『忘れらんねぇよ』第2話

それから大学でも、休日もいつも一緒に過ごした。私は彼女の笑顔が見たかった。彼女の笑顔のために何でもしたかった。恋人である必要はなかった。そこに彼女がいる。私の方を向いて笑っている。それだけで十分だった。

 

そのとき彼女には好きな人がいた。連絡が来ると眠れなくて、寝不足になってしまう好きな人がいた。過去に振られたと言っていたが、彼女がまだ好きであることは明白だった。私はその話を始めて聞いたとき、高校生の頃好きだった子のことを思い出した。高校を卒業してから数回デートをしたのだが、相手は大学生。自分は浪人生なのか、フリーターなのかわからない宙ぶらりんの状態。自然と連絡を取ることはなくなった。

 

その子に対して何の未練もない自分に気がついた。それゆえに彼女からその話を初めて聞いたときは、ショックだった。振られても尚引きずるくらい魅力的な人が彼女にはいることに。それでも彼女のことをまた一つ知れたことを嬉しく思う気持ちもあった。

 

一緒に講義を受け、大学が終われば一緒にご飯を食べ、終電の時間ギリギリまで他愛のない話をし、私が家に着けば朝方まで電話をしていた。彼女が生活の全てだった。大学まで1時間半かかる私は寝不足が続いていた。バイトも始めていて、今思えばどこにそんなエネルギーがあったのか不思議でならないが、充実した時間だった。

 

私は彼女のことがどうしようもなく好きになってしまった。彼女のことを考えていた。いつも一緒にいて、離れているときは電話をして、それなのに彼女のいない時間も彼女のことを考えていた。この気持ちを伝えたいと思った。

 


私は想いを告げた。出会ってまだ一月も経たない頃だったが、一緒に過ごした時間を考えれば早すぎるとは思わなかった。彼女の家のそばにあるベンチで、葉桜となっていたソメイヨシノの樹の下で好きだと伝えた。

 

 

彼女の返事はノーだった。私はそのときのことをはっきりと憶えている。彼女は、彼女なりに私を傷つけないように配慮してくれていた。その優しさが私を苦しめるとは露ほども考えていなかったのだろう。

 

 

私は恋人について深く考えていなかった。告白したときですら。私の稚拙な想像力だと、手を繋いで歩く程度のことしか思いつかなかった。だが、今のままでよかった。手を繋がなくてもよかった。ただ、好きだということを伝えたかった。あわよくば、彼女もそうであってほしいと願っていた。

 

 

勝算があったわけではない。覚悟はしていた。願いが叶わなかったとき、元の関係には戻れないことを覚悟して伝えた。

 

 

泣きたかった。だが、彼女の前では泣けなかった。ちっぽけなプライドだった。その日は終電を逃してしまった。終電を逃したために、野宿することは何度もあった。だが、その日は彼女から自分の部屋に泊まるように勧められた。

 

 

私の信念で、恋人ではない女の子の部屋には入らないと決めていた。だが、その日は彼女と過ごす最後の時間だと思い、その提案を受け入れた。玄関でかまわないと伝えたが、床が固いからと部屋に案内された。

 

 

時間も遅かったため、すぐに横になった。彼女はベッドで、私は床に。彼女と過ごした時間はとても楽しいものだった。これが最後なんだ。私は眠れぬまま、朝方に黙って部屋を出た。

 

 

 

忘れらんねぇよ

生きていれば、取り返しのつかないことは誰にでもある。それゆえに時間を巻き戻したいと思うことも、自分が別の誰かだったらと願うことも、死ぬ以外に楽になる方法がないと考えることも。取り返しのつくときに気づかなかった自分を呪うことだって。

 


この物語を書き切ったとき私は消えることにした。愛する人を傷つけた咎は、その人の心を癒すこと以外に償う方法がないことを私は知っている。どうか、この物語がいつまでも続くこと祈る。

 

彼女と初めて会ったのは、大学の入学式の次の日だった。私はその日、寝坊したために情報処理の講義のガイダンスに遅れてしまった。厳しい先生だったため教室に入れてもらえず、空き教室で時間を潰していた。彼女とは、そこで出会った。

 

私は20歳で大学に入学した。高校3年生のとき、就職する意思もなく、かといって受験勉強をする気もなく、「勉強をしなくても入れそう」という理由で芸術学部を受験した。結果は不合格。そりゃそうだ、芸術学部に入るにも努力は必要だ。それから私は、大学に行ってほしいという母の願いを背中に受けながら、アルバイトをして暮らしていた。

 

感受性の強い子供であったと思う。悲しいニュースを見ると、落ち込んで何もできなくなってしまうことがあった。許せないことは許せないと声に出してしまい、孤立することもあった。

 


19歳のとき、転機が訪れる。そのとき読んだ雑誌に、ある日本人女性が紹介されていた。外資系大手企業の技術者で、日本人で唯一の(だったと記憶している)特別な役職に就いている方だった。そして、その方は全盲だった。

 

そのときまで自分が何をしたいのかわからなかった。いくら考えても答えは出なかった。でも、そのとき、心はたしかに動いた。大学に行こう。今現在の自分を見ると、そのときの動機とは縁のない大学生活を送ったわけなので、まぁ何でもよかったのかもしれない。

 

第一志望は残念ながら落ちてしまったが、大学の合格通知というものを初めて受け取った。結果には納得していた。そして、20歳の、桜が咲く季節に彼女と出会った。

 

真っ白な肌が印象的だった。きっと、雪の降る寒い町で生まれたのだろうと直感した。私はそのとき、先輩と談笑していた。彼女は離れた席に座ってぼーっとしていた。ずっと眺めていたい、魅力的な横顔だった。すると突然、こちらにやってきた。私の視線に気づいたのかと焦ったが、会話に混ざりたいだけのようだった。

 

人の目をよく見る子だった。よく笑う子だった。目はくりっとして、瞳は茶色かった。顔が丸いことがコンプレックスらしいが、私はそれが好きだった。自分の声が好きじゃないといつも言っていた。でも、私は初めて話したときから彼女の声が好きだった。

 


一緒に海外ボランティアサークルの説明を受けて、一緒に帰った。彼女は、大学から電車で10分ほどの場所で一人暮らしをしていた。直感通りだった。彼女は北国の生まれだった。

 

一目惚れではなかったと思う。今となってはそうだったのかもしれないとも思うことはあるが、外見にだけ惹かれたわけではない。彼女が放つ全てのものに私はゆっくりと惹かれていった。こんな感覚は初めてだった。