苦悶式
今しがた、突然降り出した雨に狼狽しつつ帰路。
バスの運転手がなんだか鳥を絞めた様な声でアナウンスをなさっている
徒労の果ての微睡である
腹が減っている
飯を所望してる
飯飯飯
助平な乗客がこっちを見ている
俺を見るな 未来を見ろ
そこに希望はあるか
エマージェンシー
普通に生活していると、冗談抜きで4日に1回くらいは凹む。
もともと快活な方ではないし、ていうか基本的に根暗人間。
仕事しててもそうだし、人間関係でもそう。そういう時に今まで自分自身でどう消化してたかも記憶にないし、対処してた記憶もない。強いていうならば、音楽聴いて気を紛らわせてたような気がするね。
音楽を聴くなんて言ってみれば、そんなもんお前現実逃避でしかないし全くもって建設的ではないなと思う。
ここ最近凹んでいる時は割とアンビエントミュージックを聴いている気がする。でもこれ凹みを加速させるだけで全然気分転換になってないの。うふ。
はっきり言って本当は凹んでる時は何も考えたくないね。こんなもん、パチンコスロット打ってた時分と一緒なんよね。正味な話。
人間5,6時間何も考えてないと何も考えてない状態が普通になってきてそのうち日常生活に支障をきたすのよね。おそろし。あなや。
話の本筋と全く関係のない事を話していたけれども、自分自身にとって何か思いの丈というか、心情というかそうことを書き連ねる場があれば私のこのモヤモヤは中空に浮かび閃光を放ち、パチパチと弾けてゆくのかも、知らん。
雑文は霊の解放であればよいな。なんて、思う。
妾の思い、君に届け。
言わせんな恥ずかしい。
思い立ったが吉幾三
Twitterのつぶやきを全て抹消した。
これと言って理由はないのだけれども、漠然とただ漠然と、自分自身の主義思想嗜好なんかが溢れて出てきて、そいつを公開する事にいささか具合の悪さを感じたので「ツイ消し」と相成った(ではこのブログは一体…?)
これからはまっさら。まっさらな私。
思えばTwitterを初めて10年近く。Twitterの在り方もずいぶんと変容してきた。
当初は「つぶやき」だなんだとかいって、誰に対して向けているものでもなく、ただなんとなく各々が主義思想嗜好を垂れ流していた。
それが今やどうですか?!人々の声のデカいのなんの(これは壮大なブーメラン)
まぁ別に誰か何をしようと自由だし、どうでも良いのだけれども。自分自身の情報を発信するのに具合が悪くなっただけ、住み分けをしよーという話しでござーます。べいべ。