくって、気泡が入らないように注意しながらプラバンに写真を貼っていく。慎重に貼って、イヤァァァァーッ!!!!!!

 

(7)完成

武士沢ァ! 最後だぞ! まくれーーーッ!!

なんつう声援飛ばしてくれてんだ、と私の目頭は熱くなった。

もちろん悪い意味じゃない。でもいつもの日曜日みたいに、特に泣いてしまうこともなく、ただちょっと寂しいな、と終わるはずだったのに、誰かわからない方の大声でその目論見は消えた。ぎゅうっと胸が締め付けられる。そうだ、最後、なのだ。

迫って5番キーチズカンパニー武士沢友治は後ろから4頭目、と実況が流れたように、武士沢友治騎手の騎手生活最後のレースは後方からの競馬になった。らしいと言えばらしいレースだと思いながら、それでも一縷の望みをかけて行く末を見守っていた。スタンドのあちこちから武士沢騎手への声援が飛び交うなか、私の涙腺を刺激した声があった。「武士沢ァ! 最後だぞ! まくれーーーッ!!」声の主はわからず、きっとその方も反射で出てきたのだと思うけれど、こんなにも気持ちを揺さぶる声があっただろうか。文字にしたら乱暴かもしれないが、あの場でこの声が聞こえた人には胸を打つものが込められていたと思う。

 

武士沢騎手が先週水曜日に引退を公表し、翌日の木曜16時には出馬表が掲載されてラストウィークの乗鞍がわかり、土曜・日曜と無事に全鞍ゴールまで到達して、日曜日の最終レース後に引退セレモニーがあり、そしてまた木曜16時に出馬表がJRAのホームページに掲載された。1週間あっという間だった。今週掲載された出馬表には当然ながら武士沢騎手の名前は無かった。騎手名鑑にも名前は無くなっていて、引退騎手名鑑のほうに2024年3月10日引退という文字とともに名前が載っていた。寂しい。

約15年間、ときどきサボったり、ときどき入れ込んだり、その波に強弱はありながらも武士沢騎手がいる競馬は生活の一部になっていた。いま私は32歳だから、約15年というのは生きてきたなかのおよそ半分。それが無くなったのだから寂しいのは仕方無い。でももっと腑抜けるかと思った。普通に生活はできている。ただどこかまだぽっかりと空いた穴が自分の中に居座っている。これはしつこいやつだな、と漠然と思う。

 

何を書けばいいのか、書きたいのか。正直わかっていないまま、でも何かを吐き出したくて、いまここにいる。

 

そうだ、花束。

武士沢騎手の引退がわかってから、今日まで応援し続けることができた感謝の思いを形にして伝えたくて、安直ながら花束を渡したいと考えていた。そうとなったらどんな花束にするか。宝塚歌劇団の退団ブーケや、福永祐一調教師の騎手引退セレモニーで素敵なブーケを手掛けた らんすいえん さんが一瞬頭をよぎったけれど、時間的にも場所的にも難しいだろうと諦めた。そして無茶を承知で近場のお花屋さんにお願いすることにした。言葉でうまく伝わるか心配だったから、仕事中に思い浮かんだイメージを急いで手帳に書き留めたものを店員さんに見てもらった。

馬名は後日追記したものだけれど、左の殴り書きが右の花束になるのだからお花屋さんってすごい。最初はうまく伝えられなくて紫&白・赤&白・水色&赤の計6本のお花を1つにまとめると勘違いさせてしまったのだけれど……。引退するスポーツ選手に花束を渡したい(いま思えば"騎手"でも伝わったか)、ユニフォームをイメージした色合いの3つのブーケを1つにまとめる感じにしたい(勝負服でも以下略)、最後だから華やかにしたい(これは小桧山調教師の写真を見せたら伝わった)等々、多くの抽象的な注文を聞いて、丁寧にすり合わせていってくださって本当に有り難かった。周りは白いカスミ草を散らすか、葉っぱなどの緑を添えるかの2択で迷ったのだけれど、出来上がった花束を見たら緑を添えるほうを選んで良かったな、と思えた。トウショウナイトも、アルコセニョーラも、マルターズアポジーも芝で勝ったから。

当日は朝からウィナーズサークルで待っているファンの方々が多くて、本当に花束を渡せるかどうか気が気じゃなかったけれど、色んな方のお力添えや後押しがあって無事に手渡すことができて、うれしいのとホッとしたのとが綯い交ぜになっていた。

 

過去の私へ。花束を用意しても武士沢騎手に渡す機会が無くて結局持ち帰ることが何回かあると思うけれど、数年後にはようやく花束渡せているから安心しな。最後の最後、というときだけれど。

 

さきにも書いたけれど、武士沢騎手を応援している間に色んな方にお会いすることができて、たくさんお力も貸してくださって、どうお礼を伝えたらいいのか。中には恩を仇で返した方も、不義理をしてしまった方も居る。今さら詫びても遅いけれど。手助け無しでは辿り着けなかったところもあった。

引退がわかってから武士沢騎手のこれまでとともに、自分自身のことも振り返ることが多かった。SNSでは好き勝手言っていて、どんな応援幕を出しているかもわかる内容を発していて。今は中央競馬パドックに応援幕は掲出されていないけれど、かつては応援幕が並び、何とはなしに競馬場ですれ違う人の中でも「あの応援幕を出している人だ」とわかることもあった。対象がそうでなくても、ファンの人たちがあまりよろしくなくて、その対象までどことなく良いイメージが持てないということも十分有り得るなかで、私はどうだっただろうか。良いファンでいられただろうか……というのは無理な話かな。好き勝手な言動をしているからきっと「武士沢……、ああ、あのパンダのアイコンのヤツ嫌いなんだよなあ」と思わせてしまった人もいるだろう。

 

それにしても中山競馬場パドック沈丁花を植えたのは憎い演出だと思う。スタンドから馬頭観音側を通ってパドックに向かう道すがら、ふわっと鼻をかすめる甘い香り。また来年、競馬場じゃない場所だったとしても沈丁花の香りがすることに気付いたら、私はこの日のことを思い出すかもしれない。

2024/03/09 徒然

武士沢友治騎手の騎手生活ラストウィークが始まってしまった。こんな時でもらしさ全開の騎乗馬だなあ、とか色々思いながら競馬を観ていたらあっという間に土曜日が終わった。明日は、ほんとのほんとに最終日はどうだろうか。きっと今日よりも短く感じるのだろう。寂しいなあ。

2024/03/06 徒然

www.jra.go.jp

ついにその日が来た。そう思った。今年はやたらと騎手の引退が多いと感じていた。もしかしたら自分が応援している武士沢友治騎手も例に漏れず引退してしまうのではないかという不安を覚えながらも、心のどこかではまだまだ騎手を続けるだろうという思いもあった。そう思い込みたかっただけかもしれない。でも、もう避けられない事実として、武士沢騎手は3/10をもって騎手免許を取り消すことになった。寂しい、とか、しんどい、とか、ツラい、とか、いまの自分の心情を表す言葉はいくらでもあるけれど、どれもがぴったりでいて、それでいてどれもがどこか足りない、なんだか違う、と感じてしまう。寂しいし、切ないし、ツラいし、しんどいし、まだ辞めないで、騎手をもっと続けていて、と思う。でもその一方で新たな道筋である競馬学校の教官に就く武士沢騎手を応援したい気持ちも抱いている。後進の育成に携われるなんて素敵なことじゃないか。そう思うのも嘘ではない。でも。そう、でも、が付き纏う。しょうがないじゃないか、初めて武士沢友治という人間を知ったのは騎手であるその人だったのだから。どうしても聞き分けのない自分が地団駄を踏むのだ、もっと騎手・武士沢友治を見たかった、応援したかった、と。とはいえ、どうしたらいいものか、武士沢騎手の騎手免許取消申請はあって、3/10付けで騎手免許は取り消される。私が地団駄踏んだところで、どう足掻いたって、嫌だいやだと言ったところで、おそらく覆らないだろう。難しいな。正直な思いがそれだ。割り切れない、受け入れることがなかなかしがたい、理性と感情が反発し合っていて、難しい。とはいっても皆に時間は平等に流れて、私にも誰にでも3月10日は訪れるであろう。少しずつ少しずつ、かどを削るようにして気持ちを丸くして、受け入れるしかないのだ。そして一介のファンはただ見送るしかないのだ。わかっている。わかってはいる。いつか訪れるであろうその日が今だったというだけのこと。わかってはいるんだ……。

2024/03/04 徒然

平日の労働ですり減らした体力気力の残りを絞り出して、土日に競馬場へ行き、そこで使い果たした体力気力が戻らないまま再び労働へ――。というわけでまだ月曜なのに息も絶え絶え。デジイチを首からさげて競馬場を歩き回った身体に鞭打って出社すればデスクワークで首肩腰にダメージを重ねていく。20代の頃はどうにかなったものの、30代では回復が遅い。こんな日はストレッチして早めに寝るに限る。あと基礎的な体力をつけたい……。